サクラサク
この物語は、ひとりの女の子がアイドルを目指す話です。
……と言うと、よくある話に聞こえるかもしれません。
才能のある子が、努力して、夢をつかむ。
そういう王道の物語。
でも、現実の夢って、そんなにきれいなものでもないと思います。
転ぶこともあるし、
鼻血を出すこともあるし、
「もうダメかも」と思う日もある。
それでも、もう一度立ち上がる人がいます。
この物語の主人公、杉浦咲もそんな一人です。
運動会で転んでも最後まで走った女の子が、
歌って、踊って、何度も失敗して、
それでも前に進もうとする。
この作品は、そんな「転んでも走る人」の物語です。
もし読んでいる途中で、
「ちょっと応援してやろうかな」
と思ってもらえたら、とても嬉しいです。
それではどうぞ。
第1話 走れ、咲
ハッ ハッ ハッ ハッ ハッ!
一人抜いた……。あと一人!!
負けない。絶対に、勝ってやるんだから!
よし——もう一人抜く!
あっ——
…ズ……ズザアアアアア!!!
砂の匂いが鼻に飛び込んできた。
顔から着地した。
と気づいたのは一拍遅れてからだった。
いったぁ……。
足がもつれて、
顔面からおもいっきりダイブしちゃった。
温かいものが鼻からじわっと滲む。鼻血だ。
……もう走れない。
——いや、走る。
絶対に、ゴールする。
……………
ゴールのテープを切ったとき、
周りの子はもうとっくに走り終えていた。
運動会の100M走。今回もビリ。
どうしてだろう。あんなに自信があったのに。
悔しい、とか、悲しい、とかじゃなくて
——なんか、ただ、わからなくなっちゃった。
鼻にティッシュを二つ詰めてベンチに座っていたら、
男子がアタシの顔を見て笑い出した。
ムカつく。
立ち上がったら逃げていった。
「惜しかったね」
顔の前に、濡れたハンカチが現れた。
「もう少しで一位だったのに!」
えっちゃんだ。土で汚れたアタシの顔を、
冷たいハンカチで丁寧に拭いてくれる。
ひんやりして、気持ちいい。
えっちゃんはやさしい。
転んでもこけても、一度も「やめなよ」って言わない。
それが、なんかちょっと——
泣きそうになるくらい、ありがたかった。
「うん、次は絶対勝つ!」
今日はダメだったけど、次こそは。
──────────────
放課後、校門の前でお母さんを待ちながら、えっちゃんに話しかけた。
「今日も帰ったらカラオケ行くんだけど、えっちゃんも来る?」
「え?いいの?」
「もちろん!えっちゃんなら大歓迎!」
一か月くらい前からお母さんと週に一回だけ行くことにしている、アタシの秘密の練習場所。
本当は一人で歌いたいけど、えっちゃんだけは特別だ。
お母さんの車が校門に滑り込んできた。
窓から顔を出したお母さんが「あら、えっちゃんも?」と目を丸くする。
えっちゃんのお母さんに電話一本かけて、あっさりOKが出た。
──────────────
カラオケボックスの薄暗い部屋に入ると、
前の客が歌い残した曲のイントロがまだ鳴っていた。
空気はちょっと甘くて、密閉された感じがする。アタシは好きだ、この感じ。外の声も音も、全部シャットアウトされる感じが。
えっちゃんは男性アイドルグループ「ハニワ男子」の曲を入れた。
派手で激しい曲だけど、えっちゃんの透き通った声に不思議と合っていた。えっちゃんらしくて、好きだな。
次はアタシの番。今日はゴーイング娘。の「Be Alive」にしよう。やっぱりこの曲が一番しっくりくる。
マイクを握って、深呼吸した。
……………
──────────────
一曲歌い終えて顔を上げたら、えっちゃんが泣いていた。
「どうしたの!?えっちゃん、どうしたの!?」
えっちゃんはヒック、ヒックとしゃくり上げながら、
それでも何か言おうとしている。
「だ、だって……なんかすごく感動しちゃって!」
「え、この曲いいよね。心にグッとくるよね」
「ちがう……咲ちゃんの声が……
なんか、心があったかくなった……すごく良かった!」
そういえば、
えっちゃんに歌声を聴かせたのは初めてだったかもしれない。
胸の奥が、じわっと熱くなった。
「えへへ……そんなこと言われたの初めてかも。ありがと~!」
照れくさくて、でも嬉しくて、
アタシはえっちゃんにマイクを押しつけた。
「さあ、えっちゃんも歌おうよ!はい、マイク!」
「うん!」
アタシの夢は、アイドルグループ「ゴーイング娘。」のメンバーになること。
アタシには自信がある。きっと夢はかなう。
第2話 血は争えない
翌朝、登校しながらえっちゃんに話しかけた。
「ねえ、アタシね。ゴーイング娘。のオーディション、受けようと思う」
えっちゃんが足を止めた。
「えっ!すごーい!応援する!咲ちゃんならきっとなれるよ!」
ほらね。言ってくれると思ってた。
えっちゃんは、アタシに一度もダメだとか無理だとか言ったことがない。
どんな夢でも、迷わず受け入れてくれる。
人間として、本当に尊敬できる子だ。
クラスメイトにこんな親友がいるなんて、アタシはなんて幸運なんだろう。
胸がじんわり、あったかくなる。
──────────────
アタシ自身がどうかというと——
まあ、男子とはしょっちゅう喧嘩してる。
勝負ごとになると絶対に引けなくて、
気づいたら泣かしてしまっていることも多い。
人間として「どうなんだ」と言われると、
正直、難しいところだ。
勉強も、ちょっとだけ苦手。……ちょっとだけ。
でもお母さんはすごく頭がいいから、
その子供のアタシが馬鹿なわけがない。
うん、きっとそう。そういうことにしておく。
──────────────
お父さんはプロ野球選手で、
シーズン中は遠征でほとんど家に帰ってこない。
帰ってくると決まってアタシをソファに呼んで、
「どうだ最近」と話を聞いてくれる。
この前も新しいスマホを買ってくれた。
小学五年生のとき、子供用じゃない最新スマホを買ってくれたのもお父さんだ。
「あなたは咲に甘すぎるのよ」とお母さんが眉をひそめると、
お父さんはニコニコしながら「だって可愛いからなぁ」と言う。
──────────────
スマホを手に入れてからというもの、
最初はアニメ「マジカルスウィートプリキュア」の動画ばかり見ていた。
特にヒロインの「イチゴちゃん」が大好きだった。
イチゴちゃんの声優さんが渡瀬くるみさんって言うんだけど、
調べたら元アイドルだということがわかった。
その人が所属していたアイドルグループが「ビーコンズ」で、
とにかくカッコ良くて、可愛くて面白くて、どっぷりはまってしまった。
ビーコンズにはまってからビーコンズが所属している
「アロープロジェクト」全体にハマってしまった。
「アロープロジェクト」は複数のアイドルグループがいっぱいある。
一番有名なグループは「ゴーイング娘。」
他には「ニュースニュース」「エンジェルズ」
アタシが最初に好きになったグループ「ビーコンズ」などがある。
アイドルって顔が可愛ければいいと思ってたけど、
アロプロは可愛いだけじゃなくて歌もダンスも凄くて
——さいこーなんだよね。
動画を見ながら「かっこいいな」と思っていたら、
いつの間にか「アタシもアイドルになりたい」と思うようになっていた。
──────────────
先日、アロープロジェクトのホームページを見ていたら、
ゴーイング娘。のオーディション開催が発表されていた。
「これだ!」と思って事務局に電話したら「親御さんの承認が必要です」と言われた。
アタシが「ゴーイング娘。になりたい」って言ったら
お母さんが苦笑いしていた。
「血は争えないね」
お父さんが笑った。
2人だけわかってる感じ。
どういう意味だろう。
……まあいいか。
お母さんは——
「1日だけ考えさせて」
いつもどんな質問にもすぐ答えてくれるお母さんが、
あんなに悩む顔を見たのは初めてだった。
なんか、胸がざわっとした。
お母さんは結局賛成してくれて書類を提出した。
オーディション、1次審査通るといいな。
第3話 2938番
ゴーイング娘。オーディション——
1次審査は——
通過!
「顔が良ければ通る」と男子が言っていたから、
あえて受けたことは黙っていた。
落ちたらブスってことになってしまう。
でも——お母さんは美人だし、
その娘のアタシが美人じゃないわけがない。
アタシも顔には少々自信ありますけど?
まあ、結果が届くまではドッキドキだったけどね。
通過を伝えたら、えっちゃんが飛び上がって喜んでくれた。
持つべきものは友だ。
──────────────
1か月後、2次審査が始まった。
歌とダンスの実技審査と聞いて、思わず声が出た。
やばっ! ダンスなんてやったことないんですけどっ!
それでも毎日練習した。
驚いたのは、お母さんがゴーイング娘。のダンスを正確に教えてくれたことだ。
なんでこんなに振り付け知ってるんだろう…。
おかげで基本の動きは身についた気がする。
──────────────
審査会場のロビーに入った瞬間、空気が違った。
冷房が強く効いた廊下に、カツカツとくつの音だけが響いている。
周りはみんな背が高くて、大人みたいだ。
小学生って、もしかしてアタシだけ?
番号札を握る手が汗ばんでいる。
「……さん」
「……咲さん? いませんか?」
「杉浦咲さん?」
「はっ! あ、はいっ!アタシですっ!」
「最初はダンスの審査です。こちらにどうぞ」
「はっ! はひっ! す! すびません!」
あわわわ、どうしよう。声が裏返っちゃった!
「2938番! 杉浦咲ですっ!」
「ふふっ、落ち着いて!」
「はっ! はいっ!」
審査員のひとりに目が吸い寄せられた。
綺麗な人だ。
だけどどこかで見たことがあるんだよなこの人--------。
踊っていないのに、
立っているだけできりッと決まっていて、
体の使い方が違う気がした。
なんでだろう。
その人が、こちらに向けてニコッて笑って小さく頷いた。
──────────────
課題曲が流れてきた。何度も練習してきた曲。
大丈夫。アタシならできる。よし——!
……………
ふひっ……。
2回、コケた。
それでも最後までやりきった。
息を切らして顔を上げると、
あの綺麗な審査員が静かにこちらを見ていた。
目が合うと、小さく手を振ってくれた。
……誰だっけ、あの人。
──────────────
歌の審査は自由曲だったので、迷わず「Be Alive」を選んだ。
えっちゃんがいつも泣く曲。この曲なら、やれる気がする。
えっちゃんのためにも——
「杉浦咲さん、どうぞ」
「はいっ!」
よしっ。いくよ、えっちゃん。
……………
──────────────
「——ってなわけで、今は2次審査の結果待ちなんだよね」
「そっかあ、通過するといいねえ」
「歌はだいぶ頑張ったから、ちょっとだけ自信ある。
でもダンス失敗しちゃったのが悔しい!
みんな可愛かったし、アタシだけチビで、
服も子供っぽくてさ! あ~もうダメかも!」
「あはは、咲ちゃん落ち着いて!
毎日頑張ってたじゃん。よくやったよ!」
「ありがと~!
えっちゃんだけだよそんなこと言ってくれるの!」
──────────────
えっちゃんの前ではふざけてしまうけど
——本当はもう、不合格なんだろうな、と思っている。
これがアタシの全力だった。
後悔は、正直言うとある。
ダンスさえうまく踊れていたら。
はぁ…くやしいなあ。
第4話 ぽんぽん
咲ちゃんへ
もう夏だねぇ
こないだ、青木がまたふざけて
窓ガラス割っちゃって先生にすごい怒られてたよ
木村は今日も給食のパンを残してたよ
先生が、咲ちゃんのこと心配してるよ
みんな、咲ちゃんが戻ってくるの待ってるよ
私もずっと待ってるよ
また夏祭り行きたいね
~えつこより~
──────────────
「あ、咲ちゃんのお母さん」
「ごめんね、えっちゃん。今日もダメなのよ」
「そうですか……。あ、この手紙……」
「ありがとう。いつも来てくれてありがとう」
「はい、それじゃあ、私、行きます」
「いってらっしゃい。気をつけてね」
──────────────
2次審査、通過した。
でも3次審査で——不合格。
あれからもう一週間。
咲ちゃんは家から出てこなくなってしまった。
「よく頑張ったよ、咲ちゃん。
また、咲ちゃんの声が聞きたいな」
──────────────
「咲ちゃん」
「……」
カーテンの隙間から西日が差し込んでいた。
部屋のなかには昨日と同じ空気が溜まっていた。
えっちゃんの手紙は
机の端に置いたままで、開いていない。
開ける気がしなかった。
「またえっちゃん来てくれたわよ」
「……うん……そこ置いといて……」
お母さんが小さくため息をついた。
その音だけが、妙に大きく聞こえた。
──────────────
——3日後。
ピロピロリン♪
「もしもし、杉浦でございます」
「はい、私ですが……」
「あ、ご無沙汰しています!」
「え?咲ですか?」
「……えっ! 本当ですか?」
「いいえ、知らないと思います」
「わかりました、ありがとうございます。一旦、主人と相談しまして……」
「はい、よろしくお願いします。失礼します」
ピッ。
──────────────
電話の声が気になってドアを開けたら、
廊下に立っていたお母さんと目が合った。
お母さんが、ちょっと驚いた顔をした。
「お母さん、さっきの誰?」
「……咲、ちょっといい?大事な話があるの」
リビングのソファに並んで座った。
お母さんが静かに口を開いた。
「お母さんね……咲に隠してたことがあるの」
「隠してたこと?」
胸がざわっとした。
「お母さんね……実は……ゴーイング娘。だったのよ」
「えー——っ!! 嘘でしょ!!」
「嘘じゃない」
「だって苗字は杉浦じゃん!」
「結婚して変わったのよ」
「うそ!!」
「嘘じゃありません!」
「アタシ、メンバー全員知ってるもん! わかった! 福西あすか?」
「ちがう」
「西澤ユウ!?」
「全然違う!!」
「……じゃあヒント」
「5期」
「……小山マコ!?」
「ちがうって! わざと間違えてない?」
「あ——っ!! わかった!!」
「……もしかして、ぽんぽんこと本野あかり!?」
「正解!」
嘘——!!
「アタシのお母さんって……ぽんぽんだったの!?」
「そんなに悩むかなあ。一応名前はあかりで変わってないんだけど」
「うそ! まじで! ぽんぽん!! 握手してもらっていいですか!?」
「おーい! 咲は私の娘でしょう」
「あ、そうだった!! あはは!」
気がついたら笑っていた。
さっきまで、あんなに暗かったのに。
「あら、咲、元気になった」
「だって、びっくりしたもん」
「そっか。じゃあびっくりついでに、もう1つ」
「うん」
「一旦お父さんに相談はするつもりなんだけど
——さっき、私の知り合いの方から連絡があって」
「うん」
「杉浦咲さんを……アロープロジェクト研修生に推薦したいですって」
「えー——っ!!!!」
さっきまで泣いていたことを、アタシは完全に忘れていた。
第5話 本物だから
アロープロジェクト研修生の初レッスンは、
渋谷の雑居ビルの4階にあった。
「はい、いっちにーさんしー」「いっちにーさん…」
エレベーターを降りると、廊下の奥からダンスレッスンの声が漏れてくる。
壁には歴代のアロープロジェクトのグループが貼ってあって、
知ってる顔がいっぱいだ。
西野栞さん、松井若葉さん、森にいなさん
——アタシにとって、あこがれのアイドルたち。
…アタシも、いつかここに貼られたらいいな。
「杉浦咲さん?」
受付のお姉さんに名前を呼ばれて、はっとした。
「は、はひっ!」
やばい、びっくりしちゃって声がひっくりかえっちゃった。
「では、こちらのスタジオにどうぞ」
案内されたドアを開けた瞬間、
広い鏡張りの部屋が目の前に広がった。
「わあっ、すごいおおきい」
床はピカピカのリノリウム。
鏡に映る自分が、
なんか小さくて、場違いな感じがした。
部屋の隅には、すでに何人かの女の子がいた。
みんなストレッチをしている。
背が高くて、手足が長くて——
ああ、この感じ、オーディション会場で感じたやつだ。
「ねえ、あなたも新しく入ったの?」
すらっと背の高い女の子。
ちょっときつそうな顔つきだけど、
ポニーテールしててかわいい。
「う、は、はい。杉浦咲。小学6年生です」
「えっ、小6!? 若っ!
私は中1。河合ひなっていうの。よろしくね」
河合ひなはすぐにニコっと笑って手を差し出してくれた。
「よろしくね、咲ちゃん」
「はい、よ、よ、よろしくおねがいします!」
──────────────
レッスン開始5分前になると、
ぞろぞろと人が集まってきた。
研修生のなかで新人はアタシと河合ひなを含めて3人。
全部で9人。
アタシが最年少らしく、
みんなに「ちっちゃ」「かわいい」と言われた。
「ちっちゃ」って言われるのはイヤだけど、
「かわいい」って言われたのでまあ良しとする。
「はーい、始めましょうか」
ドアが開いた。
入ってきたその人を見た瞬間、
アタシの心臓が、どくんと跳ねた。
綺麗な人。
すらっとした体型。歩き方がもう、違う。
床を踏む一歩一歩が、ダンサーのそれだ。
…どこかで、見たことがある…あの人だ…。
「えーっと、新しく入った子がいるね。杉浦咲ちゃん?」
「は、はいっ!」
その人がアタシを見て、ふわっと微笑んだ。
「よろしくね。私、稲葉まどかです」
——稲葉。
稲葉まどかさん……。
ニュースニュースというグループで
「ダンスといえばこの人」って言われてたくらいうまくて、
卒業してからはソロでどんどん有名になってる人。
テレビにも出てるし、ダンス動画がバズりまくってるし、
アロープロジェクトのファンじゃない人も絶対知ってる。
ていうか——
なんで思い出せなかったんだよ!
と思った瞬間——
「あーーーっ!!」
思わず声が出ちゃった。
研修生のみんながびっくりしてこっちを見ている。
稲葉さんも、少し目を丸くした。
「ど、どうしたの?」
「あの……オーディションの……審査会場で、手を振ってくださいましたよね……!!」
稲葉さんが、ぱちぱちと瞬きをした。そして——にこっと笑った。
「覚えてたんだ」
「もちろんです! ……あ、すみません急に大きな声出しちゃって……!」
「ふふっ。大丈夫」
稲葉さんはそれだけ言って、くるっと全員に向き直った。
「じゃあ、まずウォームアップから行こうか。はい、位置について」
──────────────
レッスンが始まった。
最初のウォームアップは、基本的なストレッチと体幹トレーニングだ。
これは大丈夫。お母さんに教えてもらった動きに似ている。
問題はその後だった。
「じゃあ、先月やったところのおさらいから」
音楽が流れた瞬間、他の6人が一斉に動き出した。
……なにこれ。
みんな、速い。手と足が別々に動いてるのに、全部が音にハマっている。
鏡の中のアタシだけが、ぽつんと棒立ちだ。
「咲ちゃんは今日は見てて大丈夫だよ。まず目で覚えてね」
稲葉さんの声が、すっと耳に入ってきた。
「…はい」
見る。ひたすら見る。
河合ひなの動きが一番きれいだった。
軸がぶれない。アタシが2次審査で2回コケたとき、
河合ひななら絶対コケなかっただろうな、と思った。
悔しい。
悔しくて、でも、それより——
早く踊りたい。
──────────────
レッスンが終わって、荷物をまとめていたら、
稲葉さんに声をかけられた。
「咲ちゃん、ちょっといい?」
他の子たちが帰っていく中、アタシだけスタジオに残った。
広い鏡張りの部屋に、稲葉さんと2人きり。
さっきより静かで、自分の心臓の音がよく聞こえる。
「ダンス、今まで習ったことある?」
「…お母さんに少し教えてもらったくらいで、ちゃんとは……ないです」
「そっか。じゃあ最初から全部教える。毎週レッスン来てね」
「はいっ!」
稲葉さんが、ふっと笑った。
「歌はね、本物だから」
「…え?」
「オーディションで聴いてた。『Be Alive』、良かったよ」
胸の奥が、じんとした。
ちゃんとアタシの歌を聴いていてくれたんだ。
「…ありがとうございます」
声が、ちょっとかすれた。
泣きそうになったけど、ぐっとこらえた。ここで泣いたらダサい。
「だから、ダンスも本物にしようね」
稲葉さんの目が、真剣だった。
「…はい!」
今度は、かすれなかった。
──────────────
帰り道、駅のホームで電車を待ちながら、
えっちゃんにLINEを打った。
「ねえ聞いて!!稲葉さんが先生だった!!!」
すぐに返信が来た。
「えええええ!!!あの稲葉さん!?!?」
「そう!!!
しかもオーディション会場にいた綺麗な人って稲葉さんだった!!」
「うそー!!すごすぎる!!
咲ちゃんの歌声、稲葉さんも絶対好きになるよ!!」
えっちゃんはいつも、こういうことを言ってくれる。
でも今日は、稲葉さんも同じことを言った。
電車が来た。
窓に映る自分の顔が、なんか笑っていた。
ダンスが下手なのは、まだ変わっていない。
でも今日、稲葉さんに「本物だから」と言ってもらった。
それだけで、なんか——走り出せる気がした。
第6話 3時間半
アタシの家は北海道の札幌市にある。
東京のスタジオにはお母さんが付いてきてくれるけど、
家から新千歳空港まで車で1時間。飛行機に乗ってだいたい2時間。
羽田空港から渋谷のスタジオまでタクシーで30分。
合計して3時間半もかかるのよね。
はぁ、アタシも東京に生まれればよかった。
正直言って毎日レッスンしたいんだけど、
とにかくお金がかかる。
お父さんはプロ野球の遠征でいつも忙しいし、
お母さんも9歳の弟と7歳の弟と4歳の妹の面倒をみないといけないから、
アタシばっかり迷惑をかけていられない。
そうはいってもアタシはまだ小学6年生。
東京で1人暮らしするわけにもいかないし、
家族全員が引っ越しなんてできない。
もっと練習がしたい。
そうしないと、みんなに取り残されちゃう。
稲葉さんは北海道生まれで研修生出身って聞いたけど、
練習どうしてたんだろう。
北海道でも練習できるところがあるのかな?
今度、稲葉さんに相談してみよう。
──────────────
レッスンの後、他の子たちが帰り支度をしている隙に、
アタシは稲葉さんに近づいた。
「あの、稲葉さん、少しいいですか」
「うん、どうぞ」
稲葉さんはタオルで首の汗を拭きながら、
アタシの方を向いた。
「あの……稲葉さんって、北海道出身ですよね」
「そうだよ」
「研修生のとき、東京まで来てたんですよね。
その……どうやって練習してたんですか。
アタシ、札幌なんですけど、毎週来るのがなかなか難しくて……」
言いながら、だんだん情けなくなってきた。
東京の子はみんな毎日来られるのに、
アタシだけ月に何回かしか来られない。
それを言い訳にしてるみたいで、恥ずかしかった。
でも稲葉さんは、顔色ひとつ変えなかった。
「私も同じだったよ」
「え?」
「毎週東京は来られないから、地元でダンスレッスンに通ってた。
スタジオ探して、自分で電話して、体験レッスン行って。お母さんと一緒に」
「……自分で電話したんですか」
「うん。あの頃は中学生だったかな」
稲葉さんがふっと笑った。
「距離は関係ない。
東京にいても練習しない子はしないし、
北海道にいても練習する子はする。
咲ちゃんはどっちになりたい?」
「……練習する子に、なりたいです」
「じゃあ、札幌でスタジオ探してみて。
わからなかったら私も探すの手伝う。
ボイトレも、ダンスも、やれることは全部やろう」
「……はいっ!ありがとうございます!」
──────────────
帰りの飛行機の中で、
お母さんの隣に座りながらスマホで札幌のダンススタジオを調べた。
「どうしたの、急に」
「稲葉さんが、地元でも練習した方がいいって。
地元のスタジオ探してみてって」
お母さんがスマホの画面を覗き込んできた。
「そうね……」
少し間があった。
「咲、お母さんね、一つ聞いてもいい?」
「うん」
「本当に、アイドルやりたい?
途中でしんどくなったり、色々あると思うけど」
窓の外は真っ暗で、雲の切れ目から小さな光がぽつぽつ見えた。
札幌の街かな、それとも仙台かな。
「やりたい」
即答だった。自分でもびっくりするくらい、迷わなかった。
「うん。わかった」
お母さんはそれだけ言って、また前を向いた。
スマホを取り出して、何かを調べ始めた。
しばらくして、画面をこっちに向けてきた。
「ここ、どう? 札幌駅から近くて、評判良さそう」
「……お母さん、ありがとう」
声が、少しだけ湿った。
「体験レッスン、来週行ってみましょうか」
「うん!」
飛行機が雲の中に入った。
窓の外が真っ白になって、街の光が消えた。
でも、なんか——前より明るい気がした。
──────────────
新千歳空港に着いたのは夜の9時過ぎだった。
駐車場でお父さんが待っていた。
「おかえり」と言いながらアタシのリュックを持ってくれる。
「どうだった?」
「すごく良かった。あとね、稲葉さんに相談したんだけど——」
「ああ、聞いた聞いた。
お母さんからLINE来てた」
「うん。来週体験レッスン行くかも」
車のキーをくるくる回しながら歩いている。
「……お父さん?」
「ん?どうした?」
「いつも頼んでばっかりでごめんね」
お父さんが立ち止まって、アタシの方を向いた。
「お父さんは遠征で家を空けてばっかりだろ。
咲に寂しい思いさせてるのに、
夢の応援もできてないかなって、
ずっと気になってたんだ」
プロ野球のシーズン中は、お父さんはほとんど家にいない。
試合がある限り全国どこへでも飛んでいく。
それが当たり前の生活だったから、寂しいとか考えたこともなかったけど——
「気にしてたの?」
「当たり前だろ」
お父さんがちょっと照れくさそうに笑った。
「お金のことは心配しなくていい。
北海道も東京のレッスンも続けろ。お前の夢なんだから」
「……お父さん」
「泣くなよ」
「泣いてない!」
目が熱くなったけど、泣いてない。泣いてないから。
──────────────
家に帰ったら、3人が待ち構えていた。
「おねえちゃんおかえり!!」
「東京どうだった!?」
9歳と7歳の弟が競うようにしゃべりかけてくる。
4歳の妹はよくわかってないのか、
ただニコニコしながらアタシの足にぎゅっとしがみついてきた。
「はいはい、おみやげ買ってきたから並んで!」
東京ばな奈を3つ取り出したら、わあっと歓声が上がった。
妹はまだ「とうきょうばなな」が言えなくて「ときょばなな!」と叫んでいた。
ちょっとうるさいけど、なんかほっとする。
アタシがいなくても、家はちゃんと回っていた。みんな元気だった。
それが、嬉しいような、ちょっと寂しいような。
──────────────
自分の部屋に戻って、えっちゃんにLINEした。
「ただいま! 今日もレッスンたのしかったよ!
アタシ、札幌でもスタジオ通うことにした!」
すぐに返信が来た。
「おかえり!! えっすごい!!
どんどん本物のアイドルになってくじゃん!!」
「まだまだだよ~! でも頑張る!」
「応援してるよ!!絶対なれるって!!」
えっちゃんは変わらない。
東京でも、北海道でも、どこにいても、
えっちゃんはえっちゃんだ。
3時間半かけて東京に行って、
レッスンして、3時間半かけて帰ってくる。
しんどいけど——
毎回、何かを持って帰ってこれる気がする。
第7話 アタシ強くなる
「河合ひな…すご…」
研修生になって2か月。
前からうまいとは思っていたけど、
レッスンを重ねるたびに、河合ひなはどんどん輝いていった。
踊りの軸がぶれない。
クラシックバレエもヒップホップも習っていたらしい。
表情が豊かで、音の取り方が正確で、指先まで神経が通っている気がする。
稲葉さんに何か言われるたびに、
アタシは1日じっくり練習しないとできないけど、
河合ひなは1時間もすればもうできている。
河合ひなの名前はアロープロジェクトのファン
——通称アロヲタ——の間でも、
じわじわ広まり始めていた。
「河合ひなちゃん、かわいいよね」
「ダンスめちゃくちゃうまくない?
次世代のエースじゃん」
SNSにそんなコメントが並ぶのを、
アタシはスマホの画面を見ながら読んでいた。
……わかってる。河合ひなは本当にすごい。
でも。
負けたくない。
──────────────
札幌のスタジオでも、週3回レッスンに通うようにした。
東京のレッスンが週1、札幌が週3。それに自主練。
家の廊下で毎晩1時間、振りの確認をする。
お母さんに「もう寝なさい」と言われるまでやめない。
それでも、
鏡の中のアタシと河合ひなの差は、なかなか縮まらなかった。
「咲ちゃん、ちょっといい?」
ある日のレッスン後、稲葉さんに呼ばれた。
「最近、どうしたの?」
「……え?」
「練習量は増えてる。
体力もついてきてる。
でもね、ちょっと顔が怖いよ」
「顔が……怖い?」
「踊ることを楽しめてない。
見てる人に伝わるよ、そういうの」
グサッときた。
「……でも、河合ひなに負けたくないんです」
「ライバル心をもつのはいいことよ。
でも、ライバルを見て踊るんじゃなくて、
お客さんを見て踊ってほしい。
咲ちゃんが踊るのは、誰かに何かを届けるためでしょ?」
アタシは黙って、床を見た。
……誰かに届けるため。
そうだ。最初はそうだった。
えっちゃんが泣いてくれたあのカラオケから、
ずっとそうだったはずなのに。
──────────────
そんなとき、告知が来た。
Arrow Project 研修生発表会
2028 ~春の公開実力診断テスト~
1か月後の5月5日。
アロープロジェクト研修生たちの年に1度しかない恒例イベント。
最高峰の「ベストパフォーマンス賞」のほか、
歌唱賞、ダンス賞、審査員による特別賞が設けられて、
優秀な研修生が表彰される。
スタジオの掲示板に貼り出された紙を見た瞬間、
アタシの中で何かが火花を散らした。
河合ひなも同じ紙を見ていた。目が合った。
河合ひながニコっと笑った。
「頑張ろうね、咲ちゃん」
「……うん、頑張ろう!」
笑顔で返したけど、心の中では燃えていた。
絶対に、負けない。
──────────────
発表会まで、
稲葉さんの言葉を何度も思い出しながら練習した。
河合ひなじゃなくて、お客さんを見る。
届けるために踊る。
少しずつ、踊ることが楽しくなってきた気がした。
鏡の中のアタシの顔が、前より穏やかになっていた。
──────────────
発表会当日。
会場は思ったより広くて、
客席にはファンや関係者がぎっしり埋まっていた。
舞台袖で番を待ちながら、手のひらに「人」と書いて飲んだ。
3回。お母さんに教えてもらったおまじない。
これをすると緊張がなくなるってお母さんが教えてくれた。
大丈夫。練習してきた。届けるために踊る。
名前を呼ばれた。
「杉浦咲!」
ステージに出た瞬間、照明が眩しかった。
客席の顔は見えない。
でも、確かにそこにいる人たちの気配がある。
音楽が流れた。
よし——!
……………
最初の8カウントは、うまくいった。
次の16カウントも。
でも——
ターンの踏み込みが、ほんの少しずれた。
体が流れた。
止められなかった。
…ズ……ドサッ。
床に倒れた瞬間、会場がしんと静まりかえった。
鼻に、じわっと温かいものが滲んできた。
また、鼻血だ。
——運動会のとき、と同じだ。
スタッフが駆け寄ってきた。音楽が止まった。
「大丈夫ですか!?」
「……はい」
大丈夫じゃなかった。
体が痛いとか、恥ずかしいとか、そういうことより——
ここで終わりたくなかった。
「続けます」
「でも鼻血が——」
「続けます!」
スタッフさんが困った顔をして、稲葉さんの方を見た。
稲葉さんが静かに首を振った。
「咲ちゃん、今日はここまで」
「……稲葉さん」
「また立てばいい」
その一言で、アタシは泣いた。
ステージの上で、鼻血を出しながら、みっともなく泣いた。
──────────────
表彰式。
ダンス賞——河合ひな。
名前を呼ばれた河合ひなが、
ぱあっと顔を輝かせてステージに上がった。
本当に嬉しそうだった。
歌賞も、パフォーマンス賞も。
アタシの名前は、最後まで呼ばれなかった。
舞台袖の壁に背中をもたせかけて、天井を見上げた。
鼻にティッシュを詰めたまま。
笑えてきた。
なんか、運動会のときと一緒だ。転んで、鼻血出して、ビリ。
全然成長してないじゃん、アタシ。
「咲ちゃん」
声をかけられた。
見上げると、先輩の染野佐奈さんが立っていた。
染野先輩は中学2年生。
研修生のなかではいつも静かで、あまりしゃべらない印象だったけど——
「鼻血、止まった?」
「……はい、だいぶ」
染野さんがその場にしゃがんで、アタシと同じ目の高さになった。
「私もね、最初の診断テスト、何も取れなかったよ」
「えっ?染野さんが?こんなに歌もダンスも上手いのに?」
「うん。あのときは何もわからなくて、
一生懸命頑張ったのに何もなくて、結構凹んだ。
転んだ咲ちゃんの方が、ある意味度胸あるよ」
「……それ、フォローになってます?」
「なってないかも?」
染野さんが笑った。アタシも、つられて笑っちゃった。
「でも本当のこと言うとね」
染野さんが少し真顔になった。
「転んでも最後まで続けようとしたの、
会場全員が見てたよ。
そういうの、忘れられないから」
「……」
「賞は取れなかったけど、
咲ちゃんのこと、覚えてる人は絶対いる。
次、見返せばいいじゃん」
染野さんが立ち上がって、手を差し伸べてくれた。
アタシはその手を掴んで、立ち上がった。
温かかった。
──────────────
帰りの飛行機の中で、ずっと窓の外を見ていた。
お母さんは何も聞かなかった。
ただ隣に座ってくれた。
アタシがポテトチップス好きって知ってるから黙って買ってきてくれた。
ありがとう、お母さん。
新千歳空港に着いて、荷物を受け取りながら、えっちゃんにLINEした。
「ただいま。今日、転んで鼻血出して何も賞取れなかった」
しばらくして返信が来た。
「えっ!大丈夫!?」
「大丈夫。でもくやしい」
「そうだよね……でもさ、
咲ちゃんって絶対また立ち上がるじゃん。
運動会のときもそうだったし」
運動会。
そうか。えっちゃんは知ってるんだ。
あのとき、転んでも最後まで走ったアタシのことを。
「……うん、また立ち上がる」
「応援してるよ!!」
ダンスを、磨く。
アタシ、転んだ分だけ、強くなる。
次は——絶対に、最後まで立って踊りきる。
第8話 夏祭り
春の公開実力診断テストから3日後。
アタシはまだ、自分の部屋にいた。
カーテンを閉めたまま、ベッドの上で天井を見ている。
弟たちが廊下で走り回る音がする。
妹が何か叫んでいる。
うるさい。
でも、起き上がる気になれない。
診断テストのことを思い出すたびに、
胃のあたりがズンと重くなる。
鼻にティッシュを詰めたまま舞台袖に座っていた自分。
表彰式で最後まで名前を呼ばれなかった自分。
河合ひなはダンス賞を取った。
アタシは何も取れなかった。
……わかってる。落ち込んでる場合じゃない。
練習しないといけない。
でも体が動かない。
スマホが光った。
えっちゃんからLINEだ。
「咲ちゃん、元気にしてる?」
「……まあまあ」と打って、送った。
すぐに返信が来た。
「ねえ、今週末、
地元の夏祭りあるんだけど一緒に行かない?」
画面を見つめた。
夏祭り。
えっちゃんの手紙に書いてあった。
研修生になる前、引きこもっていたときに受け取った手紙。
「また夏祭り行きたいね」って。
「……行く」
送ってから、少しだけ体が軽くなった気がした。
──────────────
週末の夕方、待ち合わせは神社の鳥居の前。
浴衣を着て家を出たら、弟たちに
「おねえちゃんかわいい!」と言われた。
妹はアタシの浴衣の袖を引っ張って離さなくて、
お母さんに引き剥がしてもらった。
「行ってきます」
鳥居の前に着いたら、えっちゃんがもう来ていた。
水色の浴衣を着て、髪をまとめて、なんかいつもより大人っぽい。
「えっちゃん! かわいい!!」
「咲ちゃんこそ! 似合ってる!!」
2人で顔を見合わせて、なんとなく笑った。
久しぶりに、えっちゃんの顔を見た気がした。
LINEでは毎日やり取りしているのに、
直接会うのは研修生になってから初めてかもしれない。
「行こう!」
「うん!」
──────────────
屋台をひとつひとつ覗いて回った。
焼きとうもろこしを買って、かぶりながら歩いた。
えっちゃんが綿あめを買って、アタシの頭に乗せようとしてきた。
やめろ。
「射的やろうよ!」
「いいよ! 私、絶対取ってみせる!」
射的で2人とも全弾外れた。
悔しい。
金魚すくいでえっちゃんが3匹すくって、
アタシは1匹もすくえなかった。
悔しい。
「咲ちゃんって、こういうの苦手だよね」
「もーうるさいな!
ダンスは練習すればうまくなるけど、
金魚すくいは才能の問題!」
「なんで!?」
えっちゃんが笑いながらポイを差し出してくれた。
もう一回。今度こそ。
……また全滅した。
悔しいけど、なんか、笑えた。
こういう時間が、ずっと好きだった。
──────────────
人混みを抜けて、
神社の境内の隅にある石段に2人で腰かけた。
遠くから祭囃子が聞こえてくる。
空には花火が上がり始めていた。
「テスト、どうだったの?」
えっちゃんが、隣でそっと聞いてきた。
「転んで、鼻血出して、何も取れなかった」
「……うん、LINEで聞いてたけど。
実際どうだった? ちゃんと教えて」
「ちゃんと」って言われると、
なんか、LINEで打ったときより正直に話せる気がした。
「くやしかった。河合ひなはダンス賞取って、私は何もなくて。
転ばなくてもたぶん何も取れなかったと思う。
まだまだ全然ダメなんだって、思い知った」
「そっか」
えっちゃんは「でも頑張ったじゃん」とか
「次があるよ」とか、すぐに言わなかった。
ただ、隣に座って花火を見ていた。
それが、なんかよかった。
「えっちゃんさ」
「うん?」
「私のこと、応援するのしんどくない?
いつも励ましてばっかりで」
えっちゃんが少し考えてから、言った。
「しんどくないよ。
咲ちゃんが頑張ってるの、ちゃんと伝わってるから」
「……」
「私、咲ちゃんの歌声聴いてから、
ずっと咲ちゃんがアイドルになるの楽しみにしてるんだ。それだけ」
あのカラオケの夜のことを思い出した。
えっちゃんが泣いた、「Be Alive」
「……ありがとう」
声が、少しだけかすれた。
花火がひとつ、大きく開いた。
──────────────
家に帰ったら、お母さんがリビングで待っていた。
「咲、ちょっといい? 大事な話があるの」
またその言葉だ。
前回は「お母さんがぽんぽんだった」という爆弾が炸裂したけど、
今度は何だろう。
「来月から2か月、
東京に滞在しないといけないことになって」
「え? お母さんが?」
「お仕事の関係で。
北海道にはお手伝いさんを来てもらうことにするから、
弟たちと妹のことは大丈夫なんだけど」
お母さんが少し間を置いた。
「咲、夏休みの間、一緒に東京に来る?」
「……東京に?」
「毎日レッスンに行けるよ。
稲葉さんにも相談してみたんだけど、
夏の間だけ特別にたくさん時間を取ってくれるって」
毎日、レッスン。
今まで週1しか来られなかったのに。
「……行く!!」
即答だった。でも——
「行く、けど……
えっちゃんに言わないといけないな」
お母さんが静かに頷いた。
──────────────
次の日、えっちゃんに電話した。
LINEじゃなくて、電話で言いたかった。
「あのさ、えっちゃん」
「うん?」
「夏休みの間、東京に行くことになった。
お母さんの仕事の関係で。2か月くらい」
少し沈黙があった。
「……そっか」
「毎日レッスンできるから。
河合ひなに追いつくチャンスだと思って」
「うん、それはよかったじゃん」
えっちゃんの声が、いつもより少し低かった。
「えっちゃん?」
「ごめん、なんか……
急に咲ちゃんがいなくなるのかって思ったら、
ちょっとさびしくなっちゃって」
「……えっちゃん」
胸が、ぎゅっとなった。
えっちゃんはいつもアタシの背中を押してくれるのに
——今は、アタシがえっちゃんを置いていくみたいだ。
「大丈夫! 応援してるから!
ちゃんと河合ひなに勝ってきてよ!!」
電話口でえっちゃんが笑おうとしているのがわかった。
アタシも笑おうとした。
でもうまくいかなかった。
「絶対、勝ってくる」
「うん!!」
「えっちゃん、ありがとう。ずっと応援してくれて」
「なに急に!! いってらっしゃい、咲ちゃん!!」
電話を切ってから、少しだけ泣いた。
──────────────
東京に向かう前日の夜、
荷物をまとめながらえっちゃんとLINEした。
「昨日の夏祭り、楽しかったね」
「楽しかった! 金魚すくい、
咲ちゃん1匹もとれなかったね笑」
「うるさい!!
帰ってきたらリベンジするから!!」
「待ってるよ!!」
第9話 走れ
東京に来て、3日目の朝。
アタシは代々木公園を走っていた。
北海道の夏と全然違う。
空気がねっとりしていて、10分も走ると汗が滝みたいに出てくる。
でも、止まらない。
お母さんと2人で東京に来て、
稲葉さんが手配してくれたマンスリーマンションに泊まっている。
1か月、毎日レッスンができる。
夢みたいだ。
でも夢じゃない。
アタシの足は今、ちゃんと東京の地面を踏んでいる。
──────────────
レッスン1週間目。
ダンスは、思ったより早く形になってきた。
毎日やれば、体が覚える。
それだけのことだったんだ、と思った。
札幌と東京を行き来していた頃と比べて、動きのキレが全然違う。
鏡を見るたびに、昨日の自分より少しだけ良くなっている。
問題は——その後だった。
──────────────
「じゃあ、踊りながら歌ってみて」
稲葉さんの一言で、
「情熱エクスタシー」を歌いながら踊り始めた。
最初の16カウントは、いけた。
でも——サビに入った瞬間、息が足りなくなった。
歌声が細くなる。ダンスが雑になる。
どっちかを犠牲にしないと、どっちも死ぬ。
音楽が終わって、
アタシは膝に手をついて肩で息をしていた。
「……うまくいかない」
稲葉さんが、静かにアタシの横に立った。
「どっちが大事だと思う?歌とダンス」
アタシは少し考えた。
「……どっちも、大事です」
「じゃあ、どっちかに逃げたら?」
「……本物じゃなくなる」
稲葉さんがうなずいた。
「そう。歌で逃げても、ダンスで逃げても、
それは咲ちゃんの本物じゃない。
両方できるようにする。それだけ」
「……でも、息が続かなくて」
「息が続かないのは、体力の問題。
ダンスの問題でも、歌の問題でもない」
稲葉さんがアタシの目をまっすぐ見た。
「走ってる?」
「……朝、少しだけ」
「もっと走って。
歌いながら踊っても息が上がらない体を作る。
有酸素じゃなくて、無酸素。
全力ダッシュを繰り返す感じ。
インターバル走って知ってる?」
「……やってみます」
「ボイトレもダンスも続ける。
でもそれに加えて、体を作る。全部同時にやる。
夏の間に土台を作っておかないと、秋以降がしんどくなる」
稲葉さんの言葉は、いつも無駄がない。
アタシは深呼吸して、もう一度マイクを握った。
「もう1回、やっていいですか」
稲葉さんがふっと笑った。
「どうぞ」
──────────────
それから、アタシの1日はこうなった。
朝6時に起きてインターバル走。
全力ダッシュと歩きを交互に繰り返す。
最初は5セットしかできなかったのが、
1週間で10セット、2週間で15セットになった。
午前中はボイトレ。
午後はダンスレッスン。
夜は部屋で振りの確認。
お母さんは毎朝一緒に起きて、
アタシが走っている間に朝ごはんを作って待っていてくれた。
遊ぶ時間は、なかった。
でも、全然寂しくなかった。
──────────────
えっちゃんからLINEが来た。
「夏休みどうしてる?」
「走ってる」
「え、今?」
「毎日」
「…咲ちゃんってほんとにすごいね」
「まだ全然だよ。ダンスしながら歌うと死ぬ」
「笑 でも絶対できるようになるじゃん」
えっちゃんはいつも、こういうことを言う。
根拠なんてないのに、なぜか信じられる。
──────────────
夏休みが終わる1週間前。
「じゃあ、もう1回。踊りながら歌って」
稲葉さんの声で、アタシは位置についた。
音楽が流れた。
踊る。歌う。
サビ——
息が、続いた。
声が、細くならなかった。
最後まで、踊りきった。
音楽が止まった。
稲葉さんが、静かにつぶやいた。
「よし!この感じ忘れないで!」
アタシは、もう泣かなかった。
泣く暇があったら、もう1回やる。
「もう1回、いいですか」
──────────────
東京から帰って、
また3時間半をかけて札幌に戻った。
それからの10か月は、走るように過ぎた。
週1の東京レッスン、
週3の札幌スタジオ、毎朝のインターバル走。
気づいたら、鏡の中のアタシが変わっていた。
軸がぶれなくなった。
音の取り方が正確になった。
歌いながら踊っても、息が乱れなくなった。
──────────────
アロヲタの間で、噂が広まり始めた。
「河合ひなちゃん、次世代エースじゃん」
「杉浦咲ちゃんも最近すごくない?
ダンスも歌も別次元になってる」
「咲ちゃんとひなちゃん、
どっちが先にゴーイング娘。入るかな」
「絶対どっちかは入るよ。っていうか両方行ってほしい」
スマホの画面でそのコメントを読みながら、
アタシは少しだけ笑った。
まだ、何も決まっていない。
でも——確かに近づいている。
──────────────
ある日のレッスン後。
他のみんなが帰って、
スタジオにアタシと河合ひなだけが残った。
2人とも、荷物をまとめながら無言だった。
最近、ひなとの練習中に感じることがある。
手が届きそうで届かない距離が
——なくなってきた。
ターンの精度、音の取り方、表情。
1年前には雲の上にいた河合ひなと、
今は同じ地面に立っている気がする。
「咲ちゃん」
ひなが、荷物を持ったまま立ち止まった。
「うん?」
ひなが少し間を置いた。
窓の外、夕方の光が斜めに差し込んでいる。
「……絶対負けないから」
静かな声だった。
怒ってるわけじゃない。
でも、本気だった。
アタシは少し考えてから、笑った。
「アタシもね」
ひなも笑った。
それだけだった。
それだけで、十分だった。
──────────────
翌週のレッスン。
スタジオの掲示板に、一枚の紙が貼り出された。
Arrow Project 研修生発表会 2029
~春の公開実力診断テスト~
日付を見た瞬間、胸の中で何かが燃えた。
隣に、河合ひながいた。
2人で同じ紙を、同じ瞬間に見ていた。
目が合った。
アタシは先に笑った。
「頑張ろうね、ひな」
去年、同じ言葉をひなに言われた。
あのときのアタシは、
鼻血を出して転んで、何も取れなかった。
次はもう——転ばない。
第10話 実力診断テスト
会場に入った瞬間、空気が違った。
去年とは、全然違う。
客席を埋め尽くすほどの人。
2000人を超えると聞いていた。
研修生発表会でこれほどの規模は異例らしく、
「ここ10年でもなかったことだ」と
ある審査員さんがインタビューで話していた。
その理由は、自慢じゃないけど
たぶん——アタシたちだ。
河合ひなと杉浦咲。
どっちがゴーイング娘。に入るか。
アロヲタの間でその話題が広まっているのは気づいていた。
だって、ライブするたびに
どんどん人が増えていくのがわかってたんだもん。
舞台袖で番を待ちながら、
アタシは手のひらに「人」と書いて飲んだ。
3回。
隣にひなが立っていた。
「緊張してる?」とひなが聞いた。
「してる。ひなは?」
「めちゃくちゃしてる」
2人で少し笑った。
──────────────
課題曲は、1人ずつのパフォーマンスだった。
曲は「情熱エクスタシー」。
アタシが夏に死ぬほど練習した曲。
出番を待ちながら、
舞台袖でひなのパフォーマンスを見ていた。
ひなの番。
照明が落ちて、イントロが流れた。
2000人の視線が一斉にひなに向いた。
中盤。
ひなの動きが、一瞬だけ止まった。
ターンの踏み込みがずれた。
体が流れた。
完全に止まったわけじゃない。
でも——ミスだった。
ひなの顔が、一瞬だけ歪んだ。
泣きそうだ、と思った。
舞台袖から、
アタシはひなを見つめた。
その瞬間、ひながこっちを見た。
目が合った。
「あきらめるな」
口だけ動かした。
声には出さなかった。
舞台の外から、客席には絶対聞こえない。
ひなが、一瞬だけ目を見開いた。
そして——前を向いた。
その後のひなは、別人だった。
軸がぶれない。
表情が変わった。
ミスなんてなかったみたいに、
いや——ミスがあったから燃えたみたいに、
どんどん輝いていった。
ひなの課題曲が終わった。
次は——アタシの番だった。
照明が落ちて、イントロが流れた。
2000人の視線が、今度はアタシに向いた。
踊る。歌う。息は——続いている。
あの夏、代々木公園を走り続けた朝が、
ちゃんと今日に繋がっている。
課題曲が終わった。
舞台袖に戻ったひなが、小声で言った。
「……ありがとう、咲ちゃん」
「巻き返せた?」
「巻き返す。自由曲で全部返す」
ひなの目が、燃えていた。
──────────────
自由曲。
トップバッターはひなだった。
舞台に出た瞬間から、空気が変わった。
イントロが流れた瞬間、客席がざわっとした。
それほど、ひなのオーラが違った。
踊る。声が出る。表情が変わる。
ターンが決まるたびに、
客席から息を呑む気配がした。
舞台袖で見ていたアタシは、
正直に思った。
すごい。
審査員席を横目で見た。
全員がひなを見ていた。
みんな審査のメモを取るのも忘れて、
ただ見ているだけだった。
ひなのパフォーマンスが終わった。
会場が、一瞬静まり返った。
それから——割れるような拍手が来た。
舞台袖に戻ってきたひなは、肩で息をしていた。
アタシと目が合った。
「次、咲ちゃんの番だよ」
ひなが笑った。
さっきまで燃えていた目が、今は穏やかだった。
2000人の視線。照明の熱。
みんなアタシのこと見てる。
なんか気持ちいい。
──────────────
「杉浦咲!」
アタシの名前が呼ばれた。
ステージに出た。
「うっし!負けてられるか!」
怖くない。
なぜか、えっちゃんのことを思った。
カラオケで「Be Alive」を歌ったあの日。
えっちゃんが泣いてくれた。
あの涙が、全部の始まりだった。
この曲を、ずっと取っておいた。
今日のために。
イントロが流れた。
踊る。
歌う。
息が——続いている。
声が——細くならない。
サビ。
客席の顔が見えた。みんなこっちを見ている。
届けるために踊る。届けるために歌う。
えっちゃん。稲葉さん。お母さん。お父さん。
全部、今日のこの瞬間のためだった。
曲が終わった。
会場が、静まり返った。
一瞬だけ——世界が止まった気がした。
それから、拍手が来た。
──────────────
表彰式。
歌唱賞——染野佐奈。
3年先輩の染野さんだ。
去年、転んだアタシに手を差し伸べてくれた人。
舞台に上がって泣いて喜ぶ染野さんの背中を見ながら、
アタシは小さく拍手した。
よかった。染野さんにこそ、ふさわしい。
ダンス賞——これも別のメンバーだった。
残るは2つ。
準ベストパフォーマンス賞と、
ベストパフォーマンス賞。
司会者がマイクを持ったまま、少し間を置いた。
「現在、集計に時間をいただいております」
会場がざわめいた。
舞台袖でひなと並んで立っていた。
お互い、何も言わなかった。
しばらくして、司会者が深呼吸した。
「ファン投票と審査員投票を合計した結果
——河合ひなさんと杉浦咲さんが
完全に同票となりました」
会場が、どよめいた。
「異例ではございますが、
この2名による決戦投票を行います。
今しばらくお待ちください」
隣でひなが小さく息を吐いた。
アタシも同じだった。
再集計の時間が、やたら長く感じた。
1分が、10分みたいだった。
会場は静かだった。
2000人が、息を潜めていた。
アタシは目を閉じた。
代々木公園を走った朝のことを思った。
3時間半かけて東京に来た日のことを。
稲葉さんに「本物だから」と言ってもらった夜のことを。
診断テストで転んで鼻血を出して、
染野さんに手を引き起こしてもらったことを。
全部、ここに繋がっている。
どっちが勝っても
——全部、本物だった。
「お待たせいたしました」
司会者の声に、アタシは目を開けた。
ひなが静かに目を閉じていた。
1秒だけ。それから前を向いた。
「準ベストパフォーマンス賞
——河合ひなさん!」
「ベストパフォーマンス賞
——杉浦咲さん!!」
会場が、爆発した。
アタシは、動けなかった。
1秒。2秒。
ひながアタシの背中をぽんと叩いた。
「おめでとう」
──────────────
表彰が終わって、アタシとひなは並んで舞台袖に戻った。
ひなが、前を向いたまま言った。
「……負けちゃった」
「うん」
「悔しい」
「うん」
少し沈黙があった。
「でも——咲なら、まあいいか」
「まあって何よ」
「褒めてるんだよ」
アタシは笑った。
「ひなのパフォーマンス、本当にすごかった。
あれ見てアタシも燃えた」
ひなが少しだけ目を伏せた。
「課題曲でミスしたのに?」
「ミスしたあと、もっとすごかったよ」
ひなが小さく息を吐いた。
「……ありがとう、咲」
舞台の外ではまだ拍手が続いていた。
第11話 サクラサク
実力診断テストから三か月後。
アロープロジェクト公式サイトに、
一行の告知が出た。
ゴーイング娘。新メンバー加入が決定致しました。
河合ひな
杉浦咲
スマホを持ったまま、
アタシはしばらく動けなかった。
ひなからLINEが来た。
「やったね」
「これからよろしく」
それだけだった。
それだけで十分だった。
──────────────
そして——
日本武道館。
客席が暗くなる。
ペンライトが、夜空の星みたいに揺れていた。
会場は超満員で1万人は超えているらしい。
アタシの心臓が、ドクン、と鳴った。
舞台袖でいつものように、
アタシは手のひらに「人」と書いて飲んだ。
3回。
稲葉さんが隣で言った。
「緊張してる?」
「めちゃくちゃしてます」
稲葉さんが笑った。
「大丈夫。咲は本物だから」
あの言葉だ。
研修生になった日の夜、
稲葉さんが言ってくれた言葉。
胸の奥が、じんと熱くなった。
ステージから声が響いた。
「それでは紹介します!」
歓声が膨らむ。
「ゴーイング娘。新メンバー——」
一瞬、世界が止まった。
「河合ひな!」
ひなが前に出る。歓声が爆発した。
そして——
「杉浦咲!」
アタシの名前が呼ばれた。
ステージに出た。
ライトが、まぶしい。
歓声が、波みたいに押し寄せてきた。
一瞬だけ、客席が見えた。
遠く。本当に遠く。
でも、見つけた。
えっちゃん。
立ち上がって、泣きながら手を振っている。
その隣でお母さんも泣いていた。
お父さんは少し照れくさそうに拍手していた。
胸がいっぱいになった。
でも——
泣かなかった。
だって今日は泣く日じゃない。
歌う日だ。
踊る日だ。
届ける日だ。
イントロが流れた。
最初の曲。
「Be Alive」
えっちゃんが泣いてくれたあの曲。
アタシはマイクを握った。
客席を見た。
声を出した。
歌う。
踊る。
息は——続いている。
声も——震えてない。
全部ここまで繋がっていた。
運動会。
鼻血。
研修生。
転倒。
走った朝。
全部。
終わった。
武道館が揺れるくらいの拍手が来た。
その瞬間、ふと思った。
北海道では今ごろ桜が咲いているころだろうか。
そういえば、
えっちゃんと花見したあの日、
えっちゃんが言った。
「咲ちゃん、絶対咲くよ」
あのとき、よくわからなかったけど。
今ならわかる。
アタシ咲いたんだ。
桜みたいに。
やっと。
——サクラサク。
完
サクラサク
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
『サクラサク』は、
「転んでも、もう一回立ち上がる人の物語を書きたい」
と思って書いた作品です。
運動会で転んで鼻血を出すところから始まって、
研修生のテストでも転んで、
それでも最後はちゃんと自分の足で立つ。
咲は決して天才ではありません。
むしろ、結構ドジで、負けず嫌いで、
ちょっとバカなくらい真っ直ぐな子です。
でも、だからこそ
応援したくなる人になったんじゃないかなと思っています。
この物語を書きながら、
夢って「叶うかどうか」よりも、
「追いかけている時間」そのものが
きっと人を成長させるんだろうなと感じました。
もしこの物語のどこかで、
咲のことを少しでも応援したくなったり、
「自分ももう一回頑張ってみようかな」
と思ってもらえたなら、作者としてこれ以上嬉しいことはありません。
咲の物語はここで一区切りですが、
きっとこの先も、転んだり笑ったりしながら
歌って踊っていると思います。
そして北海道では、今年もきっと桜が咲きます。
それではまたどこかで。
ありがとうございました。