恋した瞬間、世界が終わる 第13部 白妙の衣手
第12部 白妙の衣手 編
第96話「全速力の時をかけて」
赤い星は、その質量を高めるために
ありとあらゆる生命の線を掠め取る
「君は……古代エジプトの神官だね」
GIは、私の裏側にある面影や名残りなど遠景にあるものを視ているようだった
「私……いや、僕はどれほどの間違いを犯してきたのかな?」
「あなたは、預言者であり
神託を贈る者でもあり
そして、詩人でした」
「その記憶は残っているよ」
「またある時は、ブログを書き留める青年だった」
「その記憶も思い出せる」
「あなたは何度も何度も、僕……【私】によって復元されてきました」
「なぜ、そこまでして君は僕を復元させてきたんだい?」
GIは、まだ遠景にあるものを視ていた
「……あなたは、【私】の遠く、長い、友人だからです」
「君は、その長い長い年月の中で、僕が想像するよりもずっと多くの人々と出会い、話し、触れ合い、時間を共に過ごしてきたのだろう。そんな幾千、幾万、そんな人々を通じて、僕を選んだその記憶を大切にしてきたわけか」
「間違いを犯してきたのは【私】です
なぜなら、あなたの死を受け入れられず
人身御供のように人々を巻き込み
時間を行ったり来たりさせて
過去を加速させてきたのですから」
「それはおそらく……本当の“こと”なんだろう。だけど、それだけの理由じゃないんだろう? 良いか悪いか、この面と裏とを取り違えてしまっている環境下が、僕の記憶に作用でもしたのだろうか?」
「それは、この世のシステムと相関関係していたとも云えます
何かが作用すれば、何かに反作用もします
極端が、極端を生むということです」
「あのサッフォーとかいうのは、いったい何なんだい?
それに、さっきの君によく似た赤い仮面の男は?
ココや、真知子は……リリアナは?」
ブレインwi-fiが起動するーー
骨伝導を通じて、近い過去の誰かが聴いていた音楽ーープッチーニの弦楽四重奏「菊の花」が流れたーー
「それではさっきの男は誰なんだい?」
「あれは、僕の兄弟です」
「弟さんかな?」
「弟でもあり兄でもある存在です」
「【片割れ】ということだね?」
GIは頷くこともせず、車のヘッドライトの照明だけを頼りとした周囲を見渡した
「早川真知子が無事であるか確認したい」
私は、暗がりの中で真知子が床に崩れ落ちた場所の方を指さした
「GI……真知子はきっともう…」
GIは真知子がいるであろう方向へ向かっていった。そこはヘッドライトの死角となっていた場所でもあり、徐々に暗がりの中に消えてゆくGIの姿を目で追った。
私の居る場所から確認できたのはそこまでだったーー
ーーnew leavesと、サッフォーの意のままの来客たちとの交戦がピタッとやんだ
何が起きたのか分からないでいる私に話しかける男がいた
「君にいつだったか余命の中で、タバコを吸うことの価値について話した」
私はその記憶を思い起こして、声の方を振り向いた
そこには片眼のないGIが立っていた
「いつかあなたに話しかけた僕は、誰かの記憶の断片だったね」
「君は、反発者で開発メンバーだったはずだが?」
「情報操作が必要だったというわけだ」
「なぜ?」
「それは、匂いを思い出すということだ
そして誰かの面影を感じる
誰かとの記憶を思い起こす
誰かとの記憶を振り返りたい
そういうことだった」
「君の記憶は偽りなのかい? それとも経験したことなのかい?」
「思い出したかったのさ
妻と出会った若い頃に吸っていたタバコの匂いを」
僕は、GIの中に流れた時間の信憑性は問わないことにした
「あなたに“あの煙”を、古代ギリシャのあの時の煙を、再びあなたに宿す必要があったからです」
GIはそういうと、右手を気にしている素振りを見せた
「怪我をしているのかい?」
私が訊ねると、GIは疲労感を浮かべた表情で首を横に振った
「サッフォーの目的を阻止しなければならない」
「君の助言には従うよ」
「行きましょう
もうすぐ“あの3日目”が訪れる」
ーーわたしの耳に通り過ぎてゆく車のエンジン音が届き
わずかに、薄らと、黒塗りの車が見えたのち、左眼に痛みが走りました
違和感ーーと同時に何か覚えのある肉体的な苦痛が背骨を駆け抜けていったのですーー立ち上がるとーー痛みを通じたそのトンネルの中で眼を慣らす時間が必要なことに気づきましたーーわたしの眼のトンネルの中ーーおぼろげな日常が姿を見せーー正午過ぎーー雲がピタッと、空に貼り付いて止まっていましたーー
買い物予定だった本やらは不意に必要のないものに変わりーー急に素顔が表に晒されたみたいに、考えることが別にあったように思いましたーー寄り道をすることになりましたーー道に、音楽だけが流れるようにーー行き交う人たちは話しをやめていましたーーイヤホン、ブレインWi-Fi、わたしたちは運命に溶けていましたーー正午過ぎーー雲がピタッと空に張り付いてーー不意に、別に、何かーー視界が開けすぎて、隙間を埋めようとしていましたーー神社まで歩きました、通り過ぎずにーー向かい合わせた鳥居の前で、雲に影が見え始めましたーー境内を踏んでいる、足跡が見えますーー雨が落ちました
雨宿りの神社
砂利を土砂降りが踏み始めました
雨音が大きくなり、わたしたちを溢れさせていました
わたしたちが解けてゆくーーそのカーテンの先でーー誰かが見ていたはずですーー不意にーーそうーーわたしは“早川真知子”ではないということーーじゃあ一体、わたしは誰なの?ーー急な雨に打たれていましたーーそして、雲はまた空に張り付きましたーーその眼は別なトンネルへと通じてーー
ーーわたしは一生懸命になって、
あの場所を探し回る
“あの”角にあったお店を
わたしは、田舎を
わたしの、田舎道を
わたしの、心の中を
トンネルのーー “透明な歩廊” ーーを探し回る
記憶の中で
わたしは、大好きなばあばを
わたしは、
ココを
そのトンネルで探し出す
世界は終わらない
恋した瞬間、世界が変わるーー
トンネルの先にーー あの後ろ姿が
ーートンネルを抜けると、自動販売機が置かれていました
わたしがそこにダイドーの文字を見つけると、
また左眼に痛みが走り、その痛みが背骨を駆け抜けながら【誰かの“記憶”】を流し伝えていったのですーー
人は変わってしまうもの
だけど、
人は変わることが出来るーー
物語の波形に、似たような、似せたような、似通った
でも異なる
何処に、あの娘は登場したのか?
【私】は、探した
あの娘が居た物語を
登場は一回
一つの物語上にだけ
雛形の原書(原初)から、様々に伸びていった展開ーー
モチーフから、枝分かれして、姿形を変えて
あの娘に似た登場人物たち
混血されていった
でも、あの娘は、あの娘だけなんだ
声や仕草、姿形が似ていたとしても
もう出逢えない人
だから
累積された時間
無駄な時間などなく
消えた時間などなく
見つめたーー
忘れ去られたクローンの群れ
この空間の中に閉ざされた可能性
ひとつ、ひとつが光となり、唄となって
乱反射しながら【私】の記憶を掠めてゆく
「そうか、
こうやって
誰かの犠牲で
時をかけて」
眼前には乱反射する光の群れが通り過ぎ
人工的に思っていたものが、柔らかな笑みを浮かべている
人の群れをかい潜り
光の漏れの下へと走り抜けて、辿り着いた
そこで炎上する煙を
【私】は最期に観るだろう
そこでは、唄が舞っているだろうか?
そこでは、帰る家を失ったのだろうか?
そこでは、忘れ去れられた唄がただ舞っている
「間に合った?」
「ぎりぎりセーフだね」
「あなたの遺伝子
それで、きっとわたしは変わってしまう」
「でも、それでも
わたしは、
あなたが好きだと言いたい」
ーーわたしが歩いて向かったのは近所の自動販売機
小銭だけ
ポケットに忍ばせて
落とさないように、無くさないように
それ以上の価値があるように
たどり着いたのは
自分の喉を癒す人工的な灯り
安っぽい雰囲気の幸せ
それ以上の価値があるように
何か良いことでもあるかのように
願いを込めた120円
そう、120円の頃がありました
小銭の分だけ
ポケットに忍ばせ
落とさないように、無くさないように
今以上の価値が降り注ぐように
いつの間にか失ったことが
頭の中で居場所を作り
路頭に顔を出す
本当のことを見つけたい
知りたい
生きていることが
忘れずに
生きていたい
居場所は駐車場の中
車内の安息がいつしか曇り
冷えてゆく身体
信じられることを見つけたい
知りたい
生きていること
忘れずにいたい
生きてきたこと
ここでは見つけられず
路頭に迷う車
仕方なく帰る場所がある
いつもの街灯が照らす
仕方なく帰る場所に導く
繰り返し、繰り返し
いつもの街灯が照らす道
抜け道がある
きっと底のほうにね
溜まっているそれを掻き分けて
そしたら見つかる
見つけられるか?
積み上げてきてしまった
いろんな悲しみ
それの多さに底さえ見えない
命が見える
自分の命が見える
抜け道がある
きっと底のほうにね
溜まっているそれを掻き分けたら
そしたら見つかる
意思表示
いつの間にか失ったことが
頭の中で居場所を作り
路頭に顔を出す
本当のことを見つけたい
知りたい
生きていることが
忘れずに
生きていたい
居場所は駐車場の中
車内の安息がいつしか曇り
冷えてゆく身体
信じられることを見つけたい
知りたい
生きていること
忘れずにいたい
生きてきたこと
ここでは見つけられず
路頭に迷う車
仕方なく帰る場所がある
いつもの街灯が照らす
仕方なく帰る場所に導く
繰り返し、繰り返し
いつもの街灯が照らす道
ひとつの街灯に
ひとつのシルエット
舞台のように
そこに来る人を待ち続ける
闇夜に紛れた物事
闇夜に紛れた約束事
いつか光りが輝きだす
そこに来る人を待ち続ける
ひとつの街灯の下に、注がれた光度の中に
散りばめられた希望がある
そこから、闇夜に紛れてゆく覚悟
スポットライトを外れて、誰かに会いに行く
待ち続ける時間を経て、光を闇夜の先に見出して
降り注いだ願い事が、いつか輝きだすから私がいる
私がいるから、光を当て、前があり、後ろがあり続ける
自分次第の街灯を、照らし
ーーわたしは会いに行きたい
こんなことは、二度とない
こんな人には、二度と出会えない
消えてしまったの
二度目があると思える?
そんな嘘のようなこと、信じられる?
でも、どうしようもなく引っかかって
抜け出せない
だから、あの人は消えてしまったわ
もういない
もう現れない
自分に言って聞かせてみたの
てもダメだった
だから、あの人は消えてしまったわ
もういない
もうあの人は現れないの
自分に言って聞かせてみたの
でも無駄だったわ
あの人に自分の希望を託してしまったの
必要な分の幸せを詰め込んでいったの
目を閉じたわ
そうしたら、雨も見えなくなる
うんざりとした、失望した気持ち
信じた分だけ、裏切られたわ
どこで雨宿りしたら良いの?
雨の時期は終わったわ
これからは
これからの幸せの準備をするの
目を閉じたわ
そうしたら、却って思い出したの
うんざりさせられた、悲しい気持ち
与え続けてきたことが、見返りなく終わったわ
どこで心を休めたら良いの?
雨の時期は終わった
これからは
これからの幸せの準備をするの
目を閉じても、
灯りは まぶたに
忘れられないこととして、
しつこい希望のように
まるで可能性があるかのように
そして、それから…なんていうこと
雨の時期が過ぎたわーーこれからはーーこれからの幸せを向かい入れる準備をするのーーダイドーの自動販売機の周りにーー忘れ去られたクローンの群れーーこの空間の中に閉ざされた可能性ーーひとつ、ひとつが光となり、唄となってーー乱反射しながらわたしの記憶を掠めてゆくーー何かになってしまうーーコントロールのできないものにーー「このままでは、だめになる」ーーこれ以上は、いけないーー肩口に乗り上げた埃が積もり、重なり、層になってーー生きとし、生けるもの、すベてーー失った物、消えてゆく物、忘れてしまった事、忘れてしまう事、すベてーー来るべき一瞬のために
雨の滴のように、時に力強く、一瞬で
あなたのすべては、地球の自然や記憶と結ばれている
そういう想いを、“復元”することーー
「ああ! マイマイガさんたちが、燃えてしまう!」
「このような俳句があるんです!」
ーーわたしがその声の覚えに振り返ると
わたしの大きなリュックサックをまるで赤ん坊の子守りをするように抱いたタクシーの運転手が持っていたのです
運転手が何か知ってる俳句を思い浮かべたようですが、わたしはそんなことに心を割く余裕もないの! ダイドーの自動販売機が燃えているのよ!!!!!
自動販売機の周囲に飛び交っていた蛾の群れが、乱れ散るように、一つ一つの羽に火の粉が伸び、マッチを擦り下ろした瞬間の明るさで燃え立ち、地面へと落ちてゆくのです
命二ツの中に活きたる櫻哉
芭蕉の句
命二つの時を往き蒔く桜かな
本歌取り
「運転手さん、わたしはどこに行けばいいの?」
わたしは視力が戻りつつある左眼を細めながら訊ねました
「ランドマークのところです」
「ランドマーク?」
せんぱいの車が炎上するのが見えたところ
「モノリスのような光の柱が一柱があった場所ね」
「そうです。そこにあなたの大切な人たちが向かっています」
煙が上へ、上へと、高く、高く
だが、行き場がないわけではないわ
向かうべき先を知っている煙
立ち昇る
誰かへのランドマークになって
あのモノリスのようなものがあった場所
戻りゆく 節目で何か 掛け合わせ
何か というものを句の中に入れることは、読み手に欠けたものを喚起させることになる 一見、何かでは不十分なもので扱うべきではない言葉に思うかもしれませんが、それを掛け合わせるとすると、たちまち起こるべきことがあるようになる
「この状況に沿った言葉を考える必要がある
言葉で持って、打開することが可能なのかを試みているのだから」
恋した瞬間、世界が終わる 第13部 白妙の衣手
ヘッドライトの先