紙一重の人生

紙一重の人生

運命を決めるのは、ほんのわずかなズレである

 日常の生活の中でヒヤリとしたり、危ない場面に出くわすことは、どなたでもあることだろう。
 私は自動車の運転中だったり、過去はバイクに乗っているときに、一歩間違えれば大事故だったり大ケガをしていたであろう危機一髪な出来事を、うまく回避できたことが多々あった。

 若い時分、バイクで小さな交差点を通過するときに、脇から一時停止を無視した自動車が物凄いスピードでやって来たが、危うく衝突をせずにギリギリでかわせたことがあった。もし私がもう少し遅かったり、向こうがもう少し早かったタイミングであれば、私はとっくに墓の下だっただろう。
 自動車でもある。先頭で信号待ちをしていて、青信号になったのでさあ行こうと前進した途端、脇から大型トラックが猛スピードで目の前を横切って行ったのだ。もちろん大型トラックの信号無視であった。
 咄嗟に急ブレーキをかけたので接触しなかったが、スレスレといった距離だった。
 ちょうど鉄道の上にかかる橋の手前だったので、これがもし私が少し早めに飛び出していたら、大型トラックと橋の欄干に自動車もろとも押しつぶされているか、橋の欄干を超えて、鉄道の線路が引いてある数メートル下まで転落して、いまではとっくに草葉の陰である。

 そう、ほんの些細な偶然でそうなる。
 よくある話で、歩いていて工事現場の横を過ぎようとしたときに、工事現場から物が降ってきて、目の前に落下、なんてのもあるが、人間動いていれば事故や危険なんてものはそこいら中に点在している。犬も歩けば棒に当たる、である。
 運悪く事故を起こしたり、みまわれたり、遭遇したり、偶然にしてはいたずらな厄介事に巻き込まれるケースもあるだろう。私はおかげさまで事故はいまのところ経験はせずに済んでいる。もとい、先の通り、ギリギリのところで、紙一重のところで免れている、と言ったほうが正しいと言える。

 ヒヤッとしたあとには決まって私はこう思うことにしている。
 私を守ってくれている守護霊さまは相当優秀な方なのかも知れないと。
 勘違いされても困るが、私は生まれてこのかた無宗教なので、神様も仏様もなんとなくしか存在は信じていない。
 ちまたで起こった凄惨な事件、理不尽な事故などを知ると、もし神様とか仏様が存在するならば、こんな酷いことは現実に起こるかなぁと考えてしまうからである。巨大地震が来て、大津波にすべてを破壊しつくされた場面を見て、改めて強く思った記憶がある。
 だがひとつだけは信じるようにしている。
 それはご先祖さまの存在である。
 私が生きている以上、必ずしも数百年、もしくは数千年にわたってご先祖さまは間違いなく存在し、連綿と生きながらえてきた。
 もし、守護霊さまが存在しているのであれば、それはご先祖さまの御霊なのかも、とまで思っている。
「それ、そんなことくらいでクヨクヨするな馬鹿!」
「また情けないことやってからに~」
「お前、そんなこと言っているといつかバチが当たるぞ!」
 たまに頭の周りでこんなことを言われているような気もしたりする。
「そんなことも判らないの。少し考えれば判るじゃない。ったく判らんちんなんだから」
「いまのは危なかったわね。私が見ていなかったら大変だったわよ」
「もっと気をつけなさいな。あんたはいつまで経ってもおっちょこちょいのすっとこどっこいねぇ」
 こう言われているような気がするときもあったりする。
 小さなころから危機一髪だったり、紙一重で危険から逃れられているケースが多く、こうでもなければ何回死んでいるか、何回大ケガで入院していたか判らないほどなのだ。なにかに救われていなければ、未だに入院知らず、手術、骨折とは無縁ではいられなかったはずである。
 そもそもが私の人生、運が良いほうだと思ったことがないわけで。

 中学生のころだったか、毎年恒例の家族で海水浴旅行のときだった。
 ちょうどそのときは台風が接近していて、まだ天気は良かったが、波打ち際では波がかなり高かった。遊泳禁止にはなっていなかったので、普通に海を楽しむことはできた。
 私は泳ぎに自信があったわけではないが、だいたい沖のブイが浮いているポイントまで行き、ブイを連結させているロープにしばらくつかまって一休みをする。
 沖までくれば、いくぶん波立ちも穏やかなので、その位置から浜辺や山々の一体を見渡すのが好きだった。
 沖では波打ち際で遊んでいる子供たちの声すら届かないので、海面がタプンタプンといっていたり、たまに魚がチャプンと跳ねていたり、そんな音しか聞こえないのが贅沢な気がして嬉しかった。
 上を見れば真夏の空に眩しすぎる太陽、遠くには入道雲があって、海の上なのに肩がジリジリと焼けて痛くなってくる。
 だがふと視線を下に落とすと、真っ黒な海がある。
 底が見えない海というのは恐ろしいものである。
 一度でも意識してしまうと、なにか得体の知れない生物がいるような気がしてくる。急に私の足にガブリと嚙みついてきて、この真っ暗な海の底に引きずり込まれてしまうような、そんな恐怖心に駆られてしまうことがある。
 そんなときはサッサと沖から引き上げて、別になにからも追われてもいないのに、せかせかと急ぎめに泳いで浜辺に戻っていた。

 砂浜で眠るのも贅沢なものだった。
 強い日差しと熱せられた砂浜にサンドイッチされ、海水で冷えた身体が解凍されるようで気持ちが良い。
 波打ち際の音、人々のざわめき、どこからか漂ってくるバーベキューの香り、遠くに聞こえるセミの声。太陽の光がまぶたの裏を赤く透かしていた。
 暗く、静かでもないのに、もやもやした眠りに誘われていく。
「聡似、ブイにつかまって波を乗り越えるの楽しいぞ」
 人が寝ていても気にしないで話かけてくるのは父である。
「え、危ないんじゃないの?台風が近いから波も高いでしょ」
 パラソルの下を陣取っている母が言う。
「あたしも一緒に行ったけど面白かったよ」
 こう言う高校生の姉も父譲りの気性なので、怖い危ないは大好物なのだ。
「じゃあ、あんたも行ってみたら」と母には寝たふりも通じず、もう少し休みたかったが、父が「じゃあ俺もまた行くか」と言われてしまうと私は行かざるをえない。

 確かにさっきとは比べものにならないほど波が高くなっていた。
 ブイを連結しているロープにつかまって遊んでいる人も増えている。
 波打ち際では波に巻き込まれて海水が鼻に入ったのか、小さな男の子がビービー泣いていた。
 海面がまだ膝のあたりまでの浅瀬だったが、なんとなく怖く感じた。
 しかし沖に着いたら恐怖など感じないくらいに面白かった。
 ロープにつかまっていると、沖のほうからユラユラと波の子供みたいなのが見える。それが近づいて来るとロープがググッと奥に引っ張られる。目の前まで波が迫ると一気に身体が引き上げられて、パッと視界がひらけると波尻のすべり台をサーッと下っていくのだ。ジェットコースターに乗っているような、身体が軽くなる、そんな感覚である。
「これは面白いね!」と私。
「ね!」と父。

 元々私は普段から父とはあまり会話をしていなかった。
 父も会社から独立して忙しいものあったが、そもそも小さいころから会話は少なく、私は断然に母になついていた。頭の良い姉は世渡り上手でもあるので、当時から父親ですら手玉に取っていたが、私がさもしい子供だったからか、私に対しては扱いがぞんざいな節があった。
 母がぼやいたことがある。
「どうしてお父さんは自分の子供より甥っ子姪っ子を可愛がるのよ!」

 父は自分の兄の子供、つまり甥っ子をずいぶんと可愛がっていた。
 私から見れば叔父の子供、年上のいとこにあたるが、私も小さいころから母と同じ見かたをしていた。
 親戚の集まりでも、いつも私たち姉弟はほったらかしにされていて、自分は甥っ子姪っ子と遊んでいた。
 私は覚えていないのだが、どこかの大きな観音様に行ったときのこと。
 その観音様の内部に入れたらしく、私たち一家と叔父一家で観音様のお腹の中で階段を登っていた。
 私はまだ小さかったので母に抱っこされていたらしいが、姉は持ち前のやんちゃっぷりで、ひとりで先に階段を上がって行ってしまったらしい。
 母は「お父さん、お姉ちゃん先に行っちゃったからつかまえて」と声をかけたらしいが、父は甥っ子姪っ子らと悪ふざけをしていて構わなかったそうだ。
 みんなより先に高い場所へ登って気をよくしたのか、姉はどうやら階段の手すりによじ登り、あとから階段を上がって来る私たちを見下ろしたのだろう。
 母が「危ない!!」と言ったときには、姉は頭から真っ逆さまに階段の吹き抜けを落下してしまった。
 が、さすが観音様のお腹の中である。
 私たちと同じように階段を上がっていた他の人が気が付いて、落ちてきた姉の足をパッと掴んでくれた。
 まさに危機一髪であった。
 そのかたは救いの神である。もしそのままだったら十数メートル下へ墜落して、姉はお陀仏であった。
 母は父にカンカンに怒ったそうだが、父は「良かった良かった」と言うだけで自分の落ち度は反省しなかったそうである。
 そんな前科もあって、母はこの手の話を愚痴るとき、この観音様のエピソードを必ず用いる。しかし、超がつくほどマイペースの父には馬耳東風であった。

 先の質問に対しての父の返答は、私は子供ながらに耳を疑った。
「親子であっても合う合わないはあるだろ」
 つまり、私とは気が合わないと言われた気がした。
 そんな経緯もあって、私は父には付かず離れずであった。

 しかしこういう場面では、そんな日頃のぎこちなさは消え失せてしまうものなのか、ただの親子が二十分も三十分も波乗り遊びをしている。
 時間が経過すればするほど波が激しくなっているのは肌感で判っていた。
 だが楽しんでいるのは私たちだけではなく、他の人も何名もいたわけで、危険なんてこれっぽちも頭になかった。
 今日一番の大波を超えて、
「いまの凄かったね!」
「ああ、いまのは凄かった!」
 浜辺のほうを振り返ると、ドド~ンという轟音とともに大きな白波があがっていた。
 私と父は疲労感もなくゲラゲラ笑い合っていた。
 それから大したことのない波を二回越えたあとだった。
 私が「次のまた凄そうだよ!」と言い終わると同時に、とてつもない勢いで身体が沖側に引き寄せられると、一気に両腕が波の頂上部へグイーンと引き上げられた。
 その瞬間だった。
 急に波が丸まった形に変わったのである。
「あっ」と思ったときには大波に頭から叩き付けられて、右足にズシンと重い衝撃がくると、もう上も下も判らなくなって海の中でグルグルと回転していた。
 強い波に飲まれると手足の自由も効かない。
 ようやく身体をバタバタできたと思ったら、浅瀬まで流れ着いていた。
 周りには何事もなかったかのように子供たちがワイワイと遊んでいる。
 沖から浅瀬までの数十メートルを一気に流されてしまったらしい。
 立ち上がろうとしたが、右足が痛くて踏ん張れない。
 おかしいと思って右足を見てみると、ふくらはぎが丸い形でベコリと潰れていた。
 どうやら波に飲まれたとき、ブイが激突したようだった。
 なんとか左足を軸にして立ち上がれた。水面が膝下あたりのところだった。
「聡似ー!!」
 父の絶叫ともとれる声が沖から聞えた。
 父は地声も大きい人なので、怒鳴ると地響きを感じるほどである。
 怒られると判っていて、ああやって名前を怒鳴られるのが嫌いだった。
 だがいまは違う。
 父はまだはるか沖のブイの場所にいた。
 何度も私の名前を叫んでいる。
 沖で私と父はほぼ同じ位置にいたのだが、父は真下の海底まで沈み込んだらしく、海底を蹴って浮上したそうだ。
 普段は私にはぞんざいで、私より甥っ子と気が合うと言っていたクセに、このときばかりの父は、やはり私の父親だった。
「父ちゃーん!」
 海水浴客を前に気恥ずかしかったが、なんとかして声を出して手を振って父に気付いてもらったが、私は足が痛くてその場から動くことができず、泳いで戻ってきた父に肩を借りて海をあがった。

 浜辺にいた母と姉はのんきなもので、私と父が波に飲まれたことなど知ったふうもなくアイスクリームを食べていた。
 私のふくらはぎのへこみと内出血の具合を見て母が、「あんたそのブイがもし頭に当たってたら死んでたわね」と言われてゾッとした。
 これもまさに危機一髪な出来事であった。
 私の守護霊さまは実に優秀な方々らしい。
 お墓参りには定期的に行くようにしている。



 おわり

紙一重の人生

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

紙一重の人生

日常の中に潜む、ほんのわずかなズレ。 それが生と死を分ける境界になることがある。 それは単なる偶然なのか。 偶然では説明しきれない感覚の先に浮かぶのは、 遠い過去から続く「ある存在」の気配が・・

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-04-08

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