叙事伝

叙事伝

 お父さん、ぼくの眼の前には敵だらけです。僕の眼の前には、敵が大勢います。闘わないと、ぼくの幸せを攻撃されて、奪われる。僕は闘わないと、戦士なんだから、闘士なんだから、闘わないと。僕が僕で在る為に、ぼくは無数の敵を相手に剣を手に取らなくては。
雷鳴の轟くところ、ぼくの名を知らない者はいない。雷光の煌めくところ、ぼくの影を知らない者はいない。戦の炎が燃え盛るところ、ぼくを呼ぶ、歓呼の声が途絶えない。神様、ぼくは人間に成りたかった。人間として、ごく普通の幸せと苦痛を、ごく普通の、木製の器に受け取りたかった。しかし、それも叶わない定めの様です。戦いが僕を呼びつけている。

 ぼくは、凡人です。凡夫です。何ひとつ才の無い、屑です。しかし、油断ひとつをしてみろ、それっ。この一振りの刀身を以てして、真っ赤な血潮に塗れた僕が、海岸を歩く姿が見えるか、見えるだろう。ぼくは愛だけを守ります。愛だけが僕なのです。家族愛と恋愛、このふたつだけが僕にとって、認識が可能な愛情なのです。敬愛も、博愛も、全て嘘っぱちだ。皆が、揃いも揃って、ぼくに嘘をついたのだから。
戦いに明け暮れて、多くの愚者たちと、嘘つき達を葬り去って、血に汚れた僕は、家族と恋人を哀しませた罪の意識で、咎の橋を渡るでしょう。咎の橋は、未完成の石橋です。崖っぷちへと続く、奈落の底では、多くの亡者たちが「おいで、おいで」「助けてくれ、俺も苦しいんだ」と叫んでいる。


「神よ、ぼくと、どちらが正しいのか、今こそが勝負の時だ」古より、是非を定めてきた神々ならば、私を裁いてくれるに違いなかった。背後から、父と、母と、兄弟姉妹と、義兄弟と、恋人の大声が聴こえる。「彼に翼を、翼に意志を、闘いを棄てる勇気を、勇気を以て明日へ飛び立て」熱い涙に頬を濡らした私は、登り始めたばかりの陽の明かりを睨み、呟いた。
「神よ、ぼくの負けを認めます」

 青年は真っ白い翼を得たと語り継がれます。純白の翼を持ち、彼は、人々の争いのある所に、対価を欲する事無く駆け付けたと云います。勿論、この物語のどこまでが伝説で、どこまでが叙事伝であるか、誰にも分かりません。
こうして、翼を得た青年は、正義の神に鎧を鍛え直してもらい、幾戦幾万もの闘争の中で、死に絶える筈だった人々の哀しみを汲み取る度量を持ち、矢の雨や投石の嵐を、その身を以て庇いました。その慈愛の姿を前に、全ての蛮族たちは闘争心を失ったといいます。
この物語が、どこまで叙事に従い、どこからが装飾の施された物語なのか。時は長く経ちすぎて、人々の記憶は移ろいすぎて、最早誰にも解りません。ですが、きっと、深い哀しみのあまり、闘争にしか生きられなかった青年がいた……。それは、紛れもない事実なのでしょう。

叙事伝

叙事伝

  • 小説
  • 掌編
  • 青年向け
更新日
登録日
2026-01-13

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