歓びの歌

 
 崎(さき)十一(とおいち)は決して非才凡人などではない。
 むしろ彼は才能というものに恵まれ、これに溺れて努力を怠るような人間性ではなく自分が優秀と分かっているからこそ更なる高みを目指すような人間だったのだ。彼を一言で表すのならば、天才、という言葉以外は該当しない。
 しかしそんな彼は堕落した。彼の天才はまるで夢物語のように消え失せてしまったのだ。
 その理由は嫉妬に駆られ血を分けた息子のことを認めようとしなかった十一の親であり、持ってして生まれた特権を羨望する友人であり、十一の努力を認めようとはせずあまつさえ否定し妨害を働く人たちがいたから。
 環境が悪かった。運が悪かった。
 どうとでも言えるが、十一個人は恵まれても周囲の環境が劣悪だったのだ。
 故に崎 十一は廃れた。秀でていることを推し殺さなければいつまでも辛い思いをしたままなら、いっそのこと凡人であればいいと。
 そう思い至ってこれを実行し、凡人に慣れ始め、晴れて“凡人”崎 十一が完成しようとした時に“天災”はやってきたのだ。
 無邪気という言葉がそのまま人間になってしまったような、嘘偽りなく心の底から「音楽が好き」と言える女性に出会ってしまった。
 まさに天災だった。この時代に「音楽にテクニックなんていらないんです。心をこめて音を紡げば最高の音楽になります」と言いその本人が目も当てられない、聴いているこちらが恥ずかしくなってしまうような音を紡いでいた。
 まさに天災だった。凡人に成り下がってしまった十一のゴミ溜めのように荒れてしまった心の中らから“天才”崎 十一を引きずり出したのだ。
 まさに天災だった。まるで嵐のように十一のとりまく環境を破壊していき、そのことごとくを一新していったのだ。
 そして。
 その歌声に魅せられてもう一度音楽を始めたいと思ったことこそが最大で最高の奇跡なのかもしれない。
 秋の学祭のイベントの一環として開かれたコンクールで、燕尾服を着た十一は華やかなドレスをまとった天災と共にその声を魅せるために、ライトと観客の視線を一身に受けてステージの中央に立つ。
 ア・カペラ。
 歌う曲はパッヘルベル作曲、“カノン”。
 お互い口論になった末に決まった曲だった。
 何も本格的に歌うわけではなく所詮は学祭。少しは学生らしく遊び心の入ったアレンジも考えている。
 だから、十一は嫌だった。
 確かにカノンは素晴らしい曲だ。これほどに名曲という言葉が合致するものはないだろうというほどに素晴らしい。アレンジにも文句などない。自分たちに出来る最高を表現できるだろう。
 ―――けれど違うんだ。
 天才と天災の二人を表すのはこの名曲ではない。


 三ヶ月前のとある教室で聴いた歌声はこの世のものではないような気がしてしばらく呆けてから声の元へ駆け出したことを今でもはっきりと覚えている。
 音楽なんて惰性で続ければいいと考えていた崎 十一を心の底から揺さぶった歌声は確かに伴奏も無くその歌声だけでベートーヴェン作曲、“交響曲第九番”を奏でていた。
 凡人を殺して天才を引きずり出した崎 十一のための始まりの歌を、喜びを表現するための歌をここで歌わないでいつ歌うのか。
 予定をぶち壊してしまうが、これだけは譲れない。
 この気持ちよ、届け。



 


 崎十一(パートナー)につけられたあだ名は天災だった。言われた時は天才と思って喜んだものだが、「傍迷惑すぎる」と真意を理解し、一言で両断されたときのショックはあまりあるものだった。
 天災こと天美(あまみ) 彩花(さいか)はコンクール用のドレスを身に纏ってステージに立っていた。今から歌うのはカノン。彩花が好きな曲目でもトップクラスで好きなものだ。
 今隣に立っている崎十一と出会ったのは三ヶ月前。空き教室で歌っていたら彼が教室に飛び込んで来たのだ。
 思えば、一目惚れだったのだろう。
 もっと知りたくて好きになってほしくて、でもそうするほどに彼がどれほど辛い人生を歩んできたのかを理解した。
 辛い過去があっても「音楽が好き」と言ったときの彼の笑顔は生涯の宝物になることだろう。
 このコンクールが終わったら告白をする、と心に決めながら観客席を真っ直ぐと見つめて予定通りこちらから歌いだそうと息を吸い込んだ時。
 十一が発声した。


「An die Freude(喜びを歌おう)」

 始まりは唐突に観客どころか隣に立つ歌姫の喉すらも詰まらせた上で紡がれた。

「O Freunde, nicht diese Tone!(おお君よ、そのような歌ではない!)
 Sondern last uns angenehmere(私たちはもっと心満たす)
 anstimmen und freudenvollere(歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか)」

 ベートーヴェン作曲、交響曲第九番“歓喜の歌”の叙唱≪レチタティーヴォ≫。ア・カペラ故にリズムがないのではない。叙唱は文章の朗読のように歌われるのだ。これから奏でる音の為に。

「Freude, schoner Gotterfunken,(歓喜よ、神々が我々に与えし至上の感情よ)」
 Tochter aus Elysium(あなたに出会えたその奇跡を歌おう)」
 Wir betreten feuertrunken.(私は激情に胸を焦がれて)
 Himmlische, dein Heiligtum!(音に溢れる崇高なこの地に立つ)」

 そして彩花は理解した。
 彼が奏でているのは人が神の御所へと至る歓喜ではなく、一人の人が一人の人に出会えたことを歌う歓喜なのだ。歌詞はそのままのドイツ語だがしかし彼の歌声に秘められた意味を天災≪さいか≫は理解できてしまう。次々と紡がれる十一のテノールボイスがただ一人の女性のために歌われる。

「Deine Zauber binden wieder,(あなたの歌声が私を再びここに立たせた)
 Was die Mode streng geteilt;(果てなき時流に切り離されたとしても)
 Alle Menschen werden Bruder,(私は隣人となろう)
 Wo dein sanfter Flugel weilt.(あなたの柔らかな笑顔が輝くその場所で)」

 込み上げてくる嗚咽は何故なのか。
 溢れ出る涙は何故なのか。
 コンサートの舞台で涙している自分は一体何なのか。
 感謝の言葉は気恥かしくて愛の言葉は恥ずかしかった。例え観客に真意が伝わらないのだとしても何もここで言わなくても―――――。
 そして三ヶ月前が鮮明に蘇(よみがえ)る。
 全ての始まりは交響曲第九番からだったのだ。これを彩花が歌っていたからこそ彼女と十一は巡り会いこうして共にステージに立つこととなった。
 天才、崎 十一が始まった歓び。
 そして―――始めてもらった感謝。
 ありとあらゆる意味が込められて言い表すことすらおこがましい程に澄んだ歌声は遮るものすらなく会場に響き渡り、止んだ。

「……?」

 疑問に思って彼の方を見てみれば、彼はこちらを見ていた。静寂に包まれる会場は歌姫を望んでいた。
 嗚咽混じりの声では満足なものを紡げるはずもないのに、応えなければならないから。
 だから歌え、私。

「Deine Zauber binden wieder,(あなたの歌声が私を涙させた)
 Was die Mode streng geteilt;(果てなき時流に私たちが切り離されたとしても)
 Alle Menschen werden Bruder,(あなたの声に応えよう)
 Wo dein sanfter Flugel weilt.(あなたの微笑ましい横顔が見える所で)」

 歌姫の歌声は清流のように清らかで、しかし会場を震わせた。
 観客も理解した。音楽が分からない人たちばかりではないのだ。神を讃えるために歌っているのではない。
 プロポーズ。
 ただ男性が女性に愛を謳っただけの単純なこと。
 それだけなのに心の底から揺さぶられるこれは何なのか。

「Wem der grose Wurf gelungen,(ひとりの友の友となるという)」

 十一が歌う。

「Eines Freundes Freund zu sein,(大きな歓びを勝ち取った者)
 Wer ein holdes Weib errungen,(心優しき隣人を得た者は)
 Mische seinen Jubel ein!(私とともに歓喜を歌え!)」
 
 人は誰しも心を持っている。それこそが神々が人に与えし至上の贈り物なのだろう。
 そしてこれを表現する手段を持つ人は幸福である。声であり表情であり動作であり存在の全てを使って表現できる手段を持つ人という動物は幸福である。
 その幸福を感じる喜びという感情が、揺り起こされる。

「Ja,(そうだ、)」

 そう、そして思い至る。
 歌姫も観客も抱いたもの。何故であり何。胸の内に生まれた明らかにならないもの、自身の存在の原初から揺り動かすそれが“喜び”なのだと初めて理解した。

「wer auch nur eine Seele(其が世界にただ一人だけでも)
 Sein nennt auf dem Erdenrund!(心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ)
 Und wer's nie gekonnt, der stehle(そしてそれがどうしてもできなかった者は)
 Weinend sich aus diesem Bund!(私とともにこの輪へと手を伸ばそう)

 十一が深く呼吸をする。
 それを聴いた彩花もまた歌うために呼吸をした。身に溢れて溢れ出る喜びを歌おう。

「Ja,(そう、)」

 歌姫と十一の発生は同時だった。神がどうあれ彼女らの第九番に仲間外れなど許さない。
 テノールボイスとソプラノボイスがここで交わり響き、曲がりなりの愛の賛歌となる。

「wer auch nur eine Seele(あなたがただ独りだけでも)
 Sein nennt auf dem Erdenrund!(心が脈動をしたのなら魂を讃えろ)
 Und wer's nie gekonnt, der stehle(そしてそれがどうしてもできなかったものは)
 Weinend sich aus diesem Bund!(私たちがこの輪へと招きましょう)」

 そして十一だけが歌う。
 神へと至らなくていい。行くべき場所は―――。

「Freude trinken alle Wesen(全ての原初は)
 An den Brusten der Natur;(創造主の乳房から歓喜を味わい、)
 Alle Guten, alle Bosen(しかしすべての善人とすべての悪人は)
 Folgen ihrer Rosenspur.(創造主の薔薇の踏み跡を引き返す)
 Kusse gab sie uns und Reben,(口づけと葡萄酒と死の試練を)
 Einen Freund, gepruft im Tod;(創造主は我々に与えた)
 Wollust ward dem Wurm gegeben,(虫けらにも等しい我々を救うために)
 und der Cherub steht vor Gott.(智天使ケルビムは神の御前に立つ)」

 謀反、裏切り。
 創造主に背くことを対価として手に入れた喜びのどれほどのものなのだろう。
 果たしてそれは喜びと言えるのか。
 けれど、今この胸に溢れるものを思い出せ。
 十一(ひと)が黙し、歌姫(めがみ)が声を発する。

「Kusse gab sie uns und Reben,(口づけと葡萄酒と死の試練を受けた隣人を)
 Einen Freund, gepruft im Tod;(創造主は我々に与えた)
 Wollust ward dem Wurm gegeben,(快楽は全ての人に与えられる)
 und der Cherub steht vor Gott.(智天使ケルビムは神とともに歌う)」

 ああ、終わる。
 もう終幕(フィナーレ)だ。
 歌い終わればステージから去らなければならない。
 当初の予定をぶち壊して、あまつさえ第九番の意思すら無視して個人的に歌ったのだ。伝わってくれただろうか。

「und der Cherub steht vor Gott.(智天使と神と共に歓び分かち合おう)

 これで終わりだ。
 そうして、天才と天災の始まりは終わった。
 あまりにも幼稚で我が侭で、背徳的。
 それでもいいじゃないか、とこちらを向いて微笑む隣人がいた。

                                 ~Fin~

歓びの歌

歓びの歌

ベートーヴェンの交響曲第九番をモチーフにして恋愛物をショートで書きました。またこの作品の第九番の意訳はベートーヴェン訳詞を更に改変したものであり、決してこれが第九番のオリジナルではありません。ご了承を。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-02-03

CC BY-NC-ND
原著作者の表示・非営利・改変禁止の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-NC-ND