詩人とおおかみ
あるしろい朝、さらさらと聖いひかりのこぼれるころでございます。
かさかさと草花のこすれる音を立てて、いっぴきおおかみの”月”が森で目をさましますと、かれ、隣でしげるやわらかいかたばみに埋もれ睡っている、ひとりの人間のあかちゃんを発見するのでありました。
というのも、朝のきよらかな陽の光が、そこを射し照らしていたのでありました。
「どこから落ちてきたのだろう?」
”月”は、ふしぎそうに空をながめてつぶやきました。
「うれしいな。かわいいな。ぼくは、ずっとひとりぼっちだったもの。朝陽をあびて、この子の若葉のようにつややかな頬のうえで、きらきらと光が踊ってる。まるで、はやすぎた落ち葉みたい。そうだ、この子を、“落ち葉”と名づけよう。」
”月”は、あかちゃんを”落ち葉”と名づけ──しかしおおかみのする発音ですから、ふつうの人間には、「ヴヴ…」としかきこえないでしょう──たいせつに、たいせつにそだてることにしました。
“月”はえものをとると、いくら狩りでくたくたにつかれていたとしても、肉をさずけてくれた心に「ありがとう」をいい、夕陽の美しさのまえで祈り、そうして、“落ち葉”の待つところへむかうのでした。
帰りつくと、まだかたい肉を口にふくんでやわらかくし、“落ち葉”にあたえました。それをさせる心はそぼくで、命そのものがほんらいもっている、“いつくしみ”ともいえるそれでありました。
”月”はこのおこないを、ただ、そうしたいから、自然と、正直なきもちでそうしているのでありました。
真夜中になり、森が澄んだくらやみにおおわれると、“月”は、空の月にむかい吠えるのでした。
いっぴきおおかみの“月”は、むかし淋しさを感じることもおおく、「ぼくはここにいるよ」、そう、いるかもわからない仲間たちに呼びかけていたのでした。
しかし、いま、“月”のそばには、“落ち葉”がいるのです。“月”はいとおしげに“落ち葉”の頬をなめ、“落ち葉”もまた、そのあたたかい舌と心をよろこびました。ふたりの体のよろこびは、ふたりの心のよろこびでありました。
やがて、”落ち葉”は四つの手足をつかって、走ることができるようになりました。”月”とおなじようにうごくことができること、それをなによりもよろこびました。ふたりは、よくかけっこをしました。汗だくになるまで走り、じゃれ合い、体をなめ合い、やさしく撫で合って、頬ずりし、空はどこまでも透明で、森は風のままに緑をゆらし、天の降らすきよらかな光、それを浴びてきらきらと照りかがやく森、そして”月”と”落ち葉”の心は、おたがいに呼びかけ合い、そして、照らし合っているようでありました。
ふたりはしばしば、朝に昇る太陽を、ならんで眺めました。“月”と“落ち葉”は、ともに空の美しさを知っていました。人間ほどにはたくさんの言葉をもたないために、想いをつたえるとき、複雑なものをわかちあうのはむずかしかったけれど、しかし、おなじ空を美しいと思う、その深い心で、ふたりはつながっているようでありました。
風と光と、緑たちの調和のなかに、ふたりの心は、しずかにくわわっているようでありました。
*
“落ち葉”はやがて人間に発見され、連れもどされてしまいました。
友達をうしなった”月”は悲しみ、しかし、淋しく月へ吠えるほかないのでありました。
*
“落ち葉”は、“はかせ”のところで暮らし、毎日、実験台にさせられました。
“落ち葉”は、そのとき少年といえるくらいの年齢でありましたが、自分の育った雄大な大自然から、とつぜん殺風景な実験室に落ちてきたのような気持ちでありました。周囲の風景を、はじめて見るものとして、めずらしげに、ふしぎげに眺めるのでした。
言葉を覚えさせられたかれは、はじめ、ひとびとの言っている「意味」を理解できるようにはなりましたが、その奥の「心」は、さっぱり解りませんでした。どうも、人間という生き物は、言っていることと、思っていることが、ちがうようなのです。それはしばしばやさしくて、いつもいつもさみしくて、そしてなんだか、ちょっとだけずるい決まり事のようにもおもわれました。
なんてふしぎな世界なのだろう、そう”落ち葉”は思いました。かれは、”月”との想い出を大切にするために、この「違和感」のようなものを、ずっとずっともっていようと思いました。
そして夜、ふしぎなほどにやわらかく、しかもいい香りのするベッドによこたわり、“月”の姿を、頭で想い浮かべました。ざくざくと硬い毛なみ、あたたかく湿った舌、静かに澄みきったひとみ、凛としたたたずまい、狩りのときの雄大なうごきを、想いました。淋しく、枕をぬらしました。また会いたい。また会いたい。そう、切なく願いながら。
自分を愛してくれる“月”をうしなった“落ち葉”は、“はかせ”から愛されようとしました。
かわいらしく、鳴いてもみたのです。頭のいい“はかせ”は、かれが、愛されたがっていることに気がつき、研究のため、“落ち葉”を愛しているふりをしました。そして、もっと“落ち葉”が勉強をすることが、さらにひとびとから愛されることにつながるのだと、教えました。“落ち葉”は愛されるために、ひっしで勉強をしました。
”落ち葉”が、たどたどしい発音で、
「なぜ人間は嘘をつくのですか?」
ときくと、
「それは大人になったら分かる」
と返されました。
「なぜ人間は表では優しくふるまうのに、裏ではひとの悪口をいったり、蹴落としたりするのですか」
ときくと、
「それも、大人になったら分かるんだ」
としずかに“はかせ”は答えました。
「きみは純粋だ。つまり、まだ現実を知らないんだ」
「現実というのは、」
と、“落ち葉”はかなしい目をして、声をふりしぼりました。
「空が美しく、森はきびしくもやさしく、命はひとしく貴く、光はどこまでも潔く、愛し合うものどうしで抱き合うことは幸せで、そういうものではありませんか。
戦争で、不幸にくるしむひとびとが傷つけ合うのは、いきもの本来の姿ではないのではありませんか。ぼくだって、ただたのしみのために殺しをする動物を森で見たことがありますが、かれ、しばらく穴に閉じこめられていて、おそらく、その心をゆがませていたのです」
「純粋というのは、たしかに美しくもあるけれど」
と、なごりおしそうな、かなしい目をしていいました。
「そのままじゃ、生き抜くことすらできないんだよ」
「そうであるならば、」
と、“落ち葉”は涙をながしながらいいました。
「ずっと、森にいたかった」
“はかせ”は、なにもいうことができませんでした。なぜといい、はかせには、まだ、やさしいこころが、淡い光のように残っているようでありましたから。
*
“落ち葉”は、有名人でした。みんな、かれのことをめずらしげにながめ、その表情、“落ち葉”の初めて見るものでありました。不安げに、「この表情の奥には、どんな心がかくされているんだろう」とうたがっていたのでした。するとだんだん、その表情が、イヤなものに見えてきました。なにか、いやしいものへの好奇心によって、かれに刺さっているようにおもわれてきました。
”落ち葉”は、そんな目で見られることに、疲れてきました。
「見返してやる」
言葉をたくさん覚えたかれ、そう決意するのでした。お金をかせいで、”月”のいる森を買いとって、また、ふたりで暮らすのだ。
“落ち葉”は、努力をしました。自分とおなじ努力をしないひとを、けいべつするようになりました。ふしぎなことに、それはよろこびとなって、しかも、がんばる力になりました。しかし、世の中の役に立つ仕事をしておりました。
”落ち葉”は、えらくなりました。
ひとびとから、尊敬をされました。仕事が楽しく、もはや、森に帰りたいだなんて、思っていやしません。
しかし、やはり“月”が懐かしく、また、立派になった自分を見て、頑張りを褒めてもらいたいと、“月”のいる森へ、車で向かったのでした。
立派なスーツに、素敵なネクタイ。自信もみなぎり、いまの自分は、ひさしぶりの友達との再会にふさわしい身形だと想っていました。
木々の間に、おおかみの姿が見えました。“月”でした。かれは運転手に、車をとめるよう言い、力づよく扉をひらいて、銀のおおかみのまえに、姿をあらわしました。
“月”は、“落ち葉”を見た瞬間、はしり去ったのでありました。
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“落ち葉”は自分が、目にはみえないなにかを、“月”にとって大切ななにかを失ってしまったことに気がついて、ぼうぜんとしました。
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けっして、こんな生き方は、まちがっているものでもなく、わるいものでもないはずです。努力して、お金をかせいで、ひとびとの役に立つことだって、きっと素敵でりっぱな生き方にちがいないのです。
ただ、”落ち葉”にとっては、”月”との想い出が大切すぎた、ただ、それだけだったのです。ちいさい頃の”落ち葉”を愛してくれたのは、やはり、”月”だけだったのですから。
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“落ち葉”は、たくさんあったお金をつかって、まず、ふるさとの森を買いとりました。森を守るちいさな団体をつくり、仕事で汗をながし、そして、自分のような捨て子のために、こっそりとお金を寄付しました。休日は森へ行き、月をさがしながら、ひっそりとごみ拾いをしていました。
自負というものは、自分にとっての善いもののために努力をし、たとえひとから認められなくても、しぜんに、すこしずつ、雪のように降りつもってくれればいい。そんなふうに、そのときのかれは想っていました。
また、こんな自分の行いによって、どこか遠くで、誰かが傷つき、悲しんでいないか、注意ぶかく、注意ぶかくかんがえつづけ、それを減らそうとしました。かなしいことに、それは、ゼロにはできないのでありました。
“言葉”というものを手にしてしまった“落ち葉”は、“月”とともに暮らしていた頃の自分にははや戻れないけれど、それを、自分が大切にしたいものを大切にするためにつかおうと想ったのでありました。しかしこういう生き方は、けっきょくのところそうではない生き方にもなってしまうふしぎな定めをもつものであって、かれは、そのズレにくるしみました、くるしみぬきました。
くるしみぬくことが、そんな努力をうながす油ともなり、また、場合によっては、サビの原因ともなりました。しかし、善い生き方を求めてくるしんでも生きることそのものの中に、かれは、生きる意味を探しました。
かれのむかしの友達のほとんどは、“落ち葉”が「自然を壊さないで」と、自分たちの仕事のじゃまをし、ふしぎな生き方をはじめたので、かれを追いだしてしまいました。罵られもしました。それをいわれても、”落ち葉”は、ずっと石ころのように黙りこんでいました。
かれは、孤独になりました。けれどもじつは、孤独ではありませんでした。
ただ、“月”のいないことを、淋しく想いつづけました。
だんだん、かれに注目するひとはいなくなってきました。かれが立ち上げた森を守る団体からも、ひとり、またひとりと去って往き、まるでつややかな若葉が一掃され、ふるびた落葉だけが残される冬の風景のように、やがて団体は消え、”落ち葉”という、”一人”だけが残されました。
ひとりきりで浴びる冬の風はつめたく、厳しく、しかし、それゆえに心地よいものでした。
この物語では、それをくわしく書くことはできないのですが、“落ち葉”はその間に、地獄を見たのでありました。そこに咲いていたいちりんの花、その風景を見るためだけに、死ぬほどにのたうちまわったのでありました。
頬はこけ、身形はみすぼらしく、ひとにはみくだされて、しかしその眸は、かの朝、“月”が落ち葉を発見したときにかれに射していた光のように、澄んでおりました。“落ち葉”は──ああ、いま、この名前がまた似合うようになりました──“月”へ、会いに行きました。
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月の姿は、ありません。
森のリスがいうには、老いた“月”はついこの間、おとろえた体力につけこまれ、ハンターに銃で撃たれ死んでしまったのでありました。
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“落ち葉”は泣きました、いつまでも、いつまでも泣きつづけていました。やがてこどものように、ついにはおおかみのこどものような声で、泣きじゃくるのでした。
かれは、詩を書くことにしました。なぜといい、いま、かれの言葉は、「言葉」に染まっていなかったからであります。純粋な心の感動とおなじ色、まっさらな、「言葉」になるまえの原初的な言葉をもっていたからであります。
“落ち葉”の書いた詩は、みとめられませんでした。芸術の才能、あざやかな表現の才能、たしかにそれには、欠けておりました。「無個性」「平凡」、そんな感想ばかり投げられ、しかしそれ等、じつは、詩をいうときには世にもまれな誉め言葉でもあるはずなのでした。
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“落ち葉”は、“月”と見たかの空を、詩に表現しようとしました。それによって、“月”と自分との絆、いいえ、すべてと光を林立させるいのちの声を、歌おうとしました。
すでに、病におかされておりました。
“落ち葉”の病める透明ないのち、紙にしたたり、まるでのりうつるようで、かれ更に痩せていき、ひとしずく、ひとしずくの血をそそぐようなペンのうごき、うすれてゆくきゃしゃな炎を全身全霊で揺れうごかすようにかれは自分を奮い立たせ、かれの心は、詩との境目が薄霧のようにだんだんぼんやりとあいまいになっていく、ようやく完成にちかづいたかとおもうと、懐かしき、”月”の姿が霞のように紙から立ちあらわれて、”落ち葉”はどんなによろこんだことでしょう、会いたかった、かれは友達に会いたかったのです、ふるさと、かれのふるさとは、いま紙のうえにそびえ立ち──いいえ、紙の下の湖にさかさまに沈みきらきらとしている、そうして、無我夢中で太陽の光を謳い、空の青さのかぎりなさを謳い、わあっとふたりではしゃぐ心と体の喜びを謳い、やがて親友の姿、はっきりと輪郭をもって迫ってきて、
「やっと会えたね、“落ち葉”」
「うれしいな。“月”、ぼく、君が大好きなんだ。抱き合おうよ、ぎゅってしよう」
「もうすこし待っててね。ぼくも、“落ち葉”が大好きだよ。大切な、大切なそんざいだよ。“落ち葉”、がんばったね。すごくがんばったね。誰にもみえないところで、誰からも褒めてもらえないところで、でも、すごくがんばってきたんだね。えらい。えらいよ。もう、しずかにぼくと睡れるからね。そこで抱き合おう、またあの日々のように。おなじ森の薫りのなかで、空のしろい光が射すところで、あたたかくやわらかい草花のうえで、また、あの喪われた日々とおなじように……」
*
“落ち葉”は路上にころがり、しずかに、ひっそりと死んでおりました。
詩人とおおかみ