アルモア 1-3

【プロローグ】 & 【第一話】

【プロローグ】


 あなたがもし嘘ばかりつくような悪い人間なら、将来は魔法少女になるといい。
 嘘つきこそ、魔法少女に向いている。
 隣にいる本職が言うのだから間違いない。
「〝変身〟ってのは、そういうことだろ?」
 彼女は港の欄干に寄りかかり、函館の夜空を見上げていた。視線は遠く、夏の星座へと飛んでいる。
「近しい人間には正体を隠さなきゃいけねー。敵にはどんな魔法で倒すのかバレちゃいけねー。……ほらな? 嘘つきじゃなきゃ、やっていけないわけだ」
「──だから許してくれ、とでも言うつもりでしょうか」
 私は呆れたように溜息をついた。
「果たして、この三日間で何度君に嘘をつかれたことでしょう」
「さぁな」
「まさか、明日の最終決戦も嘘だったり……?」
「はっ」と彼女が笑い飛ばす。「あんたが、そんな下らねー冗談言うなんてな。……ここに来るまで、どんだけ邪魔が入ったよ? その度に、あたしは魔法少女として屠ってきただろ」
 彼女は空へと手を伸ばし、びしっと中指を立てた。
「明日、すべての蹴りをつけてやる」
「……応援しています」
 そして、互いに口を閉じた。
 しばしの沈黙が降りる。
 背後ではごうごうと黒い海が鳴っている。風が横髪を絶えずなびかせている。
 私はかすかに緊張し、こっそりと息を吸い込んだ。塩っぽい匂いが鼻に満ちる。
 この旅で、彼女は何度も嘘をついた。
 しかし──〝最も大きな嘘〟はまだ暴かれていない。
 夜が明ける前に。
 最後の戦いが始まる前に。
 彼女の口から、真実を──。
 私は真っすぐに目を合わせ、二人だけの秘密事を囁くように尋ねた。

「──あなたは、本当に魔法少女ですか(・・・・・・・・・・)?」



【第一話】


 盛夏の空に月が居座っている。気持ちの良い青一色のなか、点と空いた穴がある。
 天へと吸い込まれる感覚に身を任せ、私は目を閉じ両手を広げた。瞼の裏が激しい日差しで白んでいる。研ぎ澄まされた聴覚を蝉の絶叫が圧してくる。忍び寄る高揚を落ち着かせんと、コンクリートの焦げ付く匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
 命がどこかへ誘われている感覚……。
「──いたいた。おーい、五宮(いつみや)!」
 呼ばれて、足元を見た。屋上の扉に手をかけたまま、斎藤が怪訝な表情を浮かべて顔を真上に向けていた。
 私はペントハウスの端に立ったまま、足元の彼と目を合わせる。
「そんなとこで何してんだ? あぶねーぞ」
 上履きが半分ほど突き出していることに気が付いて、さっと足を引いた。
「教室戻ろうぜ」
「えぇ」
 屋上を後にして、踊り場に放置していたモップを掃除用具入れに片した。
 斎藤と談笑しながら教室へと戻る。校内にはまだ掃除中の生徒が多かった。我が高校では、終業式の後に必ず大清掃を行う。自分達の教室だけではなく、下駄箱や体育館、そして屋上へと続く階段なども、綺麗にしなくてはならない。
 もちろん、靴底が反射するくらいピッカピカに磨いた。
「五宮って思ったよりワルだよな」
「何ですかそれ」
 東側校舎の二階を歩きながら、斎藤はからかうように目を細める。
「〝いいんちょー〟があんなとこ昇っちゃダメだろ~」
「……そのあだ名は不服です」
 私はムスッと唇を上げて抗議した。
 〝いいんちょー〟とは、〝風紀委員長〟が略されてできた呼び名である。しかし私は風紀委員長でないし、そもそもこの高校にそんな委員会は存在しない。今日日、存在する高校の方が珍しいだろう。
 ならば何故そう呼ばれているのかというと、私の普段の振る舞いから連想されて、クラスに定着してしまったのだ。
 まったくもって、不服である。
「シャツも第一ボタンまでぴちっと留めてるし、いかにもって感じするけどなぁ」
「人を見た目で判断してはいけません」
「さっきも掃除ガチってたし……。あと、その喋り方もすげぇ風紀委員長っぽいぞ」
「いやっ、これは……」私はもごもごと口ごもる。「これは……仕方なくというか……。あえて、と言うか……」
「ふぅん? ワザとやってたのか」
 斎藤がニヤニヤと笑みを浮かべる。
「なんだか嬉しそうですね」
「嬉しいね。五宮のことが一つ分かったんだ。……二年でお前と同じクラスになれて、学校一の変人について何か分かるかと期待してた。特に収穫が無いまま、一学期が終わっちまうところだったぜ」
「私は変人じゃありません」
「どうだかね、〝いいんちょー〟さん」
 挑発めいた言葉に誘われて、私は足を止めてずいっと彼に迫った。
「いいですか! 私は何も、おかしな言動を取っているわけではないのです。全ては、いくつかのモットーに従った結果にすぎないのです」
 斎藤の目が期待に輝く。少し癪だが、教えてやってもいいだろう。
「まず一つ目は──」
 ──と言いかけて、私は静止した。
「……五宮?」
「なにか聞こえませんか」
「え?」
 斎藤が辺りを見回す。
 雑巾がけの足音や、既に掃除を終えて廊下で笑い合う声……。
 そんな喧噪のなか、私はじっと耳を澄ませた。
 すると、小さな悲鳴が聞こえた気がした。
 私は窓を開けて下を見た。ゴミ捨て場で、女子生徒が一人倒れていた。ふくらはぎを抑えて蹲っている。派手に転んだのか、近くに転がった袋は見事に破れてごみが散乱していた。
 ──あ。
 と思ったときにはもう、行動していた。
 窓枠を掴み、床を蹴って乗りかかる。
「五宮!?」
 斎藤の焦る声を背後に、私は──二階の窓から飛び降りた。
 壁際に積まれていたゴミ袋の山へ、突き刺さるように落下した。生臭い匂いに埋もれて、しばし全身の痛みを飲み込む時間が必要だった。
 がばっ、と片手を出す。「ひぃっ!」と女子生徒の悲鳴が聞こえる。私は墓から蘇るアンデッドのように、全身をがくがく震わせながらゴミ山より這い出した。
 そして、顔を引き攣らせながらこちらを見上げる女子生徒に、そっと右手を差し出した。

「…………お怪我はありませんか?」
「「どの口が!?」」

 前から頭上からツッコまれてしまった。
「──え? え? どゆこと? 君いま、窓から落ちてきたよね? というか飛び降りてきたよね!?」
「それはまぁ、いいじゃないですか」
「全然良くないんだけど!?」
 女子生徒は混乱しながら、二階の窓と私へ交互に目線を走らせている。
「困っているのが見えたので、駆け付けたのです」
「はぁ……? それは、どうも……?」
 彼女は心ここにあらずと言った顔で頷く。
「転んで足を捻りましたか?」
「いや……さっき階段でね……。ほら、昨日ちょっと雨降ってたじゃない? それで濡れてたから、滑っちゃって……。角のところに思い切りぶつけちゃった」
「歩くの、難しいですか?」
「あー……」ぬかるんだ地面に腰を付けたまま、彼女はふくらはぎを庇っている。上履きの色が同じなので同学年だと分かった。「ちょっとキツイかも。ここまでは歩いてこれたんだけど、急にズキッときて」
 恐らく肉離れだ。
 すぐに保健室へ行くべきだが、下手に動けば症状を悪化させる危険性がある。
 なら、私がすべきことは──。
「すみません、触れて大丈夫ですか?」
「え? あ、はい……」
 その場に跪いて膝を汚しながら、彼女の肩と膝裏へ腕を差し込んだ。
「わっ!? ちょっ、ちょっと──」
 ひょい、とその身を持ち上げる。
「このまま運びます。痛かったらすぐに言ってください」
「……」彼女は目を真ん丸にして私を見上げた。そして羞恥から少しだけ頬を緩ませ、顔を両手で隠した。「……お願い。助かる」
「少しだけ我慢して下さいね」
 そしてお姫様抱っこのまま、彼女を保健室まで運んだ。
 生徒教師問わずとても目を引いたが、そんなことは些細な問題である。私は堂々と廊下の真ん中を早歩き、一直線に保健室へ向かった。
 そして到着すると、養護教諭は「まぁまぁまぁまぁ」と仰天しながら、しかし手際よく車椅子を展開させた。
 彼女をそっと座らせる。これで、私の役目は終わった。
「……ありがとう」彼女ははにかみながらお礼を言った。「ていうか、君は大丈夫なの? あんなことしてさ。本当に怪我してない?」
「えぇ、平気です。ピンピンです」
「あ、そう……。ピンピン……」
 彼女は人外でも見るような目つきで頷いた。失礼である。
「君、どうやらヤバいやつだね。誰にでもこんなことするの?」
「モットーがあるからです。ある人からの教えで」
「へぇ、カッコいいな。どんなモットー?」
「──〝隣人を助けること〟、です」

 一、隣人を助けること。
 二、ゴミを拾うこと。
 三、勉強をすること。

 ──以上が私のモットーだ。高校生になってからずっと、これに基づいた生活を心掛けている。
 一はいま実践したので、次は二だ。私はゴミ捨て場に戻り、散らばったままのゴミを元に戻した。
 私が落下したことで更に散らかしてしまう可能性もあったな、と少し反省する。
 そして教室へと戻る途中で、いつもの場所もチェックする。一階の下駄箱付近にある自動販売機だ。傍らに置かれたオレンジ色のリサイクルボックスには、アイスコーヒーの残った透明な容器がよく置きっぱなしになっている。
これを置いて行った輩は、一体どういう神経をしているのか。自らの嗜好した始末を、見知らぬ他人へ押し付けて知らんぷりできるなんて! 小一時間は説教してやりたい気分である。
「まったく……けしからん!」
 思わずそう呟くと、ちょうど自動販売機で水を買っていた男子生徒がぎょっと振り返った。
 ので、話しかけてみる。
「あなたもそう思いませんか?」
「……いや、なにが?」
 当然の疑問である。
「こんなところに、缶やペットボトル以外のゴミを捨てていくなんて。大変けしからん行為ですよね」
「あー、まぁ確かにね」彼は取り出し口から水を拾い上げる。「でも、いちいちカリカリしててもしょうがないよ。清掃の人とかが片してくれるし、ほっとけば」
「……そうかもしれませんね」
 彼の背中を見送った後、私は容器を拾い上げ、普段から持ち歩いているビニール袋へと入れた。後で然るべきところへ捨てるのだ。
 ──ほっとけば。
 確かに、私がやる必要はない。それは全くその通り。
 なら、どうして自分はゴミを拾うのだろう。
 ……恥ずかしい話、自分は主人公でありたいのだ。子供の頃に見た特撮やアニメのヒーローのように、劇的に生きたいのだ。
 でも世界を救いたいわけではない。中三くらいまではそんなヒーロー像を本気で目指していたが、待てよどうにも嘘くさいと、いつしかすっかり絶望していた。これは私の問題というより、時代の問題なのかもしれない。
 現代のヒーローは、世界を救う人間ではない。
 現代のヒーローは、周囲を〝善く〟していく人間だ。
 何者でもない私が主人公に近づくためにはそれしかない。
 だから怪我人を運ぶ。ゴミを拾う。勉強を頑張る。
 そして、挨拶も積極的に交わす。
「あ、いいんちょーだ」
「いいんちょー、おつー」
「お疲れ様です。小湊さん、新田さん」
 扉を塞ぐようにたむろしていた制服を着崩す女子二人の間をすり抜ける。
「おい、これ食え」
「ありがとうございます」
 何故か通り抜けにじゃがりこを貰った。
 ぽりぽりと咀嚼しながら二年H組の教室を歩く。すれ違うクラスメイト達と数言ずつ交わしながら自席へと向かう。毎日必ず「おはよう!」と挨拶をしていたら、自然と全員に親交ができていたのだ。
 机の上に座るやんちゃそうな男子生徒が、私の姿を見るなり「おっ」と反応した。
「いいんちょーさぁ、窓から飛び降りたってマジ?」
「長谷部くん、誰から聞いたんですか」
「いや普通に斎藤から」
 教室の後方へじろっと目をやると、斎藤が肩をすくめて机の陰に隠れた。
「ねぇねぇねぇ、いいんちょー!」女子生徒が駆け寄ってきた。ブラウンに染めた髪がふらふらと揺れている(校則違反であり、誠に遺憾)。「なんかさっき、お姫様抱っこしてなかった!? 私すれ違ったんだけど!」
「怪我をした人がいたので保健室まで運んだだけです」
「えぇー!? やるなぁ!」彼女は愉快そうに笑ってバシバシと腕を叩いてきた。「王子様じゃん、王子様。……あ! あだ名を〝いいんちょー〟から〝おうじ〟に変えてあげよっか?」
「やめて下さい、吉野さん。そもそもつけないでもらえると助かります」
「はい、じゃあこれご褒美ね。よく頑張りましたっ」
 個包装のチョコを一つ渡してから、彼女はたーっと去っていった。
 またお菓子を貰った。
 すぐに口へと放り込みながら、ようやく斎藤達と合流する。教室最後方の、窓側から数えて二つ目の列。そこが私の席であり、斎藤と小泉のたむろする場所だった。
「よう、おうじサマ。姫は無事に届けられたか?」
 軽口を叩く斎藤をジロリと睨みながら、私は椅子に座った。
「どっちかっていうと俺は、お前が無事かどうか心配だけどな」
「あれくらいの高さなら平気です」
「え、本当に飛び降りたの?」小泉がドン引きした声を出す。「斎藤の誇張じゃなくて? うわぁー……」
「あぁ、マジだぜ。目の前で自殺したのかと思ったわ」
「格好いいかもだけど、よくないよー……」
「〝隣人を助ける〟ため、ですから」
 それは中断された会話の続きであったが、斎藤は気がついていないようだった。
「あ、そうだ」小泉がスマホの画面を見せてきた。「五宮も見た? これ」
 目線をやると、そこにはショート動画が再生されていた。いかにも一般人が撮った感じの手ブレ加減で、ビル街の隙間から空を映している。

 そこには──ピンク色の衣装を纏った少女が、ふわふわと浮いていた。
 スカートをはためかせ、長いツインテールを揺らし、右手にはチャーミングな魔法のステッキ。
 その姿は、まさしく、

「……──魔法少女アルモア!?」

私は驚愕から大声を上げ、小泉のスマホを引ったくった。
 画面を食い入るように見つめる。一秒も見逃すまいと目を見開き、充血するような勢いで凝視する。
「こっ、これっ……、これ、いつのです!? まさか、活動を再開したのですか!?」
「いや、残念ながら発掘されたやつだよ」
 騒ぎ出した私を前に、小泉は周囲の視線を気にしながら身を縮ませる。
 斎藤は声を押し殺して笑っていた。
「そ、そうですか……。いや、しかし、新規映像に変わりはありません。あぁ、嬉しい……! これ、今すぐリンクを送って下さい」
「うん……。送るから、スマホを返して欲しいな……」
「多分これは……去年あった〈巨大時計〉との戦いですね……」
「分かるの? 敵の姿映ってないのに」
「多分、この場所は中目黒です。それで、ガラスに一瞬映った撮影者の服装的に、季節は春。中目黒での戦闘は過去三回しか無く、そのなかで春に行われたものは〈巨大時計〉だけですから」
「さすが。熱烈だねぇ」
 小泉は「まいった」とでも言うように、両手を上げて首を振った。

 ──そう。
 私はアルモアのオタクである。

 アルモアとは──現実に存在する魔法少女だ。私たちと同じ世界に済み、私たちの頭上を飛び交って戦っている。そんな生きたヒーローに多くの人々が熱狂し、彼女が戦う様子はSNS上で飛び抜けたPV数を稼いでいる。もし生で見られたなら、一生の自慢話になるだろう。
 しかしその正体も、《デペイズマン》と呼ばれる敵の目的も、全ては謎に包まれている。様々な憶測や考察が浮かび上がっては消えていった。
彼女がいつから魔法少女として戦いに身を投じているのかも分からない。インターネット上で確認される最古の目撃情報は二◯◯◯年まで遡る。そこでは画質の悪い写真が見られる。どうやら一九九九年の夏に撮られたものらしい。
すると変身前の彼女は、今年で少なくとも三十を越しているんじゃないか……?
そんな推察は、なんと本人の口で直接否定された。
「私は現在十四才です」
 と語ったのは、突如始まったライブ配信でのことだった。二◯二三年の末である。
 アルモアはユーチューブチャンネルを作り、変身状態で正体を明かさぬまま、定期的に配信をし始めたのだ。
 同い年じゃないか、と驚いたのをよく覚えている。だが魔法少女がそのくらいの年齢であるというのは、考えてみれば当然だった。
 始めは大騒ぎになって、テレビでも連日取り沙汰された。だが彼女の配信は、一本目の記録的な視聴数から徐々に減っていき、そのうち中堅配信者程度に収まっていった。
 理由は簡単だ。敵の正体や目的、あるいは魔法の仕組みや自分の正体について──何を訊かれても答えなかったのだ。人々が期待した答え合わせは行われず、ファン以外は鼻白んで見なくなってしまった、というわけだ。
 そしてアルモアは自身の動画を収益化して、グッズの販売などを行い始めた。この行為も、なにか重要なことを発信するためにチャンネルを作ったのではと予想した人々を少なからず落胆させた。
 去年の冬あたりから、戦闘がぱったりと起きなくなった。配信の頻度も極端に落ちた。彼女曰く敵の襲来が無くなったとのことだが、やはりその理由は明かしてくれなかった。
 そういった経緯もあり、現在アルモアの人気は下火である。しかし人々がその姿を忘れていないのは確かで、こうして目撃動画が発掘されれば話題になるし、SNSではファンアートも頻繁に描かれている。私のように熱烈なオタクなら、新しいグッズが出ればせっせと買い集め、初期のレアグッズを高値で取引していた。
 フィクションだった「魔法少女」が、ある日現実となって空を飛んでいた。
 可愛く、勇ましく、魅力的な姿を見上げたときの感動は、誰だって容易く忘れられるものではない。
 ──動画を十回ほど見直した私は、ようやく小泉にスマホを返した。
 そして机に突っ伏した。
「あはは、やっと満足した?」
「──しくしくしくしく」
「うそ、泣いてるの!?」
 小泉がわたわたと慌てだした。
 斎藤は隣で爆笑しており、大変失礼である。
「あー、ごめんごめんごめん! 教室で見せるべきじゃなかったかも!」
「しくしくしく……。いや……大丈夫です。ありがとう、小泉くん……」
 私は鼻を啜りながら顔を上げ、小泉に硬く握手した。涙でべしょべしょになっていたので、彼は思い切り嫌な顔をした。
「アルモアの元気な姿を久々に見られて嬉しかったです」
「う、うん。そうだね。配信でも最近ずっと元気無いし……。……手、離してくれるかなー」
 小泉の手を解放すると、彼はズボンでばたばたと拭った。
「……あぁ。アルモアは、今頃どうしているのでしょうね……」
 私がそう物憂げに呟いたとき、

「──どいて」

 冷たい声が響いて、教室はしんと静まり返った。
 先ほど私にじゃがりこをくれたあの二人組を、肩でどかすようにして、一人の女子生徒が入って来る。
 エナメルバッグを手に、今更の登校であった。終業式と大清掃という面倒な二コマをサボったのに悪びれた様子も無く、時間が止まったような澄まし顔で歩いている。
 そんな態度と物言いから、一瞬にしてクラス中の顰蹙を買っていた。針のむしろであるはずの彼女は、何も気にせず乱暴な足取りで近寄ってくる。
 そして最後方の窓側──すなわち私の隣席に座った。
「──おはようございます、十坂(とおさか)さん」
 彼女の名前は十坂泉凛(とおさかいずりん)。百八十近い高身長に、重めのマッシュウルフが似合う女性であった。長く伸ばした襟足が、針鼠のように刺々しくハネている。
 私の挨拶に、彼女は黒目だけを寄越した。鼻筋のよく通った美しい横顔が、夏の逆光で陰っている。その眼は狼のように、ぎらぎらと野性的な輝きを持っていた。
 涙でべしょべしょになっている私の顔を見て、少なからずぎょっとしたのか眉を動かした。だがすぐに不機嫌そうな表情へ戻ると、無言のままスマホを弄り出す。
「……うーむ。また駄目でしたか」
「毎度よくやるなぁ、お前は」斎藤が感心したように頷く。「これで、まるまる一学期ぶん無視され続けたわけだ。おつかれさんっ」
 私はクラスメイト全員に挨拶することを心掛けている。どんなに孤立した嫌われ者であろうと関係ない。
 十坂におはようと言い続けて今日で八十回目だった。一体いつになれば返事を返してもらえるのだろう……。
 私もスマホを取り出して、何となしにSNSを眺める。
 そこで、はたと思い出した。
「……そうだ、小泉くん。最近また、アルモアのいいファンアートを見つけましたよ。さっきの動画のお礼に、是非とも──」
「ちょっ、五宮! 声量! 声量、気を付けて……!」
 小泉がわたわたと慌てながら、しーっと人差し指を立てる。
 彼はしきりに、隣席の十坂を気にしていた。
「アルモアの話題は、もう止めとこ……。ほら、十坂さん来てるから……」
 そうだった、と私は口に手を当てる。
 ちらりと彼女の様子を伺うも、特に気にした感じはない。ほっと胸を撫で下ろした。
 ──かつて、今のように小泉とアルモアの話題で盛り上がったことがある。あの斎藤が一歩後ずさりするほどテンション高く、推しへの愛を語り合った。
 すると普段は微動だにしない十坂が──机を蹴り上げるような勢いで立ち上がり、足早に教室を出て行ってしまったのだ。感情の昂った強い足音が背後を通過していき、思わず背筋を伸ばしたものだ。
 珍しい出来事に、昼休み真っ最中のクラスがシーンと水を打ったようになった。その気まずさをよく覚えている。「やらかしたな、いいんちょー」長谷部にそう言われ、私は自分の失敗に気が付いた。どうやら十坂は、アルモアが嫌いらしい。
 彼女が教室へ戻ってきてからあれこれ謝ってみても、やはり完全に無視された。
「……そう、ですね。迂闊でした。ファンアートはまた、夜にでも」
「うん、お願い」ふぅ、と小泉が息を漏らす。「……にしても、五宮ってなんでそんなにメンタル強いの?」
「メンタル、ですか?」
 小泉は猛獣から隠れる小動物みたいに、ひそひそ声で話す。
「あんなに怒らせたり毎日無視されたりしてるのに、今も普通におはようって言えてる」
「クラスメイトですから」
「いやぁ、クラスメイトくらいが一番気まずいと思うけどな。それにさぁ、十坂さんって──」彼は一段と声を低くした。「すっごく美人じゃん。そんな人に無視されたら、普通立ち直れないよ」
「なんだお前、あぁいうのがタイプか」
 ここぞとばかりに斎藤が口を挟んできた。
「えっ!? いや、そういうことじゃなくて! すぐそういうこと言うの良くない!」
 ぎゃあぎゃあやり始めた二人を横目に、私は今の言葉を反芻した。
 メンタルが強い……。
 そんなことは無いと思う。自分は結構落ち込んだり悩んだりするタイプだ。
 でも挨拶やゴミ拾いなどは、理不尽な目に合ってもそこまで何も思わない。ポイ捨てにはちゃんと憤慨するが、だからって心がくじけることは無い。毎回、ただ憤慨するのだ。
 ──どこか他人事のように思っているからだろうか。
 モットーに従って行動する自分を、リモートで操作している別の誰かだと思っている。だから深く傷つくことはない。
 中身の無い人形が動いているような、希薄化した感覚……。
「というか夏休み遊ぶよな? 普通に何の予定も立ててないけど」
 斎藤の声で、ハッと思考から戻って来る。
「吹部のコンクール終わったら、多分空いてるよ」と小泉。
「私はずっとバイトをしています。休みの日を後で共有するので、どこかに行きましょうか」
「お、じゃあお盆くらいには金溜まってそうじゃん。そのくらいに遠出しようぜ」
「いいねー! どこ行く?」
「なんか、身体動かす系の遊びがいいな」
 と、彼等はスマホを出して旅行先を調べ始めた。
 私も続いて、いいアクティビティは無いかとスマホを弄り出す。
 ──そのとき。
 視界の片側が、どろり、と何かに塞がれた。
「あれ……?」
 左目に何かが垂れてきた。咄嗟に手をやると、べったり濡れた。
「お、おい。お前……!」
 異常事態に気が付いた二人が動揺する。震える手で、私の頭を指した。
「五宮、血! 血が出てる!」
 言われて、私は手のひらを確かめた。刷毛で乱暴に塗ったように赤く染まっていた。

「なーにがピンピンだ、コノヤロウ」
 先ほど運んだ例の女子生徒がまだ保健室にいた。車椅子で暇そうに頬杖をついている。担任が病院まで車を出してくれることになり、それを待っているのだそう。
「やっぱ怪我してんじゃねーか。おい、おい」
「…………面目ないです…………」
 横から脇をつつかれ、からかわれる。
 私は赤面しながら俯いた。あれだけ格好つけて保健室を出ていったのに、血みどろで戻ってきてしまうとは。
 恥ずかしい……!
「──はい、これでよし」看護教諭が私の頭に包帯を巻いてくれた。「いい? しばらくは安静よ。クラスに戻ってもいいけど、運動とかはしちゃ駄目」
「分かりました」
「……ねぇ。この子から聞いたんだけど、あなた窓から飛び降りたんだって?」
「えぇ。助けるためでした」
「その気持ちは立派だけど、危ないからそんなことをしては駄目よ。もっと自分を大切にしなさい」
「……」
「聞いてる?」
「はい、聞いてます。大変申し訳ないです」
「なんかピンと来てないって顔ね」
 図星を突かれて、目を逸らした。看護教諭の説教を、どうしてか正面から受け止められない。
 自分を大切にする……。
 こんな自分を?
 気まずい沈黙が保健室に流れる。アルコールの匂いが鼻の奥まで達していた。じっと動きを止めていると、額の痛みがひりひりと目立った。
「──ま、でもさ! 私は感謝してるよ!」
 車椅子の彼女が空気を変えてくれた。スカートのポケットからべっこう飴を取り出して、私の膝に置く。それは本日三度目の施しであった。
「ありがとね」

 保健室から教室へと戻る途中、踊り場で十坂に鉢合わせた。難しい顔で誰かと対峙しており、私には気が付いていない。
「……付き合って欲しい」
 その声は長谷部だった。どうやら告白の現場に来てしまったようだ。私は咄嗟に隠れると、彼等の声に聞き耳を立てて──。
 ──否、失礼である。そんなことをしては駄目だ。
 別の道で戻ろう。くるりと踵を返して、違う階段を目指し始める。
 足早に遠ざかるも、しかしいくつかの声は耳に届いてきてしまった。
「一回も喋ったこと無いのに?」
 十坂の声だ。女子にしては低めで、されどよく通る綺麗な声をしている。
「あぁ。でも十坂のことタイプで、ずっと格好いいなって思ってたんだ。いつも遅刻してくんのも心配でさ……。何か力になれたらって、思うし」
「悪いけど、誰かと付き合うつもりは無いの」
「そ、そっか……。なら、友達からってことでもいいか?」
「誰かと友達になるつもりも、無いの」
 取り付く島もない拒絶であった。十坂の性格的に、告白の呼び出しに応じてくれただけ優しいと言えるのかもしれない。
 私は廊下を歩きながら、長谷部のために手を合わせる。夏休み前にあの美人とお近づきになりたい気持ち、分からないでもない。よく頑張った、尊敬である。
 かくして、夏休みの前日はそこそこ劇的な一日となった。
 屋上のペントハウスに昇ってみたり、見知らぬ女子生徒を助けたり。
 頭から血を出したり、ほろ苦い青春の一ページを目撃したり。
 モットーも果たすことができたし、なかなか良いスタートを切れたとしよう。願わくは、十坂が挨拶を返してくれるかもと期待していたのだが。
 私はコンビニに寄って、青い棒アイスとみたらし団子を買った。
 がりがりと齧って口のなかを冷やしながら、灼熱の道路の上を歩く。買い食いは校則違反ではないので、これは正当な行為である。
 ……明日からいよいよ高二の夏休みが始まるなんて、あまり実感が湧かない。昔からアニメや漫画によく触れる方なので、その貴重性は十分に承知しているつもりだ。しかしいざ目の前にしたら、斎藤達やクラスメイト数人と会う約束が数件あるばかりで、後はバイト三昧だった。
 これでは、あまり〝主人公〟とは言えない……。
 アルモアの配信でも見て誤魔化したいところだが、ここ一ケ月全く更新が無い。過去配信も暗記するほど見返してしまった。
 汗で痒みを感じて、包帯の上から傷口をそっと掻く。
 私も、長谷部を見習ってなにか積極的になるべきなのだろうか……?
「ただいま」
 シャツを肌から引き剥がしながら玄関に上がる。すぐにでも脱いで、制汗シートで拭いてしまいたい。
 と、母親のスニーカーに目が留まった。朝に私が揃えたままぴったりと置かれていた。
つまり、外出していない。
 ということは、この後買い出しに行く必要がありそうだ。
 私はそう考えてシャツを脱がないことにした。
 自室に通学リュックを置いて、台所で水を一杯飲む。そして、仏壇の前に座った。
「……ただいま」
 正面に飾られた写真へ挨拶する。そこには私の可愛い妹がいる。彼女は二年前に事故で亡くなり、笑顔のまま時が止まってしまった。
 みたらし団子をビニール袋から出して、写真の前に供えた。手を合わせ、今日あったことをいくつか話す。こうして彼女へ話しかける度、私の心にはある光景と共に罪悪感が沸いた。
 葬式での出棺時。最後のお別れが迫り、母親は棺に縋って声を上げ、父親はじっと俯いたまま動けずに涙を流していた。
 しかし私は──とうとう泣くことができなかった。
 自己嫌悪に眉をひそめながら回想より戻って、仏壇のすぐ横に置かれた腰丈くらいの本棚へ目線を移した。白いハードカバーの背表紙がずらりと並んでいる。二百ページくらいの薄さで、すべて同じ作品である。
 著者名は──『五宮夏香(いつみやなつか)』。可愛い妹の名前である。
 若き才能として注目を集めた彼女は、しかし二作目を書き終えることなく旅立ってしまった。
 足元に黒猫がすり寄ってきた。名をマツと言う。抱き上げて膝の上に乗せると、そのまま丸まって落ち着いた。
 マツは九年前に妹が引き取ってきた猫だった。当時私はまだ小三で、妹に至っては小一だ。指に噛みつかれては血を流して叫んだのを覚えている。
 もう猫にしては結構年寄りで、走り回ることはしなくなった。昔は夏香によく追いかけられ、また追いかけていたものなのだが。
 寂しい気持ちになりながら、彼の素晴らしい毛並みを優しく撫でる。暖かい記憶を思い出すように。
「……亨生(こうき)ー……」
 と、私を呼ぶ声がした。猫に「ごめん」と断ってから、立ち上がって寝室の前まで向かう。にゃうっ、と足元から抗議の声がした。
「亨生ー、帰ったのー?」
「さっきね」
 扉の向こうから、母親の寝起きのような声が聞こえる。
「ごめんー、母さんちょっと今日は動けない日かも」
「分かった。薬はもう飲んだ?」
「飲んだー」
「食べたいものある?」
「なんか、麺が食べたい」
「分かった。買って来る」
「ありがとねー」
 私は家用の財布を掴むと、近所のスーパーを目指して再び炎天下へと繰り出した。
 妹が亡くなって、母親は精神に不調をきたした。今では大分元気を取り戻してきたが、一度壊れた心はもう元には戻らない。たまにこうして動けない日がある。
 さて、メニューが問題だ。夏だし、具合悪そうだし、食べやすい素麺にしようか。だが栄養が心配だ。冷しゃぶサラダなんかを作ってもいいかもしれない……。

 夜の十一時、斎藤から「今話せっか?」とメッセージが飛んできた。自室でアルモアグッズの整理を行っていた私は、そのまま床の上で通話を開始する。

 それは今日一日の答え合わせとなる通話だった。

「悪ぃな。どうしても確認したいことがあってだな」
「なんでしょう」
「今日さ、屋上の……あの上のとこに立ってたじゃん?」
「ペントハウスですね」
「もしかしてお前、死のうとしてた(・・・・・・・)?」
 心臓が掴まれたような心地がした。
 驚愕で、一瞬呼吸を忘れる。
「五宮?」
 動揺を悟られないよう、静かに息を吐いた。
「……どうして、そんなことを思うのですか? あそこから飛び降りたって、屋上から落ちるわけじゃありません」
「あぁ、そうだな。せいぜい怪我をする程度、悪くて骨折だ。でもな──そうなってもいい、と思ってたんじゃないのか? だからその後、二階から迷わず飛び降りることができた」
「あれは怪我する目的でやったわけでは無いです」
 自然と早口になっていた。私はどうやら、弁明しようとしている。
 斎藤がこの先で何を言いたいのか分かるからだ。
「あぁ、助けるためだよな。分かってる、立派だよ。でも助けるのに──大怪我をしたって構わない。というよりやっぱ、死んだって構わない──って思ってるんじゃないのか?」
「それは……」
 言い訳を思いつく前に口を開いてしまい、私は固まってしまう。
 この間こそが答えだった。
「…………そう、と捉えられる可能性が無いことも無いかもしれませんね」
「いや、まどろっこし! 往生際悪いぞ!」
 通話越しにいつものツッコミを受けて、幾ばくか緊張が解けた。いつの間にか盛り上がっていた肩から、ふぅ、と力が抜ける。
 認めてしまえばもう楽であった。
代わりに、顔を出すのは恥である。
「あの、斎藤くん。このこと、小泉とか、他のクラスメイトには……」
「言わねーよ」呆れたような声が返ってくる。「そんなに口の軽い男じゃねぇ」
「いやいやいや。私が女子生徒助けたこと、秒で話してましたよね」
「それはそれだ」
 都合のいい男である。
「お前が死にたがりってこと、当然黙っててやるさ。でも約束しろ。二度と、俺の前で、あんなことするなよ。傍にいた俺の気持ちも考えてくれ」
 斎藤の声色には怒気が混ざっており、私は思わず背筋を正した。誰に見られているわけでもないのに、その場で深々と頭を下げる。
「……ごめんなさい」
 本当に申し訳ないことをした。
「理由はあんのか? あ、訊かれたくなかったら答えなくていいからな」
「……」
 私は少し迷ってから、彼への謝罪の気持ちも込めて話すことにした。
「……五宮夏香、って分かりますか」
「え? いや、知らない」
「中三の頃、天才小説家として話題になってた──」
「あぁ! 待て、やっぱり知ってる。あの髪長い人だよな?」
「そうです。彼女は中学生ながら雑誌の新人賞を取って、それが芥川賞候補までいきました」
「……まさか、五宮ってことは」
「はい、私の双子の妹です。二年前に事故死したので、もういませんが」
「……それは、ご愁傷さまです」
 斎藤は沈痛なトーンで言った。あまりに丁寧な口調だったので、私は思わず会釈をした。
 記憶の扉を開き、光景を拾い上げていく。
「その事故のとき──私は妹のすぐ傍にいたんです。
 あれは秋のことでした。妹には、新人賞の賞金を使って定期的に本を買い込む習慣がありました。私は筋肉くらいしか取り柄が無いので、よく荷物運びとして同伴していました。
 いつも通りの帰り道。ある高層ビルの下を歩いていたとき──突如、妹の頭になにかが直撃したのです。それはメジャーでした。建設中だったのか、清掃中だったのか、その辺りはよく覚えていません。とにかく、遥か上空で手を離れたメジャーが、風に煽られ、重力で加速し、偶然にも妹の頭へ当たってしまいました。
 妹は搬送先の病院に運ばれましたが、脳挫傷がひどく、間もなく死亡してしまいました。
 ……彼女の死亡を伝えられたとき、私は悲しむよりも驚くよりもまず──ズレた(・・・)、と思いました」
「ズレた?」
 静かに聞いていた斎藤が、思わず口を挟んできた。
「はい。本当なら、メジャーは私の頭に落ちてくるはずだった。それが、何かの間違いでズレた──と」
「……そんなこと言うな」
 斎藤は悲痛な声で呟いた。
 私は返す言葉がなく、反応せずに語り続ける。
「妹には才能がありました。それを活かす能力も、万人を惹きつけるセンスも、十四才にして持ち合わせていた。多くの人々を感動させて、沢山のお金を稼ぐことができた。将来に期待されていた」
 改めて述べると、口惜しさが胸に詰まった。彼女の笑顔がパッと脳裏に瞬く。
私は大きく溜息をついた。
「……でも、兄の私には何もない。だから死ぬべきは私だった」
 だから葬式で泣くことが出来なかった。
 だからあの日から──命がどこかへ誘われている。ズレる前の、どこかへ。
 空に落ちていく共通の感覚。
 それに引っ張られて、躊躇いもなく窓から飛び出してしまえる。
「……」
 斎藤はしばらく黙っていた。時折なにかを言いかけるような呼吸が聞こえては、すぐさま口を閉じている。
 普段の様子からは分からなかったが、とても気を使う人なのだろう。私のなかで彼の好感度が上がった。
「……否定すべき、なんだろうけど」
 斎藤は自嘲気味に小さく笑った。
「分かるな、お前の気持ち」
「嬉しいです」
「いや、肯定してるわけじゃない。ただ分かるってだけだ。……ネットとか見てるとさ、なんかめっちゃ上手い絵を描く人とか、凄い曲作れる人とか、そういう才能とか個性が毎日無限に流れてくるよな。しかも、プロフィール飛んだらまだ同じ高校生だったりする」
「分かります」
「そういうとき、すげーって気持ちと同時にいつも思うんだよ。いいなぁ、って。自分には何もねぇなぁ、って」
 SNSが生活の一部となった現代では、他人の才能や成功に自然と触れてしまう。
それに憧れて、やる気を誘発する──と同時に。決定的な差のようなものを、きっと何者にもなれない私たちに告げるのだ。
 私は床に広げたアルモアのグッズから、一つ手に取った。このなかで最も貴重かつ高価な代物である、直筆メッセージ入りのブロマイド。厳重に保管するのがベストなのだろうが、愛しすぎていつも持ち歩いてしまっている。
 ブロマイドには、『いつもありがとう! 大好き ちゅっちゅっ』とあざとい台詞が書かれている。誠に沈魚落雁である。
 オークションで落としたものであり、私自身がアルモアから直接買ったものではない。つまりこのメッセージは、私宛てではなく、どこかの誰かに向けたものだ。それでも喉から手が出るほど欲しくて、万札を積んだ。
 こういったものを拾い集めていくのが、何者でもない私たちの生態なのかもしれない……。
 楽しいから構わないのだけど。
「──というか、お前は何者でもなくないだろ。〝モットー〟があって〝いいんちょー〟じゃないか」
「モットーも、この振る舞いも、高校生になってから付け足したものに過ぎません。中身が空っぽだからこそ、こんなことをして取り繕っているのです」
「でも、お前は確かにあの人を助けた」
「私じゃなくても、助けることはできました」
「……」
 隣人を助ける。ゴミを拾う。勉強をする。
 そうすれば〝主人公〟に近づけるかもしれない。
でも、それは別の誰かでもいい。
例えばアルモアは──魔法少女だからこそ、敵を倒すことができる。
 例えば夏香は──才能人だからこそ、あんな本を書くことができる。
 しかし私は──何者でもない。誰かの出来事を語り、誰かの言葉を宣う。私にしか出来ないことは無く、成さねばならない使命も無い。
 空っぽの感覚。
 ズレた、感覚。
 ──ここにいてもいい、と思えない感覚。
「まぁ、そっか」斎藤はなにか言いたげにしながらも、それを飲み込んで頷いてくれた。「話してくれてありがとな」
「いえ。私こそ、誰かに話せてよかったです。自分の気持ちを、今一度整理できました」
「とにかくさ。どんな悩みがあろうと、お前はまだ死んじゃ駄目だからな」
「どうしてですか」
「は? 俺等と遊びに行くからだろ。──じゃ」
 ぶつん、と通話が切れた。

 八月十日。お盆の三日前のことだった。
 私は勉強と家事とバイトをオートメーションに繰り返す日々を送りながら、斎藤達との旅行が段々と近づくのに胸を高鳴らせていた。
 貯金は十分。たとえあの二人が財布を忘れたとしても問題無いくらいの金額が溜まっている。
 今日は何も予定の無い日だったので、溜まっていた夏アニメを見ながら筋トレでもしようかと考えていた。殺人的な暑さの続く夏、外に出るのは御免である。
 ──と。
 スマホに着信があった。発信者の名前は横山。クラスメイトの男子だが、そこまで話したことはない。
「もしもし」
「あ、いいんちょー? 今大丈夫?」
「はい」
 彼の声の背後から、ずんずんと重低音が聞こえる。うるさい場所にいるようだ。
「俺、今日このあと補習があってさ。その替え玉をしてくんねぇかな」
「無理です」
 即座に断った。不正などしては〝善く〟ならない。
「まぁまぁまぁまぁ、待て待て待て待て」
 横山がなだめるような声を出す。
「補習っても、大教室に集められてプリントを解くだけだから楽勝よ。学年全体で同時にやるし、多分担任もいない。俺の名前だけ書いて出しといてくれない?」
 まるで私が行くことが既に決定しているかのような言い方だ。
 そんな態度に不快感を覚えて、突き放すような相槌を打つ。
「……楽勝なら、自分で行けば良いのでは?」
「分かるぞ。ズルを許さないのが〝いいんちょー〟だよな。よーく分かる。でも事情があるんだ」
「事情?」
「ここだけの話な? さっき、妹が病院に運ばれたらしいんだ。その様子を見に行きたい」
 妹。病院。
 そのワードが耳から入った途端、まるでパスワードが打ち込まれたかのように心が真剣さを帯びた。
 私は態度を改めて、今度は受け止めるようにゆっくりと言う。
「……そうなんですか。それは心配です」
「でも補習は落とせない。だから替え玉を頼みたいんだ……」
 横山のどこか演技かかった口調も、妹が心配で動転してのことなのだろうか。
「学校に事情を連絡しては?」
「いや、詮索なんてされたくない。分かってくれるか」
 非常によく分かる。夏香の死亡事故のとき、見知らぬ色々な人からあれこれ訊かれてとても苦痛だったことが思い出される。今の高校でも、たまに事情を知る人がいて好奇心を向けてくる。
 私は己を恥じて唇を噛んだ。
 即座に「無理です」などと言ってしまい、横山を傷つけたかもしれない。こんなに大切な事情があって、縋るように私へ助けを求めてくれたと言うのに。
 なんとも恥ずかしい限り……!
「そういう事情なら、分かりました。引き受けましょう。多くも訊きません」
 初めからこう言えば良かったのだ。隣人を助けるのがモットーなのだから。
「おっ、マジでうまくいった」
「え?」
 聞き返すと、横山は咳払いをして誤魔化した。そしてやや大袈裟な調子で、「いやマジありがてぇ! 頼んだわ!」と言い直した。
 すると通話の向こうから、分厚い扉の開く音と共に「横山ー」と女性の声が聞こえた。
「……今のは? 横山くん、カラオケにいます?」
「あぁ。それで今連絡があって、これから向かうとこだ」
「そうですか。……妹を心配する気持ち、痛いほど分かります。僕に任せて下さい」
「お前ほど頭良くないから、ほどよく間違えといてなー」
 と、怒涛の通話が終了した。
 補習の時間は確かもうすぐだ。制服に手早く着替えて、リュックを背負う。
 リビングに顔を出すと、父親がテレビで映画を見ていた。彼は教師をしているので多忙なのだが、お盆前とあって休みを取れたようだ。
「父さん、ちょっと学校行ってくる」
「暑いから気を付けろよ」
「うん」
 洗面台へ行き、鏡で自分の姿を検める。
 学校指定のシャツとズボン。ぴっちりと第一ボタンまで留めている。
 髪色は金髪。きちんと染まっているか、その根本へよくよく目を凝らす。
「大丈夫ですよね……。よし……」
 染髪は校則違反であるため誠に遺憾だが、私には金髪にしなくてはいけない事情がある。止む無しである。
 自分の鼻をぎゅっとつまみ、簡易的な罰を与えておく。これで許せ、校則よ。
「行ってきます」
 私は家を後にした。
 次に帰ってくるのが、まさか数日後になろうとは思いもよらずに。

 不正に手を染めてしまった罪悪感と、似た境遇のクラスメイトを助けられた自己称賛。
 陰陽二つの感情が、補修を終えても尚私の心を板挟みにしていた。
「ぐぎぎ……」
 頭を抱えながら西側校舎一階の廊下を歩く。果たしてこれで良かったのか。いや、これしかあるまい……。
 ふと歩みとめて、胸ポケットからブロマイドを取り出す。こういうときのために普段から持ち歩いているのだ。
「……ふひひ」
 途端に頬が緩む。写真のなかでポーズを取るアルモアは、今日も小さくて可憐である。『いつもありがとう! 大好き ちゅっちゅっ』なんてあざとい台詞も似合っている。このまま写真ごと食べられそうなほど愛しい──。
「──ハッ!」と我に返り周囲を見回した。幸い、人は誰もいなかった。
 苦悶の表情で歩いていたかと思えば、写真を取り出して満面の笑みを浮かべる。挙句の果てにはその写真を食べようとするなんて奇行、さすがに見られたくない。
 顔の筋肉に力を入れた。自重せよ。続きは家でやればよい。
 歩き出す。ふと廊下の窓から見上げた白昼の空はよく晴れており、入道雲がもくもくと立ち昇っていた。蝉の声もけたたましい。校内からは演劇部の発声練習や陸上部の掛け声、あとはフクロウの鳴き声などが聞こえている。
 半袖で露出した腕を、夜風がひんやりと撫でていく。私はぶるっと身体を震わせた。そして廊下が真っ暗であることに気が付いた。電気を点けなければ。確か、階段下にあったはず。
 ……真っ暗?
 何故──廊下が夜のように暗い?
 私は異常に気が付いて足を止めた。
 窓の外には輝かしい真夏の光景が広がっているのに、眼前には深夜の如き闇が続いている。入り込むはずの日差しは窓で潰えて、まるで絵画が並んでいるかのような印象を受ける。
 ごくり、と生唾を飲み込む。空気の涼しさも相まって、私は緊張で身体を強張らせた。
 ──ボウ。
 と、明かりが灯った。
 視界の先、廊下の真ん中でゆらゆらと火が灯っている。高さは二メートルほどで天井に近く、下には細長いシルエットがぼんやり浮かび上がっていた。
 目を凝らすと、火は逆四角錐のランタンで守られていた。
 ガス灯だ。
 光に誘われてか、私は一歩、近づいた。
 そして気が付いた。それはガス灯ではなく──ランタンを頭にした長身痩躯の男であると。
 スーツを纏った異形頭。その特徴はまさしく、魔法少女アルモアの敵──、
「……デペイズマン!?」
 私の叫びに反応して、ランタン男は長い腕をぬっと伸ばしてきた。慌てて飛び退くと、私が居た場所へその手が叩きつけられる。
 地鳴りのような振動と共に、床が凹んだ。私のつま先まで亀裂が及ぶ。
 命の危機。
 ぶわっ、と冷や汗が湧き出る。
 なぜ。どうして。一体、なにが。
 そんな疑問なぞ後にして、私は身を翻し、脱兎の如く廊下を駆けだした。本能の成せる技である。
 背後に目をやれば、ランタン男がこちらへ手を伸ばしながら歩いてきていた。緩慢に見える動きだったが、一歩ずつが大股なので私の駆け足とスピードは変わらない。
「はぁ、はぁ、はぁ、……」
 心臓が口から飛び出そうだ。背中に強いプレッシャーを感じて、ぞわぞわと毛が逆立っている。
 これが、死の気配というやつなのだろうか。
 ──お前、もしかして死のうとしてた?
 斎藤の声がフラッシュバックする。
 死んでもいいと思っているくせに……。
いざ襲われたら、必死になって逃げるのか。私は!
 自己矛盾がつくづく嫌になる。
 しかも私は今、こんな状況だというのに──、
「ふ、ふふ……っ、ふふふふ……っ!」
 どうしようもないほど──、
「……ははははは!」
 笑いが込み上げてきて仕方ない──のだった。
 恐怖で心臓を縮ませると同時に、期待感で胸を膨らませている。
 デペイズマンが現われたということは、これからアルモアも現れるということ。彼女が敵を放っておいたことなど一度も無い。
 つまり……彼女に会える! 
 僥倖である!
「あ、アルモアさん! アルモアさーん! どこにいるのですかー! ここですっ、敵はここにいます──うわっ!?」
 角を曲がるとき、足をもつれさせてしまった。すぐに体勢を戻したが、ランタン男との距離が縮まってしまった。
 このまま逃げ続けていても仕方ない。
 アルモアが来てくれるまで、自分ができることをしなければ。
 戦いやすい場所へ敵(デペイズマン)を連れていこう。
 グラウンドへ出るのはどうか。いや、陸上部の人達を巻き込んでしまうかも。同じ理由で、二階へ上がるのも止めた方がいい。補習を受ける生徒や教師などがいる。
 今、人がいなくて、広い場所は──。
「そうだっ、体育館……! 確か今日は、どの部活もいなかったはず……!」
 思い付き、私は南口のドアから外へ飛び出した。人がいないことを願いながら、校舎の裏手を駆けていく。
 チラと振り返る。扉が狭かったせいか、ランタン男は出てくるのに手間取っていた。おかげで距離を離しながら、体育館へと駆け込むことができた。
 館内は無人で真っ暗だった。私の上履きの音がキュッキュッと響き渡っている。
 ランタン男はまだ来ない。なら思いついたことを試そうと、梯子を使ってギャラリーへと昇った。暗いなか目を凝らすと、壁沿いに使われなくなった平均台が置かれていた。
「よいしょ……っと!」
 平均台を持ち上げて、手すりの上に片側を乗せる。そのまま押して、ちょうど真ん中辺りでバランスを取れる状態にした。
 後はタイミングを待った。
 ずん、ずん、と重たい足音が近づいてくる。その振動で、鉄の手すりと平均台がカタカタと擦れ合って鳴っていた。
 体育館の入り口を見下ろす。差し込んだ長い人影が、色を徐々に濃くしながら伸びていき──ランタンが、現れた。
 私は平均台を思い切り押して、手すりから放り出した。手を離してから一秒もせずに、ガラスの砕ける音と──巨躯の倒れる衝撃が、体育館の空気を震わせた。
 そっと顔を出してみる。眼下に、ランタン男がうつ伏せになっているのが視えた。頭は粉々になっており、火も消えている。平均台は横向きになって近くで転がっていた。
 ……まさか倒せてしまうとは。
 私は安堵して大きく息をついた。嬉しいというより、不謹慎ながら少し残念に思ってしまう。アルモアの活躍を間近で見る機会を自ら手放してしまったのだから……。
 でも、褒めてはくれるかもしれない。
 そうだ、サインを頼まなくては。ブロマイドの裏に書いてもらおう。今日はマッキーを持っていたっけ?
 なんてことを考えていると──。
 ランタン男が、立ち上がっていた。
「……え」
 のっそりとした猫背で、入り口の前に立っている。
「倒せて……ない……?」
 私は焦り出す。頭を粉々に砕いたというのに、どうして……。
 そんな疑問に答えるよう、床に散らばったガラスの破片が浮き上がり──まるで逆再生のようにランタン男の頭へと集まっていく。たちまち元の姿を取り戻した。
 ボウ、と再び火が灯る。
 そして、ゆっくりと頭を傾けてきた。
 顔は無いのに何故か分かった。
 ──こちらを、じっと睨みつけている。
「う、うわぁ……!」
 一歩、一歩、近づいてくる。
 安堵から一転した恐怖は衝撃が強く、私は身がすくんで動けなくなってしまった。逃げなくては、と頭では分かっていても身体が動いてくれない。
 彼の長い腕が迫り来る。ギャラリーの柵を掴む。腰を抜かした私は、危機的な光景をただ眺めてしまう──。

「──〈示せ衝(ペイ・スタンピング)〉」

 少女の呟きが体育館に響いた。
 視えない力で、ランタン男の腕がひしゃげる。

「頭を潰しても心臓を刺しても無駄きゅる。だってこいつら、不死身きゅる」

 体育館の入り口に見慣れたシルエットが立っていた。
 ふわふわとした装飾と、大きく膨らんだスカート。背中で結ばれた大きなリボン。
 右手に持ったステッキをくるくると回して遊んでいる。
「あ……、あ……っ! あぁ……!」
 私は感動で口を抑えた。わなわなと喜びが込み上げてくる。
 あそこにいるのは──あそこにいるのは! 写真でも動画でも配信でも無く、今現実で目の前にいるのは……!

「……──アルモア!!」
「〈示せ線(ペイ・ストリング)〉」

 彼女は唱え、駆け出した。ローファーがこんこんと床を踏む音が反響する。ステッキの先端から輝く紐のようなものが放出されており、彼女はそれで自身の軌跡に線を残していた。
 アルモアが体育館中を縦横無尽に駆け回る。そして巨大な何かを描いていく。
 私はその様子を見て、もう既に戦闘が終わったかのような気分となった。アルモアがそれを描き出すときは、決まって戦闘の終局なのだ。
 ランタン男はもう私への興味を失って、アルモアの方へ歩き出した。何度か手を振り下ろしているが、素早く駆け回る彼女を叩き潰すことはできない。そうして翻弄される内、彼はいつの間にか体育館のちょうど中央に立っていた。
 ギャラリーからは、その模様が俯瞰で見えた。
 アルモアは体育館を大きく使って、魔法陣を描いたのだ。
 五芒星。
 その中央に、ランタン男が入っている。

「この子たちは端末にすぎないきゅる。〝本体(ボディ)〟から常に魔力が供給されてるきゅるね。だからどれだけダメージを与えても、回復し続けちゃうきゅる」

 アルモアは話しながら、ランタン男の前に立った。
 そしてステッキを頭上に掲げる。

「だから五芒星の中央に収めることで、まずは繋がりをきゅるるんと断つ。そこを一気に──叩くきゅる!」

 彼女はステッキを勢いよく──振り下ろした。

「──〈示せ衝(スクエア・スタンピング)〉ッ!!」

 まるで透明なハンマーで打たれたように、ランタン男が潰された。不可視の圧が頭上からかかり、一瞬で床まで沈んでいく。
 頭のランタンは当然砕け散り、身体もぺちゃんこにひしゃげていた。
 そして数秒後、彼の全身はどろどろと絵の具のようになって溶けていき、床へ染み込むみたいに跡形も無く消えてしまった。
 体育館は静寂に包まれた。窓から日差しが入り込み、室内を暖かく照らしていく。
 戦闘は終わった。
「す……凄いです!!」
 興奮で上擦った私の声が響いた。
 ギャラリーの柵へしがみつき、下にいる彼女へ叫ぶ。
「感ッ動しました! 本当に凄いです! カッコ良かったです!!」
 憧れの魔法少女の戦闘を特等席で目撃することができて、初めてパレードを見た子供のようにはしゃいでしまう。
 昂った感情が前へ前へと出てしまい、言葉が追いつかない。「あの……、それで、私は大ファンでして、配信全部見てます! だから、えっと……!」普段アルモアのグッズや配信を見ているときは、頭のなかであれこれポエムめいた感想が浮かんでくるというのに。いざ伝えられる機会が来ると、日頃から蓄積していた気持ちが渋滞して詰まってしまう。
 私の賞賛を、彼女は背中で聞いていた。腰に手をついて、ランタン男の消えた後をじっと見つめている。
「……アルモアさん?」
 不思議がった私がそう呼び掛けると同時に、彼女は振り返った。ツインテールがさらりと弧を描く。
 そしてカツカツと足音を鳴らしながらこちらへやってきた。彼女は梯子を見つけると、膨らんだパニエをものともせずに素早くギャラリーへと登ってきた。
 私のすぐ目の前までやってくる。近くで見ると、彼女は想像以上に小さくて華奢であった。身長は一五◯も無いだろう。腕は細く、頭も小さい。額を大きく出した少女の顔。「十四才です」と宣言した通りの、幼くもどこか大人びた顔つきが、私を見上げている。
 彼女は、手に持った魔法のステッキを──私に向けた。
 コツン、と胸に当てられる。
 明らかに心臓を狙っていた。
「……あ、アルモアさん……?」
 ステッキの危険性は十分に承知していた。その先端から、様々な殺傷能力を持つ魔法が飛び出してくる動画を何度も見てきた。
 ──脅迫されている。
 私は歓喜から一転、またもや冷や汗を垂らすことになった。そっと両手を上げて、降伏の意を示す。
「あ、あの……。私、何かしましたか……?」
 頭が混乱で満ちる。刺激しないよう恐る恐る尋ねた。
 すると、返事の代わりに──アルモアが別人へと変わっていった。
 恐らく変身を解いたのであろう。その顔や衣装が蜃気楼のようにゆらりと歪み、たちまち霧散していく。
 そして中から現れたのは、学生服であった。
 普段より見慣れた、この学校の女子制服である。
 私は呆然とその様子を見ていた。見下ろしていた顔が、どんどん上向きになっていく。アルモアの身長がぐんぐん伸びていき──一八◯センチ近くまで高くなったのだ。
 その迫力に思わずたじろいでしまう。
「な……っ!?」
 最後に、顔が露わになった。
 私はあまりの驚愕に口をぱくぱくと動かした。目の前の事実を受け容れるまで、たっぷり十秒は固まっていただろう。
 そしてようやく、彼女の名を絞り出す。
「……………………十坂さん?」
 ぎろっ、とその目に睨まれる。
 漆黒のマッシュウルフに、攻撃的な目つき。そしてやさぐれた態度──。
 中性的で不良めいた顔つきは、可憐なアルモアとは正反対の存在だった。
 彼女はステッキでぐりぐりと私の胸を擦りながら、低い声でこう言った。

「──金を出せ」

【第二話】

【第二話】


 十分後。私と、魔法少女アルモア──もとい十坂は、コンビニのATMコーナーで揉めていた。
「こんなの嘘ですこんなの嘘ですこんなの嘘ですこんなの嘘です…………」
「あーもう、ぶつぶつうっさいなぁ! 諦めてさっさと降ろしてこいよォ!」
 ステッキで背中を押されて前につんのめる。
 私は苛立ち、彼女をじっと睨んだ。
「……んだよ」
 顎をくいっと上にして目を細める表情は、まさに柄の悪い不良そのもの。そんな十坂がアルモアの中身だなんて、未だに信じられない。
 魔法少女は、小さくて、華奢で、可憐で、正義の存在であるはずなのに。
 十坂泉凛は、高身長で、体格が良くて、豊かな胸がシャツの下から隆起していて、態度が大きくて、
 そして──恐喝をしてくる。
「おら、早く金を出せ」
「こんなの完全に犯罪です。強請りです。魔法のステッキを──そんな風に使うだなんて!」
「これは私のだ。どう使おうが自由だろ」
「もしかして、正体がバレたからこんなことしてるんですか? そうか、口止め料ってわけですね! 大丈夫です、安心して下さい。決して口外はしません。なんなら私のSNSのアカウント全部消してもらってもいいですよ!」
「……口止め料なら、私からあんたに払わなきゃ意味ないだろ。なんであんたに引きださせてんだよ」
 その通りである。
 都合のいい妄想は一瞬にして砕かれた。
「ふつーに金が目的だよ、金金金! ほら、早く引きだせ。さっきのデペイズマンみたく、ぺしゃんこになりてぇか」
 私は大きな溜息をついて、がっくりと項垂れた。夢の崩れていく音がする。私の信じた魔法少女は、こんなやつの演じる偽物だったなんて──。
「ぐ、ぎぎ……! の、脳が破壊されます……!」
「あはは、なんか悶えてておもしろ」
 けらけらと笑う彼女を再び睨む。だが言い返す気力を無くして、とぼとぼとATMに向かった。人生最大の額を引き出し、置いてあった封筒に入れる。
 コンビニを出て、駐車場の隅でこそこそと手渡した。
「──おい、離せ」
 ぐっ、と彼女が封筒を引っ張る。
 私は最後の抵抗として、封筒から指を離さなかった。
「往生際悪ぃぞ……! は、な、せ……!」
「い、や、で、す……!」
 二人して綱引きのようにぎりぎりと封筒を取り合った。
 この厚みが……! この厚みが、果たして私の何時間ぶんであろうか……!
「おらっ!」
 ぶんっ、と彼女が乱暴に奪った。「あぁ……っ」と私の口から絶望の声が漏れる。
 十坂は「ふん」と鼻で笑うと、早速中身を確かめる。様になった手つきでばららっと札束を数えていく。まるで分け前を確認する強盗のようだ。グッズの利益などを計算するので慣れているのだろうか。
 ……魔法少女が札束を数える姿なんて想像したくない……。
 またもや脳が破壊され、私は「ぐぎぃ」と頭を抱えだした。
「──二十三万、か。なかなかやるじゃん。夏休みはバイト三昧だって言ってたし、ちゃんと稼いだみたいだな」
「な……っ。教室で聞いていたのですか?」
「いやフツーに耳に入って来るから、あんたらのお喋り」
 まさか、それを狙って私を恐喝をしたのか?
 立派な計画犯罪じゃないか!
「……あの、本当に返してくれませんか……」
 今度はへりくだるようにして頼んでみる。どうしてもお金を取られたくない。
 私がコツコツ溜めた汗と涙の結晶が消えてしまうのは、百歩譲っていいとする。(いや、そんなことはない)
 だが決して許せないのは──目の前の人間が悪の道へ落ちるのを見過ごすことだ。
それはモットーに違反する。
隣人を助けなかった、として。
 周囲を善くするためなら──力づくでお金を奪い返すことも厭わない。私は腰を低くしながら、こっそりと拳に力を込めた。
 だが彼女は、
「はい、返すわ」
 と呆気なく封筒を渡してくれた。
「これはあんたが持ってろ。あんたの金だから」
「……え?」
 意味が分からず、ぽかんとしてしまう。
 お金が戻ってきたのは嬉しいが、では何故そもそも大金を引きださせたのだ……?
 十坂は一体、何を企んでいる?
 頭上に疑問符を浮かべる私を置いて、彼女は道路で手を挙げていた。
 すぐにタクシーが止まって、自動でドアが開く。
「乗って!」
 十坂が私を手招く。だが不信すぎてなかなか歩き出せなかった。
 彼女は大きな溜息をつくと、魔法のステッキを向けてきた。
「──乗れ」
 低い声で脅されて、私はしぶしぶ言う通りにした。目の前でデペイズマンを倒した光景は、胸躍るショーの思い出から一転、トラウマによる脅迫材料へと変わってしまった。
 後部座席に乗り込む。体格のいい彼女の二の腕が当たる。ふわりと柑橘系のいい匂いがした。
 タクシーが発進する。
「いやー、魔法のステッキってやっぱり便利だな」
「使い方が犯罪者すぎます……」
 運転手に目的地を聞かれて、十坂はこう答えた。
「あ、東京駅で」

 東京駅の新幹線南のりかえ口はお盆前とあって混雑していた。
大きな柱の横で、買ってきた新幹線のチケットを十坂に渡す。
 行先は盛岡駅だった。
「盛岡……? ここへ何しに行くんですか」
「いや、ここはただの通過点だ。今から三日かけて──北海道の函館に向かう」
 函館?
 もしかして実家でもあるのだろうか。そうか、実家へ帰りたいけどそのお金が無くて、泣く泣くクラスメイトである私にお金を借りた……というわけか!
 良かった良かった、アルモアは犯罪者なんかじゃなかったのだ。安心である。
「きっとお母さんも喜びますよ」
「は?」
 彼女は怪訝な表情でスマホを出すと、少し前のニュース映像を画面に流した。それを私に見せてくる。
 一見、普通の天気予報だった。気温や天気を伝えるテロップと共に、日本全国の名所が流れていく。
「……これが、なにか?」
「ストップ」
 タップして止めたのは、五稜郭が映されたときだった。
「ほら、ここ」
「……? いい天気ですね」
 私の能天気な回答に彼女が脱力する。
「いいか、よーく見てろ」
 彼女の手が、画面の上をさらりと撫でる。
 すると五稜郭の上空に──巨大な額縁のようなものが現われた。
 地上を見下ろすようにぽっかりと浮かんでいる。中身は無く、絵の代わりに暗黒だった。
「え!? こ、これって……」
「門みたいなものだ。──三日後に、ここからデペイズマンの〝本体(ボディ)〟が出てくる。私は魔法少女として、それをどうにかしに行くわけ」
 私は神妙な顔つきを浮かべた。なるほど、そんな重要な使命があったとは。
デペイズマンの〝本体(ボディ)〟ということは、一九九九年から戦い続けた宿敵の親玉ということだろう。つまり──最終決戦である。里帰りがどうのこうのなんて、自身の貧困な発想力を恥じるばかりだった。
 私はリュックを前にして、奥の方へ大切に仕舞い込んだ封筒を取り出した。
 今度はその厚みを誇らしく思いながら、自分から十坂へと差し出す。
「なら、これは持って行ってください。君のことは性格といい態度といいすこぶる気に食わないですが──アルモアのためなら、是非とも足しにして欲しいです」
 だが彼女は首を振った。
「だから、それはあんたの金だってば。あんたが持ってろ」
「でもこの先も……宿代とか、食事代とか、色々かかりますよ」
「うん。だからその都度、あんたが払ってよ」
 私は首をひねった。十坂の言っていることの意味がピンと来ない。
 あんたが払ってよ、なんて。
 まるで、函館までの旅路に私が同行するみたいじゃないか。
 ……いや、まさか。
 彼女はそのつもりなのか……?
「──私も行け、と?」
 十坂がニヤリと笑い、頷いた。
「あんたも、一緒に来い」
「何故ですか。私がいたって、何の役にも立たないですよ!? こんな、何も無い空っぽ人間なんて!」
「え、急に卑下するじゃん。怖っ」
 彼女は指を立てると、素晴らしい計画でも披露するようにどこか得意気に話し出した。
「あんたを連れていく理由は二つある。一つは財布にしたいから。もう一つは──あんたがタイプだから」
「…………タイプ?」
 予想外の言葉に、私の時間が止まる。
 十坂は「ふふん」と笑って、私の方へずいっと迫ってきた。
「え、ちょっ──」
 後ずさるも、すぐに背中が柱へ当たって追い詰められた。横へ逃げようとするも、彼女の右手が退路を塞ぐ。
 いわゆる壁ドンの状態となった。
 しかし男女が逆である。
 十坂の顔が肉薄する。クラスであれだけ孤立していても人気があるのが頷けるほど──綺麗だ。
 頬が微かに赤い。唇をぺろりと湿らせて準備している。長い睫毛が瞬くその双眸は、捕食者のように獲物を狙いすましていた。
 獲物は、私だ。
 更に顔が近づいてきて、息使いまで感じた。今にも触れそうな胸の辺りから、暖かい体温まで伝わってくる。
 思わず目線をそらすと、行き交う人々にちらちらと見られているのが分かった。
「ちょ、ちょっと、十坂さん。恥ずかしいので離れて下さい……」
「おっと──逃げんなよ」
 腹に硬いものが当たった。彼女は左手で魔法のステッキを持ち、私へ向けていた。
「顔を背けるな。死にたくなかったらな」低い声で脅迫を囁いた。「ほら、目ぇ閉じろ──」
「ま、待って下さい。一旦ストップ──……むぐぅ!?」
 十坂の唇が、私の唇へ押し当てられた。
 柔らかい感触に息を止める。
 そしてすぐ、彼女は顔を離していった。
「……これがあんたの役割だ。私に、いい思いをさせろ。分かったか?」
 ぺろっ、と彼女が唇を舐め取る。
 私は柱に体重を預けながら、ずるずると腰を抜かした。
 突然のことに気を失いそうである。今起きたことが何一つ信じられない。
 ファーストキスが、最愛の推しであると共に──すこぶる性悪な隣席のクラスメイトだなんて。
 最高と最悪が綯い交ぜになって心をかき乱す。
 そして、これが単なる旅の始まりにすぎないという事実も、私の気を遠くさせた。
 ──こんな女と三日間も旅行するなんて。どう考えても無理である。

 動き出してしまった新幹線。混雑する車内にて、幸運にも買えた席で私は小さくなっていた。

『あ! スパチャありがとうきゅる! とっても嬉しいきゅる!
 ……え? スカートのデザインを詳しく見たい?
 いいきゅるよ~! ほらっ、見るきゅる。レースの刺繍が入っていて、すごく可愛いきゅる! ちゃんと見えてる? ピントは合ってる?
 ううん、私がデザインしたわけじゃないきゅる。でも可愛いから気にいってて……。そうだ、全体も見せるきゅるね! シルエットも可愛いきゅるよ~。
 じゃあ椅子から立って……ちょっと後ろ行くきゅる。
 ……あ、待って、足が……!
 あ、あぁ……っ!』

 すってーん、とアルモアが後ろ向きにすっ転ぶ。
 床に置かれていたノートをうっかり踏んでしまったのだ。

『あいたたた……。えへへ、ごめんきゅる。転んじゃった。
 わっ! 危ない、バンされちゃうきゅる! ここ絶対切り抜かないできゅるー!?』

 と、慌ててスカートを抑えている。かなり際どかったが、幸い内部が映ることはなかった。
 これは配信を切り抜いたショート動画のなかでも特に再生数が多いものの一つである。
「ふふふ……。アルモアは可愛いですね……。ふふふふ……」
 自然と頬が緩んでいく。私はスマホの画面を顔すれすれまで近づけて、釘付けになっていた。
「戦っているときはあんなにかっこいいのに、配信になるとどこか抜けてて……。守ってあげたくなる感じ……。可愛いです……」
「おーい。一人でなにぶつぶつ現実逃避してんだよ」
 がしっ、と大きな手がスマホを掴んで、ひょいと取り上げられた。
「あぁっ!」
 画面の向こうから現れたのは──アルモアの中の人。こちらを見下ろす十坂の顔だった。彼女は窓側の席に座っている。
 動画へ目線を落とすと、ふっと鼻で笑った。
「あー、これか。やっぱこういう、ちょいエロハプニングみてーな切り抜きはハネるよなぁ。これさ、事前にノートを後ろに置いといたんだよね。そんで使えそうなスパチャが来たから、わざと後ろに行って転んだの」
「えっ。わ、わざとなんですか!?」
「そりゃーそうだろ」
「……ッァァァァー……」
 私の喉から首を絞められたような声が漏れ出た。
 落ち込んだときは、この動画を見てよく癒されていたというのに。
「…………私の心を、弄ぶなんて…………!」
「乙女か」
 私は十坂からバッとスマホを取り返す。
 そして、画面に映るアルモアと、隣席の彼女を、交互に見比べた。
 改めて凄い状況だと実感する。
 このショート動画の再生回数は二百三十四万回。魔法少女の人気っぷりを物語っている。
そんな有名人の正体を私は知ってしまい、あまつさえ二人旅が始まった。
 しかも──妙な好意を向けられている。
 というよりこれは……性欲か?
「五宮もさ、やっぱこういうエロいの好きなん?」
 囁くように言いながら、彼女が身を寄せてくる。
「あの、ちょっと近いです……」
「何度も巻き戻したり、拡大したりしたのか? なぁ──」
 十坂の右手が私の脚に触れた。さわさわと制服のズボンの上から撫で回し、「ここら辺を……見ようとしてさぁ……」そのひんやりとした感触は、徐々に内ももの方へ這い寄っていく──。
「や、──止めて下さいっ!」
 私は悪さをする手を掴み、そっと彼女自身の脚の上へ戻した。
 そして横目で睨みつける。
「年頃の女の子がこんなことするんじゃありません! ふしだらですよ!」
「ふしだらて」
 げーっ、と十坂が舌を出して呆れ返る。
 ……こんなに表情豊かだったのか。
 クラスではずっと不機嫌そうに顔を固めていたから、とても意外だ。
「なんでこんなことをするんですか」
「言ったろ? あんたがタイプだから」
「タイプだからって、ろくに話したこともない関係性で……」私は思わず唇に手をやった。あの柔らかい感触が思い出され、わなわなと震える。「……き、キスするなんて! 言語道断です!」
「なに、もしかして初めてだった? そりゃあラッキーだわ」
 彼女は「ししし……」と歯を見せるように笑った。
 話が通じなくて私はがっくりと頭を落とした。試合後のボクサーみたいに項垂れる。
「──あぁ。なんて……なんて……ふしだらな人なんですか……。十坂さんにとって私がタイプだとしても、私にとってあなたは……悪魔だ」
「うわー、凄いこと言うじゃん。でも普通オタクならさ、こうやって中の人に会えたら嬉しいもんじゃねーの?」
「いいえ」と、すぐに首を振った。「私は〝アルモア〟を大切にしたいので」
「ふーん。でも正体を知れて、ちょっとは嬉しいだろ?」
「……まぁ、ほんのちょっとは」
「ほらほら~! 素直になれよッ!」
 十坂ががばりと肩を組んできた。
「だから近いですって! 離しなさい……っ!」
「魔法少女の腕力舐めんなよ! 十坂さんとキスできて嬉しいですって言わなきゃ、このまま腕のなかで窒息させてやる!」
 確かに彼女はかなり力が強く、私が両手で抵抗してもなかなか抜け出すことができない。
 そんな風にぎゃあぎゃあやっていると、前の席の人が振り返ってきた。
「あ、すみません……」
 しゅん、と私は反省して大人しくなる。
 彼女も肩透かしを食らったように、腕を引いた。
 大きな溜息をつく。
「……あなたは私のアルモアを壊したんです。アルモアは、私のなかで正義や可憐や誠実の象徴だったのに……。全部、演技だったなんて!」
「いえーい」
 ゆらゆらとピースサインを出して挑発する彼女に、私はまたイラっとくる。
 そういうことをするキャラだったのか、この人は。もっとクール系だとばかり思っていた。
「アルモアのことは大好きなのに……! アルモアを演るあなたのことは大嫌いだなんて……! 脳が壊れる……!」
「おいおい、冗談でも大嫌いとか言うなよ。傷ついちゃうかもよ?」
「あなたみたいに、嘘つきで、ふしだらで、人を脅迫するような人なんて、当然のように嫌いです。私は高潔を大事にしていますから」
 その高潔の指針となっていたのは、他ならぬ彼女だったのだが。
「……ふーん。ならあたしは、本当に悪魔になろっかな」
 十坂が顔を覗き込んでくる。
 目を細め、誘惑するような表情を浮かべていた。
「この旅で〝いいんちょー〟を堕としてやる。魔法少女の本性を、たっぷり分からせてやるからな」
「……っ」
 至近距離で官能的な台詞を吐かれ、私はごくりと喉を鳴らしてしまう。
 すると十坂が「ぶっ」と噴き出した。
「──あっはははははは! あー、最ッ高。やっぱ真面目そうな男をからかうのって、マジでおもしれーわ」
「……! あなたという人は……っ!」
 私はむかむかしてそっぽを向いた。腕を組み、毅然とした態度を取り戻そうとする。
 だが心臓はばくばくとうるさいままだった。
 憧れのアルモア本人に会えた喜びと、謎のクラスメイトだった十坂に現在進行形で誘拐されている動揺が、整理のつかぬまま心を乱している。
 ──どこかワクワクしているのも、紛れもなく事実だった。

 新幹線に乗る直前、彼女の旅に同行する(させられる)と分かり、まずは家に電話した。改札前での出来事である。
 母を放置することができないし、家庭の事情を知ってもらえば十坂も諦めるかも……と思ったからだ。
 しかし、逆に同行を薦められてしまった。
「亨生、夏休みまだどこも行ってないでしょう。いい機会なんだからそのまま出掛けちゃいなさい」
「え、でも母さんは? 夕飯作ったりとかさ」
「お父さんがいるし大丈夫よ! 私も最近調子いいし!」
 どこか空元気なのは、本当に私へ心配をかけたくないからだろう。
 もしかすると、母には引け目があるのかもしれない。私がどこの部活にも入らなかったのは、確かに母が理由の一つであるが……。
「いや、でもさ……。父さんもゆっくり休めるタイミング少ないし……」
 往生際の悪い私を見て、
「息子さんお借りしまーす!」
 と、十坂がスマホに向かって思い切り叫んだ。
「ちょっと!」
 スピーカーを抑えて怒るも、時既に遅し。
「──え、女の子? なぁんだ、デートだったの!」
 母の声色がぱぁっと明るくなった。
「それなら早く言いなさいよ! 好きなだけ遊んできなさい!」
「いや、違う。絶対に違う。違うから。これはデートじゃない!」
「はいはい、そうねぇ。じゃあ気を付けてねぇ」
 と、大きな誤解を残して通話は切られてしまった。
 隣で十坂がクスクスと笑っていた。

 そんなことを思い出しながら用を済ませた、
トイレからの帰り道、側扉の窓を高速で流れていく景色へふと目を留める。
 新幹線は既に大宮駅を通過していた。
 補習を受けにフラッと出かけただけなのに、まさかこんなことになるとは。荷物も服装も身軽すぎて不安になる。
 本当にこのまま北海道へ行くつもりなのだろうか。着替えとかはどうするのか。
 などと考えながら席へ戻ると、十坂が独り言を話していた。
「こないだの切り抜き五十万いってんなぁ……。ほぉら、男ども。もっと見ろ! もっと興奮しろ! そして私に金を落とせ!」
 またもや下品なことを言っており、私は溜息をつきながら席についた。
 と、あることに気が付いた。
「──え? いやいや、今更でしょ。こうすりゃ喜ぶのよ。……まぁ、そうかもしんないけど!」
 独り言なのに相槌を打っている。
 電話でもしているのかと思って彼女を見た。しかしスマホは背面テーブルに置きっぱなしであった。
 十坂は自身の左肩に向かって「まぁね」「はいはい、分かってるよ」「あー、マジでうるさい」などと返事をしている。
「十坂さん、一人で何してるんですか……?」
 ハッと会話を止め、彼女がこちらを向く。ぎろっとした目つきが復活しており、私は軽く驚いた。
「……お喋りしてただけ」
「え? 誰とですか?」
「……こいつ。紹介が遅れたわ」
 十坂は両手のひらを上向きにして自分の前でくっつけた。
 水をすくい上げるようなポーズのまま、彼女は空っぽの手のひらを見つめて停止する。
「……? あの、十坂さん?」
「あ、そっか。魔力が無いと視えねーんだ」彼女はくいっと顎を前にした。「──ここに小動物がいる。……ははは、悪ぃ。小動物って言われるのは嫌なんだっけ」
 またもや一人で話している。
 まるで、手のひらの上に誰かが乗っているように。
「この子は相棒のレイ。あたしはこの子を通して契約して、魔法少女になった」
「相棒が、いたんですか……!?」
 突如明かされたアルモアの新情報に私は食いついた。
「配信じゃ喋らんし、一般人には視えねーからな。あ、でもさ。配信してるとき、たまーになんか物音すること無かった?」
「確かに何度かありましたね。ネットでは、家族説や幽霊説、あるいは彼氏説などが囁かれていましたが」
「それ全部、この子の仕業」
 そうだったのか。
 思い掛けない答え合わせに私の心が躍る。
 十坂の手の上をじっと見つめた。しかし魔力の無い一般人である私には、何かがいる気配すら感じ取れない。
「うーん……。全く視えませんね……」
「この子今、恥ずかしがって顔隠してる」
「どんな見た目なのですか?」
「猫だな。頭に王冠を被ってる」
 この一見何も無い空間には、手のりサイズの猫が私に覗き込まれて照れているのか。
 それは非常に……可愛い!
「なっ、撫でたいです……! 視えなくても、撫でるのはできたりします?」
「いや無理。魔力がねーと干渉できない」
「残念です」私は肩を落とした。「……レイさん、初めまして。ご挨拶が遅れました。私は五宮亨生という者です」
 そのまま数秒待ってみる。当然、声も聞こえない。
 十坂を見上げると、頷いた。「ちゃんと聞いてる」
「あの、相棒であるレイさんにお願いがあります。どうか十坂さんを説得してくれませんか。からかって弄ぶだけなら、なにも私を連れていく必要は無いと──」
「はーい、お客さんそこまで。そういう話はNGだからー」
 十坂が手を高くして、私の前からレイを取り上げた。
「ちょっと! まだ話している途中です!」
「話す必要ねーから終了ー。……あ、レイごめん。天井に頭ぶつけた? マジでごめん、マジで」
 十坂が慌てて手を引っ込めて、宙を指で撫で始める。
 その愛おしそうな指付きを見ていたら、家の飼い猫が急に恋しくなってきた。なんだか羨ましくなってくる。自分もマツの柔らかな毛並みを撫でたい……!
 それにしても、まさか相棒に会えるとは。
 アニメでは、使い魔やマスコットとして魔法少女の近くをふわふわ浮いているイメージが強い。レイも普段は飛んでいるのだろうか。それとも猫と同じ生態か?
 魔力が無いので干渉できない──のは、考えてみれば確かにそうだ。自分はこの世界に置いて主人公でも視聴者でも無いのだから。
 とても残念である。
「あ、レイが最後に質問あるって」
「質問? 何でしょう?」
 ごほん、と十坂が咳払いして声を作った。
 まるで老紳士を演じるかのように、レイの声を代弁する。
「──貴殿は大変物腰が丁寧で、優秀な青年であると見受けられる。平生よりその高潔な振る舞いを、隣席より密かに見守っておったぞ」
「!? は、はい。どうもありがとうございます」
 私の背筋が自然と伸びた。何だか王様とでも話しているかのようだ。
 可愛いだの撫でたいだのと色々失礼なことを思ってしまったが、もしかしてもっと威厳のある見た目をしているのか?
「ずっと、疑問が一つあった。──その金髪の理由は何だ? あの学び舎では、染髪は規則違反であったと記憶しているが……」
「あー、これは……」
 私は思わず前髪をつまんで、どう答えようか迷った。
 すなわち、嘘をつくか、本当のことを明かすのか。
「……地毛なんです。学校側に届けを出して、認めてもらっています」
「──なるほど、そうであったか。それは失礼したな」
「いえいえ。気になるのは当然です」
 私は軽い罪悪感を抱きつつ、深々と頭を下げた。
 十坂がごほんと咳払いをする。
「確かに、私も思ってたわ。ふつーに地毛なわけね」
「えぇ。目立つので困っています」
「いいじゃん、似合ってる似合ってる」
 と言いながら勝手に横髪を撫でてくるのを、私はサッと頭を傾けて回避した。
「てかさ、〝いいんちょー〟のくせに金髪なのも変だし……今日補習来てたよね? 実は勉強できねーの?」
 当然、できる。
 勉強することは私の大切なモットーの一つだ。
「私は学年で十位です」
「え。じゃあなんで補習来てたわけ?」
 訊かれて、私は少し葛藤した。
 勉強ができないやつ、とはあまり思われたくない。日々の積み重ねをないがしろにされた気分になるからだ。
 だが補習に来ていた理由を話せば、横山が隠したがった事情を明かしてしまうし、不正を行った事実が暴かれてしまう。
 ここは隠し通すことにしよう。
「申し訳ないですが、その質問には答えられません。回答は控えさせていただきます」
「あ、替え玉?」
「ぎょえ」
 思わず変な声が飛び出すほど驚いた。あまりにも図星である。
「わっかりやす……!」十坂が声を押し殺して笑っている。「あー、そう。替え玉したんだ。誰のだろ? クラスの奴らなら、長谷部か、後藤か、横山のどれかかな」
「え、え? い、いや、違います。違いますけど? なんでそう思うんです?」
「成績と性格的に。クラスの端って、色々とよーく見えるんだわ。……うーん、まぁ横山かなぁ」
 私は言葉を失った。心が見透かされたような気分だ。
「その反応は当たりか」
 十坂が得意気に口角を上げる。
「……ま、魔法でも使ったんですか?」
「いや全く。……で? 横山にどうやって丸め込まれたわけ?」
「丸め込まれたなんて失礼です。のっぴきならない事情があっただけですから」
「ほんと? どうせろくでもない理由でしょ」
 事情を知る私は、そんな風に決めつける彼女に腹が立った。
 少し迷ってから、横山の名誉のためにも説明することにした。自分の過去については隠しつつ、妹の事故のこと、病院に行きたいこと、それを詮索されたくなくて代わりに私が補習を受けたこと──。
 だが話し終わるや否や、十坂は「はっ」と一笑に付した。
「馬鹿馬鹿しーな」
「はい?」
「百パー騙されてんじゃん。舐められてるよ、いいんちょー」
「彼は私を頼ってきてくれた〝隣人〟です。騙したりはしていません」
「ほーん」
 十坂はニヤニヤしながら背もたれへ寄りかかった。
 その小馬鹿にした態度が気に食わない。
「私は十坂さんよりも横山さんと喋っているつもりです。君に、彼の何が分かるというのですか」
「あんたの方こそ横山のことなんも分かってねーよ。見てて分かるけど、あいつは性格が悪ぃ。善人がいたら利用しようとするタイプだ。多分、五宮の同情を買おうと作り話をしたってとこだな」
「そんなこと……」
「五宮って、妹とか、事故とか、そういうことに思い入れはある?」
「……あります」と、詳細は伏せつつ頷いた。
「あー。なら多分、それを分かったうえで作り話をしたな。で、あんたが動揺するのを狙った」
「……補習ごときで、普通そこまでしますか? 運命を感じたから、モットーより優先したまでです」
「運命ねぇ」
 まったく、本当に十坂は性格が悪い。もっと他人のことを信じるべきである。
 彼女を説得したくて私は躍起になった。
「彼は僕と同じ悲しみを抱えている。そもそも、自分の過去について彼には話していません」
「どこかで聞いたのかもな。そんで、それを利用したんだ」
「そんな非道をする人じゃない」
「あり得る話だ。……レイもそうだと言ってんぞ。なぁ?」十坂が左肩に向かって頷いた。「五宮って、周囲を善くしたいとか隣人を助けたいとか言う割に、悪には鈍感なんだな。性格の悪さが足りねぇ。善いことをしたけりゃ、まず悪いことを知っておけ」
 十坂の言葉が心に引っ掛かり、私は勢いを無くした。
「悪いことなんて……。必要ないでしょう。私は高潔に生きたいのです」
「ま、本人に訊いてみたらハッキリすんじゃない」
「いえ……。事故が本当のことだったら、疑うことで傷つけてしまいます。詮索されたくないと言っていましたし……」
「なら、方法は一つ」
「え?」
 十坂がピッと人差し指を立てた。
「かまにかける」

 この新幹線ではワゴン販売をもう行っていなかった。代わりに、QRコードによるモバイルオーダー式となっている。
「……アイスが食べてぇな。かちかちのやつ」
 十坂がそうぼやきながら、私の方を向く。
「あと、おつまみスナックとチップスターも食いてぇなぁ?」
「……勝手に買えばいいのでは」
「お金がねんだよ。何のために金を降ろさせたと思ってる」
「本当に二人で北海道まで行くつもりなら、無駄遣いはしないほうがいいです。宿も服もお金がかかるでしょう」
「服なんて制服のままでいーだろ、三日ぐらい。それこそ金の無駄だ」
 十坂がシャツの胸元をつまんで、ぱたぱたと扇いだ。
 真夏なので、きっと汗を沢山吸い込んでいる。三日も着るなんてあり得ない。
「大体、今日はまだ飯食べてねーの。これは朝飯と昼飯代わり」
「な……っ! お菓子が、昼飯ですってぇ!?」
 私は愕然として口に手を当てた。
「そんなの駄目です! きちんと栄養のあるものを取りなさい!」
 十坂が「だるっ」と天井を仰ぐ。
「あぁ、ほら。メニューにはサンドイッチもありますよ。野菜も卵も食べられていいじゃないですか! こちらにしましょう」
「やだね。あたしは甘いのとしょっぱいのが食いてんだわ」
「お菓子は食後にしなさい!」
「お菓子だけでいーんだよ! 親子喧嘩してんのかあたしらは! ……あ、そうだ」
 十坂が何かを思いついて止まった。
 そして右手でスッと顔を撫でると──たちまちアルモアの顔が現われた。
 首から上だけ変身したようだ。そんなことができたとは。
 突如目の前に推しの顔が現われて、私の心臓がキュッと小さくなる。初恋の人を前にした中学生のように、しどろもどろと落ち着かなくなってしまった。
「あ、あ、あ……。アルモア……」
「きゅるるっ。分かりやすく動揺しちゃってる。可愛いきゅるね」
「あ……。えへ。えへへ」
 アルモアのあどけない高めの声にからかわれ、私は照れて頭を掻いた。
「ねぇ、お兄さん。私……アイスとお菓子が食べたいきゅるっ。買ってくれるぅ……?」
 きゅるきゅるとした大きな目が、潤いながら私を覗き込む。どこか不安そうに、自分のツインテールを胸の前で抱えていた。
 抱きしめたくなるような衝動が心をくすぐり、何も考えられなくなる。
「うん、うん! いつも頑張ってますしね! いくらでも買います! 買わせてください!」
「やったぁ!」アルモアが満面の笑みをぱぁっと浮かべる。「じゃあ、スジャータアイスをバニラとピスタチオを一つずつね。あとチップスターとおつまみスナック、これも二つずつお願いきゅる!」
「いくらでも!」
 催眠にでもかかったかのように、私は言われるがまま注文してしまった。
「はい、買ったよ!」
「ありがとー!」──アルモアが右手でスッと顔を撫でた。すると十坂の真顔が現れ、低い声で「オニーサン、ダイスキー」と棒読みで言った。
「────はっ!?」
 と正気を取り戻す。そしてニヤつく十坂と注文済の画面を交互に見た。全てはもう、手遅れである。
「いえーい。あたしの勝ちー」
 十坂が勝ち誇って脚を組みなおした。
 私は自分のしたことが信じられずに頭を抱える。
「ひ、卑怯です! 私がアルモアのオタクだと知って、それを利用するなんて……!」
「あんたの弱点はこれかぁ。これから何かおねだりするときは、これ使うわ」
「アイスを奢らせるために変身を使うとか、魔法少女の風上にも置けませんね!」
「狡く賢く生き抜くのが、あたしのモットーなんでね」
「とにかく、もう二度と止めて下さい。アルモアの姿でおねだりなんて……私が私で無くなってしまう!」
「あっはははは。なにそれ」
 十坂が可笑しそうに笑った。口を開くと、牙のような犬歯が覗く。アルモアの小動物じみた可愛さから一転、十坂は肉食側の美しさを持っている。
 ──この半日で、十坂の笑い声を何度か聞いた。
 彼女がこんなにお喋りだとは知らなかった。すると、教室での振る舞いは何だろう?
周囲に壁を作って私の挨拶も無視する姿は、今隣席で手を叩いている彼女からは想像し
にくい。
 わざとやっているのか? 私の、この喋り方と同じように。
 だとすれば、一体何故……?
「あ。じゃあ──これ買ってくれたお礼するわ」
「え?」
 十坂は私の左手を掴むと、問答無用で引っ張って──自身の胸に押し当てた。
「…………っ!?」
 驚いて飛び上がるも、力の強い彼女から左手を取り戻せない。
 十坂は頬を少しだけ赤く染め、何かを問いかけるように首を傾げて私を見てきた。
自身の胸に、私の手のひらをぐりぐりと擦りつける。
「は、離して下さい──」
「取り敢えず五秒な。はい、いーち。にーぃ。さーん……」
 夏服のシャツ越しに触れたのは、硬い下着の感触だった。それが豊かな丸みをもって大きく突き出しているのが分かる。
「しーぃ、ごっ! はい終わりー」
 やっと手が解放され、私は慌てて引っ込めた。
 体温が高くなるのを感じる。服越しとは言え、女性の身体に触れたのは初めてであった。手のひらにまだ暖かい感覚が残っている。
 私は羞恥やら怒りやらで顔を赤くしながら、十坂を思い切り睨みつけた。
 だが彼女はどこ吹く風で、椅子に深く腰掛けながら鼻歌交じりにスマホを弄っていた。

 私はトイレの壁に寄りかかりながら、額に手を当て悩んでいた。用はとっくに済ませたが、どうも出ていく気になれない。
 ──十坂は、まさに悪魔だ。次の瞬間何をしてくるのか本当に分からない。私の想像の外にいる。
 左手を見つめる。まだ熱いような気がしている。
「まったく……」
 そう呟いて、溜息を洩らした。
 新幹線の走行を足の裏に感じる。こうしてただ立っているだけでも、家から、学校から、どんどん遠ざかっていくのが分かる。
 まだ旅行は始まったばかり。果たして私の心身は最終日まで保つのであろうか。
 というか斎藤達と遊びに行く日までに、帰ることができるのか……。
 ──こんこん。とノックの音が響いた。
 私はハッとする。あまり長居をしてはいけない、迷惑になってしまう。
「すみません、もう出ます」
 と言って、鍵に手をかけた。
 そのとき。

彼女は今日、君に一つ嘘をついたよ(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 そんな声が聞こえてきた。
 私は警戒し、ピタリと動きを止める。
 扉越しにプレッシャーのようなものを感じて全身が緊張した。
「……どなた、ですか?」
「でも大丈夫。明日には分かるさ」
 男とも女とも分からない声色。どこか無邪気で、底知れない。
 何となく懐かしいような声だった。
「……彼女とは、十坂のことですか?」
 そのまましばらく待ってみても、返事は無かった。
 私は意を決して扉を開けてみた。しかし空っぽの通路があるばかりで、無人である。
 左右を確認する。車両間を繋ぐ自動ドアは閉じたままだった。つまり、誰かが逃げて行った形跡もない。
 何だ、今のは。
 幻聴か? 十坂の相手をするのが疲れすぎて、とうとうおかしくなったのか?
 いや、そうとは思えない。いま、私は、本当に謎の声を聞いた。五感がそう訴えかけてくる。
 ──彼女は今日、君に一つ嘘をついたよ。
 嘘? 十坂は確かに隠し事が多いし、ついていてもおかしくはない。
 だとすると、どれが嘘なのだろう。今日私に語った内の、一体どれが──。
 そんな風に立ち止まって考えていたら、ぷしゅぅ、と音がして自動ドアが開いた。
 振り返ると、十坂が車両から出てくるところであった。
 顔が青ざめ、口を手で覆っている。
「……どうしました?」
「──やばい、酔った。吐きそう」
「え」
「どけ!」
 十坂がどたどたと駆け寄ってきて、私の背後にあるトイレへ飛び込んだ。
 そして扉も閉めぬまま──せっかく私が買ってあげたアイスもお菓子も、全部リバースしてしまった。
 この人は、本当に……!

「あぁー……」
 魂が抜けていくような声を漏らしながら、十坂が背もたれに身体を預けている。顔はげっそりと、しかしどこか清々しい。
 片手には水の入ったペットボトル。当然、私が買ったものだ。
「まだちょっと気持ち悪ぃ……」
「酔いやすいタイプなんですか」
「あぁ。なんかよく目眩とかも起こすんだよな……。ちっ、アイスが勿体ねぇ」
 溜息をついた彼女からは、吐しゃ物の匂いがまだ少し漂う。魔法少女以前に、女子高生にあるまじき姿であった。
 私は幻滅したように肩を落とし、そして精神力回復のため胸ポケットからブロマイドを出した。
 両手でそっと持ち、写真のなかのアルモアを見つめる。
「もう別人だと考えましょう……。そうじゃなきゃ、やってられません……」
「うわっ! あ、あんた……」
 ブロマイドを見た十坂が、目を見開いてわなわなと震える。
「ど、どこでそれを……。なんで持ってんだ……!」
「オークションで落としました。かなりの高額でしたよ」
 私は少し得意気に見せびらかした。相手は作った本人だと言うのに。
「そりゃそーだろ。あたしが初めて出したグッズなんだから! しかも限定四十枚!」
「疲れたときは、これを見て癒されてるんです。このアルモアのポーズ、まだちょっとぎこちない表情……。完璧ですね」私はうっとりとブロマイドを見つめた。「そしてこの手書きメッセージ──『大好き、ちゅっちゅっ』。なんて素敵なんでしょう!」
「──示せ火(マリン・フュマージュ)」
 十坂の指先から、ぼうっと小さな火が飛び出した。
「危なっ!?」私は慌ててブロマイドを遠ざける。「いま燃やそうとしました!?」
「なーにが『大好き、ちゅっちゅっ』だよ、恥ずかしいぃ……!」
 十坂は顔をほんのり赤くして、憎々しげな目線を送っていた。
「それはあたしの黒歴史なんだよ……!  オタクに媚びるのは得意だが、『ちゅっちゅっ』はねーだろ。『ちゅっちゅっ』はよ……!」
「あ、さすがに恥ずかしい台詞だって自覚はあるんですね」
 不用意な言葉が、火に油を注いでしまった。
「寄越せ! 燃やしてやる! ──示せ火(マリン・フュマージュ)!」
「ちょちょちょっと! ここ新幹線ですよ! 火を使うんじゃありません! というか、こんなことに魔法を使うなんて!」
「うるせぇ! シャワー浴びてるときとかに思い出してあーってなるんだよ!」
「その感じは分かりますけど!」
 ぼっ、ぼっ、と彼女が指先から弱火を繰り出す。
 私はブロマイドをひしと抱きながら、必死になってそれを避け続けた。
 ──なんて大騒ぎをしていると、

「車内販売~。車内販売~」

 という女性の声が聞こえてきた。
 どこか生気のない声色に異様な雰囲気を感じ取り、私も十坂もピタリと動きを止める。
 そもそも、現代の新幹線でそんな台詞あり得ない。
 振り返ると、乗務員の女性がゆっくりとワゴンを押して通路を通っていった。
 不可思議な光景に、車両内は水を打ったようになる。
 からからから……、と車輪の回る音だけが聞こえる。
 誰もが注目したのは、ワゴンの上。
 そこには、大きな彫刻が乗せられていた。古い西洋人の顔が、生首のように置かれている。
「車内販売~」
 と呟きながら、その女性とワゴンは後ろの車両へと消えていった。
 ぷしゅう、とドアが閉まると同時に、緊張感から解放された人々が騒ぎ出す。
 あれは一体なんだ? 何の催しか? ワゴンで車内販売なんてしていたか?
 そして察しの良い者達は、口々にこう言い始めた。

「あれは……デペイズマンじゃないか?」

「十坂さん!」
 隣席を振り返ると、彼女は水を飲み干すところだった。
「い、今のって、デペイズマンですよね?」
「どうしてそう思う?」
 十坂は余裕な態度を崩さずに、窓の景色を見ている。
「どうしてって……。嫌なプレッシャーというか、普通に考えてあり得ない状況というか……」
「そう、あり得ねー状況。すなわち──あるはずのないものがそこにあること。それが魔法の本質だ。覚えとけ」
 彼女は人差し指を立てて、指先に火を灯した。
「真昼の学校に夜が降りるように、廊下に街灯が立つように、車内で彫刻が売られるように、指先から火が出るように──」
 彼女がくるくると指先を回す。ゆらゆらと火が揺らめいている。
「そして、隣に少女がいるように」
 私が瞬きを二度三度した──次の瞬間。
 そこにいたのは、制服を着た女子高生ではなく、ロリィタファッションに身を包んだ魔法少女アルモアであった。
 彼女は足元に置いてあった自身のエナメルバッグをあさって、魔法のステッキを取り出した。
「さーてと、隣人の皆々様を助けるきゅる! 協力してきゅれるよね、おにーさん?」

【第三話】

【第三話】


 アルモアが乗務員の消えた車両へと踏み込んだ。背中で揺れるリボンを追って、私もなかに入る。
「アルモアだ……」「うわ、久しぶり……」「すげぇ、本物じゃん……」
 突如現れた魔法少女の姿に乗客たちが色めき立つ。さっそくスマホで動画撮影を始める音が聞こえた。
 彼女は慣れた様子で手を振りながら笑顔を振りまいていた。
 乗務員は見当たらない。車両の一番後ろで、空のワゴンが置きっぱなしになっていた。
 その左右、最後部列に並ぶ客の顔が──彫刻であった。
デペイズマンだ。
 彼等はアルモアの到着を待っていたのか、がたっと一斉に立ち上がった。服装はスーツで、背は百九十くらいと威圧感がある。そして全員、右手に彫刻刀を持っていた。武器として使うのだろう。
 客の一人がその光景に気が付き悲鳴を上げた。
 それを皮切りに──乗客達が一斉に逃げ出し始めた。車内が大混乱と化す。
「──あ!」
 と、思わず私は声を出した。
 彫刻頭の一人が、刀を振り被り、近くにいた小学生くらいの少女に攻撃を加えようとしていたのだ。
「危ない──ッ!」
 そんな叫び声を聞く前に、アルモアが床を蹴り上げ、風のように少女の元へ向かう。
 振り下ろされた彫刻刀を右腕で受け止めた。
「…………怪我は無いきゅる?」
 庇うように少女を見下ろして、アルモアが微笑む。
 少女は泣きそうな顔で見上げると、こくりと頷いた。
「……アルモアちゃんは……?」
「私は平気きゅる!」言いながら、彼女は身を翻して彫刻頭を殴り飛ばした。「怪我もほら……この通り!」
 刀の刺さっていた部分に手をかざすと、赤い切り傷がたちまち消えた。
「わ……っ。すごい!」
「よーしほら、お母さんと走るきゅる!」
「うん! ありがとう!」
 近くにいた母親が少女を抱き上げると、何度も「ありがとうございます」と頭を下げながら前へと避難していった。
 一部始終を見ていた私は、敵を前にしながらぐねぐねと悶絶してしまう。
 人を助け、可憐に微笑む! 
あぁ、これこそがアルモアの姿! 
「素晴らしいです……!」
「……なにをやってるきゅる」
 戻ってきたアルモアが呆れた顔を浮かべる。
「やっぱり生のアルモアは最高だと思いまして。痺れますねぇ~」
「あ、そう……」
「お怪我、本当に大丈夫ですか」
「勿論きゅる。あの女の子には感謝しないと」
「感謝?」
 私が首をひねると、アルモアは誰にも見られないように俯いてから、ニッと口角を上げた。
「──あんな最高の見せ場を作ってくれて、マジ感謝きゅる……!」
 なにかを滾らせていく彼女とは対照的に、しゅんと私の興奮が冷めていく。
 そうだ。見た目はアルモアでも、中身はあの十坂なのだった……。
 周囲を見回すと、逃げつつも動画を回している人が何人かいた。すぐにでもSNSにアップされるだろう。
「女の子を助けられて、私の人気も上がるなんて、……お得きゅる!」
 一応正義感で動いたようなので、良しとしよう。
「よーし、サクッと片づけるきゅるよー!」
 アルモアが座席の上を兎のように駆けていく。
「〈示せ線(ペイ・ストリング)〉!」
 ステッキから白く輝く魔力が迸り、宙に引かれていく。描こうとしているのは、やはり五芒星の魔法陣。
 ──デペイズマンは〝本体(ボディ)(ボディ)〟から魔力供給を受けているため、どれだけ攻撃しても回復し続けてしまう。その繋がりを断ち切るために、魔法陣で囲む必要がある──。
と、彼女は言っていた。
「皆さん、落ち着いてください! 慌てずとも、アルモアがいるから安心です!」
 私は大声を張り上げながら避難誘導を行った。出口に車両内の全員が殺到してしまい、大混雑していたからだ。それをどうにか宥めながら、一人ずつ車両を移動してもらう。
「大丈夫ですか、立てますか」
「ありがとねぇ」
 転んでしまった人などを支えながら、デペイズマンから遠ざける。
 車両後方を振り返る。彫刻頭は全部で四体。アルモアは基本的な格闘や魔法を駆使して、彼等を削り取っていく。たまにこちらへ敵が流れてきたら、すぐに駆けつけて蹴り飛ばしてくれた。
 やはりデペイズマンは不死身なようで、アルモアが何度顔を粉々にしてもすぐに破片が集まってきては復活していた。
 そんな激しい戦闘の最中、隙を見つけては車両全体を駆け回り、天井へ五芒星を描いていく。車両に合わせてか細長いかたちをしていた。
 そして最期の頂点を結んだとき──アルモアは壁際で囲まれてしまった。
 四体の彫刻頭が、じりじりと彼女へ近寄っていく。ぎらついた彫刻刀を振りかざし、その衣装を引き裂かんとする──。
 私は肝を冷やし、叫んだ。
「アルモアさん!」
 ──瞬間、彼女の姿が消えた。
 彫刻頭たちが、腕を上げたままきょろきょろと周囲を見回す。そして顔を見合わせた彼等は、いつの間にか五体に増えていることに驚いて固まった。
 オタクである私は、当然その魔法を知っていた。
 ホッとして口のなかで呟く。
「……〈示せ幻(ミラージュ)〉、ですね」
 一体の彫刻頭が、突如として裏切って仲間を殴りつけた。さらには倒れた仲間を踏みつけ、通路を走ってくる。
「残念だったきゅるね!」
 アルモアの楽しげな声が聞こえる。彫刻頭とスーツがぐにゃりと歪み、その身長を低くして、幻影を纏っていたアルモアへと戻った。
 示せ幻。
見た目も背格好も変えて周囲の目を欺く魔法。
 考えてみれば、なんとも十坂らしい魔法である。
「さぁ、こっちにおいで!」
 アルモアは通路の中腹まで来てから振り返った。彫刻頭たちが、騙された怒りを燃やすような勢いで彼女を目指して走って来る。
 そして彼等がちょうど中央にやってきたタイミングで、
「〈示せ線(ペイ・ストリング)〉!」
 ステッキから太い紐を鞭のように伸ばして、ぐるぐると一網打尽にした。
 彫刻頭たちが、団子状になって動けなくなる。
 アルモアが私を振り向いて、右手でしっしっと追い払う。
「……もっとそっちへ行って欲しいきゅる」
「え?」
「──星が降る」
 詩的な台詞と共に、アルモアがくいっと人差し指を立てた。
天井に描かれていた魔法陣が──落下してくる。
 その中心に彼等が囚われる。
 これで魔力供給を断った。すなわち、必殺技のタイミング──!
「今です、アルモアさんッ!」
 私は勝利を確信した高揚のままに、そう叫んだ。
 しかし。
「……」
 アルモアは黙ったまま何もしない。ステッキを前にしたポーズのまま、固まっている。
「……」
「あ、アルモアさん? 何をしてるんですか……? 早く倒さないと……」
 私は意味が分からず、恐る恐る問いかけた。
 ──すると。
 ピコンッ、と電子音が鳴り響いた。
 車両内に残っていた客の一人が、動画撮影を始めたのだ。
 それを聞いたアルモアが、途端に勢いを取り戻し──叫んだ。

「──〈示せ、雷(スクエア・ライトニング)〉ッ!!」

 ステッキから紐を伝って激しい雷魔法が炸裂する。紐で何重にも縛り上げられていた彫刻頭たちは、全身でその衝撃を浴びた。
 車両内に眩い光が瞬く。私は思わず顔を隠した。
 彫刻頭達は、スーツが破け、顔面に亀裂が走り、そして……たまらず砕け散った。
 後に残った破片の山積みは、ややあってどろどろと絵の具のように溶けて消えていった。
 その様子を静かに見下ろす魔法少女の姿を、私は愕然として見つめた。
「ま……まさか……。アルモアさん……。いま、撮られるのを待ってから(・・・・・・・・・・・)……必殺技を撃ちました……?」
 アルモアは振り返ると、肩をすくめて「きゅるっ」と笑った。
 ちろりと覗いた舌先が可愛かったので、私はどうでもよくなった。別にいいじゃないか倒せたんだから。健闘である。
 ──そしてアルモアは背景に溶け込むよう、すぅっと透明になり消えていった。これは〈示せ幻〉の活用法で、変身を解く際は周囲に見られないよう透明化するのだ。
 車両内へぞろぞろと乗客達が戻って来る。
 彼等は破壊された椅子やラックに怯えたり、踏みつけられた旅行鞄に苦笑したりした。
 そしてアルモアが勝利を収めたのだと分かると、自然と拍手が沸き起こった。
「アルモア、ありがとー!」「おかえりアルモアー!」「私の鞄踏まないでよー!」「可愛かったよー!」
 まだ近くにいるであろう魔法少女へ口々にお礼を述べた。
 あの大パニックから一転、どこか朗らかなムードに包まれる。勿論、デペイズマンに遭遇した恐怖の癒えていない者はまだ別の車両にいるのだろう。切り替えられた人だけが集まっているわけだ。
 それでも、こんなに多くの人達がアルモアを称えている。彼女が久々に現われたのを喜んでいる。
 私はじんわりと目頭が熱くなるのを感じた。
 推しが人々に暖かく迎え入れられている様子は、まるで自分のことのように嬉しかった。彼女を好きでいて良かった、と心の底から思う。
 だが胸が暖かくなると同時に──かすかに心へ靄がかかった。
 喜びきれないこの感情は、一体なにか。
 羨望である。
 何かを成し遂げて、こうして沢山の人々から賞賛を受けて、功績を称えられる。
 彼女しかできないことがある。
 彼女しか持たない力がある。
 彼女は──世界に居場所がある。
 それが果てしなく羨ましいのだった。
 私は自分勝手にもいじけたような気持ちを抱えながら、それでも勝利の興奮に顔を赤らめ、元の席まで戻ってきた。
 窓側の席には十坂がいた。腕を組んだポーズでぐったりと脱力し、息を荒げている。
「お疲れ様です。十坂さん」
「あ、あぁ……。お疲れー……」
 彼女の顔はすっかり青ざめて、額には汗も滲んでいた。
「レイもアドバイスさんきゅー……」
 と、左肩の上らへんを指で撫でていた。私のような一般人には聞こえなかったが、戦闘中にあれこれ指示出しをしていたのだろう。流石、相棒である。
 十坂は非常に疲弊した様子だった。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、いや……。ちょっと目眩がな……」十坂がぎゅっと眉間にしわを寄せる。「くそっ。なんか戦った後ってこうなるんだよな……。昔はそんなこと無かったのに……」
 まるで貧血のような症状だ。変身にはそのくらい体力を使うのだろうか。
 私が心配して「水要りますか」と声をかけると、彼女は無言でこくりと頷いた。
 自動販売機を目指して通路を歩き始めたとき、新幹線にアナウンスが響いた。
『当新幹線は、盛岡駅に緊急停車致します──』

 既に警察が集まっていた盛岡駅から逃げるように抜け出して、歩いて数分の場所にあるビジネスホテルで部屋を借りた。
 最初は私と十坂で部屋を別々にしようとしたのだが、「お金が勿体ない」と押し切られてツインルームになってしまった。
 新幹線での戦闘を経て、私も十坂も汗がだくだくであった。安価な部屋着を買って、ホテルでそれに着替えてから、制服を手にコインランドリーへ向かった。
 ごんごんと洗濯機が回るのを横目に、私たちはベンチに腰掛けてスマホで動画を見ていた。
『〈示せ、雷(スクエア・ライトニング)〉ッ!!』
 アルモアがそう高らかに叫んでデペイズマンを倒す瞬間は、既に三万以上の再生数まで伸びていた。久々の魔法少女に、ファンのみならず日本中の人々が騒いでいる。あの場で撮影したであろう様々な動画が、あらゆるSNSで拡散され、ネットニュースに取り上げられていた。
「ししし……。増えてる増えてる……!」
 十坂は悪魔のように笑いながら、自身のユーチューブチャンネルを確認していた。
 登録者数が目に見えて増えていくことが愉快で愉快でたまらないのだろう。
「ほんと、最後に一瞬待って正解だったわー」
「あれはやっぱり、撮られるのを待っていたのですね」
「当然。やっぱ倒す瞬間が一番バズるんだよな。あとは配信のアクシデント」
 十坂の徹底したスタンスに私は苦笑する。
「……なんだか、一周周って尊敬すら抱きますね。アルモアとしての演技も、魅せるような戦い方も、すべて人気のためですか?」
「正確には、再生数やグッズ販売による収益化だな。初めは生活費の足しにするためだったが──いつしか手段と目的があたしんなかで入れ替わっちまった。マジたまんねー」
 十坂はわきわきと指を動かしながら、実験が成功したマッドサイエンティストのように有頂天になっていた。登録者数や再生数がリアルタイムで伸びるのを見て、唇から涎を垂らしている。
「……生活費?」
 そのワードが引っ掛かり、私は口の中で呟いた。
 どうして高校生が生活費を稼ぐ必要があるのだろう。家庭の財政が苦しいのだろうか。
 それとも──そもそも家庭が無いのか?
 私は少し気になったが、余計な質問はしないことにした。彼女から水を向けないことに探りを入れるのは、善いこととは思えない。魔法少女の正体や、デペイズマンの目的についても、同じことである。それにわざわざ訊かずともそのうち分かるだろう。この旅は、デペイズマンの〝本体(ボディ)(ボディ)〟へと近づいていくものなのだから。
「あ。体調はもう大丈夫ですか?」
 言いながら、私は二人分の制服と下着を乾燥機へと移した。
 十坂は手伝わずにベンチで長い脚を組んだまま、いまだスマホに魅入っている。
「あぁ。本調子じゃねーけどな」
「やっぱり変身の反動なんですか? それとも魔力の使い過ぎとか……」
「あー、魔力の使い過ぎは多分あるな。……五芒星で奴らを囲んで〝本体(ボディ)(ボディ)〟との繋がりを断ったら、逃げられる前に一発で仕留めなきゃなんねぇ。だから必殺技を使うんだが──」
 十坂が、ぐっ、ぱっ、と自身の手のひらを動かす。
「必殺技を使った直後は、しばらく魔法が使えなくなる。身体がショートした感じになっちまうんだ。多分、その影響で体調も崩してんじゃねーかなぁ」
「そうだったんですか」私は軽く驚き、そして彼女の戦いをあれこれ思い出した。「……あれ? でも、敵を倒した後は〈示せ幻〉で透明になってから去ってますよね」
「あれはホント、ぎりぎりなんだよ。魔法が使えなくなるまで数十秒だけ猶予があるから、その間に透明化して慌てて走ってんの。で、人目に付かないところで元の姿に戻るわけ」
 激しい戦闘の後でそんな苦労があったとは。
 傷ついた魔法少女がばたばたと路地裏を目指して走るイメージは、どこか哀愁があった。つくづく頭が下がるばかりである。
 乾燥機のスイッチを押す。しわのつかないモードを選択したが、シャツなので難しいだろう。ホテルに戻ったらきちんと干さなくては。
 私は湿った手をはたきながらベンチへと戻った。十坂から一人分の距離を開けて、腰を降ろす。
 ──夕方五時を告げるチャイムが聞こえた。
 ガラス張りの壁からランドリー前の路地を見る。大通りに薄っすらと夕日が注がれて、コンクリートが橙色に照っていた。行き交う車の影も長い。対面の歩道に、小学生くらいの子供が母親と二人で歩いているのが見えた。
 洗剤の匂いと乾燥機の音が漂うなか、私たちはしばし黙って知らない街の夏を見ていた。
 と、あることに気が付く。
「……あれ? でも十坂さん、『昔はそんなこと無かったのに』って言ってませんでした?」
「なにが?」
「いや体調についてです。戦闘後に眩暈を起こしたりするの、昔は無かったって……」
「あー。確かに言ったわ」
ならば具合が悪くなる原因は、必殺技の反動だけとは限らないのか?
 そう考えてみた途端、私のなかで記憶が断片的に呼び覚まされた。それらを帰納法的に考えると、ある一つの仮説が浮かぶ。
「……もしかして十坂さん、普通に不健康なのでは? 朝ごはんも昼ごはんも食べてないそうですし、結局お菓子で代用していましたし……。それに、学校にはいつも遅刻してきますよね? 生活リズムが乱れていて、睡眠も栄養も十分に取れていないのでは」
「いやうるさ。余計なお世話なんだけど」
 十坂がむすっとして腕を組む。不機嫌というより、照れているようだった。
「いえ、これはとても大切なことです!」
 心のなかで使命感のようなものが燃えた。
 私は立ち上がり、びしっと彼女を指す。
「人を生かすものは結局健康ですから! それは体調だけでなく、心にも影響します! ……きっと魔力にも!」
「勝手なことを。ほっとけ」
「ほっとけません。隣人を助けることが私のモットーですから! ……取り敢えず、今日の夕飯は私が用意します」
「はぁ? なに勝手に決めてんだ。あたしは今夜、あんたの金でラーメン食ったあと、だらだらエゴサしながら深夜テレビを見んだよ」
「あぁもう全っ然駄目です。恥を知りなさい。これから、スーパーに行ってサラダを買います! 夜はぴったり十時に寝かします!」
「嫌だね! 〝いいんちょー〟の指図は受けねぇ。黙って封筒を出しな!」
 グルルとこちらを威嚇してくる不良娘。
 手を焼いた私は、ごほんと咳払いをしてから奥の手を使うことにした。
「……『いつもありがとう! 大好き、ちゅっちゅっ』」
「だああああああっ!? あ、あたしの黒歴史を暗唱すんじゃねぇ!」
 十坂が耳を塞いで悶えだす。なんとも便利な弱点だ。
「──いつもありがとう! 大好き、ちゅっちゅっ。いつもありがとう! 大好き、ちゅっちゅっ。いつもありがとう! 大好き、ちゅっちゅっ。いつもありがとう! 大好き、ちゅっちゅっ──」
「分かった分かった! 分かったから! その真顔で繰り返すのを止めろ!」
「指示を聞いてくれますね?」
「……勝手にしろ!」
 ふんっ、と彼女がそっぽを向いた。こちらに背を向け、背もたれへ頬杖をつく。
 スニーカーのかかとが不機嫌なリズムを床へ打っている。
 そんな様子を見て、一矢報いることができたような嬉しい気分となった。

「ご馳走様でした」
「……した」
 栄養バランスを考えた組み合わせで惣菜やサラダを選び、ライティングデスクに並べた。十坂はぶつくさ文句を言いながらも、それらをすっかり食べてくれた。
 空になった容器や箸を回収し、持ち歩いているゴミ袋へ放り込んでいく。
 十坂はすぐにベッドへ横たわりスマホを弄り出した。
「あ、こら! 食べてすぐ横にならない!」
「もー、いちいちうっさいなぁ!」
 彼女は不貞腐れながら身体を起こし、シーツの上で胡坐をかいた。
 ……さて、無事に夕飯を済ませた。今日の寝床も確保した。
 あとはホテルにある浴場で身体を綺麗にして、さっさと寝るのがいいだろう。
 ──寝る。
 そう、それが問題である。
 年頃の男女が一つの部屋のなかで枕を並べて寝るなんて、到底看過できない事態だ。このツインルームを取ったときから、どうしたものかとずっと悩んでいた……。
 やはり、解決する方法は一つ。
「──十坂さん。大事なお話があります」
 私は椅子に姿勢良く座り、彼女を真っすぐ見据えた。
「んだよ、かしこまって」
「今晩、このままこの部屋で並んで寝ることは、大変ふしだらに思われます」
「は?」
「なので、私たち付き合いましょうか」
 十坂は口を開けたままま、唖然とした表情で固まった。
 私は続ける。
「恋人関係であれば、男女が同じ部屋で一晩を過ごそうとも問題ないと思います。幸い十坂さんは私のことが好きなようですし、付き合うことも可能でしょう。如何ですか?」
 彼女はひどい頭痛を覚えたように眉間を抑えた。
 そして大きな──それはそれは大きな溜息をついた。
「はぁ~~~~~~~~~~~……………………あんた馬鹿だろ」
「失礼な!」
「ツインルームごときで今更ごちゃごちゃ騒ぐな。ベッド別れてんだろ。大体、慌てて付き合ったところで不健全さは消えねーよ。関係性なめんな。諦めろ」
「しかし……ふしだら……」
「あと勘違いしてるようだけど、別にあたし、あんたのこと好きじゃねーから」
 え、と驚いて彼女を見る。
 すると十坂はひどく冷たい目つきでこちらを見ていた。毎朝教室で挨拶を無視するときと同じ顔だった。
「ただタイプってだけで、別にあんたと深い関係になりたいとかはない。玩具であり金づる、それがあんただから」
 突き放すような口調で言われて、私はショックを受けた。そして、我に返るような恥ずかしい気持ちに包まれる。
「あたしは、恋人も友達も作る気ないから」
 十坂は表情の無い顔でそう宣言し、目を逸らした。
 私は思わず訊いた。
「それは……どうしてですか」
「魔法少女だから、以外に無いでしょ。魔法少女に親しい人間は要らない。一人も」
「一人もって……。でも、家族とかは?」
「いない」
「え……? い、いないとは?」
「魔法で記憶を消したからな。あたしは誰が家族だったのか覚えてねーし、家族もあたしのことを覚えてない」
 言葉を失った。
 その場限りの嘘をついているわけではないと分かるくらい、彼女の言葉の端々からは重みが滲んでいた。淡々とした表現が想像を掻き立て、私を動揺させる。
 魔法で互いの記憶を消した。
 だから、家族はいない
 そうか……だから生活費を稼ぐ必要があったのか。アルモアが配信を始めた理由はそういうことだったのか。
「昔、家族の一人が人質に取られたことがあった。もうそいつが妹だか弟だかすら、あやふやなんだけどな。あたしは頑張ったけど、結局家族に重傷を負わせてしまった。守り切ることも戦い抜くこともできなかった。……だから消した」
「……っ」
 開きっぱなしになった口から、出てくる言葉が見つからない。何を言っても侮辱になるような気がした。
 私は耳を熱くする。彼女の顔を直視出来ない。
 ──強烈な羞恥に襲われたからだ。
 そのような過去を想像できず、オタクとしてただ興奮していたこと。
 彼女の背負った運命を想像できず、魔法少女をただ羨んでいたこと。
 情けなく、恥ずかしかった。
 だがそんな同情すら、今の私が口に出したところで彼女を不快にさせるだけのような気がした。
 家族を消した。
 そんな出来事をさらりと語ってしまえるまで、一体どれほどの葛藤を経たのだろう。
「それ以降、親しい人間は作らないと決めた」
「クラスでの振る舞いも、そういうことですか……」
「分かったら、あたしと付き合うのは諦めな」
「つまり、レイさんだけということですね」
「……あ?」
 十坂が意表を突かれた声を漏らした。
「そこにいる──」私はどこを指していいのか分からず困った。「レイさんだけが、十坂さんの傍にずっといた……というわけですね?」
 十坂の頬がピクリと動いた。そして、バッと庇うように左肩へ素早く手をやった。
 私は人差し指の先をそこに合わせた。
「レイさんがいて良かったです。十坂さんが、本当に孤独というわけでは無くて……。私からも、勝手ながらお礼を」
 私は視えないレイに向かって頭を下げた。
「……あ、あぁ……。それは、そうだな……」
 十坂は少し思い詰めたような表情を見せてから、ふっと頬を緩ませた。
「レイもお礼を言ってるよ。──我を気にしてくれて感謝する、ってな」
 左肩に指をやって、やはり愛おしそうに撫でていた。

 その夜。私たちは十時に消灯して床に就いた。
 深夜二時くらいだろうか。私は、何者かが掛布団に入り込んでくる気配で目を覚ました。
 当然、十坂である。
「……!」
 私を背後から抱いて、自分の身体で包み込む。長い腕と脚を絡めて、つむじに顎を乗せてくる。
 トリートメントの香りと高い体温を感じる。背中では、柔らかい胸の感触が広々と潰れていた。
 咄嗟に手首を掴んだものの、跳ね除ける気は起きなかった。
 恋人ではなく、友人でもない。
 なら、今の私は抱き枕と言ったところだろうか。
「ごめんなさい……。ごめんなさい……」
 聞こえるか聞こえないかくらいの音量で、そう呟いたのが聞こえた。
 十坂は震えていた。こんな蒸し暑い夜に密着して、それでも寒そうに震えていた。
 私の心に同情が瞬いた。彼女を抱き返すかどうか迷った。夢と現実の境界で自責の念に苦しむ〝隣人〟を、慰めるべきなのか。
 ──「それ以降、親しい人間は作らないと決めた」
 十坂の言葉を思い出す。
それは、私との間に線引きするような言葉であった。
彼女から必要とされていない。
なら、抱き返す必要も無い。
「……ごめんなさい……っ」
 十坂がさらに強い力で私を抱きしめる。内蔵や骨が優しく潰され、息が詰まった。
 私を拒絶したくせに、こうして私に抱きついてくる。
 そんな矛盾した言動に苛立って仕方ない。
 ──「タイプってだけで、別にあんたと深い関係になりたいとかはない」
 あの言葉を聞いたとき、なんだか裏切られたような気分がした。私は微かに期待していたのだろう。彼女が、アルモアが、──自分を必要としてくれるのかもしれない、と。
 でも結局、間違いだった。タイプであれば誰でも良かったのだ。親しくなる気は無かったのだ。何者でもない私は、こんな旅路に置いても代替可能な存在だったというわけだ。

 二人分の体温は茹だるようで、しばらく眠ることができなかった。

アルモア 1-3

アルモア 1-3

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 青春
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-02-26

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 【プロローグ】 & 【第一話】
  2. 【第二話】
  3. 【第三話】