回廊の中で 【巻1 志の灯】
離島の竹林の中にある、魔法の迷路・「回廊(かいろう)」。18歳の女性、灯火志義(あかり・しぎ)は、自身の負の過去を隠しながら、回廊の様々な謎を解き明かそうと通い続けている。
序章 『始まり』
その町には、〈回廊〉と呼ばれる物があった。
それは、とにかく変な回廊なのである。
皆が共通して言う事には、その回廊には屋根があって、床があって、壁があって、入口が確かにある。行き止まりがあり、扉もあって、坂があって、天地が引っ繰り返るような捩れた道がある。まるで迷路のようなのだ。
更には、〈中心部〉と呼ばれる空間が存在すると言う。これはそこに運よく辿り着けた者だけの証言だ。
しかし、それらの者達は口を揃えてこう言うのだ。「絶対行くな、魔物がいるぞ」、「怪我させられて、はじかれて、外に出されちゃうんだ」、と。
よくよく聞くと、中心部、というか、沢山の道が集まっている円い空間に着いて、そこには17か18かというくらいの少年または少女がいて、綱や紐みたいな物か針みたいな物で攻撃されて、気が付くと出口、いや入口に戻ってきてしまっている、と言っている。血の出るほどの傷を負った子もいるとか。だから行くな入るなと警告している。
こんなおおごとは事件じゃないか。
ところが大人は、この不思議で危険な回廊は「無い」と言う。――見えないのだ。彼らには、ぐるぐると目の回るような渦巻き下がりの広場しか目に映らない。もちろん、入れない。広場を突っ切る事もできる。それ故か、大人達は、回廊の事を、子供達の空想か言い訳だと思い込んでしまうのだ。
でも、回廊が確かにあるのだ。この町の未成年の人なら、誰もがそれを知っている。それだけではない。神も幽霊も信じない人も、幼い心の22歳も、怪我して回廊から出てきたのであった。
そんな、訳の分からない回廊に、一人で黙々と立ち向かう者がいる。 皆が知る事の無い瞬間に、その者は、回廊に関する真実を掴もうとして、戦っていた。
1,志の灯
ある年の、夏。
その女性――志義(しぎ)は、今日も回廊を眺めていた。
西の空に、燃えるような夕焼けが見える頃である。
(今日こそは、中心部を見つけられるだろうか)
静かに、しっかりと燃える青い炎を思わせる、光を和らげて放つ目。
(とにかく、行くのみ)
志義は意を決した。
回廊に入る。
小ぶりな黒の鞄から、赤い毛糸玉を取り出す。その糸を、道標になるように垂らして、中を進んでいく。
志義の、201回目の挑戦が始まった。
最初に二つの分かれ道、右に曲がる。
次は階段、数えると300段、かなり急な上り。
その上に3本の分かれ道、中央を選ぶ。50メートル程行くと、壁に道を阻まれた。
しかし、志義はふっと笑う。そこにある仕掛けを知っているからだ。
この壁、下から持ち上げる事が出来る。壁は軽い。潜って通る。
今度はくねくねと曲がる道。長い。
通り切ると、前方に道が5本。
「どの道を選ぶべきか」
迷う。
志義はこの5本、全て通った事がある。その結果は、いずれも行き止まり。
それでも、志義は行く気だ。
「よし、これだ」
彼女が指すのは右端の道。早速進む。
だが、直ぐに、壁が道を隙間なく塞ぐ所に着いた。
壁を押したり、色々と試す。
壁はうんともすんとも言わない。
手立てが無い。
「仕方ない。今日は引き揚げよう」
今日の志義には、これ以上の探検をする時間が無い。
毛糸を回収しながら、来た道を引き返す。
入口に戻れた。
日は殆ど暮れている。
「帰るか」
志義は呟いた。
★★★
灯火志義(あかり・しぎ)は、回廊のあるこの町に住む、18歳の女性である。
半端無く根気強くて、身体能力はずば抜けている。
本人は自分にそれ以外の取り柄は無いと思っている。
志義は、ありふれた女の子ではなかった。
どこに在っても常に異端児であった。
そのせいで散々苦労したが、そんな自分自身について、志義は後悔していない。
(ありふれた個性なんて)
志義は思う。
(馬鹿馬鹿しい)
一方で、彼女が短所として自覚する冷静さと思慮深さは、良い方に人の支持を得た。
そして彼女の味方になった者だけが、彼女の優しさと包容力に気付き、驚くのである。
この町には3年前に引っ越してきた。
回廊の噂を耳にしたのは、越してきて直ぐの事であった。
かなり興味を持った志義は、それから頻繁に回廊に入るようになった。
★★★
回廊とは一体どのような物なのか。
回廊は、住宅街の中の、広い竹林の中央にある。
いつから在り、誰が何の為に作ったのか、なぜ回廊と呼ばれるようになったのか、詳しい事は分からない。
一言で言えば、『魔法の迷路』である。
上空から見れば、かたつむりの殻のような形。
真横から見れば、高さは3メートルも無い低い建物。
全体の色は薄い水色。
入口が一箇所のみ有り、扉などは無く、常に開いている。
内部は、様々な形状の通路がある。
照明も窓も無いのに、いつもとても明るい。
通路、即ち道は、絶えず変化している。常に同じ道があるのではない。
その上、外観からは想像できない、普通に考えればこの建物の中に収まるとは思えないような、階段や坂などが出現する。
ただ、入口を入ると同じ距離の位置に二つの分かれ道がある事だけは変わっていない。
回廊は殆どの子供には見え、入れる。
大人の殆どには見えず、入れない。
ここまでの情報は、少なくともこの町の子供なら誰でも知っている。
志義は更に、これまで200回余りの回廊探検の経験を、細かく分析していた。
それによると、入口直ぐの分かれ道を左に行く(左ルート)と、いつの間にか入口に戻ってきてしまう、というパターンが多い。右の道を行く(右ルート)と、行き止まりが多い。
右ルートは道の変化が少なく、左ルートは頻繁に道が変化する、という事にも気付いた。
中途で引き返すと、元来た道ならその道で、別の道ならもっと短距離で、必ず入口に戻れる。
行き止まりを作る壁は、いくつかは押すなり引くなりとどうにかすれば、開けて先へ進めるようだ。
そして、〈中心部〉と呼ばれる空間が存在する、という話。
志義はまだ、一度も中心部に辿り着いた事が無い。
だが、数々の噂と体験談の共通点の多さから、間違い無く中心部は「ある」という確信があった。
回廊の中で 【巻1 志の灯】