掌編集 58
571 読めなくなった
30代の頃、子どもが習っていたピアノを私もやってみた。聴くのは大好きだった。
しばらく自己流で弾いていたが、先生について習った。
クリスマス会には『エリーゼのために』もどきを弾いた。
腕に見合わない弾きたい曲がたくさんあった。
発表会に『月光』の第1楽章を選んだ。
当時はオクターブもきつかったのに。右手がそれ以上開くところは、左手を使うよう先生がアドバイスしてくれた。
夏の間練習して練習して練習して本番前。
??
楽譜が読めなくなった。
のちに調べてみたら、たぶんゲシュタルト崩壊。
特定の文字や図形を長時間見つめ続けることで、全体的なまとまりが失われ、バラバラに見えたり意味が分からなくなったりする現象。
ほぼ暗記していたのでなんとか弾いたけど……
今思うと、よく練習した。よくやったわ。
今は節約して買ったピアノは孫の家に。代わりに来たのは白い電子ピアノ。
蓋は閉まったままだ。
【お題】 本番前
572 親友
雪まつりの映像を見ると思い出す。
氷細工の上手な夫の親友。
互いに地方から出てきた。
夫は東北、八女は九州。気が合った。八女はコックで夫はその店でバイトしていた。
八女が愛した女に振られた時、電話が来たそうだ。
「あいつを殺して俺も死ぬ」
夫は飛んで行ったそうだ。八女は部屋で酒を飲んでいた。何十年も経つと、再会するたび、酒を飲むたび思い出す笑い話だ。
八女はその女に未練が。辛くて辛くて、なぜか競馬で借金を作った。
私が夫と知り合った頃、八女を1番に紹介された。親友だと。大事にしろと。バカをやっていた時代の親友。コックだから話題はある。遊びに来ると、コック相手に私は料理を作りご馳走した。アドバイスしてくれ褒めてくれた。
八女は某ホテルで働いていたので、私たちの結婚式はそこで挙げた。安くしてくれた。挨拶をしてくれ、皆の前でキスさせられた。八女は鳳凰の氷の彫刻を彫ってくれた。皆褒めていた。
仕事は真面目にやり借金も地道に返し、中古の小さなマンションを買った。
勤め先をよく変わった。氷細工の腕はすごいらしく札幌の雪まつりにはよく行ってたようだ。夜酔っ払って電話が来た。
やがて、沖縄の女性と結婚した。小さなマンションがバブルの頃で高く売れた。うちの近くに3LDKのマンションを買った。男の子がふたり生まれ、近いので奥さんも遊びに来た。花見もした。
八女は出版社の社員食堂に移り、腕を振るった。待遇は良かった。サラリーマン。福利厚生その他、妻にしてみればずっとそこで働いて欲しかった。しかし八女には物足りない。
奥さんから何度も電話が来た。八女とうまくいってない。夜中の時もあった。八女の愚痴を。暗い声で延々と。ノイローゼ気味だったのだろう。
そして奥さんは子供ふたり連れて沖縄に帰った。
しばらく連絡は年賀状だけ。50歳も過ぎた頃、再婚したと書いてあった。焼肉屋で久しぶりに会った。紹介されたのは年上の奥さん。
八女はタンカーに乗っていた。乗組員の食事を作る。収入はいいらしい。ずいぶんいいらしい。何ヶ月も船の上。
もう互いに60半ば。電話があった。そろそろ故郷に帰る。田舎で1日1組のレストランをやる。遊びに来い、と。ずいぶん貯金ができたようだ。
マンションは?
八女が買ったマンションの近くに駅ができていた。高く売れたそうだ。運のいいやつ。
夫が退職し、八女の家に行った。中古の家をレストランにしている。奥さんが手伝う。
料理の腕は確かだ。繁盛しているらしい。
レストランの合間には公民館で氷細工を教えている。手作りお節も人気で我が家も頼んでいる。もう3年目。
また行こうか? と夫は言う。
ひとりでいけば? と心の中で言う。
でも、また行ってもいいかな。
【お題】 雪まつりの夜に
573 高くなりました
14日バレンタインデーは仕事は休み。
毎年若い女性からのプレゼントが引き出しに入っている。もう3年目の頑張り屋さん。
高校時代から牛丼屋でバイトして店長代理までなったとか。介護がやりたくてきちんと学校へ行き、配属されてきた。
髪は奇抜なカラー。
すぐに辞めるだろうなと思ったけど……すごい。この子、本当におばあちゃんが好きなのだ。入居者が亡くなったときにはワンワン泣いたとか。
必要だと思うと自腹で買ってくる。キッチンぺーパーホルダーや、入居者さんに合うストロー。普通のだと噛んじゃうので赤ちゃん用のしっかりしたやつ。
トレーが足りなければトレー。
ユニット費から貰えばいいのに。リーダーは何も言わない。私もボロボロのピンチハンガー文句言いながら使っているけど、自腹で買おうとは思わない。
掃除機もぜんぜん吸わない。施設の経営も電気代高騰等でボーナス下がる、なんてサイボーズで見たから、買ってくださいとは言えない。
スタッフルームにはお菓子が置いてある。主にパートさんの差し入れ。なんでパートが差し入れしなきゃならないの? なんて私は思ってしまうのだが、優しいのだ。先日も干し柿をいただいた。高いだろうに。
新しく入ってきた入居者さんがすさまじくて、75歳の女性なのに今まででいちばんすさまじい。
ユニット10人、パートがいない日は職員ひとりでみる。
なにがすさまじいって……歩ける。つんのめり転びそうになるけどじっとしていない。
喋る。よく喋るけど……まともではない。
「誘拐されてきたの。警察に電話して」
夜にリビングでセーターを脱ぎズボンを下ろす。風呂に入るのだと。
人の部屋に入る。床に寝る。意識のない方の肩を叩き話しかける。
食事中の方のそばに行き話す。もう、嫌がられる。唾が飛ぶからあっちへ行け、と。いきなり背中を揉み怒鳴られる。怒られてもわからないみたい。
私があんまり注意したら、耳元でうるさい! と怒ったけど。
早起きでぜんぜん寝ない。
職員は元々ひとり欠員のまま。そこへインフルでひとり休み。皆超勤超勤。そしてひとり熱出して……これじゃまた誰か辞めるでしょ。
私は優雅に今年初のゴルフ。スコアは優雅じゃないけど。
帰りパーキングで饅頭を20個買った。有名な日本3大饅頭のひとつ。でも、高くなっててびっくり。でも、みんな頑張っているから奮発した。
『お疲れ様です。ひとり2個ずつ食べてください』
優しさが滲み出てると言われました。
【お題】 アフター・バレンタイン
574 違うかも
おもしろき
こともなき世を
おもしろく
すみなすものは
心なりけり
慶応3(1867)年4月13日、高杉晋作、下関に死す。
その臨終に、辞世の歌を書くつもりで、
『おもしろき こともなき世を おもしろく』
と、ミミズが這うような力のない字で書いた。
そこで力尽き、筆を落としてしまった。
そばにいた野村望東(幕末の女傑歌人)が、
『すみなすものは 心なりけり』
と下の句を加えてやると、晋作は、
「……面白いのう」
と微笑し、ふたたび昏睡状態に入り、ほどなく脈が絶えた……
これは、司馬遼太郎『世に棲む日々』の高杉臨終の場面である。
しかし、この歌は望東との合作は確からしいが、辞世ではなく、その前年のものであるようだ。
【お題】 ダイイングメッセージが短歌だった
575 リマインダー
辞世の句
リマインダーに
残すから
投稿頼む
皆ありがとう
【お題】 ダイイングメッセージが短歌だった
576 足りなくなる
介護エッセイを書いている。
実名では投稿できないから仮名を木の名前にした。
トネリコさん、カリンさん、ミモザさん、クスノキさん、ネコヤナギさん……
新しい入居者さんが入るたび、木の名前辞典を開き探す。
でも、面倒臭いからアルファベットに書き変えようか?
メモを見て数えたら、施設がオープンして9年目。もう9年も働いている。
もう、26人以上亡くなっていた。
【お題】 名前をつけない方がいい関係
577 自損事故
ずっと怠けていたジムに行ったわ。区の1回300円のトレーニングジム。1年行かないと、また予約を取り講習を受けなければならないから。
最近、あるYouTubeを観ていたら『これだけはケチるな』という10項目の中にジムがあったの。
単純だから俄然その気になったわけ。せっかくすぐ近くにあるのだし。それに70歳になると無料になるのよ。(まだだけどね)
あと、お風呂の湯船のお湯をケチるな、って。シャワーで済ますな……
これは腰痛になってから毎日漬かっている。白檀の入浴剤が気に入りAmazonで4個も頼んだ。安いのに、今まででいちばん気に入っている。安いのに送料無料でその日のうちに届く。
なんて便利なの?
11時のトレーニングジムは混んでいて、(年寄りばかり)血圧を測るのに並んでいた。皆、モタモタ測りモタモタ記入する。
私は久々に身長を測ってもらった。歳を取ると縮む。夫も姉も縮んだ。私は縮みたくないのでふんぞり返って歩いている。
だから、まだ大丈夫。まだ若い。ここにいる人たちよりは機敏で見た目もマシ……
こじんまりと狭いジム、マシンも少ない。年寄りだけ多い。ヨロヨロした年寄りが健康のためか暇つぶし、無料でテレビもついてるしおしゃべりもできる。
混んでたからマシンも待った。年寄りだから移動もモタモタ。消毒のタオルで拭かなければならないのでもっとモタモタ。
ああはなりたくないわ。
私はサッサとマシンを拭いて、バインダーを取ったら鉛筆が落ちてコロコロコロ。
うずくまって拾い立ち上がればマシンのバーに思い切り額をぶつけた。
ヨタヨタしていたばーさんが、
「大丈夫ですか?」
と駆け寄ってくれた。恥ずかしいから笑って誤魔化したけど、痛かったわ。
【お題】 コント『交通整備』
578 観るばかり
筆が進まない。
書き始めた頃は頭の中にストーリーが溢れるほどあって、スマホを打つ指がもどかしかった。
そのうち、脳より指が先行していた。
考えてもいないことを指が勝手に打っていく……みたいな。
某サイトで親しくなった長編書きの人は、天から降ってくるとか、降りてくる、とか言う。5つくらいの作品が頭の中でできている、と。
書きたいことはいくらでもある、と。
ああ、羨ましい。
寝食忘れ、トイレも我慢して書いてみたい。
ああ、枯渇状態。
もう逆立ちしても書けない、そう思って某サイトを見つけた。毎日のお題で考える。
とりとめのないお題や突拍子もないお題。意味のわからないカタカナのお題を調べて、短文でも時間がかかっているのよ。勉強になった。
でも最近はお題をパッと見て、無理〜と諦めることが多くなった。
なんか、YouTubeばかり観ている。
今更だけど、化粧の仕方 (化け方)、髪のセットの仕方、顔のたるみの解消法。
手の皺がなくなるとか。高いジェルを買っちゃったり、安い化粧品買ったり。
部屋をスッキリするとか、ケーキのデコレーション、果物の飾り切り。ゴルフ上達法。ピアノ上達法。スーパーの花で素敵に活ける等々……
無限にあるわ。
刺激を受けてやる気が出る。
書けないけど。
【お題】 筆が進まない日の雑談記
579 嘘でも言い訳でもなく
目が離せないタラノキさん。女性。75歳。
先日はコデマリさんに配膳してたら、キッチンの三角コーナーに捨ててあったカステラを食べちゃった?
口をモゴモゴしていたから
「何食べてるの?」
と聞いても、
「何も食べてない」
と、すぐに飲み込んだ。
座らせても5分もじっとしていられない。
男性の部屋にも入っちゃうし、看取りの人の部屋にも入っちゃう。
「そこ、タラノキさんの部屋じゃないでしょ!」
「あ、オレのねえさんだ」
強く言うと拗ねちゃうし。
薬の戸棚からいろいろ持ち出して、テーブルに並べていた。
食器棚の引き出しからスプーンはなくなるし、どこに持っていくんだろう?
もう、徹底しなきゃダメだね。戸棚は面倒くさくても都度都度鍵を閉めないと。
オープンのキッチンはどうしたらいいの? 以前、食器洗剤を居室に持っていった人もいた。あれ、飲んだらどうなる?
考えないと。考えないと。
タラノキさんだけでも大変なのに、もっとすごい女性が入居してきた。こちらは転びそうで怖い。
「ねえ、お寿司頼んで、あなたも食べる?」
もう、こちらが嘘をつくしかない。
「はい、いただきます」
「ねえ、おしんこ食べたい」
「買ってきますね」(高血圧だから塩分制限)
この方も75歳。
考えないと。考えないと。
なぜ、ああなるの?
ならないためには、どうすればいい?
ずっと働いていれば大丈夫かしら?
【お題】 嘘と言い訳
580 わかります
【お題】 ポチッとな
よかった。今回のお題はわかる。最近よくやっているから。
以前、ある投稿で使われていた『ポチろう』と言う意味がわからなくて調べた。
私は実店舗で買っていた。実物見てさわらないと。試着しないと。
長女はよくポチり、よく返品する。面倒くさくはないらしい。
次女の家に数日滞在したときは、毎日商品が届いた。地方だから便利だけど、ダンボールはドラッグストアまで車で持って行かねばならない。
夫が退職しテレビ漬けになると通販でいろいろ買った。
包丁、レンジで焦げ目がつく鍋、冷感シーツ、あったか毛布、便秘に効くお茶、足が長く見えるパンツ3本セット……
便利な世の中。Amazonだと送料無料だし当日届く。
でも……目を付けていた収納ケース。実店舗に行ったら2割引で儲かっちゃった。
それに実物見るほうが楽しい。
出歩かないと筋力低下、生活習慣病の悪化、メンタルヘルスの低下。
将来認知症に?
でも、すでにAmazonのカートに3点入っている。今月は買い過ぎたから、月が変わったらポチろう。
掌編集 58