暁に咲く薔薇 9話

聖なる園の少女

「エリーゼさんは、既に結婚なさっているのでしょう?」
「え、ええ。アリシアさん」
 
 エリーゼは学び舎の休息時間、学友の少女と中庭で話していた。貴族の娘、アリシア。彼女には、同い年の婚約者がいる。
「私、結婚って憧れてしまうわ。でも緊張もしているの。エリーゼさんはもう旦那さまがいるのに、どうしてこの学び舎に来たの? エリーゼさんは立派な花嫁じゃない」
 それを聞いたエリーゼは、アリシアに優しく微笑み返す。年上の同級生にも、怖気付かずに話すようになったエリーゼは、ほんの少し大人になっていた。
「アリシアさん。結婚するだけでは立派な花嫁にはなれないのです。だからわたし、ここに来たの。夫のために、ここに来たのです」
「……まあ! エリーゼさん、なんだか大人だわ」
「そうでしょうか? ふふ……」
 アリシアは空を見てため息を吐いた。その目は、夢に溢れてきらきらと光っていたが、同時に不安も滲み出ているように、エリーゼには見えた。
「私の婚約者ね、幼馴染なの。剣が得意で、優しくて格好いいのだけれど、でもちょっと……子どもっぽくて。エリーゼさんの夫は、かのヴァレフォール領の領主様でしょう? とても大人の方だと聞いているわ。でも……上手くいっているのね。私は、何だか彼とちゃんと夫婦になれるのか、心配よ」
「わたしがラザロ様と上手くやってこられたのは、ラザロ様が私に合わせてくださったからです。私の気持ちに、ラザロ様は合わせてくれていた……アリシアさんと婚約者様は、幼馴染ならきっと心を通わせあえるはずですよ。わたしは……ラザロ様の隣をしっかり歩きたいの。だから、アリシアさんの幼馴染が婚約者、というのも、とても羨ましいです」
「エリーゼさん、やっぱり大人ね……ねえ、そのラザロ様のこと、聞かせてくれる?」
「アリシアさんこそ、婚約者様との出来事、聞かせてくれますか?」
「ええ、もちろん! ふふっ、妻としての情報交換ね」
「な、なんだか内緒話みたいです……」
 エリーゼとアリシアは中庭の木に背を預け、頬を寄せ合った。ここは、貴族の少女たちが通う花嫁修行の学び舎。聖なる花嫁たちの、園だ。

「ねえ、ラザロ様って……どんな方なの?」
 アリシアがそっと囁くと、エリーゼの頬がふわりと朱に染まった。手に持っていたレースのハンカチをぎゅっと握る。
「……とても、静かで優しい方です。物腰も、言葉遣いも、すべてが穏やかで……でも、時々、その瞳に深い影が差すの。まるで、どこか遠くを見つめているような……」
「ふふっ、詩人みたいな言い方。じゃあ、ラザロ様は……その、甘い言葉を囁いたり、抱きしめたりしてくれるのかしら?」
「ア、アリシアさんっ……! そ、それは……」
 エリーゼは顔を伏せ、耳まで真っ赤に染まる。その仕草があまりに初々しくて、アリシアは小さく笑いながらも、そっと手を取って言った。
「……大丈夫。私たちだけの、秘密にするわ。だって、こういう話って、女の子同士じゃないと出来ないもの」
「……ふふ、そうですね。じゃあ、少しだけ……」
 エリーゼは小さな声で続けた。
「夜、眠る前に……ラザロ様は、時々、わたしの髪を梳いてくださるの。『今日も、よく頑張ったね』って、そう言って……その手がとても温かくて、胸がぎゅっとなるの。わたし、そういうとき、もっと強くなりたいって思うのです」
「……なんて素敵。まるで童話の王子様ね」
「ふふ、本当に。でも……私は、あの人の隣に相応しい、強くて美しい花になりたい。だから、ここで学んで、ちゃんと自分の言葉でラザロ様と向き合いたいんです」
 
 アリシアはエリーゼの言葉を聞きながら、そっと自分の胸元のペンダントを握った。
「ねえ、私の幼馴染はね。いつも私のことを『おてんば姫』って笑ってたの。でも、わたしが泣いたときだけは、黙ってそばにいてくれるの。……でも、最近はそれだけじゃ足りない気がして。大人になっていくのが、怖いのかもしれない」
「怖くても……誰かと一緒なら、乗り越えられる気がしませんか?」
「……そうね。あなたと話して、ちょっと勇気が出たわ。ありがとう、エリーゼさん」
 二人は顔を見合わせて、ふっと微笑み合う。白い日傘の下、風に揺れる花々の香りが満ちていた。
「また、秘密の話……してくれる?」
「ええ、もちろん。わたしたちは乙女の同盟ですものね」
「ふふっ、なんだか可愛い響き!」
 そうして二人は、未来の不安と小さな恋の希望を胸に、手を取り合って笑い合った。
 
「ねえ、エリーゼさん」
 風に揺れる中庭の花々を眺めながら、アリシアがぽつりと呟いた。
「あなたは……奥様として、普段どんなことをしているの?」
 その問いに、エリーゼは少しだけ考えてから、はにかむように笑った。

「まだまだ、学ぶことばかりですけれど……朝はマナーの勉強をして、庭園の薔薇に水をやって、それから書類を読むラザロ様のそばで、お茶を淹れたり……お帰りが遅いときは、お夜食と一緒に待つんです」
「まあ……なんだか、まるで夢のようなお話ね」
「そうでしょうか?」
 エリーゼが首をかしげると、アリシアは小さく頷いた。

「ええ。私も、お父さまとお母さまを見ていると、いつかあんなふうにって思うの。朝、一緒に目覚めて、大好きな人のために身だしなみを整えて、用意して見送って……『あなたのために』って思える毎日って、きっと幸せなんだろうなって」
「素敵です、アリシアさん。きっと、叶いますよ」
 そう言って微笑み合ったあと、今度はエリーゼがそっと尋ねた。
「アリシアさんは、婚約者様のために、どんなことをしてあげたいと思いますか?」
「……そうね」
 アリシアは指先で裾のレースをなぞりながら、言葉を選ぶように言った。
「剣の稽古が終わったら、お水を渡したり、汗を拭いてあげたり……怪我をしたら、そっと手を握って、何も言わずに見守れるような、そんな人になりたいの。だって彼、きっと無理してしまう人だから」
「……それは、まるで母のような優しさですね」
「えっ、そうかしら? おかしい?」
「ふふ、いえ。とっても素敵です。わたしも……ラザロ様の疲れが癒えるように、心を休められる場所になれたらいいな、と思ってるんです」
 静かな時間が流れ、二人の視線は空へと向かう。雲ひとつない青が広がっていた。
 
「ねえ、エリーゼさん。私たち、きっともっと強く、優しくなれるわよね」
「ええ。だって……誰かを想うって、すごい力ですから」
 二人は顔を見合わせて、ふっと笑った。そのとき。

 カーン……カーン……。

 涼やかな予鈴の音が、塔の上の鐘から響いた。
「……あっ! 授業の時間!」
「わ、わたし、ノート置いてきちゃいましたっ」
 エリーゼが慌てて立ち上がると、アリシアもスカートを翻しながら追いかける。
「急がなきゃ、エリーゼさん! また乙女の内緒話、しましょうね!」
「はいっ! 次は……お互いの将来の夢のこと、話したいです!」
 そんな声が、春の陽だまりの中庭に、ふわりと弾けた。白い花がひとつ、ふたりの背中を見送るように、静かに舞い落ちた。

 花の園には、まだあどけない少女たちの、聖なる恋の蕾がそっと咲き始めていた。

暁に咲く薔薇 9話

暁に咲く薔薇 9話

近世風ファンタジー世界おじロリ婚姻譚。暁に咲く薔薇第9話。少女たちの花園

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-12-29

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