映画『時々、私は考える』レビュー
濱口竜介監督の著作、『他なる映画と』にはカメラの置く位置次第で映画が始まると書かれていましたが、本作が正にそうでしたね。
フランがたった一人映し出されるシーンの外から流れ込む楽しそうな会話の音。それと無関係に動けるフランが体現する孤独は、彼女の変わり映えのしない毎日によって容赦なく炙り出されていく。フランが歩くだけのカットに必ずと言っていいほど採用される俯瞰ショットも全く同じ。不自然なくらいに劇伴が流れないし、台詞もほとんど無いしで、彼女抜きで映画の世界が目まぐるしく動いていく。そこに敢えてフォーカスする視線=記録が本作の肝です。無関係という名の機械がぐるぐる回って社会とフランをどんどん分離していきます。
このカメラ位置が、けれどフランの心象風景に及んだ途端に最高のフィクションは始まります。そこでは音楽が必ず鳴り出し、フラン劇場の開演と言わんばかりにスクリーンに映し出される映像にも非常にエモーショナル。その質感が次第に外にはみ出していき、フランが暮らす街並みや、彼女の部屋に差し込む月明かりを捉え出すとその心情表現は快楽を極めます。虚実の淡いを彷徨っていき、とんでもない物語性を獲得するんです。
一つのカメラが成し遂げるドキュメンタリーとフィクションの双方を跨ぐ表現ぶり。その驚異の達成度は本作を傑出した作品へと押し上げていきます。
その延長線上で際立つラストは、その終わりを迎えた後の演出も含めて見事でした。
『時々、私は考える』の原題はSometimes I Think About Dying。終幕も間近というシーンでロバートとハグし合う前に、フランが涙を流しながら彼に向かって話す台詞の中身そのままです。まだ死んでいない人生の最中にあるからこそ彼女が口にすることができた痛みであり、率直に語り得た本音でした。これが彼女の新たな出発点になり、殺風景だった職場に木々が生い茂っていき、まるで伝説の森の中で果たせた運命の出会いのように二人の姿が描写されていきます。それを受けて流れ出すEDの楽曲は白雪姫。フィクショナルなカメラはそこで役目を終えて、消えていく。まるで彼女を見守っていたどこかの天使だったかのように。
この余韻を引き受けて聴く歌詞の内容がまたいいんですよね。フランの元を離れた「それ」がまるで私たちに宿ったかの様な錯覚で、励ましの感覚を観る側に与えてくれます。
監督は本作を恋愛映画ではないと明言されていました。その言葉に鑑賞を終えた者として同意します。孤独な人間の内実を具に追い、その苦しみや悲しみを映画として救ってみせた。そこにはハリウッド的な太文字のドラマはありません。失われない個々の命だけが大切に育まれてます。本当にいい映画だし、大好きになる映画なんです。
フラン役のデイジー・リドリーさんの演技も見事でした。U-NEXTやAmazonプライムなど各種サイトで配信中です。興味を持たれた方は是非。密かな希望をもらえますよ。
映画『時々、私は考える』レビュー