語い草片
茸の亡魂(ぼうこん)- 茸書店物語1
神田の古本屋は私の遊び場だ。若い頃から本が好きで、好みの作家のものをずい分集めたものだ。後がさほどないこの齢になると、買い集めるようなことはしなくなったが、古本の匂いを嗅いで、ちょっと手にとって本の気持ちに浸る。そして棚に戻す、そんな楽しみで古本屋を歩いている。古本屋にとって迷惑な話だろう。
今日も玉英堂の二階で高価な限定版をながめ、田村書店で室生犀星の『蜜のあわれ』の初版がないか見た。もう本を買わないと決めているものの、映画になった『蜜のあわれ』を見て、是非この本は手元におきたいと思っているのだが、なかなか見つからない。
そうこうしているうちにお昼になり、ランチョンにはいった。老舗のビアレストランである。古本屋回りのときは必ずランチョンで昼を食べる。その日はハンバーグにサーモンフライのランチにした。昔だったら必ずビールを飲むのだが、最近、昼に飲むとその後何もする気がなくなるので、避けるようにしている。しかし、その日は十月というのに、気温が三十度近くまで上昇し、長袖のワイシャツだと汗が滲みてくるほどで、ビールをたのんでしまった。
ビールが運ばれてくる。一口ぐーっと飲む。やっぱり旨い。食事が運ばれてきて、ハンバーグを口に運び、ビールを飲む。今日は食事が終わったら帰ることにしよう。昼寝だ。そう思いながら昼食を楽しんで、ランチョンをでた。
やっぱり暑い。地下鉄神保町の駅に向かって歩いていくと、ランチョンからすぐのところに間口が一間ほどしかない小さな古本屋があった。確かこのあたりには山田書店があったと思ったのだが。そう思いもう少し先を見ると、山田書店の看板が見える。
ランチョンと山田書店の間に古本屋があるとは思っていなかったので、頭の中に涼しい風が吹くように新鮮である。新しく出来た古本屋だろうか。そう思って店の入口を見ると、草片書店と手彫りの草色に着色された木の看板が掲げられている。
草片(くさびら)は茸の古語である。茸の本の専門店かもしれない。茸は昔から好きな生きもので、図鑑や茸にまつわる本もいくつか持っているし、山に行ったときには、生えていれば必ず写真を撮る。
店の扉は上が半円状になっている西洋風の木作りのもので、大きな赤い紅天狗茸が真ん中に画かれている。オランダの人が見るとコーヒーショップだと思うかもしれない。オランダでコーヒーショップというとマジックマッシュルームなど危険ドラッグが入った飲み物を出すところである。十数年前にアムステルダムでとても綺麗な茸の絵が入口の扉に描かれたコーヒーショップに出会った。しかし、中には入らなかった。
今では入って内装だけでも見ておくべきだったと思っている。ちょっと怖かったのだ。海外ではかなり用心深く歩いてきた。
草片書店の木の扉には窓がない。中の様子が全く分からない。戸をちょっとばかり引いてみた。意外と重さを感じることなく開いた。柔らかな光が漏れてきた。
店の中をのぞくと、左右の壁に大きな木製の本棚がしつらえてあり、きれいな傘のかかった電灯がいくつも吊るされていて、整然と並べられている本の背を浮き上がらせていた。踏み込んだ床も黒くしっとりとした木が張ってあり、歩くとこつこつと靴音がしそうだ。入ってみた。やはり靴音が響く。イギリスの古い図書館の中を歩いているようだ。
部屋の真ん中に大きな樫か胡桃でできたテーブルが置いてあり、椅子が数客用意されている。棚から本を取り出してそこでゆっくりと見てから買ってくれというのであろう。
奥には立派な書斎机があり、西洋アンティークの卓上ライトが点燈されている。机の後ろの木の壁に大きな茸が書かれた油絵がかかっている。それなのに人がいない。そう思っていると、油絵が動いて、黒装束の女性が出てきた。扉に絵が掛かっていたのだ。
女性は品よくカールした金髪をかきあげ、
「失礼しました、いらっしゃいませ、どうぞごゆっくりご覧ください」
と明るい声をあげ、大きな目で私を見た。元気な人だ。私も軽く会釈を返した。
店の内装ばかりに気をとられていた私もやっと本棚の本に目をやった。やはり茸の本がならべられている。片側の棚の中央にボックス状の棚があり、一冊の綺麗な茸の本が飾ってあった。非売品とある。
棚の本は種別になっているようで、奥に向かって左側の棚を見る。入口近くには茸の絵本が集められている。次に茸の小説など文学系のものがある。続いて茸の料理の本があり、一番奥、書斎机のレジに近いところには地方で出版された茸に関わる小冊子や自費出版されたものがあった。
反対側、右側の棚には入口に近いところに図鑑類、茸の専門書籍がこれも外国のものを含めたくさん陳列されている。最後のコーナーには日本の茸の古い本があった。和綴じのものである。
一通り見たあと、もとに戻って、地方出版コーナーに平置きしてあった薄い冊子を手に取った。表紙に橙色の綺麗な茸のスケッチがある。タイトルは『茸の亡魂』。面白いタイトルである。奥付に書いた人の略歴がある。岐阜の人のようで、特に執筆家ではなさそうだ。内容は茸の伝説が書かれているようである。値をみると三百円と安い。寝る前に読むのにはうってつけの厚さである。買っていこう。店主らしい女性のところに持っていった。
「はい、ありがとうございます、三百円いただきます」
女性は愛想よく、私から本を受け取ると袋に入れた。網笠茸の絵のある綺麗な紙の袋である。
「この本はこれが最後の一冊です。この方は岐阜の中津川で古くからの宿をなさっていらっしゃいます、茸がお好きな方です、『語草片(かたらいくさびら)』という私どもがだしている叢書の第一号です。茸に詳しい方や茸が好きな方に依頼して書いていただいてます。楽しい本ですわ、これからもいろいろな地方の方にお願いしていきますので、よろしくお願いします」
実に面白い企画である。
私はありがとうと、受け取って、「またいらしてください」と言う声を背に受けて草片書店を出た。
地下鉄神保町駅から京王線直通の電車に乗った。袋から取り出してみると、やはり発行元は草片書房になっている。面白そうだ。ちょっと読もうかと思ったのだが、ビールを飲んだせいかかなり眠い。もう一度袋に入れた。
うつらうつらしていると終点の笹塚に着き、反対側にきた八王子行き各駅停車に乗り換えた。住んでいる芦花公園は落ち着いた静かな住宅地で、我家のマンションの近くには芦花公園や世田谷文学館がある。
その日は家に着いてもまだ眠く、一時間ばかり昼寝をした。目が覚めたのは四時をまわっていた。一人暮らしなので夕食はほとんど外食である。この町にはちょっとしゃれた、しかも安い食事処がいくつもある。あれこれしていると、五時近くになり、その日は定食屋でアジのから揚げ定食を食べて家に帰った。
いつものようにテレビを見ながら、つまみにビールをまた飲む。寝るのは早く、八時か九時。それで夜中の一時ころに目が覚めるのが常である。
いったん起きてしまうと、六時ごろまで自分の好きなことをしている。時として、前務めていた雑誌社から校正の依頼がくることがあり、その仕事をしたり、本を読んだり、誰も読むこともない文章をPCに向かって書いてみたりしている。
その日は、よく寝て二時に目が覚めた。マンションの三階の部屋から見えるのは寝静まった町の家々の屋根である。このあたりはあまり高い建物がなく、広い商店街などもないため、夜になってもさほど明かりが目に入らない。
夜中に起きるとまず風呂に浸かる。その後、しばらくが自分の時間である。今日は本を読もうと決め、買ってきた『茸の亡魂』を手に取った。いつもは本棚にある昔買っただけで開いたことのない本を取り出して読むのだが、今日は新しい本でなんとなく新鮮である。
五十ページほどの薄い冊子であるが、大きめの活字で、中に手書きの茸のスケッチの挿絵がいくつもあり風情がある。表紙の茸は「臼茸」とある。ラッパのような形をした橙色の茸で、なかなか綺麗だ。書いた方は長年茸に親しんできた人のようである。
『茸の亡魂』
ここのところ毎日茸採りに行っている。雨上がりに森の中に入ったら、臼茸が集まって生えていた。土から伸びたラッパのようだ。中にはいくつか固まって融合したような複雑怪奇な形をしたものもある。ラッパの内側は橙色で、外側はクリーム色、大きな襞がよっている。これは茹でれば食べられるが、生だと下痢をしたりするので、我々は特に食べようとは思わない。しかし森の中で見かけると、魅入ってしまうなかなか綺麗な茸である。
この地方、岐阜の中津川にはこの茸にまつわる話が伝わっている。
昔から中津川の周りには温泉宿がたくさんあった。その中の老舗である白木楼はとてもきらびやかで、食べるものも湯もよくて、京の方からもわざわざ出かけてくるという料亭宿であった。
そこの若旦那は働き者で、周りの者達にも分け隔てなく気遣う、とても優しい男であった。その若旦那が女中の一人と恋仲になった。その女中は良く働くやはり気持ちの優しい女子(おなご)であった。若旦那は両親にその女中を娶りたいと申し出た。ただ何分にも外から見ると身分的に不釣合いだった。案に違わず、若旦那の両親、すなわち白木楼の主人に猛反対されたのである。白木楼の主人もその女中が良い娘であることは認めてはいたが、その当時のこと、周りの目を気にしたのである。まあ、よくある話ではある。
女中の方は致し方がないものと身を引くつもりであったのだが、若旦那の方が強い思いに駆られ、両親にそれなら出て行くと言い切ってしまった。両親は勘当すると息まき、それでもあきらめようとしない若旦那は、その女中に二人で死のうと、森の中を彷徨することになった。
宿を出た二人は森の中で睦み合い、若旦那は女中の首を絞め、もってきた切り出しで自分の咽をついた。血しぶきは森の中に生えていた真っ白な茸に降りかかったのである。
そこには真っ白なラッパのような形をした茸が一本生えていた。その当時、その茸には名前がなかった。若旦那の首から飛んだ血がラッパの中に入ると、その茸は内側が赤く染まった。
白い若い茸は、以前より紅天狗茸に恋心を抱いていた。少しばかり離れたところの大きな羊歯の根元に、立派な紅天狗茸が生えている。この紅天狗茸は茸の王女様、茸界きっての美女である。名無しの白い茸とは身分が違いすぎた。紅天狗茸の周りには茶色の天狗茸が取り囲み、紅天狗茸を守っている。
「紅天狗茸のお姫さん、なにとぞ、私の思いをお聞きください」
名無し茸は気持ちを風にのせて紅天狗茸に届けるのだが、周りの天狗茸がその風を蹴散らし、紅天狗茸に名無し茸の気持ちは伝わらなかった。
名無し茸はあきらめなかった。茸の命は一週間、その間に思いを遂げなければと、何とか気持ちを伝えようと考えた。
ちょっと強い風に乗せて、白い胞子を飛ばし、紅天狗茸に振りかけた。
「おや、白い胞子が、なんでござんしょう」
紅天狗茸は落ちてくる白い胞子を好ましく見た。ところが、
「お姫さま、あっちの、白い若造茸が汚らしい胞子を撒き散らしおるんでございます、防ぎきれませんで、申し訳ございません。汚れてしまわれるといけない、すぐ振り払って差し上げます」
天狗茸の爺が首を折り曲げて紅天狗茸を揺すると、白い胞子が土に落ちていった。
「ありがとうござんした、でもあの白い胞子、少し暖かい」
「いやいや気をつけるに越したことはありませんぞ、茸腐れ病でもうつされますと大変ですからな」
そんなやり取りをしているところに、人間の心中騒ぎ、名無し茸は若旦那の血をかぶってしまったというわけである。
名無し茸はびっくりして、首を絞められて死んだ女中の死骸と、血を流して死んだ若旦那の死体見た。
人間たちの死体はすぐに腐り始め、虫たちが寄ってきた。名無し茸が聞く。
「お前ら、人間の死体は旨いのかい」
「森の生きものの死体と比べると、そんなに旨いことはないが、我々が食わないで放っておくと森が臭くなる」
埋葬虫(しでむし)の親方がそういうのなら間違いがなかろう。しで虫は埋葬虫と書く通り、森に棲む動物の死体を処理してくれる大事な役割をもつ虫たちである。
「わしらの後はお前さん方の出番だよ」
「それはどういうことだい」
血で赤くなった名無し茸はそこのところを知らなかった。
「黴や菌が我々の食べ残した死体を目に見えないようにして、それを草木が吸い取るのさ、黴や菌はお前さんがた茸の仲間だろう」
「そうなのか」
若い名無し茸は道理が見えてきた。
「だがな、動物には骨がある」
「なんだい、その骨とは」
「見てれば分かるさ、森の動物は、最後は骨になって、晒され、それもお天道さんの熱と、冷たい風、土から染み出る水で長い長い年月の末に壊れていくのさ」
そう言われても、名無し茸には想像がつかなかった。
「しかしな、若い茸のお兄さん、人間はたいがい、他の人間が来て死体を持っていって、供養するってものなのだ」
「もし持っていかれないとどうなるんだ」
「今言ったように,しまいには壊れちまう。しかしな、死体が自分で考えることでもあるのだよ」
埋葬虫たちは二人の心中死体を懸命に喰ったが、なかなか喰いきれない。それにしても、人間たちは二人を探しに来る様子もない。若旦那の両親は二人を追いかけなかったのだ。どうせ死ねやしない、どこかで細々と生きるだろう、そのうちすみませんでしたと戻ってくるに違いないと、高をくくっていたのだ。
さて、三日たっても死体はそのまま、せいぜい、虫に食われ腐っていくだけ。
真夜中、血に染まった名無し茸が変な声で目を覚ました。
丁度新月。月明かりの無い空の上では星が綺麗に瞬いているが、森の中にまでその光は入り込まない。それで真っ暗である。
暗闇の中で、二人の死体がむっくりと起き上がるように見えた。いや、死体はそのままだが、人の形をしたものが、すーっと暗闇に浮かんだのである。
紅天狗茸を守っていた天狗茸たちも目を覚まし。その様子を見ていた。
「あれは、人間にしかなれないものなのですぞ」
やはり目を覚ました紅天狗茸に天狗茸が説明している。
「なんでござんすか」
「亡魂、亡霊、幽霊と申すものですぞ」
「亡魂とはなんでしょう」
「生きていたときの恨みや思いを晴らす人間の仕組みでございますよ」
「あの二人はどこにいくのです」
「恨んでいる人間のところに出て行って、恨みつらみをなげかけるのですぞ、すると相手はとても怖がります」
「怖がらせてどうする」
「胸をすーっとさせるのです」
「人間はくだらないことをするものですね」
「紅天狗茸のお姫様は賢い、だけど、世の中くだらないことばかりですからな」
その話が聞こえていた名無し茸は独り言を言った。
「うむ、亡魂の気持ち俺はわかるぞ」
若旦那の血を浴びて赤くなり、少しばかり興奮していた名無し茸から、大きな胞子が飛び出した。それは暗闇の中を漂い、紅天狗茸の上に落ちて来た。
「おお、いい香りのする胞子が飛んで参った、誰じゃろうのこの胞子を撒いたのは」
「またあやつか、先だって白い胞子を撒きおった名無し茸ですな」
「じゃが、ずい分大きくなって、香りもよい」
その話を聞いていた名無し茸は、ますます立派な胞子を飛ばした。
「あの名無し茸とちと話をしたいと思うが、どうじゃ」
「人間の血を浴びたようで、少しばかり赤くなりましたが、やっぱり名無し茸、そのようなものを相手になさいますな、お嬢様は茸の王の家系」
「じゃが、この胞子、なかなか良い匂いじゃ」
「深入りをしてはだめですぞ」
「もし、そちらの赤く染まった茸殿」
紅天狗茸に話しかけられて、名無しの茸は、天にも登らん気持ちになった。
「王女さま、私はまだ名前がありません、しかし必ず名前を茸の王からもらいます」
「そうじゃのう、そうしたら、もっと近くで話せるかも知れぬのう」
「どうしたら名前をもらえますでしょうか」
「その良い匂いの胞子を、もっとかぐわしく、もっと大きくしなされ、そうなれば、私が茸の王、私の父に進言して差しあげましょうぞ」
「ああ、紅天狗茸のお姫さま、そうすれば、もっとお近づきになれますか」
「そうだのう、天狗茸の爺たちが言いといえばの」
それを聞いた名無しの茸はラッパの形のからだを膨らめて、土の中から思いっきり栄養を吸い上げた。
その間に心中した二人の亡魂は白木楼に飛んだ。
寝ている両親の顔を冷たい手でなでると宙に浮かんだ。両親は大声を上げて目を覚ますと、二人の幽霊、これは本当に死んでしまったようだ。それを悟った両親は布団の上で正座をし、頭を垂れた。
震えながら血だらけの若旦那と、首が細くなり真っ青になった女中の亡魂に、ひれ伏して詫びた。
「まさか、本当に死んでしまうとは思わなかった、許しておくれ、許しておくれ」
朝まで両親は亡魂に詫びた。
朝日がさしてくると、亡魂は元に戻らなければならない。
森の中にも朝日が差して来た。
血染めの名無し茸と紅天狗茸たちは、森の中に心中した二人の亡魂が戻ってきたのを見た。亡魂たちは木々の間を飛んでくると、半分腐った死体のなかに入り込んだ。
名無し茸は腐った体に戻るとはよく平気なものだと、ちょっとあきれた。
紅天狗茸も、「おお汚い、人間は汚いの平気ですね」と独り言を言った。それを聞いた天狗茸も「ほんとに、人間とは矛盾だらけですな」と頷いた。
さて、その日、大勢の人間が、森の中に入ってきた。
宿屋の番頭らしき男が心中した二人のそばにくると、
「ここにいらっしゃいました、こちらです」
大声を上げた。両親が心中した二人の捜索隊をだしたのだ。
「お亡くなりになって五日ほどか、早く葬儀をしないとな」
布団の上に腐った死体がのせられ、くるまれて、持ち上げられた。
「あれはなにをするのだえ」
紅天狗茸が天狗茸に聞いている。
「これから、焼かれて供養されるのです」
「そうするとどうなるの」
「亡魂が出なくなります」
「焼くと出ないのかえ」
「焼かれても出ますが、あの亡魂は恨みがなくなりました」
「だが焼かれると、亡魂が帰るところがなくなるのではないのかえ」
天狗茸は答えることが出来なかったのだが、そばに生えていた一夜茸が代わりに答えた。
「茸のお姫さま、亡魂は死体に住んでいるのではありません」
「それはどこじゃ」
「結界が張られ、亡魂はその中にすんでいて、結界の切れ目である死骸から出入りします、あの亡魂は死体に戻ったのではなく、死骸から結界に戻ったのです。死体が荼毘に付されれば、亡魂はすむところから出なくなります。時には、どこかに結界の隙間ができ、死体が焼かれた後も出てくることがあるのです」
「一夜茸は物知りですね」
そんな話を、血染めの名無し茸が聞いていてやはり感心していた。
「一夜茸は大した御仁だ、一夜の命だが凝縮した一生をもっているのだろう」
名無し茸もそこまで考えられるようになったとは老成したものである。
人間たちが布団に包まれた死体を担ぎ上げ退散し始めた。その中の一人が、
「毒茸がこんなに生えてやがる」と、紅天狗茸と天狗茸を踏み潰した。
それを見ていた血を浴びて赤くなった名無し茸は、真っ赤になった上、朝日が当たって輝いた。怒っているのだ。
「俺の紅天狗茸の王女様を殺しやがった、復讐してやる」と怒鳴った。
しかし、人間に聞こえるわけはなく、白木楼の連中は死体を担いで乱暴に森の中の草たちを踏み潰して行ってしまった。
茸の内側を赤くして、名無しの茸は悲しんだ。
「亡魂、亡魂になって、たたってやる」
そう言終わると、その茸は自分の体を半分に割って死んでしまった。一夜茸のように黒くなってとろけて消滅したのである。
溶けた黒い塊が土の上に残ったが、そこから、白い霧が立ち上ると、ボーっと、ラッパ型の茸が浮かび上がった。茸の世界で亡魂になった茸は今までいなかった。名無し茸が初めて亡魂になったのだ。名無し茸の亡魂は炎のように真っ赤になって夜空に舞いあがった。
茸の亡魂は森を抜けると、中津川の畔にやってきて、白木楼の真上の星空の中で揺れた。
真っ赤な名無しの茸が逆さまになると、茸から燃えた胞子が噴出した。
「おらは、茸の亡魂だ、この宿を荼毘に付してやる、紅天狗茸のお嬢さんを殺した恨みだ」
そう言うと、白木楼に火の粉がふりそそぎ、燃え上がった。
火の勢いは激しかった。建物はあっという間に焼け落ちた。
しかし泊り客ばかりでなく、宿の者達もみな助かったという話である。だが白木楼は再び建てられることはなかった。建て直そうとすると必ず火事になったのである。
茸の亡魂は中津川の上に出来た結界の隙間から亡魂の棲家に入っていった。亡魂の世界では、初めて茸が亡魂になったということで、そのラッパ形をした茸は歓迎され、茸の亡魂の元祖になったということである。
森の中で茸が自殺をするのは始めてである。自分の体を半分に割って死んだ白い茸ということで、白と言う字を半分に割るとできる臼という字をあてはめて、臼茸と呼ばれるようになったということである。名無し茸は臼茸という名前を死んでからもらったのである。
しかし、臼茸は亡魂になる前に大きな胞子をたくさん飛ばしていたことから、森の中には新たにラッパの中が朱に染まった臼茸がたくさん生えた。
それより後、臼茸は紅天狗茸と仲良く森の中で繁栄したのである。
茸が自殺をして幽霊になるという面白い話しであった。私は目をしょぼしょぼさせながら本を閉じた。すると、閉じた冊子の隙間から橙色の霧がのぼってきた。それは形を変え、臼茸になった。
私は臼茸を見つめた。
「中津川に来てくれ」
茸はそう言った。
私は一気に読んだこともあり、妄想を見ているのだろうとまぶたを擦った。また眠気がおそってきた。そのまま、ベッドに入って朝日が高く上るまでぐっすり寝てしまったのである。こんなことはいままでにない。
目が覚めた時、臼茸の言ったことが頭の中に聞こえてきた。岐阜に行かなければならない。何かが呼んでいる。
その日、トラベルビューに行って、二日後の中津川までの切符と、名古屋までの新幹線の指定を買った。何せ六十五歳以上の男は、三割引の特典を年会費さえ払えば得ることができる。女性は60からだ。経済社会は性差別を許されるのか。
岐阜に行った。名古屋からだ。中津川の、その冊子の作者を尋ねるつもりで、その宿を探したのだが、ジャランにも楽天にものっていなかった。違う宿であるが、夜烏宿の長多喜を予約した。
中津川の宿にいくと、そこの主人の橋田さんも茸好きで、地元の保健所と茸の冊子を作ったりしている。尋ねると、『茸の亡魂』を書いた人は、その辺りにいないこと、それにそのような宿もないということである。ただ、そこに描かれている森は、きっと、地元の人の言う茸森ではないかという。今では茸もあまり採れないし、入る人はいないということだった。
夕食まで間があるので、茸森に行ってみた。鬱蒼と茂った木が森の中を暗くしている。確かに日の光が少なくて、あまり茸は生えないかもしれない。かろうじて、道らしきものがあったので、ちょっと歩いてみた。
五分ほど歩いただろうか、臼茸が一つ生えていた。私は茸狩りなどしたことがなく、臼茸もはじめて見るものである。確かにきれいだ。
臼茸の生えていた場所は、『茸の亡魂』の場面によく似ていた。
私は話の内容を思い出しながら、そこに立ちつくした。
ふと臼茸の生えている草の間を見ると、灰色の丸いものが突き出しているのに気がついた。かがんで草をかき分けてみると、私は愕然として棒立ちになった。
枯れ枝を拾うと、灰色の物の周りをほじくった。土は枯れ葉が積もって出来たものでふかふかしている。周りをどかしていくと、頭蓋骨が現われた。ちょっと離れたところにも同じように丸いものがあった。それも掘ると、もう一つ頭蓋骨が出て来た。
私はそこをそのままにして、宿に戻るとそのことを伝えると、宿の主人が警察に電話をした。警官はすぐにやってきた。私は臼茸の生えている森に案内した。
警官は写真を撮り、頭蓋骨をビニール袋に入れると、
「古そうなものですね、からだの部分もあるかもしれません、事件性はなさそうですよ、調査官をよこします、宿のほうでお待ちください。」
私をパトカーで宿に送ってくれた。
私が部屋に戻ると夕食の用意がされていた。
そこへ主人が入ってきた。
「どうも気持ちの悪い思いをさせてしまい申し訳ありません」
主人の方から頭を下げた。
「いえ、それでどうなりました」
「今、警察の方で、周りを調べているようです、問題ないと思います、どうぞゆっくりお食事をお召し上がりください」
「なんだか、読んだ本にあった臼茸の話と場所が似ていたので驚きました」
宿の主人は頷いて笑った。
「今日はいつものように茸の料理が中心です、お飲み物は何でも好きなものを言いつけてください。サービスさせていただきます」
そう言って部屋を出て行った。
テーブルの上には様々な茸料理がのせられていた。
あくる朝、露天風呂から部屋に戻ると、女中さんが朝食の用意をしており、主人がいた。
「おはようございます」
「おはようございます、昨日の茸料理とても美味しくいただきました」
「それはよございました、先ほど警察から電話がありまして、体の骨もすべて見つかったということです、大昔の骨のようで、もしかすると、三百年も前のものかもしれないそうです、事件ではないそうで、お客様にはもうご迷惑はかからないと警察が言っております」
「とすると、江戸時代ですか」
主人は頷くと、「はい、どうぞ、お時間までゆっくりしていってください」
そう言ってもどっていった。
その日、夜遅くに家に戻った。
『茸の亡魂』を誰が書いたのか知りたくなった。よく考えるとはじめからそうすればよかったのだが、次に草片書房に行ったときに聞いてみることにしよう。
茸の牛肉(ぎゅうじし) - 茸書店物語2
神田に来るのは一月ぶりだ。文房堂によってから本屋にいこう。文房堂の一階にいろいろな国の雑貨や可愛らしい作品がたくさん置いてある。それをながめて二階の版画の材料売り場にいった。
若い頃、大学ノートに架空の生き物のスケッチをして、その気になったとき、それを木版画にしていた。ここの版画用のインクはとてもいい。さらに銅版画に手を出して、文房堂製プレス機を買った。今は部屋の隅で埃をかぶっている。また始めるにしても木版画からだろう。などと考えながら三階に登ってみると、喫茶室になっている。
昔は額縁が置いてあったのだが戸惑っていると、ウエイトレスさんが「額は六階になりました」と教えてくれた。額を見てもしょうがないので、下に降り、外に出た。
いつものように古本屋を覗いて、昼を食べにランチョンにはいった。その日はステーキランチにした。ここのステーキは薄切りだが、家庭的な味付けでおいしい。たまに食べたくなる。
ランチョンはビルの二階にある。窓側の二人席にすわると、道路が見渡せる。ランチが来るまで人の往来を眺めていると、裾まである黒いスカートをはいた、背の高い金髪の女性が歩いてくるのが眼にはいった。どこかで見たような人だと思っていると、その女性はランチョンに入った。
すぐに店に上がってきて、ウエイトレスに一人よと言っている。常連のようだ。私のところから少し離れた席に腰掛けた。もしかすると、と考えていると彼女がこっちを向いた。やはり、草片書店の店主だった。
草片書店にはランチョンで食べたらすぐ行くつもりだった。『茸の亡魂』の作者を聞くつもりであった。それに岐阜での出来事を話したかったからである。冊子に書かれていたことに関わるような古い男女の遺骨を森の中で見つけてしまったことを話したら驚くだろう。なんとも奇異なことだった。
ステーキランチが運ばれてきた。彼女が食事を終えて、店に戻るまで、ゆっくりと食事をするしかないだろう。やっぱりビールを頼もう。
食べながらちらっと、彼女の方を見ると、いつの間にか老人が同じ席についている。
後ろ姿からすると、私と同じくらいの年、七十くらいだろう。彼女と老人は親しそうに食べながら話をしている。老人もビールを飲んでいる。彼女はウエイトレスに一人よと言ったということは、偶然に一緒になったのだろうか。老人もランチョンの常連さんなのだろう。
老人の脇には、紫色の風呂敷に包んだものが置かれている。本のようだ。本屋さんの仲間なのか。
そうこうするうちに、ゆっくり食べたつもりなのだが、私の皿が空になってしまった。ビールももうない。彼女がここにいるということは、本屋は開いてないかもしれない。他の古本屋によってから草片書店に行こうと私はランチョンを出た。
その足でひのき書店に行った。ここはサイン本を多く集めているところである。昔泉鏡花賞受賞本を集めていて、そのサイン本を探しにここによく来た。本が所狭しとおいてあるが、見ていくとなかなか面白いものがみつかる。木下順二の戯曲『蛙昇天』のサイン本をここで買った。蛙の世界の話だ。寓話である。しばらく棚をながめた後、草片書店に行った。
大きな赤い紅天狗茸が画かれている木製の扉を開けて中に入ると、店主の女性は戻っていて、机に向かって書類に目を通している。
棚の一番奥の、地方で出版された茸の本のところに行くと、店主の女性がふっくらとした色の白い顔をあげた。大きな目で私を見ると「いらっしゃいませ、『茸の亡魂』はいかがでした」と声をかけてきた。
覚えていてくれたようである。話がしやすくなる。
「面白かったですよ、それで、作者の宿を探していったのですが、住所のところには違う宿があり、本の中で出てくるような骨を見つけてしまいました」
「おや、わざわざ行かれたのですね、それでそんな不思議なことがあったのですか、作者の方が見つからなかったというのはどうしてでしょう、有名な方ですよ、よく知られているのでこちらから執筆をお願いしたのですが」
「そことは違う宿に泊まりましたが、その宿の主人も茸の好きな方でした」
私は宿の名前を言った。
「あら、いやだ、その方ですよ、本にはペンネームを使われたのですよ、あの方あまりご自分を外に出さないから」
彼女は橙色の口紅を塗った大き目の口を大きくあけて笑った。そういう可能性を全く考えていなかった私は、考えが及ばなかったことを悔やんだ。ちょっと間抜けである。分かっていれば、もっと突っ込んだ話が出来たに違いない。
あーあと思ってふと店主のデスクの上を見ると、紫色の風呂敷に包まれたものが置いてある。ランチョンで老人が持っていたものだ。それに目がいっていることに気づいたのだろう、彼女は、
「今、『語草片』の二号を受け取ったところです」と、風呂敷を解いた。
「印刷所の人が、とりあえず二十冊、届けてくださったのです、お客様もランチョンにいらしたですね」
「あ、ええ、おわかりでしたか、神田に来ると必ず行きます」
彼女は笑顔でうなずいた。ランチョンで見られていたわけだ。あの老人は印刷会社の人だったわけだ。
風呂敷から出てきたのは前買った『茸の亡魂』と同じ形式の小冊子で、やはり綺麗な茸の絵が表紙に描かれている。今度は赤っぽい、猿の腰掛の形をした茸である。タイトルは『茸の牛肉』とある。変な題である。
「福島の茸農家の方にお願いして書いてもらったものです、ごらんください」
彼女が一冊私にわたした。裏を見るとやはり三百円だ。
「いや、これもいただきます」
私は財布から三百円出して、本を袋に入れてもらった。
「ありがとうございます、次は一月先になります」
「そうですか、面白い企画ですけど、ずいぶん安いですね」
「これは、私たちの楽しみです、儲けはないのですけど」
店主は楽しそうに微笑んだ。
「どうして茸の本屋さんをはじめたのですか」
「茸大好き人間ですから」
彼女は胸のペンダントを手にとって見せた。小さなルビーを沢山はめ込んだ、茸の形をした、きれいなものだ。
「見事なものですね」
「知り合いのジュエリー作家が、ダリの宝石で作った心臓をまねて作ってくれたんです、私は茸のよく生えるところで育ったもので、茸の本を集めるようになりました」
「そうでしたか、これからも神田に来たときはよらせていただきます」
「ぜひいらしてください」
彼女が嬉しそうに微笑んだ。
私は、ほけっと暖かくなって、草片書店を後にした。神田に来る楽しみが増えた気持ちでうきうきしていた。
家に戻って茸図鑑を本棚から取り出した。保育社の『原色日本菌類図鑑(正・続)』の二冊である。高校生のころ、保育社のカラーブックスを好んでいて、『カラー自然ガイド きのこ』をもっていた。特別茸に興味があったのではないのだが、綺麗なものはみんな好きだった。あるとき、自分とはあまり縁のない科学関係の古本屋にはいると、この図鑑が破格の値段で出ていた。それで買ってしまったのだ。頭のどこかに茸への興味が潜んでいたのであろう。
図鑑を開いた。この冊子の表紙の茸の名前を知りたかったのである。茸の知識がないので、種類や索引から調べることはできない。形から見て行くしかない。猿の腰掛のような形をしているので、そこから調べ始めた。ページをめくっていくと、あった。
カンゾウタケ科、カンゾウタケとある。肝臓のような色と形をしているからだろう。
肝臓茸をウィキペディアで調べると、フランスでは牛の舌、アメリカでは貧者のビーフステーキとある。どちらも牛だ。といっても、この茸は食べられるようだが、焼いてもビーフステーキの味がするわけではないようである。この小冊子のタイトルが『茸の牛肉』だから、肝臓茸をスケッチしたのだろう。それにしてもタイトルから内容が想像できない。
短いものだから夕食までに読み終わるだろう。ベッドに寝転がって読むことにした。
書いたのは、福島の郡山で茸を栽培している茸園の社長のようである。
『茸の牛肉』
昔から、このあたりには茸がよく生えた。山の中に入れば滑子や天然の椎茸、もちろん奥の方では舞茸なども採れることがあった。部落の民は田畑を作り、茸や山菜を採って生活をしていた。暮らすには良いところであったことから、後に統率者が現れ、村社会が形成されたころには、農家はかなり恵まれた生活ができるようになっていたという。
その証拠が牛耕である。その昔、牛で田を耕すなどという楽が出来た農家は少ない。しかしこの地では牛で田畑を耕していた。
牛は飛鳥の時代に中国より伝来されたとされるが、その当時から貴重な家畜であって、とても庶民がもつというようなことはなかった。牛は車を引くという役割を担い、牛車に乗ったお姫様や公家のイメージが一般的である。
牛が農家の手に渡るのはよほど後のことで、江戸時代になってからであろう。牛の乳を飲むなどということはもっと後になる。何しろ、牛豚馬は日本人にとって、食べてはならない動物であったからだ。しかも牛は人間の何十倍もの力で田畑を耕してくれる貴重な生きものである。肉を食べるなどということはとんでもないことだったに違いない。
この地は、自然に恵まれていただけではなく、稲がよくできたことから、米を他の地に分けることができた。そのようなことから農家は牛を手に入れることができたのである。驚くことに、その時代に一つの農家に一頭の牛がいることがあたりまえのようだった。牛が飼われることで、さらにこの地を富ませた。
どこの農家も子沢山で、六、七人の子どもがいた。多いところは十人もいる。おかみさんたちは赤い顔をして力持ち、旦那達も筋肉隆々で、力仕事は任せとけといった立派なからだをもっていた。農家というと、なんとなく貧相なイメージを持ってしまうが、ここではとんでもない、男どもはどちらかというと、荒々しい海の男といった感じだ。
子供たちは秋になると、山に遊びに行っていろいろなものを採ってくる。食べられる茸のこともよく知っていて、飯の時には子どもの採ってきた茸が美味しい惣菜としてだされた。
そういった生活が営まれているところだったが、ある年、この地からかなり離れたところの山が火を吹き、あまりにも大きな噴火だったので、影響をかなりこうむった。
火を吹いた山というのは磐梯山のことである。平安時代に大爆発を起こし、明治になってからも大噴火があったことはよく知られている。そのときはそれほど大きな爆発ではなかったのだが、飼っていた牛達が何かにつけ神経質になった。
平安時代に起こった爆発では、直接的な被害はなかったのに、このあたりに異様なことが起きたことは古くからの書物に記載されている。そのころ、家に牛や馬がいたわけではないが、林や森にいる動物達、猪、鹿、兎、鼠まで動きが活発になり、木々や草木も立派に生い茂ったことから、森が大きな怪物のように見え、子供たちが怖がったとある。それに森や林の中では、とてつもなく大きく育った茸が、一面に覆いつくしたとある。何がそうさせたのかちょっと想像がつかないが、空気の温度や湿度の変化、それに、土の中の何らかの成分の変化によるものだったのかもしれない。
江戸時代にも記録には残っていないが、磐梯山の小噴火があったという。そのときは山火事が起きたりしたが、遠く離れたところまでは影響が及ばなかったようである。
磐梯山の小噴火があった数日後、郡山のその村の一軒の家が火事になった。その煙はあたりを覆い、山の森の中にまで漂っていった。家が一軒焼けたが、幸いなことにその家の者たちは誰一人怪我もせず助かった。ただ牛小屋が焼け、牛が一頭焼け死んでしまった。
その日のお昼過ぎ、火事のあったところから、少し離れた農家の子供が、裏山から、籠いっぱいの茸を入れて帰ってきた。
その子どもが牛小屋の前を通ったとき、中の牛がいきなり立ち上がり、後ろ向きになって隅に行ってしまった。子どもは立ち止まり、「どうしたん」と、牛小屋に近づくと、後ろを向いた牛がもっと縮こまっていて動こうとしない。
「父ちゃん、牛が変だよ」
家に駆け込んだ子供が声をかけると、父親がでてきて、「どうした」、とあわてて牛小屋に行った。子供も籠を土間に置くと後を追った。
牛小屋で父親と子供が見たのは、後ろを向いて、ぶるぶる震えている牛の姿だった。
「ほれ、五郎、どうした」
父親が牛の名前を呼んで声をかけると、しばらくして牛はやっと後ろを振り向いて、のそっと歩み寄ってきた。顔を父親の手にこすり付けると、べろっと舌を出して父親の顔を舐めた。
「なにがあったんじゃ」
父親は五郎と呼ばれた牛の鼻筋をなぜ、肩の辺りをたたいた。五郎はそばにいた子供の顔もべろりと舐めた。いつも牛に優しくしている末っ子の末松だ。
牛は落ち着いたようである。二人は家に戻った。
「どうしたんだべ」
「山菜採りから帰ってきたら、おらを見てあんなになった」
「ふーん、なんだべ、わからんな」
土間に入った父親の平蔵は籠の中の茸を見た。
「春なのにずい分たんと茸が採れたな」
「うん、山菜はあまり採れんかったが、あかんべろばっか採れた」
あかんべろは赤っぽい舌の形をした、木につく茸である。そうたくさんあるわけではなく、たまに見かける程度である。このあたりではこの茸を炒めて食べる。生だと酸っぱいが塩で炒めると飯とあう。
「こんの茸あまり生えんじゃったのに、山が火吹いたからかも知れんな」
二人が家に上がると、母ちゃんが帰って来た。隣の家から竹の子をもらってきた。
「今日は竹の子ご飯にしてやるぞ」
父ちゃんも子供たちも、竹の子ご飯が大好物だ。
と、外で大きな声がした。
「五郎がおかしいぞ」
残りの四人の兄弟たちが帰って来たようだ。四人も山菜取りに山に行ったのだが、末松よりもっと山の奥まで入っていった。四人は家に入ってくると、それぞれ背負っていた籠を土間に下ろした。
「五郎のやつ、さっきもおかしかったんじゃ」
父親は、子供たちと牛小屋に行った。五郎がまた後ろを向いて震えている。
「どうした、大丈夫だぞ」
父親が言うと、さっきと同じように、のそりと近寄ってきて、顔をこすり付けた。しばらくすると、落ち着いたようで、みんな家に入った。
父親が土間の籠をみた。
「なんだ、みんな、あかんべろばっかり採ったのか」
「うん、山菜はあまりなかったんだが、この茸ばっか生えていた」
「おかしなこともあるな、この茸は古い大きな木にたまにしか、生えんじゃろ」
「うん、だけんど、どの木にも、この茸がついていた。他の茸はぜんぜんなかった」
他の茸というのは、やはり木に生える猿の腰掛のことである。腰掛けの仲間は春でもいたるところに出ているものである。
「今日は竹の子ご飯じゃから、この茸は食わんよ、明日にしよう、それにしても、こんなに食えんな、皆に配るか」
父親はそう言って家に上がった。子供たちも入ってきた。
その日は、腹いっぱい竹の子ご飯を食べたものだから、みな気持ちよく床に入った。
あくる朝、末松が一番早くに目を覚ました。まだ薄暗い時である。しょんべんがしたくなったのだ。末松は寝小便をしたことのないしっかりした子どもだった。だからしたくなるとすぐ目が覚める。土間に下り、戸をカタカタと揺すって外に出ると、家の脇で外に向かってしょんべんをした。
わると、いつものように、ちょっと牛小屋で五郎をみようと行っておどろいた。
五郎がいない。いつもなら大きな顔をよせて喜んで擦り付いてくるのだが、薄くらい牛小屋の中に牛はいなかった。
大変だと思って末松は家に上がった。
両親もそろそろ起きる時刻である。父ちゃんも母ちゃんもちょうど床から出てくるところだった。
「五郎がいない」
末松がいうと、父ちゃんがあわてて外に出た。あたりが少し明るくなってきている。末松も後をついて走った。
牛小屋を覗いた父親が「うわー」っと大きな声を上げた。
「なんなん」末松も中を覗いた。
牛小屋の中に白い大きなものが倒れている。末松はれが何だか分からなかった。
母ちゃんが外に出て来た。牛小屋のところに来ると「きゃあ」と叫んだ。
「父ちゃん、なんでだ、五郎が骨になっちまっている」
母ちゃんがそう言ったので、末松はそこにあるものが、白骨になった牛の五郎であることがわかった。
「恐ろしいことだ、狼か、それとも鬼の仕業だ」
父親は隣の家に駆け込んだ。戸をたたいて、隣の主人、佐助を起こすと、隣の家の牛小屋を見た。やっぱりそこには牛の骨が横たわっていた。
起きてきた佐助とかみさんもそれを見て驚いたどころではない。
「どうなってんだ、平蔵さん」
「わかんねえ、うちの五郎も死んじまっていた」
「おら、富安の爺さんのところに知らせてくる」
「ああ、たのまあ」
若い佐助は駆け出した。歩くと半時ほどのところの、村の長の家に行ったのだ。富安爺さんは還暦になる村を治めている物知りの爺さんだ。
平蔵は自分の家に戻ると、かみさんと末松を伴って家に入った。その時、土間を見た平蔵がおかしなことに気づいた。
「お前達が採ってきた茸がどこかにいっちまった」
子供たちが山から採ってきた沢山のあかんべろが籠から消えている。
父親は牛をあんなにしちまったやつらが、茸を盗んだと思った。あかんべろが好きな獣が五郎を襲ったに違いない。
その出来事はすぐに村中に知れ渡った。大事な牛を守ろうと、どの家でも牛小屋の周りに柵を作った。
そうしたにもかかわらず、二日後、平蔵の家からちょと離れたところの一軒の家の牛が骨になった。頑丈な囲いを牛小屋の周りに作っていたにもかかわらずだめだった。
鬼か邪の仕業だ。
村の長の富安爺さんは隣の町の神社に祈祷を頼むことにした。
牛の事件が起こる数日前のことである。森の中には春の茸がそこそこ生えて、こんな話をしていた。
「磐梯山の噴火は大したことがなかったということだな」
「ああ、磐梯山の麓の林に生えている茸のやつがそう言っていたということだ、磐梯山の方から逃げてきた鶯がいろいろ話をしてくれたよ」
「しかし、一つの林が燃えたそうじゃないか」
「そうらしいな、そのあたりの人間の家も、牛小屋も燃えちまったそうだ」
「それがな、火がついた牛が、逃げてきて、森に逃げ込んだのはいいが、そこで、燃えてとうとう死んじまったそうだ」
「ほー、そりゃかわいそうに」
「ところがな、その燃えた牛の匂いがいいこと、たまらなく、腹が減ってきたそうだよ」
「我々茸が腹を減らすということがあるのか」
「ないはずだけどな、そりゃ動物たちはものを喰って生きている、だから、腹がすかなきゃならないのだが、我々は腹がすく必要はない」
「だけど、そこの茸がいうにはな、今までになかった気持ちだそうだ、腹が減るというのは悪い気がしないそうだぞ、何とかそれを満たしたくなる、あらたな本能がそなわったということだな」
「だけど、満たされないと、つらいということになるな」
「そうだ、その欲求が大変なことを引き起こしたらしいぞ」
「どんなことが起こったんだ」
「そこの茸が歩いて、燃えた牛の上に集まったのだそうだ」
「茸が歩いたのか」
「本能の欲求とはすごいものらしい」
「それは分かるが動物の世界だと思っていた、人間なら、性の欲求から、人間の本質である抑制が消えて、男は女の後を追うという」
「そうだ、よく知っているな」
「人の世界を飛び回っているカラスが言っていたよ」
「そうだよ、もし、我々茸に人間の本能、欲求がそなわったら、動くようになるし、何かを喰おうとする」
「それで、焼けた牛の上に集まった茸はどうしたんだ」
「牛を食った、焼けた牛の肉は言葉にはならないほど旨いものだそうだ、骨までしゃぶって、その牛は白骨になったそうだ」
「ほー、焼けた牛はそんなに旨いのか」
「それからどうなったんだ、その茸は」
「いろいろな茸だったのが、皆同じような形になって、牛の焼けた肉のように真っ赤になると、木にぶら下がるようになったそうだ」
そこへ鶯がやってきた。
「牛を食った茸たちが、疎開して、この森の方に向かっているそうだよ」
「なんだい」
「なんでも、また、磐梯山が火を吹きそうで、森ごと燃えちまうといけないから、猪苗代湖の周りを通って、郡山の方に向かっているそうだ。このあたりなら大丈夫だからな、俺もあそこじゃ怖いからここまで逃げてきたのさ」
鶯は糞を一つ落すと飛んでいった。
「どんなやつらだろうな」
茸たちがそんな話をしていた数日後、赤い茸が群れて森の中に入ってきた。
その茸たちは、木の幹に取り付いて、草の中を見下ろした。
下草の間に生えている、もともといる茸が見上げてその茸に尋ねた。
「燃えた牛の肉はどのような味がした」
「ああ、何というか、昔なら、土の中から栄養たっぷりの濃い水分を吸い込んだような感じというのかね」
「我々も牛の肉を食えるかね」
「そりゃ、喰えるさ、喰いたいという欲求が強まればな」
「どうしたら、欲求が生まれるものかね」
「時を待つしかないだろう」
その時である。疎開してきた茸たちが一斉に傘を動かした。
「牛の焼ける匂いじゃないか」
地上に生えている茸たちも傘を動かした。確かに、何かが焼ける匂いがしてくる。いい匂いである。それは一軒の農家が火事を起し、牛小屋に火がまわって、牛が焼け死んだ匂だった。
こうして、この地の茸も腹が減るという現象を味わうことになったのである。煙が森の中にただよってくると、だんだん喰ってみたいという思いが強くなった。茸たちはぴょいと動いてみた、動ける、すると、木の上に登ってみたくなり、疎開してきた茸たちと同じように木の幹に取り付いたのである。
そこに農家の子供たちが籠を背負って登ってきた。
「末松、おらたちはもっと上に行くから、お前はこのあたりで山菜探して帰れや、ここなら危なくない」
「うん」
という声が聞こえると、男の子が木に付いている茸を採り始めた。
「あかんべろばっか生えてる」
そういいながら、籠一杯茸を採った。
その夜、土間に置かれた籠の中に詰め込まれていたあかんべろは抜け出すと、牛小屋に行った。そこで、五郎に災難が降りかかったというわけである。茸たちは生の牛肉でも良かったようである。
あかんべろたちは五郎を骨だけにすると、隣の家の牛の骨もしゃぶって、裏山に帰っていった。
「生もなかなか旨いな」
食欲がとまらなくなった茸たちは、少し離れたところの農家の牛小屋も襲ってしまった。
さて、村の長の富安爺さんが隣町の神社で鬼退治の祈祷をしてもらっているとき、一人の少年が平蔵の家の裏の森に火を放った。火はあっというまに燃え広がったが、上にあがる風にあおられ、見る見るうちに木々が燃え上がり、煙が立ち昇った。平蔵やふもとの家の者総出で、火消しにあたったが、山は丸裸になってしまった。幸い風の具合で、平蔵の家や麓の家には火が移らなかった。
生活はすぐにもとにもどった。
なぜかそのこと以来、そのあたりの農家の牛が骨になるようなことはなかった。最後に牛が襲われたのは、佐助の家の隣の農家の牛が最後だった。
富安爺さんは祈祷のお陰とみなに自慢をしたが、山に火をつけた少年は理由を知っていた。その少年は、平蔵の家の牛が食われたあと、しばらくして牛が襲われた農家の長男だった。
この長男は平蔵の隣の佐助、やはり牛が食われた家だが、その長女とねんごろになっていた。夜中に二人で、自分の家の牛小屋の脇の藁置き場でまぐわっていた。夢中になって何度も楽しみ、彼女が家に帰った後、少年はその場で寝込んでしまった。夜も更けてから、ふとぺちゃぺちゃという音でその少年は目が覚めた。
すると、牛小屋で牛が倒れている。しかも、もう骨だけになっている。その骨に、無数の赤っぽい茸が取り付いてぺちゃぺちゃ舐めている。あかんべろだ。茸が何でこんなことをするのだ、気丈なこの少年は、茸たちを追い払った。茸はあわてて猛烈な勢いで走り始めた。少年も追いかけた。
そして、少年が見たのは、あかんべろたちが、自分の家の裏山を駆け上がっていくところであった。少年は後を追って森に入った。月夜ではあったが、真っ暗でほとんど何も見えなかった。ただ、一番後ろを走っていたあかんべろの姿がほんのりと赤く見えたので追いかけると、脇の木の上に登り、すまして取り付いてしまった。もう少し先まで行ってみると、すべての木にあかんべろがくっついていた。
少年は悟ったのである。あかんべろは牛を食っちまう。
それで、誰にも相談せずに、自分の家の裏山、すなわち平蔵の家の裏山に火を放ったのである。
こういう話であった。
この話に筆者の経験談を加えておこう。
原発事故で放射能が漏れ、郡山のあたりの茸も採取できなくなった。それはずい分長い間続き、今でも放射能量の検査はなされている。この場所は放射能の風の通り道のようなところで、原発事故現場から離れてはいるが、無視することのできない量が降りそそいだところだ。今では普通に生活は出来るが、茸の生産は気を使わなければならない。
私は避難する必要はなかったが、茸栽培はもう出来ないと、とりあえず、影響をほとんど受けていない長野の茸栽培の会社に雇われて、そちらに移住した。安全になり、自分の茸園が再開できるようになったら戻ろうと思ったのである。それで五年経った2016年に戻って茸栽培を再開した。
戻ってきたとき、住んでいるうちの近くの山に行ってみた。以前はよい散歩道であり、自然の茸を採取するところでもあった。ここは余り人が入らないところのためなのか、放射能チェックはなされていなかった。歩いてみて驚いた。カンゾウタケ、すなわちあかんべろが木々に鈴なりになっている。まさかと思いながら、山の奥にまで歩いてみた。恐るべきものを見た。猪が数頭、白骨死体になっていた。何かの原因で死んで白骨化したのか、それとも他に原因があるのか。ついつい、木に鈴なりになっている肝臓茸に目をやってしまったのである。
どこかで、牛が犠牲になっているのではないか、もし、ここのあかんべろが牛を襲っているところを目撃したら、必ずこの山に火を放そう、話の中の少年のように、そう決心したところである。これも、大地震と原発事故の後遺症である。
読み終わると、私はなぜか今頃になって、ランチョンで食べたステーキの匂いが胃から口の中に漂ってきた。
「今日食べたのはあかんべろだよ」
誰かの声が聞こえた。目の前の皿の上に、焼きたての肝臓茸がのっている。
まさか、首を横に振るとあかんべろは消えていった。そのあと、そのまま寝てしまった。次の日目を覚ますと、頭の中で福島の郡山に行ってみたほうがいいと自分の声が聞こえた。
そう思いつくと、三日後に行く手はずを整えた。著者の茸園にいくつもりだった。
その茸園をインターネットで調べると、電話番号が記されていたので、尋ねたい旨を伝えた。いつでもどうぞということだった。
行ってみると、山間のかなり広い敷地を持つ茸園であった。その茸園は茸だけではなく、他の野菜も作っていた。
叢書『語草片』を書いた、もうすぐ六十になろうという茸園主の武田さんは、端正な顔をした背の高い人であった。小さな声で、
「いや、お恥ずかしい、読んでいただけたのですか、文章というものを始めて書いたものですから、分かっていただけるかどうか自信がありませんでした」
俯きかげんに言った。
「いや、面白かったですよ、こんな伝承が残っているとは面白いですね、しかも、原発事故のご経験もすごい」
そういうと、農園主は私を見て笑窪を寄せた。正直そうな人だ。
「いや、すみません、あかんべろの言い伝えは聞いたことがあったので、そのように書きましたが、私の経験は、確かに猪が一頭死んでいたことは事実です、しかし白骨になっていたわけでありませんし、何で死んだか分かりません。あかんべろがあったことも事実ですが、まさか、伝承のようなことが起こるわけがないでしょう、ほとんど想像です、作り話です」
「その森は遠いのですか」
「すぐそこですよ、行ってみますか」
そう言われて、私は「是非」と案内してもらった。
そこは茸園のすぐ隣であった。森の中は明るい光が差しこみ、よく外国の森の写真にあるような気持ちのよい場所である。
広葉樹林の森で、歩きやすい綺麗な道が続いている。
十分も歩いただろうか。道の脇の下草の中に、白骨化した猪の死体があった。
「そのままにしてあるのですよ、余りいじりたくありませんから、この中の放射線量を調べたのですが、人には影響のない値でしたけどね」
そう言って、武田さんは白骨死体の脇の、大きなブナの木の幹を指差した。そこにはずい分大きな肝臓茸がくっついていた。
「大きな、あかんべろでしょう、あれを書いたときより、大きくなっていますよ」
そう言って、彼は目を木の裏側にやったとき、なぜか顔を青くした。
「あれは」
と言いながら、下草をかきわけて、ブナの木の裏を覗いた。
私も付いていって驚いた。大きな猪の白骨死体が二体、少し黄色かかってきた羊歯や菊の類が覆いかぶさってころがっていた。
「あれを書いた時には、ありませんでした」
武田さんはあかんべろを見た。ぶなの木の裏側にも二つ付いていた。
「戻りましょう」
彼は私に帰るように促した。
茸園に帰ると、
「奇妙なことですが、何か理由があると思います。保健所と相談します」
武田さんはちょっと緊張していた。
園にもどると、表情も落ち着き、茸園そのものを見せてくれた。
よく整えられている茸園である。
帰り際、「またきてください」と茸園の採り立ての椎茸を持たせてくれた。勝手に押しかけて、土産をいただいてしまっては悪いと断ったのだが、彼は読んでいただいたお礼だと言った。こうして私は豊かに育った椎茸をもらって家に帰りついたのである。
まさか武田さんがあの森に火をつけたりしないだろう。ちょっと、そんなことも考えなかったわけではない。
しかし、あくる日、武田さんにお礼の電話をいれると、「解決しました」と、明るい返事があった。なぜかほっとした。どうしたのですかと聞くと、
「あそこは、年老いた猪の死に場所のようです」
と答えた。
本当だろうか。また頭の中で疑問がもたげてきたが、打ち払うことにした。彼は小説家の素質を持つ人なのだろう。
茸の清酒(きよき) - 茸書店物語3
神田ランチョンでミートスパゲッティを食べた。年寄りにはかなり量が多い。それに、味はよいのだが、この店にしては自分には甘味が強い。それでもビールを一杯飲んでしまった。
その後、草片書店に寄った。今日は御茶ノ水の順天堂医院で薬をもらって、その後、直接ランチョンに寄ったのだ。月に一度、血圧、痛風、中性脂肪過多、喘息、アレルギーの薬をもらう。
草片書店にはいつもの金髪の女性はいなかったが、もう少し小柄な、やはり黒い装束に身を固めた女性がデスクに座っている。私が入ると顔を上げて「いらっしゃいませ」と声をかけた。髪は黒くおかっぱ風にしているが、丸顔で大きな目をしていて、店主とよく似ている。姉か従妹か。
私はいつものように、デスク近くの地方の出版物が置いてあるところにいった。
前回来たとき、一月後に『語草片』が出るということだった。三週間ほどしか経っていないから、まだ出ていないだろうと思って眺めるとあった。
『第三集、茸の清酒、語草片叢書』と書いてある。
冊子の表紙は重々しい黒い茸が描いてある。
それを持っていって差し出すと、「ありがとうございます」と店番の女性が手を差し伸べた。
「三百円です」
「まだ出ていないと思ったらありました、出版が早まったのですね」
そう言ってお金を渡した。
「いえ、いつも通りだと思いますが」
「いつもいらっしゃる店主の方が、前回来たとき一月後とおっしゃっていたもので」
「すみません、あの子、いいかげんですから、この冊子は月に一冊、八日にでる予定です,前回は出るのが遅れていたかもしれません」
そういえば、今日は8日である。
「あの方が店主ではないのですか」
「ええ、私です、あの子は私の妹です、妹の方が大人びて見えるものだから、誰もがそう思ってらっしゃるようです」
彼女は笑いながら、包んだ冊子を渡してくれた。
話をすると、確かにこの人のほうが落ち着いている。あきらかに年上だ。なかなか魅力のある姉妹である。
「いつも買っていただいて、ありがとうございます、これからもよろしくお願いします」
彼女は店の名刺も渡してくれた。草片笑子とある。
「井原菜鶴です」
私も名乗った。
「くさびらしょうこです、妹はりゅうこといいます、ただ、泣子と書きます。親が出生届の時に漢字を間違えたものだから、いやがってます」
また彼女は笑った。確かに、泣子じゃ本人はつらいだろう、いじめられたに違いない。そう思ってそんなことを聞くと、笑子さんは笑いながら首を横に振った。
「あの子は逆で、皆をいじめていました、何せ、泣きまねもうまいし、口が達者だから」
それを聞いて笑ってしまった。
「間違えて付けたとはどういうことでしょう」
「生まれたとき、小さくて、ころっとしていたので、粒子にしたのですけど、戸籍届けに泣の字を書いてしまったようです、父親はおっちょこちょいですね、妹も父親に似ています」
粒子にしたって、つぶつぶと言われそうだ。
「茸がお好きなのですか」
「ええ、まあ、好きですけど、この店に入るまで、特に強い興味を持っていたわけではありません」
「ものを書く方にみえますが、お名前も西鶴と、戯作者風ですが」
笑子さんの言うとおり、私は旅行作家でもあり、旅行雑誌の編集長をやっていた人間である。もう引退したが、時々文を頼まれることがある。
「ええ、旅行に関する雑誌をやっていました、名前はおやじの趣味が日本画で、なぜか菜の花と鶴が好きなのでそんな名前をつけられちまいました」
彼女は笑窪を寄せて笑った。
「それでは旅行にはよく行かれるのでしょうね」
「もう引退して、あまり行きませんけど」
「日本には茸のよく採れるところがありますけど、いろいろ行かれたのでしょうね」
「茸を意識して旅をしたことはないのですけど、茸料理はいろいろなところで食べました、それに、地酒を楽しみましたので、今度のこの本は面白そうです」
「書いたのは兵庫の方で、京都にも近いし松茸の採れるところです」
「そうですね、帰って読むのが楽しみです」
そんな会話をして、反対の棚の前を通って出口に向かう時、茸図鑑類や専門書のコーナーに、『キノコやカビの研究』という箱入、四六版の古めかしい本が眼に留まった。棚から下ろしてみると、少国民理科の研究叢書とある。素朴な茸の絵が描かれている。少年少女用である。
箱からだしてみると、本の表紙にも綺麗な茸の絵がある。奥付を見ると、昭和十七年の本で印東弘玄いう大学の先生が書いている。戦前の本で紙はざらざら、それがなんともいえないいい手触りだ。二千円の値札が貼ってある。
笑子さんが机から立ち上がってそばに来た。
「その本珍しいですよ、当時一円五十銭もしています、今に換算すると五,六千円です。カラー印刷があるからでしょう、お金持ちの子供しか見ることができませんね」
確かにそう。と思いながら、「これください」笑子さんにその本を渡していた。
彼女はなかなか商売上手である。だが私の好みの本であることは間違いない。
家に戻った。『語草片叢書』の表紙にある黒い茸も名前を知らない。図鑑を引っ張ってきて調べると、黒皮とある。ネットで調べたら、岐阜の中津川の保健所がだしている『きのこウオーキング』という、キノコ採りの人のためにだした小冊子の抜粋がのっていた。奥付を見てあっと思った。あの『茸の亡魂』を書いた宿の主人が関わっている。この小冊子には毒キノコの見分け方だけではなく、食べられる茸の写真があり、それぞれのレシピが書いてある。
黒皮は苦味がちょっぴり利いて、日本酒にあう、日本の男の味だとあった。面白い表現である。黒皮は栽培されていないので、東京ではなかなか手に入らない。そのためだろう、全く知らなかった。
『茸の清酒』の作者を見ると、兵庫の谷川の人のようだ。丹波市の谷川は福知山線の谷川駅のあるところで、丹波竜の骨がでる。一度行ったことがあるが、大阪からかなりかかる。
そのまま読むことにした。
『茸の清酒』
酒は最初誰が創り出したのか、ちょっと考えれば想像がつく。果物や穀物が発酵すれば酒になる。自然界には発酵させる酵母菌は五万と存在する。果実や穀物が放って置かれると、温度や光の状態によって自然にアルコール分を生じさせる。ということは、自然にできて溜まっていた酒を動物や人間が見つけたというのが本当だろう。すなわち、酒を創り出したのは自然である。
そもそも、葡萄酒などは葡萄に付いている菌を利用し、ただ踏み潰して作る。ずい分昔の話になるが、子供のころにビューティフルピープルという、野生動物の映画があった。木になったまま実が自然発酵して、それを食べた象やヒヒが酔っ払ってふらふらする場面が記憶に残っている。
猿が最初に酒を作ったのだと主張するものもある。猿が木の実を木の穴に集め、それが発酵して酒になったものを猿酒という。
日本の米で作った酒の起源ははっきりしていないが、かなり古いらしい。しかし、米作が行なわれるようになってからとすると、米が大陸から持ちこまれた弥生時代以降と考えるのが妥当なのだろう。ただ、米や穀物は果汁があるわけではないので、果物と違って、でんぷん質を糖分にしないと発酵はしにくい。
辞書には、噛み酒というものがあったことが書かれている。口の中に焚いた米を入れ噛んで吐き出し、それが発酵することで酒になるという、動物の口の中の消化酵素により糖分を分解し、自然の菌により発酵させるというものである。巫女さんに噛み酒をさせることで、祭祀の一つにもしていたようである。
この地方には、酒にまつわる変わった話が伝わっている。茸が酒を飲みたい、または、茸が酒になりたいというものである。
このあたりには、赤松の林がいたるところで見られる。赤松といえば松茸である。もともと丹波のあたりは松茸の産地としても名高い。これから書くことは、神代の時代から伝わる話であり、御伽噺のようなものでもある。子供のころ祖父から聞いたものである。祖父は大酒飲みであった。
赤松の林の落ち葉の中で、松茸同士が話をしていた。
「今年はちょっとばかり、湿り気が足りないような」
「そうじゃ、あまりからだが大きくならんようだ」
「だが、香りは良くなりそうな」
「ああ、よい匂いになりおったわい」
「これで、一雨くれば、かなり大きくなれるの」
そんな話をしていると、ポツリと雨が落ちてきた。
「おお、雨か、それはよい、久しいことじゃな」
そこへ白い猿たちが山から山葡萄をどっさり採ってきた。
白猿たちはてんでに、赤松の根がごつごつと地上に這い出し、絡み合っていい具合に凹みを作っているところに山葡萄を詰め始めた。子猿たちも、われもわれもと、山葡萄を根の凹みに入れた。
松茸たちが落ち葉から少しばかり顔を出して白猿たちを見ている。
「猿のやつら、今度は葡萄を採ってきおったの」
少し前のことになるが、白猿たちは猿梨の実を採ってきて、同じように松の木の根が作った凹みに詰め込んだのだ。
「猿梨のときは、噛んで吐き出していましたな」
「ああ、そうでしたな、今度は葡萄を潰しているだけじゃの」
白猿たちは凹みに入れた山葡萄を指で潰していた。指が赤紫になっている。
「またあの匂いが漂うのですな」
「ああ、かなりよい匂いのものだが、猿梨の実がどうなったんだえ」
「あれは猿の水と言っての、薬のたぐいと聞くが、一度飲んで癖になると止められぬものだというがのう、それはそれは旨い飲み物だという」
猿梨のときは実を凹みに吐き出してから、いく日か経ったころに、白猿たちが松茸の森におりてきた。赤松の根の凹みからいい香りがただよって、赤松林が甘ったるい匂に包まれてしまった。その香りは風に乗り、奥山に住む猿たちが嗅ぎとったにちがいない。赤松林にきた白猿たちは松の根元に群がると、かわるがわる口を突き出し中のものを吸った。白猿の顔がさらに赤くなる。子猿達の顔も赤くなる。
一匹の白猿が二本足で立ち上がると、両手を掲げて松林の中で踊り始めた。やがて、周りの猿も踊りだし、一晩中騒いで朝になると山奥に帰っていった。
「全く騒々しかったの」
松茸はにぎやかなのが得意ではなさそうだ。
「だが、楽しそうではありますな」
「あの猿梨の実が変わった飲み物てえのは、美味いだけではなさそうだの、見も心も軽くなっていたようじゃ」
「だがな、わしたち松茸の香りにはかなわぬわな」
「そうじゃわしらは茸の王だからな」
そんな会話を、松茸からちょっと離れた落ち葉の中で聞いている茸たちがいた。
真っ黒な茸である。
「松茸のやつら、自分達が茸の王だと言っておる」
「まあ、言わせておけ、あの匂いは、人間しか好まぬ」
「そうだ、あれは、商人の茸だ、我々黒い茸は武士だ、ぐっと抑えて時を待つ」
「何のときだ」
「わしらの旨さが分かる時だ」
そう言っているところに、人間が赤松林に入ってきて、松茸を根こそぎ引っこ抜いていった。黒い茸には眼もくれない。
「ほら、松茸は人間の好みなんだ」
人間がいなくなると、黒い茸の一つが歩き出した。
「おぬし、動けるようになったのか」
「おお、白猿の残していった猿梨で作った水を飲みたいと思ったら、ほれ動くようになった、おぬしらも思ってみろ」
他の黒い茸も「猿の水を飲みたい」と念じた。するとみなぴょこりと飛び上がった。
黒い茸たちは落ち葉から顔を出すと、ぴょこぴょこと、赤松の根のところに飛んでいった。
「おお、いい匂いだ」と残っていた猿梨が変った飲み物に頭を浸した。
「沁みるな、ふむ、いい気持ちになる」
黒い茸は傘を上げると、ぶるりと身震いをして、枯葉の上で舞いだした。
一つが歌い始める「水は飲め飲め飲むならば、日の本一のこの水を」。
この歌は今の福岡、越前黒田の歌で、黒田節という。黒田の武士が好み、酒の席で歌った歌で、メロディーは雅楽の越天楽だと、岩波の『広辞苑』にはある。しかし、どうやら、この黒い茸が最初に歌ったものらしい。ただ、酒ではなくてまだ水であった。
歌い終わると、黒い茸たちは枯葉のなかにもぐりこんだ。
猿梨のときはそんなことがあった。
今度は山葡萄である。人間が採り残した松茸と新たに生えた松茸が、山葡萄が猿の水になり、匂いが漂ってくるのを待っていた。
もちろん、枯葉に隠れて黒い茸も楽しみにしていた。
「山葡萄が猿の水になるのは、いつごろだろう」
「あと数日だ、猿たちは心得ておるから、匂いがただよえば、すぐさま山奥から降りてくる」
「なぜ山奥の自分の住処で酒を作らないのだ」
「猿の水は寒すぎるとなかなか出来ぬ、暖かさがいるのだ、猿達の棲んでいる山奥は涼しいからうまくできぬのだろう」
などと話しながら黒い茸は猿の水が香ってくるのを待った。
それから数日たったとき、黒い茸は山葡萄が匂いを放ち始めたのを嗅ぎ取った。
「猿梨とは違った匂いだな」
「ああ、山葡萄の匂いのほうが強いな」
「確かに、なんだか旨そうだ」
黒い茸たちは猿梨の酒のときのように、動き出したくなってきた。
さらに二日ほど経ってからである、山奥から白猿達がひょこひょこと飛び跳ねながら、楽しそうにやってきた。美味しい山葡萄の水が飲めると期待してきたのだろう。
松の木の根元に来ると、白猿たちは山葡萄をつめた凹みに指を突っ込んだ。それを舐めて、満足そうに頷いている。
白猿たちは口を伸ばして山葡萄の水を飲み始めた。交代でしばらく飲んでいると、猿たちはふらふらとなり、顔が赤くなった。またしても踊りだし、どんちゃん騒ぎである。とうとう一睡もしないで騒ぎまくり、朝日が山間から顔をだすころ、やっと山奥にもどっていった。どいつもこいつもよろよろ、枝に飛び損ねて落っこちたりしている。
それを見ていた黒い茸はぴょこりと、枯葉の下から飛び出した。残った山葡萄の水に頭を浸した。黒い傘が鮮明な黒になる。
「ほほう、酸っぱくて渋いが、旨いものだな」
「確かに、猿梨より渋い」
「渋いのは我々と同じだ」
黒い茸は山葡萄の猿の水を堪能して、また枯葉にもぐりこんだ。
「我々茸はあのような水にはならんのかな」
「うむ、実の物と違い、すっぱみや水が足りんのじゃないか」
「それに甘味も少ないかもしれん」
赤松の根元でそれを見ていた松茸たちが話している。
「黒い茸が酒を飲んでおる、わしらは動けんのにどうしてやつらは動けるのだ」
「何、一つぐらい特技がないとな、やつらは我々のように旨い茸じゃないからな」
そんな時、白猿の子供たちが手ぶらで赤松の林にやってきた。遊びにきたようだ。どの生きものも子供は親の真似をするものだ。
白猿の子供たちは顔を出したばかりの松茸を引っこ抜くと、親が猿梨のときにやっていたように、噛み砕いて、赤松の根っこの凹みに入れた。
「子猿たちが、松茸で猿の水を作ろうとしておりますぞ」
黒い茸は茸の猿の水はどうなるか興味しんしんである。
子猿たちは松茸をみんな採ってしまうと、噛み砕いて凹みに入れ、ひとしきり、松の木に登って遊んでいたが、やがて山奥に帰っていった。
そうして数日がたった。
凹みの中の噛み砕かれた松茸から、松茸の強い匂いがしてきた。
「人間ならいい匂いというのでしょうな」
「ああ、だけど、我々には松茸の匂い、としか表現の仕様がないですな、旨そうでも、なんでもない」
「ただの茸の体臭だ」
「上手いことを言うじゃないか」
赤松の根っこの凹みから、白い毛の様なものが生えてきた。
「なんですかなあれは」
「ありゃ、黴じゃないか、我々のお仲間だ」
「松茸は猿の水にはなれなかったのだな」
「黴がでたのなら、だめだな」
そこへ、子猿たちがやってきた。黴が生えているのを見ると、しょんべんを引っ掛けて、山に帰って行ってしまった。
「松茸のやつら、ざまをみろ」
黒い茸たちは、松茸の悪口を言うと、落ち葉の中でうとうと始めた。
人間がやってきて松茸を探した。松茸は子猿がみんな採ってしまったので生えていなかった。そのためだろう黒い茸も引っこ抜かれた。
「こんな真っ黒な茸、喰えねえべ」
「そうかもな、松茸を採りにくると、いつもこいつらがいるんだ」
「食えるかどうかわからんけど、まあ、採っちまったから、持ってかえるべ」
こうして、黒い茸は松茸と一緒に一軒の農家に持っていかれた。
その晩、松茸は人間に食われたが、黒い茸は籠の中に放って置かれた。
「おれたちゃ、喰ってもらえねえようだ、逃げ出そうじゃないか」
夜中に黒い茸たちはごそごそと籠から這い出して、家の外に出た。何しろ、動くことができるようになったのだ。
赤松の林に帰ろうと、黒い茸が歩いていくと田んぼに出た。田んぼには稲が黄色くなって穂を垂れている。
「こりゃなんだ」
黒い茸は林にはない稲を見た。物知りの黒い茸が、
「こりゃ、米といって、人間が食べるために作っているんだ」と言った。
「それじゃ、猿の水ができるのじゃないか」
黒い茸は猿の水が大いに気に入ったようだ。
「白猿に教えてやろうじゃないか」
「それがいい、それで、わしらもお相伴に預かろう」
ということで、赤松の林に帰った黒い茸は、林に遊びにきた子猿に、
「里に行くと稲という猿の水になりそうなものが生えている、お父ちゃんたちに教えてやれや」と声をかけた。
子猿は茸に話しかけられて、びっくりしたようだったが、子供は柔軟だ。
「黒い茸が、里に猿の水になる稲っていうのがあるって言ってた」と親猿に伝えた。
白猿もよほど猿の水が好きである。
「そうか、坊主、よく聞いてきた、その茸に、里まで案内させよう」
ということで、真夜中、山奥から出てきた白猿たちは、松林でうだうだしていた黒い茸たちに里まで案内させた。
里に下りてくると、満月の明かりで、稲穂が金色に光っている。
「なるほどな、この草の種を猿の水にしてみるか」
白猿は隣の畑に顔を出していた土器(かわらけ)を掘り出すと、田の水で洗って、畑の隅に半分ほど埋めた。
猿たちは米を口に入れるとくちゃくちゃ噛んで、壷の中に吐き出した。
「三日経ったら、見に来ることにしよう」
白猿たちは黒い茸とともに山に帰った。
ところが、黒い茸は三日待つことに我慢が出来なくなった。二日目の夜中、様子を見ようじゃないかと、畑にやってきて埋めた土器の中を覗いた。
ぷーんと、旨そうな匂いがする。猿梨や山葡萄とは違って、もっと甘そうである。黒い茸たちは頭を中に浸した。甘みの強いとても旨い猿の水だ。たっぷり吸った黒い茸たちは、「酒をのめのめ飲むならば」と酔っ払って歌いだし、とうとう、その場で寝てしまった。
早起きの百姓が田で一仕事終えて、朝飯に返ろうと畑を通ると、隅に土器の壷があり、覗くと米が入った水がある。いい匂いがする。こりゃなんだと、舐めてみると、これがとてつもなく旨い。人間はまだ猿の水というものを知らなかったのだ。
周りを見ると、真っ黒な茸がころがっている。はてどうして茸があるんだ、と百姓は黒い茸をひろい、壷を抱えて家に戻った。
百姓のひい爺さん、爺さん、父親がその壷の中の水の匂いをかいで、
「旨そうだなあ」と、器をもってきた。
壷の中の液体は下のほうに米粒が見えるが、上の方は透き通っている。
ひい爺さんが器ですくって一口飲むと、
「うめえ、朝飯に、みんなでこれ飲むべ」
とうなった。それで朝飯に碗に入れた米の汁を飲んだ。
「その黒い茸も焼いて食おう」、
爺さんが言ったので、かみさんたちは黒い茸を焼いて、塩と一緒に出した。
父親がちょっとかじると、
「お、乙な味だ、こりゃ米の汁とあう、なんともいい苦味だ」
そういったものだから、ひい爺さん、爺さん、父親、百姓みなで、食べて飲んだ。朝からみんな気持ちよくなってきた。
「この茸は、松茸の生えるところにあるやつだべ、こんなに旨いものとは知らなかったな、こんどは、こいつも採って食うべえ」
百姓たちは猿の水とともにこの黒い茸を食べた。
「だが、どうやって、この汁ができたんかの」
「誰がつくったか調べてみろや」
ひい爺さんがそういったので、百姓は次の日朝早く、まだ暗いうちに田に行った。すると、畑の中に白猿がたくさんいる。酒が出来ていると思って、山から出てきたのだ。しかし、壷がなくなってしまっているので、また土器を掘り出して、米を口に含んで噛むとその中にほき出していた。
猿はみんなして、何度も繰り返し、その器をみなで持ち上げると、山に帰っていった。なくなっちまうとまずいと思った猿たちは、壷を持って帰ることにしたようだ。
それを見ていた百姓は、家に戻ると見たままを言った。
頭の回る父親は、「炊いた米でもいいんだべ、土器に入れて、しばらくおいておいてみべえ」と百姓に言った。
このあたりは縄文人が住んでいたという。それで土器はたくさん転がっていた。百姓は畑にうずまっている土器を掘り出して家に持ってくると洗った。かみさんに、炊いた飯を噛んで入れるように言った。かみさんは言われるように炊いた米を二三度かむと土器のなかにほきだした。
三日すると、甘く美味そうな香りがただよってきた。しかしその朝、稲刈りで忙しく、壷を見ることもせず田んぼにでた。
稲刈りが一段落し、家にもどった百姓たちは、土間においておいた壷から強いにおいがでている。
爺さまが覗くと澄み通ったきれいな水が溜まっていて、ぷーんと甘い匂いがした。
「できたんか」
爺さまが器で米の水をすくうと一口飲んだ。
「なんと、うめえ水だ」
稲刈りが終わった百姓の家では、その夜は米の水を飲み、良い気持ちになって寝てしまったのである。
こうして、米が美味くて、体が温まり、気持ちの良くなる水に変ることが知れることになった。その造り方は、百姓の家から隣の家に、また隣の家に、と村中に伝わり、その村では家々で、米の水をつくるようになった。
作り方は、そこここに埋まっていた壷を掘り出すことから始まった。壷は酉(とり)と呼ばれていた。百姓たちは米からできた水を酉の水と呼んだ。秋の祭には必ず酉の水をつくり、赤松林から黒い茸を採ってきて焼いて塩で食べた。
しばらくすると、その地をとある武将が治めることになった。なかなかできた武将で、まえよりもまして、安心に暮らすことのできる村となった。
安寧をもたらした武将に、百姓たちは、この村をますます栄えさせてくださいますようにと、酉の水と黒い茸を献じた。武将は酉の水を飲み、大いに喜んだ。
書にも長けていた武将は、酉の水であるがゆえに、水を酉の左側にくっつけ、酒という字を作りだした。三水は水を現すもので、そのままでも酒の意味もある。栄える水ということで、酒をさけと呼んだといわれている。
清んだ酒は、上澄みを清酒(きよき)といって神にささげ、神酒(みき)とした。
武将は黒い茸のその苦味を好み、酒には必ずこの茸を食した。侍の茸として珍重し、皮の厚い重々しい黒い茸ということで、黒皮と呼んだ。
それが、この地方に伝わっている、茸の清酒の話であった。
この地には旨い清酒がある。白猿から教わったとされるが、そこに黒い茸、黒皮がこのように関わっていたのである。
いきなり酒の香りがしてきた。炭火で黒皮が焼かれている。白い猿がやってきて、皿に黒皮をのせると、私の口の中にほろ苦い黒皮の味が広がった。
ふっと気がつくと、机に向かって居眠りをしていた。
谷川に行って筆者と話をしなければと奥付を見たが、連絡先が書いていない。まだ草片書店はやっている時間だ。携帯を手に取った。
「先ほど『語草片叢書』をいただいた井原です」
電話に出たのは笑子さんだ。
「あ、ありがとうございました、もうお読みになったんですね」
作者のことを尋ねると、
「高校の生物の先生で、丹波竜の骨の発掘をしている方のようです。一方で、茸の写真を撮ったり、伝承を調べたりもしておられます」
そう言って、電話番号を教えてくれた。
電話をかけると、会ってくれるということだった。そこで数日後会う約束をとった。
谷川に行くのには相当時間がかかった。大阪から福知山線である。東京を早く出たが、着いたのは午後も半ばになっていた。
筆者は四十半ばのまだ若い男の先生で、伊丹さんと言った。生徒と一緒に恐竜の骨探しや、茸探しなどをしているとのことだった。
彼は車で地蔵さんに連れて行ってくれた。地蔵と言っても四辻の角に立っているような小さなものではなく、大きな社で、中には首の無い地蔵さんが何体かおいてあった。首なし地蔵と呼ばれ、首より上のことに関して願いがかなうということで有名である。頭の病気回復祈願、頭が良くなりますように、すなわち受験合格祈願、など願い事をする人がたくさん訪れる。
平家の落人がここで首を跳ねられたそうで、その供養の地蔵さんだそうだ。
車から降りて地蔵の脇に来ると、彼は「あの酒造りと、黒皮の話は、この地蔵と関係がありそうなのです、あの話は古い郷土史の中に、さらに昔々の話しとして書かれていたのを僕がちょっと脚色をしましたけど、まとめました。あの中の武将はもしかしたら、平家の落人の首を跳ねた、このあたりを治めていた武将なのかもしれません。あまり書き残されたものも無いので、はっきりはいえません」
その話を聞きながら、首の無い地蔵さんを見ていたら、なぜか地蔵さんたちに顔が生え、猿の作った酒を飲みながら、黒皮を焼いて食べている情景が浮かんできた。
「黒皮はお好きですか」
伊丹さんが聞いた。
「お恥ずかしいのですが、まだ食べたことはありません」
「この地方は松茸がたくさん採れることをご存知ですね」
私は頷いた。
「と言うことは、黒皮もたくさん採れます、今日はどこかでお泊りですか」
「泊まるつもりで来ましたが、大阪にでも出て泊まります」
「良かったら、うちにお泊まりください」
「そんな厚かましいことはできません」
「いや、ちょうど採ったばかりの黒皮もありますし、本物のお神酒もあります」
ずい分遠慮したのだが、結局泊まらせていただくことにした。
車で連れて行ってくれた彼の家は山の中のちょっとした神社だった。彼の家は代々神主を務めており、彼もあとを継いでいると言うことだ。
神社の裏の自宅には住み込みの老夫婦がいて、食事の用意からすべてをやってくれているということである。
テーブルの上に運ばれてきたのは、近くの谷川で獲れた山女の串焼き、自然の山葵を添えた猪のステーキ、それに、焼いてちょと塩を振った黒皮である。
「黒皮をちょっと食べてみてください」
私は黒皮を口に運んだ、ちょっぴり苦味があるが、なんと深みの味がある茸だ。酒が欲しくなる。
「酒をたのみます」
彼が奥に声をかけると、巫女装束の若い娘が白い徳利を持って現われた。
「おいでませ」
彼女は、私の脇に座ると酒をついでくれた。
「あ、すみません」
一口飲んだ。すっきりとした、ちょっと甘めのある酒で、おそらく昔からの酒なのであろう。
「黒皮とあう酒ですね」
「昔から伝えられている、ほんとうのお神酒です」
「あそこに書いてあったものですね」
「はい、この巫女がこの酒を仕込んでいます」
瓜実顔の白い顔をした彼女の赤い唇が小さく開けられ、微笑んだ。白い歯が綺麗に並んでいる。この娘が米を噛んでほき出して造った酒ということなのだろうか。
娘はまた酒をついでくれた。その酒を飲みながら、黒皮を食べた。何度も何度も同じように酒を飲み、黒皮を食べた。そのたびに「旨い茸だ」と口に出していた。何度酒を注がれたかわからなくなった。
巫女の首がすーっとなくなったと思ったら、そのあとどうなったかわからない。
あくる朝、眼を覚ますと、枕元に巫女が座って私の顔を覗いている。周りを見回すと、広い畳の間の真ん中で、私は布団に寝かされていた。
「お目覚めですね、神主様に、駅まで送るように言われております、神主様はもうお出かけになられました。よろしくとのことでございます」
巫女は「ご用意が出来ましたら、お送りします、あちらでお待ちしております」
そう言って、その場を去った。
玄関に行くと、老人が待っていた。
「先生から、駅に行くようにといわれていますで、ぼろ車ですみませんが」
軽トラックに案内された。
車が神社から出るとき、賽銭箱のところに白い動物がいるのが見えた。犬ではないようだが、猿?と思って振り返ったのだが、鳥居の陰で見えなくなった。
「今日の朝採ってきた黒皮です、これを差し上げるようにとのことで」
私は駅で土産を渡され、帰路についた。時計を見た。もう昼に近い。昨日のことが定かに思い出せない。
夕方マンションに帰りついた私は、しばらくボーっとしていて、朝食も昼食も食べていないことに気がついた。急に腹が減って、近くの食事処に食べに行った。
テーブルの上にはもらった黒皮が置いてある。あわてて冷蔵庫に入れ、明日食べようと思い立った。友人を呼ぼう。黒皮で一杯やろうと決めた。昨日の夢のような話を誰かにしたくなったのもある。
その後、伊丹先生にお礼のために電話を何度かしたのであるが、とうとう通じなかった。今でも、あの巫女さんの白い顔を思い出すが、本当にあったことなのだろうか。こんなに記憶が曖昧になったのははじめてのことである。
茸の焚火(たきび) - 茸書店物語4
今日は三省堂に寄ってプレゼントを探した。神田の三省堂には、本だけではなく鉱物、化石や実験用のガラス器具、それに万華鏡など、理系がかった人間には気持ちの惹かれるものが置いてある。甥っ子が小学校に入ったものだから、ちょっと記念の玩具と思って寄ったのだ。見ていたら自分がはまってしまって、たくさん並んでいる万華鏡を全部見てしまった。それで午前中は終わってしまった。ともかく万華鏡を一つ買った。そのあとランチョンに行った。今日のランチはサーモンフライに、チキンのソテーだった。ソテーにかかっているソースはかなり美味しい。
そのあと草片書店に寄った。よく考えると、今日は七日なので、次の『語草片』はまだ出ていないはずだ。笑子さんが店に入った私を見て、いらっしゃいませと小声でお辞儀をした。店には三人ほど若い女の子が茸の文学のコーナーで話をしている。
入り口近くの茸の絵本のコーナーを眺めていると、茸の綺麗な絵に華麗なカリグラフィーで説明が書かれている本をみつけた。「Loni Parker」というオーストラリア人が絵と字を書いた、『Mushrooms A Separate kingdom』という本だ。茸だけではなく周りに描かれている生き物や植物がまたいい。値段を見るとかなりする。しかし手元におきたい本で、買う気になってしまった。
デスクに持っていくと、草片笑子さんが、にっこりして「ありがとうございます」と、私が差し出した本を見ると、「これは貴重な本です、綺麗な本ですし、お眼が高いですね」と包み始めた。
「そうだ、もう、第四集がきてますわ、もし必要ならだしますが」
と私を見た。
「もちろんください」
「ちょっとお待ちくださいね」
彼女は裏に入っていった。もってきたのは紫色の風呂敷包みである。デスクの上でそれを解くと本の表紙が現れた。尖った赤い指がいくつも突き出して、ちょっと手のように見える赤い茸が描かれている。タイトルは『茸の焚火』とあった。始めてみる茸で名前は分からない。
「これは、八王子の方が書かれたのです」
彼女はそういいながら、買った本の袋の中に冊子も入れてくれた。なかなか面白そうだ。
「何の茸でしょうね」と聞くと、笑子さんが、
「茸図鑑はお持ちですか」と聞いてきた。
「ええ、保育社の原色図鑑を持っています」
「あれはすばらしい図鑑ですね、先駆的なものです。同じ今関先生と本郷先生の新しい本がありますが、いかがですか、山渓のカラー名鑑で『日本のきのこ』といいます、それの改訂版が最近出たのですが、ゆえあって半額ではいってきたものがあります。これは新しい綺麗な写真があり、素人でも茸の同定が容易です」
実際に手にとって見た、確かに、これなら茸の名前を調べるのはいいだろう。今回の叢書の表紙の茸もすぐ判るに違いない。いい値段の図鑑だがこれならもっていてもいい。しかも半値である。それで買うことにした。
「お買い得ですよ、その茸ものっています」
彼女はページをめくって冊子の表紙の茸をだしてくれた。火焔茸とある。説明を読むと猛毒である。それだけではない、触っても皮膚がただれるという説明がある。
笑子さんが驚いている私を見て笑った。
「本郷先生のエッセイ集も、とてもいい本です」
私がどこにあるのだろうと見回すと、彼女は「あちらにあります」と反対側の文学の方を指差した。三人の女の子たちはもう店から出ていてもういない。行ってみると地方誌と文学のコーナーの境あたりにあった。さっぱりしたきれいな表紙である。『きのこの細道』本郷次郎とある。
めくってみると、菌類関係の雑誌に書いたエッセイをまとめたもののようだ。トンボ出版から2002年にでている。
「本郷先生はご自分でスケッチをなさるのですけど、それはきれいなものです。保育社の図鑑の絵も多くは先生です」
どうもその本も欲しくなった。ということで本でいっぱいになった手提げ袋をつるして、草片書店を出ることになった。
笑子さんが、出口まで手提げを持ってきてくれて、「ありがとうございました」、と送り出してくれた。
ずいぶん買っちまった。
地下鉄にのり、すいていたので手提げの中から『語草片叢書』をとりだした。
八王子の西には山が連なっている。高い山もあるが、なんと言っても有名なのが高尾山で、ミシュランの三ツ星になってしまったことや、最近は麓に温泉まで掘られたこともあり、登山客が多すぎるほどになってしまった。
著者はこのように書き出している。
このあたりに茸の言い伝えのあることが最近でてきた古い文献から明らかになった。それを書き残したのは、その昔、隠居の身になった薬師で、高尾山の奥に居を構え、自給自足の生活をおくっていたようである。江戸時代中頃の話である。どうも、私の先祖がその薬師に命を助けられたことから、終生その人の面倒をみていたようで、薬師の書いた日記や薬の効能書きが我が家の蔵にあった。その日記の中に茸の話があった。読むとなかなか面白い。それで、その一部を今のことばで書き直した。
『茸の焚火』
庵の周りや林の中には、ずい分いろいろな草片がでる。春には編笠茸、絹傘茸がでて、この辺りの者は食べようともしないが、こんなに美味い草片はない。梅雨時になれば、それ相応の草片がでるし、秋はもちろん、一人では食しきれないほどの草片が採れる。
その年はやけに草片、これからは茸と記す、がたくさん生えた。特におかしな天気が続いたわけではないのだが、いつも見ないような茸まで身近に生えてきた。
それに妙なことに、どうも茸が儂の様子をうかがっているようなのである。何しろ、朝起きてふと気がつくと、障子の穴から何かが覗いている。猿、鹿、鼠や栗鼠が庵にはやってくる。そんなやからかと思ったのだが、どうも雰囲気が違う。なにやら動きが静で、あのうろちょろした連中ではない。
それではなんだろうかと考え、もしやもすると、虫けらの連中かと思いもしたが、虫はこそこそしているが、覗いているのはもっと、もっと大きなやつらのようである。
そこで、どんなやつか調べてやろうと思い、障子をぱっと開けたのだが、すーっと影のようにいなくなってしまった。ただその影は傘の開いた茸のような形をしておった。だからそんなはずはないが、のぞいているのは茸かと思ったのだ。
昨日は少し寒く感じたが、すがすがしい秋の日で、林の中をほんの一時であるが、ぶらぶらと歩いた。ホトトギスやツリフネソウなどがいたるところに咲いていて、彩がいい。マムシ草の実が赤橙色に色づき、ぶつぶつといかにも毒のありそうな雰囲気をかもし出している。もう秋もだいぶ深まってきた。
その日は五人の友人が集まり、句を詠もうということになっていた。句を読んだ後は、恒例の酒盛りである。といっても酒を飲み、茸を焼いてただ食べるだけである。
儂は必ずしも茸の通ではない。茸ほど怖いものはない。薬にする茸には多分に知識はあるつもりだが、食べられる茸は一部のものは分かるが、ほとんど自信がない。そこは手伝いに来てくれている、高尾山麓の宿屋、橋口屋の手代、猪吉が茸のことは誰よりもよく知っており、我が庵の茸を取り仕切ってくれている。この男、他の宿からも茸の目利きとして頼りにされているほど茸には精通している。もう還暦に手が届こうとする爺さんだが、儂よりはるかに元気である。橋口屋の主人がわずらった時、儂が薬を処方し、一命が助かったことから、主人がそれを恩にきて猪吉を儂の庵によこしている。正直言って大層助かっている。彼が春は山菜、秋は旨い茸を採ってきてくれる。そればかりではなく、身の回りの細かなことをすべてやってくれている。
歩いていると、林の中の下草の間から、なにかが儂を見ている。いつも感じることだが、おそらく茸である。すべての茸がそうしているわけではないようで、いくつかの茸たちのようだ。
家に戻ると、猪吉が部屋を掃除して、客人たちを出迎える準備をしていた。
「いつもすまないね」
「いえ、旦那様、今日は、まさか採れるとは思っていなかった茸を馳走しますじゃ」
猪吉は朝早く高尾の山奥に行って茸や木の実を採ってくる。
「なんと、木の葉隠れがありましたじゃ、それに、黒皮もありました」
「それはすごいの」
黒皮はちょっと渋い茸で、酒に会う。木の葉隠れははじめて聞く茸だ。
「木の葉隠れってのは、鼠茸といったり、銀だけといったり、土占地、それに冬占地ともいいますが、秋も終わりころ、枯葉の中に生えて、黒っぽい、鼠っぽい色で、あまり旨そうには見えねえんですが、これが美味い。占地どころじゃねえ、それが、先生のこの家の近くにあったのでごぜえます」
「そりゃあ楽しみだね、いつもたいしたもんだね」
猪吉は土間におり、竈に火を入れに行った。
もう一時もすれば、客人たちが来るだろう、みな暇人だから、早く来て、句などよりも、どちらかというと、猪吉の作る料理にありつこうという魂胆である。猪吉は簡素だが、そのものを引き立てるいい味付けの酒のつまみを作る。酒は誰かがもってくるはずである。独り身の儂はともかく、客人たちは昼間から酒を飲んでいて、家人からとやかく言われる身分である。みな八王子の街中に住んでいて、隠居している爺さんばかりだ。彼らは昔江戸にいた儂のところに、病を治しにやってきた連中だ。儂がこっちに庵を構えることを聞いて大層喜び、橋口屋とともに儂を助けてくれている。
「猪さん、今日は精太朗さんが腰を痛めているそうだが、万年茸を用意しておいてくださらんか」
「へえ、分かりやした、量はいつもので」
「ああ、一月分をみなにも持たせます、あの万年茸は腰だけじゃなくて、心の臓を休めてもくれるし、腎の蔵、肝の蔵にも効きますからな」
この庵に越してきたとき、高尾の山奥で見つけた万年茸で、万能薬である。特に痛みをよく抑えるので、煎じて飲むとよく効いた気持ちになる。江戸の薬問屋にも橋口屋を通して送っている。
昼近くになると五人がそろってやってきた。
「今日は、ちょっと肌寒いが、いい天気になりましたな」
精太朗と五兵衛は織物屋、久作と箕助は旅籠、一造は大きな籠屋の旦那だった人たちだ。隠居してしばらく経つ。江戸の大店の隠居ならばしゃれた遊びの場で楽しむこともできたに違いないが、八王子では将棋か碁か、それとも釣か湯かといったところである。最も芸枝もいないこともないが、江戸での経験のあるこの御仁たちにはちと物足りない。しかしこの五人の隠居衆はただの遊び人ではない。なかなか粋な連中で、句をたしなむ。同じ寺の檀家で、寺の住職が歌や句を作ることを教えたからである。といっても、わしと同じにみないい加減な句しか読めないが。
五人は床の上にあぐらをかくと、猪吉が茶と埋木(うもれぎ)をそれぞれの前に置いた。
「甘いものは埋木にしましたぞ」
埋木とは無花果のことである。庵の近くになぜか無花果の木が生えており、街中より遅く、今頃に熟す。それがまた、蜜のように甘い。茶菓子にもなるほどである。
「この無花果は何度いただいても、美味ですな」
五兵衛は酒も飲むが、大いなる甘いもの好きである。
「今日の題は茸にしますぞ」
「ほう、なぜ茸を選ばれましたかな」
久太郎が不思議そうな顔をした。茸そのものが季語である。そのままなので、季語を考える必要がなく、単純だと思ったのであろう。
「確かに、そうですな、儂が今、茸が気になっていたので、ついつい、選んでしまいましが、二つ季語でいきましょうかな」
二つ季語などという句の読み方はないが、ここでは季語を二つ入れた句を作ったり、お堅い俳句師なら顔をしかめるような、ちょっと変わった遊びをする。
「それは、むずかしくなりましたな」
精太朗が頭をかいた。蓑助と一造は庭に眼を走らせている。季語をさがしているのだろう。
しばらくすると蓑助が口を開いた。
「出来ましたぞ、松茸に、あおぎみゆれば、鰯雲」
「おお、すばらしい、松茸の香りと鰯と、これまた秋の旨いものが、炭火にあぶられ香って目に見えるようだ」
「お次はわたしだ」五兵衛が書いた紙を持ち上げた。
「案山子殿、一本足で、茸蹴る」
「なかなか絶妙な、案山子の一本足のたもとに、茸が生えましたな」
清太郎が作り終えた。
「十六夜の、占地の上で、鉦たたき」
「おお、風流な、三つも季語が入ってますな」
お次は一造だ。
「ドングリの、山の中から、落葉茸」
「ドングリも可愛いが、落ちたドングリが山になって、その真ん中から落ち葉茸が生えるなど、可愛らしい句ですな」
「赤紅葉、白い茸の舞姿」と、久作が詠んだ。
「いやみごと、白い茸に、赤い紅葉の葉がはら、はらと降りかかる、その様子は、あたかも、白い茸が赤いべべ着て舞うような」
「さて儂だが、箸の先、月夜でつまむ、黒きのこ、ということで、本当なら、飲んでから読むべきものを先に詠じまいましたな、これは失礼しましたな、今日は猪吉が黒皮を採ってきましたぞ、それに、鼠茸、木の葉隠れがありますぞ、最も旨いといわれる占地で、土占地ともいいますな、さあ、飲みましょう」
一句できれば、酒、それが、この句の会の不文律、口では言わぬが、大事な決め事となっている。猪吉はそれをよく知っていて、すぐ、緘(かん)がでてきて、焼いた占地に紫が添えられてくる。
「おお、この酒は、中村の酒ですな、どなたがおもちかな」
籠屋の隠居、一造が「わしだす、うちの籠が牛沼に客を一人担ぐことになって、それで担ぎ手に帰りに中村の酒を買ってこさせました」
「ほお、それは結構ですな、だが、ずい分遠くまで客を運んだものだ」
「なんでも、秋川の奥の宿までいきなすってな、しばらく湯治とのことでしたよ、商人のような格好をしていたが、あれはどこかの武家のご隠居だろう」
「贅沢なものですな」
久作が土占地を摘まみながら、「いや、この茸は旨い、秋川へ行くより、ここで馳走になるほうがもっと贅沢」と口元をほころばせた。
「本当に旨い茸ですな」
猪吉が黒皮をもってきた。
「黒皮はこの渋みがいいですな」
みなが口に運ぶ。
「ところで、先生、なぜ茸が気になっておられたのかな」
儂が茸を句の題に選んだことを、精太朗がきいてきた。
「それが、近頃、この庵を覗いているのがおってな」
「そりゃぶっそうな」
「いや、何をするというのでもなさそうなのだが、それで、誰だか突き止めようとしたのだが、分からない、だが、茸の格好をしておった」
「人ほどの大きさの、茸ですかな」
蓑助が言うと、皆笑った。
「いや、大きさは分からないのだがな、猿かとも思ったが違うようだ」
「だが、茸とは先生らしくない」
清太郎の言ったことに、五兵衛が首を横に振った。
「いや、先生がそう思ったということは、正しいのかもしれませんな、形は確かに茸の形だったのではないでしょうかな」
「確かに」一造がうなずいて、
「頭に何やらをかぶった者かもしれませんぞ、茸のような影になるでしょう」というと、久作は「京の女子の笠じゃろう、菅笠じゃよ、とすると、先生にほの字の女子が訪ねてきたのではないですかな」
ここで、みな笑った。
「なるほど、皆さんの言うことを聞いていると、そっちの方が正しいように思えてくる」
「そのうち、見目麗しき女子が先生のところに現れますぞ」
「狸だな」
ということで、笑い話になってしまった。
句会から半月、もうかなり寒い。林の中を歩くと、それでも、茸がちらほらと生えている。八王子の街中はまだまだ秋の盛りだろうが、この庵のあたりではもう冬といってもいいほど冷たい風が吹く。天道虫はもうとっくに家の中に入り込んで寒さをしのいでいる。
そのころでも、夜になると、いつものように何かが部屋の中を覗いていた。大きさは鼠ほどのようだが、いくつも縁の上から、障子の隙間に集まっている。月明かりがあるときは、障子に影がはっきり映る。中に入ってくる気配はないが、なぜか落ち着かない。
何度か障子を開けたが、ささっと、そいつらは散って見えなくなる。
庭に林からの葉が舞ってきてずいぶん積もっている。
朝、庵の前で落ち葉をかき集め火をつけた。寒くなってくると、これも日課の一つである。落葉焚は朝に限らず、気がむくとやっている。寒くなると外で体を動かさなくなる。真冬になると散歩も億劫になるので、せめても戸外で焚き火などをしないと、体がなまってしまう。
煙が林のほうに流れていく。手をかざすとほっと暖かいのが気持ちがよい。高尾山は冬になっても雪はそんなに降らないが、厚着をしないと空気が冷たい。まだ冬前だが、どてらを羽織らないと朝はつらい。
林の中がなにかわさわさしている。焚き火をすると、最近はいつもそうだ。林の中から何かが見ている。きっと夜にやってくる連中だろう。
落ち葉の中には唐芋がいれてある。それが朝食代わりである。薩摩芋は裏の畑で作っている。儂もやるが、猪吉が手伝ってくれるので、惣菜にはこまらない。猪吉は句会のときなどは早く来てくれるが、いつもは昼の少し前にきて昼飯の用意をしてくれる。それをしっかりと食べるので、夜はつまみと酒だけである。
芋が焼けただろう。棒っきれでかき出した。いい匂いだ。少し冷ましてから食べよう。三つかき出して並べたところに、林からツツツーと、鼠のようなものが一つ、焚き火のそばまでやってきた。
見ると黒っぽい茸だ。やっぱり茸かと思ったが、茸が動くはずはない。茸に似た動物がいるようだ。焚き火の脇でゆらゆら揺れている。目も鼻もない。ちょっとくちゃっとした茸だ。霜降占地に似ている。
目がないが、儂が芋を手にとるのを見ている。
芋を二つに割ってかじった。ほくほくしていて旨い。時には芋だけではなく、拾っておいた栗も入れる。焼き栗も旨いものだ。
芋に気をとられていて気がつかなかったが、焚き火の周りに、占地たちが集まっていた。目がないが、儂を見上げているようである。これは占地とはっきりわかる。
一体、この茸たちは本当に茸なのか。茸動物か。
ついつい、子供に話しかけるように「寒いのかい」と茸に声をかけていた。すると、傘を前に振って、頷くようなしぐさをした。みんな同時にやったので可愛らしい。
火がおわりそうになった。落ち葉をもってくると焚き火の上にまいた。すると茸たちが一斉に体を揺らして、喜んでいるようなしぐさをした。
茸は寒いのは嫌いじゃないはずだが、寒がりの茸というのがいるのだろうか。縁にあがって障子から覗いていたのは、中に入りたかったのだろうか。
林のほうから、また茸らしきものがツツーとやってきた。前に来た茸の後ろに集まった。焚き火を茸が二重に囲んだのである。後から来た茸は紫っぽい茸で、前の黒っぽい茸とは違うものだ。きっと紫占地だろう。
後から来た紫色の占地が、前に来た黒い占地を小突きはじめた。何をしているのかと見ていると、前の列の占地に代われと言っているように見える。しばらくすると、前の占地が後ろに下がって、後から来た占地が前に出てきた。占地たちは焚き火を前にして、なんだかゆったりしている。眠そうだ。茸がこんなに寒がりだとは知らなかった。
今度は後ろの黒っぽい占地が紫占地を小突いた。また代われと言っているようだ。紫占地はおとなしく後ろに下がった。
なかなかお行儀よく紫と黒の占地は焚き火で温まった。儂は落ち葉を集めてきて、くべてやった。そうすると、茸がみんなでお辞儀をする。御礼を言っているようだ。
そこへ、林の中から、黄色っぽい茸がつつーっとやってきた。峰占地のようだ。黄色の占地は後ろに並ばなくて、いきなり一番前に割り込むと、焚き火の前で陣取った。
前からいた黒と紫の占地が黄色い占地を小突いた。怒っているようだ。だが黄色い占地はどこうとしない。紫の占地が黄色い占地に体当たりした。黄色い占地は紫の占地を押し返した。そこに黒い占地が紫の占地に加勢して、黄色い占地にぶつかった。その拍子に、黄色い占地が焚き火の中に転がった。黄色い占地はあわてて起き上がろうとするが、滑って起き上がれない。そのうち黄色い占地に火がついちまった。黄色い占地は炎のように真っ赤になって起き上がると、焚き火から飛び出し、紫占地に襲い掛かった。
乱闘がつづき、いくつもの茸が焚き火に落ちた。すると茸に火が付いて、真っ赤な炎のような形になり、相手の茸に襲い掛かった。どの茸も焚き火に落ちると赤い炎の茸になった。何がなんだか分からない状態になって、みんな真っ赤な炎の茸に変わり、ぶつかり合った。
儂はどうしたらいいかわからなかったが、「やめなさい」と大声をだした。
占地たちはその声に驚いて動きを止めた。
「仲良く、焚き火に当たりなさい」
赤い炎の形になってしまった茸たちは、おとなしく焚き火の周りを囲んだ。
「占地に戻らないのかい」
ときくと、赤い炎の形になった茸は頷いた。
「もう、食えない茸になったのだな」
赤い炎の茸は頷いた。
「火焔茸という名前をやろう、焚き火にあたりにきていいが、仲良くするのだぞ」
そう諭すと火焔茸はぞろぞろと林にもどっていった。
こうして毎日、焚き火の前に火焔茸がやってくるようになった。
あるとき、朝早くやってきた猪吉が焚き火の周りにいた火焔茸をみつけた。
「旦那様、変な茸ですな」と手を伸ばして火焔茸をつかんだ。すると、猪吉が「あちちち」と火焔茸を放り投げた。
猪吉の手が焼け爛れた。
「てえへんだ」
猪吉は手を水に浸した。儂はあわてて火傷の薬を猪吉の手に塗った。この薬も儂が作った特効薬だ。火傷はすぐなおるだろう。
「あの茸は猛毒のようだ、触ってこのようになる茸は他にはない、気をつけてくださいよ」
「へえ、もう、絶対触りませんで、恐ろしい茸だ」
「火焔茸というのだよ、占地に火が付いて、毒茸になってしまったのだ」
儂は焚き火にあたっている火焔茸に、
「今年、焚き火に十分当たって温まりなさい、めったに地上に出てきてはだめですよ」、そう言い聞かせた。
こうして火焔茸は生まれたが、めったに生えることはない。もし地上に顔を出した時には、人は触らぬように気をつけなければならない。
その薬師の日記はそう書いてあった。
火焔茸の由来である。火焔茸は珍しい茸でめったに生えることはない。しかしキャンプ場や公園の切り株の周りに生えることがある。人懐っこ茸であるのは薬師の焚き火が恋しいからだろう。
2013年八王子に珍しく火焔茸が生えた。保健所が駆除したそうである。動物のような茸でもある。
私は『語草片』第四集の表紙の絵を改めて見た。火焔茸である。話の上で元は占地だったことを知った。
ふと前の座席を見ると、炎が上がっている。火事だと驚いて立ち上がろうとすると、火焔茸が座席の上から自分を見て笑っている。いかん、白昼夢だ。しばらく眼を閉じてからあけると、前の席に緋色のミニスカートをはいた女性がスマホをいじっていた。
数日後、連絡を取り八王子に出向いた。筆者は室井さんという。
高尾山口からタクシーで二十五分ほどのところにその家はあった。そのあたりの地主さんで、アパート経営や商工会議所の役員をしている人だ。そのうち市議になるつもりだということだった。茸の好きなまだ三十になったばかりの若い人である。父親が亡くなり、あとを継いだばかりということだ。
室井さんの家は、昔ながらの大きな敷地を持つ屋敷で、蔵まであった。そこにその日記があったのだという。
客間に通され、母親が茶を運んできてくれた。
「火焔茸の由来が面白く書かれていますね」
私はそう切り出した。彼は年のわりには落ち着いた口調で話す人だった。
「ええ、面白いと思います、それを書いた医師は、薬の専門的な知識も書き残していますが、あのような話も沢山残しています。日記には古文書にあったような書き方がされていましたが、おそらく、その老人が書いたものと思います。きっと物語を書くのが好きだったのでしょう」
「室井さんもお好きなようですね」
彼は顔を赤らめながらうなずいた。
大学時代には小説なども書いていたそうである。子供のころから高尾山で遊んでいたこともあり茸については詳しかった。
それから茸について色々な話をした。
「ともかく、面白い話でした、文章がよみやすかった」
と言ったら、ずいぶん喜んでいた。
帰りの京王線の中で、あの話は室井さん自身が書いたものではないかと思った。
茸の鹿驚(かかし) - 茸書店物語5
昨夜、遅くまで大学の同級生と飲んでしまった。起きたのは八時である。若い人にとって八時に起きるのは当たり前かもしれないが、いつも二時や三時に目が覚めてしまう私にとっては、しばらくぶりの朝寝坊である。
充分寝たにしても、たくさん飲んだ次の朝は必ずしもすっきりない。ヨーグルトを飲んで朝食はおしまい。うだうだしているうちに、十時になってしまった。さて、何をしようか、昼飯はどうしようなどと考えていると十一時になる。これが年寄りだ。
カレンダーに目がいくと、今日は八日であることに気がついた。『語草片』が出る日だ。神田の草片書店に行こう。やっと今日の目的ができた。ランチョンによってからだ。
ランチョンでは軽くと思ってオムレツを食べた。
ランチョンをでて、草片書店の木の扉を押すと、中に女性客が二人、中央のテーブルで図鑑を見ている。奥のデスクには珍しく店主と妹がいる。
地方誌のコーナーを見ると第五集が出ていた。表紙の絵は私でも知っているスッポン茸である。虻が青緑の粘液に覆われたすっぽん茸の頭に取り付いている。この茸の類は臭い匂いで蝿などを呼び寄せ、粘液に混じった胞子を虫に付着させる。それで胞子が運ばれるという仕組みを持っている。
本のタイトルは『茸の鹿驚』とある。どのような意味なのだろうか。
ともかく、本を持ってデスクにいった。主人の笑子さんが、あいそよく「いつもありがとうございます」と受け取った。
「お恥ずかしいのですが、このタイトルなんと読むのですか」
笑子さんが答えようとしたその前に、妹の泣子さんが「それ、かかしって読むのです」と笑顔で教えてくれた。
「鹿が驚くで、案山子ですか」
「ええ、今ではほとんど使いませんね」
「鹿がそんなに出たんですかね、想像できませんね、案山子は鳥のためと思ってました」
「そのころ鹿が田んぼに水を飲みに来てたのかもね」
泣子さんがそう言うと、お姉さんが本を私に渡しながら、
「いい加減なことを言っちゃだめよ、なにかに書いてあったの」と言った。
「へへ、知らない」
妹はそう言って笑っている。まあ田んぼの水を鹿が飲みに来ることは無いだろう。本当の語源は分からない。
今日は他の本屋に行く気がないので、草片書店の棚を隈なく見て回った。最近は茸ガールとか言って、茸に興味のあるオンナの子が増えているようだ。そのせいか、しゃれたイラストや可愛らしいイラストの茸の本がある。猫から茸が生えている奇妙な本もある。それを見ていたら、泣子さんがそばにきた。
「その本は今一番人気のあるイラストレーターですよ、ヒグチユウコさん」。そう言って自分から本を広げて見せてくれた。色も綺麗だし、面白い絵だ。
「イマジネーションが広がりますね」
「そうでしょう、言葉の世界も面白いけど、絵だとぱっと頭に入ってきて、刺激しますものね」
泣子さんはなかなか言葉の表現がうまい。だけど、やっぱり、購入まではいかない。昔ながらの素朴な絵のこの『語草片』シリーズのようなものの方に手が伸びてしまう。年をとった証拠だろう。いや能力の幅の狭さか。
「それじゃ、また来ます」
「ありがとうございました」
姉妹の声を背にして店を出た。
神保町駅に行くまでの間にある山田書店の一階をちょっとのぞいた。写真集などに混じっていい本がゾッキででていることもある。二階は高価な浮世絵や限定版である。とても手が出るようなものではないので二階に行くことはあまり無いのだが、その日は、何気なく上がってしまった。『日本の菌類図譜』がガラスケースの中においてあった。たまたま開かれていたところがスッポン茸である。昔の日本人がこの茸を食べるわけはないが、奇妙な茸ということと、形があたかも男根のようで、面白いので絵の材料にはなりやすい。
家に帰り、図鑑「日本のきのこ」でスッポン茸を調べた後、インターネットで検索してみた。いくつかのサイトがあるが、必ず学名の意味が書いてある。まず姿から男根というラテン名がつけられていて、さらに恥を知らないという言葉が続く。おそらく、地上に堂々と立っているのでそのような名前になったのだろう。そればかりか、スッポン茸はぶよぶよした丸い卵のようなものから突き出しているので、それが陰嚢に似ていると書いてあるものもある。そのような形になったのは茸自身の責任ではない。それでもそのまま和名にしないで、スッポンの頭のようだということでつけられたのは日本らしい。
それでは海外でどのように言われているのか知りたくなり、またコンピューターをいじくった。英語では stinkhorn で臭い角だが、horn はスラングとして、硬くなった一物のような意味がある。フランス語は Satyre puant で神話の半人半獣のサティロスの匂いということになるようだ。サティロスは野や山の精で、好色だというから、やっぱり男のもののイメージなのだろう。イタリア語では Satrione でフランスと同様である。さて、スペイン語の Falo hediondo は男根と臭いがくっついて、なんだかすさまじい。
こうみていくと、どの国の名前も学名に近い意味だ。スッポン茸という日本の言葉が一番おとなしい言い方であることがわかった。
科学者は正直だから学名を見た目のままにしたに違いない。調べたら、名付けたのは動物分類の父である、スウェーデンの分類学者、大リンネのようだ。一方、恥の文化の中にいる日本の科学者はスッポンにしたのだ。
『きのこの語源・方言辞典』(奥沢著、山と渓谷社、1998)には和名の命名者、梅村とある。誰だろう。おくゆかしい。といっても亀のスッポンの頭も男根に見立てられることが多いので、まあ全世界、人の考えることは同じようだ。
そんな下知識を得て、第五集『茸の鹿驚』を紐解いた。書いたのは神奈川の伊勢原に住んでいる人で秋山さんと言った。大山の案内人、先導師の家に生まれた人である。大山には阿夫利神社があり、信仰の対象として昔から全国の人々が訪れた。大山講と呼ばれるが、その人たちのための宿坊があり、そこに先導師がいて、参拝者はその案内のもと大山に詣でた。
『茸の鹿驚』
大山は修験者たちの修行の場でもあったし、頂上にある阿夫利神社は雨降り神社で、米作りには大事な雨を降らせてくれる神が祀られている。そんな信仰の場でもあったのだが、ここに紹介する言い伝えは神代のことである。
神代には大山に多種多様な原獣や原鳥が住んでおり、そいつらは麓に下りてきてはヒトが作る米や野菜を喰らってしまっていた。将来鼠になるムルや兎になるミルなどの小さな獣は、ヒトは簡単に追い払うことができたが、鹿や猪、それに熊の原獣たちはそう簡単にはいかなかった。それだけではない、面倒なのは、原鳥たちだった。大山の木々に住んでいた原鳥たちは、空から実った米や豆をついばみにやってきて、根こそぎ喰ってしまった。特に将来雀になるジャヌは集団でやってきて米をみな食ってしまう。
何とかしないとヒトが亡びる、大山を取り囲む村々の長が集まり対策を考えた。
「ジャヌを追い払うのに何かいい方策はないものか」
「ジャヌは耳が良い、人の足音を遠くから聞きとり、我々が追い払うために家を出た足音でさえ聞こえてしまい、すぐ逃げてしまう」
「それはわかっているが、我々がずーっと、田の脇で立っているわけにはいかぬ」
そのころのヒトはまだ数が少なかったのだ。
一人の長がいいことを思いついた。
「ジャヌはヒトが動いているのを嫌う、ちらちら光る動くものを考えよう」
そこで、白い布を細く切って、畑の脇に立てた棒に吊るした。風になびくと、白くちらちらと動いてジャヌは驚いた。それは功を奏して、大山に住むジャヌは一羽も飛んでこなくなった。
だが、将来鹿になるチカカは山裾にある何頭も果樹園に現われ、木の幹を食ってしまい、実がならなくなってしまった。果物はヒトにとって大事な食べ物だった。
「チカカは臆病のはずじゃ、少しの音でも、逃げていくだろうよ」
村の長の一人が言った。
そのころ、日本列島に住むヒトは獣や鳥を食べることをしなかった。だから、そいつらを捕まえる道具である鉄砲などもない。大きな声で追い払うことはできるのだが、いつも声を張り上げているのは大変だ。木を叩たいて音を立て、追い払ったりすることから、拍子木のような道具を作っていた。
村のヒトたちは、実のなる木の脇に立って拍子木を叩いた。耳がいいチカカは木のそばにヒトがいることを知ることができた。そのときは寄ってこないのだが、音がしないと、すぐにやってくる。人がいつもたっていなければならない。
ある村のオトコが木をいくつか吊るしておくと、風にゆられて音が出ることに気がついた。そこで農作物をそだてているところに棒を立て、その先に木を吊るした。それは風が吹くとカチカチという音がでた。それで、やっとチカカも大山から出ることが少なくなった。
ただこれは風任せであり、風がない時には、ヒトをきにしながらチカカがやってきて、害をおよぼしたのである。
「いつも動いて、おどかすものを考えねばならんな、いい方法はないものか」
村の長がいうのを聞いた、池をから水を汲んで果樹園に水撒きをしている男が、
「山から水は池に落ちて、音を立てとる」
と言った。果樹園は山裾に沿ってあった。
「それは水と水がぶつかって音をだしているのだろう、チカカにしろ、その音はよく知っているからこわくない、だが、水を使って音を出せないものか、考えてみてくれ」
そう頼まれた男は、果樹園にもどると、腰につけていた竹筒を取り水を飲んだ。飲み終わって空になった竹筒を落としてしまった。
竹筒が落ちて石にあたって、コーンといい音をたてた。
とても大きな音で、この音ならチカカも驚くだろうと男は思った男は、
山裾の岩から出る水をつかって、竹筒に音をださせるにはどうしたらいいか。竹筒に山からの水を受けながら、何日も考え続けた結果。竹筒を真ん中より少し下の辺りを軽く手で持って水を入れていると、水が溜まると上の方が重くなり、上が下がって竹筒の水がでていく、今度は水が残っているほうの下の部分が重くなり下に下がる。筒の下に石があればコーンと音が出る。また水が上まで溜まり、水がこぼれ、下のほうが下がり石にあたる、という原理を会得してしまったのである。
その男は、とうとう、山裾の斜面から流れ落ちる水を利用したチカカおどしを作ることができたのであう。今のシシおどしの原型である。
こうして、山裾にあった果樹園から、カタンカタンという音が聞こえるようになった。そのおかげで、大山からチカカは全くでてこなくなった。
しかし、大山にはまだまだいろいろな獣や、鳥が住んでいた。鳥のジャヌはこなくなったが、将来鴉になる真っ黒な鳥、マクロはジャヌの何倍もの大きさで、田んぼに来て稲を食い荒らし、果物畑に来て、なった桃、林檎、柿の実を平気で喰らった。
「マクロは、チカカおどしの音もジャヌおどしの布も何も効かぬ、何かよい方法はないものかの」
また、大山の麓の長たちが集まった。
みんなで話していると、意外と早くいいアイデアが出た。
「棒で追い払うと、よく覚えていてしばらくは来ぬが、ヒトがいないとすぐ戻ってくる」
「マクロの怖いものは、ヒト以外にはないのであろうな」
「それでは、ヒトの形をしているものを、田畑に置いておいたらどうでしょうな」
「それがいい、ヒトガタをつくり、着物を着せて、立たせておこう」
「まずはやってみましょうかい」
ということで、オンナとコドモが、モミ藁を使って、ヒトガタをつくった。それを田んぼに置いてみた。
ところが、マクロは平気でやってきて、モミ藁の上に止まっている。
「まったく効きませんな」
「それでは、着物を着せてみましょうぞ」
長の声で、オンナたちは布で着物をつくり、モミ藁のヒトガタに着せた。
ところが、それでもマクロはヒトガタの上に止まり、着物を嘴で引き裂いて、巣の材料に持っていってしまったりした。
「もみ藁のヒトガタは効きませんな」
「マクロの鼻はよく利くのですかい」
「鳥の仲間は鼻馬鹿といいますぞ」
「匂いを嗅ぐことはできないとすると、モミ藁のヒトガタは、モミ藁だからだめなのですな」
「もっと似たものじゃないといかんのだろう」
ある長がそういったので、みんなそれを試してみようということになった。村の樵の一人が木を上手に彫る。その男にオトコのヒトガタとオンナのヒトガタをつくらした。色まで施して、ヒトそっくりに作った。
それを田畑に置いてみたところ、マクロはオトコのヒトガタのところには来なかったが、オンナのヒトガタがいるところにはやってきてしまった。
田畑はオトコが耕していたからだろう。
「オトコのヒトガタが利くようですぞ、マクロは目がいいのですな」
「だが、大山の麓のすべての田畑に、木彫りのヒトガタをつくるのは無理じゃな」
「どうじゃろう、からだ全部ではなく、一部分でためしてみよう」
そこで、樵のオトコは、オトコの首と、胴体と、手と足を上手に作った。
それを田畑に置いたところ、首と手のところにマクロはこなかった。
「それでも、首と手の木彫りを作るのは大変だ、しかし、少しずつ作ってもらおうではないか」
ということで、マクロを追っ払うための対策が打ち出された。ヒトガタの首と手を樵のオトコは一生懸命作ったが、何十年かかってもすべての田畑に行き渡ることはないだろう。
その時代、ヒトは米や野菜や果物を作っていたが、自然の恵みも重要な食料だった。春は山菜、秋は木の実、茸である。どの家でもみな、オンナが山菜や茸を採りに山に入った。
ある秋の日、茸採りのオンナが大山の林の中に入った。茸はヒトにとって自然の恵みのなかで、最も栄養のある大事なものであった。
占地や滑子、食べられるいろいろな茸が生えている。いつも背負い籠一杯に茸を採って帰る。
その日、せっせと茸を採ったこともあり、オンナの背負い籠はあふれんばかりの茸がつまっていた。
オンナは「どして、こんな旨いものが大山に生えているのに、チカカヤマクロは食おうとしないんじゃろ」と独り言を言った。
大山の動物たちは、大山に生える茸は全く食べなかった。
籠をいっぱいにしたオンナは家に戻る道を歩き始めた。
マクロやジャヌ、それにチカカがオンナの呟やきを聞きつけた。
オトコどもが田畑に変なものを置くので、行きづらくなった鳥や獣は、仕返しにオンナを脅してやろうと思った。
たくさんのジャヌがオンナの周りを飛び回って糞をした。
いきなり、糞が降ってきたのでオンナはびっくりして駆け出した。駆けても駆けても追いかけてきて、今度はたくさんのマクロがオンナを突いて、着ているものを剥ぎ取った。
裸にされたオンナは大声を上げながら、茸の入った籠をしょったまま、林の中に入り込み逃げ回った。茸がどんどんこぼれ落ちていく。
チカカが角でオンナの尻を突っついた。驚いたオンナは、背負っていた籠の中の茸をすべて落としてしまった。
オンナはちょっと日差しの少ない薄暗い林に逃げ込んだ。こういった場所は食べられる茸は多くないので、今まで入ったことのないところだ。女が後ろを振り返ると、
マクロ、ジャヌやチカカたちは林の前まできて、ぴたっと動きを止めた。林の中に入ってこようとしない。
裸のオンナはちょっぴり寒くて震えていた。木の陰から見ていると、マクロ、ジャヌやチカカたちはくるりと向きを変え、戻り始めた。
林の中で、マクロ、ジャヌ、チカカはオンナの落とした茸を食ってみた。オンナがなぜこんなに旨いものを喰わぬかと、ぶつぶつ言っていたのを覚えていたのだ。
大山の鳥と獣は、「旨い」と、落ちていた茸をみんな食ってしまった。それだけでなく、生えていた茸もどんどん食った。彼らは茸を追い求めて大山の別の林に向かっていった。
それ以来、大山の鳥や獣は大山の中で茸を食べることで、ヒトのいる里にはほとんど出てこなくなった。ただ、ふと昔の食べ物を思い出したジャヌ、マクロやチカカが時々田畑に出てきては稲や野菜を食ってしまった。
あのとき暗い林の中で裸のまま籠を背負って震えていたオンナがどうなったかというと、ともかく鳥と獣が行ってしまったことを知り安堵して、家に戻ることにした。
だが、なぜこの林に入ってこなかったのか不思議に思った。
家に帰れるとなり、落ち着いてくると、林の中から、異様な匂いが漂ってきた。臭いのである。人糞と何かが混じったような臭い匂いである。
その頃の人糞は貴重なものだった。畑にまく肥料になったからだ。それが江戸時代の野菜作りの基本になり、そのシステムがあることによって、江戸の町が綺麗に保たれたのである。サイクルの原点がここにあった。
それで、臭いことは臭いが、オンナは気にしなかった。肥溜めの匂にはなれていたからである。獣たちはこの匂いが嫌で入ってこなかったのかもしれないと思った。
家に帰る前に、臭いをおいかけてみることにした。
林の中を行くと草原に出た。そこでとても驚いた。見たこともないような、茸がにょきにょき生えていたのである。
それは、なんだかオトコの物によく似ていた。先の膨らんだところに黒緑色の液が付いていて、それが臭いようである。陽物のように立った根元には丸い柔らかそうな玉があった。それまでオトコのものとよく似ていた。
その茸の先に蝿や虻の原虫、アジとハジがたかっている。オンナはこの虫たちも始めてみる生き物だった。
オンナは近寄ると、しげしげとその茸を見た。
喰えるだろうか、そう思い、指の先で茸に触れてみた。意外としっかりとしている。洗ったら食えそうにも思えた。折角採った茸はジャヌやマクロに追いかけられ、全て落してしまった。籠の中は空である。オンナはこの茸を採って帰ることにした。茸の群の中に踏み込むと、アジとハジが一斉に空中に舞いだした。ぶんぶん、ぶんぶん、うるさい。オンナは手で払いながら、茸を籠の中に放り込んだ。
やがて一物のような茸で籠がいっぱいになったオンナは家に向かった。
アジとハジが後をくっついてきた。途中にあった、肥溜めの上をぶんぶん飛んだ。オンナが家に入ろうとすると、周りを飛び回り、何匹か家の中にまで入り込んだ。
後の話しになるが、アジとハジはそれ以来、里に住むようになって、あたりかまわずぶんぶん五月蝿く飛ぶようになった。
オンナとともにはいってきたアジとハジをオトコがおいはらった。
「きのこはとれたか」
オンナはオトコに茸を見せた。
「こんなのみつけた、喰えるじゃろうか」
「やな匂いじゃな、だが、幹のところは旨そうだ」
オトコはその茸を一本手に採ると水で洗ってみた。頭のところの緑色の汁はきれいに流れてしまった。それでもオトコは茸の頭と玉を千切り口に入れた。
「おおいい歯ざわりだ、旨い」
たくさん採れたので、近くの家にも配った。
隣の家では、家族がみな腹を下していて、もらった茸を食べることができなかった。
いつものように、干しておいて後で食おうと、隣のオトコは畑に持っていった。まだ鳥と獣を追い払うヒトガタがなかったので、畑にはマクロが数羽、野菜を突いていた。マクロたちはヒトが来たのであわてて空に舞いあがった。
隣オトコがその茸を畑の脇の日の当たる切り株に乗せた。
すると、空に居たマクロは目を白黒させ、大山に帰って行ってしまった。
隣のオトコは不思議に思って、茸をもらった家にその出来事を伝えた。
茸を採ってきたオンナが、
「そういえば、ジャヌもマクロもチカカも、この茸の生えていた林には入ってこなんだな」
と言った。
それを聞いたオトコは、その茸を持って長のところに行った。
「おお、臭い茸だ、それにオトコの一物そっくりだ」
長は驚いた。オトコは連れのオンナが山で遭遇した話と、隣の家のオトコがこの茸がマクロを追い払ったことを伝えた。
「ふーむ、まるで金玉っこだな、この茸はオトコのヒトガタになるな、これをとってきて田畑においておくと、マクロばかりではなくジャヌやチカカが近寄らんかも知れぬな、鳥は鼻馬鹿だが、チカカなどの獣はこの形や匂いはいやがるじゃろう」
次日、オトコも総出でこの茸、金玉っこを採りに行った。
田畑の脇に石を置き、その上に金玉っこをのせた。するとジャヌやマクロ、それにチカカも全く来なくなったという。鳥もいやな匂いを感じて避けたようだ。
ヒトは金玉っこの幹のところを食べ、頭の粘々のついたところと根元の袋を、田畑の脇に置くようになったということである。
神代が終わるまで、金玉っこは田畑を守り、しかも旨い茸として大事にされたということである。
神代が終わった日本では、ヒトが人間になるとヒトガタは案山子、または鹿驚という名前になり、鳥獣を追い払うものとなったが、しばらくの間、金玉っこ、すなわちスッポン茸は鹿驚として使われていたということである。
おかしな話である。
おや、目の前をスッポンが歩いている。かなり大きい。こちらを振り向いた。にたっと笑った。これはいかん。スッポンが後ろ足で立ち上がった。首が伸びたと思ったら、スッポンタケがすったっている。首を横に振ると、スッポンタケは消えていた。
著者に会わなければ。
大山には何度か登ったことがある。あの石段を一番上まで登るのは大変なことだが、ロープウェーがある。かなり昔からあったようであるが、一端途絶え復活したようだ。私は利用したことが今までない。しかし大山の登り口である伊勢原には何度も行った。あのあたりは丹沢などの山へいく拠点であり、伊勢原は旅の雑誌に何度も取り上げた。
私は著者の電話番号を草片書店に問い合わせ連絡をとった。いつでも来てくださいとのことだったので、明日行きたいことを伝えた。
次の日、新宿から小田急線で伊勢原の駅に行った。そこからバスに乗り大山の登り口で降りると電話を掛けた。迎えの車をよこしてくれるということだった。
バス停で待っていると、数分後に一台のワゴン車が来て運転手が降りてきた。
「井原さんでしょうか」
丁寧に声をかけてきた。はいと返事をすると、「社長は店でお待ちしております」と言う。
車には「大山豆腐元祖、篠田」とあった。大山は豆腐が有名である。秋山さんは豆腐屋さんだったのだ。
連れて行かれたのは、大きな農家風の豆腐専門の食事処だった。
迎えてくれたのは赤ら顔の恰幅のいい人である。おそらく五十代だろう。
「よくいらっしゃいました。笑子さんからは聞いております」
愛想がとてもいい。
「すみません、こんなにお忙しいお仕事をしていると思っていなかったので」
「昔は大山の先導だったのですが、宿も営んでいまして、今は先導の仕事がなくなり、豆腐屋を始めたというところです。家内の実家です。今では私がとりしきっています」
「そうでしたか、大山は何度か来たことがあるのですよ」
「ええ存じてます、先生の雑誌には何度も載せていただきました」
私は覚えていないが、記事ばかりではなく宣伝もたくさん載せているようだ。
「うちの、豆腐と湯葉の料理は一品ですので、是非召し上がりながらお話をさせていただきたいものです」
願ったりかなったりのことである。
そこでの話は大山の茸の話であった。どの山でもそうだが、山の恵として茸は重宝されたようで、豆腐と茸の組み合わせは絶妙だということである。実際に、美味しい豆腐と椎茸の料理を堪能した。
この『語草片』の話は、確かにそのような記載のある古文書があるようだ。しかしかなりこの秋山さんの脚色が大きいいのだろう。
「あの、『語草片叢書』は楽しいですね」
秋山さんは豆腐と茸の相性を調べているということだが、調べる必要が無いということが最近分かったとのことであった。
「どうしてですか」
と私が尋ねると、
「どんな茸でも豆腐にあうのですよ、豆腐の「腐」はくさらす、くさらすのは菌類、仲が悪いはずが無いでしょう」
面白かった。この秋山さんも茸が大好きな、それに文学が大好きな人なのである。
大山の豆腐料理をまた食べに来よう。
茸の放屁(へこき) - 茸書店物語6
御茶ノ水の聖橋口を出ると、斜め前に中古のCD屋がある。時々覗いて、紙ジャケットのジャズを買う事がある。本と同じで、カバーのデザインがいいとほしくなる。
もちろん、なんの楽器のジャズか見るが、アーティストの名前は知らないことのほうが多い。本と同じで、結構当たるもので、好きなジャケットのCDには気に入った音が入っていることが多い。自分はスローテンポのジャズを好む。せっかちな性格だから、ゆったりするにはそうでなくてはならない。
今回、店をみたが、特に手をとりたいようなものはなく、神保町に向かった、このあたりは楽器店が多い。靖国通りにでると、信号を渡り、鈴蘭通りをちょっと行くと三省堂の脇の入口がある。そのほぼ隣のビルの3階に豆本でよく知られる吾八書房がある。豆本そのものには関心が薄いが、美術関係でいい本があるので覗くことにしている。
その後、鈴蘭通りを進み、すぐのところを右折して靖国通りに面した田村書店に行った。田村書店では今までずい分いい本を安く手に入れた。最近は本を買うこともないのだが、入ることが神田の古本屋に来た証拠のような気持ちになる。結構、爺さんがふらりと入っていくのを見かける。同じような仲間だろう。
お昼である。今日は何を食べようか。ランチョンにはいったが、選ぶのに時間がかかった。いつもは食べたいものが頭に浮かんでランチョンにはいるのに、今日はなぜか頭の中の様子が違う。
メニューを見た。何にしよう。なかなか決まらなかったが、昼間のメニューじゃなく、正式メニューのメンチカツをたのんだ。ここの有名な料理でもある。ライスもつけて、ビールまでたのんでしまった。ちょっと頭のねじが狂っている。なぜか珍しくコーヒーまで飲んだ。ともかく美味しくお昼を済ませ、ゆったりとした気分になった。
草片書店に行くと、ウェザー・リポートがかかっていた。あまり茸とはマッチしない。
今日は妹の泣子さんがデスクにいる。金髪に染めた髪が照明に反射して、音楽とはちょっとあっている。ウェザー・リポートは彼女の好みなのだろう。
ウェザー・リポートは私が学生のころだから五十年以上前に結成され、そのころは新しい音として一世を風靡したジャズグループである。ロックのほうでは、シンセサイザーが登場し、ピンクフロイドやちょっと後発のタンジェリン・ドリームなどのプログレッシブ・ロックである。クラシック畑ではシュトックハウゼンの電子音楽など、そういった時代だった。彼女は古いものがすきなのかもしれない。
いつものように、地方紙の棚に行くと、第六集の『語草片叢書』がでていた。タイトルを見ると、『茸の放屁』である。面白いタイトルだ。絵はよく知っている埃茸や、土栗、それに脳茸が描かれている。蹴っ飛ばすと煙が上がる茸ばかりだ。『茸の語源・方言辞典』(奥沢、山と渓谷社)をみると、「玉っころ」と呼ばれている連中だ。
デスクに持っていくと、泣子さんが「面白い題名ですね、書いた人は東京の音楽家で、字頭さんですよ」とニコニコしている
「字頭って、あの現代音楽の巨匠のですか」
驚いた。字頭希は映画音楽、テレビ番組の音楽、さらに、オーケストラのための音楽を作曲している、今一番注目されているシンセサイザーの巨匠である。
「そうなんです、青梅のほうに家をお持ちで、そこで作曲活動なさっているのだそうですよ、生まれは福島で、子供のころは茸が身近にあったそうです。青梅に移られたら、やはり茸がたくさん生えるので、子供のころ、お爺さまに聞いた話しを思い出されて、書かれたとのことです」
冊子の作者名をみた。宇土時汎とある。
「ペンネームになってますね」
泣子さんはうなずいて、
「宇土時はじとうのさかさま、汎は希の反対の意味ですって、本名で書くのは嫌だとおっしゃって、これを書くために名前をつけたようですよ」
「この『語草片叢書』は誰が編集しているのですか」
「おねえちゃん、姉は字頭さんの知り合いなんです」
「すごい人と知り合いなんですね」
「姉はやりてなのよ、この本屋も、編集も、それに、茸のレストランも経営しているんですよ、夜はそっちにいます、茸のシェフをやとっているの、字頭さんもよく見えているのでご挨拶をしたらしいけど、そこで意気投合したみたい」
初耳である。
「どこにあるのです」
「国立ですけど、行く時には紹介します、完全予約制なので」
とても私がいけるような値段のところではなさそうだ。
「その時はお願いします」といって、第六集を受け取った。
現代音楽の巨匠が書いた茸の本というのは面白そうだ。今日は寝る前に楽しめる。
泣子さんがなにやら棚から小さな本を取り出した。
「これ、もう最後の本なのですが、とても人気がありました。増刷はしないかもしれませんが、綺麗で、お客様にあいそうです」
手に持っていたのは文庫版よりちょっと大きいハードカバーの本で、厚さは二センチもあるだろうか、三方金が塗ってある。贅沢な本である。『ちいさな手のひら図鑑 茸』とあり、赤い綺麗な絵が書かれている。中を開くと、西欧の本やカードから取った絵と、それに、それぞれの種の説明が書かれている可愛らしい翻訳図鑑である。ミリアム・ブラウンとい人が書いたもので、グラフィック社発行である。
当全欲しくなる。値段を見ると千五百円、ずいぶん安い。それをみて、泣子さんは商売が上手だと思ったのは間違いで親切なだけなのだろう。
帰りの地下鉄の電車の中で、その図鑑の茸の絵と説明をみていると、あっというまに、芦花公園についた。
その夜、ベッドに入って『語草片』を開いた。
『茸の放屁』
私は仙台の農家に生まれた。赤子のころ、両親や祖父が働いている田のあぜ道に置かれた、籠の中に寝かされていたようである。少し大きくなると、田んぼの周りを駆け回り、山裾の道まで遊びに行った記憶がある。特に危ないところはなかったので、両親たちは私にかまうことなく仕事をしていた。秋になると山裾の道には茸がちらほらと生えていて、玉のような茸、玉っころを蹴っ飛ばして遊んだものである。埃茸である。
我家では、九十の曽祖父が、田にはもうでることはなかったが、家で縄をなったり、籠を編んだりしていた。そのころになると、夜に曽祖父が寝床で私や私の兄弟に昔話を聞かせてくれたものである。曽祖父は九十にもなるのに、頭がはっきりしていて、話がとても面白かった。
これは曽祖父が話してくれた茸の話だが、すべてを覚えていないので、私の想像を交えて、というより創作したことが入っていると思って読んでいただきたい。
その森の中にはいろいろな茸が生えていた。昔昔のことだが、その森の茸には身分に違いがあったという。
泉鏡花先生の『茸の舞姫』の中には紅茸の姫と腰元がでてくる。ということは同じ茸で身分の違いがあったことが書かれているが、この森の中では同じ茸の中でそれはなかった。茸の種類の間に身分の違いがあった。
まずは地面から生えている茸が、木の幹に付いている茸より位が上だった。例えば、猿の腰掛けよりも、小さいが土から生える落ち葉茸のほうが上だった。それじゃヒトの世界で高価といわれる松茸はどうだったかというと、松の木を頼りに生えているので、落ち葉茸より下に見られていたのだよ。虫から生える虫茸は、それこそ地位の低い茸として、下賎茸と馬鹿にされていたそうだ。
この茸の身分制度は、毒をもつ背の高い天狗茸たちがつくった。その仲でも赤く目立つ紅天狗茸や、逆に真っ白な毒鶴茸が中心になった。
それはこういうことがあったからだ。
あるとき、林に入ってきた腹の減った鹿が猪口や滑子を喰った。まだ足りないといって、真っ赤な紅天狗茸も食べた。そうしたら、鹿のやつ、へろへろになって、木の幹に体当たりはするわ、すべって転んで、片方の角を欠いちまうわで大変だった。それから鹿は紅天狗茸を怖がった。
まだある、奥山から遊びにきた猿の家族が、たくさんの猪口を食い満足をした。そのとき父猿だけ食い足りなかった。そこで近くにはえていた毒鶴茸を食べちまった。すると、熱をだし、腹痛がひどくなり動けなくなった。母猿や子どもたちは死にそうな父親を林から引きずり出し、川へ投げ込んだ。熱を冷まそうと思ったのだ。父猿は嫌というほど水を飲んで吐き出した。そうしたら何とか助かって奥山に帰ることができた。それ以来、猿たちは毒鶴茸に近寄らなくなった。
こういうことがあってから、天狗茸の仲間は、動物も怖がるほど強いんだ、と威張るようになったわけだ。
こうして、紅天狗茸や毒鶴茸などの天狗茸の仲間が一番偉いという、身分制度がこの森にできてしまったというわけだ。
茸の中で、土の上に生えているが、身分が低いとじゃけんにされていた「玉っころ」という、柄のない丸いフォルム茸たちがいる。土の上にコロンと生えているやつらだ。
玉っころの丸い頭の上には穴があいている。普通の茸は傘の裏にひだがあってそこで胞子をつくるが、玉っころは体の中で作って、頭の上の穴からふーっと吐き出す。
こいつらは腹菌類という一族で、埃茸、土栗(土柿とも呼ばれる)、脳茸、海辺の松林にいる松露など、茸茸していない連中で、ちょいと変わり者だ。
そいつらは、体の中の胞子が熟すと、頭の穴から煙のように噴出するので「煙出し」と呼ばれたりもする。
ところが、その昔は、玉っころは煙をはくことはなかった。玉っころの胞子は頭の穴からぱらぱらと土に落ちるだけだった。傘のある茸が胞子を傘の裏の襞からぱらぱらと落とすのと同じだったわけだ。
ともかく、玉っころは天狗茸たちからじゃけんにされ、森のなかにいれてもらうことができなくて、森の入口や、周りの道に集まっていた。
森には猪口の仲間が一番多い。猪口は柄もある傘の広いいい形のきのこだったのだが、天狗茸よりかなり背は低かった。それで、天狗茸にいわれ、森の入口に近いところに集まってくらしていた。猪口の仲間は茸仲間からとても好かれていて、信望が厚い。面倒見がいい茸たちで、玉っころとも仲がよかったわけである。
森の泉の近くの一等地には紅天狗茸や毒鶴茸が占拠しているわけである。
花猪口がぬめり猪口に言っている。
「泉の近くは住みやすいところだったのにな」
「たしかにな、みんなそう思ってるよ」
「身分制度なんて、何で神様がゆるしたんだろう」
「神様はかんけいないさ、天狗茸たちがかってにつくったものだよ」
「どうして、みんなあんなやつらのいうことを聞いているんだ」
「あいつらの毒はつよいからな」
「だけど、動物たちには毒でも俺たちにどくってわけじゃないだろう」
「そうだな、茸はみんなおとなしいから、言うこと聞いちまったんだ、日本人みたいにおとなしんだ」
「日本人は茸がかわったのかい」
「そんなことはあるまいがな、日本人は茸好きで、よく食べる、もともと茸だったら食ったりしないだろう」
「それで、天狗茸をおとなしくさせるにはどうしたらいいだろう」
「あいつら毒があることで、自信満々で、えばっているわけだよ」
「ということは、毒を抜いちえばいいわけだ」
「どうやってだ」
「ふーむ、むずかしいな」
猪口たちがそんな話が玉っころに聞こえてきた。
「身分制度はもともとあるものじゃないんだな」
土栗が埃茸に言った。
「そのようだな」
「森の中で仲良く暮らしたいよな」
「猪口たちが言っていたように、あいつらから毒をぬくのがいいのかな」
「他にいい手があるんじゃないか」
そう思った玉っころたちは考えたのだが、なかなかいい案がおもいつかない。
また猪口の話し声が聞こえてきた。
林の泉のそばで、茸虫がたくさん生まれたそうだ、しばらく経つと、大きくなって、我々茸を食べに来るぞ」
「そりゃ困った、何かよい方策はないかね」
「ふーむ、どうしたらいいもんかね」
「紅天狗たちが何とかしてくれないのかね、身分の高い連中は茸の国を守るのが役割だろう」
「そうだが、茸虫は毒茸だろうがまずかろうが、みんな食っちまうからな」
「逃げるしかないな」
「と言っても、我々は虫のように早くは動けんからな」
それを聞いた玉っころたちもこまった。
「茸虫がきたらどうしよう」
土栗が言うと、埃茸は
「風で転がってにげるしかないな」といった。
「俺はなかなかころがらないんだ」
そう言ったのは、玉っころの中でも大きな脳茸だった。
「俺たちは、森のまわりにいるんだから、茸虫が泉の近くの茸だけで満足してくればやってこないかもしれないな」
「たしかにそうだが、森の茸たちがいなくなるのは悲しいな、何とか茸虫を退治できないものかな」
「そうだな、天狗茸から毒を抜くよりた安いかもしれんが、それでも、どうしたらいいかわからんな」
「ともかく、この丸いからだではなにもできないないよ、ただ土の上で、コロンと転がって、胞子をふわっとそとにだすだけだからな」
「からだを変えなきゃしょうがないよ」
「茸虫は何が嫌いだろうか」
「虫は匂いに敏感だけど、嫌いな匂いは知らんなあ」
「好きな匂いは分かるよ、茸だろう」
「そりゃあたりまえ」
「ということは、茸の匂いを強くすれば、そっちに茸虫はよってくるな」
「それでどうするんだ」
「茸虫を集めて、そこで、いやな匂いをかがせて、一網打尽だ」
「やっぱり嫌いな匂いが分からなければできないだろう」
そう言われて玉っころたちはだまってしまった。
そんなある日、猪が林の中に入っていった。入口に生えていた埃茸が蹴っ飛ばされて転がった。
「痛え、乱暴なやつだ」
埃茸は頭の口を尖がらせて怒ったものだから、胞子がシューっと勢いよく空に向かってでてしまった。
それを見ていた土栗は「お、すごいね」と自分達も口を尖がらせてみた。すると、胞子が勢いよく飛び出した。
「これはいい、これに茸虫の嫌いな匂いがついていればいいんだがな」
そういっているところに、鼬がやってきた。鼬は林の中にのこのこと入って行った。
「林の中には猪がいるのに、入って行っちまいやがった、いじめられるぞ」
脳茸がそう言って鼬を見送った。
鼬は泉のそばまでやってきた。そのあたりには紅天狗茸がたくさん生えている。
猪も泉のそばにいた。腹が減っていた猪が紅天狗茸は食えるかどうか考えていた。
猪が鼬に気がついた。
猪は紅天狗茸が旨い茸で、鼬が横取りに来たのだと勘違いした。
猪は走り出して、鼬を牙で突っつこうとした。鼬は驚いて逃げた。森の入口に向かって、かけていくと、猪も猛スピードで追いかけてきた。
玉っころたちが生えているところに来ると猪が鼬に追いつた。
玉っころたちは鼬が突っつかれる、と目をつぶった。怖いところを見ることができないほど玉っころは気弱な茸だった。
鼬の尻に牙がちょっとばかり突き刺さった。
そのとき、ぽーんと大きな音がした。
玉っころたちは、驚いて眼を開けた。
すると、鼬が逆立ちをして、尾っぽを高く上げると、ポーンという音とともに屁をひったところだった。
その臭いの何のって、猪は鼻に匂いをかけられ、あまりにも臭いので、逃げていってしまった。
目を開けた玉っころたちは、逃げていくのは猪だけではなく、あたりにいた虫たちも、右往左往して、穴の中に隠れるやつや、草の葉っぱに頭をこすり付けるやつや、どの虫も、鼬の屁の臭いには大変な思いをした。
「鼬の屁は虫たちも嫌がっているぞ」
脳茸が
「体の中に鼬の屁が入っちまった、臭いな、こいつを噴出したら、虫がにげるかもしれんな」
そういいながら、脳茸は頭の穴をとんがらせて、思い切り、体の中にたまっていた鼬の屁を吐き出した。
そうしたら、やっぱり、虫たちがくさいくさい、ここにはいたくない、とどんどん走ってにげていった。
そこに、冬の間、ヒトの家にいく亀虫たちが通りかかった。
「臭いね、でも、おいらたちの屁のほうがもっと臭いぞ」
亀虫が虫っころに言った。
虫の中で亀虫ほど臭い屁をする虫はいなかったんだ。
それを聞いた埃茸は、これだ、と思った。
「亀虫の旦那、その匂いを我々に向かってひってはくれまいか」
「そりゃお安い御用、冬寝をするためにヒトの家にいくが、臭いと嫌われる、ここでひっていけばにおわないから好都合だ」
埃茸は玉っころたちにむかって、
「みんな、亀虫の旦那やかみさんたちに屁をひってもらって、それを吸い込もう、それで、転がって、森の中にいって、茸虫をやっつけるんだ」
そうさけんだ。
森の入口いた玉っころたちは、亀虫の屁を吸い込んで、体の中に溜めた。
屁を吸い込んだ埃茸が、ためしに頭の穴をすぼめ勢い良く胞子をへりだした。それがぶつかった蝮草の赤い実が、あまりの臭さに萎れてしまった。
「大した威力だ」
玉っころたちは自信をもった。亀虫に屁をたくさんかけてもらい、どんどん吸い込んだ。そうして、玉っころたちは、ころがって林の中に向かったのである。
屁を吸い込んだ玉っころ、埃茸、土栗、脳茸は泉のところにやってきた。
そこにはもう茸虫がいた。茸たちはみんなたべられていた。たくさんの紅天狗茸たちもぼろぼろになってみすぼらしくなっていた。
茸虫に這い上がられた紅天狗茸が、恥ずかしげもなく「助けてー」と声を上げ、逃げようともがいている。
「たすけてやるぞ」
玉っころたちがぞろぞろと、紅天狗茸や毒鶴茸の下にあつまった。
紅天狗茸が下を見ると、玉っころたちが見上げている。
紅天狗茸は、
「なんでお前達がここにいるんだ、森の入口に帰れ」
と言った。
「へえ、茸虫を追っ払らったら、かえりやす、紅天狗茸の大将に加勢をしようと思ってきたんで」
それを聞いた紅天狗茸、
「できるなら、やってみな、うまく行ったら、泉のところに入ってきてもいいことにしてる」と叫んだんだ。茸虫がかじり始めていたわけだ。
玉っころたちは紅天狗茸にたかっている茸虫に向かって、頭の穴をすぼめて、しゅーっと勢いよく胞子をぶちあてた。臭いにおいが紅天狗茸を包んだ。
臭いを吹きかけられた茸虫は鼻を掻きながら、紅天狗茸からおっこち、すたこら退散し始めた。玉っころたちは茸虫をおいかけ、匂いをかけた。とうとう、茸虫は林からでて行ってしまった。
生き残った紅天狗茸も毒鶴茸もやっと改心した。
これでこの森の身分制度はなくなったのである。
だが土栗、埃茸や脳茸はもといた森の入口にもどった。
「森の中より、このあたりのほうがあかるくていいね」
土栗も埃茸は、お日様が好きのだ。道端のほうが気持良かったのだ。
こうして、玉っころは蹴っ飛ばされると、怒って、胞子をシューっと飛ばすようになったそうである。そうなった彼らは「煙出し」たちとも呼ばれたんだ。もう亀虫の臭い匂いはしなくなったけど放屁茸とも言われるようになった。
とっぴんぱらりのぷー。
面白い昔話である。
字頭氏のひい爺さんはこの話をして、みんなのためになることをしなさい、自分のやりたいことをみつけなさい、と子供のころの字頭氏に教えたのではないだろうか。字頭氏が世界でも指折りの作曲家になれたのはこの話が背中を押したのだろう。彼が苦労してやりたかった音楽の道に入ったということをどこかで読んだ気がする。彼の生まれたころはもうなかった士農工商の身分制度だが、ひい爺さんの若いころにはまだその名残があったのだろう。彼のひい爺さんも何かがやりたかったのかもしれない。私は読み終わってそんなことを感じた。
そのような感慨にふけっていると、なんだか臭い匂いが漂ってきた。天井を見ると、たくさんのカメムシが張り付いている。壁を伝わって、数匹のゴキブリがカメムシたちの中にはいっていく。カメムシが一斉にケツをあげ屁を放った。ゴキブリが目を回して、私の顔に落ちてきた。私も目を回し意識がなくなった。いや眠ってしまった。
茸の悋気(りんき) - 茸書店物語7
昨日は珍しく寄席に足を運んだ。本来はDVDで楽しむだけなのだが、新宿の紀伊国屋ホールに、雲助が出たからだ。NHKに日本の話芸という、落語や講談を聞かせる番組がある。再放送が土曜日の朝四時半という早い時間に始まるが、二時か三時に起きてしまう自分にとって、とてもありがたい番組である。そこで雲助の『木乃伊取り』という演目を聞いた。話も表情もうまい。生で見たいと思わせるものだった。紀伊国屋での演目は古典落語の『悋気の火の玉』である。本妻が妾を嫉妬し、五寸釘を藁人形に打ち込むが、妾もそれを知って同じことをした結果、効果が現われ、どちらも同じ日に死んでしまう。しかし、死んだ後も、本宅と妾宅から陰火、すなわち火の玉が飛んで、途中でぶつかり、火花を散らす。陰火は幽霊の出るときに飛ぶ火の玉、それで,火事になるとあぶないと、主人が二人の幽霊に謝るという話である。とてもよかった。
若い頃、古典落語全集を持っていたが、今思うと惜しいことに、棚に入りきらなくなり、古本屋に売ってしまった。もう改めて買うことは無いだろう。
朝、新聞を開くと、語るというコーナーに柳家小三治の落語人生の文章が眼にはいった。もう五回目になっている。今まで気が付かなかった。小三治が影響を受けた落語家の話である。彼はうまい、の筆頭にあげたい落語家である。上手というのは、いくら流暢でも機械のようにしゃべるのではそういえない。話をする人間の個性が上手さを引き出すのであるから、機械では絶対にできない。落語は耳で聞くものというのは確かであって、ラジオから聞こえる落語も面白い。しかし、DVDが発明され、身振り手振り、表情が加わって、面白さは倍増した。さらに寄席に行けば、落語家だけではない観客の反応、その場の匂いが、それにさらに刺激を加えてくれる。ノンバーバルコミュニケーションの重要性ということである。それはなにも落語に限ったことではない。
今日は、天気もいいし、久しぶりに神田に出る気になった。持っていた落語全集がなつかしくなって、ちょっと本の背でも見てみようという気になったのだ。
神保町駅の岩波ホールの出口を出て、御茶ノ水とは反対の九段下方面に少し歩くと、演劇や映画専門の古本屋、矢口書店がある。のぞいてみた。いくつか落語の本が並んでいる。自分の持っていた古典落語全集もあった。十数冊だったと思うが、全部で五千円の値が付いている。ずいぶん安くなったものだ。落語全集に限ったことではないが、単行本はなかなか売れないようだ。古本の世界で顔を利かせているのは、漫画本である。
ついでに、古本屋がたくさん入っているビルに入る。ここも久しぶりだ。昔はここで時間を潰したものだ、中野書店が何階か占めていて、いい本をたくさん置いていた。個性的な古本屋もあった。成人向けの本を扱う本屋、子供の本屋、科学の本屋が入っていた。鳥海書房の図鑑類はすばらしいものがある。エレベーターを待っていたのだが、なかなかこないので、一階の中野書店の古書部をちょっとのぞいて出た。十一時半だ。ランチョンには空いているうちにと、いつも早めに行く。
ランチョンではハンバーグにライスをたのんだ。この店の定番メニューだ。ハンバーグそのものもだが、かかっているソースが美味しい。今日はさっとそれを食べて、草片書店に行くことにする。次の『語草片叢書』が出ているはずである。
紅天狗茸の描かれている扉を開けると、笑子さんがデスクに座っていた。私を認めると、立ち上がって「いらっしゃいませ」と声をかけてくれた。
「出てますよ、先生」
出てますよは『語草片叢書』のことだが、なぜ先生と呼ばれたのか分からなかった。
いつもの、茸の地方紙のところにいくと、『語草片叢書』第七集として『茸の悋気』がつんであった。
茸が嫉妬する話だろう。面白いタイトルをつけるものだと、手に取った。それにしてもここのところ悋気づいている。
筆者は千葉在住の人のようだ。
笑子さんが「先生、千葉には茸の愛好家がたくさんいるのですよ、そこに、愛好家の会報が置いてあると思うのですけど、房総の茸って言うのがあるでしょう、それに、県の博物館などで、茸関連の展示会や、説明会がたくさん開かれていることがのっています、今も千葉県立中央博物館では、きのこワンダーランドといって、展示をしています。もちろん科学的な部分と、その博物館で集めている、西欧の貴重な茸本が展示されていますわ」と棚を指差した。
見てみると、確かになかなか面白そうだ。
私は『茸の悋気』をデスクに持っていった。表紙の絵は、紅天狗茸と天狗茸、それに真っ黒な天狗茸が描いてある。
「ありがとうございます、先生」
笑子さんが受け取って袋に入れようとしたとき、気になったのでちょっと言った。
「あの、先生と呼ばれるような者ではないのですけどね」
「あーら、昔、エッセイでいろいろな賞をとっていらっしゃいますね、お名前をうかがって、ネットで引いたらずい分出てきました、旅のエッセイの第一人者でいらっしゃる」
確かに、昔はそんな賞もいくつかもらった。しかし、それだといって、生活の足しになるわけではないし、本を出してくれるようなところもそんなに無かった。出版した単行本は十数冊である。雑誌の編集長ならば、たくさんの著書があるはずだが、数からいえば少ないほうだろう。ただ、彼女が言ったように、その本の半分以上が、地方のものが多いが、賞をいただいている。ただ旅を正直に書いただけなのであるが。
「おはずかしい」
「茸の話は書かれなかったのですね」
「ええ、全くありませんね、今思うと惜しいことをしました。いいテーマですね」
「はい、いつか書いてください」
「もう、年ですから」
「書くのに年は関係ありませんわ」
確かにそうだが、それが活字になるかどうかの問題である。
「茸の面白い本はありますか」
最近、茸の本にかなり興味をもってきた。
「新しい本で、『奇妙な菌類』という本があります、白水貴という若い方が書いたものですけど、今までにない、不思議な茸が紹介されています」
ということで、専門書のところにあった、NHK出版のその本も買った。
「またおいでください」
笑子さんの声に送られて草片書店をでた。
地下鉄の電車の中で『奇妙な菌類』を開いた。口絵に珍しい茸や綺麗な茸の写真が載っていて見ているだけで楽しい。かなり専門的な本であるが、分かりやすく書いてある。その中でも茸が花に化けるという項目があった。生きている植物に寄生している菌で、菌が誘導して、その花とは違う花を作らせてしまう。作られた花は他の植物の花と似ていて、その花に行くはずの昆虫が間違って飛来し、花粉ではなく、菌の生殖細胞をくっつけて、飛んでいく。昆虫は他のところの花に止まって、配偶子を菌の作った菌糸に渡し、胞子をつくる。とんでもない仕掛けをすることで、自分の子孫を残す菌である。要するに、昆虫をだまして、自分の配偶子を運ばせてしまうのである。外国にいるらしい。
分からないところは読み飛ばしていくと、いつの間にか自分の降りる駅に着いてしまった。面白い本である。
『語草片叢書』は夜、寝ながら読むとしよう。著者は千葉の茸の同好会に所属している人のようだ。
『茸の悋気』
千葉は海に面している歴史のある地域である。海の幸が豊富であることは誰もが知るところであるが、渓谷もあり、山の幸も豊富である。もともと椎や樫の木が生えており、里山ではいろいろな茸がとれる。
どういうわけか、今でも茸の好きな人が多く、県の博物館では茸の古い図鑑を集めているし、茸の研究の部門もあり、毎年大きな茸展を開いている。茸の観察会なども秋にはよく行なわれている。
私自身は茸のことをよく知るわけではないが、興味はあるので、一つの茸同好会に入っている。しかし周りの会員のように、極端なマニアではない。ではなぜ、茸の同好会に入っているかというと理由がある。
私のもう一つの趣味として、古い文献や本に大いに興味を持っており、古い文字を解読して楽しんでいる。大学時代、古代文字の研究室にいたことがあり、卒業研究に平安時代の文献を取り上げたことから、辞書を片手に少しは読むことが出来る。
私の家には、その昔、大きな醤油屋であったところから蔵がある。醤油屋は随分昔に廃業しており、その時点で蔵が書庫として使われることになったようで、預かり物らしい書物類が無造作に棚に置かれている。その中にいろいろな古書があって、それを読み解く楽しみがある。中に茸の書かれたものがいくつかあり、読んでみると面白い。しかし、そのためには、本当の茸のことを知らなければならないと思い、同好会に入ったわけである。
最近蔵の中から見つけた一冊の本が、万葉仮名で書かれた茸の本であった。万葉仮名は平安時代には使われており、ひらがなの元になったわけなので、この本が本当に平安時代のものだとすれば、とても貴重なものである。書の題名は『君草妣楽香田里』とあった。漢字そのものに意味がないとすると「くさびらかたり」となるのだろう。
これは面白いと思い、大学に残った知人に見てもらうと首をひねった。本の紙が新しいというのである。平安時代のものであれば文化財として大変なものになるが、紙は江戸時代のもののようで、江戸時代の物好きが昔のもののように書いたのではないかということである。さらに、草片という言葉は平安時代には無いと指摘された。その言葉が出てくるのは室町だそうである。確かに、狂言のくさびらや独りまつたけなどの演目は鎌倉時代に作られたものである。
それにしても、このようなものが書けるということはかなりの知識人だったろうという。むしろ書いた人を特定すると、江戸時代のとんでもない人であることが判るかも知れない、と知人は言っていた。
ともあれ、私はその本を、こつこつと読み解いてみた。内容は、茸の世界が面白く書かれており、その中の一つの話を今の言葉に置きかえて、さらに私の注釈も加えながらここに紹介したい。
昔昔のこと。
草片の森と呼ばれる、緑豊かな山の中に、赤いべべを着た女童(めのわらわ)が、女官に付き添われ遊びに来た。宮中のお姫様のようである。草片の森には様々な生きものが生活をしているが、その中心は茸である。その頃、茸は禽獣であった。草でも、木でもなかった。
禽獣とは動物のことである。草は話が出来なかったが、禽獣は吠え、鳴き、話すことができる。茸は草のように動きは遅いが話が出来た。それで人は茸を禽獣と思っていた。しかもヒトの友として存在していた。
「あの赤い茸とお話がしたい」
女童は孔雀羊歯の脇に生えている赤い若い茸を指差した。おそらく紅天狗茸の子供であろう。
「姫様、あの赤い茸ですね」
女官が赤い茸に近寄ると、
「姫君が話をなさりたいとおっしゃっておる、よかったのう」
そう言って、赤い茸の傘に人差し指をのせた。子供の頭をなでて、可愛がるのを、茸では指を傘にのせるのである。
女童がそばにくると、女官と同じように、赤い傘に人差し指をのせた。
「かわゆいのう」
女童が赤い茸に話しかけた。
「ありがとうございます」
孔雀羊歯の下の赤い茸は傘に女童の指がのったものだから、からだ中しびれていた。気持ちがいいのである。
それを蕨の陰から見ていた赤い茸は、「私の赤のほうが綺麗だろうに、なぜ指をのせてくれぬ」そう、隣に生えていた黄色い茸に言った。この赤い茸は紅茸の子供で、紅天狗茸より少し年上のようだ。
黄色い茸は小金茸の子供で、よくわからず頷きはしたが、ちょっと傘を揺すっただけだった。何しろ、いきなりいわれたのもあるが、この黄色い茸も紅天狗茸のほうが綺麗だと思ったのだ。子どもながらに紅茸はかなり自意識の強い雌茸だなと思ったわけだ。黄色い茸は赤い茸より後に生えたのだから、まだ若い雄の茸である。もちろん紅天狗茸は雌である。
草片の森の茸には雄と雌があったのである。
女童は立ち上がって、「もう少し歩きたいのう」と、女官を連れて森の道を奥に向かって歩いて行った。
森には、このようにして、ときどき人間が入ってきて、茸に話しかけるのである。
もちろん、ヒトだけではない、様々な禽獣が森の中を歩いていた。
女童が立ち去ると、蜥蜴がやってきた。蜥蜴も茸たちが好きである。ときどき、二本足で立ち上がると、傘の上に顎を乗せて、うっつらうっつらするのである。そのような時、傘にのっている顎が、茸たちをしびれさせる。
蕨の下の紅茸のそばにやってきた。
「蜥蜴の兄さん、顎を乗せておくれや」
紅茸が声をかける。
「どうかな」
蜥蜴は二本足で立ち上がると、手を紅茸の傘にかけた。
「ちと硬いのう」
顎を乗せるには調度いい硬さがほしいのだ。雄の蜥蜴は紅茸の隣にいる雄の黄色い小金茸を横目に見て通り過ぎた。雄の蜥蜴は居眠りをするために雌の茸をさがしているのだ。
蜥蜴は孔雀羊歯の脇の赤い茸のところにやってきた。紅天狗茸だ。
蕨の紅茸が見ていると、蜥蜴は立ち上がって紅天狗茸の傘に顎を乗せた。
「何さ、あの蜥蜴、茸の良さをわかってない、とんちきだ」
紅茸がそういうのを、小金茸がおやまあ、と聞いていた。
蜥蜴がしばらくそうしていると、紅天狗茸の傘が小刻みに震えた。あまりの気持ちのよさに、からだが我慢しきれなくなって震えたのだ。その震えが、蜥蜴にとってたまらなく心地よいのである。
しばらくすると、蜥蜴は青い尾っぽを揺らしながら、紅天狗茸から離れていった。
紅天狗茸は気持が良かったと見えて、すーすーと寝息を立てている。そこへ、雌の赤座頭虫と雄の赤座頭虫が、仲良く下草の間を歩いて来た。ゆっくりゆっくり、長く折れそうな前足を前に突き出し、足元を確認しながらやってくる。
座頭虫の旦那は寝ている紅天狗茸の子供を見ると、
「かわゆいの」と前足の一本を、傘の上にかけようとした。
「おやめよ、おまえさん、寝ているじゃないか」
「そうだな、目が覚めてから、可愛がってやろうかね」
「そうおしよ、ほら、蕨の下にも赤い茸がいるよ、こっちを見ている」
おかみさんの座頭虫が紅茸の子供に気がついた。
「いってみるか」
夫婦の座頭虫が紅茸の子供に近づいて来た。ゆっくりゆっくりと、時間がかかる。紅茸の子供は、早く来ないかと、いらいらしている。
「おや、黄色い雄の茸もいるよ、小金茸じゃないか」
おかみさんの座頭虫が小金茸の傘の上に細い足をのせた。
座頭虫の細い足が傘の上にのると、茸にとって、これまた気持ちが良いのである。小金茸の子供は大喜びで傘を震わせた。
それじゃあ、俺もと、座頭虫の旦那が長い前足を持ち上げたとき、
「あーあ、気持ちよかった」という可愛い声が聞こえた。
孔雀羊歯の脇の紅天狗茸が目覚めたのだ。
それに気がついた雄の座頭虫は、あわてて振り上げた前足を降ろすと、ささささと紅天狗茸のところに走っていった。座頭虫はとても早く走ることもできる。人間の目にはとまらないほどである。
紅天狗茸の傘に座頭虫の旦那が足を軽く乗せた。この細い足で傘をつつかれると、茸は失神してしまうほど気持が良くなるのだ。
「あれー」紅天狗茸の子供は気持が良くて、もう何もわからなくなってしまった。
それを見ていた紅茸のこどもは、
「きーーい」
と、ぶるぶる傘を震わせた怒った。
それを見ていた、座頭虫のおかみさんがびっくりして、
「おー、こわ」と、小金茸から離れてしまった。それでも小金茸のぼおやはとても気持ちがよかった。
こうしてその日は終わった。
茸たちは一晩たつと大人になる。
次の朝になると、孔雀羊歯の脇の赤い紅天狗茸は背が高くなり、羊歯よりも上に頭がでた。妖艶な茸になった。蕨の脇の赤い紅茸は、背はあまり伸びなかったが、傘が横に伸び、大きな茸になった。隣の黄色の小金茸は、これまた立派な背の高い青年になった。
青く輝く雄の蜥蜴がやってくると、「紅茸さんも、大きくなったね、いい子だ」と、蕨の脇を通り越すと、孔雀羊歯の脇にいった。
蜥蜴は「おー、こりゃすごい迫力だねえ」と紅天狗茸を見上げた。もう、背が高いので、顎を傘にのせることは出来ない。
「お上がんなさいな」
紅天狗茸が声をかける。青く輝く蜥蜴は傘の上によじ登った。紅天狗茸は傘の白いぼちぼちで蜥蜴の腹をくすぐった。
「ほー、たまらんね」
気持ちの良くなった蜥蜴は紅天狗茸の傘の上でしばらく日を浴びた。
それを見ていた紅茸は、「全く、あの蜥蜴は本当の茸を知らないやつよ」とそっぽを向いた。
ふと隣の黄色い茸を見ると、ずい分背が高くなった。
「おや、なかなかの美男子になったね」
それを聞くと、雄の小金茸は恥ずかしそうに俯いた。とってもうぶな雄の茸だ。
それを見た紅茸は、ぽっとさらに赤くなった。どうも小金茸に懸想したようだ。
「どうだい、あたしと付き合わないかい」
紅茸が小金茸に声をかけたのだが、小金茸はまだもじもじしている。
そこに、座頭虫の夫婦がやってきた。
「茸がみんな大きくなって立派だね」
座頭虫のおかみさんが、小金茸の傘の上に二本の前足を両方とものせると、からだをゆすった。小金茸の傘が前後に揺れた。小金茸は気持が良くなり、傘を少しばかり開いた。これで小金茸はやっと男になった。
座頭虫の旦那は「紅茸も大人になってきたのう」と言いながら、紅茸の脇を通り越して孔雀羊歯のところに行った。すっくと立っている紅天狗茸の傘の上では青く輝く蜥蜴が寝ている。
「おいおい、そろそろ起きて、飯でも食いに行きな」
座頭虫の旦那は、傘の上で日の光を浴びていた蜥蜴を前足で揺すった。
「おー、座頭虫の旦那も、紅天狗茸がお気に入りかい」
蜥蜴は目をこすりながら紅天狗茸を降りると、
「紅天狗の姉さん、それじゃ、また」と食事にでかけた。
「座頭虫の旦那さん、お願いしますよ」
紅天狗茸がしなを作った。
座頭虫の旦那は両方の前足を傘にかけると、からだを揺すった。紅天狗茸が前後に揺れて、「あー」という、紅天狗茸のため息が聞こえた。紅天狗茸の傘が少し開く。ますます妖艶な茸になった。
それを見ていた、紅茸は「ちくしょう」と、紅天狗茸を、遠くか睨みつけた。
それを聞いた、座頭虫のおかみさんが「怖い茸だね」と小金茸の傘から前足をおろすと、すたこらその場から旦那のいる紅天狗茸のほうに逃げていってしまった。
紅茸は小金茸にむかって、「なんだい、紅天狗茸より、あたしの傘の方が立派だろう、そう思わないかい」と、赤く広がった大きな傘を広げた。
確かに、立派な傘だと思ったから小金茸は、うんうんと頷いた。
「そう思うだろ、あんたはいい男になったね」
紅茸は小金茸にますます好意を強くした。
座頭虫のおかみさんは「あんた、いくよ」と、紅天狗茸を揺すっていた旦那を連れて、食事をしに行ってしまった。
気持が良くて傘を開いていた紅天狗茸が目を開けると、蕨の脇の小金茸が眼にはいった。
小金茸も紅天狗茸が自分を見ていることに気がついた。
小金茸は「紅天狗茸のねえさん、きれいだね」と思わず声を上げた。ちょっとそう思ったからそういっただけなのだが。
「お前様も、素敵でござんす」と紅天狗茸が応じたものだから、小金茸は紅天狗茸のとりこになっちまった。
これを聞いていた紅茸の心中は大変なことになっていた。
あの紅天狗茸のやつ、生意気に、なんとかしちまいたい、だが手だてが無い。
そう思って、紅茸がうじうじしている時、草片の森に、また女童が女官を連れて遊びに来た。
「一昨日の赤い茸がこんなに大きくなった」
「そうですね、姫様、お話し相手になさいますか」
「うん、それにあの黄色い茸も」
女童は蕨の脇からすっくと立っていた小金茸も指差した。
「はいはい、帰りに連れて行きましょう」
人間たちの間では、綺麗な茸を自宅に採って帰ると、鉢に植え、萎れるまで、お話を楽しむということをしていた。その習慣はやがて、茸があまりにも可愛らしいので、食べてしまいたくなり、人間は茸と話をし終わると食べるようになった。その習慣から、今の人間は茸と話をしなくなり、ただ食べるものと間違った認識を持つようになったのである。
「あら嬉しいね、黄色い茸のお兄さんと一緒に、連れて行かれるのよ」
紅天狗茸が小金茸に言った。人間に話し相手に連れて行かれるのは大変名誉なことだったのだ。小金茸も喜んだ。
紅天狗茸は小金茸と傘を震わせて気持ちを通わせた。相思相愛になったのだ。
紅茸は振られた上に、紅天狗茸と小金茸が人間に選ばれたことに憤った。特に恋の相手の小金茸を持って行ってしまうとは何てことだ、いいてだてがないか考え続けた。
そこに、斑猫(ハンミョウ)がやってきた。青と赤の綺麗な虫だ。虫のくせに虫を食べる。
斑猫は紅茸の脇を通ると、そそくさと食事を探しに歩いて行ってしまった。
「挨拶ぐらいしな」
いらいらしていた紅茸は斑猫に八つ当たりした。
そこへ、豆斑猫がやってきた。豆斑猫は斑猫の親戚だが、色は地味な黒っぽい虫である。ただ触るとかぶれる毒をもっている。
紅茸の性格はずい分捻じ曲がっていたものだから、変なことを思いついた。
「豆斑猫のだんな、孔雀羊歯の脇の紅天狗茸がこんなことを言ってましたよ、斑猫は綺麗なのに、豆斑猫はなんて地味でつまらない、なんてね、わたしゃそうは思いませんよ、黒くて男らしいと思ってますよ」
豆斑猫は、その話を真に受けた。
「けしからん茸だ」
「そうですよ、あいつに、毒を注入しておやりなさいな」
ちょっとばかり怒った豆斑猫は、紅天狗茸のところにいって柄に毒を注入した。
紅茸はこれで小金茸を独り占めできると思ったのだ。
そこに女童と女官が戻ってきた。
「それじゃ、この赤い茸とあの黄色い茸を話し相手に連れて行きましょう」
「採っておくれ」
「はい、お姫様」
女官が手を伸ばした。採ろうと紅天狗茸に触れると、手にぶつぶつができた。
豆斑猫の毒はカンタリジンといって皮膚にできものをつくる。
「姫様、この茸は毒があります、話し相手にはできませぬぞ」
「綺麗なのじゃがな」
女童は残念そうである。
「また、明日、別の茸をさがしましょうね」
女童と女官は去っていった。
紅茸はざまあ見ろと笑った。
紅天狗茸は小金茸に、
「私がこんなになってしまったので、お前さんまでも人間の話し相手になれなんだ、すみません」
しゃんとしていた紅天狗茸が急にしおれたのを見た小金茸は、
「いえいえ、姉さんが悪いのじゃない、これから一緒に胞子を飛ばそうではありませんか」と言った。
一緒に胞子を飛ばすと言うことは、二人でいつまでも暮らそうということである。
紅天狗茸と小金茸は、傘を膨らませ、ひだの間から胞子を空に撒き散らした。胞子を撒く時、茸は恍惚となる。
それを見ていた、紅茸はますます怒り狂い、とうとう、胞子を飛ばすことなく萎れてしまったのである。
このようにして、紅茸の悋気が、紅天狗茸を毒茸にしてしまった。
しかし、紅天狗茸の毒は違うものにかわっていき、人の心に影響を与えるものになった。この話を知ってか知らないかは分からないが、ある国では、毒をもつにもかかわらず、紅天狗茸が幸福の象徴として考えられているのである。
これを読み終わって、大変面白い話しが伝わっているものだと感心していると、隣の車両との間の戸が開いた。自分のいる車両に入ってきたのは小金茸と紅天狗だけだ。仲睦ましく二人並んで私の前を通り過ぎるとき、チラッと私を見た。笑っている。これはいかんと眼を瞑った。電車が止まった。この電車は笹塚どまりだ。目を開けて前の各駅停車に乗り換えた。どうやら妄想は消えていた。
家に戻り、この原本を見せてもらいたくなったので、草片書房に電話をすると、笑子さんが作者の電話番号を教えてくれた。
私が電話をかけると、筆者は「お見せしてもかまいませんが、遠くまで大変ですよ」と、千葉の家に行く方法を教えてくれた。著者は野田さんと言った。三日後に会う約束をした。
東京駅から総武線快速に乗り、津田沼で降り、タクシーで野田さんの家に行った。古い門構えで、中は広大と言っていいほどの庭が広がっている。いくつもの古い蔵がある。母屋は木造の三階建てで、築数百年はたっていそうだ。
玄関の呼び鈴を押すと、背の高い男性が出て来た。白いひげをはやしている。それが野田さんだった。
「遠いところまで良くいらっしゃいました、どうぞ、お入りください」
立派な邸宅である。黒光りした廊下を行くと、しゃれた客間に通された。
「すばらしいお家ですね」
「いや、古いだけですけど、先祖が頑張ったお陰です」
野田さんは謙虚である。古いソファーに私は腰掛けた。
彼は一冊の古びた和書を私の目の前に置いた。『茸の悋気』の文章が入っている原本である。江戸時代の本ということである。
「これですか、拝見します」
私はそれを手にとって、中を開いた。確かに万葉仮名で書かれたものである。
私はふと奇妙なことに気付いた。墨の色がどこか新しいような気がするのである。
古い本を開いた時の匂いが無い。墨のかすかな匂いがしたようである。百年以上前の本であるなら、墨の匂いはしない。古書の匂いがする。
腑に落ちない面持ちでいると、野田さんの顔が笑っている。
私は思い切って言った。
「紙は確かに江戸時代のもののようですけど、墨が匂います」
そこまで言うと、「先生には嘘はつけませんね」と彼は口を開いた。
「草片書房の笑子さんから、文筆家であることをうかがっています、だから、すぐ分かってしまうだろうとは思っていたのですが、こんなに早く分かってしまうと思いませんでした」
「野田さんが書かれたものですね」
「その通りです、全くの創作です、笑子さんが、それでよいと言ったので書かせてもらいました、茸が好きであることは確かです、それに、万葉仮名も少しは分かるので、このような遊びをしてしまいました、すみません」
野田さんが頭を下げた。
「いや、謝っていただこうなんて思っておりません、とても面白い創作でした、サインをお願いしたいと思って、持って来ました」
『茸の悋気』の小冊子をバックから出した。
「サインですか、字が下手で、恥ずかしいのですが」
そう言うのを押し切って、サインをもらった。
それから、しばらく、野田さんの祖先のことや、千葉の茸の話しをしておいとまをした。千葉まで行った甲斐があった。
いい一日だった。
茸の華実(かじつ) - 茸書店物語8
芦花公園の住んでいるマンションの近くに、市の世田谷文学館がある。面白い企画が多くて、必ず見に行くようにしている。常設のムットーニの幻想的な現代からくりも魅力で何度見ても飽きない。
今、奇妙な植物の文学展をやっている。色や形の面白い植物は身近にもかなりある。荒俣宏氏の著書『花の王国4、珍奇植物』(平凡社)をもっている。それには、西欧の著名な図鑑から採録した華麗な絵とともに、六十八のおもしろい植物が紹介されている。すべてカタカナの名前になっているが、日本でも見ることができるものがかなり含まれている。たとえば、天南星の仲間はとても花の形が面白く、私自身も好きなものである。天南星の中の浦島草や蝮草という名はかなり知られているだろう。それらは里芋科の植物で、ザゼンソウもそこに含まれている。
ページをめくっていくと、ラフレシアは寄生性の植物、最も大きな花としでなじみが深いし、寄生性のナンバンギセルは里を歩けば出会うこともあり、見るのは難しくはない。馬の鈴草の種類が掲載されているが、寒葵の花はラフレシアを小さくしたようで、いろいろな形があり、よく見られる珍奇な花だが、土に埋もれたように咲くので、葉っぱは知っていても花に気がつく人は少ないかもしれない。
ページをめくっていくと、土栗、鬼フスベや籠茸がのっている。茸である。昔の教科書では、茸は植物に含まれていた、それが今では、植物でも動物でもない、菌類として、第三の世界に独立した。そういう意味でも面白い生きものだ。千葉の中央博物館に行った時に知ったのだが、茸類は恐竜より後に生まれた可能性があるという。ということは、動物や植物よりかなり新しい生物ということになる。
これらの植物や菌類は文学と切り離すことは出来ない。文学館では、植物の写真と、その植物に関する文学作品が陳列されていた。浦島草はそのものの名前で大庭みな子の作品がある。寒葵は徳川の紋となるほど身近なものであり、かつ、ちょっと他の植物とは違った気品のあるもので、万葉にも歌に読まれたようである。
座禅草は萩原朔太郎の生誕の地、群馬の沼沢で見事な花が見られるようだが、朔太郎は取り上げていないようだ。座禅草というタイトルでミステリーを書いている素人の人もいるという。面白いのは、怪奇小説家のラブクラフトが短編の中で扱っているらしい。英語でスカンクキャベツというそうで、臭いのだろうか。
茸の小説もいくつか紹介されていたが、茸だけで文学展ができるほど、小説の中には登場するという。茸の個々の名前そのもののタイトルの本もかなりあるようだ。茸小説や茸漫画のアンソロジーも出ていることが書かれていたが、本そのものは置いていなかった。今回の文学展では、茸に力は入れられていない。
その展覧会を見てから神田に出た。京王線の芦花公園駅は各駅停車しか止まらない。しかし、各駅で終点の新宿まで行ってもさほどかからないので、いつもそのまま乗って都心に行く。神田神保町に行くには、笹塚で都営新宿線直通の電車に乗り換える。そのほうが新宿にでるより早い。神保町は笹塚から八つ目である。
もうすぐ一時なので、駅を出るとそのままランチョンに行った。今日のランチはサーモンフライにトンカツである。トンカツのタレがなかなか美味しい。食べるとすぐに草片書房に行った。
木のドアを開けると、今日は姉妹とも店にいた。入っていった私を見て「いらっしゃいませ」「いらっしゃい」と、二人から声がかかった。
私が地方出版のところに行くと、姉の笑子さんが「はいっていますよ」と笑顔になった。
棚を見ると、『語草片叢書』の第八集『茸の華実』があった。華実とはどういう意味でつけたのだろうか。手にとって見ていると、妹の泣子さんが「それ、そのままの意味なんですよ、花と実ということ、華は昔の字を使ってますけど、作者の趣味でしょう」とそばによって来た。茸に種はできないから、何か他の意味があるのかもしれない。
「対馬島の人が書いたのですけど、古い伝承的なお話らしいです、あのあたりには民話はいろいろ残っているみたいです」
「あの、長崎の対馬山猫のいる島ですか」
「ええ、椎茸栽培が盛んですね」
姉の笑子さんが話しに加わった。
「原木で採れる椎茸がとても立派で、大きな傘に花の模様のような割れ目があって、華茸とよばれるのですよ、それを書いた人も、島に古くから住んでいる人です、それで華という字を使ったのじゃないですか」
対馬島で茸栽培が盛んだとは知らなかった。長崎にはずい分行ったし、たくさんの島があるが、島巡りをしたのは本土に近いところの小さな島だけである。小さな島でも教会が建てられている。その建物を見るだけでも価値があり、そのあたりを旅の雑誌にのせたことがある。なぜか対馬には行かなかった。動物学者にツシマヤマネコのことを書いてもらったことはある。
「笑子さんのレストランでも華茸を使っているのですか」
笑子さんは茸のレストランの経営もやっている。行こうと思うのだが、予約しないといけないような高価な店で、ちょっと躊躇している。
「シェフに任せていますけど、使っていますね」
「だけど、対馬の自然の茸はどうなのですか」
「あそこには原始林が残っていて、いろいろな茸が生えるとのことです、その作者の方にも会いましたが、本気で研究すると新しい茸がたくさん見つかるのではないかとおっしゃっていました。なにしろ、大昔は大陸とつながっていて、大陸の人が日本にやってくる中継所のようなところだったのですから」
知識としては知っていたが、行って見なかったのが悔やまれる。
第八集の表紙の茸の絵は椎茸ではない。薄黄茶色の可愛らしい茸が書かれている。今にも動き出しそうな茸である。
「その茸、ショウゲンジ、というんですよ、美味しい茸です」
「食べたことはありません」
「地元では食べる茸ですけど、培養ものがないから、都会にはあまり出回らないでしょうね」。黒皮と同じようだ。都会の人間は知らない。
お願いしますと脇に来ていた泣子さんにその本を渡した。
「今日、世田谷文学館で、奇妙な植物の文学展をやっていて、見てきたのだけど、茸がちょっとありました、だけど茸の小説の本は紹介だけで、置いてなかったです」
「茸の文学はずい分ありますから、それだけで展覧会ができるでしょうね、日本の小説家もずい分茸をあつかっています。アンソロジーが出ていますけど、ちょっと本のつくりは小説や詩を読む雰囲気ではありません、お勧めできません。読みづらいと思います。むしろ個々の作家の本を読まれたほうがいいと思います。有名なのは泉鏡花の『茸の舞姫』でしょうか。幻想小説では中井英夫の短編集にあります。最近では泉鏡花賞を受賞した、中島京子の『妻が椎茸だったころ』というのがあります。お勧めしたいのは、加賀乙彦の『くさびら譚』です。加賀乙彦全集の1です。いい本です。それらの本はその棚に入っています、ご覧ください」
笑子さんが指差した棚のところに行ってみると、茸小説コーナーと書いてある。確かにたくさんある。翻訳されたものもあり、レイ、ブラットベリーなど知っている作家の名前もあった。
加賀乙彦は精神科医で小説家ということは知っていたので、笑子さんが教えてくれた『くさびら譚』を手にとって見た。地味な装丁だが、表紙の茸の絵にしてもとても感じのいい本である。値札は二千円になっている。値が上がっているようだ。しかし欲しくなり、デスクに持っていった。「これ、お願いします」と差し出すと、「いい本を選ばれましたね、ほら」と笑子さんが、本の見返しを開いて見せてくれた。そこには野上彌生子宛の献辞があった。サイン本である。貴重なものだ。
「限定版もあるのですけど」
泣子さんが棚からもって来た。茶色の布張りの帖に入った綺麗な本だ。113部限定。欲しくなる。
「おいくらなんです」
「二万円です」
装丁から考えると、決して高くないが、今持ち合わせがないし、内容もまだ知らない。それを察したように、笑子さんが「読んでみてからよ、泣ちゃん」と言った。
「そりゃそうね、すみません」
泣子さんはその本を棚に戻した。笑子さんが「『くさびら譚』は加賀乙彦が東大の脳研究所にいたときの、脳の解剖の教授をモデルにして書いたものらしいのよ、その教授は有名な茸好きで、加賀さんはずい分尊敬していたらしいの」、笑子さんはよく知っている。
「なんと言う人ですか」
「小川鼎三先生という方だそうですよ」
どこかで聞いたような名前である。
「それじゃ、読んで、欲しくなったら、次の機会に」
「はい、またいらしてください」
こうして、帰りの電車に乗った。『くさびら譚』を開いた。六つの短編が入っていて、『くさびら譚』は五つ目である。家に帰ってからも、ベッドに寝っころがって読み続けた。若い頃は周りのことをすべて忘れて小説を読みふけったものだが、年をとってからはずい分久しぶりである。もう七時になっている。『茸の華実』は明日にしよう。
次の日、三時に目が覚めた。たまに車の通る音が聞こえるが、まだ外は寝静まっている。
朝風呂に入り、トーストと紅茶、それにヨーグルトと簡単な朝食を済ませた。昨日、活字に集中したせいか、ちょっと本を読む気にはなれなかった。ボーっとしていた時、突如として、笑子さんの言ったことを思い出した。『くさびら譚』のモデルは小川鼎三先生である。その人の本をもっている。といきなり思い出したのである。自分の書棚を眺めていくと、あった。小川鼎三氏の『医学用語のおこり』という本である。箱に入った立派な本だ。小川鼎三という人は叔父の友人であり、叔父の娘、従姉妹が面白い本だと教えてくれて買ったものである。もう五十年も前の話で、自分にとっては領域外のものなので、ざっと目を通し、医学用語の起源が面白く書かれていたと思った記憶がある。改めて目次を見てみると、確かに茸の話がいくつものっている。
その朝は、その本を読み始めてしまった。医学用語のなりたちも面白いものである。ヒステリーは子宮からきているということだ。発音はわからないが、ギリシャ語で子宮はヒステラというらしい。
そういったことで、『語草片叢書』の『茸の華実』を読むのはその夜、ベッドに入ってからになった。
著者は長崎、対馬の商工会議所の理事の一人のようだ。
『茸の華実』
対馬島はたくさんある島々の中で最も大きく、しかも長崎本土からかなりはなれ、ユーラシア大陸に近いところにある。その昔は大陸と地続きだったという。縄文時代には島となっていたと考えられているが、大陸からの様々な影響があったであろう。そのようなことから、日本にとって、大陸諸々からの攻撃を防ぐために重要な場所でもあった。
気候的には暖かいところで、五百メートル前後の山がいくつかあり、原生林が覆っている、自然の宝庫である。一つの例が、あの有名なツシマヤマネコである。山猫は日本には二種類しかいない。あとの一種は西表島のイリオモテヤマネコである。それ以外にも、対馬島でしか見られない昆虫がいる。植物も特有なものがあるが、茸に関しては、調査が十分でないこともあり、この地特有なものの報告がない。しかし、椎茸の栽培に適したところで、華茸と呼ばれる大きく、味の濃い立派な椎茸が生える環境にあり、未発見の茸も多いに違いない。
古い家が多く、蔵には昔の書物がたくさんしまわれている。その中に対馬のことを個人的に書き残したものもあり、これから紹介するのは、その一で、茸が面白おかしく書かれた民話的なものである。
この地に生える茸の一つ、ショウゲンジにまつわる話だ。正源寺と書くが、信州では虚無僧、名古屋あたりでは坊主、などとも呼ばれ、よく食べられている。だが対馬ではこの茸を食べることはなかった。その昔は、食毒不明の、しかし、よく見かける茸程度に認識されていたものだった。名前のとおり,坊さんのような風貌である。
これは津島の霊峰、白嶽(しらたけ)に名前がつけられていないころの話である。
真夜中、林の中の落ち葉の間から茸が顔を出した。周りにも仲間の茸が頭を出している。
「今日はええ具合の暖かさじゃ、ショウゲンジにはいいのう、みんなも顔をだすことができたのー」
はじめに頭を出した茸が、すこしばかり背がのびて、まわりを見回した。まだ頭だけのものもいる。何故関西弁をしゃべったが、理由はまったくない。何しろ、土の中ではみんなつながっていて、海の底の土の中を菌糸がのびて、日本列島すみずみまでいきわったっているので、どの地方のことばを話すか、茸は生えてみないと分からないのである。
「早く出てこんかい」
そう言って急かすものだから、周りのショウゲンジも面倒臭そうに伸びてきた。
「そんなこと言ってるから、虫に食われちまうんだ」
「へえ、ショウゲンジはうまい茸ですからな、しょうがおまへんな」
「人間に知られたら、みんな食われちまう」
「対馬の人間はショウゲンジのことを知りませんから、大丈夫でっせ」
「それはそうだ、ここの人間はみんな椎茸ばかり食っている」
「椎茸の連中に人間は任せておきましょうや、大将」
「そうだな」
ショウゲンジがあたり一面に育ってきた時、ばさばさと鳥が舞い降りて来た。ショウゲンジたちは喰われちまうと戦々恐々となったが、茸は動けない。
「こんな時動けたら逃げることができるのに」
ショウゲンジの大将がこらえきれずに、身をよじったのだが、どうしようもない。
大きな鳥は下草の中に降りたつと、すでに鼠をとらえていた。それを見たショウゲンジはすこしばかりほっとした。
大きな鳥が鼠をくわえて木の上に飛んでいった。
「あの鳥は肉食だった、よかったな」
ショウゲンジの大将はほっとして、ちょっとふにゃっとなった。
「あの鳥はなんだったのですかい、大将」
「知らねえな、夜に飯食うなんて、なんてやつだ」
そこに、大きな猫が顔を出した。
ショウゲンジはまたおどろいた。と、猫が言った。
「あいつはオオコノハヅクだ、俺が狙っていた鼠をかっさらっちまいやがった」
「大きな猫さんよ、おいら達のことばがわかるんかい」
「ああ、対馬の生きものは、茸がしゃべろうが、草っぱや木がしゃべろうが対馬同士ならみんなわかる」
「へえ、対馬にしかいねえ生きものっていうと、お猫さまはそうなんで」
「そうだ、ツシマヤマネコだ」
「わっちらはショウゲンジという茸でやんすが、すると我々も対馬の茸でしょうか」
関西弁が関東弁になったようだ。わっちは吉原ことばから、やんすは江戸も上方も使う。茸の話しことばはいい加減だ。
「きっとそうだ、大陸にも日本本土にもいない茸だ、対馬で生まれたのだろう」
「へえ、それじゃ、ツシマショウゲンジってことですか」
「そうだろう」
ツシマヤマネコはそう言うと鼠を探しに行ってしまった。
林の中が明るくなって来た。日の出だ。
「おい、みんな、俺たちは、大陸にも日本にもいねえ茸だそうだ」
「大将、だけど茸だよな、何とか他の茸より立派になりたいねえ」
「さっきから聞いてりゃ、いい気なもんだ、花も咲けねえのによ」
そう言ったのは虫だった。
「お前さん、話ができると言うことは、この島の住民だね」
「ツシマカブリモドキだ」
「マイマイかぶりかね」
「そんなもんだ」
マイマイカブリはカタツムリに頭を突っ込んで喰っちまう虫だ。
「おたくさん、茸は華だってことを知らないのかい」
「花ってのは、ぱっと咲いて、実をつけるんだ、あんたら茸に実がなるかい」
そう言われたツシマショウゲンジたちは考え込んでしまった。確かに、胞子をパーッと撒き散らしておしまいだ。シツマショウゲンジの心が読めるのか、ツシマカブリモドキが言った。
「いいかい、動物ってのは、男と女がいて、子どもが出来るんだ、雄の魚はパーッと水に精子を出して、雌の魚は卵を産んで、精子と卵子がくっついて子供になるんだ、植物だって、雌しべに雄しべからの花粉が付いて、実ができて、中の種が子供になるんだ」
茸には雌雄がない。ショウゲンジは虫に雄と雌があることが羨ましい。
本当は茸が動物と植物の後から進化してきたのだから、動物植物よりもっと高度な生きもののはずなのだ、きっと、対馬の外のことを知らない茸だったからそう思ってしまったのだろう。ツシマショウゲンジは実というものにあこがれてしまったのだ。
ツシマカブリモドキが遠くにいる餌の蝸牛を見つけると、すっ飛んで行ってしまった。腹が減っていたようだ。
「大将、胞子じゃなくて、花を咲かせ実をならしてみたいものだな」
「そうだな」
「どうしたら胞子から実になるんだろう」
お昼近くになって、林の中はお日様の光で満ちていた。
ツシマショウゲンジたちが生えているところに、花のような花ではないような、橙色のものが生えてきた。
ツシマショウゲンジの大将がおどろいて、みんなに「気をつけろ」
と声をかけた。ショウゲンジたちが、何が出てくるのか見ていると、花のようなものが伸びてきて大きくなった。
「危なくはなさそうだ、だが我々の仲間なのだろうか」
形は花に似ているが、葉っぱはない。
「絶滅種だ」
その花のようなものは話す事ができた。ということは、対馬の生きものだ。
「お前さん、茸か」
「いや、花だ、ツシマラン」
「蘭は植物だ、それじゃ実がなるのか」
「残念ながら、まっとうな実はつけないが、植物だ」
「我々も花を咲かせ、実をつけてみたい」
「茸は植物より後からこの世に出てきた生き物、花を咲かせたいということは、進化ではなく退化することになるぞ」
この答えに、ツシマショウゲンジはなるほどとは思った。しかし、林を見上げると、アケビがたくさんなっている。ああいう、立派な実を成らしてみたいものだ。ツシマショウゲンジはアケビに声をかけてみたのだが、返事は無かった。どうもツシマだけの生きものではないようだ。
「ツシマショウゲンジのみなさん、我々ツシマランも実はできないが種は出来る」
「ほう、種は出来るのか」
「花粉が雌しべにつけば種ができる、種は粉のように細かいので風に乗って遠くに飛ぶ」
「そこは胞子と似ているな、だが、大きな種がつくりたい、それに種を包む実もならしてみたい」
「茸は雄と雌がないであろう、まず、雌雄をはっきりさせるべきだ」
というツシママランの忠告があった。
ツシマショウゲンジの大将は、
「まず、雄の胞子と雌の胞子をつくらねばならんな」と仲間に言った。
「どうやって」
そこに声がした。
「俺なんか、いや、あたいなんか、卵子と精子を両方持ってるのよ」
ツシマショウゲンジは誰が言ったのか周りを見た。
いた。萎れた羊歯の葉っぱによじ登っているオレンジ色のナメクジだ。言葉が分かるということは対馬にしかいないやつだ。そう思って、ショウゲンジの大将は「そこの、橙のナメクジ君、ツシマの生まれかい」ときいた。
「あたい、女よ」
「失礼、ナメクジさん」
「男でもあるよ、ツシマナメクジだ」
「まあ、どっちでもいいが、どうやったら両方もつようになれるんだ」
「生きものはその気になりゃあ、何でもできるのよ」
「そういうもんかね」
そこに、ツシマアマガエルがきた。食われては大変とナメクジはかなりの速さで逃げ出した。ツシマガエルが追いかけると、今度はツシママムシがやってきてツシマガエルを喰おうと追いかけた。ツシマナメクジはツシママムシに助けてもらおうと、追いかけ始めた。ところが、蝮は蛞蝓が大の苦手、蛙は蛇に食われちまう、対馬の三匹は、ショウゲンジの生えている周りを逃げ回った。
ツシマショウゲンジの大将は目が回り、「対馬から出て行けえー」とどなった。三匹はそれを聞くと、驚いて、三方に逃げていった。対馬にいれなくなったら大変だと思ったようだ。
一方、目が回ったツシマショウゲンジは、傘のひだの間がジーンと熱くなった。なにやら熱を持っている。胞子が熟してきたらしい。
「おい、お前ら、胞子が熟しちまったぞ」
「ええ、そのようよ」
「大将、だいぶ胞子が大きくなってきやした」
「そのとおりでござんす」
ツシマショウゲンイたちの様子が何かおかしい。男言葉と女言葉を話すやつが出てきた。
「何でえ、お前ら、雄と雌になったのか」
「そんなことはねえです」
「そのようなこと、ありませんわ」
さっきは女言葉のツシマショウゲンジが男言葉を話し、男言葉を話していたツシマショウゲンジが女言葉になった。
「あら、いやだ、かわっちまって」とショウゲンジの大将が女言葉になった。
傘の襞の中の胞子は、真っ白いものと真っ黒のものがある。
「おい、胞子がどうも雌と雄になったようだ」
ツシマショウゲンジの傘の中で、白い胞子の中に黒い胞子が入り込んだ。
「こそばゆい」
男言葉のツシマショウゲンジが身をよじった。女言葉のツシマショウゲンジも
「なんだか、傘の中がはれぼったいわ」と身をよじった。
ツシマショウゲンジの大将も「なんだか傘の下が痒いような、ちょっと変な気持ちだ」とぐっと我慢をした。
傘の襞の中では、緑色の小さな蕾ができはじめ、それが次第に大きくなって来た。
しばらくすると、大きくなった緑色の蕾が傘の下で開いた。中から真っ青な花が垂れ下がった。
ツシマショウゲンジの傘の下に花が咲いた。
大喜びだ。
茸は菌糸から出た花のようなものだ。それに本当の花が咲いた。花が花を咲かせたのだ。豪華なことだ。大将はしみじみと思っていた。
やがて、花はしおれ、青い実ができた。青い実はどんどんと大きくなった。
「なんだか、傘が重いなあ」大将をはじめツシマショウゲンジは柄を踏ん張った。
傘からつる下がった青い実は傘の半分もの大きさになったので、ツシマショウゲンジがしなった。
「立派な実がなったようだぞ」
ツシマショウゲンジの大将が周りのショウゲンジを見回した。
どいつもこいつも実がたわわに垂れ下がっている。
「嬉しいじゃないか、俺たちも実を作った」
ショウゲンジたちは実が重くなり、傘をのせている柄が膨らんできた。
「頑張ろうじゃないか」大将が周りのショウゲンジを励ました。
そしてとうとう、青い実が熟して真っ赤になった。中には大きな種が入っているはずである。
赤い実はツシマショウゲンジの襞から、土の上にぽたぽたと落ちた。
実は土に落ちるとぱかっと割れ、中から黄色い種がはじきでた。黄色い種は林の中の土の中にもぐりこんだ。
親のツシマショウゲンジたちは萎びてきた。
夕日が当たり始めた。一日が終わる、明日も晴れるようだ。夕焼けが綺麗だ。
夕日が海に落ちた。
薄暗い林の中の土の中から、種が芽を出した。小さなツシマショウゲンジの傘が現われた。種から茸が生えてきたのだ。
花が咲いて実をつけ、種をまいてしまった萎びたショウゲンジは、種から子供ができたことを喜んだ。明日の朝には立派なツシマショウゲンジになるだろう。
夜の間に、すくすくと大きくなった子供のツシマショウゲンジは立派だった。
親のツシマショウゲンジはもうすぐとろけてしまう。とろけながら大満足だった。実をつけることのできる植物茸が生まれたのだ。
ところが、土の上ですっくと立った若いツシマショウゲンジは言った。
「父上、母上、ありがとうございました」
言い終わると、ぴょこんと土の上に飛び上がった。
朝日が林の中に差し込んできた。
育った若いツシマショウゲンジの傘が黒くなった。傘の下から黒い衣が垂れ下がった。一部のショウゲンジの傘は白いままだ。そいつらの傘の下から白い衣が垂れ下がった。
黒いショウゲンジと白いショウゲンジは一列になって歩き出した。雄と雌のショウゲンジのようだ。
「我々はコムソウ茸になり、この山の頂で修行を続け、子孫を残しまする、父君母君、おいとまいたしまする」
口上を述べると、列をなし、林の中を頂上に向かって登っていった。
ぐずぐずに溶けた大将だったツシマショウゲンジは、
「植物茸ではなくて、動物茸になりおった」と独り言を言った。
こうして、ツシマショウゲンジは退行進化をとげて動物になった。まだ人間にはみつかっていない。今でも実をつけ、種から動物が生まれる動茸(どうじ)という生きものとして、対馬の霊峰、白嶽の険しい石灰岩の中で修行をしているそうである。
しかも、本土の霊峰と呼ばれる山々にも、まだ数は少ないが住み始めているということだ。
読み終わった。
眠くなってきた。ツシマショウゲンジたちが寺に入っていくのが見えた。虚無僧のようだ。大広間に入ると祭壇ができていた。お棺の前に遺影が立てかけてある。見ると私の写真だ。ツシマショウゲンジたちの読経が聞こえてくる。そのまま眠りにおちていった。
あくる朝、気持ちよく目覚めると同時に話を思い出した。
面白い話しであった。
これは、対馬に行ってみるしかないであろう。著者に会って、話が聞きたい。春ならばいい気候だあろう。連絡をして一週間後に行くことになった。
長崎まで新幹線と九州新幹線を乗り継ぎ、長崎空港にたどりついた。かなりの旅行である。そこから四十五分、対馬空港に下り立った。待ち時間をいれたら、家から五時間半かかった。もちろん、笑子さんを介して、対馬の筆者には連絡してある。乙成(おとなり)さんという方である。
私が行くととても喜んでくれた。住所は津島市三津島町洲藻である。白嶽神社があるところである。
おそらく同じ年くらいだろう。洲藻白嶽神社の檀家さんでもある。
「よくこられましたな、対馬は韓国とも近いし、日本の領土でもある。経済的には日本に維持されてますが、韓国などの外国からのお金も馬鹿にならない。祖先は確かに、縄文時代の人間から始まるかもしれませんが、やっぱり、大陸からの影響は強いものであったわけです。特に弥生時代からは。残っていた古文書の意味というのは、ある分野では大変な価値があるでしょうけど、『語草片』に紹介したものは、この町からも、県からも、国からも相手にされるようなものではありません。酔狂な男が書いたものの可能性があるからです」
背の低いずんぐりした、茸のような風貌の乙成さんは、大きな自宅の蔵に案内してくれた。蔵にはたくさんの古文書が積んであった。
「これらはにはそのような話がたくさん書かれています。すべて同じ男が書いたものです。紹介した茸の話だけではなく、話の中にも出てきたツシマヤマネコや虫、蛙、蛇、植物など、対馬の生きものの滑稽話が書かれています。伝承ではなくて、その男の作り話なのだと思っています。古い時代によくあんな素っ頓狂な話を考え出したものです」
確かにその通りである。
その原本を見ると、確かに古いもので、乙成さん自身の創作ではない。彼はそれを現代訳にしているという。いずれ、一冊の面白い本になるだろう。
その後、椎茸を食べさせてくれる店に連れて行ってくれた。
「猪も良く獲れるのですよ」
彼は、椎茸がたっぷり入った猪鍋を注文した。
「それで、あれを読んで、私も動茸に興味を持ちましてね、一時、白嶽には毎日のように登りました、捜し歩いたのです」
彼はそんな話をした。
「今は登らないのですか」
彼は頷いた。どうして登らなくなったのだろう。
「あれは創作ではないのですか」
そう聞くと、私を見て首を縦に振った。
「まさか、動茸に会われたのではないでしょうね」
彼はちょっと目じりに皺を寄せて、軽く頷いた。その後、動茸についていろいろ聞いた。身軽な茸で、石灰岩の穴の中で暮らしているという。頭がいい連中で、決して人には見つからないだろうという。
「話が出来るのですか」
「私も対馬の人間ですから」
乙成さんは笑った。
「かわいいやつらですよ」
そう言った。どこまで本当なのか、私にはわからない。
「ししの肉も柔らかいし、美味しい椎茸ですね」
「そうでしょう」そう言った乙成さんは、猪肉や野菜を食べてはいるのだが、椎茸を食べようとしない。不思議に思って聞いた。
「椎茸はお嫌いなのですか」
「共食いになっちまう」
彼は小さい声で言った、そして私を見て笑った。ふっと椎茸の香りがした。
茸の葬列(そうれつ) - 茸書店物語9
今日は朝から落語を聞いた。そんな気分だったのだ。朝といっても夜中である。朝三時。落語のDVDはいろいろもっている。一時こった時期があって、好きな米朝全集のDVDは三十巻もある。他にも面白い落語のDVDを買い揃えたのだが、今見ようと思うものはみつからない。志ん生のCDは五十巻もある。
背表紙のタイトルを目でおっていくと、目にとまったのは『死神』である。柳家小三治が演じている。彼は枕で好きなことをしゃべりまくる。それがまたいい。
『死神』は三遊亭園朝の作である。と言っても、外国にそういう話があって、それをもとにしたらしい。何でもグリム童話からのようだ。日本の童話もこれくらい大人の怖さのあるものがあってしかるべきた。
死神が枕元にいると、その人間は死ぬ運命だ。死神が見えるようになった男は、死にそうな病人を見に行き、死神が足元に居る時には、医者の真似事をする。すると病人は生き返る。ということで名医として祭り上げられる。あるとき大金で必ず直してくれとたのまれた病人の枕元には死神がいて、もう助からないことを知るが、死神が線香の香りで居眠りをした隙に患者の向きを逆にして、死神は足元にいることになり患者が助かる。だが、死神はそんなしうちに怒ることなく、その男を自分の洞窟に案内する。人々の寿命の長さの火のともった蝋燭が洞窟には五万とある。死神をだまし、助けた患者の蝋燭はまだ長かった。ところが、自分の蝋燭の火はもうすぐ燃え尽きる。死神をだましたことで、自分の寿命がもうすぐ終わることを知る話である。
実は、小学生のころ、これを映画化したものを見た。もちろん白黒の画面だった。六十数年前のことになる。タイトルは『幽霊繁盛記』で死神を有島一郎がやっていた。それ以外にも柳家金五郎やフランキー堺などが出演していて、とても面白かった記憶がある。
そんなことを思い出したからだろう。『死神』に目がとまったのである。
聞き終わって、朝風呂に入り、朝食をとった。そういえばいろいろな落語があるが、茸の落語は聴いたことがない。今日は神田の草片書店にいってみよう。
ランチョンではいつもとは違ったものを食べる気になった。実は今まで食べたことがなかったものである。エビフライである。それにライス。なかなか立派な海老で、ビールをたのんでしまった。
食べ終わって、草片書店のドアを押し、中にはいると、お姉さんの笑子さんが白髪の男性としゃべっていた。
私を認めると「いらっしゃいませ」とちらっとこちらを見たが、その男性と話をしを続けている。
地方誌コーナーにいくと、『語草片』の第九集がでていた。表紙は白い棒状の茸が数本描かれている。ぬぼーとしていて何か歩き出しそうである。茸の葬列とある。中をぱらぱらとめくると、最後の方で「死神」という文字が眼にはいった。今日は死神づいていると思っていると脇で声がした。
「ささくれ一夜茸ですのよ」
いつの間にか笑子さんがそばに来ていた。手には赤っぽい四六版の本を持っている。
ぎっしり茸の本が詰まっている棚の真ん中に、特別な本を置くところがある。いつも綺麗な本があるのには気が付いていたが、参考本と書いてあり、売り物ではないので、表紙を見るだけである。
笑子さんは手に持っていた本をその棚に置いた。薄赤いカバーの地に真っ赤な尾っぽのある茸の絵が書かれている。おかしな本だ。
私は『語草片叢書』を彼女に手渡した。
「ありがとうございます」
「今日、夜中に落語を聞いたのですけど、茸が出てくる落語っていうのはあるのでしょうか」
「あら、私は落語のことはよくわからないのですけど、先ほど内山さんがもってきた本は、落語そのものではないのですけど、茸の小咄です」
「あの、特別な棚の上に置いた本ですか」
「はい、内山さんは茸の小説を趣味で書かれていて、本になさってます。とても部数が少ないのですけど、私が個人的にいただいているので、しばらくあそこに飾っておくのです」
「売ってはいないのですか」
「ええ、装丁もみんな、ご自分でなさってます。本は半田の自費出版社、一粒書房がつくっていますが、どれも小口染めをした綺麗な本です、ご覧になりますか」
彼女は今おいた赤っぽい本をとって私に渡してくれた。『お茸さま』というタイトルである。中を開けると和紙の遊紙も入っていて、贅沢なつくりである。なかなか面白そうだ。
「その方は、以前、欲しい人には残った本を制作費の五分の一ほどでゆずっていました、今はただで配っています、ブログから申し込めます、ただ、十部から三十部ほどですので、知り合いに配ってしまうと残りが少なく、購入できないかもしれませんけど」
笑子さんは、デスクに戻ると、紙にその人のブログを書いてくれた。ブログ名は針鼠の本棚で、草片文庫という名前をつけている。
私は本をもどして、お勧めの茸の本が無いか聞いた。
「そういえば、加賀乙彦さんのくさびら譚はどうでした」
そのことを言うのを忘れていた。
「あ、面白かったですよ、限定版があるのを忘れていました、ありますか」
「ええ、まだあります」
「いただきます」
「ありがとうございます、半額になっています、綺麗な装丁ですてきですよ」
彼女が棚からその本をもってきた。二万円するがそれ以上の価値がありそうだ。
「これは、サービスで差し上げます」
笑子さんは、地方誌のところにおいてあった、薄い小さな本を一冊とった。
『きのこノート きのこ観察のすすめ』と書かれた、埼玉県立、「川の博物館」が出している小冊子である。表紙の青い茸絵がとても綺麗だ。
「そういえば井原さんは、渡辺隆次という画家はご存知ですか」
「ええ、若い頃は反戦の絵を書いたりしていましたが、シュールな絵をかかれていますね」
「ええ、渡辺画伯は茸が好きで、甲斐に住まわれているのはご存知ですか」
「いえ、そこまでは」
「それで、とても素敵な、スケッチ入りの文庫本をお書きになっています」
彼女は本棚に案内してくれた。
そこには、きれいな表紙の文庫本が二冊つんであった。『きのこの絵本』とある。筑摩書房から出たものだ。手にとって見た。エッセイのようだが、ふんだんにこの画家の茸のスケッチがカラーで描かれていた。1990年にだされている。
「もうでていないので、この二冊は貴重です」
私はすぐに彼女に本を渡した。買わなければらない一冊である。
「素敵な本です、豪華本にしたいような本です」
笑子さんは真剣に言っていた。よほどこの画家がすきなのだろう。
「これもあります」
それは『花ずくし実ずくし 二、甲斐きのこ』で、三冊の中の一冊である。中を見るとそれは見事なデフォルメをされた茸の天井絵だった。四六版の本の装丁もすばらしい。
「渡辺画伯は、武田神社の菱和殿の天井に、茸の絵を描かれました。その本です。すばらしいもので、私も見に行きましたが、是非ご覧ください」
確かに行ってみたい神社である。
「甲府駅からタクシーなら十分以内です。私、三度も行きました。
ということで、渡辺隆次画箔の本を二冊買った。見るのは楽しみであるし、武田神社には行かなければならない。
私は五冊の本を手にして、草片書店をでた。
電車の中では、もらった『きのこノート』を開いてみた。きのこ観察の基本のことが、綺麗な絵とともに解説してある。十五ページほどのものなので、すぐ見終わってしまったが、写真も綺麗だ。いい冊子である。『語草片叢書』は家に帰ってからにしようと思って、目を瞑ったら、眠くなり、こっくりしていると、あっというまに蘆花公園についてしまった。
家にもどって、その内山さんのブログを開いてみた。針鼠の本棚ー草片文庫とある。最近出た本の構成された写真が一面に出てくる。今日草片書店で見た『お茸さま』が紹介されている。それに、次の本の出版日が書いてある。半年後である。『お茸さま』は確かに欲しい本でもある、一応コメント欄に、譲ってもらえないか、メールアドレスを付記して書いた。
渡辺隆次画伯の本はどちらもゆっくりと読むことにしよう。
その夜、『語草片』九集『茸の葬列』を持ってベッドに入った。作者はと見ると、信州諏訪郡の人である。
『茸の葬列』
「今日山さ行ったら、ギョウレツモダシが大そう出とったで」
男が畑を見て回っていた男に声をかけた。背負っている籠の中には滑子がたくさん入っている。
「そんなにおったか」
「うんだ、虚無僧もあった」
「そりゃ、大変だな、どっかに病人がいるのかね」
「うん、庄屋さんとこの大旦那が寝こんどる」
「庄屋さんに知らせとくかね」
「うーん、いや知らんことにしておいた方がいい」
「ああ、そうする、悪いことでもないからな」
「滑子だいぶとったで、家のほうにとどけとくから」
「わるいな」
そんな会話だった。
ギョウレツモダシとは、一夜茸の仲間、ささくれ一夜茸のことである。ささくれ一夜茸は時間が経つと黒ずんできて、とろけてしまう。この村では、時として始めから真っ黒のものがでる。それを虚無僧とよんでいる。あまり縁起が良いものとは考えられていないが、全く悪いものでもない。それは、この村にこんな話が伝わっていたからである。
百姓の倅、杉作は茸が大好きであった。小さい頃から父親に連れられ、朝早く茸採りに行き、舞茸や鳶茸、香茸などを採ってきた。それは自分達の食事を豪華にしてくれるだけではなく、町に売りに行けば金になった。杉作はもちろん食べられる茸も好きだったが、真っ赤な毒茸や名前の分からないおかしな形をした茸を見つけるとあかずに見ていた。
「おめえは茸が好きだのう」
父親の平蔵は杉作が赤い茸の前でしゃがみこんで、いつまでも見つめているのを好ましく思っていた。そのうちいっぱしの茸採りになるだろう。そう思っていた。
杉作が七つになった時、危なくないところなら一人で茸採りに行かせてもらえるようになった。その頃になると、食べられる茸は大体見分けられるようになっていた。
近くの林なので大した茸は見つからないが、それでも滑子、椎茸、木耳、猪口はずいぶん採れた。それに近くの林のほうがいろいろな種類の茸があって、見る分には楽しかったのだ。
ある日の朝早く、父ちゃんと爺ちゃんは畑に行っていったが、杉作は裏山に茸を見にでかけた。もちろん食える茸があれば採ってくるつもりである。
獣が通る道を歩いていくと、林の中の、道から離れた斜面に動くものが見える。白っぽい帽子のようなものが行列をして進んでくる。先頭は黒いようだ。大きさは鼠くらいだ。なんだろうと、杉作は羊歯の生い茂る下草の中に入った。見えるところまでくると、なんと、白い帽子をかぶったような茸が、ゆらゆら揺れながら行列で動いていく。先頭にいるのは同じ形をしているが、真っ黒である。それに、脇を白いうどんのようなものをたくさん生やした茸も一緒だ。
しばらく見ていると、行列をしてきた茸は一箇所に集まり動かなくなった。
杉作はそばに寄ってみた。どこかで見たことがある。ちょっと考えたが、思い出した。父親と来たときに、「これはなギョウレツモダシっていうんだ」と教えてもらった茸である。「喰えないよ、黒くなって溶けちまう、気味悪りい茸だべ」とも言っていた。細いうどんがたくさん伸びている白い茸は始めて見た。
確かにこの茸は歩いて戻ってきたところだった。茸が動くはずは無いと思って、杉作は指で突いてみた。何も起こらない。杉作はしゃがんでしばらく見ていたが動く気配もない。見違えたのかもしれん、さあ戻ろうと立ち上がった瞬間、ギョウレツモダシが真っ黒になると蕩けて、青黒いどろどろのものになってしまった。気持ちが悪りい、そう思って杉作はその場から離れた。振り返ると、一本だけあった真っ黒な茸が、青黒いどろどろの中ですっくと立っていた。行列の一番前を歩いていたやつだ。白いうどんのような茸も細くなって倒れていた。
杉作は道に戻って茸探しを始めた。滑子や猪口をとって家に帰ると、庄屋さんのおじいさんがなくなったと、朝飯の用意をしていた母ちゃんが言った。父ちゃんと爺ちゃんも畑から戻ってきていた。
「後で手伝いしに行くから、お前は遊んでいれや」
父ちゃんに言われた。庄屋さんのおじいさんは少し前、六十歳になったところで、急に寝込んじまった。医者が流行り病だと言ってたそうだ、なかなかよくならずに、今日なくなったのだ。
「世話になったからなあ」
亡くなったおじいさんが庄屋さんのご主人だった頃、うちのじいちゃんはとてもよくしてもらったという。親切な人で、村の誰からも好かれておった。
「じいちゃん、今日、ギョウレツモダシが行列しておった、それに白いうどんのような茸があった」
「たくさん生えていたんか、あんの茸は春も秋もでおるでな、その白い茸はの、きっと素麺茸じゃな、線香茸ともいうけんどな」
じいちゃんは杉作がただ生えていると言ったと思ったようだ。杉作も本当に見たのかどうか自信がなくなっていたので、歩いていたと言い直すことはしなかった。
「黒いのもあった」
「虚無僧か、あんまりでねえけどな、たまにある」
朝飯を食ってから、親たちは庄屋さんの家に手伝いに行ってしまった。杉作は隣の家に遊びに行った。隣は百姓の与助さんの家だ。与助さんのところには子供が六人もいる。杉作には兄弟がいなかったので、いつも隣の家の子供たちと遊んでいる。
「裏山に行かねえか」
杉作が声をかけると、男の兄弟達が「いくべ」と返事をした。隣の兄弟は男三人、女三人である。一番上の一助が杉作と同じ年で仲が良い。
杉作は一助、二助、三助と一緒に裏山に行った。
「朝きたときな、茸が歩いてたんだ」
杉作がそう言っても、他の三人は「歩くわけあるめえ」と信じてはくれない。杉作はもしかすると、また茸が歩いているかもしれないと思って、三人を連れてきたのだ。
林の中のギョウレツモダシが生えていたところに来ると、なんと、またたくさんの若いギョウレツモダシが顔を出していた。
「こいつがよ、歩いてたんだ」
「どうしたら歩くんだ」
一助がまだ小さいギョウレツモダシを突つこうと指を突き出した。
すると、ギョウレツモダシは傘を揺らして指をよけた。
「あれ」
二助も三助も兄のまねをしてギョウレツモダシを突っつこうとした。
その茸も傘を揺らして指をよけた。
「ほら、動くべえ」
杉作はギョウレツモダシをつかもうとした。すると、そいつはすぽっと土から飛びでると、後ろの方に逃げていった。
「ほんとだあ」
みんなはびっくりして、杉作のように、生えている子供のギョウレツモダシを引き抜こうとした。すると、そいつらは土から飛び出し、ぴょこぴょこと逃げていく。子供たちは茸を追いかけた。茸は懸命に逃げていく。それが面白くて子供たちは、生えている茸を土から追い出して追いかけた。
しばらくすると、ギョウレツモダシの子供たちが一箇所に集まった。
杉作たちが何をするのかと立ち止まると、大きなギョウレツモダシのかたまりは子どもたちに突進してきた。
なにしろ、何十ものギョウレツモダシがあつまると、大人ほどの大きさになった。
それが向かってきたので、子供たちは恐ろしくなって逃げた。三助が転んだ。大きなギョウレツモダシが三助の上に乗っかろうとする。あわてて杉作と一助が三助けを抱き起こし、やっと山の入口まで来ることができた。振り向くと大きなギョウレツモダシが、立ち止まってこっちを見ている。
杉作たちはあわてて山から出た。振り向くと茸の大きなかたまりはいなくなった。
「怖かったな」
「杉作の言うとおりギョウレツモダシが歩いたな、だけんど、父ちゃんも母ちゃんも絶対信じないよ」
「んだ、だまってよ」
次の日の明け方、杉作がしょんべんをしたくなって、家の裏の山際で立ちしょんをした。
終わって、なにげなく隣の家を見ると、裏の方から白いものがゆらゆら揺れながら行列をして出てくるのが見えた。あの動きは林の中で見たギョウレツモダシたちだ。
杉作はよく見るために、隣の家の庭に入った。確かにギョウレツモダシたちが動いて林の中に向かっている。線香茸もいくつか一緒に並んでいく。一番先頭は真っ黒な虚無僧茸である。
なんだべ。杉作は一番後ろの一つが林の中に消えていくまで眺めていた。お日様が昇り始めた。家の中に戻ると、父ちゃんと母ちゃんが起きていた。
「なげえしょんべんだな、なにしてた」
「うん、林を見てた、何か白いものが動いていた」
「白兎じゃねえか、みんながよく見るいうていた、縁起いいべ」
兎は茶色が普通だが、ときどき真っ白な兎が出てくることがある。そう言って父ちゃんは畑に出かけた。
「そうかあ」
杉作は布団に入った。かあちゃんが朝飯を作るまでもう一度寝ようと思ったのだ。
ところが、畑に行ったはずの父ちゃんがすぐ戻ってきた。
「与助さんとこの梅婆さんが亡くなっちまったとよ」
「えー、あんなに元気がいい梅さんがかい、ポックリかい」
母ちゃんも驚いている。
それを聞いた爺ちゃんが布団から出て来た。いつもなら父ちゃんと畑に行くのだが、ちょっと風邪気味だから行かなかったのだ。
「梅さんとは同い年でな、行ってやらにゃ」
梅婆さんの旦那さんはもうだいぶ昔に亡くなっている。
「それで、どうして死んじまったんだい、ちょっと様子を見てくるよ、隣の家の子供たちをあずからにゃいかんかも知れんな」
かあちゃんはそう言って、隣の家に行ってしまった。
杉作は起きて庭に出て見た。隣の家には近所の人たちが集まっている。
「いつも早く起きてくる梅婆さんが起きて来ないので、くめさんが見に行ったら亡くなってたそうだよ」。くめさんは一助たちのおっかさんだ。
近所の人が話をしていた。
「いつごろ亡くなったんだろうね」
「分からんけど、明け方じゃなかろうか、ってくめさんは言ってたな」
かあちゃんが隣の子供たちを連れてきた。
「杉作、みんなと仲よくしてれや、今日と明日はうちで飯食うからな、これから用意するで、ちっとまってくれ」
母ちゃんが、たくさんの米をといで窯にかけた。
「梅ばあちゃん死んじゃったんだな」
杉作が一助に言うと、一助がうなずいて、
「それでな、今日の朝な、変なものを見たんだ」と小さな声で答えた。
「なんだい」
「まだ暗いとき、ちょっと目が開いたんで、枕元をみたら、白いあの茸たちが行列してばあちゃんの寝ているところに行ったんだ」
「それでどうした」
「ばあちゃんはちょっと離れたとこで寝てたからわかんねえ」
「そんこと、小父さんには言ったんか」
「言ってねえ、どうせ、夢見たんだろうとしか言われんもんな」
「言わねえほうがいいよ」
一助はまたうなずいた。
その日の夕方、梅婆さんの通夜が行なわれ、次の日に埋葬となった。
その三日後のことだった。めっきり冷え込むようになって、まだ暗いうちに杉作はしょんべんがしたくなった。しかし、寒いので布団から出たくない。我慢をしてじっとしていた。
すると、すすすすと何か引きずるような音がする。何の音かと顔を上げてみると、隣で寝ている爺ちゃんの枕元に、ギョウレツモダシが行儀良く何列にも並んでいる。その脇には線香茸が並び、一番前に虚無僧がいた。
虚無僧がお辞儀をすると、ギョウレツモダシがお辞儀をした。
杉作は追いかけられたことを思い出して、うかつなことは出来ないと思った。爺ちゃんを起そうかと思ったのだが、ギョウレツモダシに気付かれて何をされるかわからない。それで、反対隣に寝ていた父ちゃんの布団の中に手を入れて、揺すった。
「なんだ杉作」と目を開けた父ちゃんに、爺ちゃんの枕元を指差した。
父ちゃんが飛び起きた。
「なんだ」
その時は、爺ちゃんの枕もとのギョウレツモダシがそろって帰るところだった。
「何で茸を並べたんだ」
父ちゃんは杉作が茸を並べたと思ったようだ。ところが、ギョウレツモダシが列をなして動いていくのを見てまたびっくりした。
「なんだ、こいつらは」父ちゃんが立ち上がったものだから、ギョウレツモダシたちはあわてて走って外に出て行ってしまった。
「杉作が採ってきたんと違うんか」
「ちがうよ」
母ちゃんが目を覚まして「なにやってんだ」と起き上がった。ところが、爺ちゃんは寝たままだった。それに父ちゃんが気がついた。
「爺さま」
爺ちゃんは動かなかった、まだ暗いので、母ちゃんが行灯に火をつけた。
爺ちゃんの顔は笑っているように見えたが、息をしていなかった。
「風邪は良くなっていたのになあ、なんてこったポックリだ、隣の梅さんが死んだんで、がっかりしたのかな」
こうして、爺ちゃんが死んでしまった。
自分のうちのお葬式というのをはじめてやった。数日、親は忙しく、父ちゃんも母ちゃんも爺ちゃんの枕元にいた茸のことなんか忘れていた。ばあちゃんは杉作がまだ小さい時に死んじまったんで、杉作は葬式の経験がなかった。なんだか人がたくさん出入りした。本物のお坊さんも来た。
「死ぬときは苦しいんだべな」
父ちゃんに聞くと、「苦しいこともあるし、爺ちゃんや梅婆さんのようにポックリいくと苦しくねえんだ」
「そんじゃ、ポックリでよかったんか」
「元気で死なねえのが一番だ、だが死ぬならポックリがええ、爺ちゃんはもう寿命だからな、幸せだったろうよ」
「死んだらどこいくだ」
「天国に決まっているべ、爺ちゃんはいい人だっただろう」
杉作はうなずいた。
「悪いことすりゃあ、地獄におちるだ」
ギョウレツモダシが天国や地獄に死んだ人を連れて行くのかな、と杉作は思った。
この年の春はポックリで死ぬ人が多かった。ポックリの流行り病かと医者が言っていたが、夏になるとポックリは出なくなった。おさまっていたと思ったら、秋になってどうやらまたポックリ病が流行りだしたようだ。
庄屋さんの田の稲刈りから帰ってきて、父ちゃんが母ちゃんに言っていた。
「川向こうの吾作んちの爺さんが倒れちまってな、医者の話だとずい分苦しい病だそうだが、倒れた次の日にぽっくり死んじまった。長く苦しまなくて良かったなということだったな」
「ポックリ病はどうして起きるんだべ」
「わかってねえよ、ただ苦しくないそうだ、医者の仁生先生の話だと、何かが心の臓の動きを止めちまうそうだ」
杉作にはポックリ病は何が起しているのか知っていた。杉作は毎日のように林の中に通って、あのギョウレツモダシの生える場所を覗いてみていたのだ。ギョウレツモダシが大きく育って、虚無僧が出る、次の日には必ず誰かがポックリで死んでいる。
今日もギョウレツモダシがたくさん育っていた。
「父ちゃん、明日も誰かポックリで死ぬべ」
「そんなこと言うでねえよ」
父ちゃんにそう言われたが、ギョウレツモダシが大きく育っていた時には必ず母ちゃんに明日ポックリで誰かが死ぬと言った。
母ちゃんは杉作には何も言わなかったが、父ちゃんに「杉作がへんなんよ、あれが、ポックリが出るというと必ず誰かポックリで死ぬんだ、気味わりいわ」
「まだ、言ってるのけ」
「ウン、だが、本当に当たっている、父ちゃん、杉作に聞いてみてくれや、怒らんでな」
「ああ、そうする」
それで、父ちゃんが杉作に聞いた。
「杉作、どうして、ポックリが起きることが分かるんだ」
「父ちゃんおぼえてねえか、爺ちゃんが死んだ時、茸が枕のとこにたんといただべ」
「ああ、なんだかはっきりしねえが、そんな気がする」
「裏の山の林の中に、あの茸が生えるところがあるんだ、ギョウレツモダシが大きくなって、しかも真っ黒な虚無僧が生え、線香茸が生えると次の日にはポックリがおこる」
父ちゃんは半信半疑だったが、杉作がその場所に案内した。そうすると、杉作が言っていた通りに、虚無僧が生えているとポックリが起こることがわかった。父ちゃんはずいぶん驚いていた。
「父ちゃん、あの茸を怒らすと怖いから、なんもしちゃあいけねえよ、一助たちも知ってるけど、おらもいたずらをして、追いかけられた。ただ見てる分には何もしねえ、あいつら行列作って、死ぬ人のところに行くんだ」
父ちゃんはそのことを庄屋さんに言ったようだ。それで、枕元にギョウレツモダシが虚無僧とともに現われたら、ポックリで死ぬことが出来るという話が村に広がったというわけである。
村のある人の家で、自分の親の枕元にギョウレツモダシが現われたので、寝ている親を布団ごと動かして別の部屋に移したそうだ。もしかすると虚無僧は死神で、そいつから離せば死なないですむのではないかと考えたわけだ。ところが、その親は三日苦しんで死んだそうだ。その家人は余計なことをして苦しませてしまいずい分悔やんだそうである。庄屋さんがなだめて、それでもその家の者たちは悲しんで、一月も満足に食事も出来なかったということだ。何とか親を助けようとした気持ちだったのだけどね。
そういうことがあり、今ではギョウレツボダシが現われたら、何もせず、むしろお礼の言葉を掛けるようになったそうである。
読み終わって、ふと枕もとを見ると、一夜茸がならんで私を見ている。私もぽっくりで死ねるのかとなんだか安堵して眠りについてしまった。
朝起きて、話の内容を思い出し、このような話が残っているとは面白い場所だ、ぜひ行かなければと言う気になった。
筆者は中央線の小淵沢から車で少し入った富士見町という、八ヶ岳の別荘地に一人で住んでいる神峰さんという男性だった。仕事から身を引いた後、愛犬と一緒に住んでいた。
そのあたりにホテルがあるかどうか調べると、いくつかある。しかもペンション通りがあって、そこが神峰さんの家に一番近い。その一つに泊まることにした。ペンション北欧である。地元で採れた山菜や茸の料理が美味しいという評判が書かれていた。
よく考えたら、甲府で武田神社によってから行くことができる。
中央線特急アズサで甲府に出て、バスで武田神社にいった。武田神社の菱和殿に入ると、それは見事な渡辺画伯の天井絵が描かれていた。花、実、茸が四角いマスの中に、柔らかな曲線で納まっている。色は落ち着いた色で、それこそアールヌーボーと日本画の饗宴である。あまりのすばらしさに、呆然と一時間も見てしまった。
小淵沢は新宿から一時間半で着くが、甲府によったため、三時間ほどかかった。
小淵沢に着きペンションに電話を入れると息子さんが車で迎えに来てくれた。ペンションはこぢんまりとしていて、二階に部屋が八つほどある。こぎれいな宿であった。北欧の木を用いて作られたぬくもりのある建物だ。
荷物を置いて一階の居間におりると、主人がいたので、『語草片叢書』を見せ、内容を説明し、話を知っているか聞いた。しかし主人は三十年前に脱サラしてペンションを始めたとのことで、今こそ茸は良くわかるようになったが、伝承や民話は詳しく知らないということであった。
「そのギョウレツモダシ、ささくれ一夜茸は喰えますよ、うまい茸ですよ」と教えてくれた。
その夕食に、神峰さんがペンションに来てくれた。少し太り気味の赤ら顔の方だ。
彼は「始めまして、神峰です」と丁寧にお辞儀をして椅子に座った。名刺を渡すと、
「あたしは旅をあまりしませんでしたが、引越しはしましてね、ここの土地の人間じゃありません」
そう言って頭をかいた。
「これ面白かったです、でも、良くこのお話をご存知でしたね」
「いや、ごめんなさい」となぜか謝って「私は文章にしただけでよ、名前を出さないっていうことだったんだけど、手違いかもしれませんね」
「どういうことでしょう」
「私は別荘を借り切って十年住んでいたんですが、管理会社に進められて、今は自分の家をこの別荘地に建てました、管理事務所の人たちとは懇意になって、いろいろ相談しています。何せ不便なところですからね、そこで働いている一人の女性から相談を受けたのです。
その女性のお婆さんのところへ、神田の本屋から茸の昔話をまとめてほしいという話がきたそうです。お婆さんは地元の人で、茸採りの名人として知られていたそうです。それに古いことをよく知っていました。しかし、お婆さんも娘さんも、文を書いたことがないというので、その方から私のほうに依頼がありましてね、お婆さんの話を文にして欲しいということでした。そのお婆さんの名前で出すならやってあげましょうと引き受けたのですよ、私は茸のことも知らないんです、おはずかしい」
まじめそうな人である。
「そのお婆さんに会えるのでしょうか」
「あの話がきてから一年経つのですが、残念ですが、半年前亡くなりました。九十九でした。私が文を書くのが遅くて、出版が今になってしまい申し訳ないと思っています」
神峰さんは何をやっていた人かと想像をしていると、
「私は仏蘭西文学、文化の専門でして、日本のことはよく知りません」
ということだった。その後、食事をしながら話をしたことは、どちらかというと、フランス文化の話になってしまった。しかし、とてもいろいろな経験をなさった方で、話は映画を見るよりも、本を読むよりも面白かった。フランスの第二次世界大戦のときのナチスに対する抵抗を研究なさっていて、フランスの少年少女小説を訳したりもしていらっしゃる、とある大学の教授をなさっていた方だったのである。
それに、食事はいろいろな茸の料理が出てきた。唐傘茸のフォイル蒸し、天然滑子の大根おろし和え、霜降り占地や舞茸の天麩羅、それは美味しかった。
神峰先生は車でいらしたので、飲むことができなかったのだが、私には飲むようにすすめてくれ、だいぶ飲んだ。ビールのあう美味しい料理でもあった。
こうして、いい先生にめぐり合え、いい宿にぶつかって、とても楽しい時間をすごすことができた。帰りに管理事務所に行って、そこで働いている地元の人に、このささくれ一夜茸の話について聞いたのだが、誰も知る人はいなかった。今の時代にはこの言い伝えは残っていないようである。
茸の晩餐(ばんさん) - 茸書店物語10
晩餐にどのような意味があるのだろう。晩餐を和英辞典で引くと dinner と supper とでてくる。今度は dinner を新英和辞典で引くと正餐とあり、一日の主要の食事で、それに晩餐も含まれる。晩ということは夜、それで夕食と思ってしまうが、晩餐は必ずしも夕食でなくてもいいわけである。supper を引くと夕食、軽い晩餐とある。dinner と supper でちょっとニュアンスが違いそうだ。日本語における晩餐は夕方のご飯のようだ。晩飯、晩御飯、夕食、夕餉などはみな夕飯だ。
晩餐会となるとたくさんの人の集まりの晩餐だろう。晩餐だけでも、一人ではない夕食で、一品ではない、しかも特別の料理と思ってしまう。晩餐を広辞苑でひくと、晩の食事で、あらたまった豪華な夕食とある。ここでは夕方の食事ということか。
キリストの最後の晩餐が有名である。そのためだろう、晩餐と聞いただけで最後がついていなくても最後の気分になってしまう。キリストはすごい。
まあ、気軽に考えれば、晩餐会は美味しいものを、ゆえある者たちと一緒に食べることなのだろう。ただ食べるのではなく、それはその個人、その家族、その子孫、その一族、その生きものの背景を背負ったセレモニーでもあるのである。
映画で晩餐というと、『バベットの晩餐会』を思い出す。気風(きっぷ)のいい女性シェフの生き様が描かれた、とてもいい話だった。文科省がすすめそうな映画は好まないのだが、なぜかこの映画はよかった。これとは全く逆の、文科省が勧めるわけはない『奇人たちの晩餐会』も大好きな映画である。なんとも付き合いたくない間がずれている親爺が主人公だが、最後には共感してしまうのは不思議である。
なぜこうも晩餐にこだわるのか、実はちょっとうきうきした訳がある。
昨日神保町に行ったのだが、珍しくランチョンに行く前に草片書房に寄った。昨日は姉の笑子さんと妹の泣子さん、両人がデスクにいた。
「先生いらっしゃい」
二人の声がとんで、これでてますよと、泣子さんから『語草片叢書』第十集『茸の晩餐』を渡された。表紙には二つの真っ赤な茸の周りにいくつかのいろいろな色の茸が取り巻いている絵がある。
「真ん中の赤い茸はヒイロガサとベニヤマタケですの、食べられます、周りの茸もみな食べることができる茸です」
「文章は誰が描いたのですか」
「秋田の湯沢市の方ですわ、湯沢市の奥に小安峡という温泉場があります。大噴湯という蒸気が吹き上がる渓谷があります。秋は紅葉も良くてとても綺麗なところですけど、そこの旅館の番頭さんです」
小安峡については私もよく知っていた。温泉の有名なところであるばかりでなく、湯沢には美味しい稲庭饂飩もあるし、美味しい皆瀬牛もいる。湯沢にはいったことがあるが、小安には行ったことがない。旅行雑誌の編集長をやっていたといっても、私自身そんなに旅行に行ったわけではない。
「面白そうですね」
「あそこはいろいろな茸が生えるところです、『茸の晩餐』は番頭さんが山の中で見たという話ですけど、まあ半分は創作かもしれません」
笑子さんはそう説明した。
「行ったことはあるのですか」
「ええ、よく知っているところです、温泉がとてもいいですよ。古くからの由緒ある旅館です」
読んだあときっと行きたくなるにちがいない。
「何かお勧めの茸の本がありますか」
草片書店にくるようになって、ずい分茸の本が棚にならんだ。ここにくると、『語草片叢書』以外にお勧めの本を買うようになったからである。
「四手井ご夫妻の本はおもちですね」
「ええ、一つ持っています、『きのこの風土記』ですが」
「毎日新聞社のですね」
「ええ、仕事柄、風土記の本はいくらかもっています」
「あのシリーズはいいですね、みそ、そば、しょうゆ、つけもの、すし、さけ、さかな、くだもの、やさい、そしてきのこ、食べるもののおおもとと日本の風土」
「はい、そうですね」
「あの本の前に、ナカニシ出版のきのこの手帖がでてますし、奥さんだけの、平凡社カラー選書、キノコ手帳もあります」
彼女はきのこの手帖をもってきた。濃緑色のバックに絹傘茸の簡素な絵のあるいい本である。もちろんそれを買うことにした。
「この本は今の本と違って、素朴な装丁の素敵な本です」
確かにそのとおりである。
「新しい本では『日本人ときのこ』、平安時代から江戸時代まで日本人のきのこ観がよくわかります」
差し出された本を見ると、著者は教師をする傍ら、それぞれの時代の古典から茸の資料を抜き集め、まとめたとても有意義な本である。岡村実久という人の本だ。みないただくことにした。
「ありがとうございます、先生、じつは、来月の八日に、国立の私のレストランで、集まりを行います。『語草片叢書』の作者もいらっしゃいます」
「それは楽しそうですね」
彼女は、綺麗な二つ折りの冊子を渡してくれた。
「草片晩餐会 Xavila dinner」とある。表紙には紅天狗茸があしらわれ、中を開くと、料理名が書いてあった。ただラテン語らしい言葉が書かれているだけであったので、私にはなんだか分からない。もしかすると、使う茸の学名なのかもしれない。おそらく上等な料理なのだろう。年金生活者が払えるのかどうか分からない。恥ずかしいが尋ねてみた。
「参加費が書いてありませんが」
「いえ、ご招待ですので、何もお考えいただくことはありません、来ていただきたい方にお渡ししていますのよ」
「とても、私に口に出来るようなものじゃないと思ったから、でも、私なんかが行っていいのでしょうか」
「『語草片叢書』が十冊になったお祝いですわ、お気軽にいらしてください。先生に来ていただくのはとても嬉しいことです」
「是非きてください」と泣子さんからも言われた。
そういうことで、この年になって有頂天になったという次第である。
家に帰って、『語草片叢書』第十集を読んだ。
『茸の晩餐』
小安温泉郷の皆瀬川沿い、国道398号線にはいくつか古くからの旅館が並んでいます。私はそのなかでも創業三百年を誇る老舗、五郎兵衛旅館の番頭をしています。
皆瀬川の渓谷には大噴湯という蒸気を吹き上げる場所があり、それだけではなく、紅葉時にはその美しさに観光客がたくさん訪れるところです。大噴湯入口の向にあるあぐり館という、地元の農産物ばかりではなく、採り立ての茸や山菜も並べられている店があり、いつもたくさんの車が止まっています。
すこし上流に向かって道を行くと、とことん山入り口が右手に見えます。小さいながらスキー場もあり、キャンプ場も整っているなかなか楽しいところです。茸狩りのシーズンになると、キャンプはもう寒くなりますが、家族ずれでバーベキュウを楽しむ姿が見られます。
そこから少し歩くと私の旅館があります。
旅館より上流には、不動滝があります。大滝とも言いますが、とても大きいものではなく、むしろ渓谷に挟まれた小さなもので、滝つぼの美しさはたとえようがないものです。不動滝の入口には総合案内場があり、その建物の中からも滝壷を見ることもできます。
その道向には、ちょっと登ると、小さな古い薬師神社があり、その脇にトレッキングコースの登り口があります。少し険しいので、観光客や地元の家族連れもほとんど訪れることがありません。山を楽しみたい人にはとてもよい遊歩道です。女滝沢トレッキングコースといいます。いくつかのコースがあって、ヤチダモ広場に行きつきます。ヤチダモの木はバットや家具には欠かせないもので、小安のヤチダモの木は日本でも指折りの大きさを誇ります。胴回りは4メートル以上あります。上を見上げると空に聳え立っています。
この女滝沢遊歩道の途中にきれいな水が出るところがあり、地元の旅館ではその水を引いて、露天風呂の湯の温度の調節に使っています。毎年どこかの旅館が担当になり、その水の取り出し口や、管の点検を行うことになっているのです。去年は五郎兵衛旅館の担当で、私ら番頭が時間のあるときには草刈機などの道具を担いで見回りに行きました。
ながながと小安のことを書きましたが、おかしな茸たちに出会ったのがこのトレッキングコースのとあるところなので、その様子を知っていただこうと思ったからです。
大ヤチダモの木の前には小さな赤い鳥居が建てられていますが、周りの草地は春になると二輪草が咲き乱れるきれいな広場となります。秋には色々な茸が生え、食べられる茸もたくさんあります。
それは勤めて五年ほど経った頃でした。五十年近く前のことになります。このあたりの源泉は百度近い湯が出るので、適温にするにはかなり多量のきれいな冷水を必要とします。それで共同の冷水を取り込む場所を探して、管を埋めたのです。採水場所はいつもきれいにしておかなければならないので、先にも書きましたように、管理を怠るわけにはいきません。その当時は若い私が担当者でした。
まだ覚えていますが、九月の九日でした。菊の節句の日です。このあたりは夕方になるとかなり冷えるようになります。しかし、気持ちがいいといった日が続きます。
給水パイプの周りの掃除に行って、その日は宿も混んでいなかったので、ちょっと奥に入り、ヤチダモの木にお参りしました。たまにそうするのですが、拝んで、周りの茸で食べられそうなものを採って帰るのです。食材になる茸類がそれなりに生えており、いつものようにたくさん採ることが出来ました。帰りは来たときの女滝沢遊歩道ではなく、山の上を通る道を帰ることにしました。このトレッキングの道は主要な道を歩くには問題ないのですが、いくつも枝道があって、迷うこともあるほどです。本気で行くなら案内人と一緒がいいでしょう。
私はそれなりに慣れていましたので、どこに行っても方角は大体分かりました。しばらく登って陵線の木の林立する道を歩いていると、やはり大きなヤチダモの木がそびえ立っているのが木々の間から見えました。あの広場のヤチダモほど大きいものではありませんでしたが、かなりなものです。そばにいってみたくなり、斜面を少し下りました。ヤチダモのあるところは少しばかり平らになっていて、ブナなどの木に囲まれていました。かなり立派なもので、胴回りは3メートルを越しています。
そういうところには必ず茸があるはずです。木の周りを見ると、茸の輪ができていました。茸は種類によっては円を描くように生えるものがあります。松茸も霜降り占地も輪をつくります。ところが、その場所の茸の輪は奇妙なものでした。輪になって生えている茸がすべて違うのです。その茸はすべて知っているものでした。茸の輪を作る種類ではないし、ましてや、生える環境の違うものたちでした。偶然なのでしょうか。
私は茸を良く知っていました。何しろ小安の近くで生まれ育ったので、茸にはなじみがあります。輪になって生えている茸の名前をあげてみましょう。卵茸、本占地、鹿舌、初茸、網笠茸、山鳥茸、ささくれ一夜茸、唐傘茸、栗茸、登龍です。この茸たちの大きさも本来のものとはだいぶ違います。唐傘茸は大きな茸ですが、その辺の茸と同じくらいのものでした。栗茸は小さい茸なのですが、この輪の中の栗茸は大きいものでした。輪を作っている茸は、本来の大きさではなく、一様だったのです。
さらに奇妙なことに、輪の中には春に生える編笠茸がありました。朽木に生える栗茸が土から生えています。
誰かが採って来て植えたようにも見えますが、大きさがそろっているものを探すなど容易なことではありません。それに、あっと気がついたのは、食べることの出来る茸ばかりです。一瞬採っていこうと考えたのですが、それぞれ一本しか生えていないのですから、料理の事を考えると無駄のような気がします。まとめて炒めてしまってもかまわないのですが、それではつまらないでしょう。それぞれに美味しい食べ方があるものです。それにあまりにも綺麗に輪になっているので採るのを躊躇したのです。
思ったのは写真機を持っていればよかったということでした。明日の朝もう一度来ようと思いました。一日で萎びてしまうこともないでしょう。
宿に帰った私は、女将さんにいろいろな茸が輪になって生えていたことを言いました。「それは面白いじゃない、明日の朝、綺麗な写真が撮れたらどこかに飾りましょう」とも言ってくださいました。
次の日の朝早く、風呂の掃除を終わらせると、カメラをもって、昨日行ったヤチダモの木のところに急ぎました。その頃はまだデジカメなどがありません。持っていたのはコンパクトカメラと呼ばれる小型で簡単に撮れるフィルムカメラでした。
五郎兵衛旅館から急いで四十分ほどでした。その木はすぐわかりました。茸たちは輪になって生えていました。ただ不思議なことが起きていました、茸が違うのです。昨日の朝に見た茸とは全く違うものが生えているのです。
紅天狗茸、一本占地、霜越、黒初茸、赭熊網笠茸、毒山鳥、一夜茸、袋鶴茸、苦栗茸、火焔茸です。しかもとても大きい。
ともかく驚きました。これはみな毒茸です。毒茸の輪なのです。もしかすると、別のヤチダモの木だったのかと疑いました。それでも写真を撮りました。その辺りを探してみたのですが、昨日見た、食べられる茸の輪はありませんでした。仕方なく、何枚か写真を撮った後、旅館にもどりました。
フィルムは町の写真屋に現像に出しました。戻ってきた写真は綺麗に写っていました。確かに輪になって、あの大きな毒茸たちが写っていました。
「毒茸のフェアリーリングかい、面白いね、でもなんで違う茸が輪になって生えていたのかね、専門家の先生に聞いてみようね」
女将さんも茸のことはよく知っています。
「フェアリーリングってなんでしょうか」
まだ若い私はカタカナの言葉など分かりません。
「茸の輪を菌輪というのだけどね、西欧では妖精の輪、フェアリーリングっていうんだよ」
と教えてくださいました。女将さんはその毒茸の輪の写真を気にいってくださって、宿の廊下に、他の茸の写真と一緒に飾ってくださいました。その時は忙しかったからかもしれませんが、学者に見てもらうということもなく、終わってしまいました。
次の年の初夏、五月の連休のころでした。梅と桜が同時に咲くようなところです。五月と言ってもまだ東京での早い春の頃と言っていいでしょう。いつものように、給水の場所の見周りに行った帰りに、菌輪を見つけたヤチダモの木のところに行ってみたのです。下草が黄緑色で、秋とは全く違う様相をしています。ぜんまいや蕨などの羊歯の若芽がほどよく伸びて、名前も知らない草もいきいきとしています。ヤチダモの根元のところも同じようでしたが、まあるい赤っぽい輪がありました。茸の輪と同じほどの大きさです。だいたい直径が2メーターに満たないものです。大きいものではありません。誰かが描いたというよりも自然に出来た感じがします。そこだけ草がすりきれたように土が見えていたのです。
その頃はいつも写真機を携えていましたので、その写真は撮りました。あたりに、茸はほとんど出ていませんでした。その一週間後、また行ってみました。すると、そこには、一年前に見たものと同じように十の食べられる茸が生えていたのです。種類は前に見たものとほとんど同じでしたが、本占地はなく、絹傘茸が生えていました。絹傘茸は春の茸です。それにしてもおかしなことです。それで写真を撮り、食べられそうな山菜をとりながら旅館に帰りました。その日は海外からの団体客があり、忙しく、菌輪のことは忘れていました。
団体客が帰った二日後に、またヤチダモの木のところに行きました。そこで驚くものを見ました。茸の脇で鼠が暴れていました。何をしているのかと近寄ってみると、絹傘茸が鼠の首に咬み付いているのです。口がないので咬み付いているという表現はおかしいと思いますが、傘と柄の間に上向けになった鼠の首が挟まり、血を流しているのです。赤鼠でした。赤鼠は茸から離れようともがくのですが、できないようです。やがて動かなくなりました。
そこへ、もう一匹、赤鼠がやってきました。仲間か配偶者か分かりませんが、異変に気がついたからでしょう。新しく来た鼠は生えている茸に気がつき、食べようと思ったのかもしれません、大きな卵茸に近づきました。すると、卵茸の傘がぱくっと開いて鼠の首筋に噛み付きました。その鼠も暴れました、しかし、血を流して死んでしまいました。死んだ鼠は少しずつですが、茸の傘の間に吸い込まれていくようです。
しばらく見ていると、死んだ二匹の鼠はそれぞれ絹傘茸と卵茸に吸い込まれてしまいました。食べられてしまったといってよいでしょう。血の匂いを察知したのか、蝿が飛んできて鹿舌や初茸に止まりました。すると、その茸たちは瞬時に傘の間に蝿をくわえ込み吸い込んでしまいました。
埋葬虫がやってきました。網笠茸の近くを通るとやはり傘に喰われてしまったのです。あまりの怖さ、不思議さに度肝を抜かれ一時間ほど経ってしまいました。戻らなければしかられてしまいます。その時、写真を撮るのを忘れたと思ったのですが、後の祭りです。急いで帰って仕事につきました。
次の日の朝早く、まだ仕事が始まる前に、ヤチダモの木のところに行きました。もし昨日のようなことがあったら、今度は写真を撮ろうと意識していました。林の中はしずかでした。茸の輪はそのままでした。ところが、生えていたのは、紅天狗茸、白鬼茸、霜越、黒初茸、赭熊網笠茸、山鳥茸、ささくれ一夜茸、唐傘茸、栗茸でした。昨日鼠や虫を喰ってしまった卵茸、絹傘茸、鹿舌、初茸、それに網笠茸は毒茸に変ってしまったのです。とりあえず写真を撮りました。そこに蛙が跳んできました。唐傘茸の下に来ると、唐傘茸の傘が蛙の足を咥えました。蛙は必死にもがき、何とか振り払うと逃げていきました。その写真も撮り損ねてしまいました。
それから、朝早く、毎日のようにヤチダモの木の下に行きました。あの輪の中の茸は二日後にはすべて毒茸に変わっていたのです。
十の茸がすべて毒茸に変った次の朝早く行って見ますと、茸は全くありませんでした。ただ、また、丸い赤っぽい土の円がちょっと離れたところにありました。きっと、そこに茸が生えるに違いありません。
一体、その赤っぽい土の円はどうして出来るのでしょう。それを知りたいと思って、毎日朝早く通いました。食べられる茸が生えてきて、動物を捕らえて食べると毒茸になることはわかりました。しかし、十の茸が毒茸になると茸は消え、新しい土の円が出来る、その繰り返しで、五月が過ぎるとその土の円は出なくなりました。土の円はどのように出来るのかわかりませんでした。夜中に来ると分かるかもしれません。
この話を女将さんにはしませんでした。撮った写真を見ると、動物が大きな茸のそばでひっくり返ったりしていて面白のですが、食べられているようには写ってはいなかったからです。
いろいろなことがはっきりしてきたのは、八月の中ごろでした。このあたりでは、その頃になると、少し涼しくなってきます。茸も出始めます。
お客さんが、山の木の写真を撮りたいということで、私に案内するように女将さんがおっしゃいました。なんでも有名な写真家だそうです。それで、女滝沢コースの、山登りの道を案内しました。古い大きな木がたくさんあって、その形は被写体として面白いと思います。
その方は四十半ばの方で、ライカのすごいカメラをお持ちでした。だけど僕はミノルタが好きですよ、とミノルタの一眼レフも二台持っておられ、私が一台を預かりました。
朝からお昼まで、五時間ほど、様々な木の写真をお撮りになりました。あの私の見つけたヤチダモの木の写真も撮られました。その時、私は木の下に赤っぽい土の円を認めました。写真家の先生には何か分からなかったと思います。
そのお客さんはいろいろな木の写真が撮れたのでとても喜ばれ、出来上がった写真をいくつか旅館に寄贈してくださるということになりました。銀座で個展を開かれるそうでした。女将もとても楽しみにしていたようです。
私としては、それより土の輪のほうが気になりました。それで次の日に行ってみると、やはり食べられる大きな茸が生えていて、数日後にはすべてが大きな毒茸にかわっていました。そして、なぜか次の日には茸が綺麗になくなっているのです。それに、新しい赤い土の輪がちょっと離れたところに出来ているのです。
朝、ヤチダモの木のところに行った時に、すべてが毒茸になっていたら、夜に行ってみようと計画をたてました。前の晩に何かが起きているに違いないのです。
その日がやってきました。八月の終りの日でした。明日から九月です。朝に行くとすべて毒茸だったので、旅館の人には断って、十一時頃でしたか、月明かりを頼りに、ヤチダモの木のところにやってきました。月明かりの中で大きく育った毒茸が十本、輪になって生えていました。その時点ではまだ毒茸はあったのです。
私はそのままどうなるのか見ていることにしました。ちょっと離れたところに都合の良い場所があったので、腰を下ろしました。懐中電灯を持っていましたが、月の明かりが強く、使う必要がありませんでした。
しばらくすると、しゅるしゅるという音というか、何かの鳴き声が聞こえてきます。どこから聞こえてくるのか分からなかったのですが、そのうち頭の上のほうから聞こえることに気付きました。上を見ると木々が夜空に向かってそびえているのが見えます。一段と高いのがヤチダモです。どうも音はヤチダモの木の上のほうからするようです。
少しずつ音が大きくなります。おやと思って眼を向けたら、ヤチダモの幹に何かいます。紐のように見えます。それがするすると降りてきます。月明かりで姿が見えてきました。蛇です。何匹かの蛇が太いヤチダモの幹をニョロニョロと降りてくるのです。はっきりと見えるところまで来ました。大きな青大将くらいでしょうか。色は真っ白です。橙色の舌を口から出すときにしゅるしゅるという音を出します。
蛇はヤチダモの木の下に降りると、尾っぽを立て、毒茸の輪の中にはいりました。全部で十匹います。蛇たちは茸の前でとぐろを巻きました。頭を垂れ、祈るような格好をして目を瞑ると、しばらくの間そのままでしたが、一匹がシューっと鳴いて、一斉に目の前の茸に喰らいつきました。傘から丸呑みにしています。大きな茸ですから、蛇の腹がぷくりと膨らみました。蛇たちの茸の晩餐です。
食べ終わると、大きなお腹の蛇たちは、ちょっと離れたところで輪になって動き始めました。十匹の蛇が下草の上を輪になって動きます。やがて、草が擦り切れ、土がみえてきました。こうして、土の円ができました。すると、その上に、蛇たちは口から橙色のつばきを吐き出して、土の表面をおおいました。こうして、赤っぽい土の輪がヤチダモの木の下にできたのです。赤い土の輪が出来たころには、蛇のお腹がへこんでいました。輪を作るために動くことで消化されたのでしょう。土の輪には茸が生えてくる、そのとき気付きました。
そのご、蛇たちはしゅるしゅると鳴きながら、ヤチダモの木のてっぺんに向かって登っていきました。しばらくするとその声も聞こえなくなりました。
蛇は動物を食べる茸を育て、動物を食べて毒茸に変わった茸を食べるのです。
このあたりには次のような伝説があります。いろいろなバージョンがありますが、私の知っている話を紹介しましょう。
昔、この山の下の皆瀬川の不動滝に能恵姫(のえひめ)と供の蛇が住んでいたということです。小安の近くの村で生まれた能恵姫は、とあることから、白蛇に見初められ妻になりますが、水底で暮らすことになります。ところが水に毒が流れ、綺麗な水を求め蛇とともに皆瀬川をのぼり不動滝にたどり着いたということです。白蛇は水の毒を飲み込み綺麗にすることで姫を守りました。不動滝の水の清らかさはここからきているのです。
これは私の想像ですが、能恵姫が亡くなった後も、水が綺麗になった不動滝に住んでいた白蛇の子孫は、毒を食べたくなり、山に移ってきたのではないでしょうか。始めは毒茸を選んで食べていたのが、やがて、自分達で毒茸を育てるようになったのです。ヤチダモの木に棲みながら、毒をもつ茸を育て、晩餐会を開いて、姫を偲んでいるのではないでしょうか。
白蛇の茸の晩餐会はそれから数年見ることができました。あるとき、私はその晩、茸の晩餐の邪魔をしてしまいました。新しく買ったカメラにフラッシュが付いていたので、それで写真を撮ろうとしたのです。フラッシュをたいた瞬間です。白蛇が一斉に私を見て、すーっと、すべてが消えてしまいました。
そんなことがありました。
秋田の湯沢は絵灯篭の七夕や、綺麗な水の湧くところとして取材をしたことがある。そのとき街中の宿に泊まったことがあるが、小安温泉に足を延ばさなかった。小安のことは知っていたと思うが、雑誌の編集の関係だったかもしれないが、湯沢だけですぐ戻った。
今回は小安温泉の旅館を調べた。筆者のいる五郎兵衛旅館を探したのだが小安温泉郷にはなかない。書いたものには本当の名前を使わなかった可能性があるので、似た名前を探した。多郎兵衛旅館というのがある。随分古い旅館だ。それで、草片書店に電話を入れた。笑子さんが電話口に出た。
「あら、第十集の作者にお会いに行くのですか、ええ、五郎兵衛旅館は架空ですわ、だけど先生のいう多郎兵衛旅館の番頭さんではありません、多郎兵衛旅館の近くに住む人です。連絡は多郎兵衛旅館に電話して、電話をくれるようにたのめば連絡してくれます」
ということは、太郎兵衛旅館に相当かかわりのある人なのだろう。ともかく、多郎兵衛旅館に電話を入れた。
それからすぐに電話がきた。かなり年をとった男性の声である。髙橋さんといった。彼はもしこられるなら、多郎兵衛旅館に宿をとっておきますよと言ってくれた。それで、三日後に二泊ほど滞在することを伝え、行く準備にはいった。
小安に行くには秋田新幹線で大曲に出て、そこから奥羽本線で湯沢駅にでなければならない。かなりの旅行である。五時間ほどかかる。
予定の時間に湯沢駅につくと、多郎兵衛旅館の車が迎えに来ていた。乗ったのは私だけだったので、旅館までの道中に運転手から話を聞いた。
「髙橋さんは何をしている人でしょう」
運転手は首をかしげている。
「誰でしょうかね、高橋だらけだからわかんねえね」
話を聞いていないようである。それで、いきさつを話した。
「うちに茸を入れている髙橋さんかね、それなら髙橋万次郎さんでしょう、もう八十になるけんど、毎日山奥に茸採りに行かれる」
だから多郎兵衛旅館が知っていたわけだ。
「茸採りの名人だけんどね、あのあたりの土地もちさんで、うちの社長さんの兄(あに)さんだで」
そういうわけがあったのだ。
宿に着くと、玄関で髙橋さんが待っていた。黒い甚平ともんぺをはいた白髪の丸顔の老人で、忍者のような格好をしている。名脇役の俳優さんにこのような顔の人がいたが名前を思い出せない。
「井原先生、遠いところまで、ありがとうございます」
全く秋田訛りが無い。標準語である。笑子さんから連絡がいっているようだ。
「『茸の晩餐』が面白かったのでお話を伺いたくなって来てしまいました、私の勝手ですみません」
「いやあ、おはずかしい、わしには書けんと断ったんじゃが、あの笑子に乗せられ、ついつい引き受けてしまいましてな」と笑った。
髙橋さんが旅館の部屋まで案内してくれた。
「この旅館は古い旅館でしてな、弟にやってもらって、わしは若いころから好きなことをさせてもらっております、道楽もんで皆に迷惑をかけております、
どうですかな、一風呂あびていらっしゃれば、ここにはいくつものいい湯がありますがの、最初は大浴場の薬師の湯がいいでしょう、ほかに露天風呂と陶喜の湯、それに小高くなったところの離れに男用には三宝の湯がありますよ」
ずいぶん色々な湯がある。
「それで飯ですが、大広間で食べるより、わしのうちにいらっしゃらんかな、すぐそばですから、ここの大女将の料理もすごいものでしてな、しかし今日はうちの茸料理を味わってもらいたい、そのほうがゆっくり話せますでな」
ありがたい申し出なので、もちろんうなずいた。
「わしはこれで家に戻りますが、あとで番頭が案内すると思います」
そう言って、髙橋老人は部屋を出て行った。入れ替わりに番頭さんが来て、旅館の中を案内してくれた。
私は薬師の湯に浸かった。落ち着いたいい湯である。
その後、案内されて髙橋老人の家に行った。家は女滝沢トレッキングコースの入り口近くの林の中にあった。大きくはないが、和風の相当凝った建物である。草片庵と木札が下がっている。
番頭さんが玄関を開けると、色の白い丸顔の髪を長くしている女性が顔を出した。
「あ、番頭さん、ご苦労様です」そう言って、「井原先生、どうぞおあがりください、父が待っています」
その女性は笑顔でお辞儀をした。誰かに似ている。
案内された部屋に食事の用意がされており、髙橋老人がテーブルの前に座っていた。
「どうぞ、あ、これは三女の木野子です」とお嬢さんを紹介した。
「お世話になります」
「今日は、茸ずくしでまいります、ごゆっくりお過ごしください。父の採ってきた舞茸もはいっています」
「ありがとうございます」
それから、茸の前菜がでてきた。
「飯を食いながら話しましょう」
私は髙橋老人に茸との出会いを尋ねた。
「わしは、さっきも言いましたが、若いころから道楽者でしてね、ただ、道楽といっても男がたしなむ道楽と違っていて、茸なんですわ、茸が好きで山の中を歩き回って、色々な茸の写真を撮ったり、採ってきて名前を調べたり、場合によっては標本を作り、科学博物館に送って名前を教えてもらったり、そんなことをしていましたわ、もちろん親にねだって図鑑類だけではなく、茸の本も買い集めました。高校は出たが大学も行かずそういうことをしていました。二十歳になったころですかな、熊楠を知って、そちらの方に進みたくなりましてな、いきなりイギリスに行きました。熊楠が大英博物館にいたことはごぞんじでしょう」
私はうなずいた。
「それで、イギリスの大学に入ろうと思ったのですわ、実は大学こそいかなかったのですが、向こうの茸図鑑を手に入れたとき、是非読んでみたいと思いまして、英語だけは一生懸命独学で勉強しとりました。それである程度英語はわかったんですわ、しかし、イギリスに行って、研究をするなどということは自分の能力では無理とわかりました。それに研究とは根気の要ることで、すぐ他に目がいくわしには無理でしたな。二年ほどして、フランスに移ったのです。茸の料理なら出来ると思いましてな、そこでコック見習いを三年やりまして、それで少しは茸の料理を覚えました。しかし、やっぱり日本の料理のほうが私にはあうと思うようになりました。そこで小安に戻り、茸の研究所を立ち上げまして、茸栽培に手を出したのですわ。料理の材料の供給を考えたのです。それはうまくいきました。年商一億ほどになったでしょうかな、しかし五十になった頃でしょうか、やっぱり天然ものだと思うようになり、研究所は人にまかせて、今のように茸採りになりましてな、茸好きな人を案内したり、珍しい茸を探したりの生活をしております」
自分から比べると、ずいぶん贅沢な人生だ。
「うらやましいですね」
それからは、髙橋老人の茸採りで出くわした奇妙な出来事の話をきいた。面白い現象にずいぶんたくさん出会っている。
草片叢書第十集の話になった。
「あの草片叢書に書かれたことは面白かったのですが、何処までが本当にごらんになったことでしょ」
髙橋老人は話作りを楽しんでいる人だということがわかった、それで単刀直入に聞いた。
「あれは、茸の傘のところに蝿が挟まってもがいているのを見ましてな、思いついた話です。ほとんど嘘ですわ、ただ、食茸が毒茸になることはありましてな、おそらく何かの影響で茸の中の成分が毒物になっちまうのですな。もちろん、卵茸が紅天狗茸になるなんて事はありませんよ」と大きな声で笑った。
次々にでてくる茸の和風料理はしゃれていて、都会のレストランでこのような贅沢は出来ないだろう。酒も旨い。
「美味しい料理ばかりです」
「いや、地物というだけですよ、あの木野子が作っています。ご存知でしょう草片書店の笑子の草片レストラン、あそこのシェフはわしが見習いをしていたパリのレストランの主人に頼んで、茸の専門家を探してもらったんだ」
草片書店の姉妹は、この髙橋老人と懇意なようだ。
食事が終わり、お茶が出たとき、髙橋老人は一冊のしゃれた洋装本をもってきた。
「今日話したことは、こんな本にしましたので、差し上げましょう」
茸をモチーフにした単純だがどこか面白い版画絵の表紙の本で、小口が三方とも黄緑色に染めてある。タイトルは『草片人生』であった。開くと本人の生い立ちと、茸との出会いが書かれている自分史のようだ。
また髙橋老が本を持ってきた。
「わしの余技でして、素人物でお恥ずかしいが」
と渡されたのも同じ傾向の装丁で、赤で三方染をしてある。タイトルは『幻茸城』とある。
「泉鏡花の『茸の舞姫』に刺激されて、ちょっとばかり話を作ってみたのですよ、部数が少ないのですが最後の一冊ですが差し上げましょう、作家の先生に差し上げるのは恥ずかしいのですが」
髙橋老人は茸の物語の本も作っているようである。
こうして、夜遅くなり、旅館に帰った。そのとき、木野子さんがお土産をくれた。
「これは茸の漬け物です、エゾハリタケを三年かけて味噌漬けにしたもので『ぬきうち』といいます。このあたりしかありません。この茸は硬くて抜くことが出来ないのですが、食べ物がなかったのでしょうね、自然に抜け落ちるのを待ってから、何とか食べられるように工夫したものです。珍味というか、珍しいというだけかも知れないのですが、食べてみてください」
私はお礼を行って、おいとまをした。
次の日、昔はカラフキと言った大墳湯を見て、不動滝などを見て、夕食は宿の大女将の料理を堪能した。もちろん離れ屋の三方の湯も真夜中に入った。誰もいない薄暗い小さな浴室は静寂の中に薄気味悪さが加わり、今まで入ったことのある湯で一番好きな湯である。また来たくなる。
みやげに稲庭うどんと、この宿にしかない古代米の赤い酒、弥生のしずくを買って、二冊の本を携えて小安峡を後にした。とても良い旅行となった。
二週間後、草片晩餐会の日になった。案内状を頼って、国立のレストラン草片をやっと見つけた。住宅街の普通の家の立ち並ぶ一角にある、地味な石造りの西洋館だった。かなりの年代の家である。煉瓦の低い塀が巡らされ、庭の中が見渡せるが、クローバや蛇苺の葉が這っている。
煉瓦の門柱に銅でできた表札が付いている。「レストラン草片」とある。白い木でできた門を通り、やはり煉瓦が敷かれた道をいくと、玄関の大きな扉が開かれている。覗くとスリッパが用意されているのが見える。中にはいると、Xavila晩餐会と看板が立ててあり、ご自由にお上がりくださいとあった。廊下をいくと、会場という札が立っていて、ガラス戸が半分開かれている。中にはいると、「いらっしゃい」という声が聞こえた。
部屋の真ん中には無垢の木でできた大きなテーブルがあり、晩餐会用のセッティングがなされている。天井の梁から落ち着いたガラスのシャンデリアというか、昭和初期の様相の電灯が吊るされている。部屋自体は特別大きいわけではないが、太い木を使った梁と漆喰のミルク色の壁が調和していて、落ち着いた部屋になっている。庭に面したところには、上が半ドーム状になった格子のガラス窓が三つならんでいる。
テーブルの周りには十数個の椅子が用意されている。窓の脇の二つの小さな台には茸の形をしたランプが燈されている。
椅子に腰かけていた笑子さんと泣子さんが立ち上がって入口のところに来た。
「井原先生、ありがとうございます、どうぞこちらに」
一番奥のテーブルの端に座らされた。どうも一番前の席のようだ。
「早く来すぎましたか」
六時の開始の予定だから十分前に着いたのだが誰も来ていない。
「いえ、間もなく皆さんみえるでしょう。
「どなたがいらっしゃるのですか」
「草片叢書をお書きになった方、皆さんいらっしゃいます」
草片叢書の第一集の作者から、ほとんど人に、私はその地に行って会っている。その人たちに会えるのは嬉しいことである。
私が椅子に腰掛けて、テーブルの上の献立が書かれた紙を開いてみた。全部ラテン語で書かれていて、私にはなんだか分からない。
「それは献立ではないのです、使われる茸の名前です」
泣子さんが説明してくれた。
そこへ客たちが次々に入ってきた。第一集の中津川の宿屋のご主人である橋田さん。第二集の福島郡山の農園主、武田さん、第三集の谷川の高校の先生で神主さんの伊丹さん、第四集の八王子の地主、室井さん、第五週の伊勢原豆腐料理屋の秋山さん、第六集の現代音楽の字頭さん、第七集の千葉の野田さん、第八集の長崎対馬の乙成さん、第九集の神峰さん、なぜか順番に入ってきて、順番に私の隣から座った。私は一人一人と眼を合わせお辞儀をした。あの有名な字頭さんとは初めての対面である。それにしてもここで皆さんと会えるとは思っていなかった。とても感激である。
私の前には笑子さんと粒子さんの席、それ以外に席が二つ空いている。第十集の髙橋さんとだれだろう。
「皆さん、よくいらっしゃいました。もうすぐ始めたいと思います。シェフのブルーノです、今日はとっておきの茸料理に腕をふるってもらいます」
笑子さんが、すらっとした茶髪の目の青い青年を紹介した。アランドロンに似ていなくもない。この男が髙橋さんの呼んだフランス人だ。彼はちょっと照れているように笑みを浮かべ、腰をかがめて頭をたれた。
シェフは厨房に下がった。笑子さんと泣子さんは椅子に腰掛けた。私の前と粒子さんの隣がまだ空いている。
その時、髙橋老人が入ってきた。お嬢さんの木野子さんが一緒である。付き添いで来たのだろう。
髙橋老人は「先日は来ていただいてありがとうございました」と私の前に座り、木野子さんは泣子さんの隣に座った。
笑子さんが「パパ、皆さんそろっているのよ、ご挨拶よ」そう言った。
私はえっと耳を疑った。髙橋さんを笑子さんがパパと呼んだ。驚いている間に、髙橋老人が立ち上がって、
「皆さん、久しぶりですな、笑子と泣子がお世話になっております、今日は井原先生を迎えて、これからのこともご相談しようと思いましてな、この会をもようしたしだいです」と話し始めた。
不思議な展開になって来た。笑子さんと泣子さんは髙橋さんの娘、木野子さんの姉になる。それに、ここに集まった人はもう知己のある人々のようだ。私だけ何も知らないという状況である。
シャンパンが運ばれて来た。髙橋老人の音頭で乾杯をした。
私がびっくりした顔をしていたのであろう、笑子さんが、
「驚かれたでしょう、パパが先生を驚かそうと企画したんです。実はお願いがあって、後で父が言うと思います」と声をかけてくれた。
ウエイターとウエイトレスが好みの飲み物を聞きに来て、注いでいく。
盛りあわせのパンとオードブルがでてきた。三種類あった。笑子さんがみなに説明をした。「パルメザンチーズに月夜茸、毒笹子のアヒージョ、それに、苦栗茸のアボガド和えです」
なんてことだ、毒茸じゃないか。あっけにとられていると、みんなが口にしている。髙橋老人などは、これは旨いなどと言っている。
大皿にサラダが盛られてきた。
「大笑い茸と編笠茸、天狗茸のサラダです、係りのものが取り分けます」
編笠茸だって生食は中毒する。しかし、周りは平気だ。私もやっとオードブルに手をつけた。味はすこぶるよい。皆さんはサラダを旨そうに食べている。
「サラダのソースもこれは茸で作ってますな」隣の席の橋田さんがささやいた。
「サラダのソースは毒山鳥茸からつくったものです」笑子さんの声が聞こえる。
なんだこれは、ちょっと怖くなったが、周りは全く気にしていない様子である。ということは、この会のちょっとした余興的なものなのかもしれない。
私もサラダをとって食べた。とてもうまい。
スープが出て来た。
「袋鶴茸と毒鶴茸のグリンピーススープです」
色も綺麗だ、もう気にしないで匙を取った。それにしても茸がいい味だ。白葡萄酒をたのんだ。
「魚料理がでてきます。平目のムニエルに火焔茸のフリッターそえ」
火焔茸だって、冗談じゃない。
出てきたのは、バター炒めの平目の脇に、火炎茸が薄い衣をつけて揚げられたのがのっている。綺麗なことは綺麗だ。火焔茸を触ると皮膚がただれ、胃腸が腐り、脳が萎縮するという。
「これは最高だよ、先生」
髙橋老人がホークを火焔茸に刺して口に運んだ。口の中に火炎茸が入っているうちに平目もいれた。
「おー、ほっぺたがおちそうだ」
髙橋老人の目は蕩けそうである。白葡萄酒をぐっと飲んだ。私も同じようにするしかないと思い、やってみた。これが旨い。なんと言っていいのだろう、わからない。ただ旨い。
オムレツが出てきた。
「柿占地と一本占地のオムレツよ」
みんな毒茸だが、本当は食べられる茸を加工しているのだろう。このオムレツなは最高である。
赤葡萄酒がでてきた。茸の絵のラベルが張ってある。
「皆瀬牛のステーキです、焼加減はこちらで決めさせていただきました。皆瀬牛が一番美味しい焼き方です。ミディアム寄りのレアーかしら」
見ると厚切りの旨そうなステーキの脇に猛毒の赭熊編笠茸のソテーがついている。
ナイフでステーキを切って口に入れた。美味しい肉だ。焼加減もいい。赭熊編笠茸も切って口に入れてみた。アミノ酸が豊富だ、肉に良く合う。
「おいしいですね」
私もつい口に出した。赤葡萄酒を飲んだ。
笑子さんが嬉しそうに笑った。
「デザートです、紅天狗茸のアイスクリームとメロンがでます。珈琲、紅茶、緑茶なんでも結構ですから係りの者におっしゃってください」
「その前に、わしゃ、ウイスキーが欲しいな、ユーリーはないか」
髙橋老人が声を上げた。
「そうでしたわね、でもパパ、デザートの後でいいでしょ、井原先生にお話しするとき」
笑子さんが老人をたしなめた。私に話しってなんだろう。
「おーそうか」
ということで、紅天狗茸のアイスクリームを食べた。なぜか気分がよくなった。
皆が終わったころ、髙橋老人が立ち上がった。
「どうでしたかな、みなさん、この毒茸の料理うまかったでしょう」皆頷いた。
「その、メニュウーの紙に書かれている茸をすべて使いましたのじゃ」
毒茸ならもうおかしくなっているはずであるが、からだはむしろ軽くなったように気持ちがいい。本当に毒茸だったのだろうか。
「実は、毒茸の毒を抜く方法を見つけましてな、すべての毒茸は無毒にして食べられるようになりました。その方法はちょっと複雑でしてな、覚えるのは大変かもしれませんが、あのブルーノはできます。河豚も毒の部分をとればとてつもなく旨い魚。それと同じに、毒茸の毒を抜けばとても旨い茸であることがおわかりになったでしょう。この方法を免許制にするように厚労省に働きかけています。茸によってちょっと違ったことをしなければなりませんので免許が必要ですのじゃ。薬品で一遍に毒を抜くことのできる毒茸もあります。それなんぞを使うと、未来の食糧難が解消されますぞ、それでこれから娘の木野子が会社を立ち上げますのでよろしくご援助願いたい」
木野子さんが立ち上がってお辞儀をした。無口な女性である。皆が拍手を送った。
「それじゃ、食後酒といこう、皆さん好きなものを言ってくださいよ、冷酒だってありますぞ」
みんなが好きなものをたのんだ。私は髙橋老人と同じ物をストレートでと言った。ウイスキーは好きである。髙橋老人がユーリーと言ったのはグレンユーリーローヤルというシングルモルトで、すでに蒸留所がなくなった、貴重なウイスキーである
いきなりウエイトレスが倍になり、あっというまにテーブルの上が片付けられ。食後の飲み物の用意がされた。
髙橋老人が「ちょっとあれを見てくだされ」とテーブルの先にあるカーテンを指差した。皆が一斉にそちらを見ると、壁のカーテンが上がり、ちょっと奥まったところに、大きな茸のランプがあった。明りがついている。
諏訪の北澤美術館にはガレの一夜茸のランプがある。大きさは同じくらいだが、ここの茸は編笠茸だった。三本の編笠茸が組み合わさって、黄色っぽい光を放っている。
「ガレですか」
「残念ながら、ガレではないのですがな、フランスの若手のガラス工芸家につくってもらいました。ダレです」
冗談のような名前だ。いや本当に冗談かもしれない。
ウイスキーを口にした。いい香りがする。ずい分強いウイスキーだ。58度だと後で知った。樽だし、すなわちカスクで、水で薄めていない酒である。
「さて、井原先生以外の方たちには話してある通りです、これから草片書房を本格的に立ち上げて、茸にまつわる雑誌を作り、本を作っていきたいとおもっとるのです。もちろん草片叢書もこれから続けていくが、毎月きちんと出したい。皆さんはこれからも茸作家として参加していただきたい。
それで、井原先生」
髙橋老人は私を見た。
「先生に草片出版の頭になっていただいて、雑誌の編集長として娘を助けくださらんか。茸の旅行記なども書いていただきたい。いろいろなところの茸伝承を集めたり、書き手を探したりお願いしたいのですがいかがでしょうな」
私は面食らってしまった。もうお役目は終えて、余生をいくばくかのたくわえで、おとなしく暮らしていこうという消極的な生き方を選んだのだが。
私が考えていると、集まった人からも私に依頼の声が掛けられた。
「井原先生、先生の筆の力をここで終わらせてしまうのはもったいない、是非、娘たちを助けていただきたい」
笑子さんと泣子さんも立ち上がって私に頭を下げた。
もう断れない雰囲気でもあるし、なぜか頭がうきうきしていて、楽天的な気持ちになっていた。
私は「私でよければ喜んで」と答えていた。
「おー、ありがたい、よろしくお願いします」
髙橋老人が頭を下げた。三人の娘も頭を下げた。皆の拍手が遠くに聞こえた。何で気持ちがいいんだろう。これで、また死ぬまであのしち面倒くさい編集をすることになるのに。
どうしてその気になったのか。
笑子さんが「デザートのアイスクリームは紅天狗茸をそのまま使いましたのよ、紅天狗茸は毒茸じゃないのですもの、毒を抜く必要ありませんわよね」
と笑った。
笑子さんと泣子さん、それに木野子さんまでも、紅天狗茸に見えてきた。髙橋老人は天狗茸だ、皆さんはどうみても笑い茸である。
この物語も、きっとこれで終りなのだ。眠くなってきた。
語い草片
この話に出てくる本や店、それに旅館などは、すばらしいものばかりで、筆者にいい思い出を残してくれました。改めていう事ではありませんが内容は全くのフィクションです。関係する方々には、勝手に店名、書名等を使わせていただいたことお礼を申し上げるとともに、ご容赦のほどお願いいたします。