夢見虫
夏目漱石の夢十夜を、文庫本を少し長くしたようなソフトの装丁の本で読んだ。大正四年が初版で、大正十三年にでた八十二版のぼろぼろの本で、見返しのところに墨でいたずら書きがしてあるよごれたものだ。古書市で見つけたもので、夢十夜だけではなく文鳥と永日小品もはいっている。それでも二百ページある。
中扉にあるユリの花は、カラーで印刷されたとてもきれいなものだ。STとサインが入っているのだから、漱石の絵ではない。だれの絵だろう。
袖珍本は単行本が出版されてから、袖に入るほどの大きさの本として出版されるもので、漱石の本は多くが袖珍本になっている。
単行本として「夢十夜」というタイトルの本はなく、夢十夜は「四篇」というタイトルで明治に春陽堂から出版された本に所収されている。それは「彼岸過迄 四篇」という合本として大正四年に袖珍本になっている。
袖珍本は箱入りのセミハードの布製であるのだが、この「夢十夜」は文庫本のような役割をもって出版されたのかもしれない。
表紙に「夢十夜」と「漱石」と毛筆で描かれているが、これは本人の字かも知れないと思ったってしらべてみた。漱石の筆跡が岩波書店昭和五年発行の「吾輩は猫である」に掲載されており、見比べたのだが素人には判別がつかなかった。
漱石の「吾輩ハ猫デアル」も、滑稽な人間観察小説で、純文学と言われているものとは違う。遊び心を強く感じる。心が遊べると世の中の条理などどうでもよくなって、ふわふわと言葉が浮き始める。幻想作家の性格を強くおびてくる。
「夢十夜」は幻想的、いや幻想小説そのもので、とても香り豊かな面白い話である。もし、東大の英文の先生というアカデミズムにまみれていなければ、漱石は泉鏡花とは違った、西欧の香りのする現代の味のする先端的な幻想小説を書いたのではないかと思う。だいたい、石でうがいをするなんて名前をつけているところから、想像力豊かで、突拍子もないことを考えつく人であることが明白である。
ともあれ、夢十夜はおもしろかった。
読み終わって、寝るつもりでベッドの布団をめくった。そうしたらシーツの上でピンク色のテントウムシに似た虫が、青いつぶらな目を自分の方に向けた。刺されるとかゆくなるのはいやだ。どうしようか。
こんな甲虫知らないなと見ていると、虫の顔が拡大鏡で見たように大きく見えた。人間の目には、見たいと思うとこのような機能も備わっているのか、今まで使わなかったのはもったいなかった。
虫の奴、ピンク色のつるっとした背中を丸め、青い目の脇から涙をおとして、ちいちゃな口をあけてあくびをした。
おや、虫もあくびをするんだ、と思ったのと同時に間抜けな顔で笑いそうになったのだが、大きなあくびがでてしまった。あくびはどのような動物でも移るようだ。笑いを止めてしまった。
気持ちのよいあくびだと口を閉じようとしたとたん、ピンク色の虫が口の中に飛び込んだ。
あっと思うまもなく、喉からからだのどこかにはいってしまった。どこにいっちまったのだ。胃の中でさされたら胃が痒くなる。
そう心配になっていると、やけに眠くなった。こりゃたまらん、あわてて布団にはいって、ふとんをかけたとたんに眠りにおちてしまった。
夏目漱石がからだ中に天道虫を這わせている。なにをしているのか虫にきくと、石でうがいをすると言う人間を見にきたんだという。天道虫はなぜそんなものに興味を持つんだろう。と思ったら、さすがに人の気持ちの読める漱石である。天道虫というのは、人間の進化に興味があって、石でうがいをする人間はきっと、何か他の生き物に変わるのではないかと思っているからだという。それで漱石に、
「かわりそうですか」と聞いてみた。
そうしたら、「カフカはすごい」としか答えなかった。
「それじゃあ天道虫が進化する人間に興味を持つ理由にならないじゃないですか」
少しばかりきつい口調で反論したら、天道虫はわしが虫に変身すると期待してこんなに集まってしまったが、残念ながら、うがいをした石をあやまって飲みこんでしまって重くなり、身軽に変身できなくなってしまったんだ。ということだった。
確かに、天道虫がぞろぞろと、漱石から降り始めている。
「変身するとしたらなにに変わるのですか」
ときいたら、「猫」と答えた。「なぜ」と聞くと、吾輩は猫であるに書いた猫は人間をよく見ている。人間がよく見える生き物になりたい、と答えた。
ずいぶんまじめな人だ。
漱石から降りてきた天道虫たちはぞろぞろと道をあるき、道を通っている人たちにくっついていなくなっていく。一匹、ピンク色の天道虫がわき目もふらずにこっちにやってくる。ベッドの上に上がり、とうとう自分の口の中に入った。ははーん、この天道虫は漱石を観察してから、やってきた虫なんだ。天道虫の仲間だ。と納得がいったが、自分のどこに行ってしまったのやら、とんと体の中で動く気配がない。
その日からである。毎夜、夢をみるようになった。
夢を見るというのはどこがどうなるのか、脳の研究者を捜して歩いた。
書店を見て、脳科学者というのがいたので、見に行ったが、みんな科学者じゃなかった。それで、解剖学者でバカの壁なんかを書いている人がいたので、その人に聞いてみたのだが、脳はどうのこうのと少しは科学的なことを言おうとしていたが、むしろ僕の体の中に入った虫を捕まえて標本にしたいというので逃げてきた。結局、神経科学者に会いに行ったのだが、わからないんですよ、まだ、と言う正解をもらった。
ともかくピンクの虫が僕のどこにいるのか結局わからない。脳かもしれない。夢というのは脳が認識しているものだそうだ。
それでなぜ夢を見るのか、研究している人にきいてみたが、一日の記憶の整理をしているのだとか、仮説をたくさん話してくれた。それは面白かったが、それじゃ小説にしかすぎない。SF小説は現実になることもあるから間違いだけじゃないのだろう。
やい、ピンクの虫どこにいる。と体の中に響くような声で直接きいてみた。すると、あんたの遺伝子にはいっちまったと、返事がきて、アーーあ、といっている。またあくびをしているにちがいない。またもやこやつのあくびが僕にもうつってしまい。大きなあくびをしてしまった。
だが、ピンクの天道虫はこう言った。
「夢は現実以外に経験することのできる、体に備わった、とてもよい仕組みだ、私は体中を歩いて、夢の卵を産むのよ」
女ことばだ。夢を見ない人がいるがかわいそうだ。ともいった。今まで自分がそうだった、ほとんど夢を見たことがない。
夢十夜を読んで、こうして僕は夢を見るようになったのである。
まあ、これからはピンク虫に卵をどんどん産んでもらって、ちょいワルな夢を楽しもうと思う。
たのんだよ。
夢見虫
私家版幻視指小説「夢見虫、2027年、一粒書房」所収予定
絵:著者