無水詩集
祈られない祈り
祈られなかった祈りをせいいっぱい祈ろうとするがためそのきゃしゃなゆびさきを無防備に折らされたかなたの無水の薫り降らす燦燦な非-祈り その一風景はあなたをおびただしい不在の裡に拡大閉鎖境の銀雨さながらにしゃなりしゃなりとおもたい銀繊維のはらりと硬質な銀製光線で射しつらぬいたのが亦連続される不連続性の宿命
あなたはその瑕の剝ぐ様な繊維繊維を恰もピアノ線のうえあゆむようにして躰をいつでもざらつかせる したがって、昇るが如く降りくだって往くのがけだしあなたの一貞節
けだしあなたはなにからも祈られない一祈りと云う音楽現象と云う一にほかならない 無数の無水祈祷はあなたの身を祈られもしない無へほうっと水の曳く一の澪とした レノアの淋しさへと墜落させ恰も冷めたく変容させて了ったのが恰もあなたの宇宙
と云うのもそれの依拠は湖上の月、或いは青みのかかる仄じろい翳りの無香性 くわえて透き徹って往く机上の月光が戯れとして照らす水音の幻想舞踏の幾つか──即ち無きが故信じられうるそれ等がわが推論の幾つかの蒼銀の鏤めの幾つか
祈られない、従ってその祈りは祈るにあたいする、かのような不合理的理論はこれ等想念によりぼくが詩的帰結したのだった
あなたが生きた
それと云う後方へ幾つかの詩を曳く一の澪のはんらんのしずしずなるprayerをひきよせた眸の火の如きは、あれは 月硝子のまっさらな城のはやばやなる失踪の反映 城ははじめから無かった さすればあなたは祈られないままに祈りえたというのが明白なる不在な証明
いまを生きることの継続は否定の連続性の瑕の綾織りと暗みによりみなされうる 躰を祈りと云う澪へ曳き往かせるかなたへの躰の沈め
祈りはいつでも肯定への悲願 そうであれ
*
生きていたくないあなたにとって、生きることそのものが──祈りだった
義母の薫り
さながらに恋人がするような悠長なうごきで わたしに疵として睡る追憶 それが 眼をとぢたままにわたしの背を抱いた、うしろから
ゆったりとしたむね、それ わが心臓を鋭く圧したのだった、わたしはそれを撥ねのけた、そのむねのいたみを いとおしげに蹴ろうとしたのだった
わたしの わたしだけの わたし固有の後追いに死せるジュリエットよ 貴女はいま 追憶のおもてに照る光と音楽のうつろいにすぎないのに
貴女はわたしがかれにねじふせられあやめられたかつてに ともに滅びるべきであった けれども──不穏な香水、死翅の曳くゆったりとしたむなものから辷る 馥郁たる蠱惑めいたかの薫り…それが 青とましろへ往きつきさえすれば ああ、どんなによかったことだろうか
*
真紅の死──不在
一条に上方へ墜落するかの如くましろへ剥がれた、死せる燕の惨たらしい高貴のうらがえし
なげ棄てられた、いちりんの薔薇 それ、さながらにかなしげにみえるほど精緻にととのっていたのだった 純粋な愛、という名辞同士の破綻 されどしごく当然なる名辞の織重なり 愛はいつでも純粋、そうであってほしいのに 無──さすれば、信じる
*
わたしは母と愛しあいえないから わたしを絶対に愛さない義母を詩的構成したのだった 愛しえるから、無きがゆえ わたしをけっして是認しないから、満ちるゆえ
愛されえぬ女
男たちの性愛に愛されえぬ躰をもった女が まっしろなシイツの折られる陰影の叫喚する劇しき”火の寝台”に恰も“かれ”を俟つが如くしんと身を横臥させていたのだった、女の眸には感受されえぬも心の根には信じられうるわが美しさの重みに 恰も耐えかねていたのがその女の恨みがましい遺書的裸体の生ける姿の横臥わり そうも云えて了うのが亦哀しい常であるというのがぼくの詩的推論の一なのだ
そが美はいつでも身を折る、恰も淋しさに耐えかねる様に 花の定を前のめりに示す、浮びのばされた無数のコケトリイよ 恰もそれの様なうごきにより内奥へひそやかにそが美を折りたたませるのが 女が、みずからに負わす定めだったのか?
かの御空の沈黙の様な律義に従われ 織られた、すべてのひとびとの躰の林立するに追い従いそれ等翳りの淡きが故に無明を燦燦とさせる美の絶世 はや女の横臥しのイマージュはそれの反転と云う一致の双つにちがいなかったのだけれども、かの女はかのような遥かにたなびく無明の光のまっさらな暗みの反映 かずかずの永遠を──恰も 一刹那に折りとぢた様にして睡っているのだった、無数の一特別がみずからに一存在の無数の亀裂として所有ち歩くことを、最早 女は希んではいない様だ
*
(ぼくはわたしを とるにたらぬ剥がれの一疎外と想っていたい、ぼくはかの宇宙から一刹那剥がれた雲母硝子の一永遠の歌をわななかせる 幾夜、幾夜に
無数の永遠に侍りなおされるだけのひとときの死翅であると、ぼくは わたしを定義したい)
*
かの女の名を呼んで──
かの一特別の疎外の剥がれとしての躰が美しくないといつも見做される女のそれそのままを それ固有の暗みとしどうか引きあげて、昇らせて
さながらに 冷然硬質の死が、すべての生をそうしてくださる様に──
されどぼくは女の名が匿名と無名と無個性へ女の意志により剥がれて了ったのを知っている
*
処女なる詩句が泡と消ゆる定の儚さとして 海へ反映しようとするかの引き連れの歌を かの一貞節を、それが永遠であると云う一を はやぼくは愛さない
それと云う最上に淫らな一貞節を心臓へとどめ鼓動に耐えるレッスンが、亦女のそれであるとも云えるのだから
さすれば青薔薇──それを、一刹那ののち砕かれる予定のグラスへしんと注ごう
如何なる光も音楽も欠落した この疵に痩せほそることを強いられた一貞節と云う無風景を 恰も青いワインを一条射すが如くに煌めき沈むグラスへ落そう、上方へ──女はその破裂の可能性を下腹部の亀裂の代替として睡らせる試みを嘗てしたのだった 愛されえぬ女の裸体は女により一特別の衣装と変容され、上方へ星々を貫こうとした、射しちがった
音楽と光の反転──それに追い従い砕かれる硝子 はじめから無き、青薔薇の香水のためいき
なにが、悪い?
*
ぼくの左手の薬指には奥行なきオニキスの黒々な淋しさとのペアリングが燦燦と沈んでいる 女よ あなたの無数の発狂は一固有のそれ等が貴女のすべてであったか──ぼくは貴女の名を呼びはしない あなたも亦、それを希んではいないのだから
無水詩集