苦みばしった黒皮

苦みばしった黒皮


 毎朝6時に犬を散歩につれていく。我が家の犬は、犬のくせに朝寝坊で、私が散歩の支度をして玄関に行っても、玄関の中にある犬小屋でまだ寝ている。今もっとも人気のある小型の柴犬である。豆助と、とあるテレビの番組で有名になった豆芝で、自分も結局飼うことにしてしまった。だが、もう十八歳の老犬だ。
 名前は虎という。なぜかって、特に理由がないが、言われてもわからないほどの小さな虎のような模様がわき腹にあるからである。
 「おい、おきろ」
 虎の奴、首だけ犬小屋からだして、鼻ちょうちんを出して、だらしなくまだ寝ている。私の声に片目をあけて、「なんだ、また、あんたか」と、目で言うと、また寝てしまった。
 「ほら、散歩だ」
 首輪をつかんで、引っ張り出すと、渋々と起きあがって、後ろ足で首筋をかいた。のみなんかいないはずだがと思ってみると、テントウ虫が虎の首筋のところを歩いている。虎の足が首筋をかくと、ぴょんと飛び上がって、空中に舞い、虎の足が離れると、また首筋に飛び降りた。捕まえようと指を伸ばすと、毛の中に入ってもぞもぞと逃げ回る。茶色地に白い三つの玉模様がある。
 何だ、この天道虫は、と思って、捕まえようとすると、腹のほうにいってしまった。虎も不思議そうに自分の腹を見ている。
 まあ、いいか、「さあ、散歩だ、今日も天気がいい」
 虎の首輪に縄をつけてひっぱった。
 「もっと早く歩け」いつものことだが、のらりくらりと、犬らしくなくふてくされて歩く。
 散歩道は決まっていた。家から5分ほど歩いたところの雑木林の中だ。武蔵野の雑木林にかこまれた野原のようなところで、所々にベンチが用意されている。ジョギングをするほど広くはないが、犬をつれて散歩する人がいて、虎の友達がたくさんいる。
 林の中は遠くまで見通せるが、珍しく、今日は散歩をする人がみえない。たまにこういうこともある。
 草原にはいろいろな草が生えているがほとんど名前がわからない。
 ちょっと歩くと、珍しく虎が早足になって、自分が引っ張られるような形になった。うんちでもしたいのだろうか、こんなことは滅多にない。
 ほんのちょっとだが、走ると、突然とまって、鼻を草の中につっこんだ。その先をみると、草の中から黒い太い茸がぴょこんと生えている。この野原には、名前はわからないがいろいろな茸が生える。
 虎の奴は、茸に鼻をつけると、ふすふすと嗅ぎ回し、つぎには、ベロベロとなめ始めた。
 すると、黒色茸が身をよじって、「きもい、やめろ」と虎の鼻先を茸の頭である傘でたたいた。
 虎は「きゅん」といって、その場ではいずくばってしまった。虎から天道虫がはいでて来て茸の脇の秋の草に這い登った。
 私は、何気なく見ていたのだが、はっと茸がしゃべったことに気づいた。あまりにも橙色の茸が当たり前のようにしゃべったので不思議に思わなかったのである。
 改めてみると、だいだい色の茸は、なかなか堂々としていて美味そうでもある。
 「卑しい奴だ、茸と見れば食うことばかり、すこしゃ、茸の美を鑑賞しろ」
 そういわれても、この茸はどうみても太ったおじさんだ。
 「おい、おまえ、自分の腹をみろ」
 茸に言われてしまったが、確かに最近メタボ気味である。
 「おい、昨日の夜、茸をもらったろ」
 原っぱの茸がなぜそんなことを知っているのだ。
 昨日、信州の知人から茸が送られてきた。開けてみると、真っ黒い茸が新聞紙に包まれてごろごろと箱いっぱいに詰まっていた。黒い茸は大きいものは直径が十センチほどだろう。散歩のときにあった黒い茸とは違う。あいつはきちんと柄があったが、この茸は短い。送ってもらったのは僕にとって始めてみる茸だが、実子は知っていた。
 黒皮という茸だ。
 送ってくれた知人にお礼の電話をいれた。通の人は松茸より好むというくらい好きな人は好きらしい。にがみがあってそれがまたたまらないそうである。それで、友人に料理方法を聞いて、今日、家内が料理をしてくれることになっている。
 それにしても、この茸はなぜそんなことを知っているのだろう。
 「あの黒皮って奴は、松茸と同じところに生えていてな、食えるっていうことを知らない人もたくさんいるんだ、長野諏訪ではウシビテエっていうらしいぞ、老茸とも書くイボタケの仲間だ、」
 「知人も旨い茸だといっていた、僕は始めて見たよ」
 「培養できないからな、天然物で、東京にはでまわらないさ」
 「今夕、実子が料理をしてくれることになっている」
 「黒皮に限らず天然茸の多くは、まず塩水につけろよ」
 「知人もそう言っていた、虫をおいだすんだそうだな」
 「そうだ、ショウジョウバエなんかが卵を産みつけるからな」
 「ショウジョウバエは黒皮がすきなのか」
 「ショウジョウバエに限らないさ、旨い茸には色々な虫が卵を産みつけたり隠れたりしている。天然茸は塩水で洗いな、そうすれば逃げ出してくるし、塵も取れていい」
 「アルミホイル焼きをして醤油をかけて食うとうまいといっていた」
 「そうだな、単純なのが旨いよ、天麩羅だっていいさ、男の人生、苦労がにじみ出る、苦味の利いた、酒にあう茸だ」
 そう言っている茸に虎がいきなり噛み付いた。
 「あ、なにするんだ」
 私が言ったとたん、虎はくちゃくちゃと茸を噛んだ。
 おいしそうに、ごくんと飲み込んだ。
 その瞬間、「虎の大好物の茸なんだ俺は」
 黒色茸の声が聞こえた。
 草の上で居眠りをしていた天道虫があわてて虎の尾っぽに取り付いて、毛の中にもぐりこんだ。
 黒色茸を食っちまった虎はやけに元気に雑木林の中を飛び跳ね、家に帰ると、猛烈におなかが空いたとみえ、いつもの倍ものご飯をたべると、また寝ちまった。
 黒色茸は黒皮のことをよく教えてくれた。そういえば、大学の時のドイツ語の先生の声に似ていた。その先生は手紙に、何々教授と書くのは失礼だ。教授とは職業の名前で、様とか、先生と書くべきだとおっしゃっていた。ドイツ語は全く忘れたがそれだけを覚えている。黒色茸は先生と呼ぶべきものなのだろう。
 朝だ。ずいぶん生々しい夢だった。
 着替えて一階に降りると、実子が虎頼むわよとキッチンで朝食のしたくをしている。
 「夢でもう散歩に連れて行った」
 「ほんとに行って頂戴」
 「夢で虎を散歩に連れて行ったら、黒色茸が黒皮の食い方を教えてくれた」
 「なにいってるの、ほんとにつれてってよ」とおこられた。
 虎はやっぱりまだ寝ていた。
 「おい、おきろ」
 虎の奴、首だけ犬小屋からだして、鼻ちょうちんを出して、だらしなくまだ寝ている。私の声に片目をあけて、「なんだ、また、あんたか」と、目で言うと、また寝てしまった。
 「なんだか、夢と同じようだ、ほら、散歩だ」
 首輪をつかんで、引っ張り出すと、渋々と起きあがり後ろ足で首筋をかいた。正夢だ。テントウ虫が虎の首筋のところを歩いている。虎の足が首筋をかくと、ぴょんと飛び上がって空中に舞い、虎が立ち上がるとまた首筋に飛び降りた。捕まえようと指を伸ばすと、毛の中に入ってもぞもぞと逃げ回る。茶色地に白い三つの玉模様がある。
 何だ、この天道虫は、と思って、捕まえようとすると、腹のほうにいってしまった。
 虎も不思議そうに自分の腹を見ている。
 まあ、いいか、「さあ、散歩だ、今日も天気がいい」
 虎の首輪に縄をつけてひっぱった。
 いつもように、家の近くののっ原にいって、虎をあそばせて家にもどった。
 夢に出てきた黒色茸ははえていなかった。
 「帰ったよ」
 朝の散歩から帰ると、実子はこんな早くから、出かける支度をしていた。
 「今日は銀座に用事があるから、かえって来たら茸の料理作るわ」
 そう言って化粧をしていた。キッチンには朝食の用意がしてある。
 「お昼はトマトのカップヌードルあるよ」
 と言ってでて行ってしまった。
 退職人間は本当に暇だ。
 うだうだしていると、あっという間に夕方になり、
 実子が茸料理を始めた。実子は三時ごろもどってきていた。
 「塩水につけときなよ、十分ほどでいいから」
 「うん、すでにやってある」
 実子は秋田出身、茸は良く知っている。
 「ウジがたくさんでてきたわ」
 実子の声で台所に行くと、ボウルの底に数ミリの小さなウジ虫がたくさんころがっている。
 「これ、ショウジョウバエの幼虫だよ」
 「あなたなんで知ってるの」
 思わず、夢の中で茸に教わったといいそうになったが、
 「電話で友達が言っていた」と答えておいた。
 「黒皮はホイル焼にするわね、舞茸を買ってきたので、黒皮も天麩羅にもしてみる、味噌づけも作っとく」
 かなり時間がかかってからおよびがかかった。
 「できたわよ」
 キッチンのテーブルに料理がならべてあった。
 腰掛けて、皿の上のホイールを破いた。温まった黒皮が湯気をたてている。うまそうだ。
 黒皮を醤油につけて食べた。これはおいしい苦味だ。サクサクしてまー言葉に出来ないほどうまい。
 ビールが用意されている。
 「うまいなあ」
 「ビールが合うでしょ」
 実子は飲めないのだが、飲む人の好みをよく知っている。人に気遣う看護士をやっていた苦労人だ。苦い経験もたくさんあるようだ。ありがたいことだ。
 みそ漬けにしたものがスライスされ、皿に並べてあった。
 「ゆがいたのを味噌に漬けただけ、食べてみて」
 口に入れると、これが旨い、渋みがたまらない。日本酒にあういい茸だ。
 黒皮と舞茸の天麩羅もうますぎる。
 黒皮のとりこになってしまった。
 黒皮は男の味だと橙の茸が言っていたことが思い出された。差別だといわれてもいい、そのとおりだ。さっぱりとしたいい男の苦味だ。
 その夜のこと
 赤松林に黒皮がたくさん頭を出している。
 松茸はいくつか生えていたが数えるほどだ。
 松茸の脇に生えた黒皮に松茸が言っている。
 「苦味をつけるにはどうしたらいいだろうね」
 「その強烈な匂いがあったら、苦さはついてこないね、あんたは、茸の王様だろ、王様って言うのは完璧じゃできないんだ、どこか足りないから、悪ささえしなければ周りから慕われるんだ。その匂いだけで十分だ、それに自分の足りないところも知ってるわけだしな」
 「苦味がないところだな、しかたがないか」
 「贅沢は言わんこった」
 「黒皮の兄貴は苦みばしったいい茸だね」
 「ただの汚れた黒いきのこさ」
 「そんなことはありゃしないさ、ところで兄貴、俺の明日の運命はどうだろうね」
 松茸は黒皮をそうとう尊敬しているようである。
 「女性があんたを採っていくよ」
 黒皮はそう言うと、積もった葉っぱの中に頭を隠した。
 言われた通り、女性が茸狩にやってきた。
 ところが女性は松茸には見向きもせず、黒皮をとりはじめた。黒皮はのんきに歌など歌っていたのだが、みんなとられちまった。
 そこに黒皮を送ってくれた長野の友人から電話があった。
 「今日の朝、家内が裏山に茸採りにいったんだ、そうしたら松茸はやっぱりあまりなくてね、だけど数本取れたから二本だけど送ったよ」
 「黒皮をもらったばかりじゃないか、そんな貴重なものわるいよ」
 「いや、前に黒皮を送ったとき松茸がはえてなくてね、おくれなかったんだ」

 「あなた、お友達から荷物とどいたわよ」
 もう届いたのか、玄関に行くと大きなダンボールがおいてあった。
 居間にもってきて、段ボール箱のテープをはがして蓋を開けた。
 そのとたん、大きな茸が飛び出した。
 黒色茸である。
 「ほらみやげだよ」
 黒色茸の長けが縮み、傘が広がり、ファーっと黒い煙が立ち込めた。部屋中に煙が舞うと、いきなりテーブルの上から黒い茸がわきだした。
 黒皮だ。どいつもこいつも苦みばしったいい茸。
 「あなた、もう八時よ、黒皮を散歩につれていって」
 「そんじゃ、いくぞ」
 僕は黒皮をつれて朝の散歩に行った。
 虎も去年死んだ。実子も三年前にみまかった。
 黒皮のうまい苦味だけが口の中に残っている。

苦みばしった黒皮

苦みばしった黒皮

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-06-06

CC BY-NC-ND
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