茂木さん事件
真夏の早朝に、その事件は起こった。
茂木さん事件
我が家では、夏のお盆期間に二泊三日だけ海水浴の旅行へ行くことが恒例行事であった。
父の夏休みはその三日間だけなので、初日はだいたい午前三時ごろに車で出発し、朝の七時ごろには現地に到着しているのが通例だった。
真夜中の出発ということもあり、幼少期には目が覚めたら車の後部座席だった、なんてこともある。
何歳のころだったか、出発日の前日に姉が「寝てるフリしようよ。お父さんとお母さんが抱っこで乗せてくれるから」なんて口車に乗って、悠々と車まで運んでもらったこともあった。
今思えば、父は前日の夜まで仕事をし、母も寝る前まで旅行の準備をしていたというのに、子供という生き物は実に勝手な動物である。
日航ジャンボ機墜落事故が起きたのも旅行日の前日のことだった。
事故が発生してからは、どのチャンネルも緊急ニュースの特番に変わっていた。
明日から海に行ける高揚感もあって感情は複雑だったが、当時はまだ小学校低学年であったため、不謹慎にも事故の重大さ、悲惨さはそこまで感じていなかった気がする。
薄情なもので、自分が嬉しかったり楽しかったりウキウキしているときに、トンと不幸な話を聞くと普段よりも大げさに驚いてしまうが、結局はウキウキ気分が勝っていて、本心は実のところ不幸にまったく寄り添っていないものである。
準備に右往左往している母の姿を前に、支度を手伝っている訳でもないクセに、自分の心持ちだけが右往左往と落ち着いていなかった気がする。
その年も真夜中に出発した。私は車酔いをする体質だったので、眠っていればまだマシなのだが、ひとたび目が覚めてしまうと酔っぱらってしまって始末が悪い。
しかも当時のうちの車ときたら、現在のNTTの前身である電電公社から払下げしたような車両で、草色をしたポンコツな軽のワンボックスカーだった。車の色が草の色みたいだと父に言うと、父は「草色じゃない!エメラルドグリーンと言え!」などと取るに足らないことを言っていた。
ガタガタ揺れるし、エンジン音もグアングアンとやかましい。父の運転も荒っぽい方だったので、発進もギアチェンジも制動もガックンガックンであったし、タバコもパカパカ吸うので車酔いに拍車が掛かった。
私たち姉弟は後部座席を倒してフラットな状態で寝ていたのだが、東京から現地の千葉に着くころには私だけが虫の息である。それでもあんな車で仕事終わりの夜中から数時間かけて車を走らせてくれていたのだから、ありがたいものだと今さら思う。
ちょうど空が明るくなった時間帯だろう。どこかに車を停めて、休憩をしている静けさがあった。薄目を開けるとフロントガラスに、その日の暑さを約束する夏特有の強い朝陽が差し込んでいた。
父が通りすがりの新聞屋でスポーツ紙を買ったのか、運転席で一面を眺めながらタバコを吸っていた。その一面には「九ちゃんも乗っていた!」と大きなかしらが躍動していたのを、今でもハッキリと覚えている。
私が十歳のとき、風呂なしのボロアパートから新築の都営住宅、いわゆる団地に引越しをした。
毎年恒例の海水浴は私が中学生になっても続いていた。
車はだいぶ立派で大きめのワゴン車になっていたし、私も成長と共に車で酔っぱらうことも少なくなっていた。その年も同じように夜中に出発をして、目的地の西伊豆へ向かっていた。
いきなり話が脇道に入るのだが、私の母はおっちょこちょいなタチである。
天然ボケとまではいかないが、普通におっちょこちょいのすっとこどっこいなのだ。
学生時代の姉の、何の書類だったのか忘れたが、間違えてはならない書類に母が記入をしていたときのこと。
「絶対に間違えないでよ!修正液使えないんだから!」と横から姉に散々念を押されていたにも関わらず、母は「なし」と書くところに「なす」と書いて姉を泣かせていた。
当の本人は目に涙を浮かべて大爆笑していた。
あげればキリがないほどエピソードはあるのだが、その極め付きが今回の「茂木さん事件」である。
ここで話を本線に戻すが、そう、西伊豆に向かっているときのことである。
高速道路から一般道を走り、そろそろ西伊豆の海岸線に差し掛かるところだったと思う。時間は朝の六時くらいだったか。澄んだ青空と駿河湾の水平線、それに山の稜線も鮮明だった。
街中と呼べるほどではなかったが、民家が点々としているような地域を走っていたところで事件は起こる。
高校生になった姉が助手席に座っていたが、たぶん夢の中であっただろう。後部座席には私と母が居た。私は右側のガラス窓に寄りかかるようにして、起きてはいたが目を閉じていた。と、突然である。
「あ、茂木さん!茂木さ~ん!」と母の叫ぶ声が私の瞼をパッと開かせた。
まず、軽くこの茂木さんについてご説明をしよう。
団地住まいの我が家のお隣が茂木家であった。茂木家も四人家族であったが、少し年代は下だったので、ご夫婦もご子息たちも我が家よりみんな少しずつ若かった。
茂木家の奥さんは瘦せ型だが背は高い方で、髪はソバージュがかったヘアスタイルだった。
母はその茂木家の奥さんのことを車の窓から頭を出して、外へ向かって叫んでいたのである。
私を含めた母以外の家族三人は当然「!?」となる訳である。運転中の父も、母の声で目を覚ましたであろう姉も、まどろんでいた私もみんな「!?」である。
当然のことだが、西伊豆の差し掛かりにお隣の奥さんがいるはずがない。なんなら数時間前に寝静まっている茂木家の前廊下を、四人でソロソロ歩いてきたばかりである。
確かに女性のひとりが側道を歩いていた。が、しかし、現に私が母の開口の先にいる女性を見たって、どこをどう見ても茂木家の奥さんに似ても似つかない別人な訳で。それでも母は何のためらいもなく「茂木さ~ん!隣の紀です!紀です~!」とトチ狂ったように連呼し続けていた。
恐らく早朝の散歩中だったのであろうニセの茂木さんは、無理もないが、面食らった様子で目だけをキョロキョロさせながら、「わ、わたしじゃ、ないよね?」と言いたそうな顔で、居もしない茂木さ~んとやらを探していた。申し訳ないが、あなたは完全に勘違いされていた訳であるが。
車がニセ茂木の奥さんの脇を通り過ぎるまで母の連呼は止まることはなかった。
「あらぁ、気付いてもらえなかったわ」と母はまだ正気に戻っていない。
「どうしたの?茂木さんなんていないじゃん」と姉。
「そうだよ、どう見てもあの人茂木さんじゃないよ」と私も続く。
父は「クッ」と小馬鹿にしたように笑った。
母はやや黙って、自分が起き抜けの寝ぼけた状態で、おっちょこちょいのすっとこどっこいをかましたことを、ようやく悟ったふうだった。
中高生の思春期にでもなると、どうでも良いことなのに、なんだかシャクに触ったり、気が立ったりして、親でも誰でもからかったり、人をコケにしたくなるときがある。
海に着いてからも恐らく私がしつこくからかったのだろう。大笑いをしている私たち姉弟に向かって「もう!うるさいわね!」とだけキレて、その後はムスッと海ばかりを見ていた。
数年経ち、この話を笑い種として蒸し返そうものなら母は本気で怒り出すので、それから今現在でも、母の前ではこの話題はタブーとなっている。
おわり
茂木さん事件
最後までお読みいただき誠にありがとうございました。