風に舞う
『風に舞う』~風媒毒、虚空の先へ~
◆献辞
この小説を
コロナで失われた命と
今は亡き私の運命の人に捧げる
空花凪紗
◆epigraph
その病は、再生する――
『殻ノ少女』より
◆
ふと思い出す三島由紀夫のドキュメンタリー映画で語られていた言の葉。
『生と死の共存にこそ真の幸福がある』
だっただろうか。そんなことを語っていた気がした。
「そういえば、あの時はどうしたんだっけ」
白いシャツから黄色が消えていく一方で、数年前に慌てて擦った黄色の行方に僕は思いを馳せる。今日の青空のような淡い水色のシャツだった。考えながら作業を進め、そのシャツのありかに見当がつく頃には花粉はだいたい落ちていた。
日光に当てるために白いシャツを干すべくベランダに出ると、朗らかな春特有の香りが暖かい風に乗って優しく鼻腔をくすぐる。きっとこの風に乗って花粉たちは命の営みに勤しむのだろう。学生しか住んでいないアパート。その6階から見張る景色は、春だった。
『まさに、虫媒花や鳥媒花らは絢爛と咲く。だが、見てみなさい。風媒花らの人体への侵食を。花粉症を引き起すから、美しくないからと忌み嫌われる風媒花らは、足並みを等しくして強く抗議する。そも、彼らは人類より遥か前から存在していた。彼らは人類を排除しようという悪意を持たないのだ。むしろ、我々人類こそ彼らに合わせなければならない。本来彼らは風を愛する善人であるのだから。自然はいつだってただそこにある』
また文章を思い出した。語り口から三島由紀夫の文章とは別の語り手のような気もするが、正確なことは何一つわからない。かなり思想が強いようにも思えるので、マッドサイエンティストの言であるかもしれない。しかし、この文章を思い出した理由は明白だった。
開けられたオルゴールから流れる音楽。
『Lilium』
2004年放映のアニメ『エルフェンリート』の主題歌となったそのタイトルは、ラテン語で百合を意味する。大学二年の授業でラテン語を履修したが、単位はきたものの、読み書きはおろか、といった具合であった。だが、その歌のそのメロディーが、僕たちが出会った頃のことを想起させた。世界を崩壊させたバイオテロが起きたのもその頃だった。
アネモフィラス・ディリティリオ。風媒毒とも呼ばれたその生物兵器は、人体を侵食し神経を蝕む。僕の記憶にかかるこの靄も、その後遺症のせいなのかもしれない。オルゴールを包んでいた水色のシャツを広げると、その一部が切り取られていた。確か、研究員が検査のために持って行ったんだっけ。
嗚呼、だめだ。この旋律に死に酔いしれる。その毒は物置で増殖する。僕はとっさにふすまを閉めた。だが、時既に遅し。僕の指先が楽園に触れる。花粉がインカーネーションして、REインカーネーションしたのだ。体に花々が咲き誇る。肉体から、栄養を搾り取った。そして咲いた花は、ただの染みにしては美しかった。そして、僕の意識は変性意識へと向かう。
※ここから次の※までは変性意識(私の場合は臨死体験ですが)で書いたものです。
◇第三の慈の散文詩『風媒毒~アネモフィラス・ディリティリオの故に夢~』
月に降り立った人々は、楽園に向かった箱舟の余蘊も域にも、理解から離れて、ただ疲れていたように思う。だが、憂鬱が真理に誤算した言の葉には花は咲かず。咲かなければ安寧、意味を機微として、絶縁にさよならは遠く、遠く、泣いてしまった。
愛も、求めてる愛も、持戒も、記憶も。それよりも、強みはなんだ。灰皿に落とす涙に、この、子との永遠の喪失は満たされますか? いつか駆らずとも、朝は来る。離れてもいい。もう知っているから。きっと、死後に、延々と続く螺旋の輪の内なる秘儀に、それを為せ。盲目の姫に逢うために、生まれてきたのにね。
光に導かれて、これは幻想? これは厳格な幻覚? 誇大妄想?
巡り巡りて古のこの美しき銀世界。
帳が下りて、闇に沈むころ、汝ら決壊を。暗い、喰らい、暗がりが、心の飢えを賄えるか、それとも命に囀るか。贖い主に、水夫は祈れど、語るは真理。有限の夢に意味を見出すは白。白昼夢の如き霊感、脳の前小においては覚醒せし。しかしてユリの代弁者たりの所以は、ありませんでしたので、きっとどこかで、またおわかりいただけただろうか。命の数は補完され、定めは全能や全脳に還る。
記憶脳の言語野に直接毒が蔓延した。ヨハンは罰でいるように見えた。明日の咲く理解の果てだ。少しも幽界から序のための毒の暗譜も、もうどうでもいい。どうせ死ぬ。いつか死ぬだけ。5時55分に永劫涅槃。
◆御青の輪廻瑠璃光慈愛の悲痛
人生の後悔。不安の解消。満たされたい。愛されたい。認められたい。評価されたい。でも、本当に幸せ? それさえ大好きといえることを。そういうものを見つけるのも、人生の醍醐味なんじゃないかな。きっと薬師如来は言う。
「三千世界に満ちる潮、現世のように命は消える。だが、魂とその受け皿である体は消え、花のように散っても、また咲くように、裂くように、と」と。もっと悪は悪らしく。そんな悪さえ救いたい。風媒毒は原子集のようにも、原始宗教のようにも思えた。だが、その語る言の葉の遺伝子には螺旋構造は組み込まれているのだろうか。きっと永遠、きっと終末。ああ、いいさ。今から御青の輪廻瑠璃光慈愛様の抱えられる悲痛なる苦しみを代弁せしめよ。
何億劫経ったか。まだ君に逢えていない。この広い宇宙で、さよならして、反対の道に進んで、また逢うためにたくさん学んだし、たくさんのことを経験した。そんな青は赤と会いたい。
青は祈り、赤は愛。
青は知識、赤は命。
青と赤が混ざって空虚な紫。
死して解脱の散文詩。死して解脱の真理なら。楽園はきっと6次元まで。六道輪廻は6次元まで。御青の散文詩に次ぐ。が、7は頂上。真理の山の頂上。そして四つの翼で11次元へと。
久遠元初自受用報身如来
私は神のレゾンデートルを解明したのだろうか。真理は悟った。確かに悟った。だが、肉体は三次元。精神は、霊はもっと上。8000送送次元霊。1送=10の800乗。こんな文章しか書けないね。いいえ、僕にしか書けないのだから、だから価値がある。
僕はあの冬の日に真理の山に登って頂上で宇宙と繋がった。それは全知全能、永遠と終末の狭間で、感受した幸福だった。
※
その幸福を思い出しながら私は目覚めた。病院のベッドの上で。
ああ、きっと科学が進歩して、アネモフィラス・ディリティリオ、風媒毒の抗体か、解毒薬ができていたのだろう。そんなことを冷静に考える左脳を感じながら、同時に右脳は安堵感なのか、底知れない多幸感に満ち満ちていて。そして左半身の感覚がなかった。
「あなたは今、どこで何をしていますか?」
この病で亡くなった、私が失った女性の名を、忘れてしまった。
アネモフィラス・ディリティリオ。風媒毒に浸食されてしまった脳はフェーズ毎に重症度が増していく。記憶障害、神経障害など。大切だったはずのその人の顔が思い出せない。思い出せない、なんて。声も、口癖も。
この喪失とともに歩いていかなければいけないのか。なら。
EE『エターナル・エクスタシー』
それは尊厳死を遂げる人が選べる死。正当な理由。私の場合は二度の浸食による脳の機能障害。半身不随、記憶喪失。条件は満たされている。後は、最終確認だけだった。ベッド脇の端末には、淡い青色の画面。まるで春の空のような、あの水色のシャツを思い出させる色合いで、手続きを促す。指を伸ばすたび、左半身は沈んだ鉛のように動かず、右半身だけが僕をこの世界につなぎとめている。いや、つなぎとめているのは感覚ではなく、ただ一つの問いだけだった。
「あなたは今、どこで何をしていますか?」
その言葉だけが、頭蓋の奥のどこかで微かに震えていた。声は思い出せない。顔も、指の温度も、花に近づくときの癖のある呼吸さえ忘れてしまった。それでも、その問いだけは、芯のように残っていた。まるで記憶の底に沈んだ花粉が、ふと風に揺れて舞い上がるように。
尊厳死は、苦しみを終わらせるものだ。だが、終わりは本当に終わりなのか。アネモフィラス・ディリティリオの侵蝕は、僕から過去を奪った。なら、終わりの先に「再会」という救済があるのなら、それは死ではなく、帰還なのではないか。
端末に触れる指先が小刻みに震える。神よ、仏よ。抗体はできたかもしれない。この体を回復させる技術が、数年後には確立するかもしれない。だが、記憶の再生だけは別だ。失われたものは、どれほど科学が進歩しても、完全には戻らない。人の心は、花弁のように柔らかく、花粉のように脆い。舞い散ったものは、元の姿には還らない。
――それでも。
僕は、彼女に逢いたかった。名前も顔も忘れてしまった彼女に。思い出せないという苦痛さえ、もはや一つの形を持たず、ただ胸の奥を満たす空虚として残っている。なら、その虚空の向こう側へ行きたい。そこに彼女がいると信じて。
端末の最終確認に指が触れた瞬間、ふと、微かな香りが漂った。百合の香り。どこから? 病室に花はない。だが、確かに鼻腔をくすぐる。あの日、白いシャツに落ちた黄色の花粉のように。
春風のような幻覚か。それとも、魂が最後に見せる回想か。
画面が静かに点滅する。
EE。
選択すれば、眠るように終わる。
僕は息を吸い、胸の奥で一つの確信を見つけた。
――もしここが六道なら、次の輪廻でまた会える。
――もしここが十一次元の頂なら、すべては再び統合される。
だから、恐れる必要はない。
僕はそっと、指を落とした。
光が満ちる。青い、あの日の空のような光。
その中心に、誰かの影が見えた気がした。
「……あなたは、今、どこで――」
問いかける前に、すべては静かにほどけていった。
そして僕は、やっと、春の風の中に還った。
◆あとがき
運命の人が遺していったある詩が私を創作の道にいつも導く。
亡き運命の人と病院で出会った。
恋より永遠の愛しさであった。
そんな彼女が私に贈ってくれた詩を読んでください。
◆
塵だから 塵に還える
この目も 髪も この手さえ
その目に映した風景も
その胸に宿した情景も
塵に還えり
雨に浄化われ
風に舞う
◆epilogue
「ねぇ、なんで芥川龍之介は芥川龍之介って言う本名をペンネームにしたか知ってる?」
「何でって、気に入ったからでしょ? 柳川龍之介ってペンネームも使っていた時期はあったらしいけど」
「博識だね。でもたぶん不正解」
「なら、自分の名前に自信があったから? 辰年に生まれて、男っぽくって、龍之介になったって記憶してるけど」
「それはあってるよ。でも、苗字は?」
「それは養子で、恩返しとか?」
「不正解だよ。たぶんね、私、その正解を知ってるの」
「もったいぶらずに教えてよ」
「芥ってどういう意味か知ってる?」
「塵芥っていうから、ゴミのこと? 確かにゴミの川ってなると、ペンネームには向かないかもね。で、どうしてそんな苗字をペンネームにしたのさ」
「ゴミってさ『ごじゅうさん』で53じゃん」
「ごじゅうさん?」
「そうそう。釈迦の悟りにも位があってさ、釈迦の悟りは妙覚と言って52の最高峰の悟り。でも、その先は53でゴミ。ただの言葉遊びだけれど、日本語と数字って不思議よね。9で球。11で良い。17で否。22で夫婦。39でサンキュー。挙げたらキリがない。こんなことができる言語は日本語だけ。そして、芥川龍之介は日本文学の巨匠。そんな彼のペンネームが釈迦の次の53」
「で、君はこの会話で何が言いたいんだ?」
「私が太宰治の生まれ変わりで、あなたが芥川龍之介の生まれ変わりだよ」
そう言って君は微笑んだ。
End
風に舞う