音の風景 耳をすませばより
映画耳をすませばを独自の解釈でリライトした作品です。完全に元の映画と一致するものではありません。少しずつ進めていきますので、ご了承ください。普通の学園ものにしていて、聖司の留学先も国内の北海道にしています。昔弦楽器の製作に空気が乾燥しているのでいいと聞いたことがありますので。
2026年作品
天沢聖司の住む家には、古い蔵書文庫がある。
幼いある時から聖司はそこで本を探すようになった。たくさんある本の中からお目当ての本、主にフェアリーテイルの本が多かった。それは母方の祖父の家の離れの商店に、そのような物があふれていたからだ。西老人という祖父は童話作家であり、シリーズの長編ものを執筆している。それをしながら民芸委員のような仕事も手掛けている。父と母が知り合ったのも、そうした本の貸し借りから取り持つ縁になったらしい。しかし父は普通の会社員で、聖司にもそのような普通の職についてほしいと考えている。
母は幼い頃から聖司にバイオリン教室を通わせていただけあって、聖司のバイオリン職人になりたいという夢には、賛同はしないが表立って否定もしない態度だ。だが父に従うという風を見せる。それが聖司にはおもしろくなかった。
聖司が北海道のバイオリン専門工房の話を祖父から聞かされたいきさつには もともと祖父からこのような話を聞かされたことからだった。祖父は工房も持っており、そこで既知の知り合いたちと楽器の演奏会をする傍ら、楽器の調整をしたりする。幼い時からバイオリンを練習したせいもあって、聖司は彼らの間ではちょっとしたホープ扱いである。しかしある時西老人はこう言った。
「君のバイオリンはいい音で鳴る。しかしバイオリンが違えばもっと違う音が出るだろう」
「それは俺も考えました。誰でも思うことですよ。もっといいバイオリンで弾けばもっといい音色になると。それはそういうことでしょう?」
「そうだな。いわゆる名器だとそういう音が出る。しかし音というのはそれだけではないと思う。たとえば音はどうして生まれるんだろうね」
「それはバイオリンを弾くから音が生まれるのです」
「いいや。音それ自体は物が存在するだけで生まれるのだ。分子の衝突や揺らぎで音ができることは、物理学で君も習っているだろう」
「それはそうです。当たり前です」
「その音を君自身が作るのだ」
「それはバイオリンを自分で作ってみないかということですか?」
「うむ。私の工房に職人を呼んでもいいと考えている。君にやる気があればの話だがね」
聖司は家に帰って母親とそのことを相談した。母はおじいちゃんの道楽がまた始まったわ、と言って顔を曇らせたが、聖司に適当につきあってあげなさい、おじいちゃんも奥さんを亡くして寂しいんだから、と答えた。聖司はしかし新しいことをはじめてみたいと考えていたので、この祖父の提案には興味津々だった。バイオリンの構造には常々興味があったのだ。祖父の話はそういうことだと考えた。
聖司の作ったバイオリンは最初は惨憺たるものだった。弾いてもまともな音が出なかったりした。しかしいくつか作っていくうちに、だんだんこつが呑み込めてきた。そしてそれが面白くなってきた。なるほどここにこういう木材が入っているから、こういう風に鳴るのかという理解ができた。世界は仕組みで組み立てられていると思った。祖父はこれを示したかったのかなと思った。
その時祖父がその工房の話を聖司にした。君の希望があるなら行ってみないかと。両親は祖父の話を聞くと固く反対した。趣味として作っていると思っていた、おじいちゃんはそんなことを孫にさせたかったなんて、と母親は聖司に言った。そして父親は一人で遠方に行ったらどんな困難が待ち受けているかと懇々と聖司に説いた。聖司は反論ができなかった。膨らんだ夢はしぼむしかなかった。そんな折だった。学校の図書室で、懐かしいあの本を見つけたのは。
偶然書庫でバイオリンの歴史について本を探していた時だった。見かけた背表紙だと思って棚から抜くと、その本だった。奥付を開いて見ると、見慣れた天沢文庫の蔵書印があり、上に二本訂正線が引いてあった。何か自分を否定されたような気分になり 隣の本も抜いてみたら、それにも別の文庫の蔵書印があったが、それには訂正線は引かれていない。別の本も開けてみたがそれも同様だ。何をやってるんだ俺は、と思った。聖司は本を閉じると部屋から出て、司書の女教師に声をかけてみた。
「先生、この本どこから寄贈されたんですか?」
「ああその本か。確かたくさん持ち込んだ人がいたなあ。最近だよそこの棚のは。確か3Eの月島の保護者の人じゃなかったかな。もういらないって」
「そうですか……」
「なんだ気になるのか。童話関係の本が多かったな。おまえもそういうの好きなのか?」
「いえ」
「受験ももうすぐだしなあ。保護者の人もそういうことで在庫処分したんだろう。学校は態のいいお払い箱だよ」
「でも買えばいい値になりますよね」
「まあそうだが。古い本だからなあ」
聖司はそれだけ聞くと図書室をあとにした。3Eの月島の顔はすぐにわかった。女生徒だった。なるほどあいつの親か。二重線を引いたのはそいつらだろうか。それはわからないがその可能性はある。月島の行動をそれとなく観察していると、図書室通いの常連だった。童話ばかりを集中的に借りている。文学少女だが、夢見るタイプだなと思った。ある時父親らに夕食時聞いてみた。
「月島って人知らない?」
「え、なんだ月島か。学校の同級生にいたなあ」
「そう、月島くん。今どうしているのかしら。本借りに来ていたわよね。うちに」
「ああそうだ。聖司の小さい時に、娘が読む本はないかって言ってきたことがあった。その時何冊か渡したんだよ。うちの文庫から」
「それ、返してもらったの?」
「え、どうだったかしら。なにしろあなたが小さい時は忙しかったから。あの人返しに来たかしらね。うちはおじいちゃんたちの影響で本がたくさんあるから」
「どうかしたのか。バイオリンの話はなしだぞ」
「なんでもない」
その時はなんだか疲れたと思い ベッドにどすんと体を落としたが、次の日には聖司は図書室で三冊本を借りてきた。はじめはあてずっぽうだった。こういう童話の本を月島は読んでいるのかと思った。しかし月島の名前が入った貸出カードの本は覚えておいた。安楽椅子に座る祖父へそれとなく尋ねてみた。
「こういう本の次は何を読むかなあ?」
「その作家の本なら、次は間違いなくこれだよ」
「どうしてなんだ。シリーズでもない」
「同じような竜が出てくる話で、描かれている地方もヨーロッパの同じ場所がモデルになっている。まあ違うかもしれんがな」
「ふうん。わかるんだ」
「人の心理というものはしかし、つかめんよ。雲をつかむような話だ」
「うん。そうだけど」
「君はその雲をつかみたがっているのか。バイオリンは何本の線でできている。その弦が切れることもある。その時はどうするね」
「弾くのをやめる」
「それはもったいない話だな」
「もういいよ。おじいちゃんその話は」
「まあだめなら仕方ない」
「おじいちゃんはそうしてなよ」
次の日図書室で祖父の言った本三冊を借りた。図書貸出カードにはまったく誰の名前も書かれていなかった。本当にこの本をあいつが借りるだろうかと思った。自分の名前を三枚に書いた。借りたならどうする?自分の存在を認めるだろうか その女は。単に名前が書いてあるだけと見過ごすだろうか。自分はバカなことをやっている。賭け事師みたいなことだと思った。
何日かたって図書室に返却された本を見た。カードには月島の名前があった。それも三枚とも。祖父の言った通りだった。これは偶然だろうかと思った。夏休み期間で人気のない部屋だった。ふんわりと窓には白いカーテンがなびいていた。そこに突然当の月島が入ってきた。あわてて反対側の入り口から廊下に出た。我ながら間抜けだと思った。月島は司書の女教師と書庫に入って行った。あの本、まさかあの本を借りるのか?あの天沢文庫の本を?その次はこの本だな、と祖父の声が響いたような気がした。人の心はつかみようがない、と祖父は言ったのだが、仕組みがあるのかもしれないと思った。バイオリンが音を出すように、音それ自体が存在しているかのように。
音の風景 耳をすませばより