映画『ぼくの名前はラワン』レビュー

①相当程度のネタバレを含みます。事前情報なしに鑑賞したい方はご注意下さい。

 本作は①イランから亡命先のイギリスにある王立ダービーろう学校に入学したラワンの成長と、②その足元を大きく揺るがす難民申請の行方がドラマチックに交差する珠玉のドキュメンタリーです。
 生まれ育ったイランでは口話が重んじられることもあって、ろう者であるラワンは同級生だけでなく教師からも疎んじられ、心に深き傷を負っていました。自分以外の全員が聴者であるため、コミュニケーションの面では家族の中でも孤立しがち。そんな中で兄だけは独学で手話を覚え、それを弟に教え、拙いながらも互いの意思の伝達し合っていた。
 そんなラワンが王立ダービーろう学校に入学後、水を吸うスポンジのようにイギリス式の手話をめきめきと習得し、自分の世界を広げていきます。表情も豊かになり、活発な印象がどんどんと増していく。その変化を、誰よりも家族が喜びます。
 しかしながらその一方で手話のみで会話し、口話をすっかりやめてしまった息子を不安視する両親とラワンとの間に心理的な確執が生まれたり、イギリス式の手話との差異により上手くコミュニケーションが取れなくなった兄とのやり取りにフラストレーションを感じたりと家族内部の問題が目立ち始めます。それと並行して彼がしきりに口にする《ホーム》の意味合いも複雑になっていきます。
 生まれ育ったイランという《国》、自分たちの生活を捨ててでもぼくを思って動いてくれた《家族》、同じろう者として分かり合える《仲間》、その仲間と出会ったイギリス。ダービーという《街》。
 そのどれがぼくの本当の《ホーム》なのか。そう考える時のラワンは、ろう者である自分が集団から排除される存在であることを念頭に置きます。邪魔者扱いされないスペースを地球上に探し求める感じで、自分自身の未来を語るのが常でした。
 そのため彼ら家族の元にイギリスの内務省から国外退去の通知が届くと、ラワンの中に眠っていた感情が爆発します。
「この地球上にぼくの居場所はないんだ。もう他の惑星に行くしかない。そこではみんながろう者。嫌なことなんて絶対に起きないんだ!」
 余りにも痛切な叫び。けれど、この瞬間にこそラワンの決定的な変化は遂げられます。 
 誰にも言えなかったネガティヴな本音を誰かにぶつける。これ、以前のラワンなら絶対に考えられない行動でした。辛いことを辛いといえる術を持っていなかったかつての彼は全ての痛みを独りで引き受けて、ただただ耐えるしかなかった。苦しんでいる自分を俯瞰して、見たくない事実から心を引き離すしかなかった。
 その心を剥き出しにして他者に感情をぶつける。これを主体性の萌芽と言わずして何と言いましょうか。
 自らにしか成し遂げられない変革のきっかけを手話で掴んだラワンはこれ以降、真の意味での成長を果たします。そして彼を取り囲む世界の風景も、その足並みを揃えるようにして大きく変わっていくのです。
 先ずダービーの街全体が一致団結し、ラワンたち家族に対する国外退去の通知に対して抗議の声を上げます。これにより処分が一旦保留に。ラワンがイギリスに滞在しなければならない理由を証明せよとの通達が改めて内務省から届けば、王立ダービーろう学校が協力を一切惜しまずに難民申請が通るよう力を尽くします。
 変化はまた、家族の中でも起きました。
 両親が手話を学ぼうとレクチャーを受けるようになり、その成果をラワンに披露しては彼からも手話を教えてもらうようになる。献身的な兄もイラクに帰りたい自分の気持ちよりラワンの幸せを望み、イギリスに住み続ける決心をしていました。


 《ホーム》は見つけるものではなく、皆んなで作り上げるものである。


 その事実を目の当たりにしたラワンは、内務省が「手話はどこでも学べる」という理由で再び家族を国外退去処分にしようと動いても今度は悲観的になることなく、勇気を持って立ち上がります。すなわち内務省によって行われようとする国外退去処分に対して不服申し立てを行い、自ら法廷に立つ決心をするのです。
 そんな彼の背中を強く後押しする事実が、手話に関する出来事として齎されたのは運命としか言いようがありません。
 2022年4月28日、イギリス国内で英国手話言語法(通称、BSL法)が成立し、イギリス式の手話が公用語として扱われるようになります。これによりラワンがイギリス式の手話を学ぶにはイギリスにいるしかないという主張が法的な説得力を獲得し、一家がかの地に滞在すべき理由を決定的に根拠付けました。
 これにより無事、ラワンたち一家の難民申請は通ることとなったのです。


 本作のディレクターであるエドワード・ラブレースはラワンとの間に信頼関係を築くためにイギリス式の手話を学び、手話を使って彼と会話し、四年間にわたる出来事を記録し続けました。親でもなく、友人でもなく、けれど時には誰よりも身近な存在として接して育まれた関係性はかけがえのないものとなり、ただのドキュメントじゃ収まらない詩情性に満ちた瞬間を数多くレンズで捉えています。
 そこに現れる意思伝達手段としての言語が持つ善性、何も顧みずに助け合うことの真価は昨今の、鈍色に輝いてばかりの社会に大きな一石を投じるものです。
 ドラマチックであり、正真正銘のリアルを記録した本作が一人でも多くの方に観られることを強く望みます。興味がある方は是非、劇場へ足を運んで頂きたい。

映画『ぼくの名前はラワン』レビュー

映画『ぼくの名前はラワン』レビュー

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-01-14

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