寄生日記

寄生日記

『きょうはとってもいやな日だった。せっかくパパとママとお出かけして、なまえはわすれたけど、広い公えんに行ったのに。あつくて、あつくて、だれも公えんにいないし、たいようがとってもあつくて、すぐにかえってきた。かえって、クーラーのまえですずしくなって、やっと気持ちがおちついた。でも、気がつくとうでとか、あしとか、ぜんぶがかゆくて、いっぱいかいたら、赤くなった。ちょっと、血もでてた。そしたらママが、かにさされたんだねって言って、ムヒをぬってくれた。かはきらい。なんで人の血をすうんだろう。人のめいわくをかける虫はきらい。ぼくも、人のめいわくはかけないようにしようと思った。ほんとうは、公えんでちょっと遊んで、あせでびっしょりになったけど、ちょっと楽しかった。でも、いやな日だった。楽しかったけど、いやな日だった』
 おそるおそる、ママに日記を見せた。ママは優しい目で微笑みながら、読み始める。
 ほんとうは、日記なんか書きたくなかった。夏休みの宿題だから、しょうがなく書いているだけ。日記の上半分には絵を描いて、下半分で文章を書くんだけど、しょうじき、絵を描いているほうが楽しかった。
「楽しかったけど、嫌な日、ね」ママが言った。
 ぼくはごくんと唾を飲み込んで、昨日、日記をママに見せたときに言われたことを思いだした。
〝楽しかった、って言う感想は誰にでも書けるから、こうちゃんにしか書けない表現の仕方で感想を書きなさい〟
 よく、わからなかった。自分で言うのも変だけど、小学生になったばかりのぼくに、それを言うのは早すぎるんじゃないかって思った。でも、そう言われてしまったから、ただの「楽しかった」は書けない。だから、「楽しかったけど、いやな日だった」。
「昨日よりはいいんじゃない? 楽しいと嫌って、反対みたいに思えるけど、じつは繋がっているのかもね。それに」
 ママは言葉を切って、右手を頬にあてた。考えごとをするとき、よくする仕草だった。ママの前髪が、クーラーの風で微かに揺れていた。
「蚊のところが、特にいいね。ママも蚊は嫌いだし、他の人に迷惑をかけたくないけど」
 ごぉぉ。となりの部屋から、パパのイビキが聞こえた。うらやましい。お昼を食べたあとで、ぼくだって眠いのに。
「きっと、蚊だって、迷惑をかけたいと思ってるわけじゃないと思うよ。生きるために、人の血を吸うの。ママとかこうちゃんが、生きるために、豚さんや牛さんを食べるみたいに」
 どうして、こんなことを言うんだろう。なんとなく、気持ちが悪かった。
 ママは一瞬、眉間にシワを寄せて、どこかためらうように口を開いた。
「寄生って言葉は……いや、まださすがに知らないね」
「きせい?」
「うん……いや、まだ、ぜんぜん知らなくいい言葉よ」
「ねえ、今日の日記これでいい?」
「あ、うん、そうね。こうちゃんも、パパとお昼寝してきていいよ」

     *

 母は僕に、何を伝えたかったのだろう。何でもないような出来事だし、小学生のころの記憶なんてほとんどないのに、なぜかこのことは、今でもよく思い出す。僕が子どものころは、気温が高い日なんかは、たまに光化学スモッグの注意報が出て、そういう日はなるべく外に出ないようにしていた。
 今や一児の父となり、父として公園へ出かける日も多い。でも、猛暑日であっても外で遊ばせてしまう。そうしないと、夏休みに外で遊べる日がなくなってしまうから。
『きょうはきのうより少しすずしかったから、少しだけ外であそびました。とてもあつかったです。でも、かがぜんぜんいなかったから、それはよかったです』
 息子の日記を読む。母のようなスパルタ指導はしていないから、ただ読むだけ。
でも、読んではっとした。そうか、あの日は、あんなに暑いと思っていたあの日は、たぶん猛暑日ではなくて、三十五度を下回っていたんだ。蚊は、気温が三十五度を超えると活動が鈍るから。
 寄生。
 この言葉が、今までと違う場所から、響いた気がした。きっと母は、蚊のことを指して、寄生と言っていたはず。僕はそう思っていた。でも──。
「パパ、どうしたの?」
 息子が首を傾げ、あくびをする。昼の食べたカレーライスの匂いが、ふわりと漂う。
「あっくん、〝良かったです〟って、たぶん、あっくんじゃなくても思いつく言葉だよね? そうじゃなくて、〝良かった〟を、べつの表現で……。いや、ぜんぜん、いまのままでもいいんだけど、せっかくだから、何が〝良かった〟のか、どう〝良かった〟のか、一緒に考えてみない?」
 息子は驚いたような顔をしている。言った僕だって、驚いていた。でも、なぜかわからないけれど、僕にできることは、これくらいしかないんじゃないか、と思った。
「思いつかなくてもいいからさ……。考えてみよう。めんどくさいけど、考えてみよう。嫌かもしんないけど、一緒にさ、考えてみようよ」
 自分に言い聞かせるように、僕は言った。息子はつまらなそうな顔で、「えー」と言いながらも、考えてくれているようだった。ちりんちりん。振り向くと、ドアノブに吊るした風鈴が、冷房の風でか弱く鳴っていた。

寄生日記

寄生日記

#純文学 #掌小説 #ショートショート #気候変動 #理学療法士

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2026-01-01

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted