私の自殺未遂前夜
1
2025年9月10日、ぼくは致死量の三倍以上の睡眠薬を飲んで遺書を書き、ベッドに横臥わって幸福な気持で睡りについた。
端的に云うと、これはぼくのぼくとの約束、”自殺企図を取らない、生き切る”というそれの破棄であり、わが貞節を守護しきれなかったわが身との対面へみちびく出来事とも云えるのだった。
結果は死ぬことができずに医療保護入院というかたちで閉鎖病棟に入院したのだけれども、ぼくはその時のことを書くつもりはない。書こうとするのはその自殺未遂に至る経緯をみじかくまとめたものであり、その直前までの心的状態を綴った観念的病状報告書である。
*
昔からの習慣でもあるけれども、内心での謝罪の頻度が極端に増えていたのだった、幾度も幾度も他責におちいり、その度に血の気が引く思いでそんな自己を責め立てていた。日に数十度は謝罪していた、呟き呻くように、「ごめんなさい、ごめんなさい」と実際に口に出していた。
対象は主に両親、そして『蜘蛛の死に際して』で書いた数人の元友人たちである──ぼくはそのひとたちに見捨てられたと思って情緒不安定をぶつけ、侮辱し、「あなたのせいで自殺しそうだ」と脅迫をしたのだ──、あるいは自分自身の存在というものに対しての謝罪であり、自分が生きてきたという現実で間接的な話もふくめ傷つけ損なわせてきたすべてのひと、そして自然環境に対するそれであり、すぐにひとのせいにしてしまう自分がどうにかこうにか赦されたいという意欲で為された、けだし卑怯な謝罪と云うのも一面的に云えば誤りはなかっただろう。
この状態の報告書を、詳らかに書く気はない。しばしば精神を病んだひとにみられやすいそれだと、ぼくには判断されるだけだから。
*
恋愛の夢。愛し愛され、誰かと添い遂げることを希んでいた。しかしぼくの生きたい生き方はけだし"恋人と大切にしあう"という心的状態と両立しえないものであり、ぼくはけっして、好きなひとを幸せにする能力と機会を現在所有してはいなかった。亦それの獲得のために自己と争う生とはべつの生を選びとっているのが、詩人としてのぼくである筈なのだった。
ぼくは対象を大切にしない恋愛を愛であるとは認めない、愛のない恋愛を自己に認めることはけっして赦したくない。そして、恋人を大切にする人間になる努力とぼくのゆかう"詩人"への努力が両立できない宿命にあるのなら、ぼくは、絶対に後者をえらぶ生き方を自己に課しているつもりだ。
ここを詳らかに披瀝することを、ここではしない。が、ぼくの希死念慮の最大の原因は、孤独にあるというのは確かであろう。
*
ぼくによってここで書くべきだと判断されることは、ある意味でいうとぼくの貞節を守護するためになされた努力の一つの小さな成功体験であり、のちに貞節を破棄したという結果であり、それ等は殆ど原因と結果として直結しているだろうという一種明確なそれとすら感じられる或る皮肉な推察なのである。
端的に書くと、ぼくは美と善への尊敬をある程度迄守りながら、一種の自尊心をかなり損傷させられた。
自分を大切にするという心を、ぼくにできるかぎり失わせられた。これは「自分を大切にできない、ひとのことばかり気にしている、自肯定感が低すぎる、自分がない、我がよわい、自他境界が引けていない」などと入院中にしばしば指摘されたことでもある。
それはたとえば、仲が良かった患者がつよすぎる希死念慮のストレスと食欲不振からくる栄養失調で倒れた際、眼前で起きたそのショッキングな情景に咽び泣きながら過呼吸を起こしたり、自制の効かない暴力性を有した男性からちょっと社会では考えられないレベルのセクシャル・ハラスメント(一般的には性加害のレベル)と付きまとい行為をされる女性たちを気にかけ思考しながら行動しすぎ、その自己の感情をある種殴るように責め立てながら、ぼく自身が劇しい情緒不安定におちいって「自分の精神的な健康を優先させる」という発想を失った状態で(抑々、入院初日からなかった、それはわが詩人としての態度を破綻させるから)看護師に泣きじゃくりながら相談しつづけていたという言動から判断された言葉であろうと推測される。
されどそれはわが自己本位性と独善性によって意識的にぼくが導いた心的状態であるようにぼくには考えられる(自他境界が引けていないのは昔からだと思う)、であるから看護師達が指摘してくださったような”優しい”という美辞麗句でわが性格をみまがい、ぼくのエゴイズムのようなものを赦させる評価でもないとぼくは判断する。ある種ぼくには異様なくらいな自己本位性によってこんな心的状態へわが身を導いたのであるし、前述の例を想起してもなにも良い感情はみつからなかったのだから(しかし性加害的なセクハラの件はたびたびのぼくの相談もあってある程度はよわまったために、現象としては一面的に良いものへ導けたように判断される、女性たちはすこし安心できたと考えられる、それならばそれなりには良いことをできたように推測される)。
ただ、自分を実験台にしてなるべく苦痛の多い現実へ自己を置き、それと対応させながらいろいろな心的状況に意識的にわが身を導いてきて、その際の心の推移を凝視し注意力を働かせようとしていたぼくは、ある種二十六歳で定めた目的どおりに、自分を大切にする気持が以前よりは減らせられた、そうとは云えるような気がするのは、後述からも想像させられるかもしれない。
このような心的状況へ自己を持っていこうとしたのは、シモーヌ・ヴェイユ思想を読解する為、くわえて少年少女的な憧れの気持から彼女が工場勤務でなした努力を模倣する為に、以前在籍した労働環境に問題のある会社でむりをしたことをきっかけとするように、現在判断される。
実際の行動は単純ではあったのだけれども、これは当時の解釈の誤りが激しかったため(いまでも彼女がなにを考えているのかほとんど解らない)、ヴェイユのそれとはかなり異なるものだったという推測はおそらくや誤りがない。
以下に、その努力を書く。
・どんなに理不尽なことをされても、怒鳴り散らされ人格否定をされてもこちらが謝り、無視をされれば「わが身には当然である」と自己に云いきかせ、ミスを押し付けられればそのままに受け入れ、自己の責任を注意ぶかく探し、ぼくの内的な領域で相手のせいではなく自分のせいにするよう注意し、相手への憎悪をゆるさず相手をそうさせたなんらかのものだけを悲しみ、それ等を宇宙の暗みにまでおし拡げ、その虚空にこころを漂わせるほかの寛ぎを、自己に赦さない。ひとを内心でも攻撃しないように気を付ける。
・ぼくの社会的な「こうしたい」を突き放し、対人関係においては「道徳観念と照合させればこういう時はこうするべきではないか」という心のなかの話でいえば空っぽのカラクリに従い、つねにその判断を疑いつづける。
・他者から受ける愛情と理解を、一切期待しない(これは、そういう心的状況である種自分の心を守る為である)。持たれても、表面では喜ぶふりをし、内面では信じ切らず、それによる喜びを拒絶する。しかし性善説的な人間観はもちつづけるよう注意する。
・みずからがおびき寄せたそれ、理不尽な現実にどんなに後頭部を押し付けられても、心の鎌首を挙げて美と善という双の月をみすえつづける。あるいは道徳、それへの尊敬感情を夜な夜なの読書・執筆によって磨き続ける。
ぼくにとり、美と善の落す翳のかさなる処の風景とはなにか?──それは”他者を大切にする”というぼくのような人間には不可能な状態の極北である。ぼくはこれがわが身には不可能だからこそ、人生の目的として置いた。ごく普通の意味での”他者を大切にする”ということすら不可能なぼくを自認した上で、だからこそこの不可能に腕を振りつづける生き方を自己に強いた。
其処に、”月硝子城”という、われながらかわゆらしく感じられる少女趣味薫る名辞をつけた。
なぜこのように到達不可能の憧れを設定したか? 自殺しないためだ。人生の完成を拒否するためだ。皮肉なことである。
このふしぎな努力の結果は、数年前の精神病院の開放病棟入院、そして辞職前後の酒浸りの生活、前述したその状態での友人たちへの侮辱と試し行為とも云えるのだった。ぼくの攻撃性は、抑圧されていたともいえるのだろう。失敗。そうだった。そして、他者を頗る傷つけた。
ぼくは幼少期以来の他責性と傲慢さが背にあるので、これからはより一層、これ等に注意を向けて努力しなければいけない。
その後は無職を半年、べつの会社で半年勤務した。
ここでは明らかに道徳観念と照合させるとするべきではない仕事をさせられ、抵抗をしても営業の方や教育係の方に直すよう強要される状況、半年の半分を再び精神病院の開放病棟で過ごし、雇用期間が切れればそのままに辞職した。
のちにふたたび無職を半年程度、そのあと障害者の働く作業所に通所、ぼくはよわよわしく乾いた目付を所有するようになっていて、街を歩いていると見知らぬ女性に二回、男性に一回わざとぶつかられたし、不自然に足を踏まれることもあった。
何かをいおうとしたがそのひとたちの人相には不幸の与えるそれと悪に変容する宿命に抵抗できなかったから刻まれて了ったそれがみられ、云う気力を失ったのだった。ある種、そこに一時期のぼくをみいだしたのだ。それはあるいは可能性としてねむる人間の宿命だといえるかもしれないけれども、ぼくはこの考えにしたがって自己だけは許す気がない。
この後くらいに、あるふしぎな行動をぼくはとったのである。
ぼくは少年期から犬が好きで好きでたまらないのだけれども、歩道を歩いている際、首輪がついている為に飼い犬だと判断される犬がぼくへ走り寄ってきて甘え、ぼくはその子を夢中でかわいがったのだが、その後道路へ走り出して車に轢かれそうだったために、無心で躰をうごかしたのだ。自分を守るという気持のまったく欠けた状態で、犬を助けようとしたのである。
車が過ぎ、犬は轢かれることを避けられた。ほっとした直後、ぼくはなにをやっていたのだろうと唖然とした。この行為は一種少年期にぼくが美化しつづけ、善く美しいうごきであるとみまがい、美辞麗句で飾りつづけたそれと殆ど一致していた。
されどこの頃のぼくの行動はといえば怠慢と自己本位そのもの、性格の話であっても自分のためだけに生きているとしか見なされないようなそれであった。
ぼくは自己の善を一切信じられなかったし、それはいまでもそうである。善はぼくとは不連続であるからこそ、尊敬に値するとかんがえる。ぼくは自己の悪をみつめ、減らそうとするよりほかの道徳的努力を知らない。であるから、マイナスの存在のみずからをすこしでもゼロに近づけるような気持で生きている。ぼくがこうなったのは──環境要因の話をするわけではない、ぼくはそれを語る能力・学識をもたないから──ぼくにはどうにもならない不可視の事情も介入している筈であり、ぼくはここを改良させる努力を拒絶しているのだから、改良しえるはずもない。なぜか? ぼくの書きたい言葉を求めるから。すなわちぼくは、ぼくの憧れるような他者を大切にする人間には、なれない。
*
即ち、ぼくの夢みてきたこんな自己犠牲的行為は、批判点ばかりのたかの知れた心的状況によるものだってあるのだと、こんな出来事がわが身に解らせて了ったわけなのだった。
2
これ迄どんなに苦しい心的状態、たとえば「いまのこの苦痛から逃れるためなら、いますぐにでも飛び降りたい」という体調でも自殺企図をとらず、親への配慮と納税したい気持というある種平凡な義務の観念を優先させ、「生き、切る」という貞節を守護する自恃を育てようとし、せいぜい喫煙か時々自傷行為・ODで実際の行動を延期させていたぼくであるけれども、今回の自殺未遂を行った際の心的状態は、殆ど平常心であった。痛みが、なかった。
先ず、ぼくは強い希死念慮に覆われている状態で(希死念慮はある程度であれば殆ど不断にあるともいえる)ある精神安定剤を大量に飲んだ。ぼくは頻繁にこれをするほうではない、数か月ぶりの行動であったのだけれども、この時、べつに抑鬱状態ではなかった。暗い躁状態といわれる破滅的なハイテンションでもなかった。ただ、乾いていた。他者へまき散らした悲惨が、わが身の醜悪が、かなしかった。
どうしてそれをしたのかよくは覚えていないけれども、このODは、一種の気分転換だったのかもしれない。
そこでの行動は自己の欲心に忠実に、ふわりと浮世離れした心的状態でなされたように思うけれども、きっとここにも欺瞞は発見されるだろう。
ぼくはその薬に致死量があるのかをネットで検索し、それがないのをみてとると次はぼくの常用している睡眠薬にそれがあるのかを確認、朧気ながら計算してみると三倍以上は所有、それを一気に飲んだ。死にたかった、生きていたくなかった──これはぼくの考えではシノニムではないから、双方が両立していたということである。こんな気持には、後天的な思考や思想めいたものも介入しているとは云えるけれども、死にたい気持自体は幼稚園の頃より所有しているものである。ぼくの親戚には、自殺者と重い精神病者がいる。
幸福な気持だった。達成感、それがあった。32まで生き抜いた。それだけで生まれうる、誤りの達成感が。どんなに苦しくてもその後も生きねばならないという不合理であるが故にぼくに信じられてきた義務の観念が、クスリで茫然としてきた心から砂が引くように失われていった。
ぼくは両親の苦しみへの配慮を想ったが、それもこれまでと比較すると重みはない。恨みもない。憎しみもない。もっと愛してほしかった、そんな甘ったれた淡い希いが、かるく胸を圧しただけである。
家族に向けた遺書には、あなたたちは悪くないという内容の文章が書かれており、「ぼくはぼくに抱え込むべきものを抱え込めなかった」という二階堂奥歯の遺書とまったく同じようなことが書かれており、感謝を伝え、謝罪し、「ぼくにこれから与えられる予定の幸福が、甥っ子にすべて降り注ぎますように」というような自己を綺麗に想いたがるぼくらしい欺瞞的文章でしめられていた。これはたしかに意図的に綺麗に書きすぎているけれども、しかし、素直には書いたと想う、おそらくや。
ぼくは”フランダースの犬”のネロのように、善良な心で死にたいという気持をもっていた。人間の心はいくらでも条件で変容し、だれしもが様々な悪に陥る可能性を秘めるとぼくは考えていて、だからこそ自分自身でどうにかなる部分を自分自身で制御しうごかさねばいけないと考えていたけれども、その瞬間のぼくにそんな意欲はなかった。
ただ、遺書に恨みつらみがないことはなんとなく伝わった、これ迄の人生のなかではそう悪くはないとおもった、泣き崩れながら、謝りつづけながら、ほほ笑んだ。
ぼくには泣き笑いが一つの主題でありつづけた。
ごめんね、ごめんね、と口ではいいながらも自殺企図はやめず、医師から「極限状態の幼児退行」と指摘された行動をとった。
母が喜ぶだろうと机を少女趣味的にかわゆらしく飾り、ぼくに最も愛好される自作の登場人物「春子」を投影された黄いろい薔薇を添え、母と赤子のぼくとのツーショットを印刷した缶バッチを置き、幼少期の妹との写真を飾り、ニュースタアという大好きな雑貨屋で購入したものをいろいろ置いて、そこで購入したぼくが身に着けるには可愛すぎるから見てにやにやするだけだった銀と群青の夜空のようなミニバッグを最後の誇りのように首に掛け──いま思うと、首吊りの際貴族帽を被りっぱなしだったネルヴァルに似ている──、ボロボロの『中原中也詩集』、シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』、笹井宏之の『えーえんとくちからから』から「廃品になってはじめて本当の空を映せるのだね、テレビは」というぼくにはヴェイユ思想の果ての風景としか想えないページを破って『重力と恩寵』に挟み、ほんとうはここまで頑張らなければいけなかった、そう胸を締める想いをし、家族との想い出の写真もたくさんいれ、クスリが意識をさらに朦朧とさせ、こんなにも幸福な気持はこれまで果してあっただろうかというくらい寛いだ気持で、ベッドに横たわった。
ぼくはこのような寛ぎを、宇宙の暗みというすべて(不在)を漂う不在の自分という幻想でしか、味わったことがなかった。
*
そのあと、ぼくは亦ふしぎな行動をしたのだった。ぼくは一度起きだして、ヴェイユの書物をそこから抜きとったのだ。写真もすべて、抜きとった。中原中也の詩集、それだけを残したのだった。
一途。ぼくはこれに憧れていたから。そうかもしれない。
そしてぼくは深い睡りについた。幸せな気持で。たった二十時間後、ぼくは死ねなかったわが身、あんなにも「人生の一問題とは、唯”貞節”という一である」と書きつづけたにもかかわらず貞節を悉く破棄して地上に残されたわが身をみいだしたのだった。
私の自殺未遂前夜