昭和なら「まだ・・宵の口」(Early evening)副「タイトルにそぐわない・タイムトラベル」。

昭和なら「まだ・・宵の口」(Early evening)副「タイトルにそぐわない・タイムトラベル」。

時間がない事ばかりなので、著者の作曲・編曲・即興live演奏と同様、毎回少しずつ書いていく事にし、その都度(つど=時々に従い~)、どのようになっていくのか?とは、「漫画やanimationとは異なる所以(ゆえん=理由(りゆう・わけ・とも読む。)である「小説とは、何も、筋書きだけに価値があるのではなく、文章を作る=言葉を選択していくのか~その過程を敢えてお見せすること、で、文章とは如何にして(どのように)つくられ?」を、つたなくも披露を(ひろう=公開)する、という意味合いをも含みながら「その実=実は~とんでもなく詰まらないお話に誘い込む」という悪質な手口≒筆(ふで)使い~なの、である・・(笑)。

年寄りには・・面白くも何ともない日常・・を面白くする方法

 
 古都に引っ越してきてからそろそろ二か月が過ぎる。
 そんなある日の事、市役所から送られてきた一通の封書には「市内にお住いの高齢者の方々へ・・フリーパスのご案内」、そのような意味合いのおしらせが入っていた。
 一か月くらい後にそのフリーパスなるものが送られてき、そのパスを所持していれば古都のあちらこちらにある「観光名所=東大寺や法隆寺などの有名な寺その他~」を無料で見学できるとか、「市バスに無料で乗車できる」などという市政サービスのようだ。
 東京や静岡のように「その街や風情を既に全て知り尽くしてしまった」が思い込みとしても、そう記憶してしまっていれば・・ああ、その・・いずれにせよ古都は予想外の魅力を余すところなく見せてくれるような気もしてき、案外その手の誘惑に乗ってしまいそうだ。
 一か月後が楽しみではある・・が、まだ本日はその時ではないから別の事柄を。
 のべつ、家族との生活や仕事に勤(いそ)しんだ現役時代、それはそれで必要不可欠な光景なのだが、これといって「妙に面白い事」などは無かったような気もするし・・。
 いや、無い訳はなく、無かったら今が存在していないのだから、やはり、それなりに重要なのだろう、が。
 そうなる以前、つまりは「学生時代」の非常に馬鹿げており、そのくせ、記憶から欠落をしていない時代、にタイムトラベルをし、そして、そこから始まる大スペクタクル?いや、まてまて、それ、いい加減過ぎる!まるで羊頭狗肉(=ようとうくにく~看板には羊の頭を掲げながら、実際には犬の肉を売る意=見掛け倒し、現代流行(はや)り?の寸弱詐欺(すんじゃくさぎ=ちょっとだけ貸してすぐ返すから、と、少額の金銭を借りるふりをし、実は騙(だま)し取る、行為で、刑法246条詐欺罪相当、であらば、量刑は、科料も禁錮でも無くいきなり懲役10年以下、となる結構重い犯罪、無銭飲食などもこれにあたる事が少なくない、いや、面倒・・何だそれ~?)、になってしまう。
 まあ、無理やり時間を遡(さかのぼ)るのであるから、英語にすればそんな文字に代わってしまう、というだけの事。その、実にくだらなかった出来事を羅列(られつ=いちいち並べる~)する事でその時代に潜り込んでしまおう(ニヤ・・趣味が悪い笑みを零(こぼ)す)、という寸法(意図)である。
 
 大学受験を慶応義塾にしたのには、これといった理由は無かったのだが、父に聞いてみたところ「・・う~ん 早稲田より慶応の方がいいんじゃないか?」。
 
 父は博学という意味では私を遥かに超えた頭脳の持ち主であるが、学歴上は旧制中学卒、母は静岡高等女学校卒で小学校の教員、更に教員に従事している親族は母の弟夫婦が中学校の英語と美術教員で、母の妹の亭主・つまりは私の叔父は大蔵省財務局叔母は家事やアルバイトを、各家庭には私同様一人っ子のいとこが各一名これで近しい親族は全てとなり、都合八名。
 随分少ない家系ではあるが、現在、USAに行ったまま行方不明のいとこを除けば、既に皆他界をしており、女性は92歳が最高だが、男性は不思議な事にきちんと81歳までに任務を完了しているという血統のよう。
 そう考えれば、私の余命も残すところ6年となるのだが、案外図々しく10年位生きながらえる可能性もないことは無いと思料する。
 話を戻すが、父に「何故に・・慶應義塾?」と・・返答は「ユニフォームがお洒落じゃないか?」。そういえば父が好んでいたプロ野球ティームは阪神タイガースであり、そこのユニフォームは確かに慶応のものに似通っている。
 まさか野球のユニフォームから受験先を指導してもらえるとは思いもよらず。亡き父は芸術に深く関心を寄せ、教員引退後には油絵を手掛け、美術雑誌の類では数々の賞に輝いていた。その作品で上野の都美術館に展示をされたものもあった、から、美的センスの尺度を自分なりに持っていたのだろう。
 また、非常な博学である、これは私の眼から見た感想だが間違いはないと思う。当時、TVを見ていて「このNHKのアナウンサーの言葉使いは間違っている・・」「・・(朝の連続ドラマであったバス通り裏)に登場していたのは主役の十朱みちよだが、父はいきなり、其の友人役である岩下志麻につき【この子は売れるよ】」「私は現役時代に企業法務関係に従事していた事がある。役員から審査のマニュアルを作るように指示があった際の事。出来上がったマニュアルの表紙の裏側に、富士銀行出身で都立国立高校を卒業した役員が感想を記し、社員一同に対し法務室長のマニュアルが優れているから是非参考に・・というような文面を記してくれた。これを実家に帰郷した際に父に見せると【・・この文章はおかしい】」「別の法人で企業法務を、まだ駆け出しの当時には上司がおり彼は筆書きが達者であり、債務者其の他に送付する書状の冠を・拝啓・前略・では無く・冠省・兎角癖があった。当方はそれが高等なのだと勝手に合点を・・帰省時に冠省で始まる信書を自慢げに父に・・「これで始めたら・・相当高度な文章で無ければおかしくなってしまう・・」。
 父は万能に等しかった・・硬式野球・classic音楽を好んで聴いていたが、私がラテン系の曲などを鍵盤で弾いたりすれば、隣の部屋から飛び出して来・・全身でりずむにあわせる。カラオケではかなりの熱唱で上手。
 私も・・そろそろになっているから・・父の直系の親族を遡って戸籍を徴求してみた事がある。ところが・・戸籍上では「ある夫婦の五男」となっているのだが実はその両親は本当の親では無く(これはその当時の事情をよく知る者達から聞いていたのだが。)、代議士と或る女性との間にできた非嫡出子であり、戸籍上は「幼稚園・孤児院の園長であったはる」という女性が養女となっている。更に・・その「はる」さんの戸籍を徴求したところ・・何と「金井はる様の本籍は、鳥取県倉吉市葵町何番地何・・しかも、養父に育てられている・・という珍しいケース・・おそらくは春に生まれたからその名なのだろう」・・此れから先を遡っていくと・・菅原道真の名も窺える。
 母方も同様にしていけば、東京市麻布富士見町=今でいう港区白金三丁目あたりになるのだが・・市電=今の都電~の二駅が表門駅と裏門駅となるほどの大きな屋敷に住んでいた祖父の兄やら・・結局は、徳川御三家の紀州の武家の名迄辿り着いた・・つまりは学者と武士の血統なのかも知れず。以上は戸籍上ではないところまでの事柄であるから・・私が如何にしてそう納得をしたのか・・?

 ユニフォームに招かれたように慶応へ・・一橋大(これは、一次試験が慶應の二次試験(ほぼ面接のみ)と重なってしまったので棄権をした。三月三日頃だったとの記憶。当時は、私立は2月に、帝大国立は3月初め、二期校は終わりごろに試験があった。)と東京外語も受験・・他に慶応の中でも経済学部も受験をしたが・・義塾の試験科目は私には向いており楽だった。当時は国立は帝国大がランクの上部に、ところが私立でも以外に中央大の法学部や上智大の外国語学部などは・・慶應より難しかったのかも知れない。
 英語が得意であれば・・90点以上で・・他の科目は75点でも合格・・科目数が少なく法学部は三科目、経済は四科目でこれに数学が加わるだけだが、慶應の数学は数三までははいらず数二Bまで・・二次試験も楽。
 法学部に入学をした。
 

 中学の英語教師の叔父に軽四輪で川崎の多摩川近くにある賄付き(まかないつき)の学生専用アパートまで。荷物は母と私と布団程度。
 軽自動車は排気量360でスバルやマツダ・ホンダなど。叔父は休日になるとあちこち、父と私を乗せ観光旅行に連れて行ってくれた。長い上り坂などを走行しているとエンジンがオーバーヒートする事もあったが、現代と比べれば・・兎に角何でも安かった。車も軽四輪が60万円くらいだったが今は参百万とか。
 私は運転手としては「走りや」の方だから、見た目とか装備などには全く関心無く、急速度が出る事や運転しやすさ(両手を放しても真っすぐ進む、ただ、道路は雨水吐けに左に傾いている事も少なくないので左に。)・フォグランプ(これは普段は必要ないが夏の箱根越えなどで必要不可欠になる事があり、例えば一メートル先も全く見えない濃霧に覆われたらセンターラインに沿ってゆっくり走行するのがコツで、それにはフォグランプが欠かせない。)・ダブルフォーン(まず使用する事は無いが稀に使用した際に昔の軽のように虫のおならのような音では心もとない・・(笑)。)・後は、クーラー(曇り止めの役割、積んでいる食料品が痛まない、涼しい、が目的)だとか今ではナビにETC・・此れだけで十分。
 ディーゼルターボにも乗っていたがやはりガソリンの方が素早いし速度が違う。電動式など不要だが、バッテリーは進化したようで8~9年間使用しても交換不要だった。(バッテリー上がりの際に駆け付けるレスキューの常用語とし「こんなに長く使っているんだから至急交換した方が・・」はそうとも言えず、実は12.5ボルト/24ボルト、交換の必要無し、が現在の余力。~これは、密閉式の大型でバッテリー液の蒸発がない事と無駄な電力を使用しないからで、ヘッドライトも信号赤でまめにOFF、CDやラジオ不使用。)
 川崎に着いた頃ラジオで報道していたのが「よど号ハイジャック」だった。69年70年は安保から始まり三島由紀夫事件とか盛り沢山のニュースが流れたが・・当時の銭湯は33円→今500円以上。
 ついて最初の晩に初めてアパートのおばあさんがつくった夕食を食べながら(賄いつきといって、夕食が付いて四畳半で一か月6000円だった。)・・それが不味い薄ぺらな豚の焼肉で・・初めての自宅離れもあり、しょんぼりだったね。
 駅の前の道が舗装をしていなく砂利道で犬の糞が・・何か詰まらなく、こんな事もあったせいで・・。実は、家から持ってきた電気湯沸かしポットの水を汲みに台所に・・すると「キャー」・・おばあさんの家の娘二十代?(孫?という事はその親は?)いや、風呂がすぐそばにあり入っていたら、誰か来たからと・・悲鳴を上げる体制で・・電気を消して真っ暗にしていたんだと思う。
 そのアパートには同じ義塾の学生三人?も・・しかし、不思議な事に誰ともあまり気が合わなかった。今考えれば皆真面目だった。年に何回かあるtest時期の最初の期間が来て私以外は、キチンとお勉強・・「ああ?麻雀?うん、試験終わったらな・・おまえも勉強した方がいいよ」。
 いや、初めてのアパートにはなつかなかったので3か月程度で・・次の下宿に、友人の紹介で引っ越しをした。荷物?机と簡単な本棚程度。
 友人の紹介で目蒲線の洗足駅から近い高級住宅街に位置するニチレイの会長さんの家の二階六畳に、今度は素泊まり?=食事なし~の下宿・・。迎えのお宅には何だか浅野セメントの社長・・角を曲がれば文部大臣の家の前に・・ポリボックスもあった。
 此処で、ふすま越しに隣の部屋には文学部4年の先輩が住んでおり、この方に彼是と盛り沢山の東京とは?とか、まあ面白い事ばかり教えて貰えた・・。
 何よりだったのは・・勉強の話など何もしないのだから・・楽しくて仕方ない。この瞬間から「我が落後の人生」の幕開けとなる。この先輩の父上は用宗(もちむね。静岡の隣の駅。)の大きな家に住む弁護士。
 その前に・・静岡県人会というものがあって、多分静岡高校卒の先輩たちだったと思うが「新入生歓迎会」というものに呼ばれた。ここで初めて覚えたのが酒の味だった。
 実家にいる時には酒もたばこの味も分からない家庭だった。ところが、先輩たちが面白がって・・幾ら飲ませようとも酔わない・・いや、酔っているようには感じられない。
 同期の友人たちはへべれけで「・・金井・・強いなあ・・」。大学の帰りに東横線沿線の駅にあるパチンコ屋で初めて煙草の景品を獲得したは良いがライターの火をつけ一口吸ったら・・「・・うわあ・心臓ドッキン・目が回る・・!!」ニコチンショックはドルショックなんてものじゃなく、相当のものだった。
 此れから始まる大活劇・・いや、大騒動・・大学生活とはものすごい・・奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)且つ強烈な印象を残したのである。
 隣の部屋の先輩から教(おそ)わった事柄。「・・エ・エ・エ・・?」
「・・帝国ホテルのレインボウラウンジのレーベンブロイというビールは美味い・・」「東京で有名なケーキの美味しい店は三つ・・何処と何処・・」「西銀座には文豪たちが行くルパンという店があり、一元客(初めての客)はお断りで、誰かの紹介が無ければ入れない・・」「渋谷の奥(松濤=高級住宅地でもあり歓楽街でもある。)にロシア料理のサモワールという店があるから行ってみよう・ウォッカ・料理は・・」「下宿は環状七号線に面していた・・昔はそうでは無かったが都の開発で・・で・・何処に行くのにもタクシーを止めては・・ハイ運転手さん・行ってみよう・・」「東横線の都立大学駅付近には・・頭に「ま」が付く店が・・ましこ=始めて辛口の剣菱を教えて貰う・・まほろば=せいろ=蕎麦が美味い飲み屋・・マリソル(スナック)で【・・おまえこれ飲んでみな?・・あれ、強いね・・カクテルのアブサンライム=推定アルコール度数70%、但し・・ロシアのスピリタスともなれば98%・・ほぼアルコールそのまま】」
 

  時間が無いので少しだけ付け足す。
 先輩と過ごした一年間は実に貴重な体験だった。この人は友達を作るのが上手いようでクラスメイトの友人が少なくなかった。私は静岡高校時代の友人ばかりだったが、二人はクラスメイト。一人は千葉の稲毛、もう一人は中央線駅。
 discoには良く行ったが、青山・六本木・赤坂、ジャズ喫茶は新宿・渋谷、稲毛の友人は大手外資系の保険会社に入ったが、discoに行った帰りに稲毛の自宅に泊めて貰った事もあるし、彼が英語の試験の前日に私のボロボロのアパートに泊まったこともあった・・その際彼が「・・何か痒くない・・?」、そうひょっとしたら、布団がダニの支配下に置かれていた可能性も無きにしも非ず、という事は私はダニに対する免疫を持っていた・・いや、ダニも恐れる凄い奴・・(笑)。
 その二人と一緒に新宿は歌舞伎町に行った際、極東会のお兄さんたちが仕切っている似非(えせ)バーでふんだくられた事もある。中央線のやつはおっちょこちょいのようで「・・女いるかも・・そこのバーに入ろうぜ・・」他の二人で「・・やめとけよ金も無いし・・」と猛反対をしたにも拘わらず・・狭い暗い階段を上がり案内されたのも暗く小さな部屋、何もありゃしない。
 男が一人・・幅一メートルほどの板をカウンターと称しばたんと下げその上にウイスキーだか水だか不明な液体が入ったコップを一つ置きざま・・。
「はい・・五千円」 
 相手が暴力団では・・そのくらいは何ともない事。しかし・・まあ、学生然とした三人に金持ちを期待する訳もないだろうから・・からかったヤクザから良い教訓を頂けたわけである・・どんな相手であろうと体験だろうと・・無駄にせず勉強とする・・此れも社会体験・教育の一環といえる・・(笑)。
 当時のパチンコはチューリップだからそれほど浪費してしまうことは無かったし、小さなパチンコ屋には十円で何発のみの小さな自動販売機まがいのものも置かれていた。
 また、パチンコ屋で声をかけられたことが私も彼にもそれぞれ一回ずつあった。私は一人で目蒲線の西小山駅前の個人パチンコ屋で・・稲毛の彼は私と共に渋谷の繁華街のパチンコ屋に入った際だった。
 当時は「補導員」なる監視役がおりまだ幼い=若々しく見えたのだろう~輩と見ると「・・君達・・こういうとこ入るの・・少し早くない・・?」パチンコは未成年でも18歳なら入れたから・・おじさんの勘違いとなる・・学生証を見せ解決・・あのね・・何とかカードなど本当は意味は無いんだよ・・このような証明書があれば・・特に、海外に行けば何とかカード・保険証・免許証も何も役には立たない。
 

 その代わり「パスポートは、絶対に肌身離さず所持」していなければ・・処刑遊戯=松田優作主演ハードボイルド映画~の対象となるぞ・・。尤も・・日本人なら「男は度胸」というものも大事なわけである。共産圏だろうと何処であろうと「悪い事をしたり考えたり、それぞれの社会の規律を理解・順守・し詰まらない否定などしなければ何ら問題は無い」・・しかし、そうではないという信念を持つことも悪いとは言えず、それならそれで自然とも言える。
 

 人類の特徴はこんな事でもある。
「人と意見が異なったり風変わりな行動や発言が見られたり・自分たちを否定・攻撃を仕掛けるのでは・違和感を感じる・何かおかしな奴・毛色が異なる」・・まあほんの一表現に過ぎず他にもあるだろうが、人類は所詮動物に過ぎない、という事を忘れてしまったのでは、動物の殆どは群れを成すし、そうしなければ外敵から逃れられない、という思想もなるほど、然しながらそうでない動物も存在する・・一匹狼の様なものも・・昔の笑える話だが「ダーウインの進化論=正しくはこうなる。UKの地質学者・生物学者・であるチャールズダーウインの【種の起源=On the Orijin of Species】は、昭和の教科書に於いても、この学説はまだ事実であるのかは分からない、と記載されていた・・が、更に遡り、欧米のキリスト教社会では大騒動になった、【・・冗談じゃない・・俺の先祖がチンパンジーだとふざけるな・・神を冒涜するつもりか・・?】大暴動にまで広がった


 似たような事が欧州・USAで起き・・現在に至るまで「厳然と」居座っている・・一つが【赤狩り=共産主義ヘイト】である。この「厳然と」という意味は・・単に厳しい、という意ではなく、例えば絶対性→ゆるぎない事実=誰にも否定できない真実など。
 で、実は共産主義という言葉が生まれたのは、以前申し上げたが「Germany」において、マルクス=著書に「資本論」「共産党宣言」~どがある。
 その背景には・・インダストリアルレボリューション=Industrial Revolution =産業革命~まで遡(さかのぼ)るとする。ワットの蒸気機関の発明・・其の他・・経済が豊かになった・・だが、それだけではない・・貧富の差が生じた・・此れは人類社会には、ついて回るもの、とも言える。
 ただ、その中で困る事もある訳で、やはり、社会の混乱に通ずることになる。
 ここのところの解釈が分かれる訳である。
 まあ、それは難しいだろうから、USAにおける共産主義嫌いは半端では無かった。これはフィルムにも登場している。子供のような遊びならぬ・・馬鹿げた事が・・堂々となされていた。
 TVを通じ芸能人から最高裁判事に至るまでが・・「・・私は共産主義など知りません・・」「・・マルクスなど知りません・・此れもおかしいね・・マルクスとの名称をどこで知ったのか?笑い話に過ぎないが・・」。
 USAという国は大国である。
 然しながら・・有象無象の集まりとも言える訳・・だから、雑多な人種がおり・・犯罪王国といえるのである→これが我が国にまで及んできたという事は、残念ながら・・我が国の現代社会で露呈されている事でもある。治安が悪いのも、その一例といえそうだ。昭和に比較をしあり得なかった経済不況・社会混乱・意識の稀薄・を伴い・・治安悪化もその内であり・・強いては・・再び地獄の戦争に介入をしていく事になる。
 もう一つ。
 USAという国には長所もある・・ハリウッドや黒人ジャズなどの音楽の世界・・絵画は目立つものがない→これ、実は、USAの大元であるUKにも似たような事が言えており、大英美術館はあるが、やはり、欧州各国の絵画ほどではない。インドと間違えて北米大陸に到達をしたコロンブス・・インディアンとは?インド?虐殺して築き上げたのが合衆国・・Canadaなども同じAnglo-Saxonだが、フランス人も移住をした。
 
 同じように大国であるのが、ロシアやChina。
 私は、実は法務時代にIndonesiaとUSAに行けと指示をされた事はあったが、面倒なので断った。「痔」が原因でもあった。
 昭和の時代には、インドネシアは水が悪かった。ので、水あたりが懸念されたが・・今はそんなことは無い。
 だが、もう行く機会は無いだろうし、魅力も感じない。
 ロシアとChinaには・・その魅力があるから・・。
 従い、何も両国に関する事柄は・・社会の出来事では無く・・私から見て魅力があるからであるが・・それは諸君には理解が出来ないだろう。
 

 ただこんな事は言えそうである。
 西側諸国は「プロパガンダが凄い」USAも、大東亜戦争時には「国債が集まらないからと、プロパガンダを大いに利用した」それが功を奏して俳優やボクサーが軍に参加をし、国債も飛ぶように売れた。
 ところが、その中にはこんな事も「日本人は野蛮人でこんなひどい事をやっている」という映画をつくり全国に流した・・その効果は絶大なものであった。
 これが・・今でもその癖が抜けていない。
 日本の報道に共通している事とし、西側諸国を褒め東側諸国をけなす。
 まあ、政府は右翼政党とも言える自民が中心で戦後ずっと通ってきたのだから当然。ただ、同じ自民でも・・極端にレベルが下がってしまった。
 これに輪をかけ・・戦後の教育で育てられた「考える事が苦手な世代」・・殊に二十代は相当なものだとの以前iPhoneの検索の報道で知った。
 それはどうでも良い。
 先日もブログの方で記述をしたが「人民新聞日本語版」をiPhoneで検索すると上部に「安全ではありません」と出る。これもプロパガンダと同じと判断をしている。
 つまりは「読ませたくはない」からと「全部嘘で詐欺のように騙されますよ」という意味かと解釈ができる。
 然しながら・・此れを見たからといって「何も損はしない筈」→「命を取れたり怪我をする事もない」→「寧ろ、どのような科学力か・・などについては見た方が分かり易く・・記載されている全てが偽物とは思えない」→「知識を得たければ・・自然に見るのではないか?」→「そうなると・・見て欲しくはないから・・見られると何か都合が悪い事があるから」。
 また、ニュースを見ていた時代に思った事だが、同じUSAの会社でも印象其の他が悪いところとそうでないところがある。
 ヤフーやGoogleは私には良くないと感じられ見ない事にした。グーグルは私の小説や音楽でいちゃもんを付けてきた経緯から・・絶対に信用はせず、戦闘的な法人だとの意識・・ただ・・何処の会社でも良い者もいる・・悪い者もいるのは仕方がないのかも知れない。
 その点。マイクロソフト・アマゾン・などは何も感じないし・・appleは最も信頼できる法人だと感じている。

 ロシアではプロパガンダをあまり行わない国といえそうな気がする、同じ白人社会でもかなり異なる。やはり遊牧民族のせいもあるのか?ウクライナも同じ民族なのだから・・そう違いは無い筈・・ただ・・「朱に染まれば赤くなる」。
 ゼレンスキーの祖父はユダヤ人でイスラエルと同じ思考形態といえそうである。Nazisの迫害を受けたわけである。その血を受け継いだのがゼレンスキーとも言えそうだ。
 名「ウォロディミル」。
 彼がお笑い芸人当時の事・・2015年から2019年にかけ放送されたテレビドラマにこんなものがある。
「国民の僕→架空の大統領」
 2018年 「国民の僕」政党を結成。
 2019年 ポロシェンコを破り73%の得票率で大統領に。
 皮肉な事に「戦争からは大統領選が行われていない」→「正式な大統領ではない」→「架空の大統領」→「国民の僕」→「僕の国」。


 
 更には人種や宗教の差別もその範疇(はんちゅう)といえそうで、わが国の政府【外国人を敵外視せよ・・やれスパイだとか・・危険人種だとか・・何だこれ?・・(笑)】・・それも良いが・・人手不足・楽をしたい国民の時代到来・の折、「有能であればあるほどの企業」にとっては外国人の労働者という助っ人(すけっと=助けに来た人=勿論来た者も自己の収入を得る目的だが。別に問題ではない。外国人が困るのが「ゴミ捨て場がない=ゴミ箱がない」・・例えばモスクワの何でもない公園、勿論ゴミ箱があり、日曜日のせいもあり賑わっているからゴミ箱から多少地面にこぼれている・・【我が国においては何故ゴミ箱が何処にも見られないのか?→テロに使用されるから=治安が悪い証拠】→モスクワは治安が良い→戦争中の国だよ・・大東亜戦争時には大変な事になった我が国だが・・すると・・何かにつけ「西側諸国は東側諸国に敵外心を抱き→要は恐怖=怖いから・・決して正しいとは言い難い」
 では、例えば、他国を例にとれば、Chinaは14憶人も国民がいるから、それを今後如何にして健全な状況下で纏(まと)めていくのか、が、一つのテーマではあり、また、貧富の差もある。新宿の大手家電量販店に勤務の女性曰く「・・本国は給与が安いから留学し勤務している・・」という者もいるがほんの一部・・我が国も正に現代は物価高・実質給与が追い付かない・大東亜戦争前後にそっくりの状況で【資源】【食料】が不足し・・この先は真っ暗。

(突然それるが・・ギャンブルの代表である【株式・投資・と景気とは無関係である。ただ、他のギャンブルである競馬などと異なる面も持ち合わせている事も事実。大暴落をしたとする。多くの投資かは大損害を被り企業も傾く・・此れは何時の日にか到来・・というのみにあらず・・自然災害による「破滅の八重歯」でも発生をするが・・欲があるばかりにやめるにやめられない・・ところが、同じギャンブルでも暴落をした後落ち着けば、こんな買いやすいことは無い・・とも解釈ができる・・少数にせよ・・まあ、大方は被害者だろうが・・】。)


 時間も無いのでいったん戻るが・・本日は・・次のところ迄・・。


 教育者の両親に育てられた私の信条とも言えそうである。
 そんな気どり、も取っ払ってくれたのが、先輩である・・まあ、共に「酒が飲める」という条件は不可欠だったのかも知れず。都立大学に四人の男女で飲みに行ってから下宿には帰らず、先輩の学友とその友人で女子美大の学生・先輩・私・でタクシーを飛ばし・・其の女子美の女性のアパートに雑魚寝・・朝起きたらその女性が・・ナ、ナント・・朝ご飯を用意していてくれた。
 いいかな・・ここから得る教訓は何か?おかしな考えを持ったりしなければ・・まあ、それだけ信用がおける振る舞いや会話・或いは先輩の学友との絆・そういったものが取り持った「縁」とは正に・・「縁は異なもの味なもの」となる訳。
 現代社会の治安が悪い原因はそういった教育がなされておらず・・政府が情けなく、そんな政府を指示した国民、不良の「駄目人類=烏合の衆(うごうのしゅう=価値もなく、鳥の如く、統一も規律も無く寄り集まった群衆とも言えるが・・いや、これでは鳥も迷惑千万・・鳥が群れを成すのは必要不可欠であり、他に対する防御・本能・であるな。)~」であるからといえる・・総じて・・現代日本・まともな国、とは到底言える筈もない事になる・・まあ、せいぜい、長生きする事だな・・(笑)。
 お説教はこのくらいにし・・そんな事も無頓着な当時の大学生・の生態に戻ろう。
   
  
 私のつたない小説「魔女には絶対服従」に登場をするのが「洗足の下宿と先輩」になる。「せんぞく」という名称の私鉄・東急・の駅には目蒲線・現目黒線の「洗足」と、当時は田園都市線今は大井町線に名称が変わっている「千束」があるが前者の方になる。
 田園都市線の沿線には、今は、高級住宅なども見られるが、昭和の時代の事情はこんなだった。長津田から二子玉川を経由し大井町に着く。
 それでは、「二子玉川から渋谷」に通じている現在の田園都市線は何?その区間にはチンチン電車とも言えるかどうかは分からないが、要は、それに乗り継ぎになっていた。で、田園都市線は大井町に急カーブをしていく。
 沿線には、その名の通り田園地帯が広がっていた。例えば市ヶ尾など、丘を切り崩した赤土だらけでブルドーザー・ショベルカーが整地をしている光景が見られ、「赤べこ」とか言うしゃぶしゃぶレストランしか無かったに等しい。
 そんなところに誰も家を建てようなど思う訳はないが、時代の変遷とはそんなところにも窺える。で、何のことは無い・・地震が来れば再び荒れ野原に戻る・・かどうかはわからないが。
 目蒲線は山手線の目黒と京浜東北線の蒲田を繋いでおり、途中、田園調布を経由し左折していくが、沿線の光景の大体は、田園都市線とは異なり元からの中・高級住宅街が含まれる。
 建築基準法などでも住宅街に建てられる店などは制限されているが、実際、駅の周囲に飲食店などがあったが少なく、線路沿いに目黒寄りに歩いて行けば西小山の様な小さな商店街に行くこともできた。
 そんな話をしたにはちょっとしたわけがある。その前に再び横道に逸れるが、よく行く蕎麦屋と、離れたところにある環状七号線近くのスナック、七号線に面した個人住宅を改装したような飲み屋。
 蕎麦屋は大学に行く前や後に暖簾を潜り、決まって好物だった「やわやき・というあんかけ焼きそば」ばかり注文をした。あまり良く行くので店主がこんな事を若い女性店員に「・・あんたが目当てで来るんだよきっと・・」。
 焼きそばと女性・・因果関係はない。
 同様が、此方は時々だが夕食代わりにスパゲッティーを食べに行くことがあった。その店にはジュークボックスが置いてあり、百円で聞く曲は二曲・サンタナのブラックマジックwomanと布施明の冬の停車場なのだが、実は、それがお目当て、毎回同じ曲ばかりを聞いた。
 サンタナは兎も角も、冬の停車場は、間奏のサックスが好き・・それだけ。ここでも店員達が「・・あんた目あてなんだよ・・」。
 飲み屋は先輩が卒業をした翌年、その当時知人の経営をする塾が恵比寿と渋谷の中間にあり、そこに中学三年生のクラスを受け持つ講師として、アルバイトに通っていた。
 その話をした相手は店の女主人。偶然だが大学のある三田の田町からキャンパス迄の抜け道である「慶応仲通り」にはごちゃごちゃと多くの店があったが一軒の飲み屋、つまみのメニューに特製の味噌をつけた焼き鳥があり一時その味が気に入り通った事があった。
 その店の店主と親戚だという女店主の話にびっくり、更に、その子供が中学生で、家庭教師をやって貰えないか?と言われたのだが・・遊び以外の事は(笑)断った。
 店が実に多く並ぶ「仲通り」ではハロマンスもあった。良く行く麻雀荘「宮殿」で出会ったのが最初の私の彼女だった。義塾の二つ上の女性で文学部英文科・横浜山手(やまて)=高級住宅街・港の見える丘公園・外人墓地・坂を下ればマリンタワー・氷川丸・山下公園・人形の家・などがある丘の上・・一部屋が何処までかわからないほど広い部屋に彼女の主治医まで・・。
 東京で知らない者は少ないと言われる・個人病院としては最も大きな総合病院の院長の娘さんだった。英語は早口とまでネイティブに言われる程ペラペラ・彼女のフィリピン人の友人の女性の父はフィリピン大使館高官で、遊びに連れていって貰ったり私の実家に二人で遊びに来たこともあったが、勿論、洋館だから土足にメイドが対応をする。
 結果的には・・私が愛想が無かった事で・・「いや、実に悪い事をしたと未だに思っている。嫌いでそうなったのではなく、余りの家柄の違いなどでその先が思いやられたからである」。
 性格は「極めて子供並みに純粋なのだが・・私のボロボロなアパートの二階まで靴のまま上がって来てしまう・・のは無理もない・・【・・汚いから・・】それはその通りで・・誰が見ても汚い、ボロアパートとはその程度のものであるから・・」
 慶応義塾の学生は金持ちの坊ちゃん嬢ちゃんも多く・・業界人も多い・・親の持つマンション(一部屋だったり、一棟丸ごとだったり・・それも高級な、都心や郊外の一等地だからね、亡くなったYMOの坂本龍一でも驚く・・(笑)。)などに住む者・・「今はあるのかどうか知らないが・・「装苑」とかいうファッション雑誌の表紙のモデル・今でもすごく有名人らしいが・・私には関心がない・・政府だろうと権力だろうと全く気にはならないが・・男女となると苦手に近いのである・・」。
(私が一昨年十一月に植木鉢をもってお見舞いに訪れた大女優さんのお宅・・の件も、案外そういうところから度胸がつきすぎていたのかも知れず・・。) 
 ここのところ毎晩見ているのが同じ義塾出身の「加山雄三のエレキの若大将や、唄う若大将=日劇での初ライブコンサート~」を見ていると懐かしいと感じる面もあるし・・また、彼独特の旋律はPops歌謡曲には似合う。ただ、音符の上下が激しいので、一番高いところになると・・演歌歌手とは異なり声をはり上げる事になる・・そこが良いという事も言えるだろう。
 ブラックサンドビーチは正にエレキにはピッタリの曲の代表で、寺内たけしも上手いが、更にコンサートでは少しアレンジもしている。ランチャーズも同じ大学?
 松竹で有名な彼のお父さんである上原謙は和製アランドロンのマスクで有名だがその息子にしては真面目だと感じるが、現在銀座で療養中のよう。業界では女優は少なくないがその中から奥さんを選択した理由も何となくわかるよう。
 ベテランだから、三船の作品にも登場をしているが、椿三十郎とか・・ビートたけしの・・は・・あれの真似だね・・。
 市川雷蔵だけでなく・・ついには無責任シリーズまで・・これ、クレージーのメンバー全員没なんだそうだな・・寺の鐘・ゴ~ン・・。

 どんどん逸れていく。
 
 先輩との話に・・その洗足の駅前にポツンと見えたのが「おじさん屋台の飲み屋」・・そこにも一緒に行き・・客は二人だけだったが・・その光景・よく記憶している。
 山登りとアマチュア無線が趣味で・・下宿の門限を過ぎると・・塀に上り・・一回酔っていて落ちた事もあったようだが・・瓦屋根に昇り小窓から入って来たり、小石を窓ガラスに当て「お~い裏口のドア開けてくれ・・」。
 私も、泥酔して庭で寝てしまった事があったが、タイミングよく窓を開けた先輩と丁度遊びに来ていた学友で起こしに来てくれた時もあった・・あれ真冬だったから・・そうでなくば、凍死したかも・・(笑)。
 
 時間が無くなった・・まだまだ続く・・。
 
 

 
 
 
 

 

昭和なら「まだ・・宵の口」(Early evening)副「タイトルにそぐわない・タイムトラベル」。

いや・・男は度胸というが・・確かに私は度胸については並外れていたのかも知れない・・(笑)。

昭和なら「まだ・・宵の口」(Early evening)副「タイトルにそぐわない・タイムトラベル」。

慶応義塾で・・密かに暴れまわった・・伝説の男!・・それは・・私・・「うへへ・・Hey・・あんな男・・ちょっといない・・(これサントリーのコマーシャル=詩作家ランボーをテーマにしたもの。)」。

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更新日
登録日
2026-04-22

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