映画『白の果実』レビュー

 純粋さという切り口で本作を紐解けば、主人公である杏菜のそれは人間が生きていく上で抱えざるを得ない矛盾を許せないというもの。
 例えば彼女は母親が自宅で開いている花道教室について「生きている花を殺し、愛でるために利用する最悪な行為」だと罵り、嫌悪する。その母親の方から「あなたは殺した動物の肉を食べ、植物の命を奪って生きている」ことを指摘されればものすごい形相で食事の席を立ち、二度と戻らなくなる。
 最後の転校先といわれて入学した宗教系の学校でも彼女は規則(特に服装)を守らずに、注意してくる教師に面と向かって反発する。何の意味があるのか?が分からない限り、彼女はそれに従えない。周囲に合わせて自分を曲げるなんて、絶対にしない。
 

 そんな杏菜と寄宿舎でルームメイトになる莉花は自分を殺してでも周りが期待する自分になろうとした。市場に出回る果物に求められる規格のように、自分自身の形を見栄えのいいものにしようと必死に努めた。聡明であるがゆえの彼女の純粋さ。けれどそれが次第に彼女自身を苦しめるものなり、自殺という人生の終わり方にまで繋がっていく。


 ①その莉花の自殺の真相を巡ってロジカルに展開するストーリーラインと、②本質を見通す目で死者の魂を認識できる杏菜が死んだ「莉花」を受け入れ、彼女のことを知ろうとするファントム・ファンタジーの物語が異和を保ちつつ叙情的なラストを迎える。ここが本作の最大の見所です。


 ①の流れにおいて莉花はその人物像がひたすらぶれていきます。
 遺書も残さずに自殺した彼女の内面を知る唯一の手がかりは杏菜の荷物の中に紛れていた莉花の日記。そこには彼女の死に関して父親、学校ないしは教師、同級生のそれぞれに責任を追及できる内容が記されていました。けれど莉花自身がそのどれをも自殺の直接の原因とは記していない。そのために、彼や彼女が言い逃れできる余地がたっぷりとあった。
 実際、学校が開催した保護者向けの説明会では見苦しい責任の押し付け合いが行われます。私が知る「莉花(さん)」が本当の莉花で、日記に綴られていたのは真実ではない。悪いのはむしろそっちだ!いいや、あなただ!お前だ!!
 事態をさらに混乱させたのは莉花の死後、彼女と思われる喫煙動画がネットに拡散されたことでした。完璧な優等生だった生前のイメージを損なう情報によって「莉花」という人間が一気に分からなくなる。彼女の一番の親友だった栞においてもそうなんです。他人においては言わずもがな。
 栞に関しては生前、莉花からある告白を受けていて、それを誤解したために莉花を酷く傷付けたという自責の念にかられる事情もあった。そのために栞は精神的などん底に沈んでいきます。
 このように誰も彼もが塞ぎがちな目で、自分勝手に莉花のことを思い出していく。その様子は死者に対するある種の暴力のように思えました。


 そんな「莉花」が②の流れの中では杏菜に認識され続ける。それが非常に示唆的で、救いでした。


 あくまで魂として存在するだけで、幽霊のように形を成して何かを伝えることができない「莉花」の思うこと、感じることを杏菜は想像するしかないのですが、だからこそ杏菜は以前の自分なら絶対にしなかった行動を取ることができるようになり、栞とも友人になります。杏菜の中に入った「莉花」の方も、生前とは違い、杏菜の身体を借りて自分の想いを衝動的に伝えられるようになります。
 それぞれに異なる純粋さを持ち、偏った世界に生きて苦しんで来た杏菜と「莉花」が生者と死者として重なり合うことで獲得するバランスは美しく熟した果実を思わせるもので、少女たちに宿る可能性が花開く印象を観る側に与えます。
 しかしながらその奇跡も現実として語ろうと思えば直ちに嘘だと糾弾され、誰にも信じてもらえずに消え去ってしまう。ここに覚えられる悲しみは以前と違った形で杏菜と「莉花」を檻に閉じ込め、再び行き場のない世界へと二人を追いやってしまうのです。
 莉花の死を知った時から杏菜はずっと自問してきました。


「なんで莉花が死んだんだろう。自分じゃなくて」


 杏菜の目に写る大人たちは愚かで卑怯で、最低な人たちばかりです。完璧だと思っていたのは莉花だけ。その莉花も自ら死を選んだ。だから、上記した杏菜の疑問には「もう、どう生きればいいのか分からない」という痛切な思いが溢れています。
 先の保護者向け説明会の会場に下り立ち、その場にいた全員にありったけの思いをぶつけた彼女はその帰り道、初めて母親と本音で会話します。
 「私もかつてあなたのように憤っていた、けれどいつしか社会に順応できるようになっていた。だからあなたも大丈夫、大丈夫」と口にする母親の言葉に杏菜は抵抗しませんでした。純粋さが失われることを前提にする諦めに満ちた内容のように思えるのに、生きてこそ訪れる変化がそこには暗示されていて、そこに満ちる希望を杏菜は見つけたのだと思います。
 その選択を、けれど「莉花」はもう行えません。だからそのラストに向けて二人の別れが近付いていきます。


 劇中、練習パートも含めて何度もスクリーンに映し出されるコンテンポラリーダンスは即興的な身体の動きで自らを文脈化し、周囲にあるもの全てと渾然一体となった表現を可能とするものです。生前の莉花はこれが得意でした。杏菜は完全な劣等生。授業でもやる気を持って取り組んだ事がほとんどありませんでした。
 その彼女が「莉花」と一緒に最後のコンテンポラリーダンスを踊る。
 ここに込められた意味を私は純粋さの終わりを表すものとして解釈しました。
 圧倒的な個の倫理観で周囲を薙ぎ倒そうとしていた杏菜が、自分を変え、世界を変え、一体となって自らの身体で表現をする。その内側に潜む「莉花」の魂とは以前、授業で披露しようとした時にコンフリクションを起こしてしまい、大失敗に終わったのでした。そんな兆しを少しも見せずに踊り明かす杏菜のことを、今度は「莉花」が受け入れた。その変化を楽しんで「笑った」。


 杏菜の元から去る時も「莉花」は変わらないままの色で輝きました。それを見送る杏菜として見せた美絽さんの表情は真に映画の宝物。鋭くも美しい想いの欠片がそこに敷き詰められていました。少女という名の神秘のベールを剥ぎ取り、脈打ってばかりの内実を露わにする傑作です。映画納めにこれ以上相応しい作品はありません。興味がある方は是非。お勧めです。
 

映画『白の果実』レビュー

映画『白の果実』レビュー

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-12-29

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