第一章 小さきミュウ 前編
我らは太陽の民。記憶を継ぎ、世界を正しく保つ者。
我らは月の民。牙を継ぎ、世界を生き抜く者。
正しさと強さは、同じ空に並び立てなかった。
星が生まれるまで、空は夜明けを知らなかった。
「ねえアイ。歌って、本当に人に必要だと思う?」
「何だ、いきなり」
ハルモニア歴千十四年。芽吹の月一日。
太陽が空の真上に昇る頃、北の国アーシェス王国と南東の国ユスティーア王国の国境近くの村の隅で、少年ミュウは近くの木陰に座り込んで竪琴の調整をする少年に問いかけ、竪琴の弦をなぞっていた少年アイはあきれたような声で返した。
両の手の指をもじもじと絡ませながら、ミュウが俯けば、彼の褪せた色の髪が揺れた。長い前髪がかかった紫水晶のような深い色の瞳が上目遣いにアイを見る。弱気そのもの、といった姿だ。
「だって今、戦争中でしょ。歌なんて誰も聞いてくれないよ」
「おいおい、そんなことはないよ」
弱気な姿を見せるミュウとは裏腹に、群青色の髪を持つアイは快活そうな笑顔を見せた。そう、この大地───ハルモニア大陸に座する二つの大国は、戦争を始めたのだ。
元より、この地にはユスティーア王国しかなかった。数百年前の独立戦争により生まれたのがアーシェス王国だ。ユスティーア王国は自国が勝った上でアーシェス王国の独立を認めたと主張し、アーシェス王国もまた、自分たちが勝ったから独立をしたと言う。
太陽をシンボルとするユスティーア王国と、月をシンボルとするアーシェス王国は、仲が良い時はけして無かったが、お互い適切な距離感を掴み、王家間は冷え切っているものの長い間平和が続いていた。
その平和が、ある日突然終わった。
その理由を、平民であり旅の楽士であるミュウとティレアは知らない。だが、国境辺りはどこもひりついた雰囲気が漂っていた。今ふたりがいるのはアーシェス王国だ。王都周辺では王と騎士団を賛美する民たちの声が聞こえる。その対比が、繊細な心を持つミュウには痛みを与えてくるものなのだ。
ミュウが笑うのは旅の途中の、森や野原を歩いている時くらいである。鳥や虫の声を聞くと、ミュウの心は癒やされた。
「そう、今は戦時下だ。誰もの心がささくれ立っている」
「でしょう?」
「そういう時に、わたしたちは風や森や、大地の歌を歌うんだ。そうすれば、人々は日々を愛していたことを思い出す」
「あ、そっか……なら、歌わなくちゃね」
「そう」
ぴん、とアイは竪琴を一音鳴らす。ふたりにとって慣れ親しんだ曲の、最初の一音だ。
「さあ歌おう、ミュウ。お前は小鳥で、そよ風だ」
アイが弾き始めたのはこの世界の創世神話を謳う歌。大地に降り立った神々の歌だ。黎明の歌を聞いたミュウは、こくりとうなずき自然と日の光の下へ出た。
「……うん!」
何だ何だ、と遠巻きに旅のふたりを怪訝な顔で見ていた村人たちが、家事や仕事を置いて彼らの周りに集まってくる。ミュウはそれに臆することなく、すう、と息を吸った。
ねむれ ねむれ
なもなき ひかりよ
うみは ゆりかご
だいちは かいな
やすらぎのみが ここにある
ねむれ ねむれ
あさが くるまで
ひかりは めをとじ
かげは よりそい
うたは ことばに
こころは かたちに
ねむれ ねむれ
おまえが おまえになるまで
こえが さき
なまえは あと
いまはねむれ ねむれ
あさもよるも こわくはない
変声期前のやわらかな声が、空気を震わせた。これは古き創世神への感謝をしめした子守唄だ。海にぽつんと浮かんだたったひとつの世界、ハルモニア大陸の誰もが知るわらべ唄である。母親が幼子に聞かせるように優しく、ミュウは歌う。アイはミュウの歌う速さに合わせるように───父親が隣で寄り添うように、竪琴を奏でる。歌いながらミュウは気づく。村人たちも自分の歌声に合わせてハミングをしているのだ。目を閉じて、平和だった頃に想いを馳せるように。それを感じたミュウは、嬉しくてより声を張った。
歌い終わる頃には、村人たちは拍手をふたりに送っていた。
ミュウはアイの手を取り立ち上がらせ、皆に頭を下げた。指笛を鳴らす者もいた。
「な? 歌って、必要だろう?」
隣り合うアイが、ミュウに耳打ちする。
「うん……そうだね」
ミュウは微笑んだ。今日一番の嬉しそうな笑顔だった。
「ねえ、旅の楽士さん! 今晩の宿はどうするつもり?」
ひとりの少女がすっと前に出て問いかける。歳の頃はミュウと同じくらいだろう。春の花のような桃色の髪を一つに引っ詰め、前掛けを付けたワンピースを身に纏った彼女は、丸い緑色の瞳でふたりを見つめた。
「え、えっと……実は決まっていないんだ。この村を出て、その辺の森で野宿でもしようかと」
ミュウの言葉に、彼女は丸い目をさらに丸くする。
「野宿ですって!? そんな、もったいない! ねえ、うちに泊まっていってよ。お代は今の歌と、旅の話でいいから!」
「本当? いいの? ……アイはどう思う?」
少女の弾む声とぐいぐい近づいてくる様子にやや気圧されながら、ミュウはそれでも嬉しそうにアイの方を見る。アイは、うんうんとうなずき、少女に声をかけた。
「ありがとう。それじゃ、お願いしようかな」
「やった! 任せて! 私、料理の腕には自信があるのよ。私の家、こっちこっち……ああ、そうだ」
ぴょんと跳ねて歩き出した少女は、思い出したように振り返る。
「私、アマリエ。お二人さん、名前は?」
少女───アマリエは名前を知らないと不便でしょう? とにっこりと言った。
「ああ、わたしはアイ。こっちは……」
「ミュウだよ。よろしくね、アマリエ」
「アイにミュウね。さ、こっちよ」
「うん」
「……」
よどみなく自身の名前を名乗り、アマリエについて行くミュウを見ながら、アイはほんの少しだけ眉を下げた。
アマリエはこの村の村長の娘だ。
村長夫妻、アマリエの両親も遠くからミュウとアイの歌を聞いていたらしく、ふたりは快く迎えられた。
「お二人は何歳なんだい? まだ子どものように見えるけれど。子どもふたりで旅をして、大変ではないか?」
夜の食卓で、村長は言った。たしかに、ふたりは身の丈も小さく、声もまるで少女のように高かった。食卓に並ぶのは、香草を練り込んだパンと、鹿の肉のシチュー。かぐわしい香りを放ち、味も大満足な出来の料理を口にしていたミュウは、もぐもぐと咀嚼して飲み込んだ後に、彼の質問に答えた。
「たしか、えっと、僕は今年で十四です。アイは……アイ、いくつだっけ」
「お前と同じ」
パンをむしりながら、アイは言う。どこか言い放つようなその言葉は、遠くへ飛んでいくようであった。
「そうだっけ? 適当なこと言ってない? だってアイ、僕よりずっと背が低いもの」
「なんだとう」
「はは、まあまあミュウくん。年齢は背では決まらないよ。アイ……ちゃん? との付き合いは長いのかな? いつから旅を続けているんだい?」
「あ、それ私も気になる!」
「あなたたちったら。ごめんなさいねお二人とも。この村に村の外から人が来るのは久しぶりなの。だからはしゃいじゃって」
困ったように微笑んで、村長の妻は夫と娘を制した。
「いつから……わたしとミュウは、もうずっと旅を続けています。きっかけも何もなく、ただ巡り会って、それからずっと歌を歌ってこのハルモニアを歩いてきました。それでも、ここは広いです。すべてを見てきたわけではない。……だから旅を続けています」
問いかけに答えたのはアイだった。そう、ふたりはずっと一緒であった。長い間旅を続けている。それでも、世界にたった一つしか無い島、ハルモニア大陸のすべてを見るまでは、まだ遠い旅路だ。ミュウはそんなアイをじっと見つめると、今度はアマリエの顔を見た。
「そう、ずっと旅してるんだ。旅って楽しいよ。アマリエはしないの?」
「え? 私?」
アマリエはきょとんとした顔を返す。そして、あはは! と笑いながら薄めた葡萄酒をミュウの手元の杯に注いだ。
「すっごく憧れるけど……私はまだだめ。バジルが帰ってきてないもの」
「バジル?」
人名だろうか。出てきた単語をミュウは反復した。
「あ、バジルっていうのはね。私の幼なじみ。ユスティーア王国騎士団にいるのよ」
「ユスティーア王国に?」
ミュウはまた聞き返す。
「そう、騎士に憧れて村を出て行って、なんか良いところの養子になって夢を叶えたみたいだけど……こんな時勢だから、正直ユスティーア王国騎士団なんてやめてアーシェス王国のこの村に帰ってきてほしいわ」
「そりゃまた、複雑なことになっちゃって」
アイの「複雑」という言葉に、アマリエはそうなのよねえとテーブルに肘をつく。とっくに全員が食べ終わっていたが、彼女は客人の前ではしたないと母親に叱られた。
「そもそも、なんで戦争してるのかしら?」
アマリエは言う。それは、誰も知らないことであった。
「……平和が一番だよね」
「そうそう」
ミュウとアマリエは、気が合うようであった。
村長の家は客人用の空き部屋があるほど大きな家であった。ふたりはベッドが二つある部屋を使わせてもらい、部屋の隅に荷物を置いていた。寝る支度をしている。
「ねえ、アイ」
「ん?」
ミュウは外套を畳みながら、そばにいるアイに声をかけた。
「僕たちの関係って、やっぱり説明しにくいね」
ほんの少し、沈んだ声であった。
「歌が褒められて、こうして良い扱いをしてもらえるのは嬉しいけれど……やっぱり僕、アイとの関係に嘘をつくのは、ちょっと苦しいよ」
「……気にしすぎだよ」
アイはそう言うものの、やはりミュウの心は繊細な形をしていた。
「だって。きっかけが無かったわけじゃないよ、僕らが出会うきっかけを作ってくれたのは……アイだ」
ベッドに座ったミュウの隣に、アイはぼすんと音を立てて腰掛ける。やわらかな布団が、ふたり分の体重を受け止めた。
「わたしがお前の親であることは、何があっても変わらないよ。ミュウ」
ミュウよりも小柄な、少年とも少女ともつかない外見をしたアイは、たしかにそう言った。───自分は、ミュウの親と。
「……ねえアイ、アイって、何? 出会った頃からずうっとそのままだし。僕はあなたを父と呼んでいいのか、母と呼ぶべきなのかもわからない」
「それって、重要なことか?」
「……どうだろう。あなたのことをちゃんと知りたいけど、別に気にしなくても良いような気もする」
俯き考え込むミュウの頭をぽんぽんと撫で、アイは笑う。
「あはは」
「あははじゃないよ、もう」
「ごめんごめん。でもさ、あの日出会った時からミュウはミュウで、わたしの愛し子だよ。たとえ堂々と言えない関係でも……それは変わらない。お前が望む限り、わたしはお前の親であり続けよう」
「うん……あの時までずっと、空っぽだった僕にミュウと名前を付けてくれたのはアイだ。そうだね、僕はずっと、親としてアイにそばにいてほしい」
「もちろん」
「歌の師匠でもあるしね。まだまだ学ぶことはあると思う」
「まじめだなあ、お前は」
「ばかにしてる?」
「してないよ。ほら、もう寝よう。この家の人たちは明日の朝食まで用意してくれるそうだ、楽しみだな」
「……うん。おやすみ、アイ」
「おやすみ、ミュウ」
アイは隣のベッドにこれまた勢いよく飛び込み、布団を被った。ゆっくりと横たわりながら、ミュウはそれを見ていた。分けた長い前髪がはらりと境界線を無くす。彼の両の瞳が月夜にさらされた。片方は紫水晶の色、そして今までずっと隠されていたもう片方は───まるで燃えさかる炎のような、真っ赤な色をしていた。
その瞳の中には、紛れもなく、ユスティーア王国の紋様が浮かび上がっていた。
第一章 小さきミュウ 前編