舞台『またここか』レビュー

 舞台『またここか』は、坂元裕二さんの戯曲を8年ぶりにリバイバル上演したものです。ガソリンスタンドを経営する近杉を訪ねて異母兄弟の兄、根森がある女性を連れて訪ねてくるところから本格化する物語は《家族》と《他人》の境界をふらふらと彷徨い、狂える愛の行方をひたすらに追います。以下、拙いながら本舞台の感想を記します。


 平田オリザさんの著書『演劇入門』を参照すれば、演劇においては舞台の上で起きることの状況説明とストーリーの進行を同時に行うことが絶対的に求められる。つまり①情報を整理しながら、②その結果を物語としても面白く見せなければならない。その工夫如何で舞台としての面白さは決まる。演出の妙もここに凝縮されるそうです。
 かかる判断基準に従って評すれば、本舞台は《ガソリンスタンドという誰かが訪れて、いつかは去っていく場所に留まり続けなければいけない事情》が重要なキーポイントとなって各登場人物の関係性が積み木のように構築され、そのちぐはぐなやり取りを滑稽な人間劇として面白おかしく見せていく作品であるといえます。
 が、それに安心して笑っていられるのは序盤だけ。演劇的に「正しい」おかしな言動が日常に向かって転がり出し、その勢いに負けて舞台上の様相が「まとも」に激変するとそこから先は急転直下。数々の「あり得ない」ことが異常に回収されていき、最後には真っ白に焼かれた骨のように美しい幻想を観客の一人として目撃することになります。
 テーマとなる《家族》についても何ひとつストレートに描かれやしないのに、ひたすらに転がり落ちた先で繰り広げられるものの全てが家族としか呼べない結晶の塊で、そこにおいても貫かれる《留まり続けなければいけない事情》を各人の感情として噛み砕くほどに脚本家、坂元裕二ならではのドラマが口の中に広がっていく。その終わりと始まりが描き出す軌跡は、映画以上のフィクションに塗れてしまう舞台の真実を塗り替えます。
 そうして現れる救いの多義性とひと塊の感動。その説得力に、ただただ打ちのめされるばかりでした。


 俳優陣にスポットを当てても、誰もがシーンごとに切り替わるコメディとシリアスの濃淡を見事に演じ分け、その場における緊張と緩和をいい塩梅で体感させる優れたセンスの持ち主ばかり。特に奥野壮さんは近杉として振り切るべき演技の幅が誰よりも大きかった分、プレッシャーも相当にあったと想像しますが、その身体に纏う雰囲気からしていい意味でヤバく、舞台をぶち壊さんばかりのエネルギーに圧倒されるばかりでした。
 その全部を受け止める根森の理屈っぽさを長台詞で見せた浅利陽介さんの、終盤で見せた感性の演技にも感銘を受けるばかりで、事実上の狂言回しがたった一人の兄に転じる様は人間を不器用に語っていた。それがすこぶる愛おしかった。
 示野を演じられた永瀬莉子さんは本作が初舞台だったそうですが、終始そんな所を微塵も感じさせない堂々とした立ち居振る舞いで場を華やかに彩っていました。『御上先生』でも煌めきを放っていたその演技は、ほぼゼロ距離で目の当たりにすると研ぎ澄まされた理性に見惚れるタレント性の宝庫。衣装チェンジの数が断トツに多く、舞台に現れる度に目を引く存在感は必見です。
 そんな示野との対照関係に立つ宝居はいてもいなくてもいいようで、いなきゃ困る不思議な人物。いわゆる場を掻き乱すトリックスターとして笑いを生み出し、掻っ攫う面白さを馬場ふみかさんはモノにしていましたね。馬場さんの出演作の中でも私は『ひとりぼっちじゃない』での演技が大好きなんですが、何を考えているか分からないという点で宝居には無条件でぞっこんらぶに。幕が上がってすぐに序盤は彼女についていけば間違いないです。本舞台をとことん楽しめます。


 舞台『またここか』の会場は座・高円寺。客席と対面する形の舞台構成の特徴を活かして、客席通路を使った演技が頻繁に行われます。その臨場感で立ち上がる坂元裕二ワールドのカタルシスは病みつきになること必至です。公演期間は来週の15日まで。どの公演でも当日券が出るようなので、かけ込みは十分に間に合います。地下一階には返金式タイプのロッカーが設置されているので、仕事帰りでも気楽に観に行けますよ。興味がある方は是非。自信を持ってお勧めします。

舞台『またここか』レビュー

舞台『またここか』レビュー

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-02-06

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