ゆーえんみー 2話前編

この小さな久遠町にて 前編

 さすがに真夏でも元気溌剌な小学生時代はとうにすぎてしまったので、あたしとユウのやり取りはクーラーの効いた自室で行うメッセージアプリでのやり取りがメインであった。
 
 こんなに暑いのに昼間から外で体を動かさなくてはいけないのだから、まったく、運動部はすごいなと思う。そういえば、友人のひとりがテニス部だ。熱中症で倒れていないといいけれど。……と思い彼女に「練習がんばれ! 暑さには気をつけて!」と送ったら可愛いスタンプが返ってきた。またスタンプに課金しているのか、この子は。
 さて、この世界は着々とおかしくなっていき、あたしはおかしいことを見つける度にユウにメッセージで泣きついている。
 今朝なんて時間が一瞬止まった。落ちる瞬間空中に静止する朝食用の卵をキャッチしたあたしは、同じく静止していたお母さんが再び動き始めた時にとっても驚かれた。ナイス反射神経! なんて言われたっけ。そんなものではない、あたしが変なのではなくて、変なのは世界の方だ。
 そうそう。今朝起きたおかしなことを報告したら、ユウはユウで家の中で大地震らしきものに遭ったらしい。激しい横揺れに立っていられないほどだったそうだが、コップに入れた牛乳は静かなままだった。ユウはもう慣れてしまったようで、特に動揺もせずに両親に何も言わず朝食の席についたみたい。
 ユウと話していると、おかしいのは世界の方ってわかって、自分はおかしくないのだと安心する。いや、こういう時はいっそおかしくなってしまった方が楽なのかもしれないが、ユウを独りにしてしまうと思うとそうはなりたくないと考えてしまう。
 あたしはすっかり、ユウが心の拠り所になっていた。
 ユウも、そうだろうか。あたしがいることで安心してくれているかな。でも、もう慣れたって言ってたし、あたしは別に必要ないのかも。
 と、思っていると、ユウからメッセージ。すぐに既読通知を付かせると何だかがっついているみたいだから、一分ほど待ってから開く……って、何でこんな駆け引きみたいなことしてるんだ。駆け引きも何もない、一人相撲だけど。恐る恐るユウからのメッセージを開くと、そこには───
 
『ミーがいてくれてよかった。ありがとう。こんなこと誰にも話せないから』
 
 ……。
 思わずベッドの上で足をジタバタとさせてしまった。これは何? 萌え? あたしってユウ萌え? 自分の気持ちが上手くわからない。会ったばかりの男の子に、こんな。本当に前世で良いことをしたのかもしれない。……逆に怖くなってきた、何をしたんだろう、あたし。
「こ、……っちこそ、ありがと。……絵文字もスタンプもいらないか」
 あくまでもすっかり落ち着いた様子で、返信をする。送信した後に、枕元にスマホを置き、あたしは息を吐いた。
 息を吐いて、まぶたを閉じる。クーラーの風が少し冷たくて、かといって止めれば一瞬で部屋は蒸し風呂になる。首もとの汗が気になって指を当てると、朝カーテンを開けた時に浴びた日差しがまだ肌に染みついているような気がした。

 ユウの言葉が、ずっと胸に残っていた。
 
 『ミーがいてくれてよかった』
 
 その一言に、どれだけ救われたか。なのに───あたしは、どうしてこんなにも不安になるんだろう。

 会ったのは、ほんの数日前だ。出会って、名前を呼ばれて、手をつながれて。優しくしてくれて、心配してくれて、話を聞いてくれて。……それだけで、こんなにも好きになっていいの?

 いや、違う。“好き”って、そもそも何だろう。

 あたしはユウの外見が好きだ。きれいな銀色の髪に、澄んだ青い瞳。まるで月の光を閉じ込めたような透明な肌。あんな人、現実に存在するんだって、最初は驚いた。まるで絵本の中から抜け出してきた王子様みたいだって思った。

 でも、外見だけじゃない。
 ユウと話していると、あたしは自分がまともでいられる。世界がおかしくなっていく中で、ひとりだけ、自分と同じように“おかしい”と感じてくれる存在がいてくれることが、こんなにも心強いなんて思わなかった。
 どんなに怖くても、ユウと話しているときは、ちょっとだけ呼吸が楽になる。
 
 ……これって、恋? ただの依存? それとも……。
 もしこれが恋だとして、それをユウに伝えたら、迷惑がられるだろうか。
 「重い」って思われる? こんな早くにそんな気持ちを持つなんて、ひかれる?
 ───何より、ユウはあたしのことを、どう思ってるの?

 そっとスマホを取り上げて、ユウの名前を見つめる。画面の端に表示されている、星空を撮ったという黒いアイコン。何も映っていないみたいで、実はそこには光が詰まっているんだって、ユウは言った。

 あたしにとってのユウも、たぶんそれに似てる。一見何を考えてるか分からなくて、どこか浮世離れしているのに。そばにいると、胸の奥にぽっと明かりが灯るような気がする。静かで、でもあたたかい、そんな明かり。

 そうだ。あたしはきっと、恋に落ちたんだ。でも、それはユウを困らせるような恋であってはいけない。
 あたしはまだ、自分の気持ちを言葉にするには早すぎる気がして、ただ、そっと胸にしまいこんだ。
「会いたい……な」
 ぽつりとそう口にする。……そうだ、会えば良い。告白はまだ早いし、あたしの心もきっとまだ迷っているから、しないけど。せっかくの夏休みで、ユウは一緒にいようと言ってくれたのだから、あたしから誘っても……多分、良いはずだ。
 だとしても、どこに誘おう? あまり外には出たくないし、夏祭りにはまだ早いし。
 ふと、顔を横に向けると、学校鞄が机の上に置いてあった。中にはまだ、手つかずの宿題が入っている。
 あ、そうだ、宿題!
 あたしはばっと起き上がり、スマホを手に持つ。メッセージアプリを開き、目指すはユウとのチャット欄。送るメッセージは───
 
 『宿題進んでる? こっちは全然。よかったら明日図書館で一緒にやらない?』

 送信。……した後に、明日はせっかちすぎたかなと後悔。五分もしないうちにユウから返信が来た。嫌ならいっそ断って……と、あたしはこの壊れつつある世界とは別案件の事態に怯えながら画面を見る。

『一緒にやろう。午前からでもいい? お昼も一緒に食べたい』

「やっ……た!」
 ガッツポーズをして、ベッドに倒れ込む。この返信……つまりほぼ一日中一緒!? なんて嬉しいことなんだろう。あたしはもう駆け引きなんて気にせず、すぐに午前オッケー! と返信をした。

 スマホを顔の上に持ち上げたまま、にへら、と笑ってしまう。どうしよう。明日が楽しみすぎる。
 午前から会って、お昼も一緒───つまり、お弁当を持って行ってもいいってことだよね。
 いや、お弁当なんて、手作りなんて、重いかな。でもコンビニで選んでってのも、それはそれで地味だし……え、待って、これ、デートじゃない? 宿題、って名目はあるけど、でも、ほぼ丸一日一緒にいるって、それって。

 ……あたし、もしかして、すっごく嬉しいのかもしれない。

 胸の奥が、じんわりとあたたかくなる。こんなふうに誰かと一緒にいたいって思うの、いつぶりだったろう。そして、たった数日しか知らないはずの彼に、こんなにも「会いたい」って思ってしまう自分を、今ならほんの少しだけ肯定できる気がした。ううん、恋かどうかなんて、もうどうだっていいかもしれない。ただ、会いたい。明日も、彼の声が聞きたい。あの、安心する目を、見たい。

 あたしは立ち上がって、クローゼットを開ける。
 図書館に行くだけ。でも、服を選ぶ。どうせエアコンの効いた館内で過ごすし、涼しげなトップスでいいかな。
 いや、でも長時間一緒にいるなら、ラフすぎないほうがいいかも。ユウのあの、淡い色の髪や瞳によく合うように……白? でも甘すぎる? いっそ紺のワンピース?

「……って、何やってるんだろ、あたし」

 自分に呆れながらも、鏡の前でスカートを合わせてみる。どう見ても図書館コーデとは思えないくらい時間をかけて、でも結局は清潔感重視のいつもの服に落ち着く。けれどそれすら、今日はなんだか特別に見えた。

 ふわりと、頬がゆるむ。

 明日、ユウに会える。
 このひび割れたような世界で、確かに誰かに会いたいって思えることがあるなんて、あたしはまだ大丈夫なのかもしれない。
 いや、むしろ、ユウに出会えたから、ちゃんと自分でいられるのかもしれない。

 ベッドに戻って、明日の服を部屋の椅子にそっとかける。
 まるで明日を迎えるための儀式みたいだ。今夜は夜更かしはしない。明日は寝坊なんて、絶対にしたくないから。

「……楽しみだよ、ユウ」

 画面越しではなく、小さな声でつぶやいてから、あたしは部屋を飛び出した。お母さんに明日の朝、お弁当を作る手伝いを頼むために。
 この小さな久遠町(くおんちょう)で、あたしは今、たしかに誰かを想っている。
 
 ほんの少しだけ、明日が楽しみになる───そんな日だった。

ゆーえんみー 2話前編

ゆーえんみー 2話前編

  • 小説
  • 掌編
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  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-12-29

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