スティル・アライブ〜自殺少女とOD少年〜

プロローグ

<インタールード8>





――そして。



<プロローグ>

 頭ン中ブロンブロンでBlingBangBangブロンと替え歌を口ずさみながら俺は玄関のドアを開けた。

 ムワッとした空気が纏わりつきメガネが曇った。七月上旬、静岡県浜松市の真夜中は少し暑いが静かだ。

 ブロンはオーバードーズの女王だ――或いは王様か。含有されるカフェインとメチルエフェドリンがシャキッとアッパーな感じを、ジヒドロコデインはダウナーなふわふわとした感覚を、それらが混合して独特の効果になる。またやけに動ける。職場や学校に飲んでいくOD勢も多く覚醒剤とも揶揄される。

 俺はそんなブロンをキメて深夜徘徊するのが好きだ。人影のない夜の地方都市は圧倒的に孤独だ。無機質に点滅する信号機がSEKAIに独りぼっちな感覚をより増してくれる。

 とりあえず駅北を目指すことにする。少し雨が降ったのかアスファルトは濡れていて、そこに反射するオレンジ色の街灯が綺麗だった。



 駅北の電車の高架下に着く。
 ベンチが濡れていないか確かめて腰を下ろす。ポケットからシガーケースを取り出し金ピースを咥え火を付け長く一吸いする。肺を紫煙が満たしていく。十秒我慢。ゆっくりと吐き出す。

 「ふー」と一息ついて口内の味を楽しむ。

 金ピースのタールは二十一ミリグラムで結構高い。味もそうだがヤニクラがしたくて吸っているのだった。

 しばらく黒い木々を眺める。ゆらゆら揺れるその様を。

 ――ふと気付く。

 風はない。なぜ揺れている? 鳥か何かだろうか。少し気になって煙草を消すと揺れる木に近づく。

 揺れる枝のその先を追うと――何か動いている。

「――ぐぎゅっ」

 何やら声もする。

 人か?

 カップルだったらダルいなという考えがよぎった瞬間、また気付く。

 首吊りだ!

「ちょっ――」

 驚きすぎてうまく声が出ない。ってそうじゃない俺。

「だ、大丈夫ですか!?」

 大丈夫なはずなかったが他に言葉が浮かばなかった。

 駆け寄る。小柄だ。苦しいのか浮いた足をしきりに動かしている。

 見やると木の枝から黄色と黒の縞々のいわゆる虎ロープが伸びている――どうする!?

「た、助けます! あ、足支えますね!」

 そう言って何とかロープを弛ませようとしたが蹴られる。痛っ。

 俺はよろめいて尻もちをつく。痛っ。皮肉にも傍目には滑稽に見えるだろう。アンガールズのコントみたいだ。

 努めて冷静に考える。苦しいのだろう首を掻きむしっている。何が最善だ? 急げよ俺。

 そこで閃く。俺は首吊り未遂経験者だがこんな場所でやるには踏み台がいるんじゃないか? 少なくとも俺はそうだった。

 慌てて周囲を見渡す。

 ビンゴ。よく見ると傍らに踏み台らしき影があった。

 急いで手に取ると、

「えっと踏み台置くから乗ってください!」

 聞こえていますようにとバタつく足元に踏み台を置く――乗ってくれ!

 永遠のような数秒。

 つい神や仏やらご先祖やら何やらに祈ってしまう。

 人影は少女らしかった。

 所在なさげに動いていた少女のつま先が台に触れる。

 そして永遠のスローモーションの中でゆっくりと靴のかかとが台を踏みしめた。

 瞬間、少女はバランスを失ったのかもんどり打って地面に倒れた。幸か不幸か首はロープから外れたようだ。

「おえええええええっ――げっほっぜー」

 良かったといっていいだろう荒いが息をしてる。呼応するように虎ロープが揺れていた。

 一先ず駆け寄って声を掛けようとする。

 が。この自殺者に何と言うべきか、生きているならどう話を切り出すか俺が迷っていると、

「ワイちゃん! スティル! アライブ!」

「は?」

 面食らって素の声が出てしまった。

 自殺少女はガッツポーズを挙げている。

「うおおおお首と喉ちょー痛てえー! マジ超生きてるー!」

 喉をかばいながら少女が笑った。

 失敗して喜んでいるチグハグさに俺はしばし呆けてしまう。自殺少女は九死に一生を得たかのように歓喜していた。

「えっと……」

「うう、君ありがとうねー」

 たじろいでいる間に礼を言われた――ますます混乱する。死にたかったんじゃないのか?

「いやーそっかそっか」

 何やら一人で納得している。それに対し気の利いた一言も浮かばなかった。

「あたしメメ子!」

 最初何を言っているのか理解できなかった。ワンテンポ遅れて少女が名乗ったのだとわかった。

「えっとめめこ?」

「そーメメクラゲって知らないー?」

「……あ、つげ義春のやつか」

 ペースを乱されっぱなしながらも会話を続けようと思った。まだ安心できなかった。

 メメ子ね。××子。匿名の自殺少女ってわけだ。まあ未遂ではあるが。

 メメクラゲは漫画の有名な誤植だ。『××』クラゲだったのを編集者だか写植オペレーターが読み違えてメメクラゲとしてしまったという。今も修正されずそのままだ。

「あー死ぬかと思ったあー」

 まだ痛むのか喉をさすりながら少女メメ子が言う。いや死のうとしてたんじゃないのか。

 とりあえず俺も名乗るべきか。本名を言うかしばし考え巡らせ思い付く。

「仮名・堂島」

「?? 亀井戸島?」

 疑問符を浮かべながらメメ子が言う。明らかに違う漢字で言ってるな。

「名前。堂島(仮)」

「なにそれー?」

 まあ知らなくて当然か。

「てか大丈夫ですか?」

 やはり気になって野暮なことを聞いてしまう。相変わらず俺はアドリブに弱い。もっと相応しい言葉があるだろ。

「生きてるよー」

 見ればわかる。何故だか知らないがメメ子は笑顔だ。自殺しようとしていたとは信じられない。

 首吊り自殺をしていたのに喜ぶ彼女に繋ぐ言葉が見つからなかった。

 梅雨明け前の七月初旬の夜半、いつの間にかカエルが鳴いていた。

 すっかり忘れていた暑さを思い出す一筋の汗が頬を伝った。

 欣喜雀躍とすら思えるハイテンションの自殺少女を前に俺はただただ戸惑い面食らっていた。

 おおよそメメ子との出会いはこんなものだった。

 二〇二四年夏が始まった――。

<おっ死んでぶっ生き返すプロローグ――閉幕>



<インタールード その1>

 2024年の自殺数(確定値)は2万320人で、(中略)小中高生は前年比16人増の529人で、統計のある80年以降で過去最多となった。厚生労働省が発表した。(朝日新聞より引用)

第1幕 その1

<第一幕>

 閉じたカーテンの隙間から差す僅かな光の眩しさに起される。布団の傍でタオルを布団代わりに寝るぬいぐるみに脳内でおはようと言って時計を見ると昼近かった。

 昨日のブロンの離脱症状だろう倦怠感と憂鬱さに顔をしかめる。何か"入れないと"マズいと感覚が告げていた。

 逡巡し脱法ドラッグのカチノンを摂取することにした。のっそり起き上がるとテーブル上のちいかわの丸い缶ケースを手に取る。元々はチョコレートの缶で、お気に入りのハチワレが描かれてるやつだ。

 ふたを開け、カチノンの入った小さなジップロックを取り出す。白い粉末。きめ細かい塩のようなそれをスプーン代わりの耳かきでガラスパイプに移す。
 ターポライターでガラパイを炙る。コツはすぐに吸わずに二秒くらい待ってちゃんと気化してから吸い込むことだ。映画やドラマでは描写されないあるあるだ。

 口をつけゆっくりと吸う。カチノンが肺を満たしていく。漢方をケミカルにしたような独特の苦みが腔内を襲うが何とか我慢。

 粉末がほぼ溶けきるがまだ終わりではない。ガラパイを回しながらその上部に炎を当てた。気化後再凝固したカチノンが上に付着するからだ。覚せい剤でも同様だがこれも映画やドラマでは知りえなかったあるあるだ。

 吸い切ったところで息を止め、三十秒待つのが俺のスタイル。カチノン特有の味が舌にねっとり広がるのを感じながら目を閉じカウントする。

 ゆっくり白煙を吐き出す。

 ほどなくして脳がカチノンに侵食されていく。灰色の脳細胞がカチノンに染まっていく。憂鬱さと倦怠感が晴れるのがわかる。その高揚感にふうと息をつく。

 ドラッグは簡単にいえばアッパーとダウナーに分類される。カフェインなんかはアッパーだ。覚せい剤やコカインは言わずもがなである。
 そしてカチノンもアッパーだ。端的に言えば離脱作用のない覚せい剤と表現できる。脱法で効果も強く低価格なのが魅力だ。ただコカインと同様、作用時間は短く三十分から一時間程度と短い。だから即気分を上げたいときに重宝している。

 すっかり機嫌が良くなった。行動的になるというかやる気がみなぎってくる。ごみごみと散乱した部屋を見てると掃除したくなってきた。

 その衝動を抑え込むとスマホを手に取った。
 色々通知が溜まっている。
 まずSpotifyを開きながらスマホをスピーカーに繋げ「あなたのTop Mix」をタップ。
 聴こえてきたのはこっちのけんとの「はいよろこんで」だった。

 上機嫌でフレンドにおはようとLINEし終わると、Xを立ち上げ一通り目を通す。 
 都知事選間近だけあって政治系のツイートが結構流れている。喧しい。それに紛れてどこかの中学生の自殺予告がバズっていた。本当に死んだのだろうか。
 考えないようにしていたメメ子のことをどうしても連想してしまう。

 昨日はあの後、半ば押されるような感じでメメ子とXのFFになって別れた。彼女のアカウントはまだちゃんと見ていない。気にはなる。だが何となく見るのが躊躇われるのだった。
 その躊躇の壁ををカチノンが乗り越えさせた。 

 フォロワーからメメ子のアカウントを開く。

 最新ツイートは昨日の夕方だった。「お腹すいたー」とある。つまり昨日の首吊りは、いわゆる死ぬ死ぬ詐欺ではないことを意味してるように感じた。人知れず死のうとしていたのだろうか。「トントントンツーツーツートントントン」も無く……。

 昨晩のことが思い出される。自殺を止められて喜んでいた彼女。心情は想像できるがよくわからなかった。 
 不可解という言葉が浮かんだ。そういえば旧帝大の自殺者の遺書の言葉だったか。

 万有の真相はただ一言に悉くす。曰く「不可解」と――。

 単純に死ぬのは怖い。生物としての本能だ。
 俺も数回の自殺未遂をした。そこにあったのは不幸で最期まで孤独の絶望。そして失敗して結局死ねなかったという無情と精神科へ措置入院という現実だった。少なくとも俺は。
 メメ子はどうなのだろう? どうしてわざわざあんな場所を選んだのだろう? 首を吊るなら家のドアノブでやればいい。実際問題として人気が無く、ロープを掛けるに適した場所はあまりない。俺はクリスマスに教会の前で死んでやろうと勇んで行ったが、どこにも首を吊れそうな木なり何なりがなくて失敗したことがある。一応笑い話だ。誰も笑ってくれないが。

 それはともかく、どうメメ子と接するのがベターなのか。 
 おはようとDMで送るか。
 喉が渇いたのでエナジードリンクのモンスターを飲み(もちろんピンクのだ)、煙草を吸いながら少し待ってみたが既読はつかなかった。

 カチノンのおかげか嫌な想像はそこまで首をもたげなかった。
 金ピースでは物足らず、俺は違法大麻リキッドに手を伸ばした。

 ――これが俺。深いよどみの不幸と孤独とドラッグと。そしてとっ散らかった薄暗い部屋と。オーバー"ドープ"これが俺の最新の令和。極東最前線。クソゲー日本。子殺しの国へようこそ!

第1幕 その2

 朝と空腹は怪力でやってくる。抗いようがない。明けない夜はないというが、鬱病の身からしたら夜が明けるのが問題だ。眼を焼く太陽光と通勤通学の姿と声。健全な人々。比べても詮無いことだが思考は止めようがない。そして腹も減る。ついでに糞も。



 そんなことを考えている間に今日も夕方だ。

 スマホが震える。通知だ。相手はメメ子ではなくフレンドの凜々花(りりか)だった。その名前の由来はプレガバリン――神経障害性疼痛の薬だ――の商品名「リリカ」で、当然リリカODが大好きな姐さんだ。

 リリカネキ(とネット上では呼んでいる)の要件はXのオーバードーズコミュニティに入りたい子がいるからよろしくとのことだった。

 そう俺は病み界隈、OD界隈に息している。色々あってXのコミュニティを立ち上げた。OD勢のための場所だ。現実をオミットされた連中がコミットする場所だ。

 今年の四月一日にコミュを作り、七月現在、人数は千人を超え毎日人が増え続けている。それだけみんな病んでいる。

 ストゼロ文学といわれてたのはもう昔で、"今"を象るのはODだと俺は考えている。実際社会問題化しているのは確かだ。 

 凜々花に了承の旨を伝え、夕飯を買いに街に出ることにする。目指すのは生鮮食品を扱っているドラッグストア。主として神奈川を中心に東海圏にも展開するクリエイトSDである。

 外に出た瞬間眩しさに目が眩む。陽が長い。煌々とした太陽を恨めしく思う。梅雨はどこにいった。 

 今日は七月五日金曜日。ちょっと店が混んでるかもしれない。気持ち足早に歩を進めた。浜松市のシンボル、アクトタワーが見下ろすように聳えている。その巨大な象徴は市内どこからでも見える。バブルの残り香のするパノプティコン。

 外気が何度か知らないが汗っかきだからしんどい。夕凪は生暖かい。土っぽい夏の夕方の匂いがした。

 凜々花からのLINEの返事に現場猫スタンプでヨシと送った。何でもかんでも現場猫スタンプで返すのがマイブームなのだった。

 ちなみに現場猫は商標的に問題があるとかで正しくは「仕事猫」なのだが、現場猫の語感が好きでそっちで呼んでいる。

 影踏みのように、少ない街路樹と建物の影を縫うように進むとようやくクリエイトが見えてきた。混んでるな。まあコンビニは高いからな。「コンビニ人間」になれる程の余裕を持った人は少ないのかもしれない。未読なので内容は知らないが。

 手汗が気になったので入口の消毒液で手を濡らす。エタノールが鼻腔をつきすっと液体が手の中で気化する。冷たく気持ち良かった。

 カゴを取ろうと目をやる。

 と、五歳くらいの男の子が若い父親にカートに乗せてもらってはしゃいでいた。その幸福な家族の一枚絵のような光景に、ちょっとほっこりする。

 昔、カイジで有名な福本伸行の漫画に「親子連れを見るのは辛い」とあったなと思い出す。まだ自分は大丈夫だと謎の言葉がチラついたが適当に流した。

 さて何を買おう? 入口左にあるレジは中々に混み合っていて「四番レジ解放願います」とのアナウンスがちょうど聞こえた。バイトのJKが無表情でバーコードを読み取っていた。

 自動化の今や、店員とのやり取りは簡素で、釣りを受け取るのにも触れることもない。なんだか皮肉げに感じた。

 ともあれまずは咳止めコーナーを目指す。お目当ては鎮咳薬のメジコンだ。もちろんOD用。

 第二類医薬品で厚生省のお達しだか条例だかで一箱しか買えない。ブロンも同じだ。薬品の入手はOD勢の悩みの種ではある。安さならAmazonだが手軽さは店舗だろう。最近はウーバーもしてくれるとかそうじゃないとか。他にも個人輸入の安いジェネリックがある薬もある。

 メジコンの空箱をカゴに入れ、次はライターと特売のカップ麺を買うことにした。

 この混雑具合だと無理だろうなと思っていた通り、やはり惣菜と弁当コーナーの品はほぼ無くなっていた。みんな生活がキツイんだろうなとふと思う。庶民はコンビニでなくドラッグストアやスーパーで割引のを買っているのかもしれない。

 やはり目当ての惣菜がなかったので一番安い豆腐を選ぶ。今日は冷奴にしよう。

 汗だくで帰宅する。

「ただいま、父さん」

 無人の部屋の隅の小さな仏壇にそう告げ、豆腐をそこに置くと線香を一本焚く。

 祖母は信心深かった。小さい頃から先祖供養だ何だと躾けられた結果、なんだかしないと落ち着かないどころか罪悪感にも似た感情を抱いてしまう。呪いともいえた。

 冷奴を平らげ、すっかり涼しくなった。食後の金ピに手を伸ばす。と――スマホが鳴った。通話だ。

「やっほーお疲れぇ」

 ちょっと呂律の怪しい若い女の声。凜々花だ。

「お疲れ。こいついっつもパキってんな」

 ネットスラング交じりに返した。

「えっ? でも二日ぶりだよぉ?」

「立派なジャンキーやないか」

「健全な常習者ぁ! ヨシ!」

 この辺はお決まりのやりとりだ。

「で、何かあった?」

「暇電」

「でしょうね」

「人と話したくてさぁ」

 リリカを入れた凜々花はちょっとカマチョになる。まあこれもいつもの通りだ。

「選挙でうるさくてさぁ」

 そういえば明後日は都知事選だったな。彼女は東京住みなのだ。

「誰に入れるの?」

「えー行かない。人混み無理ィ。パニックなるて」

「そか。てかTwitterのTLエグくね?」

「ねー何かみんなイライラしてるぅ」

 都知事選終盤、Xのツイートには各候補の信者連中がディスりとアゲのツイートをこぞって垂れ流している。インプレ数も凄い。

「みんなリリカすればいのにねぇ。ハッピーハッピーだよぉ」

 リリカのODはダウナーで多幸感があるとよく言われる。俺は副作用の横紋筋融解症という筋肉が壊れ筋肉痛のようになり次の日動けないから、基本的にやらない。でも一応ストックはしてある。二人とも立派に健全な常習者だろ?

「ああ幸せぇ。ブリろうかな?」

 止めてもするだろ。リリカOD中の凜々花は(トートロジーみたいでややこしいな)基本的にハッピーハッピー連呼し、薬に大麻にどんどんチャンポンしていく。これで血液検査は全く問題ないのだから羨ましいというかなんというか。

「俺もブリろうかな」

「しなしなぁ」

「ちょっと吸うわ」

 机の上のヴェポライザー――電子タバコでいう本体だ――を取る。アトマイザー内の大麻リキッドの品種はOG KUSHでダウナー寄りのインディカと呼ばれる株だ。

 プレヒート機能で加熱してからじっくりと味わうように吸う。松の香りに似たフレッシュな味。やっぱり美味いな。

「何吸ってるの?」

「OG KUSH」

「インディカじゃん。いいねぇ」

 凜々花は何でもやるネキだが、どちらかと言えばダウナーを好んでいた。

 メメ子のことを話そうか。腐れジャンキーだが彼女じゃ信頼できる。二回会ったこともある。が、パキってる時のことは忘れがちネキだ。それを逆手にとってもいいが。

 少し吸いすぎたのだろう、心地よい気怠さが体を支配し始めていた。この状態の俺はまあいっかとなりがちだ。

 結局、適当に三十分ほど雑談して通話を終えた。自称健全な常習者の腐れジャンキーは次のブツを物色するため旅立った。

 そしてそのタイミングを計ったのようにスマホが振動した。

 メメ子からだった――。

第1幕 その3

 スマホの上部にDMの通知。メメ子だ。

 少し手汗をかいていた。暑さだけではない。緊張しているのか俺は。
 メメ子のアカウントの固定プロフィールには自己紹介カードがあった。一応目は通してある。病み垢だった。病状は躁鬱とパニック障害だった。

 それでもしかしたら昨日は躁状態だったのではないかと考えた。躁の勢いで自殺してしまうというのはよく聞く。それにあのハイテンションはそれっぽかった。

『おはよー。昨日は気付いてくれてありがとー』

 女の子らしい絵文字がならんだその文章に拍子抜けしてしまった。躁で怒っている可能性を排除できなかったからだ。

 すぐ既読を付けるか迷った。心配を表現するためすぐに付けるべきだろうか。
 スマホを持ったまま換気扇の下に行き、金ピを引っ張り出して吸う。ドープしないと何もできないな俺は。

 とにかく十秒待って一息……。

 さておはようの次の言葉を考える。何が良いだろう。
 もう一度『おはようございます』と現場猫のスタンプを送ることにする。正しくはLINEのスタンプをスクショしたものだ。

 すぐに既読が付き入力中の「…」マークが表示された。

『笑 かわいいねー』

『現場猫好きなんや』

『ヨシ! だよねー?』

『そうそう』

『フォローもありがとねー。自己紹介見たよー。ぬいぐるみ好きなんだ笑 ワイちゃんも好きー』

 昨日も少し気になっていたが一人称が「ワイちゃん」なのかこの子。

『ぬいぐるみは至高で至福。夏は汚れるから抱けない』

『大切にしてるんだー』

『親友や』

 そこで画像が送られてくる。クロミちゃんと超てんちゃんのぬいぐるみ。さすが病み垢。

『かわええな』

『でしょでしょー?』

 メメ子は語尾伸ばしがちだな。

 そんな調子でしばし取り留めもない会話をDMで交わす。すると、
『堂島さん月曜日暇?』それを返す前に『お礼したいー』。

 機嫌が良いというかテンションは高そうだが心配はなさそうに思えた。

『お昼かららなら空いてるかな』

『しゃー。浜松駅来れる? 遠いのかなー』

『そこそこ近いよ。十五分くらい』

『あーねー。じゃ晴れてたら十二時でどう?』

『了解です!』とまた現場猫スタンプ。

『笑。じゃ行くとこあるからまたねー』

『りょ!』の後にまた現場猫スタンプ『気をつけてね』。

 サムズアップのリアクションが付いた。これでひとまず会話は終わりだな。

「なんか疲れた」

 ふぅとため息交じりに独りごちる。無駄に緊張と心配をしすぎた。

 うーんと伸びをして肩を鳴らす。

 しかしよく考えたらすごい確率だ。偶々夜中に散歩に出、偶々自殺しかけている少女を見つけた。
 運命的といえる。出会い厨ではないので恋愛的に気になるとかそういう意識はないが。

 それを言葉にするとなんだか言い訳じみたように感じて少し自嘲気味になる。
 改めて金ピを吸おうと灰皿を見ればすでに全部灰になっていた。

 風呂に入ることにしまず歯磨きをする。

 鏡の前。自分が写っている。

 どうにも鏡は苦手だ。醜形恐怖症ではない。ただ漫然と自分の顔を見つめているとこれは誰だという気持ちになってくる。

 離人感だ。まるでTPSゲームをしているかのような感覚。ただの傍観者。

 口をすすぎ、もう一度顔に視線をやる。
 他人のような自分がじっと見つめ返している。

「お前は何者だ――?」

 それは俺の言葉なのか鏡の俺の言葉なのかわからなかった。

 七月六日。土曜日の昼ようやく万年床から這いずり出た。
 スマホを手に取り通知をチェックする。朝のルーティンだ。まあ昼だが。

 今日のODコミュニティの参加希望者数は十人。週末だからかいつもより多かった。二人、中国人らしきアカウントもあった。
 何でか韓国人と中国人も多い。正確な数はわからないが(UIが糞なのだ)、チラホラと目につくようになった。どっかで宣伝でもされてるのだろうか。

 参加希望者のアカウントを軽くチェックし大丈夫そうだったので参加承諾をタップした。
 それから就寝中に投稿されたポストを一つ一つ読み流しながら「いいね」を押していく。

 今日もみんな死にたがったり、薬飲んだり平常運転だ。

 『初ブロンて何tがいいですか?』との質問に誰も返答していなかったので、『十tから二十tかな』と書き込んだ。

 これでも管理人なのだ。
 ちなみに数字の後のtはタブレットの略である。シートの場合は〇〇st、カプセルなら〇〇cpとなる。界隈用語とかスラングの部類だろう。

 全てに目を通して寝起きの一服。ストックが乏しい。明日には買いに行かなくちゃな。

 吸い終えてマットの上でヤニクラをゴロゴロしながら楽しんだ。体が重いような。ふわふわのような。ベッドに沈んでいくような。

 さっきコミュを見ていたらメジコンとリリカの話題が多かった。リリカはやりたくないのでメジコンでもしようか。

 俺にとってのODは――落ち込んで気分を変えたい時、単に娯楽目的、自傷行為とまあ色々だ。だがそれは総じて生きるためだった。生存戦略だった。少しかっこつけすぎだな。

 昨日買ったメジコンと仕舞ってあったメジコンを取り出す。三箱で合計六十t。しめて四千五百円のトリップだ。

 とりあえず四十tを飲む。塩野義製薬のメジコン、通称塩メジは粒が小さい。
 プチプチとシートから錠剤を取り出していく。そして二十tを二回、水で押し込んだ。

 現時刻は十三時二十分。一時間後にもう二十t追加する予定だ――いわゆる追い炊きである。

 だが初心者にメジコン追い炊きは推奨していない。メジコンODは長いと効果が現るまで四時間かかる。しかもいきなりキマる(少なくともそう感じる)ことが割とあるので注意が必要なのだ。

 正しいODだなと皮肉気に笑う。立派に健全な常習者だろ?

 飲み終えてトイレを済ますとスピーカーにスマホを繋いで寝転がった。

 俺の場合空腹時に一時間で効果が出始め、そこで追い炊きし、二時間経つ頃には「旅」に出れる。均一なるマトリクスのその向こう側へのトリップだ。
 とまれともあれどうであれ、一時間は暇だ。音楽を聴きながら待つのが俺のやり方だった。

 今日は何を聴こう?

 おすすめのMIXを見てみるがイマイチ気分じゃなかった。うーんとプレイリストを眺めた上でACE COOLの新アルバム「明暗」に決めた。

第1幕 その4


 ACE COOLは広島出身のラッパーだ。彼を知ってまだ二週間ほどか。

 今年の俺は名古屋に縁があるのか、食品まつり a.k.a foodman、Ramza、Campanella(水曜日じゃない方だ!)と名古屋で活動するアーティストを好んで聴いていた。特にRamzaのイカれたビートに久々に脳と耳を焼かれた俺はひたすらに彼の楽曲を聴き漁っていた。

 一番のお気に入りはCampanella prod. by Ramzaの「Miyama」で今のところ一番聴いた曲だろう。そんなこんなでYouTubeでRamzaの楽曲を聴きながらたどり着いたのがACE COOLだった。

 それはレッドブルの企画で様々なラッパーと作曲家のコラボ――「Red Bull 64 Bars」だった。

 開始三秒一撃でやられた。

 そののっけからぶっ飛んだビートと、それを易々と乗りこなす巧みなACE COOL。

 哲学者カントの影響を受けつつもポストモダンおじたちように小難しい表現のない歌詞。カントの道徳法則ちゃんと消化し自分の言葉としているのだ彼は。

 ドラッグもやらない高潔で、努力と苦悩と読書の人なのだと感じた。自堕落で退廃的な俺とは正反対の位置にいる。何もなしていない俺の対極だからろうかひどく惹かれた。オーバー"ドープ"しながら聴いてるのは怒られてしまいそうだ。

 そして今から聴くのはACE COOLのニューアルバムだ。五月末に出たばかりの新作で最近は一日一回は聴いてる。

 日本語ラップには珍しく内省的哲学的な歌詞が特長で、恐らく今作のテーマは彼なりの「幸福」だ。

 曲名を順に列挙すると、

 「原因」「競争」「羨望/嫉妬」「自尊心」「虚飾」「自己没頭」「興味」「中庸」「努力と諦め」「虚無主義」「愛情」「明暗」。

 曲名だけでもうわかる。彼の半生いやこれは人生そのものだと強く思う。ニヒルズムを経てなお愛情を知りラップしているのか、このACE COOLという三十代のラッパーは。

 ラストの「明暗」は俺の中ではZazen Boysの向井秀徳の「自問自答」に並ぶ傑作だ。そこに優劣や相対化はない。ただただ感銘を受けるばかり。

 大終盤で彼は気付く――幸福とは望まないことなんじゃないか? と。その言葉は俺に正面からは刺さらなかった。そうこれは苦悩と思考の創作の果てACE COOLという人間が見つけた彼の言葉。彼の幸福論。

 俺は震えた。

 そうして彼は嫉妬や羨望をする自分を受け入れていく。バットマンのハービー・デントのコインの裏表のようなSEKAI。あざなえる縄のごとき自分を。

 ようやくこのアルバムが少し理解できてきたような気がした。人のレビューや感想は見ていない。そうしてはいけないと思ったのだ。

 寝転がってアルバムを聴きながら天井に手を伸ばした。カーテンのしまった薄暗い部屋。真昼の街の表情はわからない。ただただプロジェクターライトが白い天井を青いサイレース色に染めていた。

 そこである感覚を得る――体が軽いのにロボットになったような感じだ。約一時間経ってメジコンが効き始めたのだ。

 俺は両眼を閉じ手で覆った。普段なら光の小さな粒子がチカチカと見えるだけだが、今は違う。

 墨のようなのっぺりとした真っ暗さを背景に、細い赤い毛糸の線画がもやもやとした線画にも似た映像が見える。

 メジコンODのメインディッシュ、閉眼幻覚だ。それはゆっくりと、どこか平面的に模様を変えながら、蠢いている。

 ふとその毛糸のような線画が緑色に変じた。

 なぜかはわからないがこういう時の俺の閉眼幻覚は赤になったり緑になったりする。右脳と左脳で見える幻覚処理が違うのか? というのが長らくメジコンODをしてきての推察だった。

 俺は赤と緑が彩なす幻覚にしばし見入っていた。絶えず動き変化するのでずっと見ていられる。

 スマホのアラームが鳴った。一時間経った知らせだ。

 枕元に置いておいた残りのメジコンを適当なスポーツドリンクでオーバードーズする。追い炊きは二十tだ。

 それを飲み終え、トイレに行こうと俺はゆっくりと上半身を起こした。それから壁に手を付きながらちょっと不安定なマットの上でゆっくりと立ち上がろうとする。

 だがしかし俺は「?」「?」と訳が分からず?マークを沢山浮かべた。

 立ち方がわからない。なんだなんだとバグった脳が警告を発している。

 これはかなりキマってきた証拠だ。メジコンODの不思議なことの一つに立ち方などの動作の仕方がわからなくなるというのがある。今の俺がまさにそれ。

 何とか時間をかけて立ち上がった。

 次いで右足を動かそうとしたが右足ってどっちだっけ? そもそも右足ってなんだっけ? となってしまう。

 落ち着け落ち着けと自己暗示のように或いは念仏のように唱えながら、赤ちゃんのアンヨか千鳥足みたいによたよたと歩いていく。

 どうにかトイレまでたどり着き、便座を上げ用を足す。

 すると便器がいつもよりデカくなっている。明らかに横幅だけで一・五メートルはある。と思ったのもつかの間今度は三十センチくらいになる便器。

 尿の描く放物線が便器から外れそうになり俺はわたわた腰をひねり床を汚すまいとする。が、また便器がデカくなり大きな口で迫ってくる。

「あははたのしー」

 出てきた言葉はほのぼのしたものだった。そう俺はこの視界内の物体のサイズ感が意味不明になるのが大好きだ。

 メジコンODの最たる楽しみの一つ。

 このサイズ感の変化は手に持ったスマホでもあることがある。フリックできないくらい小さくなるスマホにはつい笑ってしまう。

 そうこうしているうちに放尿が終わり、また相変わらずの足取りで布団へと戻りダイブした。

 スマホを手に取るとさけるグミみたいにだらんとして曲がっていた。笑みがこぼれた。一度スマホを視界外に移し十秒経ってから再び手に取った。見やればSwitch並みの大きさだ。

 だが手の大きさに変化はない。不思議だ。

 ずっとスマホと手を交互に見ている。脳とは物体を個別に捉え、それらを平面的に処理してるんじゃないかという推論に至った。結構良い線いってると自画自賛しているがOD勢からの共感はあまり得られたかった。

 まあいい。かなり効いている。これなら今日は確実にトリップできる。

 再びスポドリで喉を潤すと、また糞デカくなったリモコンでプロジェクターを消し仰向けになって目を閉じた。少しの光も入らないようさらに目を手で覆う。ちょうど見猿のように。

 先ほどまで線画だった閉眼幻覚がより濃く鮮明になっていた。ピークが近い。

 徐々に単色だった毛糸の隙間から、大昔の三色カラーのアメコミのようなルービックキューブじみた物体が出現する。先ほどまで二次元的、平面的だった幻覚に少し立体感が加わっている。

 超ド近眼の俺でも輪郭すっきり明瞭にルービックキューブが見える。

 キューブはゆっくりと回転しながら三色から十数色へと変貌を遂げる。まるでビデオゲームのグラフィックの進化を始祖から体験しているみたいだった。

「うわ綺麗」

 そう口にした瞬間、キューブが二百五十六色の大昔から一気にフルカラーの彩色になる。自己暗示的な影響か。

 しかしそれもつかの間、薔薇の華が開くようにキューブが内側から崩壊していく。

 いつしか俺の視界は三六十度の立体感を持ち、崩れたキューブが反時計回りで同心円状にくるくる回り出す。今やそれは分裂と崩壊を繰り返し万色の万華鏡だった。

 そしてその万華鏡の中心から光が差し込んできた。眼はちゃんと両手で覆っている。その光も幻覚だ。だが眩しい。太陽か大型LEDライトのようだ。

 あまりの眩しさに本能的に目を開けてしまった。

「あーもう」

 軽く毒づく。良い所だったんだが。スポドリで口を三度潤すと、俺はまた目を閉じ閉眼幻覚のSEKAIに戻ることにした。

 目を閉じると雪国だった。寒い白さに俺は思わず身震いをする。冷たくて寒い。だが心からは動じない。超現実を伴ったどこか別の場所にいるのはメジコンあるあるだ。しっかし脳みそどうなってんだ。

 雪に触れてみたいがあいにくと手足も体も頭もない。幻覚中の俺は魂になってFPSゲームをしているみたいになる。体もないのに暑さ寒さ、時には匂いまで感じる。本当に脳みそとメジコンの主成分デキストロメトルファン、通称DXMには無限の可能性があるように思えてならない。

 実際海外ではオーヴェリティというDXMが配合された抗うつ薬が作られている。

 さすがに寒くなってきたので俺は再び目を開けた。俺の場合閉眼幻覚は瞼を開けばリセットとなる。

 さて次ははどうするか――。

 このまま閉眼幻覚を楽しんでも良いし、サイケ系の音楽や動画を見るのもありだ。

 ところがスマホがいつの間にか枕元から消えていた。探すのが億劫になって幻覚を楽しむことにした。

 瞼を閉じると今度は幾何学的な花模様みたいなのが見えたのでそれに集中する。すると俺は知らず知らずのうちに緑あふれる草原に立っていた。ボディはない。吹き抜ける風が心地よい。

 よくよく見れば遠くに山が見えた。現実SEKAIで首を動かすと幻覚の視界もそれに倣って動いた。山のほうでは何やら煙があがっている。

 気になるなと思った瞬間視界が揺れ、そして疾走が始まった。

第1幕 その5

 魂だけとなった幽体の俺は徐々に加速しながら山の向こうの煙の見えた方向を目指していくがなぜ急に反転するといつの間にか景色が変わって山岳地帯のようになっているその岩色の道なき道を行き始めた。
 ≪疾走中≫は上手く制御できたためしがない考えている間にも俺の幽体は音もなくふわふわ前進していくがやはり≪疾走中≫なんだろう幽体の浮遊速度が上っていくのがわかる――と思った瞬間ばびゅ~んと効果音でも付ければいいのかとにかく投げられたように幽体が空へ空へと落ちていく。
 さすがに目を開けそうになったがどうにか留めて俺は閉眼幻覚に飲まれていく。
 宙に浮いている。高度数十メートル。幽体の俺は下に広がる街を見ている。浜松市。シンボルのアクトタワーも見える。幻覚にしても凄い処理能力だ。現行ゲーム機の二世代は上を行っていそうだ。
 ――と。パシャッと目の前が瞬いた。終われば眼下の浜松駅周辺にぽっかり穴が開いてなぜか中心には古めかしいタバコ屋ができている。
 パシャパシャッ――明滅するような幻覚、≪ストロボ≫と呼ばれる現象だ。目まぐるしく風景の一部ががテンポよく変化していく。眼下の街並みは今やスイカと大根に支配されている。ハイなのかそんな景色さえ楽しく心地よい。
 しばしそんなストロボを楽しんでいるとどうにも耳鳴りがしてきた。十中八九ODによる幻聴だ。ごぉ~という風のような低い音が右耳へと流れ込んでくるようなイメージだ。
 少し安心しすぎた突如始まる落下対処のしようがない閉眼幻覚のなすままになる。

 ごぉ~。ごぉ~。

 既に先ほどまでの改変された浜松市ではなかった。どこか場所はわからないがコンクリート壁と薄明かりに照らされた電話ボックスだった。
 これがゲームなら電波ボックスを調べたいところだが、あいにく肉体のない幽体ときてるからすーっとすり抜けちゃうんだよな経験上だけど。
 そうこうしていると右の耳鳴りがひどくなってくる。ごぉ~ごぉ~。どっどっどっど。男の低い声のような音も交じり出す。右から何から流れてくる――それは血管を顕微鏡で見たような蠢く管でとぐろを巻きながら俺を取り込んでいく。

 ごぉ~。どっどっど。

 意識が液体になる。そして胎動する管になった俺の脳内を直撃する轟音。幻聴。頭骨にこだまする。
 管になっている。ある奔流になっている。轟音の幻聴とともに流れていく。

 リミッターが外れた感覚。

 S

 E

 KAIが 

 散
 拡大
(張)

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  を

 るzI感

 俺俺→俺俺俺→俺俺俺俺俺≒俺俺俺俺

     俺       俺

 どっどっ俺どっどっどどど俺俺

 俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺俺≒俺俺俺俺

 ↓↓↓↓↑↑↑↑↑↑                 ↑↑↑

 俺俺俺俺俺俺俺どどど俺俺俺俺→←俺――←(泣≒声)――→→→                     ↓↓↓

 ん? 泣き声? 振り返るが何もない。

 奔流はスピードを速め上昇を始める。キーンと耳鳴りが響きそれに呼応するように体のあちこちがピクピクと痙攣した。
 幻聴がもはや雷鳴のように響き渡る中、宙へと昇っていく俺。あるいは落ちていく俺。

 視界を黒い宙が支配し始める。そろそろ大気圏か。

 ってところで哀れにも俺はSEKAIの膜に阻まれて昔のディズニーアニメみたいに無様に気を失ったのだった。

 七月八日。月曜日。

 珍しく朝早く起きてスマホを手に取る。
 昨日は都知事選だった。勝ったのは小池百合子。今日もXは各候補のディスりからアゲまで賑わっていた。

 祭りだなと思う。いや政か?

 誰もが自分を信じて疑わない。そんなツイートを胡乱な頭で見ていたらちょっとだけ祭りに参加したくなった。基本的に俺はノンポリでこういったことにはかかずらわない。

 だがふと思う。ツイートしたらどんな気持ちになるだろう。このビッグウエーブに乗るしかない。

 どうしたもんかと考えながら朝の返信をしていると、フレンドからのLINEに蓮舫の画像が送られてきていた。何やらRのシールが話題となっているのは知っていたが詳しくは知らない。

 ちょっと閃いた。

 TikToKに上げているぬいぐるみ動画に使えそうだ。

 「狼少年の母親の狼婆さんは思想とシャツが左に偏っているね! お兄ちゃん! LeftなのにRなんだね!」

 自分で書きながら笑ってしまう。これは良いディスり、いや風刺と呼べるレベルじゃないのか?

 ニヤニヤしながら俺はXとTikToKに上げることにする。たまにはこういうのも良いだろう。なんだか自分が偉くなったような気分だ。過激なツイートを垂れ流すやつの気持ちが少しわかった気がした。

 すぐさまいいねが付き俺はご満悦で朝の支度を済ませたのだった。

 昼間近、メメ子との約束の場所へ向かう。しかしXもリアルの温度も暑いなと思いながら、指定された新浜松駅に併設されているH&Mの店裏に歩を進めた。

 路地裏というかちょうど建物の陰になっていて涼しい。日陰者が日陰にいるのかと自虐的な考えが浮かぶ。

 メメ子はまだ来ていないようだ――と思ったら、

「堂島さーん!」

 後ろから声を掛けられた。二人とも良いタイミングだったな。

「おはよー」と手を振りながら近づいてくるメメ子にコンビニで買ってきたガリガリ君ソーダ味を渡す。

「ガリガリ君だー」

 餌を目の前にした子犬みたいにメメ子は目を見開いてガリガリ君を素早く受け取ると、すぐにかぶりついた。

「んまー」

「百円で買える幸せや」そう言いながら俺も自分の分を食べることにする。

 ついでに手を差し出して包装の袋をよこせとジェスチャーする。

「あんがとねー」

「おけおけ」

 俺もガリガリ君を頬張りながら、そういえばメメ子の木のバーはどうしようと考える。舐めたのを触れるのはなんだか躊躇われた。ティッシュで巻いてもらえばいっか。

 一息ついてメメ子に目を合わせる。縄の痕はなかった。ただリスカ痕に気づく。そういうことなのだろう。俺もメメ子も両手が不幸と孤独と傷で一杯なのだ。そしてその傷の何倍も心は傷付いている。

 リスカ痕から無言の悲鳴が聴こえてくるような気がした。心の奥のハートに巻いた包帯のその隙間から。 

「あー涼しくなったー」

「良き良き」

 適当に相槌をうちながら、さてどうしたもんかと残り半分のガリガリ君をガリガリ食べる。

「堂島さん聞かないよねー?」

「んーまあね」

 確かに俺は何も聞いていない。なぜ首吊りを試みたのか、そして失敗し大喜びだった理由を。

「そういうのいいと思うー」

 選択は正しかったらしい。俺は現場猫の真似をしながら「ヨシ!」と答えた。

「ホント好きだねぇー」

「画像フォルダほぼ現場猫だぜ」

「えー見して見してー」

 乞われたのでとりあえず有名なデーモンコアとのコラ画像を見せる。

「あははー草ー」

「どうして・・・・・・どうして・・・・・・」

 ちょっとふざけて返す。しかし表情がコロコロ変わる子だな。

「あーこれかわいいー」

「これはどう?」

「おおー」

 しばらくそんなやり取りをしていると、

「あ、そだーお礼」

「ん?」

「ご飯おごるよー」

「ま?」

「まー!」

 ガリガリ君持ってきたのはちょい失敗だったか。そこまで考えてなかった。馬鹿でありがとう俺。反省しろ俺。

「米がいいな」

「日本人だねー」

「確かとろろのお店なかった? 駅中のメイワンの上のほうに」

「あるねー谷島屋の下の階かなー」

 JR浜松駅には商業施設が隣接している。デパ地下もあるがその上層階には書店の谷島屋とその階下には飲食店が軒を連ねている。

「ちょい高いかもだけど」

「えー全然いいよーP活してきたし」

 資本主義社会で生きる女はとかく大変だ。オシャレにスイーツに何かと金がかかる。村上龍や岡崎京子の作品のように。未読だが。

「知り合いはパンツ売りガチ勢」再びヨシしながら告げる。

「えーすごー」

「なんかローションと塩混ぜて塗るらしいわ」

「はえーすっごいー」

 中々に凄い会話だがここは表通りから離れている。誰にも聞こえないだろう。

「ワイちゃんも売ろうかな?」

「相場っていくらぐらいなんかね」

「Temuかアリエクで安いの買って売ればワイちゃんワンチャン?」

「まあ気を付けてね」

「りょー」とヨシしながらメメ子が言う。悪くないと思った。

「あ、先に谷島屋行っていい?」思い出したようにメメ子が言った。

「ええで」

「ジョジョ買う!」そう言ってジョジョ立ちを決めるメメ子。これは何巻のやつだったかな。承太郎だっけか。

「七部までは読んでる」

「ワイちゃん今四部! 承太郎かっこいいよねー」

「それな」確か現場猫コラにもあったはずだ、オラオラではなくヨシヨシしてる画像が。

 素早くフォルダからそれを見つけるとメメ子に見せた。

「あははかわいいーそれ送ってー」

「じゃDMするわ」

 そんなこんなでJR浜松駅へと二人で向かう。日陰を出た瞬間から焼き付くような太陽光だ。太陽元気すぎだろ。寒冷期に向かってる説は何なんだ。

 汗一つかかないメメ子をしり目に一人呪う。女の子て謎よな。

 駅に着きエレベーターで七階へ行こうと思ったが、少し混んでいた。

「エスカレーターにする?」

「そだねー」

 先導し小さなエスカレーターに乗っていく。

「ジョジョどこまで読んだ?」

「えっと今鉄塔のやつ倒したとこー」

 あれか。水曜日のダウンタウンでやってたなあと思いながら好きなキャラを聞く。

「やっぱり承太郎様」

「強くて頭切れるのええよなあ」

「時間止めたときマジ震えたよー」

「俺はジョセフ推し」

「ジョセフも良いよね!」

「アニメ見た?」

「見た見たー」

 割と打ち解けたと言えるだろう。エスカレーターの上でジョジョ立ちを決めるメメ子を微笑ましく思いながら昇っていく。

 平日だというのに若い子を見かける。学校はどうしたのだろう。俺にはKANKEIないが。

スティル・アライブ〜自殺少女とOD少年〜

スティル・アライブ〜自殺少女とOD少年〜

数千人規模のオーバードーズコミュニティ管理人の描く最新の令和。極東最前線。クソゲー日本。子殺しの国へようこそ!

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • ミステリー
  • 青年向け
更新日
登録日
2026-03-22

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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  1. プロローグ
  2. 第1幕 その1
  3. 第1幕 その2
  4. 第1幕 その3
  5. 第1幕 その4
  6. 第1幕 その5