見知らぬばあさんに人魚をもらった話
痛い。左肩がすごく痛い。俺はあまりの痛さで意識が戻って来た。どうやら気絶していたらしい。血の匂いがする。俺はゆっくりと目を開けた。だだっ広い野原が満月に照らされて、昼間のように鮮明に見える。そこには何百人もの遺体と、吐きそうになる血の匂い、そして折れた刀や槍などの武器があちらこちらに散らばっている。俺は痛む左肩に手をやった。そこには矢が刺さっていた。格好良くて自分では気に入っていた革製の防具を貫き、俺の左腕を使えなくしている。右手で矢をつかんで引き抜こうとしたが、肩に食い込んだ矢は抜けなかった。激痛が走り、思わずうめき声が出る。
「俺は死ぬのか?」
その場に仰向けになり、明るい月を眺める。大して長くもない人生の記憶が、頭の中を駆け巡る。貧しい農家の九男坊の俺は、十五歳で戦闘集団に売られた。家では牛馬のように使われ、おまけにろくに飯にもありつけなかった俺にとって、夢のような生活が始まった。訓練はきつかったが家の仕事に比べたら随分と楽だった。何よりもちゃんと飯が食えるのはありがたかった。訓練所には、俺と同じ境遇の者達が大勢いた。俺たちはそこで二年ほど訓練に明け暮れ、一か月ほど前に実戦に投入された。そして今、圧倒的な力の前に仲間は打ち倒され、気が付くと俺一人が生き残っていた。その俺の命ももうすぐ終わるだろう。俺は目を閉じた。
がさがさと草をかき分けて歩く音に気付いて、俺は目を開けた。頭を少し上げて音のする方を見る。すると、仲間たちの遺体を一つずつ見ながら動く、小さな人影を見つけた。そいつは遺体の上にかがみこみ、手で何かを探している。やがて小さな蛍のように光るものを取り上げ、持っていた布袋の中に入れた。人影はだんだん近づいてきて、俺の前で止まった。そいつはぼろをまとった腰の曲がったしわくちゃの婆さんだった。
「ほう、お前生きているのか」
「生きていて悪かったな。もうすぐ死ぬから待っていろ」
俺がそう言うと、婆さんはくすくすと笑った。
「矢が1本当たったくらいで死ぬか?」
「死ぬだろう!もう左腕の感覚は無くなったぞ」
「そうか。お前まだ生きたいか?」
「当然だ。まだ十七歳だぞ?これからだろうが」
「ふ~ん。生きていても碌な時代じゃないがな。でもまあ、生きたいのならいいものをやろう」
そう言って婆さんは懐に手を突っ込んで、錦の袋を引っ張り出した。紐をほどき、中から一匹の魚の干物を取り出す。五寸ほどの大きさだ。それを俺の手に握らせる。俺は干物をしげしげと眺めた。いわしかと思ったが、顔つきが人間のように見える。長い胸鰭は、まるで腕のようだ。
「何だこれ」
「人魚の干物さ」
「人魚?ばかばかしい」
「まあそう言わずに、喰ってみろ」
「ああ、喰うさ」
腹が減っていた俺は、干物を丸ごと口に放り込んだ。ばりばりと音を立ててかみ砕き、飲み込んだ。
「魚臭いな」
「魚だからな」
「人魚って、魚なのか?」
「そうだよ?なんだと思ったんだい?」
「妖怪だろ?」
「違うよ。魚さ。こういう魚なのさ。でもこれを食べると、不老不死になる」
「そうなのか?」
そんな話をしているうちに、俺は体に力がみなぎって来るのを感じた。肩の痛みも無くなった。
「ふんっ」
俺は矢をつかんで引き抜いた。矢が抜けると、傷があっという間になくなった。
「ばあさん、これすごいな」
「不老不死になったからな。それは人魚の呪いなのさ。もう死にたくても死ねなくなったし、ケガも病気も飢えも乾きも無い。眠らなくても問題ない」
「そうか。それがいいのか悪いのか分からんがね」
「どうしても人魚の呪いを解きたければ、わしを呼べ」
「どうやって?」
「人魚ばばあ、来てくれ。これを三回繰り返せば来てやろう」
「人魚ばばあ、来てくれ・・・だな?」
「そうじゃ」
それだけ言うと、婆さんは立ち上がって背を向ける。
「ちょっと待ってくれ」
「何じゃ」
「さっき何を集めていたんだ?」
「さっき?」
「何というか、蛍みたいなものを集めていたろう?」
「ああ、それは魄だ」
「魄?」
「魂魄というじゃろ。魂は死ぬと体から抜けて飛んで行ってしまうが、魄は体に残るのじゃ。それを新鮮なうちに回収するのさ」
「へえ。そんな物集めて何するんだ?」
「ヒヒヒヒ。いろいろ使い道があるんじゃよ」
そう言って婆さんは去っていった。
数十年後、俺は荒廃した丘の中腹で伏せていた。丘には爆発音と弾が空を切る音が充満していた。砲弾の爆発で耕された丘には草木一本なく、替わりに無数の遺体が転がっていた。息が詰まりそうなほどの硝煙と血の匂い。俺はまた戦場にいた。無数の弾が飛び交い、砲弾の破裂は周囲の人間もろとも土砂を空に巻き上げる。ひどい戦場だ。そのど真ん中で俺は息をひそめる。やがて夜になり、周囲が静かになった。俺は起き上がり、腰をかがめて早足で歩き、自軍の陣地に向かった。途中、知らない男と一緒になった。俺と同じ階級章を付けている。男が俺に話しかける。
「おい、お前。ちょっと聞くが、もしかして人魚喰ったか?」
「なんだそれ?」
俺は警戒して男を見る。男は俺の服の胸に空いた弾痕に指を突っ込む。
「人魚?知らんな」
「そうか」
男はそれ以上のことは言わなかった。陣地の入り口で別れてから、その戦場で男を見ることは無かった。
数十年後、俺はビルマの山中を敗走する集団にいた。
「おい、久しぶりだな」
「?」
俺は男に声をかけられた。なんとなく見覚えのある男を、いぶかし気に見る。
「旅順の戦い以来だ。やっぱりお前、人魚喰っただろう」
「・・・・あ~あの時の。お宅も喰ったのか?」
「ああ、俺も喰った。奈良から京に都が移った頃だ」
「京の都?平安京!大先輩じゃないですか。俺は江戸末期です」
「そうか。それにしても戦場でしか会わないとは、なんとも因果な話だな」
男は苦笑した。俺たちの周りには飢えと病気で力尽きた大勢の同胞がいた。そんな中健康そうな俺達二人の姿は、異様だった。
「目立ち過ぎだな。逃げようぜ」
男と俺は、隙を見て脱走した。
三たび男と出会ったのは、昭和六十年の東京だった。ビルマ戦線で脱走した俺達は、ジャングルの中で終戦まで身を隠し、戦後の復員船に潜り込んで佐世保に上陸した。そこで俺達は別れたのだが、今回俺が根城にしている公園のベンチにひょっこりと座っていたのだ。
「久しぶりですね、先輩」
「ああ、お前か。俺はなんだかくたびれたよ」
男は相変わらず健康そうだったが、目に活力が無かった。
「俺は少し長生きし過ぎた。日本も平和になったし、そろそろ終わりにしようと思ってな。それで最後にお前に会いに来たのさ」
「良く俺の居場所がわかりましたね」
「いつまでも若々しい人間がいると、噂になっていたぞ」
「え、そうですか。そろそろ潮時かな。実は貨物船にでも忍び込んで中国に渡ろうかと思っていたところです。先輩も一緒にどうですか?」
「いや、俺はいいよ。長すぎた人生を終わらせようと思ってな」
「呼んだかい?」
突然後ろから声をかけられて、俺は飛び上がった。
「何?びっくりした」
振り返ると、婆さんが立っていた。現代風のこじゃれた格好をしている。
「人魚のばあさんか」
「あんたかい?呼んだの」
「俺だよ」
男が婆さんに声をかける。
「ああ、あんたか。随分久しぶりじゃな」
「千二百年ぶりかな。そんな事より、俺は人魚の呪いを解きたいんだが」
「そうかい、ちょっと待ってな」
そう言って婆さんは、肩から下げていたポーチを開け、中から錦の袋を取り出す。指を突っ込んで、袋の中から人魚の干物をつまみだす。
「それ、人魚か?喰ったのと少し形が違うが」
「これはオスの人魚さ。メスの人魚の呪いを解く力がある」
「オスか。オコゼの干物かと思ったよ」
男は婆さんから人魚をもらう。
「とげが邪魔だな」
「毟ればいい」
男は背びれのとげを毟り、ばりばりと音を立てて人魚を喰った。
「じゃあな。長生きしろよ」
男は俺と握手した。次の瞬間、男はチリとなって崩れた。着ていた服が、その場にくしゃっと積みあがる。婆さんが服の中を探る。
「あった。随分と立派じゃな」
婆さんは魄を取り上げた。それは野球のボールほどもあった。それをポーチに大事そうにしまい込む。
「じゃあな。用があったら呼びな」
「人魚ばばあ来てくれ、だったな?」
「そうだよ」
忘れるなと言いながら、婆さんは去った。俺は残った服を丁寧にたたみ、ベンチに置いた。男だったチリは、風に吹かれて自然に帰っていった。
五十年後、俺はヨーロッパの戦場にいた。敵に向かって銃を撃ちまくる。飛んできた弾が俺に当たるが、俺には全く効かない。
「それにしても・・・」
敵が潜む塹壕めがけて、手りゅう弾を放る。
「何で人間は戦いをやめられないんだ?馬鹿だろう」
俺は戦いを止めない人間達に、うんざりしていた。だからと言って、人生を終わりにするつもりはない。人間がどんな終末を迎えるのか見てみたくなったのだ。
「ばあさん、俺が死ぬときには飛び切りでかい魄をやるよ」
そうつぶやいて、俺はニヤッと笑った。
見知らぬばあさんに人魚をもらった話