ガール・ミーツ・ゴシック

ホラー小説的表現の範囲で、残酷描写・性加害の描写があります。また、ルッキズム的な描写がつよい傾向があります。ご注意ください。

  1
 冬子は、しらじらとひとを拒絶するような吹雪の情景に立つ、白銀の城さながらの猛々しい少女であった。
 その城壁から、いつだって矢を放ちかねないあやうさすら兼ねそろえた、けだし硬質な銀の背骨を芯に立たせる女子中学生、彼女こそが雪野冬子そのひとにほかならないのだった。
 わたしはその威勢のつよさときつい性情ゆえに冬子のことをにがてにおもっていたのだけれども、しかし、そのわが信念にとってみとめられぬものを断固としてみとめぬ態度には、ある種畏敬の念をもっていたのだった。まさしく彼女は”少女”という高貴なる言葉にふさわしい態度性をもっているようにおもわれ、傲慢で尊大、わたしのような気弱な人間にはない稀有な個性をもっているのだという印象を与えるがゆえに、なにかしら憧れのようなものをわたしに感じさせていたというのもまた事実なのであった。
 彼女は理不尽なこと──飽くまで、”少女性を侵す不可解”という意味において──が起これば、スクール・カーストなる硬くも儚きピラミッドへ、見事なる弓を吹いた。しずかな、しかし威勢のよいフルートのような声色で、圧力に”否”を叩きつけた。時折怒号をともなわせ、轟々と鳴るように我を主張することすらあった。そんな態度は優位に立っているグループに属する人間どころか、その他のひとびとからすらも疎ましがられるという状況に彼女を追いやる助けを果していた。
 男子たちにも果敢に切りかかる冬子に、少年達はおそれと嫌悪をいだいているようなのだった、彼女の容貌はけっして美しくなく、むしろばさばさと手入のされていない髪がどことなく不潔な印象、しかし成績はトップクラスであったために、幼い男たちに劣等感を感じさせながらも気を惹くことはほとんどなかったにちがいない。
 たいていの少年は冬子の悪口を影でひそひそと云うばかり、喧嘩っぱやい少年から冬子が暴力を受けるのはけっして少なくはなかったが、冬子は打たれながらもきっとかれ等を睨みつける気丈さを示す、その時の彼女は暴行に磨かれる如く硬く冷たく煌くようで、わたしにはもはや壮麗であった。
 わたしはその頃大人しい少女たち三人のグループにわが身を置くことで、学校生活にある程度の安息をえていたのだった。わたしたちは冬子に対し「あまり好きではない」という意見で一致していたが、ところどころで救われていた面もあって悪口もそこまで弾むことはない、わたしたちは慎ましくおとなしく小狡く教室でそれなりに整列しえていたのだった。
 由美、小夏、という平凡だが愛らしい印象の名前がわたしの当時の友人のそれであり、わたしは名を、亜樹という。やや良いように傾きがちな比喩であろうが、ひっそりと端っこで領域をつくるたんぽぽ畑にも似た集団を教室で構成していたのだろうという推測が、現在のわたしのそれである。されど幼き少女たちの集団の内包する狡さというものは大人のそれとそう異なるものはあるまい、前言撤回、とてもたんぽぽ的とはいえなかったであろう。
 わたしは由美のことが好きで、なんとなく憧れをもっていた。由美は三人のなかで唯一に美人であり、年に二回程度男子たちから恋ごころを打ち明けられていた。その時わたしたちは中学二年生であったけれども、一人の少年と交際した経験があるというのがわたしには大人な印象、成績こそ普通であったが気遣いができ、わたしたち三人の構成をやわらかい手振りで成り立たせる重要な役割を果たしていた。
 ひるがえってわたしは小夏という人間に軽蔑心をもっていたのだった、小夏は想っていることをそのままに伝えるコミュニケーションをする人間で、悪気なくひとを不愉快にさせるタイプ、勉強も運動もできず鈍くさいが好きな漫画ばかり読んだり自分でも描いたりしている、けれどもけっしてそれが巧くも面白くもないというのが彼女をみくだしている大まかな理由であった。時々だけれども、わたしを苛々させることもあった。
 されどひとというものは軽蔑の対象をそう嫌いにはなれないものなのかもしれない、それは軽蔑という心のうごきに伴って生まれる快楽によるものであるかもしれないが、それほどに嫌悪のような感情はわたしにはなかったのだった。

  *

 大川悠一というクラスメイトの少年が、ある日忽然と登校しなくなった。噂によると行方不明というかたちであるらしく、巷で話題の連続殺人事件に関係しているのではという怖ろしい不安が、わたしたちここ等いったいの住人の心に、不穏な波紋としてまるで漲っていた。
 わたしは、悠一が好きだった。一度も話したことがなかったが、恋をしていたのだった。悠一はナイーヴな雰囲気をただよわせる綺麗な顔の少年で、華奢で色素が薄い感じ、国語が得意で、淋しげな笑みを浮べて大人しいクラスメイト達と控えめな会話をするか、そうでなければ机で本を読んでいるような地味なタイプ。時々目立つタイプの少年少女にちょっかいをかけられていたが(そうしたくなる雰囲気がかれにあったのであり、むろんわたしだってくわわってみたかった)、そのときのはにかんだような恥ずかしがり屋さんらしい対応は、胸が裂けそうになるくらいにかわゆらしかった。
 まさしくそういう男々していないといおうか、抱き締めてあげたくなるような個性がわたしの心臓の琴線を打ったのであり、わたしはかれにえらばれたいという悲願に、まるで胸を締めつけられるような想いでいたのだった。
 連続殺人事件は、ここ数か月に起きていることである。まず失踪というかたちで被害者が町から消え、のちに愉しむような、なぶるような跡の残る解体された死体がバラバラで発見される。残虐な方法で殺人を愉しんでいると推測される犯人は、まだ捕まっていない。うら若く身体的にか弱い少女が数人ほど無惨な姿でみつかっていて、大人たちは恐怖に怯え、わたしたちも集団登校をしていたのだけれども、少なくとも仲良しグループのわたしたち三人は殆ど気にしてもいなかったのだった。そんな悲劇が自分に降りかかるなんて、想像もできない環境に安住していた故であろう。

  *

「うちに来ない?」
 冬子が突然わたしにそう話しかけてきて、わたしは唖然とした、わたしたちはけっして友人同士ではなかったし、距離を縮めようにも殆ど話したことがないのに、とつぜんうちに来いと急に誘うのは、失礼ながら、いささか感覚がわたしとはちがうといわざるをえない。
「どうして?」
 と、無垢の象徴のような返答をしたが、内心では冬子の心中をさぐっているのである。
「見せたいものがあるの」
 冬子は爽やかな笑みを浮べて云った。
「なに?」
「まだ、秘密」
「由美と小夏も来てもいい?」
「ダメ」
 と、眉間をけわしくさせた。
「一人で、来て」

  *

 わたしはなんだか怖ろしい気持もあったのだけれども、好奇心のほうが勝ってしまって冬子の家を訪れることにした。
 放課後、
「今日ね、ふたりとは帰れないの」
 と由美と小夏につたえると、
「どうして?」
 と由美がお淑やかな雰囲気で首をかしげ、小夏はあんぐりと口をひらっきぱなしで、わたしのこたえを待つ。わたしは小夏のこういうところにいちいち苛立つし、時々、由美と二人で行動したほうが周囲からかっこよく見えるんじゃないかなと、残酷なことを考える。その後の自責はわたしのわるい感情を補うような卑劣なこころのうごきであったが、そこに優しさを発見した気になって安心するくらい、わたしはまだ幼稚であった。
「一人で、冬子ちゃんの家に行くの」
「一人で?」
「一人で」
 わたしが言ったことを聞き直すどんくささ。小夏のことが、やはり苦手だった。
「小夏ちゃん、きょうはわたしと二人で帰ろう」
「うん…」
 なんだかあわれげな雰囲気でうなずく小夏に、「淋しい?」と訊くと、
「そりゃ淋しいよ。毎日三人で帰ってるんだからさ」
 こういう愛らしいことをいってくれるとき、わたしは小夏が好きになる。
「亜樹ちゃん、もう帰ろう」
 冬子がわたしを呼び、わたしは二人に手を振って、ついでにタッチをして、冬子の元へ走った。そのあいだ、冬子はなんだか淋しげに立つ石盤のような姿をしていた。
 ところでわたしと冬子は集団下校の集まりに寄らずさっさと冬子の家に向かったので、のちに怒られた。叱られている冬子をみる男子たちの意地悪げなニヤニヤ笑いは、わたしの心情を嫌悪へと駆らしめた。男の子って、嫌い。悠一くん以外、存在自体受け容れたくない。

  *

 冬子の家は、明らかにお金持ちであった。とにかく土地も家も大きく、白を基調とした石張りの瀟洒なデザイン、屋根は上品なネイビー、ところどころに黒やグレーの装飾がひかえめにされていて、フランス映画っぽい感じがした。ガウンを着たダンディな身形の男性が住んでそうな、そんな雰囲気。
「お父さん、なにしてる方?」
「お父さんは医者だよ」
「ふうん」
 この「医者だよ」というこたえは、ふつうに質問に答えただけなのにもかかわらず、いつもと代わらないクールな態度を、いつも以上に尊大に感じさせるのである。というよりも、「彼女は優秀であるがゆえに尊大だ、わたしに劣等感を与え、優秀だという存在でわたしを圧迫させるのだ」という僻みからくるネガティブな感情が存在してもよい理由のようなものを、「彼女は父が医者だと伝えたが、その声色・表情が尊大だった」と、後からつくろうとするのだ。
 十四歳。職業という記号の威力には、すさまじいものがあると知ってきた年齢であった。それはやはり高校受験を意識してくる頃だからであろう。
 わたしは絶えずプレッシャーを与えてくる先生や親にうんざりしていたし、いっこうに成績のあがらない自分に不安を感じてもいた。なぜ社会には、階級なんてあるんだろう。クラスにもあるけれど。人間って怖い。上にいくために下をいじめて、下を下と解らせるために大きな声で優位性を示して、上は下に下がらないかびくびくし、下は「わたしがこの位置にあるのは、あのひとたちと違ってひどいことができないからだ」とあきらかに自分にだって存在する”かれらへのひがみによる攻撃性”に蓋をして綺麗にととのえた気になって、内心では「わたしはあのひとたちより優しい」というように位置関係をずらし、自分を上のほうに置いて慰める。ばかみたい。そんな人間観があったのは、わたしのクラスがかなりのピラミッド構造をしていたからであろうか。
 しかしわたしもまたそうなのだから、きっとこの人間観は、自己投影の一種であったのだろう。
「わたしだってそうだ」、そう自覚してしまうということが「わたしはそれほどに愚かで悪くはない」という証明のようにも思え、その自覚のきたない選民意識に吐き気がし、自己評価はグラグラと揺れ、起こった出来事に対応して情緒ははげしく一喜一憂、なんだか身体と心のアンバランスさに、どちらかがその重みに耐えかねこぼれ落ち、砕けてしまいそうな心地がする。
 はっきりといえば、わたしはその年齢の少年少女がごくごくそうなりがちであるのと変わりなく、病んでいた。
 わたしは暗みの美を時々愉しむようになったし、その奥の透明な風景を夢みてそれに憧れていたし、不吉と不穏に憩いを感じるときもあった。それはわたしに、「わたしは暗みに所属する異端者なのだ」というような一種の優越意識を与えたのだった。
 その領域へ暗みという知的・貴族的な世界との縁をもたない小夏のような愚かで美しくない少女が土足で踏み込んでくるような心地を小夏からのそれにかぎらず頻繁に感じたのだが、そのたびに彼女等はおおきな鴉に食われたり、魔女の樽に突き落とされたりしていた。わたしはそれを眺めるだけ、そして残酷な悦楽のみをえる籠のなかのブラックバードであった。
 シャーデンフロイデ。衒学的な言葉。
「どうぞ」
 扉をあけてくれた。
「ありがとう」
 そういって入った瞬間にみえるのが大きな絵画。銀の月をみつめる騎士の、蒼褪めた夜の風景画。悲痛な覚悟を固めるように剣を出す騎士は勇猛果敢な表情だったが、なんだか独り善がりな横顔にみえてきたのは、横に冬子がいたからであろう。
 その荘厳といえるけれどもどこか浮薄な印象の筆致は、画家の才能の乏しさに由来するのであろうか。或いは、それをこそ計算された稀有なる”俗悪な美”との酷似としての高貴性なのであろうか。
 巨大なサイズで、平均的な扉が三つ並ぶレベルである。そもそも玄関やら壁やら廊下やら悉くのサイズが、豪邸のそれである。
 お部屋に案内される。
 するとわたしはあろうことか、そのまま放っておかれたのである。わたしは平均的家庭の子供としてこれまで最低限以上はおもてなしをされてきたので、この無礼にはほとんど驚きに打たれたのだった。
 飲み物すら出されず、四方を満たす本棚の整列された本に見降ろされ、その威圧は劣等感を与えるばかり。そのあいだ冬子がなにをしていたかというと、ああどうしてそんなことができるのであろう、机に座って、宿題をしているのである。
「ねえ」
 渋々、わたしから要求することにした。
「遊ぼうよ」
「宿題終わってからね。一緒にしたらよくない?」
「やだよ。わたしギリギリにやるかやらないタイプだから」
「それダメじゃん」
「わたしはそれでいいの!」
 真顔で此方をふりかえり、
「うん、わかった。でも、いましたらわたしが教えることもできるよ」
 それなら…といそいそと鞄をあさりだしたわたしはそのとき顔がほころんでいたようで、「嬉しそうな顔してくれるの嬉しい」、と冬子も柔らかい声を出す。
 素敵な声。甘やかな、優しい、素直な、人間らしい声。
 どんな顔でこの声を出したのだろうとおもって顔をみたら、こちらが泣きくずれそうになるくらいに綺麗な表情をしていた。はらり、と風に落ちる最後の切情にも似た、かよわい、まるでエゴの全く欠けた淋しい表情をしていた。蝕まれていたポジティプが削げ落ち、なにもかもを諦め果てて、ついに肉を喪なったてくびをいらないものとして光へ射しだすような、月光に射し貫かれ自己を霧消させてしまうことをみずから希むような、そんなさみしい顔をわたしへ差しだしていた。
「わたし、友達いないから、亜樹さんが家に来てくれて、ほんとうに嬉しいんだ。さっき、なに話せばいいかわからなくて黙り込んじゃってたけど、放っておいてごめんね。ほら、亜樹さんってさ、たまに本や画集を読んだりしてるじゃん? 話合えばいいな、そう思ってたのだけれども…」
 淋しげな顔で切ないことをいって、秘められていた優しさが、ひっそりとわたしに光として射した心地。
 可愛いところがある。この子には、かわゆらしいところがあるのだ! 可愛いものを愛しすぎているわたしは、激烈な苛烈な庇護したい気持に駆られてしまい、次の言葉を想わず叫んでいた。
 それは勢いでいうにはやはり無謀な言葉であったけれども、はや、撤回するには遅すぎたのである。
「友達になろう! 亜樹ちゃんでいいよ」
「亜樹ちゃん?」
 目をおおきくさせて驚き、口許をほんのすこし緩ませ、やがて目を細くしにっこりとする。
「うん。亜樹ちゃん、ね」
「冬子ちゃんでもいい?」
「もちろん」
 その後はふだんと比して驚くほどに優しく柔らかい表情で勉強を教えてもらい、不器用ながらもこまやかな気遣いをしてくれ、「冬子ちゃん、ほんとうはこんな性格なんだ」と、曇った景色が剥がれて、キラキラしてくるような印象。
 わたしの宿題完成には意外と時間がかかり、そろそろご両親が帰ってくる時間だというので、玄関まで送ってもらった。
 頭を使いすぎてつかれていたわたし(頭のいいひとから勉強を教えてもらえれば、明快に問題を理解し回答できるようになると勘違いの方はおられるだろうか? 否。頭のいいひとの説明を噛み砕くというのは、まさしくふだんの思考を超えているため、ほんとうに、ほんとうにくるしいのだ!)、ふらついてあの高価そうな騎士の絵画にかるくぶつかってしまった。
「あ!!」
 と異様なくらいに素っ頓狂な声を出す冬子。
 慌てるのも当然だが、優等生が平常を乱してあたふたするのもまた愛らしいとおもう。想えば余裕のありすぎるわたしであったけれども、要は、絵画の相場なんて知らなかったのである。
「傷ついちゃった?」
 冬子は不穏な顔をしてぶつかった個所をじっと眺め、なぜか耳をつけた。
「音する?」
「…すうすうする!大丈夫!」
 と不可解な発言。
 こめかみには冷汗が流れ、口許は震えている。
「すうすうしたら大丈夫なの?」
 と素直な疑問に、
「油彩画って、欠けた直後はバリバリ鳴るの。大丈夫よ」
 余りに高価で、親御さんが大切にしているから焦っていたという説明を聞き、わたしも冷や汗をかく。
「でも、弁償させるとかないから心配しないで。気をつけてくれたらいいの」
「うん、わかった。ごめんね」
 すうすうって、なんのすうすうだろう?

 一人帰り道、わたしは気が付いた。
 わたし、冬子が見せたいって言っていたもの、きょう、見ていない。

  2
 きょうも、大川悠一は登校しない。
「ただの登校拒否?」
「誰もいじめてないけど」
「わかんないじゃん」
「家庭の事情?」
 みんなそんな話をするほど不安定なのも当然で、先生は、大川悠一が登校していないというほかの情報をわたしたちに与えないのである。ただの登校拒否であってほしい。わたしはそう心から願う。そしたらお見舞いにいけるのにな、と考えたり、なんだか楽観的であった。
 連続殺人事件は、最後の遺体発見から、二か月が経っている。まだ、犯人は捕まっていない。目撃情報もない。

 大谷康子 17歳
 山尾鈴花 13歳
 澄川ほのか 15歳

 被害者のリスト。すべて、この町の住民。年齢的に、わたしたちはいつ狙われてもおかしくはない。
 三人の被害者の顔写真をみて、ほとんどのひとが気づく、共通点がある。
 美少女。
 わたしは、由美が、危ないと思う。

  *

 冬子とわたしは教室でも時々話すように、わたしは冬子からの影響で(というか半強制で)教室で、冬子に教えてもらいながら宿題をちゃんとするようになった。そんなわたしたちを仲良しだねと嘲うひとたちもいて、わたしは冬子と縁を切りたくもなったけれど、冬子の毅然とした「わたしが正しい」という態度におそれおののき、由美・小夏といたり、わたしと二人きりでいたがる冬子といたり、どっちつかずの態度であった。冬子への好感はあることはあったのだけれども、しかしそれは勉強を教えてくれるから、将来のためになるかもしれないからという打算的なものがほとんどであったかもしれない。
 朝、冬子が話しかけてきて、
「ねえ、亜樹ちゃん、きょうね、あなたに見せたいものがあるの」
「前も言ってたよね。なあに?」
「ううん、まだ、秘密」
 このご時世にそういうことをくりかえしいわれると、怖い想像をしても仕様がない。三人の少女の遺体が発見された町。行方不明の大川悠一。えたいのしれず、すぐれた能力をもった新しい友達。
「見せたいものって、誰かから隠してるの?」
「まあ、そういうことかな」
「…ひと?」
 想わず、訊いてしまった。
 冬子が怖いひとだったら。なんらかの形で事件に関与していたとしたら。ぞわり、と背筋が凍った。
 冬子は、なにもいわない。
「え、なに?ひとなの?」
 冬子は、かるく笑う。
「ううん、ペットだよ」
「ペット?」
 力が抜けて、ふわああ、と肺から空気を吐きだした。
「わたしね、動物だいすき!わんちゃん? ねこちゃん?」
「会う迄ひみつ」
「行く!ぜったい行く!」

  *

「きょうも、冬子さんと遊ぶの? やだよ、一緒に遊ぼう。小夏と冬子さん、どっちが好きなの?」
 鬱陶しかった。恋人でもないひとから、そんなこと、いわれたくない。
 わたしは冬子となかよくなり、成績もすこしずつ上がってきて、けっして悪いものではない筈だけれども、いわゆる、上昇志向のようなものをもつようになっていた。
 成績を上げる努力をせず、くだらない漫画ばかり描いている小夏のことをさらに軽蔑するようになっていたし、その軽蔑心がどことなく気持ちよくて、それをえたい気持だって勉強のモチベーションとなっていたような気がしていて、わたしのそういう心のうごきに対しとても後ろめたい気持になった。わたしは醜い。わたしは悪く、まちがっている。
 が、そんな後ろめたい気持だってわたしになんらかの快楽をあたえ、世紀末的な暗みの美術とフランスの残酷物語への志向はさらに育ち、それがよくないものであるという痛みを自分に与えるからこその享受した際の歓びを、わたしは存分にえていたのだった。というよりも、その後ろめたい痛みこそがわたしが快楽をえるために意識的に自己へ与えたエサなのであり、それを放るなげやりなうごきだって一種の快楽そのものであったのかもしれない。
 ゴス嗜好とは、わが病める心の傷への愛撫であるかもしれないけれど、その心の傷を優越性を証明する勲章へと変換する、とくべつな手続きのひとつなのである。わたしたちは、なんらかの権力を、たとえ秘めたかたちでもいいからどうしてもえたいのである。
 しかし、なんらかのピラミッドで上昇したいという欲望を放棄した人間が、果しているかしら?
 道徳心だって、優越性への志向ではないかしら?
 そう冷然と暗く笑いはじめたわたしは、そんな醜いわたしを認識してすぐ、それがそのままには受け入れられないからこそその冷笑から魅力的な一面をどうにかこうにか発見し引き出そうとする。ムンクの絵画を見る。あら、やつれているけれど、わたしはこのなかに美をみいだしますわよ。ピカソの「青の時代」。こんな美女くらいに痩せようとしたわたしは、それほどに成功していないうちから小太りの小夏をあざわらう。
 甘ったれた自責──わたしは心が歪んでしまったの、というそれ。わたしは、お花を摘むことすらできない純粋な少女ではなくなってしまった。バッグにボオドレールの『惡の華』を秘める。ほくそ笑む。授業中にそれを読むというすごく怒られはしない行為によって、ほどほどに不良っぽい悪徳的な知性をもつ自画像を上からドローイングし、その時代性の正当な努力とはちがう尺度でわたしを測り、自分がそれなりに上にいける定規だけを手に残して、その他を一生懸命軽蔑する。コミュニケーション能力? 共感力? ハッ、くだらない。そういう感じのもの。けれども主流な価値観のなかで、一つくらいは優越性を獲得したい。じゃないとたくさんのひとから軽蔑されるし、軽蔑されるということのみじめさはわたしの内心の攻撃性への凝視によって、恐ろしいものとしか思えなくなっている。わたしの小夏に対しての軽蔑心を、もし誰かに向けられていたら──おそろしい、ああおそろしい! されば成績くらい上げよう、いい高校に行こう、勉強しなきゃ、もっと勉強しなきゃ、(その間にストレス解消、少年が残酷な仕打ちを受ける絵画にうっとりとする)、勉強しなきゃ、勉強しなきゃ(ワーグナーを聴いてうっとり、スマホでみんなとおなじ娯楽をよろこぶのもほんとうは好きだけど、こんな快楽はゴスに権威を与えられた”芸術”からしか受けられないの、うっとり、うっとり──わたしにうっとり、いつかわたしコム・デ・ギャルソン・プリュスを着てみせますわよ)、あ、勉強してない、成績はまだ中くらい、そんなわたしはわたしには愛されない、勉強をしていないわたしを許しちゃダメ。…
 勉強をさぼってはいけない。勉強をさぼってはいけない。そう勉強したくない自分に戒めていると、それをせずにのんびりと笑う小夏のことが、どんどんイヤになってきた。こうはなってはいけない、そう義務を課して不幸を自認して生きていると、そうなっていてしかもあっけらかんとし幸福そうにみえる人間に、はげしい嫌悪をいだくようになる。
 その頃、ちょっとわたしにとって気に入らない表情を彼女がすれば、しんと冷然な殺意すら抱くようになっていたのだった、それはもしや、残酷な物語を読んだ際の攻撃的な快楽が、わたしの頭の中を変え、性格が悪い方向にずれてきたからなのかもしれない。一度嫌いになると、まえは可愛らしく想えていたひと懐っこさも、眉をひそめるくらいに不快だった。
 由美は、困ったような顔をしている。いつもいつも、わたしたちの間で板挟みする、可憐な由美。わたしは、由美と冬子、そしてわたしという三人のほうが、まだ、似合っていると思う。
「ごめん、明日は、三人で遊ぶよ」

  *

 冬子の部屋に来た。いっこうに動物は現れない。
「ねえ、ペット、どこ?」
 さすれば冬子、慈母のような美しい表情でたちあがり、黙って扉へわたしを誘い込む。
「じつはね、親に隠れて飼ってるの。きょう木曜日で病院が忙しいし、帰りは遅いから、しばらく遊べる」
「お母さんもお仕事なの?」
「お母さんは、わたしが小さいときに亡くなっちゃったの」
「え、ごめんね」
「ううん。謝られると悪いことみたいでしょう?」
「うん、ごめん…」
「学んでくれるならそれでいいの」
「何歳だったの?」
 と訊くと、
「そんなことどうだっていいでしょう!」
 と、こつぜんと教室の冬子らしい猛々しさで言った。
「行こう」
 冬子がわたしの手をとり、その冷たさにわたしは息を呑むような本能的な恐怖を感じ、「いや…」と云い、走って逃げた。
 とにかく冬子から離れようとしたが、家はひろいし、くねくねしているし、玄関がどこか覚えていない。わたしは糸に吸い寄せられるように或る部屋にたどり着いた。
 完全に、迷子であった。電気のついていない部屋に入ったはいいものの、仄暗い部屋はおそらくやお父様の部屋、男性らしい体臭がわたしにはかなり不快で、息をひそめていても、いずれ冬子が見つけるに決まっている。けれども、この家から脱出する方法がわからない。窓。窓だ。窓辺へちかづくと、仏壇がある。その写真には、学生服を着た美しい少女が映っている。16、17くらいだろうか。
「それね、わたしの姉。亡くなっちゃったんだ」
 急に背後から音がして、わたしの肌は粟立った。
「似てないよね、わたしみたいに、醜くない」
 あまり似ていないが、鼻筋のくぼみだとか、唇のカーブだとか、微妙な雰囲気が似ている。
「冬子ちゃんは、醜くないよ。すこし、似てるよ」
「ねえ、怖いの? 怖いんだね。大丈夫。わたし、守ってるの。怖いものから、守ってるの。だからね、だいじょうぶ。だいじょうぶだよ。見せてあげるだけだよ」
 似てるよ、の返答はなく、一方的にまくしたてられた。彼女のいっている意味が、それをいう意味すらまったくわからない。表情は翳でみえないが、それがわたしの恐怖をさらにひきあげ、神経が悲鳴をあげるようにわなわなと震えていた。
「冬子ちゃん、まさか、冬子ちゃんが、事件の犯人なの?」
「え?」
 拍子抜けしたような声を出す。
「冬子ちゃんが、三人の女の子を殺していて、悠一くんは女の子みたいにかわいいから、悠一くんのことも…」
 ふふ、ふふふと笑いはじめていた。
「違うよ、なに言ってるの? とにかく、来てくれたらわかるの」
 わたしたちは、やはりあの絵画のところまで来たのだった。
「連続殺人犯から守るためにね、このなかに、悠一くんがいるの。守ってるの、悠一くんを」
 さっと血の気が引いた。たいていの人間は、そんな発想をしない。
「わたしは少女的でありたいから、少女であるために外に出て戦い、現実と争うの。“少女性”っていうのは月影みたいなもの、それは無いのだから、ぜったいに届かない“理想の少女”の真似をして、とにもかくにも、現実と争うしかない。
 けれども少年性っていうのは、少年的な領域に佇みつづけることをいうの。わたしはかれを、少年のままにするために、守ってあげてるんだよ」
 手を掴まれる。異様につよい力である。
「離して!離して!警察!警察呼ぶ!」
 女の子にしてはごつごつと大きい掌で、わたしの口許をおおう。
「ふつうのひとってさ、現実を見ようとしないよね。騙されたままのほうが楽なのはわかるし、秩序や風潮、世間に塗られた現実が剥げるまで剥くには、知力がいるんだからしようがないけれど。反知性主義ってご存知? わたしをくるしめる、教室の圧力の正体だよ。ねえ、現実を見よう。本質を見抜こう。だから、見せてあげる。現実を」
 絵画のある領域を、とんと叩く。中心から右へ回転し、そのまま辷るように左端へ寄せられる。絵画があった右の領域はぱっくりと割れ、元中心部に壁の敷居があり、のっぺりと大口をひらく砂が固着したようなざらついた四方に囲まれた空間が、壁の右側にできあがった。
 その隅にある豪奢なベッドに、大川悠一は、綺麗な顔で睡っていた。
 鉄の寝台の上。おそらくや睡眠薬を投薬されているのだろう、金属質のベッドのうちできみょうなほどに顔がうごかず、「唯そこにあれ」という想いが、わたしの内で想わず飛沫として歌われた。銀色のすさんだ硬質な情景のなかで、かれの美はあたかも青く氷っているようだった。そのくらいに石膏にも似た雪のいろをした肌を光とし暗みへ反映していた。濡れ垂れるようにうるわしい黒髪が乱れていた。くろぐろとした翳を長い睫が落し、こんなにも哀れなる状況のなかで、しんとした夜の森を夜空が閉ざしているがようにひっそりと瞼を降ろしていた。
 わたしはこの悲劇的な風景を美しいと想った。この冷然硬質な、神経的ないたみが夢のように猛毒として高揚へみちびかれるこの情緒を、なんらかの快楽であると思春期のわたしはみぬいたのだった。それはやはり病める眸は地獄の風景を美しいとみまがうことの典型であるともおもわれ、この悲劇の薫り高い風景は、わたしには悲痛なまでに胸に刺さった。
 とく、とく、と雨音のような音で冬子は歩き、わたしは引きずられる。
 寝息を立てている。すこし安心したが、正気の沙汰じゃない。
「美しいでしょう。美少年は、このままでいてくれないと。大人の男のひとって、毛だらけで、躰がごつごつしていて、不潔。不潔だよ」
 ぱっと手を放して、逃げようとした。
「ねえ、亜樹ちゃん。亜樹ちゃんは、悠一くんが好きだったんだよね。バレバレだよ。だからさ、あなたに見せつけたかったの。わたしと悠一くんの、世にも稀な少女と少年のメタファーのペアリングを」
「だからわたしにちかづいたの…?」
「そう、そうよ。悪い?」
 絵画がうごき、わたしは閉じこめられるという恐怖のまま足を走らせたが、冬子に想いきり突き飛ばされる。絵画の扉は閉じられた。
「男のひとなんて嫌い。わたしを美しさだとか、年齢で価値を峻別する。わたし、悠一くんがいい。悠一くんだけ、いればいい」
 そうぶつぶつ呟くのを聞いていると、狂いそうになるくらいパニックになる。
 と思うと、「ただいま」と男性の声。
「助けて!!」
 とわたしは叫んだ。
「冬子ちゃんのお父さん!!助けて!!」
 冬子が、ものすごい形相で「黙って」とわたしの顔を抑える。
「助けて、助けて、助けて!!!」
 そのときの冬子の顔はふしぎなそれであった。淋しげな、はらりとかよわい、まるで我のない優美な消沈の表情。もうなにもいらない。そんな、ふしぎなほどに綺麗な顔。
 何故この少女は、時々、かのような顔をしていたのか?
「どうした?待ってなさい」
 そんな声がきこえ、絵画がひらく。冬子は、急いで悠一が目立たないようにかれにくっついて、ベッドにもぐりこむ。
 ある一面からいえば聡明な容貌といえるような、異なる一面からいえば快楽にだらりと垂れ下がったともいえるような、わたしから酷にもいわせていただければまったくもって魅力のない中年男性の顔が、こちらを覗きこむ。
「寝室でふたり、なにしてるの?」
 ここが寝室?さっきの部屋は勉強部屋?
 そういえば、先程までいた部屋にベッドはなかった。わたしは布団で寝るので、まったくおかしいとは思わなかったが、そういえばこんな家でならベッドで眠るだろう。
「きみが、友達?」
「はい、山田亜樹です」
 どこから説明をしよう。なにから説明をしよう。そもそも、この父親がいいひとであるかだんて解らない。この状況で、冬子の父親という立場の初めて会った男を、信用できるわけがない。
「食事でも食べていきなさい。いいね?」
 高圧的なその言い方に、わたしは従わざるをえなかった。冬子に似てる。言い方、顔立ち、表情のうごき、ぜんぶ、似てる。

 田舎のレストランからデリバリーを頼み、わたしたちはそれを食べた。晩餐はまるでうす暗く、暗鬱な陰が終始降りており、わたしは悠一のことばかり気がかりで、どうやって家を出て悠一を救おうか、思考を逡巡させていた。
 悠一のことがいくら好きだからって、異常事件の犯人がこの町に隠れている可能性が高いからって、監禁状態にするのは、ぜったいに異常者の発想・行動だ。独善と閉鎖の、おそろしい選択だ。どこでそうなったのだろう。人間の心は、どういう条件下ならそうなりえるのだろう。しかしわたしには、勉強を教えてくれる優しさや、ときどきだけ見せる淋しく綺麗な表情だってほんとうの素敵さであるような気もする。
 わたしはポケットにあったスマホをいじり、どうすればかれ等にバレずに100当番できるのか考えていたのだが、それがよくなかったのだ。
「亜樹ちゃん、携帯をもっているんだね。ほかの友達もひとりだけ連れて来なさい。料理を頼みすぎたよ」
「お父さん、亜樹ちゃんのなかよしのお友達、ふたりいるよ。言ったでしょう。いつか三人を家に呼びなさいって言ってたよね」
「小夏ちゃんと由美ちゃんだったね。でも、ふたりだと足りないかもしれない。そうだな、ひとりにしておくれ」
「わたしだけじゃダメですか?」
 とわたしが言うと、
「ダメだ。料理が多すぎるし、冬子にはもっと友達が必要だ」
 声色はやわらかいが、醸し出す雰囲気に、どことなく暴力性を想像する。わたしは、男の人のこんな雰囲気を振り切れるほど、つよくない。というよりも、ここで振り切ろうとするのはただの怖いもの知らず、従うしかないという状況にしばしば置かれる女の躰というものは、悲痛だ。それすらわからずに高圧的な態度をとる男性たちが、ほんとうにきらいだ。悠一は、ぜったいにそんなことをしないのだ。
「えっと、どっちにすれば…」
「そうだね、名前しかわからないんだけど、話をきいていると、片方のほうがきちんとしている印象なんだろう、そっちの子を呼んでおくれ。ほら、背が高いほうだ。子供子供した子は、どうもわたしは苦手でね」
 由美だ。
 由美は、この家には呼べない。小夏も勿論そうであるはずだけれども、由美は、ぜったいに無理だ。こんな危険な状況に、大切で大好きな由美を呼ぶことは、わたしにはできない。
 小夏。最近、嫌いだ。文句ばかりいうし、まず、いろいろな意味で劣っているし、かわいくないし、あいつがいると、わたしたちまでレベルの低い集団だとみなされてしまう。
 わたしは、
「きちんとしてる子…綺麗な子のことですか?」
 と訊く。
「そう、美人さんだったね。頭のよさそうな顔をしている」
 冬子は、なにもいわない。由美ですね、ともいわない。父親がいると、ふしぜんなほどに従順で、無口である。
「電話かけます」といって、画面がふたりにみえないように気をつけながら小夏に電話をかけ、「ねえ、小夏、いま、冬子ちゃんの家でご馳走してもらってるの。ひとりで来ない? 場所は…」とひそひそ声で短く伝え、「うん!!行くー!!」という明るい声を聞くと、電話を切った。
 せつな、目の前がまっしろになった。

  *

 気づくとわたしは地下室のような部屋で縛られ、端で寝転がらされていた。
「初めての殺人はね、」
 と、どこかで声がきこえた。
 見ると、冬子の寝室のような石膏の部屋にわたしはあり、しかし、どことなく先程の部屋とはちがう雰囲気。悠一が寝ていた場所のベッドには整然と斧や鉈などの凶器が並び、ゆっくりと真横に目を泳がせれば、冬子の父親が、此方をがらんどうの穿たれたような表情でみていた。
 先程絵画が左に傾いたとき、壁は絵画のちょうど真ん中にあった。ということは、この部屋は絵画の左側なのだろうか?
「妻だった。妻は16で、わたしは27だった。世間体はわるかったが、わたしの評判は悪くないものだったし、肩書は申し分なく、いまよりは時代的にも大丈夫だったから、それほどに後ろ指を指されなかった。わたしは彼女を、医学的な方法で殺した。美しいままでとどめたかったからだ。老いてゆく妻を見ていく運命が、辛かったんだ。だが、少女期の女性を殺すことが天上の快楽であることと知ったのもそのとき、わたしはその欲望を最近まで耐えつづけていたが、殺人者という才能に生れついたわたしは、なぜ我慢する必要があるだろうと思い直した。ああ、遺体の一部は解体してあって、漬けてある。この部屋のさらに奥にある。あとでみせよう。君は美しくないからわたしには必要ないのだが、あの美少女をおびき寄せるために使ったんだ。まあ、死んでもらうしかないだろうね。君がわたしの家に来るのは周りも知っているだろうから、そろそろ私は逮捕されるだろうが、しかし、ねえ」
 冬子の男性ぎらいに、冬子の責任は、ほとんどないような気がする。だって、わたしたちはまだ中学二年生なのだから。
「小夏ちゃん。君の声で名前がわかったよ。あの幼さの残る気品ある顔立ちにまさに相応しい名だ。麦わら帽子に白いワンピースを身につけさせたくなる。私は冬子からクラス写真を見たが、ひとりだけすごく可愛い子がいるものだと、舌なめずりをしたものだ。これまでのターゲットは患者からえらんだのだけれどもね、小夏ちゃん、彼女はほんとうに美しく、この年齢特有の美しさがじつに高い湿度でもって籠っている。すべるような白薔薇の体臭がしそうだ。おや、インターホンが鳴った。ようやくか。亜樹ちゃん、平凡な顔の平凡な少女、待っていなさい。私の芸術的行為をみせてあげるから…」
 興奮状態だったのか、絵画の扉をややひらっきぱなしのまま玄関に出る。わたしは叫んで小夏に危険を知らせようとしたが(わたしが小夏を選んで危険に陥れたとはいえ、すこしばかりの良心がわたしにもあったようだ)、かよわい声が洩れるばかり。
 扉を開ける。
 小柄で小太り、とくに美しくない小夏が、はにかみながらもあっけらかんとした遠慮のない笑顔で現れた。
「ん?」
 向こう側で、あきらかに不機嫌な声で、男は唸る。
「お前はあの子じゃないだろう」
「え?あの子?」
「ほら、もうひとりの、君よりも背が高くて、整った顔をしていて、そっちの子を呼んだんだ。まさか、あいつがわざと…」
 せつな、わたしのいる部屋にいつのまにか起きていた悠一が凄まじいはやさで入ってきて、斧をとって男に襲いかかり、頭上から振り下ろすように幾度も男の頭を打った。鈍い音を立てて頭蓋骨は砕け、ビチャビチャと血飛沫の音がし、男が横臥しうごかなくなるまで躰のいたるところへ斧を振り下ろしつづけた。
 繊細な線のやさしい顔立ちは肉食獣の本能のままに猛々しく歪み、返り血に濡れるかれの姿は綺麗だった。ほそい腕はしなるように幾度も殺人のうごきに運動され、わたしは眼前の残酷きわまりない情景に、なにか美しいものをみているような気持で目が離せなかった。
 蒼褪めた顔で此方に顔をむけ、ゆらりと疲労に躰を揺らす。細かく肩を震わせ、斧を離したゆびさきは力なく項垂れる百合さながら。金属質な斧の落ちる音がさきほどの凄惨な行為をふたたび想起させる。
 告白しよう。
 わたしはこの悠一に、欲情をもよおした。
 隣の部屋から、冬子がとびだす。
「悠一くん!あなたはそんなことをしちゃダメ!悠一くんはずっと少年でいてもらって、戦うのはわたしだけでいいの! そんな残酷でマッチョなことをしないで!」
 気が動転してへんなことをいっているが、殺人を見た直後にしては頭がまわっていてふしぎである。もしかすると、すでに父親の残酷な行為をみたことがあるのだろうか。
 肩で息をしながら、悠一は月光に磨かれ削がれたような玲瓏な線の顔から血を落す。浮薄さを水音として散らせるような毅然とした声は、いつのまにか声変わりに掠れていた。わたしはその掠れに唇をむっと圧しつけたいと願望した。
「雪野さん、あなたはまちがっている。おおくの少年は少年性に佇みたいという宿命的な悩みにくるしみますが、少年は、青年になる義務を負っているのです。ぼくは小鹿を撃ち殺した青年、もう、あなたの支配下には置かれません」
 そういって、かれはわたしたちすべてに軽蔑され、憐れにもわたしに犠牲者として呼び出され、冬子に歯牙にもかけられず、異常殺人犯に如何なる魅力も認めさせなかったどんくさい小夏を、つよく抱き締めた。
 小夏は眼前で為された猟奇的行為にガタガタと震えていたが、やがて「悠一くん、ありがとう」と言って、こつぜんとタガが外れたように泣き喚き、悠一を抱きかえした。
「血がついてるから、額にキスできないのが悲しい」というかれの声は、絶望的なほど遥かから聞えるよう。わたしには茫然たる想いで、気が遠くなりそうだった。
 冬子は、すべてが剥がれ落ちたような乾いた声で、ずっと泣いていた。悠一を失い、父親が裁かれること確定の彼女は、これから様々なものを法的処理にともない奪われるだろう。剥奪されつづけるだろう。しかし彼女は、すでに大切なものが剥がれ落ちているのではないか。彼女の「ひとに大切にされたい」という平凡極まりない願いは、剥かれるように無惨に失われているのではないか。
 わたしはわたしに美しく映った冬子のかのような笑み、淋しげな表情が、さまざまなものを失くしたことで構成された、刹那的で哀れきわまりないそれであることをのちに知る。そのうえでしか立たなかった、生き抜くためのかなしい自尊心を知る。わたしはそうまでしてでも生存しようとした自尊心のうごきを、数年後、”俗悪-美”と名付ける。
 少女が純粋な少女であろうと努力することに自恃を置く生き方は、ある種の信頼が必要なのかもしれない。人間への信頼が、対象を大切に想う気持を育てることが必要なのかもしれない。それがなければ、ごくごく平凡でラディカルな純粋志向、排他的で邪悪な潔癖性になることへうながされるのかもしれない。
 しかし、冬子にはそれが、そもそも与えられていなかったのかもしれない。わたしは、その可能性にだって想いを馳せなければいけないのではないか。

  *

 悲劇。まさしく、そうである。
 されどわたしには、或る美的風景の幾つかとの邂逅として、この出来事を想い起こしえる。
 かくして少女は、ゴシックに逢った。
 わたしにはこの物語が、あたかも快楽と結びついている。
 これよりわたしは、後ろめたい気持になりながらそれをも含め余人にはみせられない悦楽に耽る、孤独な趣味人としての十代、二十代、三十代を生きることになる。こののちのわたしの生活にセンシティヴな物語は全くもって起こらなかったために、これはわたしの人生で唯一のゴシックな残酷物語としてメモすべきだと想い、こうしてペンをとったのだった。

ガール・ミーツ・ゴシック

ガール・ミーツ・ゴシック

短編小説 ゴシックホラー

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2026-02-01

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