中学生日記
争いあって、苦しめあって、傷つけあって、それでも生きていかなければいけないのですね。お互いに肯定しあうより、否定しあい、負の感情をぶつけあう方が、より深くつながることができると、多くの人は思っているのではないでしょうか。人は争いを好むなんて簡単に言われてますけれど、そこには一片の真実があるのかもしれません。お互いに憎悪の感情をむき出しにするそのときにこそ、何か強い共鳴が、連帯が、抱擁しあう以上の何かがあるのかもしれない、それを誰もがわかっていながら、そちらの方へ進むのは危険だとわかっているので、適当な人道主義を掲げておく。各々の憎悪が共鳴しあうそのときにこそ、自然の神秘への道が開け、これまで生きてきた苦悩や焦燥から解放され、天へと舞い上げられ、そして同時に地へと叩き落されるような境地を味わえる。憎しみには何かある。理性を介した感情によっては、自然と深くつながることができないのかもしれません。理性などというものは、人間が後天的に身に着けた賢しらぶった装飾品にすぎないのではないか。何もものを言ってくれない自然に対して、人間はいつも寂しい思いをしている。だから共に争いあい、命を奪いあうことで、自然に生贄を捧げてきた。争いには供儀の要素があるのかもしれません。戦争こそが最も神聖なものであり、人間の社会においてその他のものは付属物にすぎないのでしょうか。自然との大いなる連帯を可能なものにしようとして、人間は共に争いあい憎みあう定めにあるのだとしたら、どうすればいいのか。文明というもの、今日私たちが住む社会を華やかにする物質の群れ、夜を光に満ちた世界に変えてしまった人間の苦労と知恵の集積も、すべては供儀の精神から剰余的に生み出されたものにすぎないのだとしたら、街中を歩くときにも悲しみにうちひしがれそうになってしまいます。
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