映画『ラストマン -FIRST LOVE-』レビュー
①相当程度のネタバレを含みます。事前情報なしに鑑賞したい方はご注意下さい。
副題にある通り、皆実広見とナギサ・イワノワの初恋が物語の核となっているのが非常に良かったです。
物語の後半の見せ場で、皆実はラスボス的な存在から自身の行動原理について激しく問われます。目が不自由な社会的弱者のくせに自ら死地に飛び込み、傷付けられようとしている者を必死に助けようとする彼が理解不能な化け物に思えてしまったからです。これに対してラストマンははっきりとこう答えます。
「愛されたことがあるからです。」
こうして文字にすると随分とチープな台詞だと思われるかもしれませんが、劇中で何度も描かれるナギサとの思い出を背景に振り返るとただの綺麗事じゃ収まらない信念の現れとなっているのが分かります。というのも心太朗と同じように例の事件の後、理不尽な目にあってきた若かりし頃の皆実にとって何の理由もなく救いの手を差し伸べてくれたナギサは文字通り、人間が持つ可能性を信じさせてくれる女神でした。屈託なく皆実に寄り添い、共にいてくれる彼女がいたから皆実に「見える」世界は色付き、広がったのです。
テレビシリーズでもずっと言ってましたよね。「私は一人では何もできない、誰かの助けを必要としている」。この「誰か」として彼を愛してくれたのがナギサです。そして、その「誰か」になってくれる人は彼女以外にも沢山いたんです。その有難さ、大切さを知るからこそ彼は「誰か」が損なわれるのを見過ごせない。それが彼の揺るぎない正義で、その始まりともいうべきFirst Loveだった。そんなラストマンの原点にして、最新の現在地がスクリーン上に展開するんですよ?ファンとしてこれほど嬉しいことはない。感涙です😭
事件については深く絡んでくるテクノロジーが倫理的に問題があるものばかりで、その有用性に目が眩み、技術を扱う人間が非人間的になることを見逃さないクリティカルな視点が劇中で明瞭に提示されます。それを軸にして大局的な利益を振りかざす国家の理屈に対して一歩も引かずに足掻く個人の強さ、意志の輝きを描くのが主なストーリーラインです。どんでん返しも勿論、仕掛けられています。そこに絡んでくる皆実とナギサのラストエピソードが上質なヒューマンドラマになっているのが最高の隠し味です。
皆実とナギサが最初の別れを迎える時、二人は別の時間軸を生きていました。両親の死の真相を追うためにFBI捜査官になることを決めていた皆実は過去に生き、そんな彼との未来をナギサは切望していた。そこで分たれた道が取り返しのつかない形になり、二度と取り戻せない結末を生んだ。
そんなナギサは皆実との思い出を遺していました。その内容をもってラストエピソードが始まるのですが、スクリーンに映るそれは皆実にとって過去の記録の再生では終わらないんですよね。向こうから聞こえてくるナギサの声がトリガーとなって、視覚情報以外の情報で構築されたイメージが彼の中で立ち上がっていく。見えないからこそ鮮明に蘇るそれは紛れもない彼の現実です。そこにナギサは「生きている」。技術が可能にしたその邂逅は、機能的に説明可能な脳内の情報処理が生み出した人の心をも包み込んでいきます。電子工学を専攻したナギサと、心理学を修めた皆実の二人が交わることで描かれる技術と感情の軌跡。それはまたナギサもの娘、ニナの未来へと繋がっていきます。過去と未来、そして現在が綾なすこのドラマ性こそ劇場版の面白さです。その要所、要所でほぼ大泉洋と化した護道心太朗が観客を笑かしにかかったり、テレビシリーズよりカッコいい活躍を見せるんだから『ラストマン』は年末に楽しむべきエンタメ作品として万人にお勧めできます。泣き笑い必至なのでハンカチ持参、アグリー上等で劇場へ足を向けて欲しい。大満足の一作です。
映画『ラストマン -FIRST LOVE-』レビュー