映画『無明の橋』レビュー

 本作は幼かった娘を亡くし失意のどん底にある主人公、由紀子の再起を描く作品です。その鍵を握るのは「布橋灌頂会」という儀式。富山県の立山で催されるこの儀式は、かつて女人禁制であった霊山に入れない女性たちのために誕生しました。死装束を身に付け、現世にかかる橋の手前からあの世に通じる橋の向こう側へと渡ることで死と再生を果たし、罪が洗い流された状態で極楽浄土に行けるとするものです。三途の川にかかる布橋は彼岸と此岸をくぐり抜けることを可能とする境界線として機能します。人はそこで生きながらにして魂が剥き出しになる。普段、死んだように生きている由紀子が救済されるなら「ここ」しかない。
 その過程を映像化するにあたり本作はスクリーンに映し出される映像が夢なのか、現なのかのジャッジ権を観客から奪い取ります。嘘を本当にすることができる映画ならではの手法で映像の真偽が何度も覆されていくのです。それが次第にファンタジーのような飛躍を獲得し始め、起こり得ないはずの魂の交流に真実味を与えていきます。由紀子はその全部に関わっていくのです。
 彼女に関わる登場人物もこの辺りから一気に増えるのですがその中心的な役割を果たす女子高校生、鶴野沙梨を演じられた陣野小和さんが本当に素晴らしかった。
 明るい性格の沙梨は「布橋灌頂会」で繋がった縁を活かして、狭まっていくばかりだった由紀子の世界を一気に押し広げていく重要人物ですが、その輝ける姿も、夜の深まりと共に次第に見えにくくなっていきます。本当に存在するのかが分からなくなるようなそのフェードアウトを迎えるまでに、沙梨というキャラクターにどれだけの説得力を残せるか。そこが演技の勝負所だったと思うのですが、陣野さんはその表情や動作の変化で「鶴野沙梨」という人物像を魅力的に立ち上がらせていて、観てるこちらが「本当にいて欲しい!」と願わざるを得ないぐらいの存在感を発揮していました。
 そこに加わる吉田夏菜=木竜麻生さんの演技もまた珠玉で、年齢差のある由紀子と沙梨の間に立って関係性に確かな変化を齎していきます。夏菜が加わる前と後ではまた物語の雰囲気が全然違うんです。それは単に話せる話題が増えたというのに止まりません。沙梨よりは長く生きて、けれど由紀子に比べればまだまだ短い人生を生きる夏菜を介して沙梨が覚える不安や、由紀子が口にできない希望の意味が問い直されていくのです。そんな夏菜が渇望する本当の自分は由紀子は勿論、沙梨にとっても大切なポイントになっていきます。
 そんな二人に感化されて、どんどん表に現れ出す由紀子の変化を言葉に頼らずに演じ切られた渡辺真起子さんはただただ圧巻の名演技。上映開始から10分経っても一言も発しない脚本なんてリスクでしかないと思って観てたのですが、それでも席を立つ気が微塵も起きなかったのは、痛みの塊として川底を転がり続けるような由紀子から目が離せなかったから。この人のことを最後まで知らなければならない、と渡辺真起子さんが映画の冒頭から語りかけてくれたお陰なのです。
 世代を超えて交わる俳優たちが見せる化学反応は観客席で味わえる映画の幸せでした。終始淡々としていて、人によっては苦手とするタイプの映画かもしれませんが、クオリティはとても高い映画だったので興味がある方は是非。お勧めです。

映画『無明の橋』レビュー

映画『無明の橋』レビュー

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2025-12-23

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