鳩尾に彗星
2025年9月〜の詩
波
波の
リズムが
忘れ
られない
小波
ゆらゆら
船底
ぐらぐら
地上
平衡
感覚
無効
私は
海に
帰り
ます
どぼん
鳩尾に彗星
走れ 走れ
と唆す
鳩尾に彗星
宇宙の塵にはなりたくない
まだ もう少し
落ちろ 落ちろ
と呪う声
後ろから引力
それでも私は燃えていたい
踏みとどまって
証
晩夏の宵に 私は知った
紫の夜風の歌のその意味を
亡霊は死んだことなく
この世の証の像をして
ただひとつ
地平線に寝そべった
あなた方だけが真実
牙
だだっ広い砂浜で
まったき白の真珠を探す
そうであったなら
保育園の砂場から
くすんだ牙の化石を探す
私たち
月のかけらを集めていたい
ほんとうは
本物でありますように
本物でありますように
匣
背中に観音開きの扉
胸の中に匣
からっぽの
満ちるのは外側
老い
いままさに床に就くひとのように
老いの中に罪を脱ぎ捨て
後から来るものは
赦すしかない
枷を嵌めるには
あまりに痩せ細った魂よ
あなたができる償いは
人は凡て赦されるのだと
知らしめることだけ
夜の川
夜の川面に
向こう岸の灯
並んで行進
光陰 家々の上澄み
掬いとる
凍りつく皮膚を
暖めてはくれない
けれど
恋
遅れてきたゲストのように
お前はこっそりやって来る
ぎこちなく俯いて——
知らぬ間に
忍び込んでしまう——
恥に染まった指先が
私の肘を叩くまで
私はお前に気づかない
空しい夕の数々を
待ち侘びた お前だというのに!
藤
首を晒せよ刃のもとに
お前は乙女か山姥か
揺れれば香るお前の巻き毛
その隙間から睨んでおくれ
白木蓮
私の双子の姉妹は
天の国への渡し舟
春になるまで眠りこけ
いつも天見て上の空
鈴蘭
白いポッケをぶら下げて
物珍しげに屈み込む
こどものように丸い背の
小さく健気な配達人
百日紅
一日花の百年の
桃紅色の手々を振る
夏の盛りの街路樹の
栄え鮮鮮 秋を待つ
犬
獣道を駆け降りる
花吹雪
誇らしげに振り返り
私たちを待っている
獣の匂い
獣の糞の匂い
土の匂い
芳しさとは程遠い
撫でた手につく
あなたの匂い
足の悪い子を
顧みず
私たちには尾を振って
飛びかかってくる
あなたの重み
野生の子 野生の子
いいえ、あなたは家犬で
壁のない納屋に繋がれて
過ぎ去るライトを見送る
甲高い鳴き声
初めて老いを知ったとき
犬も老いるのを知った
春爛漫のしなやかな
肢体の犬はもう二度と
野山を駆けることはない
夕日の浜辺でのろのろと
歩く老犬のあなた
遺産
崖を削って石礫
空は曇天 雨霰
宿無し人の仮住まい
窓は決して塞がない
石のアーチの天井は
亡き人々の遺産
厚い壁から響くのは
悔恨に満ちた悲歌
煙のように立ち昇る
繰り返される旋律
誰の耳にも届かない
生きる主題の変奏曲
あそび
ほつれた糸で縫い合わす
縫い目は痛い
割れる前を夢見る
そう、でも誰が見たというの
ジグソーパズルではなくて
積み木遊び——
風
天高く 見えない管を
北風が吹き抜け
見知らぬ笛の音色の中に
銀色の街が浮かび上がる
祈り
寝台に
跪き
わたしには
言葉がない
祈る言葉が
臨在に
ほかはなく
わたしにも
羽虫にも
あますことなし
身体の
行いの
その総て
一切に
言葉がある
祈る言葉が
瞳
開いて――
貝を割るように
中にあるのは
大きな瞳
その眼差しの
月光夜
生きて欲する肉体に
真珠のように眠っている
鳩尾に彗星