映画『夏の砂の上』レビュー
本作を観て頭に浮かんだのは、平田オリザさんがその著作で「優れた戯曲ほど説明描写と思わせない場面作りに優れている」という趣旨の言及をされていたことでした。
舞台では台詞の一つひとつが①登場人物の人間性、②会話する者同士の関係性、③その過去に何があったのか、④今はどういう状況で、④これからどうなるのかという情報量を観客に理解させる、想像させる装置として働かなければならない。松田正隆さんが書かれた戯曲を実写化した映画『夏の砂の上』もこの点が完全に同旨で、冒頭からして濃密なカットのオンパレード。約100分があっという間でした…。ハイクオリティな物語を全身で浴びまくった疲労感がたまらない。
戯曲を実写化するにあたって負うべきリスクは様々あると思いますが、その最たるものは、観客が舞台上の出来事として目にしたストーリーの新鮮なイメージが損なわれること。しかも特に映画の場合、レンズに写るものを正確に記録するカメラならではの機能がその最悪を実現してしまう。物語の筋をただ忠実に再現するだけじゃ済まない実写化のリスクがここにあります。
しかしながら、映画『夏の砂の上』では、物語の舞台である長崎で撮影するという選択が全ての運命を切り拓いていました。
どこから吹いてきたのかも分からない風を浴び続け、それに耐え得る足腰も次第に失われていって、ただただ風化するしかない人生の虚しさ、寂しさ、悲しさを描き出す本作において主人公、小浦治が暮らす場所の雰囲気や生活の手触りが作品作りにを多大なる貢献を果たしています。長崎の街に多い坂を上り下りする様子を映すだけで、彼の生き様が如実に語られるのです。
参加できた完成披露イベントでも玉田真也監督がこの点についてコメントされていて、ロケハンには小浦治を演じられたオダギリジョーさんも同行し、色んな場所を見聞きしたそうです。その時に体感した街の雰囲気に基づいて、長年温めていた本作の実写化を監督が決意した。オダギリジョーさんは、このロケハンの後でプロデューサーまで買って出ています。それぐらい「長崎」という街には存在感があった。その絵力はスクリーンにもはっきりと現れています。その停滞と発展はもう一人の主人公といっていいぐらいに寡黙で雄弁。およそ人間には成し得ない矛盾を抱えた名演を見せています。画角に入り込む野良猫たちもその一部。フィクションを本物に変える偶然の魔法が珠玉のカットを生み出す。その軌跡を追えることが無類の幸せでした。ほんと良かった…。
演技の面に関しては松たか子さん、満島ひかりさん、そして若手俳優筆頭格の髙石あかりさんの演技を真正面から受けるオダギリジョーさんが圧巻の名演。何もかもを失い、空っぽになっていくばかりの日々にあって、小浦が決して口にはしない(できない)渇きを少ない口数で、たっぷりと語って見せます。
優子役の髙石あかりさんの演技も素晴らしいです。個人的に髙石さんの演技は真顔の良さにあると思っていて、何を考えているか分からないどころか、思考すら放棄しているような虚無感を実に美しく表現する所が誰にも真似できない彼女の武器だと評価しているのですが、この虚無感が優子のキャラクターにぴったりで、男に振り回される母親に連れ回されズレていく自分の人生に絶望し、「死」に憧れる彼女の危うい心情を見事に演じています。小浦の姪である優子が、小浦と似たような空虚さを抱えているからこそあの感動的なハイライトを迎えられたことを思うと、長崎の地と同じように、髙石さんが本作で果たした貢献は本当に計り知れない。NHKの朝ドラ『ばけばけ』で彼女のファンになった方も多いと思いますが、そんな人たちにこそ本作をお勧めしたい。おトキちゃんとはまたひと味違う闘いをする彼女の姿にべた惚れすること間違いなしです。
映画『夏の砂の上』は現在、UーNEXTでレンタル配信中。原摩利彦さんが手掛けられた劇伴も名曲揃いなので、観られる方はそちらにも注目して欲しい。私は久々にサントラを聴き込みました。OPに流れるテーマソングがね、観る前と観終わった後で印象がまるで違うんですよ。あの魔法にはとことん惚れたなぁ。マイフェイバリットな傑作です。興味がある方は是非。
映画『夏の砂の上』レビュー