落書きへの尻込み 2020
落書きへの尻込み 2020
以前、物作りへのためらいについて書いたことがある。
あの頃確か、私は26歳だった。エッセイや鉛筆画を何の気負いもなく書き殴っては、tumblrに載せていた。私は美大で自惚れをこてんぱんにくじかれたことと、社会生活が全く上手くいかなかったことで、すっかり自信を失っていた。また人を前にすると自分の気持ちを表現できず、本音を飲み込んでしまう悪癖もあった。対人恐怖の症状もひどく、食事処や飲み屋、ショッピングモール等、混雑が予測される場所にはほとんど出向けなかった。
そんな中で創作活動は私の数少ない娯楽であり、逃げ場所だった。心に閉じ込めていた思いを絵にぶちまけた。誰にも言えない過去を文章や漫画にした。空想の世界なら、緊張やパニックに煩わされずどこにでも行けたし、誰とでも恐怖を感じずにお喋りできた。
だから、失いたくなかった。創作に本気になって、自分の実力に、周囲の評価に、打ちのめされるのが怖かったのだ。絵を否定されたら、何を誇りにすればいいのだろう。この場所を奪われてしまったら、私はどこで息をすればいいのだろう。下手くそでいい、誰にも見てもらえなくたっていいと、半ばひねくれた気持ちで落書きをネットの海にばらまいていた。
けれど、誰にも見てもらえなくたっていいという言葉は、半分嘘だった。私はいつか見つけてもらいたかった。認めてもらいたかった。誰からも文句をつけられないくらい、物凄いものを作りたかった。作品を通じて、本音を、私の一部を、愛してもらいたかった。
二年後。私はとあるゲームのキャラクターにどっぷりハマってしまった。漫画も映画もストーリー重視で貫き通してきた私にとって、あるまじき事態である。しかしかっこいいんだから仕方ない。
Twitterで彼のファンと繋がり、交流するようになった。ファンの中にはコンスタントに彼の絵を投稿している人もいた。当然、影響される。彼の魅力を余すことなく表現したくなる。自分が、皆が満足するくらいかっこいい彼を描きたい。空想上で輝いている彼を皆で分かち合い、惚れ惚れしたい。
ここで問題が発生した。絵が下手だ。驚くほど人間が描けない。これでは私の好きな彼を分かち合えないし惚れ惚れできない。今まで「下手くそでいいもん」といじけてきたツケが、まさかこんなところで回ってくるとは。
しかもTwitterには化け物のような絵描きがゴロゴロいる。連日RTで素晴らしい絵が回ってくる。最初はかっこいい彼を拝めて満足するばかりであったが、次第に上手い絵を見るのが苦しくなってきた。
SNSは露骨な世界である。作品への評価が数字で可視化されてしまう。光るものがなければハートやRTがもらえない。数字をモチベーションに変えられる人はいいが、なんせ私は自尊心が地を這っているコンプレックスの塊人間だ。そんな奴がいきなり切磋琢磨の世界に飛び込んだらどうなるか。まあ、苦悶する。
上手い絵と自分の絵を比べる。下手くそだ。紛れもなく下手くそ。美大にいた頃から自覚していたけれど、色選びのセンスがない。絵柄が安定しないし、線の太さが不安定で気持ち悪い。描く度に一人反省会を延々と開催してしまう。苦しい。苦しいよ。でもあの人達みたいに、魅力的な彼を描きたい。ハートやRTがほしい。私のアイデンティティである絵で、人に認められたい。
私は逃げられなくなった。たかが、ゲームのキャラクターを好きになったくらいで。されど、ゲームのキャラクターを好きになったくらいで。
私はなけなしの貯金をはたいてお絵描きソフトを買った。デッサン人形を買った。ポーズ集を買った。顔の、体の筋肉の仕組みを学んだ。80ページを超える漫画を描いた。コマに出てくる人間はほとんど模写した。丸ペンとGペンを使い分けるようになった。影の、光の色の塗り分けを試した。
取り組みながら何度も潰れそうになった。努力して完成させた絵がその前に描いたものよりも評価されないと、焦燥感が込み上げる。きっと練習が足りないのだ。がむしゃらに次の絵に齧り付く。何度もスランプに陥り、自分の絵が嫌いだとタイムラインでみっともなく愚痴るしかない時期もあった。
だが結果はついてくるものだ。ハートとRTは徐々に伸びてゆき、ジャンルの人気が上乗せされているものの、目標にしていた1000を超えることができた。次は1万、と思っていたが、これには届かなかった。悔しい。
5年経って、その界隈から手を引いた。少しだけTwitterにへばりついてオリジナルを描いていたが、ジャンル人気の後ろ盾がなくなってからは、私の絵に目をとめてくれる人はガクリと減った。多分それが実力なのだ。私はアカウントを消した。最後の方には、好きで描いているのか、認めてもらいたくて描いているのか、分からなくなっていた。
やはり化け物は化け物だ。毎日百通りものデッサンをしながら、技巧を凝らした作品を投稿する人達がいる。彼らは私の何百倍も絵を描いている。美大の同期生はとっくに、同じ苦悶を経験していたのだ。今更そんなことに気がつくなんて。どうやったら彼らのように、息をするように絵が描けるのだろう。ああ、完敗だ。私は燃え尽きた。画用紙のリングにうなだれ、右手にペンタブ、左手に教本、顔面はボコボコである。まあ自分で殴ったんですけど、勝手に。
26歳の私は、絵を仕事にすることを未練がましくも夢見ていた。イラストレーターになりたい。そうでなければ、漫画家になりたい⋯⋯。
私の物作りの波は、躁鬱の症状に影響されているらしい。飽きっぽい性格なのだと思い込んでいたが、そればかりではなかったようだ。軽躁気味になるとアイディアが湧いてきて、無性に創作活動をしたくなる。生理的なものなのでコントロールが難しい。文章を書いていたと思ったら、今度は音楽をやっている。またある時は絵を描いている、落ち込んだら手が止まる⋯⋯とまあこんな具合だ。作りかけのまま放置してしまった作品がたくさんある。
私は技術的に未熟だ。それに一つの物事に集中して取り組めない。普通に働くことも今は困難だ。でも、まだ夢見ている。夢見ることは自由だから。
燃え尽きたとのたまいながら、再びスケッチブックに絵を描き始めた。オリジナルだ。模写も多い。アナログでペンを使って描くのが面白い。描き込みすぎず余白を残した方が見栄えよく仕上がるが、そのバランスが難しい。
26歳の頃と比べると絵の描き方が変わった。資料を集めたり丁寧なタッチを意識したりと、時間をかけて描くようになった。
私はあのキャラクターに出会えてよかった。彼に技術を磨く楽しさを教えてもらった。
誰にも見せていない絵が溜まってゆく。だが「何描いてるの?見せて」とお願いされたら、見せてしまう。喜んでもらえると嬉しい。また描こうと思う。
私は絵を描くのが好きだ。尻込みして筆を置いても結局のところやめられないのだから、好きなのだと思う。白い画面に向かっていると時々楽しくて、時々苦しい。非の打ち所のない作品を見て落ち込む日もある。でも、どんな絵にしようか考えながら線を引いている時、私は夢中で幸せなのだ。
落書きへの尻込み 2020