映画『ラプソディ・ラプソディ』レビュー

①相当程度のネタバレを含んでいます。事前情報なしに鑑賞されたい方はご注意下さい。

 人が怒りの感情を露わにするのは自分が大切にする価値観と抵触する事態に遭遇した時。そう考えると、人は怒ることでかかる価値観の存在を確認し、その重要性を外部に向けて表現しているといえます。これを踏まえて読むと、HPにも載っている以下の一文はとても違ったものに思えるのではないでしょうか。
「本作の主人公、夏野幹夫は絶対に怒らない」
 人間誰しもがそうであるように、その人格は、それまでの人生で選択してきたことの結果です。
 例えば本作のヒロイン、繁子の祖母は誰彼かまわず怒鳴り散らす怒りっぽい性格の持ち主。老人ホームでも孤立しがちです。にも関わらず、その態度を改める気がないのは繁子の生い立ちにも深く関わる事情があったから。しぶとく、図太く、根を張らなければ生きていけなかった。それが幸せかどうかは二の次です。死んだら元も子もないのですから。
 同じことが幹夫にもいえます。繁子も同じです。二人だけじゃありません。歯科医師として裕福な生活を送っている幹夫の叔父は、その陽気な性格とは裏腹に離婚を何度も経験していますし、繁子の面倒を見てくれる花屋のゲイチも、そのあだ名の経緯からよっぽどの苦労をしてきたことが想像できる。二人ともあんなに明るくて「いい人」なのに。幹夫の同僚である毒島りずむに関しても、直接の描写なんて一秒もなかったのに、小学校時代に強烈なインパクトを残すその名前で同級生に弄られた過去をイメージしてしまう。趣味であるぬいぐるみ作りだって、幹夫と同様、裏で同僚たちにバカにされているんだろうな…と推測できてしまう。
 世界は決して優しくない。それが本作の大前提になっているのは間違いないと思います。


 繁子が勝手に婚姻届を提出した理由はシンプルでした。
 こんな私でも結婚できる。ただそれだけです。役所での手続きが簡便になったからできただけに過ぎないその事実を糧にして、繁子は世知辛い世を生き抜こうとした。
 これに対し、偽造された婚姻の事実を知った幹夫がこれをすぐに警察には届けず、繁子探しを始めたのは「ことがことだけに、事情を知りたい」というどこか分かるような、いやでもやっぱり分からないような動機に支えられたものでした。けれど、そのお陰で、幹夫は自分以外の誰かをこれまでとは違う目で見ることができるようになった。こんな僕と結婚してもいいと思える人がどこかにいる。無事に迎えることができたあの幸せは、確かにここから始まっていたのです。


 触れたもの全部が勝手に壊れてしまう繁子の特性は人間をその例外としません。その被害に、幹夫は何度も遭いました。頑張ってきたことを全部壊されました。
 それでも二人は離婚をしません。すぐにする必要もないからという幹夫発信の消極的な理由に、繁子側の事情が絡んで、その機会をすっかり見失ったというのが二人の本音(特に繁子の)だったと思いますが、空っぽだったはず器の中にはもう、積もり積もった想いが敷き詰められていた。幹夫は特にそうだったと思います。粉々になった自分の欠片にチクチクと覚える痛みの分だけ、彼女のことを好きになっていた。
 繁子の心情については彼女の発言を引用するのがいいかもしれません。苦笑混じりな口調で、彼女は幹夫にこう言いました。
「逃げるのは得意だよ。追いかけるのは全然だけど」
 その宣言どおり繁子は幹夫の元から何度も逃げ出します。幹夫はそれを追いかけますが、成功はしない。でも見つけることは必ずできる。
 ここに込められる微妙なニュアンスの違いが本作に灯されるロマンスの火種です。逃げざるを得ない彼女の理由(わけ)と、追いかけたくて仕方ない彼の動機。その二つが噛み合った時、本命の歯車はやっとのことで回り出して、素敵な幕が下りてくる。狭まっていく視界のように、幹夫も繁子も、二人のことしか見えなくなる。その時の幸せそうな顔がね、もうたまらないんです。他人事じゃ済まないくらい、恋っていいなぁと思えます。
 狂詩曲のタイトルに相応しい自由奔放なドタバタ劇が売りの本作ですが、さりげなく仕込まれた恋愛幕の内弁当なポイントも非常に推せるんですよね。結婚できるなら相手は誰でも良かったけど、真っ盛りの季節にスッと立つ「夏野幹夫」という名前が良かったという繁子の感性とか、毒島りずむが幹夫の前で解き放つ意外すぎる魔性な一面とかを押さえておくと、本作のドラマをよりよく楽しめます。
 変化級な作品かと思えば、信じられないぐらいのどストレートが飛んでくる。裏の裏をかくような脚本と映像に、高橋一生さんを始めとする俳優陣が癖のある人物の愛らしい側面を見事に演じ切るのですから、映画として面白くならない訳がない。観終わった後、劇場の外に出た時に伸びをする気持ち良さは、いい映画だとたまらない快感となって全身を走るのですが、本作のそれは今年一。それだけで『ラプソディ・ラプソディ』は良作中の良作と断言できます。都内だとテアトル新宿などで上映中です。興味がある方は是非。お勧めの一作です。

映画『ラプソディ・ラプソディ』レビュー

映画『ラプソディ・ラプソディ』レビュー

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-05-04

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