映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ』レビュー
自主制作のCDを手売りするインディーズ文化、座席のない会場に観客がひしめき合ってライブを楽しむオールスタンディングの公演、複数のバンドが連日にわたって演奏するフェススタイルといった現在ではお馴染みの音楽風景を作り出したパンクロック集団、東京ロッカーズ。
わずか一年ばかりで終えたその活動を事実上の専属カメラマンと追い、ドライバー兼マネージャーとして支え続けた地引雄一の著作、『ストリート・キングダム』を実写化した本作は登場するバンド名を日本語に直訳したり、主要人物の名前をニックネームのようにしたりと、どこかフィクショナルなニュアンスを付け加えているのがミソ。その工夫が主要人物のキャラクター性を際立たせ、それによって間口が広がり、当時を知らない観客でも劇中に入り込みやすい雰囲気を確保する。このワンクッションはまた多分に若葉竜也や間宮祥太朗、あるいは仲野太賀といった豪華俳優陣と実際のモデルとの間で生まれるミスマッチをも解消していると想像され、彼らの活動を目の当たりにしていた人たちにも納得を得られる引き出しになっていると感じた。
反体制を掲げた全共闘時代が終わり、政治の熱が引いていき、しらけた社会の真ん中で大衆向けの歌謡曲が流れる1970年代後半、東京の片隅でギャンギャンにかき鳴らされた彼らの音楽は「メジャーで売れる」という既存の語り口ではどうにも煮え切らないものに写る一方で、彼ら自身が決して口にしない、その活動から滲み出る信条に即して見れば、一音たりとも無駄にしない切迫感で各自の理想を追い求める。誰に頼まれた訳でもないのに、煮え切らない時代を点火する表現として若者の心を鷲掴みにし、結果として一大ムーブメントを作り上げた。
音楽スタイルとして決して一様ではなかった彼らに共通していたのは「思う存分、自分たちのやりたいことをやりたい」という熱意であり、従来の方法では「それが少しも叶わない」という確信であった。だから彼らは自分たちが活動できる場所を自分たちで拵え、売れる売れないに関わらず自分たちの音楽を多くの人に届けようとした。
あまりにも地道な活動の内実は、プラットフォームが数多く存在し、誰もが発信者になれる現在から見れば随分と非効率に思えるも、自分たちで作ったレコード盤一枚を手に喜びを爆発させる姿は羨ましいぐらいにキラキラしていて、誰かに届けられることの有り難さが伝わってくる。手段が乏しかった分、彼らが届けたかったものは今と比べものにならないくらいにデカかったのだと感じ取れば、現況に胡座をかく自分たちが負けているような気持ちにさせられて、悔しくなる。
蜥蜴のモモを中心にして彼らの音楽人生が順風満帆ではなく、けれど彼らの誰もが不死鳥の如く蘇ることができたのはユーイチが立ち上げた自主レーベルがあったからで、そんなユーイチのことをサチが何度も「ちゃんとした人」と評していたのが素敵に思えたのも、本作に込められた大切なメッセージだったと私は理解する。
物理的に制限された状況下において、彼らの間で育まれた理解と寛容はただの人道的な話題に回収されるものなんかでは決してなく、好きで好きで仕方ないもの=音楽がターンテーブルの上で鳴らされる時間によって生み出されていたことに、今を生きる私たち「こそ」気付くべきなのだろう。
私の記憶が正しければ本作は予告らしい予告をほとんど行っておらず、知ったやつだけ観に来てくれたらいいよ的なスタンスで公開を迎えており、東京ロッカーズの精神をリスペクトしたスタンスが貫かれていた。たまたま立ち読みした雑誌『BARFOUT!』でその存在を知って急ぎ劇場に足を向けたが、その熱量に完全に中てられたので力を込めてお勧めしたい。特に仲野太賀さんのファンの方々。本作の未知ヲ役はマジでハマり役だから絶対に観に行け。いいケツも存分に楽しめるぞ。だから是非。是非。
映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ』レビュー