ついのすみか Ⅷ
71 お題から 6
【お題】 高くなりました
アフター・バレンタイン
14日バレンタインデーは仕事は休み。
毎年若い女性からのプレゼントが引き出しに入っている。もう3年目の頑張り屋さん。
高校時代から牛丼屋でバイトして店長代理までなったとか。介護がやりたくてきちんと学校へ行き、配属されてきた。
髪は奇抜なカラー。
すぐに辞めるだろうなと思ったけど……すごい。この子、本当におばあちゃんが好きなのだ。入居者が亡くなったときにはワンワン泣いたとか。
必要だと思うと自腹で買ってくる。キッチンぺーパーホルダーや、入居者さんに合うストロー。普通のだと噛んじゃうので赤ちゃん用のしっかりしたやつ。
トレーが足りなければトレー。
ユニット費から貰えばいいのに。リーダーは何も言わない。私もボロボロのピンチハンガー文句言いながら使っているけど、自腹で買おうとは思わない。
掃除機もぜんぜん吸わない。施設の経営も電気代高騰等でボーナス下がる、なんてサイボーズで見たから、買ってくださいとは言えない。
スタッフルームにはお菓子が置いてある。主にパートさんの差し入れ。なんでパートが差し入れしなきゃならないの? なんて私は思ってしまうのだが、優しいのだ。先日も干し柿をいただいた。高いだろうに。
新しく入ってきた入居者さんがすさまじくて、75歳の女性なのに今まででいちばんすさまじい。
ユニット10人、パートがいない日は職員ひとりでみる。
なにがすさまじいって……歩ける。つんのめり転びそうになるけどじっとしていない。
喋る。よく喋るけど……まともではない。
「誘拐されてきたの。警察に電話して」
夜にリビングでセーターを脱ぎズボンを下ろす。風呂に入るのだと。
人の部屋に入る。床に寝る。
食事中の方のそばに行き話す。もう、嫌がられる。唾が飛ぶからあっちへ行け、と。いきなり背中を揉み怒鳴られる。怒られてもわからないみたい。
私があんまり注意したら、耳元でうるさい! と怒ったけど。
早起きでぜんぜん寝ない。
職員は元々ひとり欠員のまま。そこへインフルでひとり休み。皆超勤超勤。そしてひとり熱出して……これじゃまた誰か辞めるでしょ。
私は優雅に今年初のゴルフ。スコアは優雅じゃないけど。
帰りパーキングで饅頭を20個買った。有名な日本3大饅頭のひとつ。でも、高くなっててびっくり。でも、みんな頑張っているから奮発した。
『お疲れ様です。ひとり2個ずつ食べてください』
優しさが滲み出てると言われました。
【お題】 名前をつけない方がいい関係
足りなくなる
介護エッセイを書いている。
実名では投稿できないから仮名を木の名前にした。
トネリコさん、カリンさん、ミモザさん、クスノキさん、ネコヤナギさん……
新しい入居者さんが入るたび、木の名前辞典を開き探す。
でも、面倒臭いからアルファベットに書き変えようか?
メモを見て数えたら、施設がオープンして9年目。もう9年も働いている。
もう、26人以上亡くなっていた。
【お題】 嘘と言い訳
嘘でも言い訳でもなく
目が離せないタラノキさん。女性。75歳。
先日はコデマリさんに配膳してたら、キッチンの三角コーナーに捨ててあったカステラを食べちゃった?
口をモゴモゴしていたから
「何食べてるの?」
と聞いても、
「何も食べてない」
と、すぐに飲み込んだ。
座らせても5分もじっとしていられない。
男性の部屋にも入っちゃうし、看取りの人の部屋にも入っちゃう。
「そこ、タラノキさんの部屋じゃないでしょ!」
「あ、オレのねえさんだ」
強く言うと拗ねちゃうし。
薬の戸棚からいろいろ持ち出して、テーブルに並べていた。
食器棚の引き出しからスプーンはなくなるし、どこに持っていくんだろう?
もう、徹底しなきゃダメだね。戸棚は面倒くさくても都度都度鍵を閉めないと。
オープンのキッチンはどうしたらいいの? 以前、食器洗剤を居室に持っていった人もいた。あれ、飲んだらどうなる?
考えないと。考えないと。
タラノキさんだけでも大変なのに、もっとすごい女性が入居してきた。こちらは転びそうで怖い。
「ねえ、お寿司頼んで、あなたも食べる?」
もう、こちらが嘘をつくしかない。
「はい、いただきます」
「ねえ、おしんこ食べたい」
「買ってきますね」(高血圧だから塩分禁)
この方も75歳。
考えないと。考えないと。
なぜ、ああなるの?
ならないためには、どうすればいい?
ずっと働いていれば大丈夫かしら?
【お題】 みっつの約束
足りません
タラノキさん、お約束ですよ。
座っててくださいね。
人の部屋入らないで!
人のもの持ってこないで!!
水道の蛇口の先っぽ回して外さないで。
排水溝にティッシュ詰めないで!
コップの麦茶、ゴミ箱に捨てないで!!
キッチンに来ないで。危ないから。
人の世話焼かなくていいから!
私をママって呼ばないで!!
あなたを産んだ覚えはない!!!
72 カオスです
少し前、認知症の妻が旦那様に殺されたニュースを聞いた。
介護が大変だったと。まだ66歳の奥さん。食事介助すれば吐き出すと。
身内だったら手が出ますかね?
真剣に向き合ったら殺人者になる。
食べ物を吐き出すなんて…‥ザラにある。茶碗を放る。固形物ならまだいいけど、水や麦茶ならまだいいけど、乳酸飲料や、とろみをつけた水分は後片付けが厄介だ。それは周辺業務の私の仕事。
うちの施設、資格なしのパートの時給、最低なんだって……まあ、私は歳だけど。働き始めてからこの10年、毎年最低賃金。資格なしで入浴介助してた時もプラス9円だった。
歳だけど、シルバー人材センターの求人のが高いわ。これじゃパートさん来るわけないわね。
年度末でひとり辞めた。若い女性。超勤が当たり前のこの数年。若い職員には優遇して数年間家賃補助がある。辞めてひとり暮らしは大変だろうに。たくさん貯めたのかな? 次は訪問介護をやると言っていたが。
そのあとも辞める予定の人がいる。まだ30代前半の女性。高校は出てないそうだ。ポツリと言ったことがある。両親は離婚していて父親は50代で亡くなった。だから……? 結婚はしないのだ、と。すでにマンションを買ってある。中古だがうちより広い。ローンは簡単に通ったそうだ。修繕費も駐車場代も上がり夜勤を増やしている。仕事は速い。驚くほど速い。次の就職先もすでに決まっている。
4月に入ってきた新人の女性はひと月で辞めた。新人には付きっきりで教えるから時間がかかる。独り立ちする確率は低い。すぐに辞めるかもしれない、と思いながらも手取り足取り教える。
5月に入ってきた女性は独り立ちした。娘と変わらない歳だが落ち着いている。寡黙だ。話しかけないと喋らない。続くといいが。
今いる入居者さんは私がいた10年の中でいちばん大変だと思う。「カオスです」とリーダーは言う。
年齢は若い。若いから元気。認知症でも、半身麻痺でも、全介助でも元気だ。(自分勝手。自己中)
車椅子の65歳の女性は口が達者。見栄っ張り。ほんとか嘘か知らないけど。いい生活してたのになぜ特養に? それに意地悪だ。狭い空間で認知症のひどい人を見下す。隣の人がうるさくて眠れない、と、ナースコールが毎夜。まだ私が働いてある時間なので夜の7時半前。そんなに早く寝るの?
頭はかなりしっかりしている。学歴もある。教育現場で活躍していたらしい。ひとり息子も優秀。海外赴任でアメリカに。テレビの真ん前に座っているのでニュースに詳しい。知識をひけらかす。
自慢することなど何もない私だが、歳を取ったら自慢はダメだ。過去の肩書き、子ども自慢、孫自慢……気をつけよう。
そしてこの方は半身麻痺なので寒がりだ。初夏で蒸し暑いのにホカロンを入れていた。暖房が付いている。他の部屋は冷房なのに。ご自分でリモコンで切り替えてしまう。リビングの冷房も寒い寒いと苦情を言う。それでいて汗かきだ。
入浴は週に2度。朝出勤した途端に聞かれる。「今日、お風呂ありますか?」
今は(ずっとだけど)人手が足りなくて入浴が回らない。入浴介助だけのバイトが時々来てくれる。時給はいくらだろう? まさか最低賃金プラス9円ではないだろう?
今年度の新人は日本人は少ない。ロッカールームでは日本語でも英語でもない言葉を聞く。時々香水の匂いがきつい。苦手だ。マスクをしていてもきつい。入居者さんは平気なのか? マスクをしていないのに。
認知症(特にアルツハイマー型など)では、記憶障害が表れるよりもずっと前(10〜20年前)から、匂いを感じにくくなったり何の匂いか分からなくなったりする「嗅覚の低下」が始まるとされている。
なぜ嗅覚が低下するのか? 匂いを感じる神経(嗅神経)は、記憶を司る脳の「海馬」に直接つながっている。認知症の原因物質(アミロイドベータなど)が脳に溜まり始めると、記憶の中枢よりも先に海馬周辺の神経がダメージを受け、匂いの識別ができなくなると考えられている。(AIによる概要より)
そうか、尿臭、便臭がわからなくなるのは良いことかも……便をベッドの柵に塗りたくる60歳の社長夫人は、消毒液の匂いは臭い臭いと文句を言う。
言葉も不明瞭だが、「早くしてっ!」が口癖。リビングにいる間は言い続ける。すると寒がりの女性が言う。
「うるさいっ!」
73 徘徊
まだ若い。私より5、6歳年上なだけ。タラノキさん。入居して1年くらいか?
普通、大抵、だんだん、その方のことがわかってくると、職員は楽になるのだが……だんだんそれなりに落ち着いておとなしくなるのだが……
若いタラノキさん。日に日に、ひどく、大変になっていくようだ。
思い返せば新しい入居者が入るといろいろあった。入ってくる方だって施設は初めての場合、戸惑うのは当たり前。いきなり引っかかれ首を絞められそうになった職員もいた。
帰りたがるのは当たり前。じっと座っていないのも当たり前。どこか痛くなるのも痒くなるのも当たり前のことばかり。
でも、世話する方は困るのだ。時間内に終わらせないと。
帰宅願望、夕方症候群。歩いたっていいですよ。転ばなけりゃ。他人の部屋に入らなければ。人のものを持ってこなければ。
「人の部屋に入らないで! 人のもの持ってこないで!」
なんて、私は叫んでしまう。配膳中なのだ。ビニールの手袋をしたまま追いかける。皆、ごはんを待っている。ごはんが何かも、食べることすらわからなくなった方もいるが。
認知症でもタラノキさんはすねる。いつもニコニコしているが、大声で否定されるとすねる。(わかっているけど、つい……)
「オラ、帰る」(女性です)
「ごめんね、タラノキさん」
謝り機嫌をとるとすぐにニコニコする。
「先生、いい人だねえ」
タラノキさんは寝たきりの方の部屋に入り話しかける。男性のマンサクさんの部屋で肩を揉んであげてたこともある。マンサクさんも穏やかだった。
タラノキさんは最初隣のユニットだったが、人の部屋に入ってしまうので嫌がられた。入るな! と怒鳴られ鍵をかけられた。認知症でも嫌われる雰囲気はわかる。それで、移動させたのだ。
害がなければいくら歩いてもいいんです。疲れて夜眠れるようになる。廊下を永遠に(?)歩いている方もいる。開いたエレベーターに乗り1階も素通りし外に出て大騒ぎになったこともあるが。コンビニのレジの方が、おかしいと通報してくれた。
今は過去10年で1番の大変さ。ホント、高齢の歩けない方のが楽。看取り介護、胃瘻状態で長い方もいるが、じっとしているので楽なのだ。
若いユキヤナギさんも動く。喋る。トンチンカンなことを。理屈っぽい。どうやって生きてきたのだろう? 70半ばで認知症。歩くのも危ない。入居してすぐに転び顔に大あざができようやく消えた。
それでも座っていられない。面白いことに右方向にしか進めない。右方向には人が座っていようが突き進む。高齢の入居者さんが怒る。
『すわっていなさ〜い。じっとしていなさ〜い』
無理だよね。ずっと見ていたら仕事ができない。もう、転ばれたら運が悪いと思うしかない。転んで入院しろ、と思わず口に出していた職員は辞めていった。
新人さんは大騒ぎ。大変大変と口にする。ユキヤナギさんから離れられない。転ぶ、転ばないのは時の運、そんな大博打を打てない。周辺業務の私に、見ていてください、と言う。
見てるのはいいよ。椅子やベッドに座り相手をしてるのは楽。でも短時間の周辺業務。洗い物も洗濯も掃除もしなきゃならないんですが。
よそのユニットはパートがいないところもあるそう。徘徊みながらひとりでやっているのだとか。
これ、身内だったら……
隣の旦那さん、足腰丈夫で夜でも出て行こうとする。娘さんの声が聞こえる。
「夜だよ。夜なの。もう、迎えに行かないからね」
認知症における『徘徊』の背景と要因
記憶・見当識障害: 時間や場所、今いる環境が分からなくなり、自分の家を探そうとして歩き出す。
心理的要因: 不安や焦燥感、環境への不満から
「ここではない別の場所(安心できる場所)に行きたい」という気持ちになる。
身体的要因: 体力が余っている、日中の運動不足、または生活リズム(昼夜逆転)の乱れ。
周囲の対応と予防のポイント
頭ごなしに否定・禁止しない: 無理やり連れ戻したり怒ったりすると、本人の不安や興奮が強まることがある。
話を傾聴する: 本人の「出かけたい理由」や思いに耳を傾け、気持ちを受け止める。
環境や生活の工夫:日中に適度な運動や楽しめる作業を取り入れて生活リズムを整える。
(AIによる概要)
74 ストレス
某サイトがサービス終了になることを知り、いろい考えてしまいよく眠れなかった次の日のこと。
朝、起きるのが辛かった。いつもは5時45分の目覚ましが鳴る前に起きる。仕事は7時から10時まで。施設までは歩いて6分。帰ってきたら少し寝よう、3時間頑張ろう、と出かけた。
ユニットに入った途端、いつも穏やかな90過ぎの最近入居した女性、アンズさんが、
「母が死んだから行かなきゃ!」
と立ち上がった。
いつもニコニコしているかわいい方だ。日中はずっとリビングにいて自室に戻らない。椅子に座り顎をテーブルの上にのせている。私がそばを通ると笑って手を上げる。ハイタッチ。抱きしめたいくらい小さくてかわいい方なのに。
時々不穏になる。トイレに何度も行く。歩くのはしっかりしているので、手を貸す必要はないから楽なのだが。
珍しく朝から不穏。みんな死んでしまったのだ、と。あの子もあの子も。90歳を過ぎるとそうなる。悲しいけど。
「行かなきゃ!」
「ちょっと待って」
と私。アンズさんは、
「待てないっ!」
とすごい剣幕で怒り出し、知識のない私は困り、とりあえず部屋に連れていった。すると自分でトイレに入り、用を足したら……また穏やかに。まるでジキル博士とハイド氏。リビングに戻りおとなしく座った。やれやれ。
同時進行でじっとしていられないユキヤナギさんが立ち歩く。こちらは転ぶので怖い。配膳時に歩かれると支度ができない。ついつい、キツく言ってしまう。
「座っててください。座ってて。座ってて!!」
無理だよね。この方は立ち上がり右方向に動きたいのだ。でも職員はもっと連呼する。
「座ってて。立たないで。座っててください」
急いでおかずを取り分け、刻んで一品置く。食べるのは早い。食べてる間は座っている。
ベテランさんはどういう対応をするのだろう? 介護歴長い方でも手を焼いている。拘束したいよ。薬でおとなしくさせたいよ……
男性のマンサクさんは居室で食べるが、痛い、痛い、とわめく。入居時より体重がかなり増えた。なにもしないで食べるだけ。
「どこが痛いの?」
と聞けば
「全部だよ。こんなところにいたら殺される」
往診医は太り過ぎだという。座りっぱなしでは腰が痛くなる。目も掻きむしり真っ赤。皮膚も弱いのか赤い。病院に行くことは拒否する。
若い外人の女性の職員に怒鳴る声がリビングにいても聞こえる。
「バカヤロー、もういいよ!」
怒鳴られた職員がかわいそうになるが毎度のことだ。あんな理不尽な扱いを受けるには見合う給料が欲しいよ。
しっかりした方だったのに。トネリコさんの好きな人だったのに。入居当初は贅肉がなくて、私が入浴介助をしていたときはスッと立ち上がっていた。
大学を出ていて文学の話をしてくれた。この方をモデルに小説を書いたくらいなのに。
「リビングでバカな女どもとなんて一緒にいられるか」
と、居室に籠った。でも、寂しくなるのか、頻繁に出てくるようになった。
半身付随のネコヤナギさんも口が悪かったが、車椅子で廊下を自走し運動していた。オセロや将棋をしていた。今思うと、人との関わりを求めていた。不自由な体でお節介を焼いていた。ティッシュを配っていた。懐かしい。
人は2度死ぬそうだ。2度目は忘れられたとき。働き始めて最初の入居者さんはよく覚えているが、何度も入れ替わり、亡くなり、名前も思い出せない方がいる。思い出したくない方もいるが。
まだ60歳のヤマボウシさんは、
「ねえねえねえ」
と大声で叫び続ける。こちらは何度言ってもわからないのか、皆にうるさがられている。
「ねえ、ねえ、早くしてっ。早くしてっ!」
「今、やってますから、もう少し待ってください」
「ほんと? ……ねえねえ、早くしてっ!」
もう、あの声出しは体にいいよね、発声練習、運動だよね、なんて皆で言っている。食べたあとはずうっと叫んでいる。
「早く帰して。帰りたい」
「すぐ寝たら吐くでしょう? この間吐いたでしょ?」
「吐いてない。帰して。帰してっ!」
……私は配膳中にいきなり胃が痛くなってきた。脂汗が出てきた。すごく久々の胃痛。家ではキャベジンを飲むとすぐ治るのに持ってなくて、どうしよう、職員に言おうか? 職員はもっと忙しい。
なんとか我慢して配膳を終わり、シーツ交換で居室に入りベッドに座った。少し座っていたら治ってきた。
これは? ストレスのせいか?
強烈なパンチをまともに喰らってしまったようだ。うまくかわさないと辞めたくなってしまう。オープン時からいるけど、10年なにをしていたのだろう? 資格もないし、進歩もない。
ついのすみか Ⅷ