259主のいない世界

ドームと神の部屋

 その世界は、外から見れば完全な円形だった。半径およそ百メートル。空は常に淡い青に保たれ、雨も風も管理されたように訪れる。小さな世界でありながら、畑では穀物が実り、家畜は育ち、鍛冶場では鉄が打たれ、歯車が静かに回る工房もあった。

 円周を十二等分する位置には干支の名を冠した区画があり、それぞれに役割と文化があった。東西南北には四聖獣――青龍、白虎、朱雀、玄武――を祀る神殿が建ち、結界として、また信仰の象徴として世界を支えていた。

 そして、すべての中心。円の正確な中心点に、白い石で作られた小さな建物がある。扉には装飾も鍵穴もない。そこは「神の部屋」と呼ばれていた。

 この世界は、自然に生まれたものではない。ある者によって、意図的に作られた箱庭だった。

 地下へと続くダンジョンが存在することを、誰もが知っていた。入口は十二の区画すべてに存在し、どこから入っても同じ深淵へと繋がる。罠と魔物、謎と選択。最深部に辿り着き、「神の試練」を越えた者は次の神となる。

 代償として、今までの神はこの世界から消える。

 神となった者は、世界の法則を改変する権利を得る。作物の育ちを早めることも、夜を長くすることも、人の寿命を伸ばすことさえ可能だった。そのため、冒険者や探求者たちは神になることを目指し、命を賭してダンジョンへ潜った。

 だが、誰も「なぜ神が交代するのか」を知らなかった。

 ***

 最後まで生き残ったのは、一人の青年だった。彼は特別に強かったわけではない。ただ、戦わず、奪わず、問い続けた。神の試練とは力ではなく、「選択」だった。

 最深部で彼が見たのは、玉座に座る神――疲れ切った表情の、ただの人間だった。

「お前も、ここまで来たか」

 神は立ち上がり、微笑んだ。

「この世界は、実験だ。閉じた環境で、人が神という絶対者を目指したとき、何を選ぶのかを観測するための」

 神とは管理者であり、観測者であり、囚人でもあった。世界を自由にできる代わりに、決して外へは出られない。寿命もなく、終わりは次の神が現れた瞬間のみ。

「私は、もう十分見た」

 神の姿は光に溶け、静かに消えた。悲鳴も血もない。ただ、役割の終わりがあった。

 青年は、新たな神となった。

 神の部屋に立ち、世界を見渡す。十二の区画、四聖獣の神殿、働く人々。すべてが小さく、愛おしかった。

 彼は世界を「支配」しなかった。

 まず、ダンジョンを消した。神になる道を閉じたのだ。次に、四聖獣を守護者から教師へと変えた。人々に知恵を与え、争いを減らす存在へ。

 最後に、ドームの天井を少しだけ開いた。

 初めて見る「外の空」に、人々は驚き、恐れ、そして泣いた。

 神は理解したのだ。この世界が閉じていた理由を。管理しやすく、観測しやすくするためだけではない。人が、限られた世界の中で「神になりたい」と願う衝動そのものを生み出すためだったのだ。

 青年は神の部屋に座り続ける。

 いつか、この世界が完全に外へと開かれ、神という役割が不要になる日まで。

 その日が来たなら、神の部屋も、ドームも、ただの建物になるだろう。

 そしてそのとき、この小さな世界は、ようやく「神のいない世界」として完成する。

259主のいない世界

259主のいない世界

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-12-31

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