一度きりの永遠
由梨と修二は幼稚園からの幼馴染、ふたりはしばしば小川の傍で、花を摘んで遊んでいたのだった。
団地住まい、くわえて学校社会で重視されるような取り柄をこれといってもたない修二と、成績優秀、家柄の上品な由梨との関係にいじわるな声を投げるクラスメイトはたしかに多くいたのだけれど、しかし由梨は、修二の生き物に対する優しさ、あらゆる命への慈しみのこころを尊重していて、やや自分の世界に籠りがちなところはあったけれど、ゆっくりと言葉をえらびながら相手を傷つけない言葉を差しだす性格にもまた、友人としての好感をもっていたのだった。
ふたりの雰囲気には、けっしてあまやかな恋愛のそれはない。
たとえば美しい花を差しだすせつな、ほんのすこし双のゆびさきが触れたとしても、その現象はまるで風が睫をふっと揺らしたくらいの自然さをしか薫らせないのであって、その後は何事もなかったかのようにつぎのうごきへとうつりかわる。ふたりがそういう関係性であったのは互いが小学生だったからというのもあったかもしれないけれど、由梨は修二に友人以上の気持をもたなかったし、修二だってそうにちがいないとかんがえていたのだった。
「修くんはね、」
と由梨は訊いたことがある。まっしろなアネモネがやや風に身を折り揺れていて、まるでふたりのお話に耳を澄ませているかのよう。
「将来、何になりたいの?」
「僕はね、」
とはにかみながらいう。
「詩人になりたい。誰にもいわないで。由梨ちゃんにしかいわないから」
「うん、いわない」
「約束だよ?」
「もちろん」
「由梨ちゃんはなにになりたい?」
「私はね」
修二が、ひたむきな視線を彼女にそそいでいる。かれの眼差しは、いつも、真剣にみえすぎる。それがかれに、同級生たちから軽蔑の目をなげられるわけの一つでもあるようなのだった。
「永遠に。永遠になりたい。歴史に名を遺したいとかじゃなくて、わたしが存在したって証が何処か、天でもいいから、残ってほしい」
「うん、うん」
「笑わないの?」
「こういう時に詩人ってこたえる人間は、そういう真剣でロマンチックな言葉を笑わないんだよ」
「詩人って、素敵なひとたちだね」
「そうだよ。一度きりの人生を、詩みたいな殆どのひとに縁がないものに使ってしまって、ときにひとりぼっちで不幸に飛びこんで、まるで人生を台無しにしちゃうんだ。ぼくの好きな詩人にかぎれば、詩と淋しさだけを抱き締めているひとたちなんだ。変わってる、ほんとうにおかしい、でも、素敵なひとたちだよ」
「そうだよね、一度きりだもんね、」
由梨はとおくを眺めて、しらじらとした陰翳をたなびかせる曇天が、ふっと美しくみえた瞬間をたのしむ。
「一度きり。人生は、一度きりなんだ。軽いね。まるで空に舞い上がる花びらみたいに軽い。だからわたし、永遠に憧れるんだと、想う」
*
由梨は中学から有名私立に入り、ふたりは会うことがすくなくなった。
大学病院で医師として勤務する父の影響で、由梨は医者をめざすことにし、時々修二に誘われても勉強を理由に断るようになった。勉強をしていると、窓の下から公立中学の少年達、近所の自転車で遊びまわっている元同級生たちがみえて、なんだかかれらがバカみたいにみえてきた。
修二ときたら、噂によると高校から友達がひとりもいなくなっていて(元々少なかったのだけれども)、いつも教室で本を読むか、図書室にいるらしい。もう、会う理由は見つからないのだった。
由梨、はや水平線のうえにあるのか、あるいは不在なのかまったくもって曖昧な「永遠」だなんて、ぜんぜん信じていなかった。自分のことをだって信じていなく、ただ実績で周囲からの期待にこたえ現実の理不尽を撥ねかえすことが、「わたしは人生を生きているのだ」ということを、自他へ示すように想っていた。
いまをみすえ、現実に立ち、前を前を歩いていた。
由梨は、そういう生き方をしていたのだった。
*
関東にある第一志望の医学部には落ちたけれど、地元の国立大医学部に合格し、医大生となった由梨は、実家から大学に通うようになった。修二がなにをしているのか解らなかったけれど、高校を中退したことだけは知っていた。しかしかれが現在どうであるかなんて、殆ど考えもしていなかったのだった。
彼女の通う医学部には教養課程があって、すこしのあいだ詩の講義をとらざるをえないことになっていた。そこで久々に、修二のことを想いだした。
効率主義である由梨は、まずネットで詩の論文を読んでみて、現代の詩のシーンの風潮のおおまかな概要をつかんだところで、やや悪趣味な好奇心もあって、「ネット詩」なるものを検索してみた。「夜空文庫」というサイトを覗いてみる。
瀬戸修二。
偶然に見付かった、懐かしい名前。ネット詩人として本名を出しているのだとしたら、なんだか、こっちが気恥ずかしい気持にもなる。本名でやっているのか、べつの人間のペンネームなのか、あるいは同姓同名の別人か、気になってクリックをすると、プロフィール画面へととんだ。
僕は僕の言葉を、永遠という風景へまっさらに翔ばしてしまいたい、その翳をさかしまの城として、観念の深みのふかみに宿る湖に沈め磔にしてみたいのだ。
自分で書いたのであろうそんなキャッチコピー(?)があって、幾つかの詩が載っていた。そのなかにあった一つは花を摘む少年少女の詩、また永遠に焦がれる少女の眸の美しさのべつの詩もあって、はやかれとの記憶が朧げである由梨をして、それがみずからとの追憶を糧に書いていると解らせてしまったのだった。
こんなに執着されてたんだ。いくぶん、いやかなりの怖さもあったけれど、ほんのすこしの嬉しさもある。なぜって、彼女はべつに修二のことがキライになったわけではないからだ。
そして、一つめの「花を摘むふたり」という詩のあとがきにあるこの言葉に、由梨、どうしようもない切情が込みあがるのと、なにか奥でしんと籠るような冷め果てた自分の心情を自覚し、このギャップは果してなんなのかしらと想うのだった。
「僕には幼稚園以来片想いしているひとがいます。もう、あらゆる意味で僕とは遠いところにいってしまった女性です。
文学には、「永遠の女性」という概念があります。僕はささやかな活動をしている無名のネット詩人ですが、彼女を、僕の文学の「永遠の女性」にしようと、ひそかに企んでいるのです」
由梨は、黙ってPCを閉じた。閉じ際、プロフィールにメールアドレスが載ってあるのは見え、「感想くれたらうれしいです」という言葉をみてとった。ここで、かれはいま非情なほどの苦痛に満ちた孤独にあるのではないかという疑いが、不穏な翼の翳がさっとよぎるようにして脳裏にはしった。独り善がり。閉鎖的。気持ち悪い。そう感じてしまった。
当事者にとり一途の価値とは、おおくの場合、いうまでもなく関係性のなかに宿る。
*
なんらかの気持──憐憫、幼馴染の現状への気がかりな感情、好奇心、否なんともいえまい──そんな不可解な感情にあやつられて、由梨は次の朝メールを送っていた。
「はじめまして。私は十八の女で、大学生です。
瀬戸さんの詩を読みました。そのなかにある「花を摘むふたり」という詩、すごく純粋にそのひとのことを想っているんだなというのがつたわってきて、素敵な詩だと思いました。一途なんですね。瀬戸さんは、大学生ですか?」
大学に行ける経済状況ではないと推測できるけれど、いま、なにをして生活をしているのかが知りたくなっていた。
夜に返信が来た。
「メールありがとうございます!
わあ、はじめて感想メールが来たので驚いて動揺していて、でも、すっごく嬉しい気持です! ほんとうに、ほんとうに素敵な女の子だったんです。自分でも執着しすぎてて引いちゃいます。あなたは、詩は好きですか?
僕は工場で、ネジを延々とつくっています。憧れの思想家がそういう仕事をしていたので、まねっこです。大学に行けたら、仏文科がよかったな。あなたはなにを勉強されていますか?
ほんとうに、連絡ありがとうございます。嬉しくて、うれしくて、ちょっぴり泣いちゃいました」
なんだか、小学生時代の修二の声で再生できた。ピュアなのだろうか。そのままなのだろうか。なんといえばいいのだろう。大人になれない男。そんな感じがした。
気づくと返信してしまっていた。
「返信ありがとうございます。
そんなに喜んでいただいて嬉しいです。素敵なひとだったんですね。どんな性格でしたか?
詩は、あまり読みません。でも、瀬戸さんの詩は好きです。
憧れの人と同じ仕事をするって素敵ですね。私も、医師である父に憧れて、医学部に入りました」
送信。マウントをとった覚えはないが、医学部というと勝手にそう認定される風潮がある。由梨は、それに疲れてきている。さて、かれはどう出るだろうか。
次の日の夜に返信が来た。
「優しいひとでした。努力家でした。ロマンチックでもあって、つよくやさしい女性でした。純粋でもありました。
医学部すごいですね。憧れのひとをみすえて実際に達成のむずかしい証を残したという、その努力と実績をとても尊敬します」
片恋相手の美化。それだった。男のひとの、かなしくも愚かな性情。そう想った。
優しくなんかない。わたしは、現在あなたの文章を冷然な眼で眺めている。強くなんかなんかない。無理をしているだけだ。ロマンチックだなんて、大人への誉め言葉なんかじゃない。純粋なんかじゃない。唯、当時こどもだっただけだ。もし幼児性のロマンティシズムを純粋というのだとしたら、わたし、とっくの昔にそれを踏越えている。そうかんがえた由梨、はやメールをするのをやめようと想った。
*
二か月後に修二の詩の更新を確認すると、あの日から新しい文章は投稿されていなかった。
「由梨」
と母に呼ばれ、
「なに?」
と苛立たしげにかえすと、
「修二くん、工場の事故で亡くなったらしいよ」
という言葉を放たれた。
しばらく呆然とした由梨、涙を流すことはなかったのだが、なにか憐れみのような感情に操作され、恋をされた女としての義務を果たすように、「花を摘むふたり」をコピペしPDFにしたが、数日も経てばそのことを忘れ、時々修二の死を想いだすことはあったが、新しい恋人ができてからは勉学と恋愛に追われてそれすらほとんどなくなった。
*
(中略)
ぼくは信じてもいるのだ、愛と信頼とは同義語であると!
それをすら信じ抜くことができないのなら、
その余りをすら信じることはできまい なにもかも!
風に吹かれ天空へ侍る花の風景に ぼくは永遠をみつけるのだ
永遠──永遠とは信じつづけるということ 祈り
永遠──永遠とは不断に信頼を積みあげる意志だ、
ひとの営みはくりかえされた ひとの愛は円舞する
風に吹かれ天空へ侍る花の風景を ぼくは愛し信頼するのだ
──「永遠の歌」 瀬戸修二
*
新しい恋人からの愛情は由梨をくるしめた、かれの人間不信は恋人への侮辱と支配に現れて、それはもしやかれの自己への不信に由来していたのかもしれない。
彼女をだってみずからをなにも信頼していないし、医大生で成績優秀、そして努力家だという条件を満たさないとわが身の存在を承認さえもできない。永遠という言葉は読解すらできず、ただ、くるしい刹那刹那を生活に圧しこめてぐいぐいと前へ押しだして、疲弊の顔をすら隠しつづける日々、彼女は憩いを求めて、否、幼少期の気楽な、あたたかみに満ちた追憶に縋るようになった。幼児退行。そう嗤うことで自尊心を守りながら。されどその思い出を抱き締めてみると、それ等観念は砂の光のようにはらはらと毀れおちて、腕にはなにも残らないような心地。かの日々は、はや無いのだから。
由梨は藁をも縋る気持で修二の詩を読もうとした、それを媒介として、かの日々に浸ろうと想ったのだ。「夜空文庫」と検索する。
サイトはなかった。はや閉鎖されてしまったのだ。
SNSで「瀬戸修二」と検索すると5もないくらいで詩を紹介されていたが、かれの文章じたいは殆どない。
彼女は「花を摘むふたり」をPDFにしていたことを想い起こし、それをひらく。その詩の最後の文章を読む。
ぼくは彼女の心の美しさを信じることができたから、
ぼくはぼくの一領域を抱き締めることができる、
其処はましろのアネモネの花畑、人々は深みの花で林立しえる
彼女の「あなた」は美しかった、小河の傍らの赤誠は水音に寄せる。
小河のそばで、少年少女が花を摘んでいる
あなたに花を手渡されて、ふっと ゆびとゆびとが触れたとき、
ぼくは、あなたの深みの美しさを信じえたのだ、
それは素朴な心が綺麗なゆびへ透るような光 あなたの優しさが好きでした
*
間違っている。ほとんどが誤りである。されど──。
由梨はPDFにし保存していた唯一篇を印刷し、データを削除した。コンピュータ内のゴミ箱を空にした。もう、彼女のみることのできるかれの詩はこれが唯一であった。
彼女はどうしようもない、あるいは「良心」としかいいようのない不合理な感情に操作されて、その紙片を、かの小河の傍に埋めようと想ったのだ。
優しいひと気取りみたい。
そう自分を嗤った彼女、「優しいひとでした」、そんな、あまりに無垢にすぎる、まるで由梨の善なるこころを、こころの根っこから信頼しているような犬死詩人の言葉を想いだし、「わたしはそんなんじゃない、美化してほしくない」という現在も鳴る訝りを不協な音楽とたたみこむようにこころの内へ内へと圧しつけ、それと相反するようにわきあがるどっと熱くもかなしい感情、「わたしは、他者に信頼されていたんだ」という切情、彼女に涙をながさせた。ひさびさの涙であった。
かれのそれはいうまでもなく愚かで、不合理で、ほとんどまちがっているといってもいい信頼であったが、由梨はその信頼を、美しいと想った。唯、無意味に美しいとだけ想った。美しいだけ。美しいだけであった。
しかしこの美は、まるで彼女に我欲をわすれさせるようにして空無にただよわせる。ふしぎな現象だった。
かれの書いたように、愛と信頼がもし同意語であるのなら、それは厳然としてまちがっているのだ、優しい大人に囲まれ性善説をうたがわぬ、甘ったれた子供のそれなのだ。
しかしただしい信頼なんて、ましてやただしい愛なんて、いったいこの世にあるかしら。
俗悪-美。ああ。それだけが、ひとの生きるうごきの美であろうか。
由梨は家を出る。ゆっくりと、しかし、ひたむきに歩む。脳裏にはみたことすらない、淋しさを噛みしめ噛みしめ詩をつづる、かの犬死した詩人のイメージが漂う。
こつぜんと背後で音が鳴る。由梨の在る方向へトラックが揺れ横転寸前となったのだ、せつな、由梨は手にもっていた紙片が風と逆行してその方向のさらに向こう側へ飛びあがったために、すれすれのところで衝突事故を避けられた。しかしその紙片を彼女がつかむことはできなかったのだった、それ壁に打たれ、ずたと疵を負い、風に従ってトラック側へ舞い、おおきな音を立て形勢を立てなおす大型車の下へ、呑まれるようにひきよせられていったのだった。
…かれの詩篇はトラックに轢死され、悲痛なる無音を音楽させた、あまりにかろやかにすぎるひとの生というもの、その無数の無明を唯一の光として鮮やかに閃かし、砕け、風と舞い上がり、花のようなかるさで霧消した。
たしかに、たしかにこの風景の一刹那は、無数を侍らせる永遠のようにもみまがった。
何故ってひとは、このさみしい俗悪-美の恋の歌を、刹那張る風景として、くりかえし、くりかえし営んできたのだから。
一度きりの永遠