淋雨詩集
淋しくありつづけることを決意した淋しい詩人の淋しい詩の幾つかを、淋しさにさいなまれるあなたにあなたの淋しい夜にだけ、読みに来てきてくれたらうれしいのです。淋しさ癒すはいつでも淋しい手に添われ翳されるおなじ淋しさであるのだし、わたしは、淋しさに死にたい想いをするからこんな淋しさを生きる意味としえたのですから。
詠み人しらずの歌
なによりも先ず詩人でありたい
だれよりも無名として書きたい
どこよりも匿名の域で歌いたい
そらよりも空無として果てたい
春の幻影風景
だれもしらないところで
幽かな 淋しい爪痕がのこっている
幾夜も雪がしんしんと降った
幾夜も雪がしんしんと降った
されど幽かなさみしい爪痕はかき消されない
冬 幾夜も風が吹くけれど
冬 幾夜も砂煙が舞うけれど
そのやわらかな鋭さで立てられた爪の跡は
まるで不在と浮ぶ月影のように
幾夜幾夜にあらわれ 消えることがない
幾夜も雪がしんしんと降りつもり
こつぜんと 春の風が轟々と吹きつけて
しろい陽の射す春の樹木の落葉が
はらはらはらと その爪痕へ身投する
まだ艶のわかい葉 還るがようなうごきで落ちて往く
幾夜閉ざしかずかずの爪痕が 月光の音楽に揺蕩い睡る
*
月の降る 春の幾夜の幻影風景です
月の降る 春の幾夜の幻影風景です
六月の流雨
1
轟々と 荒ぶような雨の日の事件です
がしゃんと金属的な発音を立てて
雨空が地上へ落っこちた! るううううううう…
揺れ交る双方 どっと寄す動揺に波うって、
気付くと雨空 地上になみなみと湛えて潤む、
飛んで往くのは地上であります、飛んで往くのは地上なのです、
沈む空の潤みは奥へ流れて締まり、碧の石と硬質になり、
まっさらな青空が足場にて、はや郷愁のように張っている。
わたしは嘗ての海に往きましたが酷いもの、
水波のようにうつろい浪を打つお空を眺めもして
──それ地上を混濁し なべてを呑んだがゆえでしょうか──
蒼穹さながら張りつめる硝子の海へば視線辷らせ、
海を喫煙し ふかふかと煙を吐きもすれば、
一季節に位置付けられた なべては何処?──
去って了った、どうやら去って了ったようであります、
わたしばかりが取り残されたようで、はや煙ばかりが鮮明で…
*
六月は 蒼馬の潤む 毛並の映す 紫陽花のいきれ、
揺れる水音の たゆたう 水夢の音質 くすぶりけぶる
2
六月の転覆にとりのこされたわたくしは
浮ぶことができません──重たく足腰が絡むがゆえに
跳ぶことさえもできません──沈み往く足を引きずるゆえに
わたしはうずくまる それをしかできないばかりに
硝子盤のような冷然硬質な足場は、嘗ては空の玉座でした、
わたしは、さかしまの世界で歩む疎外者のよう──
冷然硬質な足場はまるで硝子盤、空の玉座であったのは最早嘗てです、
わたしは最早一条の神経であります、そのほかすべては現象です
青々とした翳を曳く彗星がみえます、
あれは お空へ往っちまった翠の魚でありましょう、
あかるみの賛歌が空から聞こえはするが、
それ遥かにあるがゆえに、熔けこんで耳に入るのです
わたしは 勇壮に腕をあげるように
手を玻璃張の床に置いた、睡る月の毀す光の冷たさが、
わが掌にしゃなりしゃなりと辷り躍った、
暫くはここに在ろうと想うと 空硝子の底の暗みが愛おしくもなる
3
るううううううう るううううううう
雨が流れる、天音きこえる 凪がれ薙がれて、わが身は佇む。
今宵も、月は綺麗でしょう 底の雨音、しずかであるので
月影の辷る六月の雨 るううううううう るううううううう…
向日葵畑と少年
向日葵畑で 泣くきみよ、
ましろい頬に 手をあてて、
眼を伏せ、睫はかげ落し、
空はまっさお、陽あかるく
鳥等が歌う、夏の日に、
底にしみいる 愁しさに
憂いにしずむは きみひとり。
青空あわく、白雲雄々し、
とおくひろがる 彼方のしたで
黄の花なみうち 風のひびきと、
蝉の声鳴り、ころがる瓶よ、
夏の休暇の 眩暈の絵画に、
黒髪やわらか、つと照る涙よ、
そこで泣くきみ ただひとり。
秋の庭園
ものしずかな その男は
秋の季節に咲く花だけを栽培する
こぢんまりとささやかな庭園をもっていた。
かれ 最愛のひとを愛するように大切に庭園を整え、
ひたむきに水を遣り 虫を指でそっと払い、
秋 炎ゆるように花々が庭を彩ったけれど、
窓辺からそっと覗きこむように男はそれ見遣り、
片恋に胸をどぎまぎさせる少年のようなはにかみの微笑、
そのほかの季節は しんと緑が鎮まっているような印象で、
むしろ男は 春夏冬のほうに働き者であった。
*
男は八月の陽ざかりに死んで、
その骸 庭園の緑にうずもれるように横たわっていた、
愛を享けた花は男の死際を覗くことすらできず、
緑はしんと艶を光らせるばかりで、
太陽は無関心に 冷たい爬虫類の美しい眸を投げた。
*
庭園は九月に花ざかりを迎えた、
花々は男の不在でむしろ映えるように炎えていた、
独り暮らしの男の箪笥から大量の詩編が発見され、
家主に庭の土の中へ埋められた、
花は一斉に萎れ砂が毀れるようにさらさらと墜ち、
陽の目を二度とみない詩へ わが身を供物と身投して、
詩の熔けた土との境界線 ほうっと光に喪わせたのだった。
*
誰もいなくなった しんとしずかな緑の庭園は
いまもどこかにあって 月夜は銀に照るらしい。
小舟と湖
其処は地上より穿たれた 低みに宿る湖です、
ざらつく群青の巌のなかに ほうっと翳りを伴れ沈む、
陽の射すことない 幽かで淡い、碧いろした湖です、
ほんのり硬い香気を曳いて、夜の注がれる音がします
其処は地上とは隔絶された 暗みを帯びる色彩ですが、
夜がその場を熔かすのです 淋しさ癒すは淋しさです、
月夜と一帯に横臥す湖、僕は小舟をゆらゆらさせて、
微睡の孤立のままにします──月光射すことないけれど
鱗燦らし、壮麗にしなる魚の翳は視えるけど、
僕には手中に掴めません その代わり まだみぬ友へ、
歌の光の漂流をします、音楽のうごきで抛ります
嗚 この風景は、夜空いったいへ舞い散りました、
天空は 閃き昇るように其処映し、底はざらついた虚空です、
扨て僕は、巌に転がる小舟に埋まり、また湖を俟ちましょう
青薔薇
ぼくの磨いた淋しさなるもの
それ波打際に打ち棄てられた、
水晶の幽かにほうっとこぼす
淡い群青の息に似るのでありました
果敢なくも千切れ落ちた
幾夜のことでございます、
とおくで月が銀に照って、
愛してもみたいと腕を振るのです
されば磨かれた硬く冷たい淋しさを
まるで賭けるような心持で、
夜空うつし銀と群青のはりつめた
硝子質の海の面へ放るのです。
硬き世界よ
ぼくの淋しさと溶け合い連続さえして、
さながら徹るように
光と音楽で交合してくれはすまいか
海面に撥ねられた水晶は裂け、
めくるめく多重の弁を張り、
内の光を守護するがため、
硬き花弁を包ませるのでありました
すれば淋しさは「青薔薇」となり、
ぼくはそれ花と抱き締め、
いつまでも海邊の風景を眺めるのです、
硬き風景を眺めるのです──
夢のライオン
わたしが星々へ飛ばした憧れの風景画には
睡りこけるお日さま色の雄ライオンが
砂のような草原に巨きな身をうずめていて
のっそりと おっとりとした眼をひらいているの
ライオンもまた砂のようなタッチ
周囲と溶けこむような柔らかな光にみちみちて
此方のわたしをやさしい眸で眺めたかと想うと
そっけない素振りで くるりと太陽の源へあゆみはじめた
そう あなたはライオン 夢に睡るライオン
太陽とおなじ色をして ふさふさと鬣をやさしい風に揺らし
あなたはライオン 何処かで睡るおおきなライオン
わたし 睡る「あなた」を信じています 心から 心から
わたし あなたに手をとられて
ひっそりと夜の風景画へ伴れこまれてみたい
夜の闇と夢のあなたに疎外に淋しい頬うずめ
夜の粒子にわたしはわたしを剥くの 躰から 愛しているからだから
銀の鯨
けさ ぼくは海岸で鯨のひれを拾いました──
ぼくにはどうもそれを棄てることができません
ええ それを棄てることなぞぼくにはできやしないのです
さすれば頬に 冷たい翼に似たそれをえくぼのように付けましょう
その鯨のひれさながらにざらついた灰いろのきらめき、
いろいろの歴史が沈みたゆたっている──それは貝です
それは鯨のひれのような貝の殻 けさ それをぼくは拾ったのです
ぼくはこの貝の殻でどこまでも下へ飛ぶことできるでしょう…
何故って空と海はおなじ青! シンデレラの灰掛かるざらつきは
夢の降り音楽のくだるリズムの引掛りとなり ぼくを踊らせる
どうしてそれを棄てることができましょう? 海の貝は翼です──
貝の殻は地下へと海底へとくだり泳ぐ鯨のひれという翼──
みてくださいますか ぼくが詩という群青の海へ降りるとき
空という水面へ月をめがける銀の鯨 尾びれをそよがせているのを
霧のようにすこしだけ残して
わたしのこころに浮んだ──
それ等をいとおしく思う観念は消えた
霧のようにすこしだけ仄じろいかげを残して
輪郭なき薫だけを立ち 無としてしずんでいって──
わたしはそれをすらいとおしいものだと──
この期におよんでもかのような観念を浮ばせる
その観念もさっと時にぬぐわれるように 消える──
霧のようないたみを神経に残して 憧れにすくんで…
*
花は散っても 花弁は落ちているでしょう──
それが優しい空に還ってからですよ──優しい歌が香るのは!
絶望を清ませよ
わたしが
生き切ろうともするのは──
生きているということは 祈りであるから
ひとを信じたいという うごきであるから
わたしの底には
まっしろな絶望が湖と宿り
その澄み往く風景ははや希望である 其処から
掌合された翔べない翼 はたはたさせる黒鳥は──わたし
咲かない花
そこは夢の湖のように霞んで浮ぶお花畑であって、
かずかずの名花が各々の美を示していたのでありましたが、
ひっそりと暗がりに背をひねる植物があり、
花咲くまえに、わが身のうちへ折るようにそれ蕾と秘めていたのでありました
けっきょくその植物は花を咲かせることができず、
ただ一途に幾夜の月へ、淋しさに翳るお顔をさらしもして、
されど花の美を外部へ放られなかったことを悔いるわけでもなく、
ひたむきに生涯をまっとうし、葉の艶を投げだしていたのでありました
さて、植物に愛されたお月様はその夜霧から顔をだし、
萎れ果てたその植物へも、立派な花々どうようにひとしく、
青みのかかる銀の光 うるおい濡らすように降りそそぎました
植物ははやいのちはなかったのでありましたが、
かつての蕾に秘められた光、花の美の可能性が、
精一杯生きたことを褒められて、ひやりひやりと光り歓ぶのでした
淋雨詩集
読んでくれてありがとうございました。生き抜こうね。