魔女ウルフズ・ルミと雪花石膏の秘密 2話
ちいさなみどりの魔女
───お前の手はみどりの手だよ。
そうローウェルがリリィに言ったのは、リリィが初めて草木に触れた日のことであった。 森からほんの少しだけ『おすそわけ』をしてもらい薬を作っているリリィは、自らの手でハーブや花を育ててもいる。生活に彩りを添えるそれはリリィの趣味であったが、ふしぎと彼女に触れられた植物はすくすくと元気に育つ。
「ローウェル、見て。花が咲いたよ!」
ある日の昼下がり、リリィは窓辺に置いた植木鉢を指さす。そこには淡い紫───リリィの瞳の色のような花が咲いていた。冬の昼の日光を受けてやわらかく輝くその花。だがローウェルは誇らしげに咲くそれを見て、ひそかに眉を顰めた。
「リリィ。こいつ、朝は咲いてなかったじゃないか」
「そう! だからね、咲いてるところが見たいな~ってお願いしたの」
「……」
「ローウェル?」
「あのな、リリィ。この花は春の真ん中に咲く花だ」
「……そうなの?」
「今は?」
「冬……」
「そう。まだ咲くには早すぎるんだよ」
リリィははっとした顔で花を見る。命には循環のリズムがあって、それを崩してはいけないことを、彼女はローウェルから教わっていた。そして、それを思い出した彼女はきゅうと喉を鳴らし今にも泣きそうな震えた声を上げる。
「わたし……ひどいことしちゃった……?」
「そうかもな。この花は、今はきっと迷っているだろう。今は眠りの冬なのか、起きるべき春なのかってな」
「わたしがさわった時、喜んで応えてくれたから、良いことだと思ったの」
「……力を持つ者は、しっかりその力を理解しなければいけないよ。お前はいつか立派なみどりの魔女になる。だから、その手をもっと大切にしなければいけない」
「うん……ごめんなさい、お花さん、ローウェル」
そっと、リリィはその淡い紫に触れる。すると、ぽうと光の粒が花びらから溢れ、まるで時計の針を巻き戻したかのように花はつぼみに戻った。わ! と驚いた声を上げるリリィの横で、ローウェルは息をのんだ。
(───なんて強い力だ)
花を開かせるだけではない。命そのものを操る魔法だと、ローウェルの目には映った。永い時を生きてきた森の妖精である彼でも、見たことのない力であった。そして、ローウェルは改めて決意をした。
自分がリリィを、世界の悪意から守ると。
自分がリリィを、導くと。
……しかし、見たことのない力の制御の仕方をどう教えるべきか。右手をあごに当てながら、ローウェルは唸った。
「ローウェル! ローウェル! 今の見た? お花さん、また眠ったんだよね? 死んじゃったんじゃないよね?」
「あ、ああ。大丈夫だ、次に目覚める時は春の盛りの頃だ。……にしても、お前は本当にすごい力を持っているな」
「すごい? ……でも、ちょっとこわい。また間違えたらどうしよう?」
しゅんと俯くリリィの雪色の髪を撫で、ローウェルは彼女を安心させるように微笑んだ。
「お前が間違えそうになったら俺が手を引いてやる。だから安心して、一緒に学んでいこう」
ローウェルの言葉に、リリィはこぼれそうになった涙を服の袖口で拭って笑った。
「うん……わたし、立派で、やさしい魔女になりたい」
ごしごしと目元をこすったものだから、赤くなっていた。ローウェルはそんな彼女の目尻を指で優しくなぞり、ゆっくりと頷いた。
それからというもの、リリィは自分の考える限り『やさしいこと』に自分の力を使うようになった。
雪焼けで色が変わった葉に手を触れれば、その葉は切らなくてもよくなる。土に触れれば、その土は草花にとってあたたかくやわらかい寝床になった。
草花の喜びは、リリィの手に伝わる。まるで会話をしているかのようにみどりたちと心を通わせるリリィは、まさしくみどりの魔女であった。
そして、そんな彼女をずっと見ていたローウェルは、ある日の朝、食事の後にかばんにパンを詰めた。
「ローウェル? どこか行くの?」
リリィが問う。
「ああ、リリィにしてほしいことがあるんだ。だから今日は外に出よう、少し風が強いけどな」
「寒いのはへいき。してほしいことってなあに?」
リリィが再び問いかけると、ローウェルは少し遠くを見るような、切なげな顔をした。その顔を見たリリィは、スカートをきゅっと握る。彼女にはローウェルが、泣きそうに見えたのだ。
「助けてほしいやつがいるんだ」
「助けてほしい……ローウェルのお友達? お隣さん?」
『お隣さん』とは、妖精のことだ。
「そんなものだな。……行けば分かる。来てくれるか……?」
ローウェルの静かな声音に、リリィは真剣な顔でうなずいた。
「もちろん!」
黒い狼の姿になり歩くローウェルの背に乗り、リリィはパンの入ったかばんを胸に抱きしめ前を見ていた。相変わらず、最近の森は静かだ。雪の積もった地面を踏みしめるローウェルの足音は、いつもより少し強い風にリリィを凍えさせないためにさく、さく、と、ゆっくりとした調子であった。それが、リリィにはとぼとぼとした寂しい足取りに感じ、そっと彼の背中を撫でた。
「リリィ?」
それに気づかないローウェルではなかった。歩きながらその赤い瞳で幼い魔女を振り返り、静かに話しかけた。
「……ローウェル、元気ないように見えたから」
「ああ……」
否定も肯定もせず、ふわりとした返事をして、ローウェルは再び前を向いた。リリィはそんな彼に、何とも言えない気持ちになるのであった。
たどり着いた先にあったのは、大きな木だった。黒い枝には雪が重く重なっており、しゅんと、ずんと、落ち込んでいるようにリリィには見えた。
「……ローウェル、この木って……」
「……ああ、この木は……、この木はな」
ローウェルは俯いた後に、リリィを降ろし人の姿になり、大樹に手をそっと添えた。すると、ざわざわと枝葉が揺れた。
『……森狼か』
大樹は親しげにローウェルに話しかけた。リリィにも、その声は聞こえていた。
『その子が、みどりの魔女さまかい?』
「そうだ」
「えっと、えっと! わたし、リリィです!」
『リリィ……白い髪、花の魔女さま。わたしはあなたにお願いがあるんだ』
「おねがい……? ……あ、ローウェルが言ってた、助けてほしいやつって、あなた……?」
リリィはそっと、大樹に触れた。すると彼女は、はっとしてその手を離した。
───大樹の身は、ひどく腐っていた。
「あなた……体が! ……ローウェル……!」
「……、そう、俺が助けてほしいのは、こいつ。俺の旧い友人」
「……」
「永く病に冒されている。苦しがっているんだ。……眠らせてやってほしい」
「……!」
リリィは服越しに雪花石膏のペンダントに触れた。……冷たい。
『小さなあなたには、酷なことをさせるね。でも……お願いしたいんだ。わたしはもう、眠りにつきたい』
広い広いこの森にこんな木があるなんて、リリィは知らなかった。
そして、雪花石膏のペンダントがひどく冷え切る意味を知った。───リリィの力が必要とされている時に、氷雪のように冷えて彼女を呼ぶのだ。
「眠らせる……? でもわたしの魔法に、そんな力はないよ」
「いや、あるんだよ。リリィ」
「ローウェル……?」
彼はリリィの頭を撫でる。やさしく、やさしく。
「お前の手は、みどりの手だ。みどりの生と死を、導く手だ」
「死も……?」
「そうだ」
「……ローウェルは、わたしにこの木を殺せって、言うの?」
「……そうだ」
「やだよう……」
リリィは震えていた。大樹もまた、さわさわと枝を震わせる。
『本当に酷なことをさせてしまうね。……みどりの魔女さま。でもどうか、お願いしたい……』
「……死ぬって、楽なことなの?」
震えながら、リリィは問いかける。その淡い紫色の瞳は、潤んでいた。
『それは、その者によるね。けれど……私の生は、とっても楽しかった」
「楽しかったまま……眠りたい?」
『ええ、そういうことになる』
「そっ……か……」
手をきゅっと胸に抱き、リリィは目を閉じる。そしてその手を黒い大樹に触れさせた。
「リリィ、その……」
「ごめん、はなしだよ。ローウェル」
「……そう、だな」
リリィの髪が揺れる。ぽつん、ぽつんと光の粒が舞う。黒い大樹が、一瞬美しく白く光り、そして───ふわりと散っていった。
大樹があった場所には、何も残らなかった。
「……ありがとう、リリィ」
ローウェルは小さな声でそう言った。座り込み、大樹のあった場所を指でなぞる。
「苦しんでいるところを、見せないやつだった」
「そう、だったの」
「だからこそ……苦しんでいるところが、俺には見えた」
「やさしい木だったの……ね」
「……ああ」
リリィはかばんからそっとパンを取り出し、ローウェルに差し出した。
「食べよ、ローウェル。食べることは、生きることだよ」
「……。そうだな、食べよう」
ふたりで、ドライフルーツ入りのパンを口にする。かすかな甘みが、舌を包んだ。
「……う、うぅ、ひっく、ぅぐ」
「……リリィ、泣くな」
魔女の少女は青年の姿をした使い魔にくっつき、嗚咽を上げた。ローウェルはリリィの肩を抱き、それでも謝らなかった。彼女が持つ魔法を、正しい方向へ導くと決めたのだから。こういった使い方もあるのだと、教えたかったのだから。
食べることは、生きること。そう彼女は言った。分かっているじゃないか、とローウェルは優しく笑った。
そう、死ぬための魔法が彼女の手の中にあるならば、生きるための魔法は、誰しもの近くにある。みどりいろの、いのちの魔法が。
魔女ウルフズ・ルミと雪花石膏の秘密 2話