恋した瞬間、世界が終わる 第97話「モノリス、居場所(ココ)」
眺めーー
かつて、そこにあった私の職場
時代が変わり、人の生き方が変わり
そこに埋めたてられた【記憶】
更地になった後、建築される
そこがまた、私の新たな【記憶】となる
8階からの新たな眺め
かつて、彼である私が飛び降りた高さ
“今”の眺めはーー
ーーそう、この視点を借りて、僕はこの生へと辿ってきた
ーーこの塔のようなものを私は登り続けた
下の方に見えるあれはなんだ?
ーー人によって、視え方は異なるという
それはまた、その範囲、規模さえも異なる
「GI。片眼を失った君には、一体、どのように視えていたんだい?」
深夜の郊外を走行速度60キロ。遅すぎず、速くもない目立たない運転で進むクラシック風の軽自動車ミラジーノ。その助手席に座るGIは、45°の座席の角度では按配が良くないのか60度以上の角度に設定し直して、その高い身長と長い足をどうにか車内に入れ込みがら、僕に行き先の案内役をしている。前方のヘッドライトが長い雨をハロゲンライトの暖かみで柔らかに除圧しながら、ワイパーは何度も往復するその後の運命を、片方の眼を失ったその左右差について考えさせている。運命はもう、助手席側の窓ガラスにも、運転席側の窓ガラスにも、その深夜の闇を映すだけで兆しとなる紫外線を塞ぎ込んだ。そのような車内からの眺めは、割とすぐに姿を変えて辿り着く場所へと着いた。
僕にとってその建物は……そうーーかつての職場のように視えている
「【私】には、いまにも崩れそうな教会に見えています」
「この場所には来たことはあるのかい?」
「はい。何度も、何世紀も」
「僕が視ているこの建物は、エレベーターがあり、階段がある
上の階へ登るとき、エレベーターを選ぶものと階段を選ぶものとがいる
それぞれの健康状態によってそれは仕方ない
ということは、与えられた要素や因果により選択は変わるということだ
そして、到達する時間の差がある
それぞれの見え方も違う
しかしだ、僕の過去世での部活動での階段ダッシュというもの
あれは成長期の僕の足にオスグッド病を生じさせた
そしてそれはその後の人生の身長に影響を与えたよ
それを良くない事だったと捉えたとき
その頻度、強度
階段を選ぶときの付属的な目的によっては考え直したほうが良いことになる
一番上に登ったら、再び下を目指して落下もする
それは輪廻転生のようだ」
「そこに再び、あなたは入ろうとしています」
「迷いはないよ」
ーー大きなリュックサックの揺れがおさまりました
時刻は深夜の3時34分。
不運?なことに、時刻が夜中の0時を過ぎていたので、わたしはタクシーのアトラクションを体感しながら、その場所へと着きました。
以前来たときには峠の頂上からは遠く、展望から確認するだけで遠景に見えていただけのその光の柱ーーモノリスーーは、案外と近くに感じる場所にあったのです。わたしたちの背後となるタクシーの車内からは、あの海の空の上の躍動する雲の群れを闇夜の大降りの雨の中では感じることすらできません。
雨は強く、強く、わたしたちを打ち続けています。
タクシーの運転手はあの場所を覚えていたようで、カーナビゲーションを装備していないこのタクシーを運転するだけのことはあるようです。
確実に夜明けへと向かい始めているのを感じます。
それが本来の夜明けであるのかは分かりませんが…
「お客さ 行ってらっ い」
運転手の声は、大雨に打たれるボンネットの跳ね返りと共に切れ切れになってわたしの耳に届きました。
わたしはその途切れ途切れの言葉を紡ぎ、そうであろう言葉にして心の内にラッピングして、モノリスの入り口までは駆け足で10秒ほど、その雨に打たれる間だけ、わたしの覚悟を決める時間について見つめました。
「ここで、待っていてねっ」
大雨に打ち消されることのないよう、はっきりとした口調でわたしは声を上げました
それが運転手の耳に届いたかどうかを確認する間を自分に与えることは、その決心を鈍らせてしまうーー声を上げることで、わたしの動作の反動となりーードアを開け放ちーーその勢いのままーー身に降り抱える雨粒ーーひとつーーひとつまでーー持続する意識に上る圧縮された時間となってーー様々な誰かの思いまでもを浮かび上げーー交錯させーー水溜りとなった地面に片足が着地するたびにーーそこで何かが形を取り留めることができずに潰れーー果てーーそれでも架け続ける途切れ途切れの伝言にーーわたしは、わたしだけの想いで生きているのではないのだとーー
そして、車の外へと出る前に、運転手に言い届けたパッと放ったわたしの声は、待っていてくれる誰かが居てくれるという力に為るものであったのだと
ーーーー建物の中は、歪んで見える【神殿】だった
その歪みは何処かを思い出せる
ああ、デルポイの
冷え切った湿度が、神殿の皮膚を鋭く摩擦していた。乾いた何かを引き摺る音が、張り付いたいまま影響を与え、それは刻一刻と、酸素濃度を低下させ、緊迫とした空気の流れで止めていた。
《何かがもう始まっている》
鉄の匂いが漂い、背筋をかすめた。
それを意識した途端に私たちの足取りは慎重になった。
「おそらく、あなたと【私】が見ているものは
この中に入ってみると同じ建築物に見えているのでしょう」
「この神殿には見覚えがあるよ。君が見ているものと同じだとすると、ここはアポロンの支配のままなのかい? それとも、世代が代わっているのだろうか? 柱のこの綻びのある様子だと、紀元前6世紀頃とは変わったね。あの時代の空気は残っているのか、いないのか」
「世代が変わっているのは間違い無いようです
さあ、見えてきましたよ」
「これから殴りに行くのに、慎重になる必要はないか」
月は沈みぬ、
昴(すばる)もまた。
刻(ころ)はいま夜半(やわ)、
時、
移ろいゆくに、
わたしはひとり閨(ねや)に眠る。
(※水掛良彦氏の訳に漢字を当てています)
空気に触れて酸化したのは、ここにいる誰かの血
サッフォーは、何かの儀式を始めるところで自ら詩を朗読していた。祭壇の上には、まだ何も乗っていない。そうだとすると、誰かが流した血の匂いが、まだ遺っているのか。それは、あの赤い馬か……あの巫女か…。私たちは神殿の柱の影から様子を伺うことにした。視界には、赤い眼の男が見えた。あれは、GIの兄弟なのか? サッフォーに忠誠を誓っているのは間違いないようだ。そのすぐ近くには、おそらくリリアナを抱き抱えて運んだ男が、仮面を被ったままの姿で、何かの飢えを満たそうと我欲に操作された人の落ち着きなさで作業をしていた。その作業の工程は、指揮者であるサッフォーの独断で艶やかな色香を含ませた呪術的な強化で縛り上げるような指使いに酔っていた。
「魚座となるものを動かしなさい」
重い磐座のようなものが二人の男によって押され、移動した
「獅子座となるものはこっちよ」
二人の男は、サッフォーの幻術によって筋力を強化されているのか、休みなく、そして驚くべき力で持って、大きな磐座を押し、黙々と指示をこなしていた
「円卓に並べるのよ」
サッフォーは、その円卓の外で指示を出し続けながら、妖艶な眼の端で、事細かい悪魔の手続きのように少しの取り零しの乱れもない周到さを見せていた
「冥王星は外しなさい」
苦痛が広がるように、鉄の味が口を埋めた
耳に、あの巫女の喘ぐ声が聞こえたーー取り乱された激しい息遣いーーイメージの破壊ーー神聖さを汚す陰湿な影が身体を波打つーー運命の女ーー神の所有物であることの苦痛ーー神が、巫女を犯し続けるーーその記憶が、この神殿の柱の影から覗かせるーー
さあ、立って、愛しいひとよ、
あなたの雅(みやび)な姿をこの眼によく魅せて
(※水掛良彦氏の訳に漢字を当てています)
ーー対角線上の柱の影から出てきたのは、リリアナだった
「古代エジプトの金色のデザイン……クリムトか」
GIは、リリアナのドレスアップした姿を象徴的な解釈で捉えようとしていた
「……【ファム・ファタール】」
その言葉は、魔術的な響きとなり、禁忌に触れたーー
まるで、ウルクの女王ね
サッフォーは、私たちの姿に気づいた
【さあ、光と闇の取り分について話し合おうかしら】
恋した瞬間、世界が終わる 第97話「モノリス、居場所(ココ)」
次回は、2月中にアップロード予定です。