優先席と思いやり
豪雪の日の早朝から満員御礼
まれにみる豪雪のため始発の電車は満員御礼。
いつもはまばらでして、何食わぬ顔で優先席に座っている人をよく見かける。
なぜか今日に限ってはこの席だけぽっかり空いているので遠慮なくチョンと座った。
電車内はぎゅうぎゅう詰めなのに誰も座らぬその席は、無駄な空間にすぎず不自然でならない。
「必要とされる方にお譲りください」という言葉の裏側には「必要とする人がいないなら、その席はどうぞ」という合理主義が潜んでいるはずでは?
すぐさま携帯を取り出しAI様にきいてみた。「優先席は専用席ではないため利用は禁止されていおらず、必要とする人が現れた際に席を譲るという「思いやり」に基づく席です。単なるルールではなく、周囲が状況を見て自主的に譲る姿勢」とのこと。
なるほど。
だが、現実の場は言語化するような単純なものではない複雑な空気感があります。
立ち尽くす人たちをしり目に優先席に座るときは一瞬の勇気が必要であることに気づく。
座ってからは微妙な緊張が続く。
思いやりを発動できない優先席は「思いやりを試される場」となる
優先席というのは、どうやら「身体の状態」だけでなく「心の遠慮度」まで可視化してしまう場所らしい。
例えば、杖をついた人が来れば話は単純明快、条件反射のように立って相手の意思さえも無視して、食い気味に「どうぞ!」と立ち上がるイメトレはしている。
だが、見た目ではわからない妊娠初期の妊婦さんの場合は?
そういう人の存在を想像し始めると、この優先席は急に哲学的になります。
その判断は、驚くほど個人の親切心に委ねられている。だいたい親切心はおせっかいになりがち。
「どうぞ!」食い気味で譲ろうとした瞬間「いや結構です!」と言われたら密室化された車内は拷問に近いはずです。
だから満員であればあるほど優先席には座らないのかも。誰もが座れるのに、誰も座らないのかもしれないのかもしれない。
まさにセルフハンディキャップで、ある意味最良の自己防衛かもと思いつつ、その席には人の気遣い、遠慮、躊躇、そしてほんの少しの勇気が詰まっているだろう。
優先席とは、たんなる席ではなく社会との関係性かもね。
合理性だけで考えれば、空席はただ無駄なだけだと思うが、まあ人間ってものは人間だものと相田みつをの言葉を借りれば、合理的だと思っていても非効率をあえて残しているのも人間であって、人間だもの。
AIは「思いやりに基づく席」と説明してくれました。
ただ人間の思いやりというものは、AIなんぞが説明よりもずっと不器用で過剰でときどき滑稽で、迷惑だったりもする。
雪の日の満員電車で、ぽっかり空いた優先席に座りながら、この不自然な空間こそ人が人の思いを想像している証拠なのだろうな。
優先席と思いやり
日本人は人の目を気にする恥の文化といわれますが、優先席があることもまた日本文化的なんですかね。