冬の海と花と

「わあっ、海だ……!」

──とある冬の日。学校が終わり、乾燥で浮いてきたメイクを直して、残り少なくなったハンドクリームでも買って帰ろう、ついでに自分への誕生日プレゼントも考えようかな、と思っていたところ、「今から遊びに行かない?」と友人に誘われた。
「え、今から?いいけど……先にちょっと買い物していい?」
「おっけー。そこの駅ビルでいい?電車で行くからさ」
 もともとそのつもりだったのでもちろんOK、と答えた。

「ねぇ、このティペット、アイボリーとチャコールどっちがいいと思う?」
 雑貨店より先に服屋に吸い込まれてしまった。パールビーズのちりばめられたふわふわのティペットが、私を引き寄せてしまった。
「ハンドクリーム買いに来たんじゃなかったの……?……チャコール」
「まあまあ、そんな細かいこと言いなや。やっぱチャコールかぁ……あ、あのコート可愛い!」
「似たようなコート持ってなかった?」

「やっぱりティーポット良いなぁ……」
 それはお花の意匠が素敵なティーポットだった。同じデザインのカップやソーサーもあって、セットで揃えたら可愛いだろうな、と思った。
「わか……るけど、洗うの大変で結局使わなくなる、に一票」
「なんて現実的なことを。あたしもそう思う」
 それに、もし落として割ったりなどしたら立ち直れなさそうだった。「いつか欲しいもの」のリストにティーポットは閉じこめておくことにした。

「このパレットめちゃくちゃ可愛い……けど……予算オーバー……限定色……」
「佳奈〜、あたし先にお会計してくるからね……?」
 当初の目的であったハンドクリームとSNSで見て気になっていたリップティント、その他いろいろを選び終えて、レジに向かうところだったが、友人はまだ決めかねているようだった。
「待って、もうちょっと悩ませて……」
 珍しく、大いに悩んでいる。
「どのパレット……うわかっわい」
 ニュアンスカラーと繊細なラメの詰まった、凝ったパッケージのアイシャドウパレットを、誰が嫌いなのだろうか。
「だよね??」
「買うしかないね」
 わざと真面目くさった表情と声でそう言う。
「予算が……」
「バイト増やそう。もしくは食費ちょっと削ろう」
 彼女がフードデリバリーを使いがちなことを、私は知っていた。
「買うか〜〜……」

 買いたかったものも買うつもりのなかったものもひとしきり買って、駅舎についた。普段あまり使うことのない路線で、ホームから見る景色は、なんとなく落ち着かないものがあった。
「で、どこ行くの?」
 自動販売機で買ったコーヒーを、カイロのように左右の手に交互に持ち替えながら、そういえば聞いていなかったな、と思い聞いてみた。
「あ、特に聞いてこないから行き先に興味ないかんじかと思ってた」
「ひどくない??無いのは興味じゃなくて不安だからね」
「全然意味わかんないけど……」
 何がわからないんだ、とは、思ったけど言わなかった。
「で、どこ行くの」
 もう一度聞いてみる。
「うーん、じゃあ着いてからのお楽しみで」
「『じゃあ』って何……まあいいや」
 さっきまで気にしていなかった自分も悪いし、本当に不安はなかったので、言われた通り楽しみにすることにした。

 そのボックスシートの電車は空いていて、私達はドアが開いてもなるべく風のあたらないであろう真ん中あたりに座った。
「お菓子食べる?ウエットティッシュならあるよ」
「貰おうかな」
 先ほど雑貨店で買っていた、入れ物が可愛くて、なんだかきらきらした、よく知らないお菓子。
「琥珀糖、食べたことある?」
「よく見るけど食べたことはないかも」
 ウエットティッシュで手を拭いてから、箱を開け、紫色のそれを口に入れる。続いて佳奈が水色のそれを口にする。
「ひたすら甘い……可愛いだけ」
 なんて身も蓋もない感想。
「なんかおばあちゃんの家でこういうの食べたことある気がする」
「わかるかも。なんだっけ、寒天ゼリーみたいやつ?」
「そうそれ!」
 実際、琥珀糖は寒天でできているらしかった。

「あ、本屋行くの忘れてた」
「佳奈って電子書籍派かと思ってた」
「一巻を紙で買っちゃったから……」
「あー、あるある。最初文庫で買っちゃったから新刊出ても単行本じゃ買えない、とかね」

 快速ではないので、けっこうな頻度で電車のドアが開く。乗ってくる人はあまりおらず、ゆえに降りる人もほとんどいない。ただドアが開き、風が入り、私のカバンのフリルや佳奈のニットのフードを少しだけ揺らして、暖房の効いた車内を冷やして、ドアが閉まる。
 彼女を信用して行き先を聞かないことにはしたが、気にはなる。この路線の沿線には何があったかな、と考えるが、上りにしか乗ったことがないことを思い出した。

「あたしもカラコンにしようかな」
 テキストをめくる彼女のちゅるんとした目を見てそう思った。
「いいじゃん。ピンクとか似合うと思うよ」
「ほんと?あ、でも乱視対応のピンクのカラコン全然ないわ」

 喋ったり喋らなかったりしながら電車に揺られること一時間半。そこからさらに数分歩いて、着いたところは海だった。電車内で温められた手は数分の間にすっかり冷えていた。
「わぁっ、海だ……!海だ!?」
 びゅおっと強く吹いた風が、アウターの、大きなセーラーカラーを巻き上げる。
「ちょっとテンション高すぎない?」
「だってだって、海自体ほとんど来たことないし冬の海なんて初めてで……!」
 珍しく子供みたい、と苦笑する佳奈に、興奮してそう話す。事実、海辺に来たことなど数えるほどしかなく、最後に海水に触れたときの記憶もない。たぶん幼稚園児だったときに家族に連れられて行った潮干狩りだったかな、などとぼんやり考えながら、そっと水に触れてみた。
「ちめたっ!!」
「当たり前じゃん、何してんの……」
 呆れたような──実際はほとんど普段通りの彼女であったが──その言葉も、ほとんど耳に入らなかった。
「あははっ、冷たぁっ!」
 凍えるように冷えた指先でもわかるほどに冷たいそれに、ざりざりした潮風なんか気にならないくらい、しばらく夢中になっていた。風で乾いてべたべたしてくる指をまた濡らして、また乾いては濡らして……と繰り返しているうち、冷たさには少し慣れた。波の音は存外静かで、自分の笑い声ばかりが、反響することなくそこにあった。
「はー……おもしろ」
「楽しそうでなにより」
「ごめん、なんかツボに入っちゃって」
 一通り水と戯れて、未だ笑いが収まらない私の横で、友人が何の前触れもなく水面に手を伸ばし、
「うわ冷った……」
 びくりと体を震わせてそう呟いた。お互いに顔を見合わせ、くすくすと笑う。
「楽しいね」「そうだね」なんて野暮な会話は、ふたりのあいだには要らなかった。特段話すようなことはなくても、心地のいいのが私たちだった。これまでも、これからも、きっとこうだ、という、根拠はないが確信だけがあった。

「貝殻でも拾う?」
「貝殻集めって何が楽しいの……?」
 佳奈の辞書に「ロマンチック」は収録されていないのかもしれない。
「そういうこと言わないの!磨いたらキラキラになるでしょ、多分」

「あ、シーグラスだ」
 それはマットな質感の、半透明の、小さな石のようなものだった。
「これシーグラスっていうの?」
「そ。ガラスのかけらが波とか砂に削られてできるの」
「昔庭の砂利の中で見たことあるなぁ、というかめっちゃ集めてた」
「え、何のために……?」
「知らないよ、小学生のあたしに言って?ただ綺麗だったからなんとなく、とかだと思うけど」

 私たち以外に人のいない砂浜は、キンと澄んでいて、潮のにおいが満ちていた。ときおり髪が風にあおられて、シャンプーの甘いにおいがする。このシャンプー、ちょっと飽きてきたし乾燥しがちだから変えてみようかな。頑張って綺麗に仕上げたネイルの隙間に入り込んだ砂を払って、塩分でべたつく指をウエットティッシュで拭う。いつの間にかリボンの形のパーツは外れていた。風が吹くたびにグロスを塗った口に髪がはりついてうっとおしい。あぁ、やっぱり冬は好きじゃない。

「あ、夕日」
 彼女の声に、ぱ、と振り向く。水面が沈む太陽に照らされてきらきらと輝いていて、これは写真や絵からでは知ることのできないも、と思った。
「あたしさ、冬ってあんまり好きじゃないんだよね。寒いし、乾燥するし、なんか……寂しいし」
 考えるより先に言葉がこぼれた。
「え、意外」
「でしょ、よく言われる。名前も冬花だし。でも冬に生まれたから冬花って雑すぎない?」
 毎年、誕生日が近づくたびに思っていることだった。
「でも、今日楽しかった。真冬の海の冷たさとか、きらきらな夕焼けの海とか、全部全部初めてで。連れてきてくれてありがとね」
 佳奈は何も言わず、斜め下の方を見ている。照れているだけだろうな。照れくさいことを言ったな、とは自分でも思う。顔が赤いのは恥ずかしいからか、夕日に照らされているからか、どっちなのだろう。それにしても、夕日がよく似合うな。朝日とどっちが似合うんだろうか、などとどうでもいいことばかりが頭の中を廻る。
「今度はどこに行こうか」
 それが彼女の返答だった。
「うーん、今度も佳奈におまかせで。っていうか寒い!!そろそろ帰ろう!!」
 日が落ちてきたからか、急激に冷え込んできた。一瞬、帰りたくないかも、と思っていたが、完全に錯覚であった。
「待って、写真だけ撮らせて」
 ああ、最近カメラを買ったと言っていたっけ。
「りょーかい。終わったら言ってね〜」
「何言ってんの、冬花も入るんだよ」
「えぇ?」
 佳奈が取り出したのはカメラではなくスマホだった。そして促されるまま夕日をバックに何枚か写真を撮った。撮られた、と言うべきか。文句のひとつでも言ってやろうと思ったが、案外盛れていたので何も言えなかった。
「じゃあ佳奈の写真はあたしが撮ってあげるね」
 さっと自分のスマホを取り出す。
「え、いらないいらない」
「まあまあ、いいからいいから。撮るよ〜」
 しぶしぶといった様子だったが、しっかりポーズをとっておとなしく写真に撮られてくれた。
「ほら〜可愛いじゃん。あとで送るね?あ、加工は自分でしてね」
「本当にいらないから大丈夫。帰ろうか」
 自分の写った写真には本当に興味がないようすで、さっさと歩き始めてしまった。
「あ、待ってよ〜」
 砂に足を取られながら、置いていかれないよう追いかける。
 来たのと同じ道を、少し足早に帰る。街灯の少ない道で、これ以上日が落ちると足元が不安だったのだ。靴に入った砂が靴下の隙間を通り抜けて、蒸れた指のあいだでじゃりじゃりいう。明るい駅で電車を待ちながらよく見ると、靴のソールとアッパーの隙間にも砂が入り込んでいた。「歩きやすいから」という理由で通学用に使っている靴が気軽に洗えるキャンバススニーカーで良かった、とこのときほど思ったことはなかった。
 佳奈と一緒でなければ、海に行こうなんて、思いもしなかったはずだ。少なくとも、気軽に洗えるかどうかにかかわらず、あまり汚したくないお気に入りの服や靴では、絶対に。それでも今日は本当に楽しくて、かなり照れくさくて本人には絶対に言えないが、これからもずっと友人でいてほしいと思った。
 帰りの電車は来たときよりやや混んでいたが、座れないほどではなかった。
「この後どうする?そのまま帰る?」
 本当はそのまま帰って、砂と潮風を洗い流したかった。乾燥した肌を労ってあげたかった。
「ご飯食べて帰ろうよ。あ、本屋も寄らないとね!」
 それでも、「今日」をなるべく長くすごしたくて、延長することを選んだ。そうだった、とすっかり忘れていたようなトーンで返ってくる。
「じゃあ本屋行ってからご飯ね。何食べる?」
「うーん……海老フライ……?」
「ピンポイントで海老フライ……?私オムライス食べたい、ファミレスでいい?」
「いいよ〜!」

 長い移動中、週明けの講義のための予習をしていたはずが、いつのまにか少し眠ってしまったようだ。気がつくと降りる二つ前の駅で、佳奈に起こされる。
「もうすぐ着くよ」
「わーまじか……ありがと起こしてくれて」
 ん、とだけ返事がある。窓の外はすっかり夜になっていた。

 電車を降り、改札を抜け、また駅ビルに入る。車内に比べて駅は混んでいて、人のざわめきに包まれていた。エスカレーターで本屋へ向かう。
「あ、あたし日記帳買わなきゃ」
「日記続いてるんだ」
 意外そうな顔だった。
「それは飽き性のくせにってことかな??」
「うん」
 ノータイムで返されてしまった……
「ひどいね〜」
 そういえば、日記をつけはじめたと話したときもどうせ続かないだろうと思うけど頑張れ、と流されたことを思い出した。
 好きな作家の新刊と日記帳とをそれぞれ手に入れ、本屋を出る。今度の日記帳は、いたってシンプルなデザインのものを選んだ。今使っているものはデザインだけで選んだから、少しだけ書きにくかったのだ。ファミレスに向かって歩き出す。佳奈は今買った本をはやく読みたそうにしていた。

 駅前のファミレスはもっと混んでいるものだと思っていたが、そこまで待つことなく案内された。他にもお店があるからお客さんが分散するのかな、と思った。
 佳奈はホワイトソースと明太子のオムライスと白ワイン、私は海老フライとハンバーグの乗ったミックスグリルと赤ワインを注文した。
「今度はどこ行く?」
「私に任せるんじゃなかった?」
「相談するくらいいいじゃんか〜」

「そういえばもうすぐ誕生日か」
 デザートのフレンチトーストとプリンを分け合う。フレンチトーストはバゲットで、プリンは固めだった。というかよく考えるとフレンチトーストの卵液とプリンの生地はほとんど同じではないだろうか。
「あー、まあ、うん」
「プレゼント何がいい?」
「えー……特に欲しいものないし要らないよ」
 欲しいものがないというより、プレゼントとして貰うには微妙なものばかりだった。
「だめ。私の誕生日はプレゼントくれたでしょ」
 こういう律儀なところが信頼できる。
「うーん……六万円する靴。革の」
「そのそこそこ多い語彙の中に『加減』は入ってないの??私にくれたのと同じくらいの金額で」
「冗談じゃん……」
 欲しいものかあ、家賃より高い靴とか、新しいパソコンとか、逆に日用品とかばかりで、プレゼントとしてリクエストするようなものはまったく浮かばない。
「う〜ん……」
 完全にドツボにはまってしまった。
「本当に思い浮かばないなら香水とかどう……?この前似合いそうだなっていうの見つけたんだよね」
「え、めっちゃ良い!最高」
 二重の意味でありがたい申し出だ。香水を付け忘れたことを電車に乗ってから気が付くことも多かったが、人に選んでもらったものなら忘れないかもしれない。
「じゃあ決まりで。金額的に足りないから当日ご飯奢るよ」
「やった~!絶対ラーメンがいい」
「誕生日にラーメンでいいの……?」
「いいの!」
 佳奈と一緒ならいつもの寂れたラーメン屋だって最高になるんだから。

「なんかテンションあがっててやばい、このままどっか呑みに行こう」
 はやく帰ってシャワーを浴びたい、という気持ちはいつの間にか消えていた。
「いいけど大丈夫なの?この前吐いたって言ってたじゃん」
「あれはご飯食べすぎたせいだから……!お酒だけのせいじゃないから……!」
 そもそも直接話したわけではなくSNSでつぶやいただけだったのだが、ちゃんと見られていたらしい。
「居酒屋とかだと食事メインになっちゃうか……バーとかがいいよね」
「あっ、はい!あたしシーシャバー?に行ってみたいです!」
「まじか……?」
 ああ、今日の日記はページをおかわりすることになりそうだ。

冬の海と花と

大学の課題で執筆したものです。

冬の海と花と

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-02-08

Copyrighted
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