血蟲
サアヤ
「うわっ」
突然甲高い声が聞こえ、まだ寝るか迷った末に僕は目を開けた。するとそこには超近距離で人の顔が。
「うわっ」と今度は僕が声をあげ、後ろにのけぞった。しかし悲しいことに後ろは硬い柱で頭をぶつけた。ああ、最悪の目覚めだ。
「はいこれ、冷やせる?」と彼女は僕に水入りのペットボトルを差し出した。いや、これぬるいんだが…。なんて思いつつ、ありがたく頂戴して後頭部に当てる。ここは神社。昼寝をしてる僕に気づかず、彼女は階段を登りきり鳥居の奥へ足を踏み入れようとしたところ、僕につまずきそうになったようだ。僕は改めて彼女を見た。艶のいい黒髪にぱっちりとした目、鼻筋の通った鼻に形のいい唇。まぁ、俗に言う美少女である。しかし可愛いとかそういうのは感じない。なんだかこう、ドギマギしないのだ。それは僕に心臓がないせいか。なんて考えていると、彼女の肩が何かモゾモゾっと動いた。そこには…。
「血蟲だ。」
「ケッチュー?何それ。」と彼女は首をかしげながら手で汗を拭く。おっと、声に出ていたみたいだ。僕は視線をそらす。面倒事は嫌いだ。しかし彼女は僕に何度も聞いてくる。はぁ、しくじった。僕は彼女に向き直る。
「血蟲。匂いに連れられてやってくる蟲だよ。」
「えっうそ。どこどこ。」
「君には見えないよ。…あれ、君はどうして僕が見えるんだ?」
彼女は僕を完全に見えていた。なんなら会話もできる。ひょっとして彼女も…。
「君も幽霊なのか?」
風が吹き荒れ、木の葉が舞う。
「ユーレイ?何言ってんの?」
「違うのか。」
確かに彼女には血蟲は見えていない。幽霊には見えるはずなのだ。いや、でも彼女は僕が見えている。一体どういうことだ。すると彼女が口を開く。
「なんでお面をしてるの?」
「まぁ、いろいろね。」
「ふーん。」
いろいろなんて嘘だ。ただ幽霊になってこのお面がついていた。そして外せない。ただそれだけなのだ。しかし血蟲程は興味がなかったようで、彼女はすぐに話題を変えた。
「名前はなんて言うの?」
「ないよ。」
「なんで?幽霊だから?」
「たぶんね。思い出せないんだ。」
「でも、本当に幽霊ならどうしてさっき頭をぶつけたの?」
「ものには触れられるんだ。人は無理だけどね。」
僕はそれを証明するかのように彼女の腕に手を伸ばした。スカッと手をくぐらせる。すると彼女は目を輝かせた。
「私はサアヤ、中2。ねぇ、幽霊くん。さっきの血蟲の話なんだけど、匂いってなんの?」
「血だよ、血。君はどこか怪我しているんだろう?…あれ、どこも怪我してないな。」
彼女の半袖半パンから出ている白くてひょろりとした手足は傷1つ付いていない。
「血?うーん、血かぁ……あ。」
すると彼女は急に顔を赤らめた。
「どうしたの?」
「………いやさぁ…。あるじゃん、女の子の。」
「女の子の?」
「もういいよ!!」と彼女はぷいと横を向いた。しかしすぐに僕に向き直った。
「その血蟲ってどんな見た目してるの?」
「人につく血蟲はそれぞれ見た目が違うんだ。君のは…なんか赤いよ。毛玉みたい。」
「えっ、かわいい!いいなぁ、見たいなぁ。でも、なんでそんな蟲がいるの?」
「それが僕にもわからないんだ。ただ、神社の付近にわらわらいるって感じ。」
「へえ。何匹いるの?」
「君の肩についてるのは、えっと30匹ぐらい?」
「うげっ気持ち悪!」
彼女の態度が豹変した。そんな彼女の様子に僕は思わず吹き出した。
「あっ、もう帰らなきゃ。日が暮れちゃう。」
「もう来ないの?」
「いやいや来るよぉ。次は、うーん。12月の冬休みかな。」
「ここに住んでないんだ。」
「うん。長期休みにね、ちょうどこの神社の近くに住んでる、おばあちゃんの家に叔父さんと泊まりに来てるから。」
「両親は?」
沈黙。聞かないほうがよさそうだ。僕は急いで話題を変える。
「そういえば、君はどうしてこんな神社に?」
「うーん。1人になりたかったんだぁ。」
風がまた木の葉を舞い上げる。そして僕らのうえに緑が振り注いだ。
「またね。」と彼女は手を振り、階段を下りていった。
12月23日。この日は雪が降っていた。僕は辺りを見回す。気がついたときから僕はこの神社にいた。そしてこのお面をつけていた。しかし今はもう自分の顔すら思い出せない。分かるのは自分が幽霊ということだけ。この神社からは出られない。周りにまるで透明の壁があるかのように、階段を下りようとすると足が動かなくなるのだ。
僕は柱の裏に向かう。そして正の字の最後の1本線を刻んだ。これは僕がこの神社でずっと続けてきたことだ。僕はこれで今まで5年過ごしたことになる。神社の裏には傷がいっぱいだった。幽霊になってから5年。僕は一体いつまで幽霊を続ければよいのか。なぜ成仏はできないのか。もんもんと繰り返し悩む。頭のなかに霧が渦巻く。するとどこからか声が聞こえた。
「おーい!幽霊くん!」
僕の頭の中の霧はこの声によってパッとなくなった。えーっと、僕を幽霊くんと呼ぶ人は…。
「久しぶり!」
僕の予想どうり彼女、サアヤだった。彼女の髪は少し伸び、鎖骨ぐらいの長さになっていた。背も少しのびていた。久しぶりと僕が声を出す前に彼女は思いっきり抱きついてきた。しかし…。
「痛っ!」彼女の猛突進は虚しくも外れ、僕の身体をすり抜けてそのまま転んだ。僕らは顔を見合わせてクスクスと笑った。
「明日と明後日は来れないんだぁ。クリスマスだから。だからまた今日1日だけになっちゃう。」
「クリスマス、かぁ。」
クリスマスは知っている。そこまで記憶をなくしたわけじゃない。確か毎年靴下をぶら下げて何が入るか楽しみにしてたんだったっけ。それでサアヤは大きいプレゼントが欲しいからって大きな靴下をわざわざ…ってあれ、なんだこの記憶は。頭が痛い。耳鳴りがうるさい。どうしてサアヤが?分からない分からない分からない。僕はとにかく頭の中を落ち着かせる。落ち着け。深呼吸。
「てことで、これはクリスマスプレゼントでーす!!」
じゃんっと僕の目の前に出されたのは、黄色に白のドット柄がついた小箱だった。小箱には白のリボンが巻きついている。
「確か物はさわれるんだよね。開けてみてよ!」
僕はシュルシュルッとリボンを取り蓋を開けると、中には花の模様がついたペンダントが入っていた。
「この花、クリスマスローズっていうんだよ。」
「クリスマスローズ?いかにもクリスマスみたいな名前だね。」
「うん。実際、冬に咲くしね。受け取ってもらえる?」
「もちろん、ありがとう。」
そこまで言ったところで、僕は自分が何もプレゼントを準備していないことに気づいた。しまった、どうしよう。すると彼女は僕を見てクスッと笑い、「何もいらないから。」と言ってくれた。といってもお返しはしたい。何を渡そうか。なんて考えていたところ、彼女の肩についていた血蟲が僕のひざに転がり込んできた。
「あ、落ちた。血蟲。」
「え、またついてんの!?最悪。もー何でこう、かぶるかなぁ。」
「かぶる?…でも、怪我してないよね。しかも今日は前の2倍くらい肩についてるよ。出血量、多いよね。大丈夫?」
「え、いや、はぁぁぁ!?大丈夫だし!!やめてよね!!」
彼女の顔はもうゆでダコだ。一体なんなんだ。
すると突然、どこか遠くから「おおーい、サアヤちゃん!」という男性の声が聞こえてきた。僕はその瞬間頭が割れるように痛くなった。嫌だ。近づくな。消えろ。いや、誰だ。分からない。誰だ。痛い。もうほぼパニック状態だ。息が苦しい。何で。助けを求めるように彼女をみる。すると彼女もまるでこの世の終わりのように青ざめてこちらをみていた。
「叔父さんだ…。」
「も、もし、お、叔父さんに見つかったら、もう来れなくなっちゃう。ど、どうしよ。」
僕らは鳥居の奥の階段をさらに登り、頂上の拝殿の裏に身を隠した。彼女は身体を小刻みに震わしながら言う。
「ず、ずっと叔父さんが怖くって…べっとりしてきて、き、気味が悪いの。」
僕は掛ける言葉が見つからなかった。あんなに活発で天真爛漫だった彼女がこんなにもおびえているなんて。僕は言葉のかわりに彼女の手の上に自分の手を置く。やはり透けるけれど。すると彼女は少し安心したように白い息を吐いた。
「あのね、私、元々お父さんとお母さん、お兄ちゃんがいてね。でも、お父さん病気で死んじゃって。それでお母さん、おかしくなっちゃって。自殺しちゃってね。」
彼女は瞼を落とす。長いまつげが瞳を隠す。
「お兄ちゃんと私、まだ幼かったから2人で生きていくのは無理だったんだぁ。お兄ちゃんは、記憶障害があったしね。だから、ちょうど医療従事者だった叔父さんに預けられたんだけど。今度はお兄ちゃんが事故にあって死んじゃって。」
彼女の瞳から1つ、また1つと涙がこぼれ落ちる。それを僕は拭ってやれなかった。
「そ、そしたら、お兄ちゃんが死んでからね、叔父さんが急にベタベタしてくるようになって…危ないときもあったの…。」
彼女の瞳が黒く染まる。あたりがだんだん暗くなってくる。それでも雪は絶えず降り続ける。
「私、ほんとに嫌だったの。だから学校に行って先生に相談しようとして。でも先生、相手にしてくれなかったの。いじめとか見て見ぬふりする先生だから。そしたらそれが叔父さんにバレちゃって。叔父さん、ものすごく私に怒って、そこからずっと怖くて怖くて仕方なかったの。」
彼女はゆっくりと細長く白い息を吐いた。まるで彼女の中身を吐くかのように。白い息は雪に混じって消えた。彼女は空を見上げる。彼女は無言で立ち上がった後、こちらに振り向いた。
「またね。」
トーローさん
ギギギッ ギギギッ
僕は正の字の上の1本線を刻む。その上から何度も繰り返し石でなぞり続ける。
「相変わらず柱、傷だらけやなぁ。」
後ろから柔和な響きのある声がする。
「トーローさん。」
彼は幽霊のトーローさん。幽霊なのに名前がある理由、それは僕が勝手に呼び名を考えたからだ。彼に初めてあったとき、彼は灯りのない灯籠のそばで空を見上げていた。そしてまだ幽霊になって1年目である新米幽霊の僕に気づき、彼は気さくに話しかけてくれた。その際、僕は彼を灯籠さん、訳してトーローさんと呼ぶことにしたのだ。
「そりゃあ5年も正の字を刻んでたら、傷だらけになるよなぁ。」
「どうしてここに?」
彼は基本的には僕のいる位置と真反対の方にいるはずだ。すると彼は色素の薄い髪をかきあげ、一息ついてから話を切り出した。
「近頃、お前を訪ねに会いに来ている子がいるやろ。」
「知ってたんですか。」
「昨日その子を見つけて知ったんや。その子が君に会う前、間違えて裏の方から上がったみたいでな。ほら、裏からは君のいる鳥居まで来れない構造やろ。だからずっと迷ってたんや。」
「ええっ。そうだったんですか。じゃあ、トーローさん、迷子の彼女を助けてくれたんですね。ありがとうございます。」
「いやぁ、俺は何もしてないんやで。ちょっと経ったらその子が自分で気づいて降りていった。てゆうても、俺はその子を助けるすべがないからな。」
「えっと、普通に話しかければよいだけでは?彼女は僕たち幽霊が見えているようですし。」
そうだ。今度彼女が来たとき、トーローさんを紹介したい。するとトーローさんはお面の下からふっと笑みをこぼした。
「それがなぁ、その子が見える幽霊は、お前だけなんや。」
冷たい風が吹きつける。多くの白が僕らのうえに降り注ぐ。
「つまり、どういうことですか?」
「今まで教えてやれなくてごめんなぁ、お前は俺みたいにこれからここで数十年過ごすもんやと思ってたから、そう簡単には教えてやれなくってなぁ。やないと、お前はここから出たくて出たくて毎日それで悩むようになるはずや。なら最初からなすすべはないと思う方が楽やないかと考えててん。」
「もう、一体どういうことか、教えてくださいよ!」
「ああ。実はこの神社には、ある言い伝えがあってなぁ、それはこの神社の鳥居に生きている人間が足を踏み入れたとき、運が良ければそいつの死んだ家族の幽霊が見えるっちゅーもんや。」
頭に衝撃が走る。家族の幽霊が見えるだなんて、この5年間で始めて知ったのだ。
「そんでな、その家族の幽霊に会えた生きている人間はその人をこの神社から外に連れ出すことができるんや。」
「つまり、生き返れるってことですか!?」
「いやいやぁ。それは流石に無理やわ。そこから外に連れ出された幽霊は、その魂から前の肉体と同じものが生成されるけど、一度は死んだ人間。幽霊や。1日ぐらいでまた魂に戻る。」
「またここに閉じ込められるんですね。」
「それがそうでもないねん。俺ら幽霊はなんで成仏できへんか、考えたことはあるか?」
「あります。たくさんあります。僕の考えは、まだこの世に未練が残っているからじゃないかと。」
「ああ、そうや。俺らは未練があるからここにいる。そして未練を取り除けるチャンスはその1日限り。失敗するとここから出られへん。」
「一生ですか?」
「一生やない、ただ何十年か過ごした上で消滅する、それだけや。」
「消滅?」
「ああ。輪廻も転生もクソもなく、消滅や。」
そう言うとトーローさんは空を見上げる。いつしか空が灰色染まっていた。そして、僕は抱いていた疑問を口にする。
「でも、一体どうしてこの話を僕にしたんですか?」
「お前、さては阿呆やな。」
「え、え?」
「この神社では死んだ家族の幽霊が見える、そんでお前を訪ね会いに来ていたあの子はお前が見える。つまり?」
「彼女は…僕の家族。」
その瞬間、僕の頭に激しい頭痛が走った。
−−−−ずっと一緒にいようね。約束だよ−−−−
思い出した。僕の未練。それは、サアヤとの約束を破ってしまったことだ。サアヤを一人にしてしまったことだ。ごめん。サアヤ。ごめん。
「うわっ!!」
目覚めるとそこは真っ暗。と思いきや起き上がると真っ暗が下に落ち、目の前にトーローさんのお面が。
また「うわっ」と僕はのけぞったが、後ろには柱はない。今回は頭を打たなかった。下を見ると菅笠があった。僕のお面に雪が積もらないよう、トーローさんが持っていた菅笠を顔にかぶせてくれたようだ。
「幽霊って倒れるんやなぁ。」とトーローさんは呟いたあと、顔を遠ざけ、あぐらをかいた。
「外に出る方法、まだ言ってなかったな。」
「はい。教えてください。」
トーローさんが言うにはこうだった。
①まず大前提に自分の家族の1人がこの神社の敷地に足を運ぶこと。
②その後も続けて3回自分に会いに来ること。
③3回目の来訪が終わり、家族が最後の3つ目の鳥居を出た事が確認された場合、神社の賽銭箱に鍵が出現すること。
④その鍵を使って自分の狐のお面を外し、階段を下って降りること。
☆自分の家族には言い伝えから方法まで全てにおいて神社の敷地内では報告・行動を見せないこと。悟られないようにすること。
「サアヤは僕に2回会いに来てくれているから、次に会いに来てくれたら…。」
「外に出られるってことやなぁ。」
僕は嬉しくて飛び跳ねそうになった。サアヤに自分から会いに行ける。そしたら謝ろう。少しの時間だけど一緒に過ごそう。クリスマスプレゼントのお返しをしよう。サアヤがこれからこの世を強く生き抜いていけるように声をかけたい。僕は心から感謝しようとトーローさんの方を向く。すると、彼はなんだか物悲しい雰囲気で僕を見つめていた。そして急に空をぱっと見た後、「会えるといいなぁ。」と笑ってくれた。薄々分かっていた。トーローさんは…。
「トーローさん、僕、絶対にサアヤに会って、約束を破ってしまったこと、謝ってきます!未練を晴らしてきます!」
トーローさんの分まで、と付け足すのは辞めておいた。なんだか気恥ずかしい。するとトーローさんは僕を見た。雪がいつの間にかやんでいて、雲も今は晴れている。夕日で僕らのお面が照り映える。僕らの間にオレンジが差す。
「頑張りや。」
トーローさんはどんな顔をしていただろうか。
僕
ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン
セミの音。暑さも寒さも感じない僕はセミの音は1番夏を感じさせる存在といっても過言ではない。
僕はセミの音を聞きながらいつもの定位置、柱の裏にもたれかかる。そして耳を澄ました。
ジリジリジリジリ ジリジリジリジリ
コツ コツ コツ コツ
シャワシャワシャワ シャワシャワシャワ
セミの音に紛れて、階段を登る音がする。僕は柱から顔をのぞかせる。僕の期待通り、そこにはサアヤがいた。サアヤは大きな麦わら帽と白いワンピースを着ていた。髪は胸下まで伸び、顔つきからはなんだか大人っぽさを感じる。サアヤだ。早く約束を破ってしまったことをを謝りたい。しかし、僕はそれを本当の僕になったときに謝るんだ。お面の下からなんて嫌だ。僕は体を起こし、サアヤに声をかける。
「久しぶり。」
サアヤはこちらに気づくとハンカチで汗を拭いにっこり笑った。
「久しぶり、幽霊くん。」
「幽霊くん、見た目変わらないね。」
心なしか言葉遣いも綺麗になっていたサアヤの成長に僕は驚きながらも口を開く。
「まぁ、お面してるし分かりづらいかも。背は伸びてるよ。」
「本当?私、幽霊くんと同じくらいだと思うけど。」
「というか僕じゃなくてサアヤが伸びたんだよ。」
「えっ。いつの間に名前で呼んでくれるようになったの。嬉しいな。」
「気にしなくていいよ。あ、そういえば今日は血蟲ついてないね。怪我直った?」
沈黙。僕はサアヤの顔を見る。サアヤはどこかぼーっとしていて、虚空を見つめていた。僕は思わずサアヤの真っ黒な瞳に吸い込まれた。
「幽霊くん。私、幽霊くんに会えて良かった。」
「僕もだよ。あのね、サアヤ。実は今日はこの後大事なことがあってね。ごめんけど、もう帰ってほしいんだ。」
しまった、言い方がきつくなってしまった。しかし、何もサアヤに話せない今、こうやって話を切り上げるしかない。サアヤが鳥居を出たら、すぐにでも賽銭箱に向かうつもりだ。
シリシリシリシリ シリシリシリシリ
「そっかぁ。」 ミーンミンミンミン
チッチッチッチッ チッチッチッチッ
サアヤは鳥居の前でこちらを向かずに呟いた。
「ばいばい。」
「トーローさんっ!!」
僕はサアヤが3つの鳥居全てを出たのを確認した後、すぐに賽銭箱まで走った。トーローさんはそれを見越してたかのように、「はいはい。取っといたで。」と僕に小さな錆びた鍵を渡した。これを僕は何のためらいもなく、お面の模様に突き刺した。トーローさんから、僕のお面の花模様のところに鍵穴があると教えてもらっていたのだ。お面が亀裂が入り、真っ二つに割れる。僕は久しぶりに爽やかな夏風を頬で感じた。僕は鳥居へ振り返り、またもや全力でダッシュ。
僕は走りながら大声で叫んだ。
「トーローさん!!ありがとうございましたぁぁ!!」
僕はなんとなく、「どういたしまして。」というトーローさんの声が聞こえた気がした。
階段を駆け下りる。鳥居をくぐる。1つ目…2つ目……そして3つ目!僕はバッと外に飛び出した。すると目の前にはたくさんの緑が広がった。僕は辺りを見渡す。そして次に、3つ目の鳥居から続く1本道が目に入った。道に目をやると、何やら途中で切れているが、細いタイヤのような模様が。しまった、サアヤは自転車で来ていたのか。これじゃあ謝る以前に1日中サアヤを探すことになるぞ。セミの音が僕を急かすようにどんどん大きくなってくる。僕は1本道の先の光に向かって走り出した。
やがて僕は光の先へと走り抜いた。光の先の世界はまさに田舎で、左右に田んぼ、その先の道はすぐに枝分かれし、複数の古民家が建っていた。僕は記憶をたどる。記憶を思い出そうとすると頭が痛い。激しい頭痛。僕は霧の中をかき分け、頭痛に耐えながら情報を探す。サアヤは…そうだ!おばあちゃんの家に泊まりに来ていると言っていた。そしておばあちゃんの家は神社の近くだとも。つまりサアヤはあそこのどこかの古民家に帰ったと見て間違いないだろう。しかし、どうやって家を探し出そうか。僕は周囲を見渡す。周りには人1人いない。聞き込みは無理か。
僕がどの家に行くか迷っていると、僕の背中がなんだかモゾモゾっとした。なんだ!?と思い背中側の服をバサバサすると赤い毛玉が出てきた。これは…。
「血蟲!?」
いつの間に紛れ込んだのか。というか、僕にもまだ血蟲を見られることに驚く。やはり1度死んだからか。よくよく見ると、これはサアヤによくついている血蟲だった。僕が血蟲を背中から落としたのと同時に、血蟲は左の方に向かってゆっくりと回転しだした。そういえば、昔トーローさんが1度血蟲に匂いを覚えられたら、血でなくてもその人の匂いが分かると言っていた。どうやら僕はこの赤い毛玉に運命をかけるしかないようだ。僕は期待に満ちた目で血蟲を見つめる。すると血蟲はピタリと止まり、なんだかウゴウゴし始めた。僕が血蟲に近づいたその瞬間、血蟲はなんと分裂したのだ。2匹、4匹…10匹!?こいつ、こうやって増えてるのか。やっぱり気持ち悪いぞ。血蟲は分裂しながらまた回転しだす。しかしいくら増えても血蟲は相変わらずのっそりと動いていた。
これなら僕が古民家を回って人を探したほうが早そうだ。そう思った僕は、1軒ずつ家を回ることにした。
「すみません!誰か居ませんか!!」
ここにもいない、ここにも、ここにも…。と思ったその時、突然引き戸がガラッとあき、中から気の強そうなおばあちゃんが出てきた。
「一体何だい坊や!うるさいんだよぉ!」
急な事態に復活した心臓が止まりそうになった。しまった、知らないうちに声が大きくなってしまっていたようだ。僕は頭を落ち着かせ、冷静に対処する。
「あっすみません!ここらへんで、中学生の女の子が自転車で通ったはずなんですけど、家知りませんか?探しているんです!!」
するとおばあちゃんは口を開く。
「理由は?」
「理由は…言えません。でも、どうしても会いたいんです!!」
するとおばあちゃんはなにやら考え込み、僕に提案をしてくれた。
「仕方ねぇ、ここいらの地主である村上さんに電話して聞いてきてやるよ。坊やは2階へ上がっときな。」
「ありがとうございます!!」
僕はお礼を言うのと同時に、2階へ上がっている暇があれば他の家を回りたい…そう考えたが、これ以上迷惑になるわけには行かなかったのでおとなしく上がることにした。急な階段を1つ1つ登る。登っている途中の壁にあった、大きな鏡に僕の顔が映る。本当にサアヤと瓜二つの顔立ちだ。唯一違うのは口元のホクロぐらい。僕の背が低かった小さい頃、僕らは双子って勘違いされていたっけ。
僕は階段を全て登り切る。2階は特に何もなく、最初に目にはいるのは、広い縁側だった。僕は縁側に足を踏み入れる。空でも眺めようかと考えていた時、僕は衝撃なものを目にした。
そこには3階の縁側の木製手摺に腰掛ける、裸足のサアヤがいたのだ。サアヤは正面を見つめ、ぼーっとしている。僕はあっけにとられる。危ない、落ちたら死んでしまう。だめだ。だめだ!
「サアヤ!!」
僕は叫ぶ。するとサアヤはゆっくりと下を向き、僕に気づくと目を見開いた。
「え、え、おに、お兄ちゃん…?」
「サアヤ、あとで説明する!!そこから降りてくれ!」
サアヤはこちらを凝視する。するとサアヤの目から大粒の涙がこぼれた。
「分かんない分かんない分かんない。お兄ちゃんなの!?本当に!?生きていたの!?どういうこと!?今説明してよ!!」
サアヤは肩を震わしながら答える。僕は今までどれだけサアヤに悲しい思いをさせてしまったかを身にしみて感じた。僕はサアヤに1番に伝えたかったことを伝える。
「ごめん!!サアヤ、本当にごめん!!約束破ってしまって本当にすまない!!1人にしてごめん、記憶をなくしてごめん!!」
僕の体から鎖が解ける音がした。やっとサアヤに伝えることができた。しかし今の僕にそんなことを気にしている余裕はない。
「サアヤ、聞いてくれ!!君は信じられないかもしれないが、僕はあの神社にいた、1度死んだ幽霊なんだ!今もお前のくれたペンダントを付けている!」
「え、うそ、幽霊くんなの!?なんで言ってくれなかったの!?」
サアヤは身を乗り出す。
「サアヤ、危ない!だめだ、降りてくれ!!」
「嫌だ!嫌だ嫌だ!生きてても辛いことばっかだもん!!」
「サアヤ!」
僕は思っていたことを心からそのまま伝える。神様、お願いします。サアヤに届いてくれ!
「お前はこれから生きていくうえで辛いことばっかりだろう!!幸せになることなんて1度もないと感じるかもしれない!!何度も死にたいと心から思う日もたくさんあると思う!!でも、絶対、お前が報われる日は来るから!諦めないでほしい、生き抜いてほしい!!俺はお前に辛いことだけ経験して、辛いまま死んでほしくない!!」
僕は息切れる。伝えれた。僕の全て。僕は息を吸う。
「頼む、今日1日を生きてくれないか!!」
サアヤは涙を手で拭う。そして口を開く。
「許さな、許さない。許さないもん。」
「許さなくてもいい。本当にごめんな。」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん。わた、私話したいことがあるの。相談したいことがあるの。私のこと、嫌わないでくれる?」
「嫌わないよ。絶対に。誓うから。」
するとサアヤはゆっくりと足を降ろす。両足が縁側につく。そしてサアヤは小さな微笑を浮かべた。僕が叫ぶ声に気づかず。
「ありがとう。お兄ちゃん。」
「サアヤ後ろ!!!!!」
刃物がサアヤの背中に突き刺さる。今度は倒れたサアヤの首に突き刺す。血が飛び散る。
「うわああああああああああああああああ」
僕は急いで階段を飛び降りる。転んでもお構いなし。途中でおばあちゃんが僕に声をかけたが、僕は引き戸を開け、正面の家に突っ走る。家に着くと大きな引き戸を力いっぱい開ける。鍵は空いていた。僕はとにかく目の前の階段を登る。登り続ける。サアヤのいる3階へと。3階につくと、そこにはたくさんの蚕棚があり、その先に縁側があった。そして…。そこには血まみれの少女と首に刃物が刺さった男性が2人倒れていた。この男性は…。昔僕に暴力を振るってきた、忌まわしき叔父だった。僕は気が遠くなる。酷い匂いと光景が僕の脳を突き刺す。血まみれの少女の血が動く。それは血にほぼ同化した血蟲だった。血蟲は僕に血まみれの少女がサアヤだということを強く証明した。そして血蟲は少女のお腹に集まっていた。少女のお腹にも刃物で刺したであろう傷が深く刺さっていた。
これが意味することに、僕にはさらに大きな絶望を与えられた。
サアヤと僕
もし僕がお前を早く帰さなければ
もし僕があの冬にお前を引き止めていれば
もし僕があの夏お前を覚えていれば
もし僕が障害を持っていなければ
もし僕があの道を通らなければ
お前は今日も笑っていただろうか−−−−−−
僕は病院のソファにぼーっと腰かけていた。時計の音が鳴り響く。僕が終わるまで残り12時間を切った。あの後、僕はおばあちゃんの元に戻り、救急車に連絡をしてもらった。おばあちゃんは僕の話を聞くと、大人の人が必要だろうと病院までついてきてくれたのだ。窓の外には紺に小さな白が散りばめられている。するとどこからか看護師の話し声が聞こえた。
「聞いた?今手術している子、刺されたお腹に赤ちゃんがいたって。」
「ええっ。中学生でしょう。嫌な時代ね。」
「でもその赤ちゃんの父親、誰だと思う?」
「彼氏さんじゃなくて?」
「叔父だったらしいわよ。」
「やだ、じゃあその子、完全に被害者じゃない。じゃあ今回のは叔父による一家4人で無理心中ってこと?」
一家4人で無理心中。一家4人で無理心中。一家4人で無理心中。僕はその気持ち悪い響きを持つ言葉を反芻しながら拳を強く握る。
「らしいわね。おばあさんも、2階の奥のふすまにご遺体で見つかったって。」
「いやぁ、物騒ね。じゃあ叔父は手術が終わったら刑務所行きかしら。」
「それがね、叔父と赤ちゃん、どうやらDOAだったらしいの。」
「じゃあ、唯一の希望はその中学生の女の子ってわけね。」
僕の拳に血が滲む。頼む、サアヤ。頼む。
すると手術中のランプが点滅し、消えた。僕はソファを立ち上がり、手術室前に立ち寄る。そうして出てきた医師にすぐさま叫ぶ。
「サアヤは!?」
医師は答える。
「全力を尽くしましたが…。」
夏風が窓から入ってくる。カーテンを揺らしながら2人だけの病室に夏の匂いを運ぶ。どこからか風鈴の音が聞こえる。僕は白いベットで青白く横たわる彼女に話しかける。
「これ、クリスマスプレゼントのお返し。ごめんね、遅くなって。お前が僕に花の模様が入ったプレゼントをくれたから、僕も神社の中であげれるものを考えたんだ。」
と僕は紫色の花冠を彼女の顔の横に置いた。しかし、僕は少し考えたあと、花冠をサアヤの頭にかぶせた。
「トーローさんに聞いたんだ。これはヘリオトロープっていう花みたい。花が小さかったから、作るの難しかったなぁ。ああ、トーローさんっていうのは僕の恩師なんだよ。お前にも紹介したかったな。」
僕の涙がポタポタとサアヤの頬に落ちる。
お前にしてしまったことは、決して許されるものではないけれど。
お前は最後僕に笑いかけてくれたね。
最初の夏、お前が僕に興味を持って話しかけてくれたとき。
次の冬、お前が僕に相談してくれたとき。
最後の夏、お前が僕に最後まで会いに来てくれたとき。
お前にとってはただ成り行きで行動しただけかもしれないけれど。
お前は僕にとって光であり、希望だったよ。
もらってばかりの僕でごめんね。
ありがとう。
僕らは夏風に乗る。小さな紫と一緒に、窓から空へ出る。いつまでも。どこまでも。
血蟲