恋した瞬間、世界が終わる 最終話「Re:くちぶえ-その失敗を語るとき、別様な可能性が生まれる」
これまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。あなたのおかげで、こうして物語を完結させることができました。ありがとう。
真知子は掴まれた意思を振り解くことができなかったーー
男のその腕の力強さ、その男性的なもの、その性的な引力の強さ、それらが一本の強い線となって合わさり、真知子の中の衝動的なものを底へ底へと引き摺り込むようでもあった
「なんでこんなものを振り解けないの…」
仮面の男はニヤリとその様子を見てから、状況を思い通りにコントロールできていることに満足感を得ていた
「お嬢さん、抗うことはできません。それはあなたが心の底で求めていたものなのですから」
そうして男は、真知子を祭壇の奥へ奥へと引っ張っていった
仮面の男の身の周りに黒い服の男の姿が纏わりついているのが見えた
ーー真知子が連れて行かれるのに、僕には置いていけないものがあった
「青い眼よ、君を失いたくない」
片膝を床についたまま今にも崩れ落ちそうな彼を僕は両手で抱き支えていた。
彼の背中の傷口に慌てて当てた僕が着ていたタキシードの黒が、背中の傷からの止めようもないと分かるほどの血の溢れで赤黒くなってゆく。
僕の両眼は涙でいっぱいになっていった
青い眼は、そんな僕の弱々しい姿を薄れた意識の中で感じていた
「あなたには物語がある」
青い眼の身体と意識は、誰かの支えを失うと消えてしまうように感じた
「ダメだ! 君はもう話してはいけない!」
僕は、こんなになってしまった彼が、どうにかしてかまた動いて、またいつも、以前の姿、あの古代の道を馬に乗って並走した姿、馬上での会話を景色と共に楽しみながらデルポイへと向かったあの姿、“並走する”という楽しみが帰ってくる可能性を、手段を、考えようとした
「……今度は、あなた自身で物語を作っていくのです」
「ダメだ……もう、話さないでくれ」
彼の言葉を聞きたくない、でも、彼の声を、話す姿を、忘れたくない。
相反する思い出。
僕は彼の口元に耳を近づけてその声の音を聞き取ろうとした。
「……あなたが作っている物語はありますか?」
「作っている物語……?」
僕にはそれについて考えてみる余裕はなかった
ーー不意に僕を拘束していた力が完全に緩まった
赤い眼の方を向くと、完全に床に伏してしまっていた。
その理由を考えたときーー青い眼に目線を移す前に、それが何を意味するのかが分かってしまった。
真知子が何処かへと連れて行かれたことを考えなくてはならなかった
「青い眼……いや、僕の親友。僕はもう行かなければならない」
ーー青い眼は親友が歩いてゆく方向に光を視た
そして、失った意識と記憶の残像が瓦解と還し、物語の余剰に蘇ったのはそれまでに視たこと、聴いた声、後悔よりもその時々の数え切れないほどの人々の面影が温かみを帯びて通り過ぎるように交え合い、青い眼の凱旋を待っていたことを知った。
それは逃げ惑う人々ではない、一人の修道女の祈る姿だった。
青い眼の右手は震えていた。その震えに気づいた修道女-美しい女-は、鳥が止まるべきところへ留まるように、青い眼のの右手を両手で包んだ。
一枚のステンドグラスから零れた一滴のような光線が、祭壇の上で跳ね返り、修道女の内奥から燐光を発していることに気がついた。
修道女は、青い眼の親友が見つめる先に大きく十字を切ったーー
アーメン
白妙の衣手のように
袖を引かれる想いで
「サッフォーの仕事は完成していたのだ」
仮面の男は、真知子の腕を離していた
「ここは何なの?」
真知子は、掴まれていた腕が離れても、その魔力に身体は従ってしまっていた
祭壇の奥へとやって来たが、その先は穴のようなものがあり、暗がりで何も見えなかった。真知子が仮面の男の方を向くと、男は震えながら、浅い呼吸を繰り返し、その怪しさが増していった。片手には黒曜石のナイフを手にしているのが見えた。その危険な不気味さに真知子は身を引いたーーその刹那、仮面の男の呼吸は落ち着き、何か覚悟を決めた様子に見えた。
次の瞬間、片手で自分の片眼を開け広げ、片方の手に持っていた黒曜石のナイフを自分の眼に刺し入れた
「何してるの!?」
仮面の男は、痛みの声をあげた。
男の目から、血に染まった目玉が床に転げ落ちるのが見えた。
男は胸ポケットからハンカチーフを取り出し、丁寧に包み込んでいたものをゆっくりと慎重に開けていき、サッフォーから奪った眼をそのまま自身の窪んだ部分に入れ込んだ
「この全能感!! たまりませんね!」
「……わたし、何度見てもこれには慣れないわ」
真知子は吐き気を感じながら、痛みの声を上げ続ける仮面の男の動向を伺った
「…さあ、鍵が開きますよ、お嬢さん
そして、私にその身を授けなさい」
「いやよ!」
黒曜石のナイフが床に落ち、その赤黒くなった先端に光が反射した。
それは、男の左の眼、それから右の眼へと光が伝い歩きをするようだった。
「どうして、左眼だけじゃないの!?」
男はまたニヤリと笑い
「これは、随分前に頂いたものですよ」
光は、暗がりの穴の先を照らしていった
男と真知子の眼前には、透明な歩廊が広がっていったーー
「ここは?」
追いかけてきたその先は、透明な歩廊となっていた
足下は、ガラス張りのように透けていた。
奇妙なことに浮いているような感覚があった。
足元には確かな地を踏むような感触はなかった。
「あなたは何をしたいの?」
真知子が男と横並びで透明な歩廊の上で立ち止まっているのが見えた
「モノリスは、私たち技術者の力でハッキングしたコンピュータがアンドロメダ星雲を抜けたとき、その先の物語へと出入りするための受信と送信を可能とするものです。天逆鉾とも呼ばれるものでしたかね」
「何でそこまで別な物語を求めているの?」
男はそんなこともわからないのかという眼で真知子を見た
「お嬢さんには後悔や反省はありませんか? 人生すべてに満足できているのですか? こうしたかった、ああ成りたかった、あの時こうすれば良かった、そんなことはないのですか? 別な親、別なパートナー、別な肉体、別な人生、別な声」
「わたしは、わたしの人生を愛しているわ。あなたは人生を別な視点から見ようとし過ぎてるのよ!」
仮面の男はその声に耳を傾けることなく、ため息をついた
「左右の両極の物語を得たサッポーは、永遠に、自由に物語を書き換えられるようになるはずだった。モノリス(物語製造装置)によって、書き換えが可能になるはずだった。だが」
仮面の男は透明な歩廊を見渡し、その先にまだ何も見えないことを改めて考えた
「……これは、何かがまだ足りないということでしょう」
「何かって?」
僕は、先にいる男と真知子に気づかれないよう忍足で近づいたーー
「それは、その後ろの男しだいですよ、お嬢さん」
「せんぱい!」
「真知子、遅くなってごめん」
真知子は、僕の方に駆け寄ろうとする寸前で、また男に腕を掴まれてしまった
「さて、あなたは青い眼から何かヒントを授かったのではないのですか?」
「……」
僕は男の求めに声を閉ざした
「このお嬢さんがどうなってもいいんですか?」
男は、真知子の身体を力で抱き寄せ、首に手をかけた
「せんぱい、わたしに構わないで!!』
仮面の下の眼光が、これ以上の間は与えないというような鋭いものに変わるのを感じた
「物語と言っていた」
「せんぱい、ダメ!!」
真知子の声が弱々しく、首にかけられた手に容赦のない力がゆっくりと掛けられていることが分かった
「真知子、僕はこれ以上誰かを失いたくない」
真知子の首にかけられた手が離れた
「物語ですか…しかし、そのヒントでは何のことだか分かりませんね」
再び、真知子の首に手がかけられた
「ワタシは分かるわ」
振り向くと、そこにはリリアナの姿があった
「リリアナ!」
「おや、マタ・ハリではありませんか」
「その名は忘れたわ」
リリアナは男からの視線を逸らした
「あなたはあのスパイにされた人生を忘れたのですか?」
「リリアナがスパイ?」
「せんぱい、その女の人を信じてはいけないわ!」
真知子の自分を信じて欲しいという声が伝わった
「無理もないわね」
リリアナは自身のこれまでを振り返った
「せんぱい、ダメ!!」
「ハポン、これは信じて」
リリアナは、もう一度前を向いた
ーー今の僕は、選択を求められている
①真知子を信じる
→これは、真知子は男の犠牲者となる可能性がある
しかし、物語の詳細について男に知られることはない
(世界が終わるようなことはない?)
②リリアナ(マタ・ハリ)を信じる
→これは、真知子は助かる可能性がある
しかし、物語の詳細について男に知られてしまう
(世界が終わるかもしれない)
『恋した瞬間、世界が終わるーー
来るべき一瞬の判断、それは、どちらに恋をしているのか』
ーー僕がリリアナの方に気を取られていることに真知子は耐えられなかった
「その女の人は、せんぱいの……なんなんですか? どうして、馴れ馴れしい口調なんですか? ……付き合ってるんですか?」
真知子は、心の底を開け放っていた
そして、僕も心の底を開け放たなければならないことを悟った
「これはこれは、感情というのは刺々しく美しいものですねえ!!」
男は高笑いで会話を見物した
「何言ってるの……ねえ、ハポン」
リリアナは冗談を聞いている風な中に、何か返答を求めているような表情でもって真っ直ぐに僕の方を向いて言った
僕は言葉に詰まっていた
「ハポン。物語というのはね……それはハポンが作っている小説のことよ」
「小説? ……あれのこと?」
僕は呆気にとられた
「せんぱいが小説?」
真知子も呆気にとられていた
「それが一体何の関係があるのです?」
男は待ち兼ねた回答に心が躍った
「……わたし、白い服装の女の人にシナリオを完成させてほしいって言われた」
真知子は、仮面の男にというよりも、僕に必要な事として口に出してみることを選んだ
「物語…小説……シナリオの完成」
僕は、何かを結おうとした
「……ねえ、ハポン」
リリアナは真知子の発言を聞き、何かを悟ったようだった
「ハポン……あなたは、この娘と一緒にやるのよ」
「リリアナ……」
僕は心の動向が何を求めているのかを完全に把握した
そして、真知子も何かを悟ったのか、巡る物語の動きを感じた
「せんぱい、ココがわたしに“読んでほしい”と貸してくれた本があったの。一冊は詩集だった。それと、もう一冊あったの。たぶん…うん、それにはきっと、ココが遺してくれた何かがあると思うの。外で待ってくれているタクシーの中のリュックサックに入っているの」
ーー光が差し込むのを感じた
僕の中に留まっていた小説、物語が
とめどなく行き場所を得たように透明な歩廊の床の上に文章を綴っていった
それは歩廊の上の言葉から、顕現する
光が形となった
そして、
僕の中から、煙が現れたーー
見覚えのあるその煙が、僕に語りかけた
『あなたの長い物語が、ようやく表に出ることができた。』
僕以外の全員も同じ煙を見ていた
「あれは一体、なんなんだ?」
男は未知の存在に畏怖していた
「……せんぱい、あれは何ですか!?」
真知子は眼をキラキラさせてその煙を見ていた
リリアナは何かを言葉にすることはなかった
煙は、続けて僕に語った
『さあ、あなたの名前が鍵になります。
それで扉は開きます。』
僕は、自らの名前を煙に告げたーー
エンコード…
文字化けが始まり、僕の文脈が書き換えられてゆく。
これは僕に必要な物語。生きて、参照されて。雄大な建築物に。
これは僕に必要な物語。
『人生』これは僕に必要な物語。
もし、きみの名前があったら、僕は振り向くだろうか。もしきみに、名前を呼ばれたら、僕は振り向くだろうか。声を掛けられたら、名前を呼ばれたら、僕に向かってくる心の声があったら、いっさいを秘めた心から解き放てる。
そこに、きみの名前が在れば…
言い切れぬ秘めた、伝えたい言葉が在れば、心は動き始める。
もし、もっと、もうすこし…言葉が伝われば、
曇り空の下で、すっきりしなかった感情が交差した。
僕は社会に馴れた。
この、人の群れに
馴れた
この、場所に
この、繰り返しに
擦れ違いの出来事に
擦れ違い、磨かれてゆく出来事に
新鮮な感情を迎え入れる気になれている。
『長い冬の間 あなたは何処に行っていたの?』
忘れていた温もりが語りかけた
春になり、顔を見せたあなたは、穏やかな表情を浮かべている。あなたが不在だった、長い季節の循環。
『久しぶりだね。何処に行っていたんだい?』
「ああ…いろいろ、逢ったよ。」
あなたは云う。
『…春に至るまでのきみは何をしていたのか、聞かせてくれないだろうか?』
『結局のところ…きみは、みんなと同じに生りたかったの?』
『きみは、みんなと違う。きみは、みんなと同じ方法を取る事が出来ない。それに気づいた時、その自覚から…どう進んできたのかな?』
「特別な人と出逢うためだよ」
ーーハポン、待って! ただ、最後に…」
エンコードの中を、リリアナは僕の側へと歩み寄ろうとした
透明な歩廊の床に、何かが波紋のように広がったーーその波紋の中心にいた男の仮面が床に落ちていた
男の両眼が記憶を呼び起こすように語り始めたーー
「神……いや、名もないあの元へと帰ることを望んでいる。あらゆる可能性を試した。君たちが人生の中で揺れ動く様と同じだ。その上でも、君たちのことをよく理解できる。後悔だってある。それは私の両義的存在である片割れを殺してしまったことだ。死んだほうがマシだった。そう…マシということだ。君たちも知っているように、生きている、生かされているということは、辛い。本当にその上でも、君たちの想いがよく分かる。生きてしまっていることは、繰り返しの怠惰で、時々の飴と鞭とで遊ばれているように感じる。そう、すべては神の手のひらでというやつだ。私はだから、反逆者となった。ニムロデだ。別な可能性を生きたかった。好きなように、自由に、飛びたかった。ヤタガラスだ。悟りには、両義的な方法がある。私は、その片方の方法で今へと到った。私の片割れであったあの男の悟りに憧れた。嫉妬もした。私の方法である……情動からの道と言ってみると分かりやすい。それは実は、途方もなく本当に不安定な上で立ち続ける綱渡りだった。それでも君たちは…」
「心が、仲介者の役割を果たさない限り、手と頭脳は、通じ合えないわ」
真知子は、男の語りに回答を示した
ーーその時、
透明な歩廊の床に、言葉が現れた
その詩は、
《 新次元の詩のために 》
遠い未来
から
螺旋階段を降りて
すべての映像のために
切符を掴んだ
不時着する魂の鼓動
鼓動を聴けーー
こえ
かお
て
思い出せ
過去が追い越すとき
速さが変わるとき
屈折して眼下に落ちる
やり残した、場所で
果たすべき あきらめから すべての映像を 汲み取る
未来を終ぞ、想い描けなかった詩人たち
詩人たちよ
これからは、詩により
未来を想い描く
想い描いてきた実像、虚像全てを宿す
未来は、詩による
広く大きな空へと昇って行った詩は
大気圏へと
突き破り
ブラックホールのなかのワープゲート
新次元へと
突き進む
詩人たちは、ワープゲートを通過する
新次元の詩のために
「なぜだ? あれはハッキングしていたはずなのに」
男は未知の存在に震えた
「そうか、あの花に情報が入っていたのか
旧人類の記憶、チップなのか? いや、染色体にあるのか?
旧人類は、滅ぶ前に、自然に遺すことを選んだのかーー
ーー 透明な歩廊の先で、扉が開かれた ーー
「バベルの塔に私は至った!!」
死ぬことは禍悪(わざわい)、
それは神々のお決めになったこと、
さもなくば神々も
みんな死んでしまわれたでしょうに。
(※水掛良彦氏の訳のままです)
黒曜石のナイフが、男の背中を突いていた
「……サッフォー…!!」
【 足下に眼を落としていたあなたが悪いのよ 】
透明な歩廊の床に広がった詩人の声の上に、サッフォーの詩が滴を落とすように波紋を広げたーーその声の中に這いいるように血の跡が浸透したが、まるで後方へと追いやるように薄くなり、消えたーー男の左眼には黒曜石のナイフが突き立てられたあと抉り取られ、サッフォーの窪んだ左眼に入れられた
そして、サッフォーは僕の方を向いた
【 今はこれで我慢するわ 】
僕の中の煙が透明な歩廊の先の扉へと吸い込まれてゆくことを感じた。
僕の中で編まれていた小説となるものがそこにあることを僕は悟った。
サッフォーは、扉へと駆け寄りーー入り込んだ
扉は開け放たれままになった
それは出入りができるという状態を示した
サッフォーがまたこちら側へも来られるということ
ーーその扉は、誰かが閉めないといけないことを悟った
「ハポン」
リリアナは真剣な眼でわたしを視ていた
「ハポン、ワタシを物語の中に連れていって」
「リリアナ…」
それがどのような意味か、リリアナはどこまでわかっているのだろうか
「リリアナ、それは……もう戻ってこれないかもしれないということなんだよ?」
「分かってる」
真剣なその眼は少しも乱れることがなかった
「あの女をこのままにすることはできないわ」
「だけど…」
「ハポン、あの小説をサッフォーはいいように作り替えてしまうわ
作者であるハポンはあの小説に介入することができると思う
でも、その手先となる誰かが物語には必要なの
アバターとなって投企する役割を担う誰かが」
リリアナはそう言ってから、透明な歩廊の床に投げ捨てられた黒曜石のナイフを手に取った
「リリアナ!」
僕が叫んだあと、リリアナは躊躇なく自身の右眼に黒曜石のナイフを刺し入れ、自身の右眼を床に落とした。
そして、透明な歩廊の床に片膝をつくと、息絶えている男の右眼に黒曜石のナイフを刺し入れ、くり抜いた。
「ハポン、誰かがやらなければならないこと
それはハポンがよく知ってるでしょ?」
想像を絶する痛みに耐えながら、自身の窪んだ部分にその右眼を入れた
「ハポン、本当のことを教えてあげる」
「本当のこと?」
「そう、タンゴはね、ウノ 、ドス、ウノ 、ドス
3拍子ではないの
この世界では改竄されていたのよ」
「僕たちは……勘違いだったのか?」
「でもね、それは改竄されたというよりも
単なるエラーなの
そして、その誤りは訂正されずに残されたの
何故だかわかる?」
「……ひょっとして、それはタンポポと同じなのかい?」
リリアナの身体は青白い光を発していた
「リリアナ、その燐光はーー
「ハポン、パパを探してくれてありがとう」
僕は、リリアナに駆け寄ろうと、そして、その後を追おうとした
「うるさい! 着いてくるな!!」
リリアナは、僕の手を払い除けようとした
その時に当たった互いの手の温もりに
最初は離れたが、リリアナは少し寄せるように微かに触れる位置まで
手をその引力に任せた
遠景
ただ一度の分岐
どんな人にとっても、一度は訪れる
岐路となる部分
「リリアナ、サッフォーが物語のどこにいるのかは分からない
僕のあの小説には散りばめられた場面が多い」
「まるで三文小説ね」
「いや、もしかしたらロングセラーの中の
黒い種子なのかもしれない」
ーーリリアナは、透明な歩廊の先の扉に足を踏み入れた
「ワタシは、ワタシの足かせを外してくれた人を信じる」
乱反射する光の群れがリリアナの眼前に広がったーー
神殿から外へ出ると、雨上がりの匂いが香った
朝を迎えた山と、雲海が去っていく景色
長く降り注いだ雨は上がっていた
タクシーのボンネットに光の筋が見えた
真知子はタクシーの運転手と会話をしている
僕はその光景の先にある山々を見ていた
峰々は、明るく染め上がっていった
その光景が瞼に焼けつくように
しかし、これから季節は冬を迎える
春をまた迎えるために
そして、僕と真知子は
あの小説を漫画として描き起こし始めた
かつてのココと、真知子のように
「そのコマ割りは、ないよ
読者の目線では追いづらいよ」
と、僕
「面白みがないのは嫌なのせんぱい
書いていてつまらないの
作者の目線も考えてください!」
と、真知子
「斬新さだけじゃ、読者は離れるよ?」
と、僕
「ココは、許してくれたわ」
と、真知子が言った
「重要なのは、
改ざんする前のシナリオを思い出して描くことだよね?」
と、僕
「それは、ココも」
と、真知子がまた言った
基本的には、真知子が作画
僕は、原作・原案
共同作業で、真の未来を築いてゆく
ーー再びわたしは、アリュールを身に振りかけた
停止していた時間が、動き始めた
わたしは、わたしに
再結晶化され、形が取り繕われて
この場所に立っていた
この場所へと呼ばれた、わたし
わたしが立ち会う場所
イザナウ
右手の時間は止まったまま
わたしは、思い出したようにくちぶえを吹いてみる
海に向かって、空に
くちぶえで見送るとき
時間の魅力ーー
Time Is A Healer -Eva Cassidy-
時間が奪っていったのか、それとも
時間が与えてくれたのか
時の滴の中を掻き分けて、シャボン玉のように壊れそうなそれは
物語の箱(棚)へと戻されてゆく
忘れ去られた棚へ
乱反射する光が飛び込んで来るだろう
ーー時は過ぎ
「ここは、かつてデルポイという名前で…」
「知ってるよ、歴史についてはこれでも詳しい方なんだ」
青年は、観光案内人の言葉にため息をついた
「この大きな石は?」
「それはかつて、儀式に使われていたようですが、詳しいことは分かりません」
青年は、そんなものかと拍子ぬけした
「何か落ちてるね」
見る人によっては、ただの石の欠片みたいなものが、足元に転がっていた
拾い上げてみると、うつ伏せになっていた部分に彫り物があった
「これは、日本流に云えば、お地蔵さんみたいなものかな?」
案内人は首をよこに傾け、分からないという仕草をした
まあ、どうせ期待はしていなかったよ、と青年は心の中で呟いた
大きな石の方へと何故だか目線が移った
その大きな石の脇に窪みがあるのを見つけた
パッ と思い付いたかのように、拾い上げた石の欠片を嵌(は)め込んでみた
驚くほどにぴったりと合った
その瞬間ーー
風が吹いて、青年の中に大きなうねりを巻き起こした
今では祖霊となったかつての人類の流れが、今ここに青年の中にも連なっていることを
時間を失った後
「神殿に奉納をすることもできます
あなたの神は誰ですか?」
「いや、神にはこだわりはないんだ」
「では、世界の中心であるとされるデルポイの神殿にしましょう」
「アポロン神ですか…」
「大丈夫です、元々は地母神ガイアの場所です」
季節は冬、アストル・ピアソラ の曲「ブエノスアイレスの冬」が流れ始める
混沌が入り混じり
時を刻むバンドネオンの音
そうして、物語は“右”に回転してゆくーー
ーー 映画館 ーー エンドロール ーー 立ち去ってゆく観客 ーー 最後まで観ていた君 ーー 君の耳に去来する音楽が近づいてきた ーー それとも、死が近づいているのか ーー ブレインWi-fiが君に未来を視せる ーー イメージの先見は耳を通しての“遠景” ーー 未来からの視聴はランダムな選曲が行われて、ある時代の一区切りの雰囲気に光が当たる
ーー 竪琴のなかで、速度を上げられた過去が追いつく ーー
でも、それは ーー 初演のように鳴り響く ーー
ブレインWi-fiは骨伝導を通じて異なる時代の同じ若者が聴いていた曲
ーーポール・マッカートニーのToo Mush Rainを流した
恋した瞬間、世界が終わる 最終話「Re:くちぶえ-その失敗を語るとき、別様な可能性が生まれる」
Hurt サロメ 仮面舞踏会 メルクリウス マーク・ロスコ 高架下 シャッター街 ビジャ・エペクエン エンキドゥ 芭蕉 ゴジラ ビル・エヴァンス ディケー サッポー デルポイ 古代ギリシャ 紀元前6世紀頃 パピルス文書 オルフェウス メトロポリス ファミレス 鳳凰 安楽死 ココ・シャネル アリュール 地上の上 路上 ログアウト マニュアル ビートニク 恋した瞬間、世界が終わる