余命半年の貞節
貞節。ぼくは、この言葉の美しさを、信じる。
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六月。
ぼくは余命半年、だんだん躰がうごかなくなって、脳の機能すら衰えていき、やがてはすべての機能を失い心臓がとまる病を患っている、つまるところぼくは、病室でただ死を待つ身であるともいえるのだった。
はじめて症状が出はじめたのは一年前の高校一年生の頃、躰が思うようにうごかなくなり、吐き気、頭痛、抑うつ気分、心療内科に行って薬をもらっても改善はせず、べつの内科の病院で検査をするために入院するようにいわれてこの病気が発覚、しばらく経ってもう通えないと判断して高校を中退し、いまの生活に入ったというのがこれまでの経緯である。
ぼくはこの病名を明らかにする気はないし、それとの闘病生活を書き残そうという気持でこれを書いているのでもない。
ただ、ぼくがなにを大切にしたいのか、なにを憎んできたのか、そしてなによりも大切なのは、なにを愛したかったのか、なにを信じたかったかを、ほかでもないぼくじしんに明るめるために、この文章を書きはじめたのである。
なぜってぼくは十七歳、まだ、自分がどんな生き方を生きたいのか、それをすらわからない年齢なのだから。
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八月の終わり。
今日、来客はなし。
たいしたことではない。淋しがり屋なところのあるぼくではあるけれど、ひとが会いに来てくれるのは時々くらいでいいと感じられるくらいには、この状態はぼくに馴染んでいる。日常、いわゆる、そういうもの。看護師さんが話に来てくれるのが、うれしい。
時々、なぜぼくだけがこんな病気になって、毎日毎日死の恐怖とうごかない躰へのもどかしさ、そしていつか訪れるであろう脳機能の衰えへのおそろしさに耐えなければいけないのだと、周囲へ当たり散らしたくなる時もあるけれど、ぼくはぼくの貞節を守りたいのだから、そんな自分を、自分に赦すことをしてはいけない。またとしてはいけない。
けれどもぼくは、母親へ常軌を逸した状態で怒鳴り散らしたことがある、親身に治療して、ぼくの「本を読みつづけたい、文章を書きつづけたい」というわがままな要求に涙ぐんでくれて、できるだけその行為をつづけられるような投薬を考えてくれる先生に、叩きつけるように「どうして、どうしてぼくだけが」と泣きじゃくっていた時期もある。
その時、先生は涙をぐっとこらえる顔をして、つよいメッセージもいわず、寄り添うように話を聞いてくれた。先生は、とてもやさしい。
ぼくは窓際のベッドで寝た切りだけれども、窓から見えるのは迫るように硬いべつの病棟のしろい壁である。ぼくにはそれが、ぼくの現実を暗示しているように感じることがある。
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愛読書を読む。好きな言葉を、書き残す。
この世界が悪と悲惨に満ちているから価値がないとみなすのは誤りである。(中略)ほんとうにこの世界に価値がないのなら、悪はそこからなにを奪うのか?
ほんとうに大切なことは目にみえない。
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御大切。
日本に来たキリスト教の宣教者が”LOVE”を和訳しようとしたとき、愛、じゃ少しずれているし、大切、じゃ足りないから、こう和訳したらしい。ぼくはキリスト教徒ではないけれど、この言葉がすごく好きで、時々くらいは口ずさんでしまうくらいなのである。「愛」、こう書かれてある言葉にはしばしば、「そんなものを愛と呼ぶな」と心で叫ぶくらいに青くさい思春期をやらせていただいているぼくには、この「御大切」こそが、ほんとうに信じられる言葉なのである。
聴いて。
相手を大切にしない恋愛感情に、いったいなんの価値がある? 恋は、好きな人を大切にしようとする努力で、せめて感情を整えて、好きな人へ発するものだ。
相手を信じるという、しごく無謀で、ほとんどまちがっているといえるかもしれない火に体を投げこむような合理性のない愛し方をしてしまう人間のさがこそが、ぼくには、人間のさみしい可憐さを証明するんだ。
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九月の終わり。
来客が来るといわれ、看護師はすこしだけにやっとしながら、「女の子だよ」と伝えた。ぼくだって17歳男子をやらせてもらっているから、その言葉にうれしさ、気恥ずかしさを感じないわけがない。
「名前はなんでしたか?」とゆるむ口元をせいいっぱい締めて聞いてみる。
けれどもつぎにいわれたその言葉に、ぼくはぼうぜんとした。彼女だけは来てはいけなかった。ぼくは、彼女とだけはぜったいに会いたくなかった。どうして。中学卒業以来一度も会ってもないし、連絡先すら知らない、あのひとが。どうして。どうして。
ぼくの不穏なふんいきを察したのか、看護師は「苦手なひと? どうする? 面会拒否も可能だよ」
拒否したい。面会を拒否したい。
けれどもぼくの唇からはべつの言葉がもれてしまったのだった、まるで傷つき押さえつけられていた白い小鳥が、傷を負ってもなお心に残る、淡い光のように素直な気持ちにしたがってふわりと翔び立つような、さみしい自然さで。
「会います」
なぜ来たんだ。ぼくはいくぶんいら立ちさえ感じていたのだけれども、それは「ぼくとの約束」というものをいまのぼくが裏切っているのかもしれないという罪の意識に、神経がふるえる。
彼女以外だったら、誰が来てもいい。べつにグレてしまった中学時代の友達とだって、昔の想い出話で花を咲かせられるんだったら、じゅうぶんに楽しめるだろう。
「石川くん?」
カーテンの向こうで、かのひとの声がした。
「入ってもいいかな?」
「うん、いいよ」
せつな、あけっぱなしになった窓からよわい風が吹いた、窓のすぐ向かいにおおきな病棟があるのだから、ずいぶんに珍しいことだ。
それは彼女が白いカーテンをめくるのとほとんど同時に起こったことであって、ひらり、ひらりとまっしろな羽々が柔らかく跳ねるようなやさしい情景のなかで、ひざびさに見る春野あかりの顔が、さながらに月のようにあらわれた。
月のように、というのはいいえて妙だ、と、自分でも思う。
なんていったってカーテンが揺れる様子は雲が風に吹かれるのにも似ていたし、窓から影の射す病室で白い灯りに照らされて青白くみえるかなしげな少女の表情は、暗みに清んだ月のように、しんと静謐に見えたのだから。
あるいはそのときのぼくの感情が、彼女の姿にそういったイメージを投影しただけなのかもしれないけれども。
その時のぼくたちの会話は、いまは、書けない。もうすこし、時間が経ったら書くかもしれないし、もしかしたら、さいごまで書けないかもしれない。
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「こうやって屋上にいて、町をうえから眺めているとさ」
と、ぼくの追憶のなかに住んでいる春野が言った。その追憶はかすかで褪せていたけれど、いま、ぼくのてのひらからはらはらと零れ落ちてしまっている現在から欠落した風景にすぎないのだけれども、なんだか、いや、そうであるからこそ、香水のようないい薫りがした。
「この町とわたしが、色がちがうものだっていうことを、実感する。まるで、町が割れて、わたしたちだけ片側にいるみたい」
中学生時代。
ぼくと春野は、時々、屋上でふたり話し込んでいた。
待ち合わせしていたわけでも、誘って一緒に行っていたわけでもない。ただ、よくそこで偶然鉢合わせしていた、つまりはそういうことだ。
どちらが先に来るようになったかは記憶のなかで定かではないし、いったい春野が、屋上が好きで好きでしょうがないからそこによく来ていたのか、それともぼくと話したいという気持ちがすこしでもあったから頻繁に来ていたのか、判断することはできない。
けれども一つだけわかることは、ぼくが屋上に来ていた理由の大きなものの一つに、「屋上が好きだから」というものと別のそれがあったということ、ただ、それだけである。
「わたしたち? ぼくも入るんだ」
「もちろん。わたしたち、外れものだよ。だって、放課後に部活もせず、ハンバーガー屋さんでしゃべったりもせず、こんなところにいるんだから」
「その二つの例に当てはまらないひとたちだって、それなりに集団に馴染んでいるひとだって多いし、そういう状況にあるひとたちの痛み、そのひと固有の孤独だってきっとある、それは見えないけれど。それだけで外れもの認定するのは早計だ」
「それだけじゃないよ。石川くんって、いつも素直で、理屈っぽいね」
「ぼくは素直という評価を素直には受け入れられないけれど、そういうところもあるのかもしれない」
「ほら、素直」
ぼくに笑いかける春野の顔はかわいかった。こんなことを書くのは気が引けるけれども、たぶん、彼女は、とくべつ美しかったというわけじゃなかった(それは、ぼくだってそうだ)。
けれどもぼくにとって春野あかりは、なにか、ほかのすべてのひとびとと分け隔てる、特別な美しさを秘める存在としか想えなかったのである。
というのもぼくは、彼女と一緒にいると「このひとの隣をずっといたい」というミステリアスな感情にきつくきつく胸を締めつけられていたし、それはきっと、春野のもつ特別な美しさによるものなのだったのだから。
「ねえ、石川くん、今度、わたしと一緒にどこかで…」
春野の顔が逆行で暗くなり、すぐにみえなくなった、ぼくはその暗みにとりこまれるように迫られて、ただ、消灯後の病室でひとり眠れないぼくをみいだした。
ぼくは顔を覆って泣いてしまって、病院スタッフに気づかれないよう、一生懸命それをこらえて──春野は、「ねえ、石川くん、今度、わたしと一緒にどこかで…」だなんて実際には言っていない、ぼくのかってな想像がくわえたものだ──涙がとまったあと、「春野が幸せになりますように」「春野がたとえぼくと切り離された世界にあっても、どこかで幸せになりますように」、と、ある意味でいうとまったくもって思ってもないことを呻きながら、両方の手を綾織らせ、しばらく祈りつづけた。
ぼくがしばしばこうしていたのはむしろ、そうは思えないからなのだった、そうは思えない自分の感情を受けとめて、その自分を一生懸命受けとめようとし、そう思えない自分のままに、ポーズとして祈るという行動に、もしや、ぼくは救いを求めていたのかもしれないのだった。
他者を想って祈るときのひとのポーズは、綺麗だと思う。だって、こんなにも無防備な姿は、この世界にひとつだってないから。
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十月の半ば。
「先生、ひとを愛するって、どういうことだと思いますか」
ぼくが担当の医師に聞くと、
「その答えは、永遠にひとにはたどり着けない気がするよ」
と返ってきた。
ぼくはその答えが、ずいぶんに気に入った。誠実だと思った。
「愛するという状態は、ぼくには一生わからないと思うんです。これがほんとうの愛だ、と決定することが、ぼくにはなんだか怖いんです」
とぼくが振り絞った気持ちでいうと、
「うんうん、気持ちがわかるかもしれない」
と先生は言った。
「でも、でも」
と、ぼくは誰かに話を聴いてほしいという一心で、青くさい叫びを吐露したのだ。
「ほんとうの愛、それが人間には把握できないのだとしても、ぼくはそれが存在しないだなんて、誰にも、誰にも言わせたくないんです」
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十月の終わり。
彼女が病室に来てから、ぼくは、彼女のことを想いだす度に、てのひらを合わせる習慣がついた。
なんらかの感情、彼女がほしい、彼女の心がほしい、そんなくるおしい激情におおわれる度に、ぼくはぼくじしんを守るようにてのひらをぎゅっと合わせ、「春野が幸せになりますように」と呟きつづけた。
この習慣はふしぎと、ぼくを楽にさせるのだった。ぼくは彼女のことを大切にするよりも自分自身のなんらかの感情を優先させる心をなんとかふりはらうことができたし、そんな自分自身の姿のようなものを、それなりには悪くない姿だと思うことができた。
それが綺麗だなんておもえなかったのだけれども、それでもぼくは春野あかりへのつよすぎる感情にしたがうことから、自分自身の貞節を引き離すことができた。
窓の外を見た。鉄のようにざらついた、押し迫るような面。ぼくは、その奥へ奥へと泳いで夢をえがいた。
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もし生まれ変わったら燕になって、恋した燕と添い遂げられますように。
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十一月。
看護師が来て、「春野あかりさんって方が、どうしても会いたいって頼み込んでるよ。一度、もう来ないで言ったんでしょう。どうする?」ときいたから、ぼくは
「いいえ、会いません。会いたくないんです」と、つよく繰り返した。
「わかった」と看護師は言って、いったん部屋の外に出た。
しばらく経ってまたおなじ看護師が来て、
「これ、受け取ってくださいって」と、ぼくに春らしいオレンジのハンカチを渡した。それはしなやかな折り紙のように律義にたたまれていて、うすく、儚げにみえた。
ぼくはうごきづらい腕をせいいっぱいうごかして、ハンカチを受け取った。
「じゃあ、なにかあったらボタンで呼んでね。もう、足がうごきづらくなってきついだろうけど。空気のいれかえをしていないから、しばらく窓を開けとくね」
「はい、ありがとうございます」
看護師は去った。ぼくは血のにじむような努力でハンカチを触り、涙を流しながら、春野あかりは、すこしまえまでこれに触れていたんだ、春野は、ぼくのためにこのハンカチを選んでくれたんだ、という想像に心をうごかされていた。
口元がにまにましているのは自分で感じていたのだけれども、それは症状で筋肉をうごかすことに、痛みを感じ始めていたからかもしれない。
「あれ?」
ハンカチのなかに、なにか、硬くて細い紙がある。ちょうど、七夕のときの短冊のような。
胸が、ぎゅっと絞められた。
心臓が、ばくばくと音を立てた。
はっ、はっ、と息が乱れ、なんらかの期待に眸をうるませて、ゆっくりとそれをとりだす。
すると、ぼくのうまいことうごかない指は紙を落としてしまい、シーツの上のうらがえしになった紙をとろうとした刹那窓から風が吹いた、窓枠へとはらりと紙は誘われて、あのざらついた壁にきんとぶつかったかとおもうと、すぐに、それは見えなくなった。
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かんがえることがにがてになた。字もへたになった。でもたいせつにしたいものたいせつにするこころはまだある。ぼくはにんげんやじんせいにはわるくないところもあるということをこれだけでしんじることができる。
ぼくはたいせつにしたいものをたいせつにしてきた。それはひとりよがりじぶんのためだ。でもぼくはぼくのじんせいをこうていする。これでよかった。そうおもう。
だってぼくは、きみのことが、ずっと、ずっとすきだったんだから。
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医師の日記より
11月11日、石川公理は急に容態が悪くなり、「ありがとうございました」というたどたどしい言葉を残して、その夜に死去。本人が私に頼み込んでいたとおり、かれの愛読する本と、春のように淋しいオレンジ色のハンカチを、棺に容れてもらう。
かれはその書物とともに焼かれながら、たなびく煙とともに空へ昇ったのだと想う。その一つの刹那は、永遠であると私は信じている。
かれは、誰かのことを愛していたような気がするが、それは、永遠に定かではない。
余命半年の貞節