ゆーえんみー 3話後編

銀の少年 後編

 浴衣は白地に朝顔の柄。肩まで伸びた髪を結い上げ、浴衣に合わせて少し背伸びをしたような横顔。
 
 知っているはずの夏祭りの景色が、知らない色に塗り替えられていく。そう、僕はこの夏祭りを知っている。でも、ミー、君だけが変わっていくみたいだ。
「……どうしたの、ユウ?」
 首を傾げる声も、今さらのように胸を打つ。
 ああ、可愛い。そんな言葉ひとつで済ませられたら、どんなに楽だろう。
「ううん、金魚掬いってさ、ポイが紙のところもあれば……お菓子? 最中のところもあるでしょう。あれ、どっちが掬いやすいんだろうね」
「あー。餌だって思うから最中じゃない? でも最中のポイなんて漫画でしか見たことないや」
「ふふ、僕も」
 適当な話題を返してしまった。けれどミーは、真剣に考えてくれる。そんなところも可愛くて、笑ってしまうと、ミーは「なによ」と膨れっ面。……このくらいの会話なら、別にいつもと違っていても良い。
 
 大筋は変わらないのだから。
 僕と、ミーの、夏休みは。
 

「わーっ、いい景色。誰もいないじゃん。あたしたちで独占?」
「うん。ここ、花火が一番よく見える場所なんだ」
 赤い金魚が泳ぐビニール袋と、運良く釣り上げられたうずまき模様のヨーヨーをぶら下げて、あたしたちは神社から離れたちょっとした高台に来ていた。たしかに、ここからなら綺麗に花火が見えるかもしれないし、何よりも人混みからも離れられて気楽だ。それにしても、ユウは本当になんでも知っている気がする。こんな良い場所、誰かが知っているかもしれないのに。
「ユウ、こんなところよく知ってたね? 満員になってそうなのに」
「……」
「ユウ?」
「あっ。……ごめん、何?」
 ユウは、ぼーっと前を眺めていた。彼の前にはあたしと、祭りの風景を見下ろせる柵しかない。……あたしを見てた? なんてね。話題も何でもないことだから、繰り返したりしない。
「ううん、なんでもない。花火楽しみだね」
「……? うん、そうだね。ねえ、ミー」
「なに? どうしたの?」
 彼は今度はさっき買ったいちご飴を顔の前に掲げ、そこから透かすようにあたしを見ていた。不思議なことをしている。あたしの問いかけに、ユウは口を開いた。
 
「夏休みが終わっても、僕と一緒にいてくれる?」

 ───本当に、何でもないことだった。

「……そんなこと聞く? 当たり前でしょ。一緒にいるよ」
「そう……」
「えっ!? 何その反応! ……こんな世界だけどさ、あたしは、ユウと一緒にいられて楽しいし嬉しいよ」
「どんな世界でも、それ……言える?」
「な、なんかユウ……変だよ。だって、あたしの夏休みを楽しくしてくれたのはユウじゃん」
「……そうだったね。うん、そうだった」
「変なユウ……」
 あたしの呟きにはにかむように笑いながら、ユウは持っていたいちご飴をがりと噛んだ。この夏祭りで知ったことは、ユウは結構食べるってこと。そんなところが、なんだか可愛くて、あたしも笑ってしまう。
 ……あたしがユウと一緒にいられて嬉しいのは、本当だ。だからこそ、今一瞬だけ見せた不思議な一面がどうにも気になってしまう。夢の中のユウを、思い出してしまうのだ。
 
 何度繰り返しても、君を守ってみせるから。

 そんなことをユウに言わせてしまう理由が、あたしにはわからなかった。
 でも、わからないけれど、わからないなりに───あたしには、やりたいことがある。
「ユウ、あの、そのね」
「ミー?」
「……ええい! ユウ! こっち来て!」
「なあに……?」

 のんびりと飴を噛み砕く音がした。ユウの唇の端に、いちご飴の赤いかけらが光っている。あたしは思わず笑って、けれどすぐに息を飲んだ。

───このままだと、きっと何も伝えられないまま、夏が終わってしまう。

 言葉では届かないものを、言葉じゃないかたちで残したかった。だから、手招きする代わりに、一歩、踏み出した。
「ミ、ミー……?」
 不思議そうに目を瞬かせたユウの顔が、すぐ目の前にあった。
 花火の予告を知らせる笛の音が、遠くで鳴る。風が、少しだけ強く吹く。───その瞬間、あたしはユウの頬に手を伸ばして、唇を重ねた。

 ぱしゃん、と音がした。
 指先から落ちたヨーヨーが、石畳にぶつかって、はじけて割れた。

 金魚の袋が揺れる。夏の夜の空気がひやりと肌をなでる。ユウの唇が、ほんの一瞬だけ、かすかに震えた。
 甘い。いちご飴の味だ。
 思ったよりもずっと、あたたかかった。
「……。……」
 何も言えなくなって、すぐに離れた。
 顔が、熱い。心臓が、痛いくらいに跳ねている。
「い、今の、なし! その、ヨーヨー落ちちゃって……!」
 言い訳を探そうとするけど、声が上ずってしまって、自分でもどうしようもない。

 ユウはまだ、目を見開いたまま動かないでいた。まるで、時間が止まったみたいだった。その頬を赤く染めて、少しだけ唇に触れるように手を当てる。
「……ミー、今の……僕の、初めて……」
 その言葉に、あたしの胸がきゅっとなった。そんな顔をするユウを、見たことがなかったから。

───そのとき、夜空が弾けた。

 どん、と音がして、金色の花が咲く。次々と重なって、空が光で満たされる。
 眩しいのに、あたしの目は、ユウから離せなかった。
「ミー」
 花火の音にかき消されそうな声。
 気づいたときには、ユウの指先があたしの顎を掬い上げていた。
 驚く間もなく、彼の唇が重なる。
 さっきよりも深く、やさしく、確かに触れる。
 甘い。さっきよりも甘い。
 
───もう、花火どころじゃなかった。

 耳の奥がじんと熱を帯びて、世界が遠のいていく。
 見上げれば、夜空に金と紅の花が散って、落ちて、消えていく。
 
 まるでそれが、あたしたちだけの夏の終わりみたいで。
 いま、この瞬間だけは、永遠だと信じた。

「……ミー。僕、ミーが好き」
「あたしも……ユウのことが好き」
「よかった……よかった、これで……もう、ミーは……きっと……」
「……ユウ……? どうして、泣いてるの……?」
 ユウの碧い目から、涙がぼろぼろとこぼれている。でも、その答えを聞くより先に、聞きたくない音がした。

 ばきん

 そう、割れる音。
 花火よりも大きな音。でもあたしたちしか、聞き取れない音。はっと空を見上げると、花火模様のガラスを砕いたように、空が割れていた。
 そして、砕かれた空の破片が、大きな大きな花火に照らされた夜色のそれが、あたしたちの元へ落ちてきていることを───あたしの知らないことをなんでも知っているユウよりも先に、あたしが気づいた。
「ユウ!」
「……っあ……?」

 あたしは、ユウを突き飛ばしていた。
 考えるよりも先に、体が動いていた。彼の肩に触れた瞬間、手のひらに伝わる体温。
 そして───

 ばしゃり、と。

 世界が、ひっくり返った。
 痛みが来るのは、その少しあとだった。
 胸の奥から、鋭い何かが突き抜けて、息が吸えない。熱くて、苦しくて、何かを呼ぼうとしても声が出ない。自分の中にある音が、遠くへ遠くへ離れていく。

 何が起きたのか、わからなかった。でも、見上げた空は、確かに割れていた。
 空の破片───光を映す透明な欠片が、あたしの胸に突き刺さっている。
 それを見て、やっと理解する。

 ───あ、これ、死ぬんだ。

 体の中から、何かが零れていくような感覚。
 あたしの膝が崩れ落ち、浴衣の裾がふわりと舞う。金魚の袋が地面に落ちて、水がこぼれる。
 夜の空気は、こんなにも綺麗なのに。

「ミー! ミー!!」

 ユウが叫んでいる。その声が、どこか遠くで鳴っている気がした。手を伸ばしたいのに、動かない。目だけが、彼を追う。
 彼の顔が、涙で歪んでいる。
 やっぱり泣いてる。ユウ。そんなの、ずるいよ。こんな世界じゃなかったら、あたしとユウは、きっと今ごろ抱き合ってたのになあ。

 そんなことを思って、少しだけ笑ってしまう。涙と血の味が混じる。ユウの顔が霞んで、光の粒のようになっていく。
 でも、最後に見た光景は、ちゃんと覚えていた。

 ユウが、ポケットから何かを取り出したのだ。
 銀色に光る、小さな鍵。彼の髪と同じ色の鍵。
 それを空に掲げて、泣きながら何かを呟いている。

 花火の光を浴びて、銀の鍵がきらめいた。空の亀裂が、それに応えるように脈打つ。
 世界が、閉じようとしていた。

「ユ……」
 ウ、とまで言いかけて、あたしの意識は暗闇に落ちる。
 
 本当に、ユウって、あたしの知らないことだらけだ。

ゆーえんみー 3話後編

ゆーえんみー 3話後編

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-12-29

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted