映画『正体』レビュー

 率直に言って、海外ドラマによくある逃亡劇ものは食傷気味。でも藤井道人監督の作品だし、横浜流星さんの演技には全幅の信頼を置いてるから取り敢えず観てみるか〜って感じのテンションで劇場に足を運んだのですが、泣きに泣いて大感動。言い方がアレになっちゃいますが、意表を突かれた分だけクソほど楽しめました。大傑作の作品です。
「主人公である鏑木慶一はなぜ逃げたのか?」
 こう問われて、そんなの①言い渡された死刑を執行されたくないからとか、②自らの無実を証明するためとかに決まってんじゃんと心のどこかで思う方こそ、ここに仕掛けられた演出意図はその効果を遺憾なく発揮すると思います。
 振り返れば、間口の広いミステリー的な側面こそある意味で「騙し」だったと言えるかも知れません。本作において事件の真相を知る手掛かりとなる情報は鏑木慶一と接触する人たちの主観的事実として観客に与えられるのですが、客観的と称される情報を前にして、揺らぎ続ける実際をこそカメラは追い続けます。その最たる登場人物として山田孝之さん演じる又貫征吾を挙げない訳にはいきませんし、「彼」と真っ直ぐに向き合った吉岡里帆さん演じる安藤沙耶香の姿もスクリーンに大きく映し出されていました。
 サスペンス的な展開を支える逃走劇の場面においても、そのひりつくような緊迫感以上に、必死な「彼」の人間存在のあり方が執拗なくらいにクローズアップされます。横浜流星さんの熱演はここでこそ活きていたんですよね。クライマックスになればなる程に台詞は要らなくなり、劇伴も消えていく。ただの映像として露わになる顔つき、姿、事の成り行き。そのどれもが本作における唯一無二の真実だったんです。
 原作は未読のままだったのですが、それがかえって大正解だったと今も思います。まるで別人のように書き分けられるであろう小説より、「彼」の姿を追いかけられる映像の方が、今と名指せる時間軸の中でその目的がしっかりと捉えられていた。時間芸術と評される映画にしかできない表現がそこにはありました。公開された年は良作だらけの当たり年だったのですが、その〆に相応しい一作を師走に鑑賞できて嬉しかったのをよく覚えています。
 私自身、人から強制されるのが死ぬほど嫌いなので、いつもは「興味がある方は〜」と〆るのを心掛けてきましたが本作は特別。興味がない方も是非、是非、配信で観て欲しい。映画『正体』、激しくお勧めします。

映画『正体』レビュー

映画『正体』レビュー

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-05-16

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